1974年から民間のボランテイ団体で発展途上国のバングラディシュの海外協力に参加しました。愛知県豊明市(当時町)の電機会社に勤務していました。新聞記事に青年が海外協力をしている記事を読んで、HBC(ヘルプ・バングラディシュ・コミュニティ)現在のシャプラニールの事務所が置かれていた、小田急線参宮橋近くのオリンピック青少年センターのボランテイア活動室に豊明町から快速鈍行(普通運賃)の夜汽車で向かい、新宿の歩行者天国で街頭募金を呼びかけ夕方の新幹線で豊明町に帰っていました。
分かりやすい事例では、綾瀬市市民活動センターに登録している団体が皆が使用するコーナーに置かれているピンク色の公衆電話が連絡する手段でした。日本には専門の事務所もない中で海外に事務所を設置し海外協力を行う人材を派遣する計画が進んでいました。参加している人たちは殆ど20歳代と思われました。