日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

明日は、ホワイトデーか・・・

2014-03-13 21:50:09 | 徒然

昨日、出掛けた帰りに百貨店に寄った。
丁度、会社員の退社時間。
私の目的は、デパ地下で久しぶりにお総菜を買うこと。
デパ地下にいくことはあっても、お総菜を買うというコトはほとんど無い。
理由は、近所のあるスーパーが遅い時間でも営業をしていること。
もう一つは、スーパーのお総菜のレベル向上だ。
百貨店に入っている、有名総菜店の味をさほど変わらず、安価。
もちろん、すべてのお総菜が有名総菜店レベルではないが、価格と品質のバランスを考えれば、決して劣っているとは思えない程だ。

その為、ここ何年も、デパ地下でお総菜を買いたい!と言う気持ちが失せていた。
しかし、デパ地下もスーパーのお総菜の充実度に、危機感を覚えてか?さらに充実させてきている。
言い換えれば、百貨店VSスーパーで切磋琢磨しているお総菜分野、と言うかんじだろうか?

その久々に行ったデパ地下なのだが、驚いたのは男性が押し合いへし合い状態だったことだ。
なぜだろう?と、しばし考え思い出したのが「ホワイトデー」だった。
「バレンタインデーのお返し」と言うことで、若いサラリーマンが数人集まって、高級洋菓子店のコーナーであれこれ選ぶ姿というのは、余り見た記憶が無く、驚いた!と言うのが、本当のトコロだ。

彼らの買い物姿を見ていると、一応に有名洋菓子店、と言うのは当然。
海外の有名洋菓子店で買い物をしている。
もし、これが「義理チョコの返し」だとすると、随分高い返しの様な気が・・・。
と言うのも丁度1ヶ月ほど前も、同じ洋菓子売り場でお菓子(バレンタインではなく、お遣い物用)を選ぶために、出掛けたのだが、この時は有名洋菓子店と言っても、国内の洋菓子店が賑わっており、買い物をする女性の姿を見ても「義理チョコ」というのが、ありありとわかる感じだった。
「義理チョコ=コストパフォーマンスが良い、美味しいチョコレート」という感じだ。

それが、男性の場合洋菓子店をよく知らない、と言うこともあってか?とにかく海外の有名洋菓子店が大人気。
確かに、海外の有名洋菓子店でホワイトデーのお菓子を買えば、ハズレはないだろう。
しかも「高級洋菓子店」の代名詞の様になった?「ゴディバ」だけではなく、ウィーンの「デメル」、ベルギーの「ヴェタメール」など、なかなか渋い?お店が大人気。

その様子を見ながら、今の若い人達は案外「口が肥えている」様な気がしたのだ。
確かに、メディアやネットなどでの情報で、事前に購入するお菓子を検討しているのだとは思うのだが、一つの有名店に集中しない、と言うことを考えると「取りあえずゴディバを買えば、ハズシはない」と言う意識ではなく、「味を知って、選んでいる」という印象を受けたのだ。
その視点で考えると、日本の食の豊かさを感じるのだった。

ちなみに、買い物の目的であった「デパ地下のお総菜」は、若いサラリーマンでごった返す売り場に挫折し、何も買わずに帰宅をした。


被災地に必要なモノって何だろう?

2014-03-12 20:59:29 | ビジネス

「東日本大震災」発生から3年。
昨日は、日本だけではなく世界の多くの人達が、東北への慰霊と希望の祈りが捧げられたようだ。
昨日エントリをさせて頂いた「復興の進捗状況」から考えれば、本当の復興にはまだまだ遠いと言う気がする。

では、復興のための資金がないのか?というと、決してそうでは無いらしい。
復興予算の多くが、使われないと言う状況が続いていると言う。
その大きな理由は、被災地で管理・運営をする人材の不足らしい。
おそらく「人材不足」の理由の一つは、インフラ整備のための人材不足、と言うことがあると思う。
まして、6年後の2020年東京オリンピック開催に向け、東京でも建築ラッシュが起きようとしているのだ、そうかんがえると「インフラ整備のための人材不足」という状態は、数年経っても解消しないかもしれない。

ただ「震災復興」と言っても、建物や道路を造るばかりが「震災復興」ではない。
その様な仕事に携わらない人達の、生活再建もまた重要な「震災復興」だと思う。
そう考えると、使われていない予算を「東北産業復興」のために使っても良いのでは?と言う気がする。
例えば、昨日テレビのニュース番組でも取り上げられていた「さとうみファーム」のような、農業+αの事業など新しい地域産業を創ろうとしている事業体への助成だ。

「さとうみファーム」HP

助成とするのか、支援策とするのかは検討する余地があると思うが、この事業そのものはとても面白いと思ったのだ。
と言うのも、津波で海水を被った田畑の活用+畜産+観光+αがあるからだ。
この「さとうみファーム」では、羊を飼いラム肉の販売ということを考えているようだが、羊からとれるモノは、肉だけでは無いと思う、羊皮(シープスキン)もそうだろうし、羊毛の可能性もあるだろう。
羊の品種によって、羊毛に向く・向かないと言うことはあると思うが、東北の女性の手仕事として「糸を紡ぐ」技術はとても高いと言う印象がある。
高級ニットが東北で作られ、それが世界のファッションに使われる・・・と言う可能性もあるのでは?
一つの新しい産業を興すことで、違う分野の産業も興る可能性を考えているようなのだ。
随分前から、農業の6次産業化ということが言われているが、「さとうみファーム」のようなカタチであれば、6次産業以上の産業が生まれてくる。

地域の産業を興すことを主に考えれば「被災地復興予算」の使い方も、もっと柔軟で早い生活再建=被災者一人ひとりの災害復興が、可能になるのでは?と、考えるのだ。
そして、その様な異業種が一つになることで、新しい「東北ビジネスモデル」だけではなく、「地域に根ざしたコミュニティ」が生まれ、市民が主役となる「新しいタイプの行政システム」が誕生するかも知れない。
その様な「東北発」の新しい行政モデルも含め、復興予算を考えることが大切なのでは?と言う気がしている。


被災地復興の進捗状況を考える

2014-03-11 16:58:45 | 徒然

東日本大震災の発生から3年。
当時の東北には、とても冷たい春の雪が降り積もっていた。
映像に映し出される、被災地の姿は言葉では言い表すことができない程。
「復興」と言う言葉が、不可能のように思える程だった。

それから3年が経過し、被災地の情報が少なくなってきている。
それだけではなく、その後に起きた自然災害のニュースは、「被災地」として語られることが余り多く無い様な気がする。
それほど「被災地=東北」という印象が、余りにも強いのだろう。

その復興状況を、東北の被災地の方々は3割程度しか進んでいない、と感じていらっしゃる様だ。
そして7割の方が、風化しつつあると感じている、と言うデータもある。

その「復興の進捗状況」を、インフラ整備や住宅建設などの数字ではなく違う見方で、見てみるとどうなのだろう?と、考えた。
例えば「マズローの法則」。
ご存じの方も多いと思う「マズローの法則」または「マズローの欲求の5段階」。
人の欲求というのは、底辺部分~最上部までを5の段階で分けて考える、と言う考え方だ。

そう考えると、今の東北の人達の生活は「第1段階の生理的欲求=食事・睡眠・排泄など人として生きていくための自然に起きる欲求段階」は、確保されているが、次の「安全の欲求」となると、どうなのだろうか?
仮設住宅で暮らす人達が、まだまだ多く被災者向け住宅そのものの着工・完成は当初目標の数%だと聞いた。
一方「震災関連死」で亡くなられた方は、これまでに3,000人を超す。
そう考えると、被災地の方々の状況は、第2段階~第3段階というトコロだろうか?
「マズローの法則」では、第2段階までが「人として最低限の欲求段階」だとしていることを考えると、東日本での被災者の多くは、3年経ってやっと「最低限の欲求」にまで辿りついた、と考えられる。

被災地以外の生活者の多くが、第5段階の生活をしていることを考えると、「復興」への道は、まだまだ遠く、これからと言う気がしてくる。


高齢者が、働く社会になると・・・

2014-03-09 20:55:45 | ライフスタイル

久しぶりに、日用品を買いに大手スーパーへ出掛けた。
出掛けた時間は、丁度夕方のスーパーのレジが混み合う時間。
私は、生鮮食品を買いに出かけた訳ではないので、並ぶレジも人は少ない。
レジ待ちをしていて気がついたのだが、私より年齢の高い女性がレジ係をしている。
別に年齢が高いから云々という訳ではない。
実は、近所の大手生鮮スーパーでも昼~夕方にかけてレジ係をする女性の年齢が、上がってきているな~と言う印象がある。
売り場そのものも、年齢の高いと思われる方が元気に働く姿を見かけることが多くなった。

年金受給開始までの間働きたい、と言うことなのかも知れないが、日本の労働人口という視点で考えれば、これからは高齢者と言えども働くことが当たり前になってくるかも知れない。
高齢者が働くことで若年層の就業機会を減らす、と言うことを言われる方もいらっしゃるとは思うが、夕方~夜の時間帯は、男子大学生がレジ係となるので、一概に言えないと考えている。

そして、高齢者が働くようになるとどのような社会変化が起きるのだろう?と、考えたのだ。
まず、今日の買い物で感じたコトは、不慣れさもあってのことだとは思うが動きに機敏さが無い、と言うことだ。
買い物をしていて、イライラするお客様もいらっしゃるだろう。
しかし、考え方を変えれば高齢化社会でお客様も高齢化し始めているとすれば、この「機敏さがない」といのは、マイナス面だとは言い切れない。
ややスローな動きではあるが、その分支払いに手間取るお客様にとっては、安心感があるかも知れない。

「支払いに手間取る」と言うのは、何も高齢者だけではない。
小さな子ども連れの方なども、子どもを見ながらの支払いというのは、案外大変だ。
身体的ハンディのある方にとっても、それは同じだろう。
これから先、身体的ハンディのある人達を受け入れ易い社会になる為には、素早いだけが良い訳ではない。

そう考えると、「高齢者のリズム」で仕事をするということは、少しゆとりを持って周囲を見ながら仕事をする、と言うリズムかも知れない。
情報化社会だからこそ、意識的に生活スピードを落としゆとりを持つことが重要だとすれば、高齢者が働くコトは社会的にも十分意味のあることかも知れない。


「心の闇」の他にあるモノはないか?

2014-03-07 18:28:09 | アラカルト

柏市で起きた、連続殺傷通り魔事件。
昨日、犯人が逮捕され一応事件が解決した。
今日になると、逮捕された犯人について様々な情報が出てきた。
現在、取り調べに対して落ち着いて答えている時もあれば、突然興奮すると言う場面もあるという。
犯人の本当の動機がわかる様になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

昨日の逮捕のニュース以来、犯人が事情聴取で様々なことを言っている。
その中でとても印象にあるのが「バスジャックをし人質を取り、その後ハイジャックをした飛行機でスカイツリーに突っ込む」という話だ。
この話を聞いたとき、過去に社会を震撼させた事件をいくつも思い浮かべた方は、多いのではないだろうか?

まず「バスジャックで人質」と言うのは、2000年のゴールデンウィークに起きた「西鉄バスジャック事件」を思い出す。
この時の犯人の17歳の少年は、牛刀を持ち居合わせた乗客を殺傷している。
そして「2ちゃんねる」の掲示板などでも、犯行をほのめかす内容を書き残している。
「ハイジャックをした飛行機で、スカイツリーに突っ込む」というのは、おそらく「米国・同時多発テロ」から思い浮かべたことのような気がする。
結果、実行するに至っては過去の通り魔事件を思い浮かべるのだ。

「同時多発テロ」の場合、犯人にはそれなりの明らかな動機の様なモノがあるので、「真似をしたかった」ということなのではないか?と思うのだが、それ以外については何となく共通する点がある様なきがするのだ。
少なくともこれからマスコミが書き立てるであろう、「犯人の心の闇」ということではない。
「コミュニケーション力の欠如」という点だ。

過去の事件でも、犯人達はネットという世界では、ある程度のコミュニケーションを取ることができていた(ようだ)。しかし、現実の社会では「孤立感」を持っていたのではないだろうか?
それは、犯人を犯行に追い立てた過去のいじめられた経験がある、ことも影響していると思うが、社会全体が「コミュニケーション不全」に陥りやすい状況になりつつある、と言う気がしている。

LINEでつながる人数が多いとか、twitterのフォロワーの数やFacebookの「いいね!」が沢山押されるから、コミュニケーション力が高い訳ではない。
実際に人と会って話を聞き、話を理解したうえで自分の考えや意見が言える、と言うのは当然、相手の気持ちを様々な表情から読み解く様な力も重要な「コミュニケーション力」であり、むしろこの様な力が社会的に低下しているように感じるのだ。
「バブル経済が崩壊」し、社会全体が「成果主義」という分かり易い物差しを求める様になる。と同時に、インターネットの普及により「本来の自分と仮想の自分」が創れるようになり、その差が大きければ大きいほど、本来の自分と仮想の自分のギャップが埋めきれずに、仮想の自分が本来の自分を支配し、凶行に及んでしまっている、と言う可能性はないだろうか?

様々な社会変化の中で、本来必要とされている「コミュニケーション力」の重要性ということを、今一度考える必要がある様に思うのだ。


コンビニPBもプチ贅沢?

2014-03-05 19:34:52 | マーケティング

スーパー等に行くと、消費税を前にPB商品の品数が増えていることを実感する。
PB商品に関しては、おそらく消費税の増税分を「価格を変えない」ことで、実質的な値下げを図ることを考えている大手スーパーもあるようだ。

そのPB商品にも、変化が出はじめている。
それは「プチ贅沢化」だ。
例えば食パンなどは、大手製パン会社のものが140円前後だとすると、PB商品は100円前後からある。
PB商品だからと言って、品質に問題がある訳ではない。
大手製パン会社と契約をして作っていたり、地方の中堅スーパーなどの場合は地元の比較的大きなパン屋さんに製造を依頼して、作っているケースが多いからだ。

そんなPB商品だが、昨年あたりから「若干お高め」価格設定の商品が登場し始めた。
価格的には、大手製パン会社の商品と変わらないかそれよりもやや高め。
パッケージを見ると、これが「こだわりの製法」だったりする。
特に目を引くのは、風味などを劣化させない添加物などを入れていないなど、「健康・自然派志向」になっている。

この様な流れは、取り扱う品数が多く、店舗規模もそれなりの大きさがあるスーパーだけかと思っていたら、どうやらコンビニでもこの様な動きが出はじめているようだ。

仕事の帰りコンビニに立ち寄ったら、大手飲料メーカーの冷蔵商品棚の中に見慣れない商品があった。
ガラス扉には、コンビニ店の「一押し商品」のディスプレイ。
値段も、隣に置いてある大手飲料メーカーの商品よりも10円ほど高い。
よくよく見ると、コンビニのPB商品だった。
ネーミングも「贅沢○○」となっている。
改めて、コンビニ店内を歩いてみると、食品関連ではこの様な「贅沢○○」という商品が、いくつも置いてある。

考え方を変えれば、大手、準大手のスーパーは1店舗あたりの売り場面積は大きいが、コンビニは全国各地にある。
総コンビニ店舗数=売り場面積と考えれば、売り場面積は大手スーパーよりも広い。
だからこそ、コンビニオリジナルのPB商品の開発は、当たり前となるのだろう。
もちろん提供するメーカー側にとっても、その「売り場面積」と商品回転率は、魅力的だろう。
それだけではなく、商品を引き上げるにしても全体では大きいが、生活者一人ひとりに与えるイメージは、強くないはずだ。

日本の景気が上向いてきたのか?それとも「節約疲れ」なのか?はたまた「日々の生活に関わるモノだけは、品質重視」という生活感の現れか?百貨店の高級品の売上げが伸びている、と言うニュースとは別に、注目しておきたい「生活者の変化」だと思う。


ビール会社が缶チューハイを積極的に売る理由は一つではない?

2014-03-04 19:21:37 | ビジネス

Yahooのトピックスに、ビール会社各社が、缶チューハイの販売に力を入れる、と言う内容の記事が取り上げられていた。
元となっているのは産経ビスに掲載された記事。

産経ビズ:度数高めで「お得に酔える」節約志向 ビール大手缶チュ-ハイ強化

確かに、焼酎はアルコール度数が高く、ビールよりも早く酔いが回るかも知れない。
しかし、缶チューハイとなると違うのでは?
実際、公益社団法人アルコール健康医学協会のサイトを見ると、アルコール度数5%の場合、缶チューハイもビールも、ほぼ同じだけの量を飲まないと、同じ量のアルコール摂取にはならない様だ。
公益社団法人 アルコール健康医学協会:飲酒の基礎知識
気になって他にも、どのくらいの缶酎ハイを飲めば、酔った気分になるのだろうか?と思い探してみると、個人差があるにしても「ジュースのよう」という方も案外多そうなのだ。
sooda!:缶チューハイで酔えますか?

「酔える・酔えない」というのは、とても個人差があるので一概に言えることでは無いと思う。
だが「缶チューハイ(または「缶酎ハイ」)で検索すると、「酔う」よりも「カロリー」を気にしている人のほうが多い。
と言うことは、「缶チューハイ=度数高め=お得に酔える」と、一概に言えないのでは?という気がする。
むしろ、「カロリー」と言う点は別にして、「焼酎は悪酔いしない」ということが随分前から言われており、それが「焼酎ブーム」となった、ということを考えると、もっと他に理由がある様にもおもえるのだ。

先日読んだ「ヤンキー経済」という本を読んだ。
「ヤンキー」といっても、昔の様な「暴走族風」の若者ではない。
最近では「暴走族風」の「ヤンキー」は、「絶滅危惧」状態らしい。
今中心となっているのは「地元志向が強く、小・中学校からの友達関係を重視する」という若者達の一部を指しているようだ。
この本の中に、彼らが好むお酒は「鏡月」という、韓国焼酎のお茶割りという一文があった。
その理由は、「お酒が飲めない仲間がいても、端から見るとわからない。ボトルで注文をし、自分の好みに合わせて割り、仲間に(自分のお酒の飲み方を)強要する必要が無い。仲間と楽しく飲むことが大切なので、その場の雰囲気を大事にした飲み方重視」だという。
もちろん、ボトルで注文するので1杯あたりのコストが下がる、と言うメリットもある様だが。
何とも、仲間に対して心優しい気遣いができる若者だろう。
新入学の頃になると決まってニュースとして取り上げられる「無理強い一気飲みで、急性アルコール中毒」とは、無縁の様な飲み方だ。
彼らはボトルで飲んでいるので、缶チューハイを同じ様に考えるわけにはいかないが、今の「ヤンキー若者」たちにとっては、ビールよりも親しみのあるお酒がチューハイだといえるのでは?

そう考えると、実は焼酎や缶チューハイを選ぶ理由というのは「焼酎=アルコール度数が高い=少量で酔える」という理由では無いような気がするのだが・・・。



どこかおかしいな雰囲気がする

2014-03-03 22:02:43 | 徒然

衆議院選挙で自民党が大勝したころから、どこかおかしな雰囲気を感じることが多くなった。
最近それが、徐々に姿を現し始めた?と言う感じもする。
その一番分かり易いのが、NHK会長に就任した籾井さんだ。

この方の経営センスについては、大いに疑問な点が多々ある。
一番顕著なのが、「日付を入れていない辞職」を10人の理事に提出させていたことなのだが、とても民間勤めをされていたとは思えない。
そして今日、就任直後の記者会見の内容は、「記者から言わされた」と話されている。
還暦も十分に過ぎ、大手商社の副社長や関連企業の社長まで経験していれば、「記者会見」の経験は“0”では無いと思う。
一連の発言を読んでみると「自分は悪くない!」と、言っていらっしゃるような印象ばかりで、本当に企業のトップを務めたビジネスキャリアがあるのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。

そして、その籾井さんをNHK会長にした安倍さんも、なんだかおかしな発言が目立つ。
今日のロイターが伝えた「製造業が日本に残るよう努力、経常収支は注目」という記事の内容を読んでも、今の日本の製造業の実態がわかっているのかな?と言う気がする。
ロイター:製造業が日本に残るよう努力、経常収支は注目

どうやら安倍さんの頭の中では、昭和40年代のままの様な感じがする。
私が小学校~中学の頃は「日本は資源が乏しい国なので、資源を輸入し、製品化をして輸出をする、貿易大国です」と、社会科で習った。
今から40年近く前の話だ。
その後、日本経済も大きく変わり、製造業のグローバル化は避けて通れない状況になっている。
と言うよりも、既にグローバル化している。
多くの企業が、生産拠点を海外に移したのは、一つの「経営戦略」だ。
昭和40年代の経営発想では、今の経営は成り立ってはいかない。
確かに、自動車産業などを中心に製造業は今でも日本の産業の大きな柱だが、だからと言って製造業が輸出で儲けているのか?と言うと、そうではない。

他にも、「三権分立」をすっかり忘れられた様な発言があったりするのも、気になる。
そんな政治とメディアの中心(?)NHKを見ていると、限りなく嫌な感じとおかしな方向へと向かっているのでは?と、心配になるのだった。


ビールに「ソムリエ」がいても、良いじゃない?!

2014-03-02 04:43:39 | ビジネス

地下鉄に乗っていたら、ある広告が目に入った。
「キリン一番搾り」の広告だ。
キリン:広告ギャラリー 一番搾り

広告では、「キリン一番搾り」が、どれほど美味しいビールなのか。そのこだわりについて、と言う内容。
確かに、一番麦汁だけの麦汁の色は濃く、美味しそうだ。
それに対して二番搾りになると、色は薄くなり、何となく、旨味のなさそうな・・・余り美味しそうな感じには見えない。
私もそのビジュアルには、「なるほど!一番搾りが美味しい理由はそこにあったのか!」と納得する。

その右上にあるコピーを読んで、「オヤ!」と思ったのだ。
「一番麦汁だけで作るから、二番麦汁の渋みが・・・」とある。
なるほど、ビールの渋みは二番麦汁が原因だったのだ。
でも、ビールの美味しさの中にはその「渋み」もあるのでは?と言う気がしたのだ。

私が初めてビールを飲んだときの感想は、「苦い!」だった。
とても美味しそうに飲む人の姿が、不思議に思える程「苦く、渋い」という印象だった。
とすると、ビールの美味しさの中には「苦い、渋い」も含まれているのでは?と言う気がしたのだ。
欧州では、ビールにオレンジジュースやアップルジュースを加えて飲む、と言うことも一般的だし、中には「ホットビール」という飲み方もあると聞く。
日本の様に「とりあえず、ビール」という飲み方ではないようなのだ。
そう考えると、日本のビールは「飲み方も種類も固定されている」のでは?

もう一つ考えたのは、日本のビールは味に大きな変化を求めず、発泡酒や第3のビールなどの開発をしてきた。
発泡酒や第3のビールという、「新しいビール」の開発には大変な努力と技術開発が必要だったと思う。
その熱意には、感服するばかりなのだが一方で「味」や「飲み方」という点では、どうなのだろう?
上述した通り、ビールの本場欧州では様々な飲み方がされている。
その様な提案がなかなかされていないのは、残念な気がする。
例えば、ワインに精通した「ソムリエ」が、お客さんの好みやその時に気分に合わせて、ワインのアドバイスをし選ぶように、ビールにも「ソムリエ」のような人が、その時の気分や好み、食事に合わせて提案をする、と言うことがあっても良いと思う。

もしかしたら「(ビールの)渋みや苦みが好み」という人がいるかも知れない。
そんな人にとってこの「一番搾り」の広告は、魅力的な商品として訴えることにはなってはいないだろう。
そんなことを、地下鉄のぶら下がり広告を見ながら考えたのだった。