古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

今日も仕事は〈お休み〉しました。

2022年05月21日 21時30分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は朝から、山に上る階段を修理しようと草刈りをしました。ところがナイロンコードで刈ると負荷は強すぎるのか草刈り機が止まってしまいました。午前中の仕事はおしまい。午後は昼寝しただけでおしまい。今日も〈やる気〉が出なくて仕事は〈お休み〉。自分で「ま、84歳だからな。あと5ヶ月で85歳。これくらいサボって〈ちょうどエエ加減〉だな」と納得しています。
 道子さんは、せっせと畑や裏山の仕事をしています。土にふれるのが好きで、元気がどんどん出るみたいです。
 ところでいま、クレマチスという花が咲いています。

 大きな花です。ツボミもいっぱいついてます。下の弟が行年68歳で急死したとき、仏壇に鉢植えを買いました。花のおわった鉢植えを、道子さんは台所の前に植えました。育て方がいいのか年々勢いがよくなり、5年目の今年も見事に咲いています。

 先日から読みはじめた『満州国演義』は2巻目です。一巻目は「張作霖の列車爆破」(1928年=昭和3年)までです。あの事件をこんなにくわしく読んだことはありません。
 ぼくは1977年の冬、中国に行きました。「西宮市各界友好訪中団」の一員に加えてもらって。(その頃はツアーでなく「友好訪中団」という形の旅行でした)。その旅行が強く印象に残り、また中国に行きたくなりました。そこで1978年の夏「西日本教職員友好訪中団」としてまた中国に行きました。
 二度目の旅行では、中国の北部を旅しました。瀋陽(日本では「奉天」という名前にしていた)/哈爾濱(ハルピン)/などが中心の旅でした。「瀋陽」郊外には「柳条溝」があります。日本軍が鉄道を爆破して、満州事変の口火を切った踏切です。その仕業を顕彰するように、日本軍はコンクリートの碑を建てました。
 ぼくたちが瀋陽に行ったとき、その爆破現場を見学させてもらいました。日本軍が建てた記念碑は爆破して壊され、繁みのなかに倒れていました。中国にしてみれば、いまわしい事変の記念碑ですから、破壊して当然です。
『満州国演義』は読み飛ばすように読めないので、夜にじっくり腰をすえて読んでいます。

 そうそう、たき火/焼き芋/がおわりになってさびしい。やっぱり〈たき火・焼き芋〉をしようと〈紅はるか〉を注文しました。紅はるかの焼き芋はなんとも〈おいしい〉。一年中食べていたい味です。宅急便を、たのしみに待っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする