日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

国立公園から「ナショナルジオパーク」へ

2011-09-18 20:45:23 | ビジネス
今日の新聞各紙のWEBサイトには、「室戸岬・ナショナルジオパークに認定」という内容の記事が掲載されている。

以前、拙ブログでも「ナショナルジオパーク」についてのエントリをさせていただいた。
このときは、私の実家がある山陰海岸(京都府・兵庫県・鳥取県の山陰海岸が対象)が「ナショナルジオパーク」に認定された時だった。
それから、あまり時間がたたない間に室戸岬が認定された、と言う印象がある。
「ユネスコの世界遺産」などもそうなのだと思うのだが、このような国際的な機関での認定となると、どうも日本は遅れがちの様な気がする。
アピール不足というべきなのか?

しかし考え方によっては、私たち日本人が見落としている「豊かな自然」が、多いのかもしれない。
とすれば、発掘(と言うとおかしいのだが)するチャンスが、まだまだあるのではないだろうか?
何よりも、すでに5つの「ナショナルジオパーク」がこの日本にあるのだ。
決して大きいとはいえない国土に、「ナショナルジオパーク」が5つあるというのは、それだけ豊かな自然が比較的身近な所にある、と言うことにもなるのだ。

それだけではない。
その「豊かな自然」を日本の新たな観光資源として、考える必要があるのではないだろうか?
「観光」というとどうしても、ホテルの建設やアクセスのための道路建設に目が行きがちだが、決してそのようなハードな面での整備ではない。
むしろ「不便さ」という売りもあるはずなのだ。
「不便さを売る」というと、観光客には不親切のような印象があるかもしれないが、「不便である」ことで発生することの一つに「長期滞在」というメリットもあるはずなのだ。
旅慣れた欧米の人たちにとって、「長期滞在型の旅行」というのはごく当たり前のことのはずだ。
短い時間で、あれこれ見て回る観光旅行ではなく、不便だからこそ味わえる「日本の原風景」というモノもあるはずだ。
そこをもっとキチンとPRしても良いのではないだろうか?

確かに、欧米の経済状況から言えば決して気軽に日本に観光に来る、と言う状況ではないかもしれない。
とすれば、今から「種まき」のつもりで地元の人たちと行政、国が一緒になって考えるチャンスだと思うのだ。
何より、先進工業技術が発達した国でありながら、豊かな自然や伝統的な文化の数々がそのまま残って居ると言う、世界でも希な国なのだ。
「クールジャパン」は、アニメや映画だけではない。
伝統的工芸品も「クール」だと思うし、何より「豊かな自然」そのものが「クールジャパン」なのではないだろうか。

支援のカタチ

2011-09-17 22:05:00 | アラカルト
近所のドラッグストアーのお菓子売り場に、とても懐かしいパッケージがあった。
カルビーの「かっぱえびせん」だ。
私が「懐かしい」と感じたのには、理由がある。
それは、パッケージが発売当初の頃の様なパッケージだったからだ。
発売当初というのは1960年代前半の頃(「かっぱえびせん」の発売は1964年)。
当時は、印刷技術も今のようなモノではなく、お菓子のパッケージと言えどもナイロンやビニールの透明な袋に単色か3色程度の色が使われている程度だった。
当然のことながら、当時の「かっぱえびせん」もそんな感じのパッケージだったように思う。
と言っても40年以上も前のことなので、不確かな記憶だし、あくまでも「当時のイメージ」を彷彿させる、と言う方が良いのかもしれない。

そのパッケージを見て最初に思ったことは、最近、流行の「復刻版パッケージ」だった。
ところが、実際に手に取ってみると「復刻版パッケージ」ではなく、ある目的のためのパッケージだったのだ。
その目的とは、販売価格をそのままにし、パッケージに使う色を減らすことでパッケージ代を値下げ、その値下げ分を「東日本大震災」で被災した子供たちを援助する「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付をすることのようだ。

このパッケージの説明書きに、「こんな方法もあったんだ!」と思ってしまった。
パッケージを印刷している企業からすれば、減収となると思うのだが「かっぱえびせん」の様に、一つのブランドとして確立してしまった商品であれば、さほど凝ったパッケージである必要はない。
もちろん、季節ごとや地域ごとに発売される「限定品」は、それなりのパッケージで商品をPRする必要はあると思う。
ただ、すでに市場で十分認知され、息の長いロングセラー商品であれば、さほど影響はないだろう。

むしろ、ブランドとして確立しているからこそ、このようなキャンペーンを実施する効果が高いと考えられる。
なんと言ってもカルビーの看板商品・顔となる商品が「かっぱえびせん」なのだ。

震災発生から半年が過ぎ、義援金などの募集もあまり聞かなくなってきた。
でも、本格的な災害復興はこれからが本番。
その意味でも、このタイミングでのキャンペーンは効果があるのではないだろうか?


発想を変えるコト

2011-09-16 19:44:43 | アラカルト
仕事をしていると、考えに煮詰まるコトが多い。
そんな思いをしていらっしゃる方は、決して私だけではないと思う。
それだけではなく、「柔軟な発想で・・・」と周囲から言われる方も少なくないだろう。
場合によっては、周囲に「柔軟な発想で・・・」と言っている立場かもしれない。
とは言うモノの、なかなか「柔軟な発想」というモノが生まれる訳ではない。
時には過去の自分の成功体験が、邪魔をするコトもある。

今日、チョットおもしろい記事を見かけた。
朝日新聞のWEBサイトにあった、【鳥取】真っ白な「黄身」の卵 えさはお米という記事だ。

確かに写真で見る限り、「真っ白な卵黄」だ。
実は、3,4年ほど前にも「お米のえさの鶏卵」というのが、話題になった。
日本人の好きな「たまごかけご飯」などにピッタリ!と、評判だった。
残念なコトに、その後「お米の鶏卵」はヒットすることなく、話を聞くこともなかった。
この時の卵黄は、レモンイエローの様な色だったと思う。
ところが、今回の様に「真っ白」となると、「どんな料理に使うコトができるの?」と、まず躊躇してしまう。

と言うのも、多くのお料理は「たまごの黄色い色」を生かしたモノが多いからだ。
想像していただきたいのだが、「真っ白いふわトロオムライス」や、ラーメンに添えられる煮卵。何より、子供から大人まで大好き(だと思われる)「卵焼き」が白かったら?
おそらく「食べたい!」という気にはなかなかなれない様に思う。

反面、最近ずいぶん増えてきた「米粉スィーツ」などには、真っ白な生地ができあがるだろうし、使われる果物の色を邪魔するコトがないだろう。
真っ白なカルボナーラもアリかもしれない。
茶碗蒸しなども、野菜などの具材が引き立つかもしれない。

「たまごの黄身は、黄色(橙色)」と言う、常識から逃れるコトは難しい。
でも、このように具体的なモノを見ると、そこからアイディアが生まれることもある。
たとえそれが無理でも、ノートなどに「もし、○○が△△だったら?」とテーマを作り、そこから「本当に、○○でなくてはいけないのか?」と、考えることで意外な発想が生まれてくるのではないだろうか?

緑茶も「エスプレッソ」?

2011-09-15 13:47:29 | マーケティング
そろそろ、ペットボトルなど飲料水の秋・冬向けの新商品が出始める時期となってきた。
今日、コンビニやスーパーなどで見かたのがサントリーの伊右衛門の「グリーン エスプレッソ」だ。

コーヒー以外の飲料水で「エスプレッソ」と名付けた商品は、伊右衛門が初めてではない。
キリンの「午後の紅茶・エスプレッソ」があり、こちらは発売当初から話題となりヒット商品となった。
言葉が悪いのだが、その「二番煎じ」という感じで、この「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」が登場したような印象を、受けてしまったのだった。

ただ、今回の「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」は、「エスプレッソ」と名がついているが、どうやら製法が違っていそうな商品説明となっている。
ご存じの様に「エスプレッソ」の淹れ方は、熱いお湯を圧縮したように一気にコーヒーに点し、とても濃いコーヒーを淹れる。
おそらく「午後の紅茶」も同じような方法で、淹れているはずだ。
少なくともテレビCMを見ている限りは、コーヒー豆を紅茶の茶葉に変えた様になっていた。
ところが「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」は、どちらかというと茶道の「お薄」か「濃茶」の様な感じだ。
実際、パッケージを読むと「抹茶をふんだんに使い・・・」とある。
とすれば、「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」の目指している市場は、これまでとはチョッと違うのかもしれない。

このパッケージを読んだ時感じたことは、「日本のおもてなし文化の中心である、茶道の楽しみを手軽に味わってもらう」というコトだった。
茶道の「濃茶」は、茶道の中でも格の高いおもてなし。
それこそ1日がかりのおもてなしであり、呼ばれた客人もそれなりの気持ちで臨む。
茶道の心得のない私などは、とうていお呼びがかかるような場所ではない。
一般的な「お茶会」とは、意味が違うのが「濃茶」の茶席なのだ。
一方「お薄」は、「濃茶」ほど格式張ってはいない分、気軽にいただける。
とはいうものの、茶道を習っていない人にとって「お薄」も「濃茶」も縁のないモノだろう。
だからこそ、「気軽にそのおいしさを味わってもらう」というのが、今回の「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」なのではないだろうか。

もちろん、某テレビ局で紹介され今年の春頃一時売り切れ状態になったという「深蒸しの挽き茶」も、考えての市場投入だとは思うが、もしかしたら考えている市場は、国内ではなく海外なのかもしれない。
「茶席の侘・寂」を堪能する、とまではいかないが、その「おいしさ」を知ってもらうきっかけ作りにはなるだろう。
と同時に、是非日本の和菓子も一緒に海外へ紹介をしてもらいたい、と思っている。

お煎餅に番茶もおいしいが、繊細な和菓子にお薄もまた気持ちを落ち着かせ、日頃の雑事を忘れさせてくれる一服でもある。
そんな時間の提案も、この「伊右衛門・グリーンエスプレッソ」はあるのかもしれない。



 

スーパークールビズは、定着したのか?

2011-09-14 21:44:35 | アラカルト
Yahooのトピックスに、電通総研の消費調査で男性50~60代のクールビズ進むと言う内容の記事が、ピックアップされていた。

確かに、今年は「節電の夏」だった。
昨年ほどでは無いにしても、昼間は暑い日が続いている。
多くのサラリーマンにとって、涼しいスタイルと言う願望はあるだろうが、仕事上無理!と言う方も少なくないのでは。
実際、昼のオフィス街を歩いていても、ノーネクタイのサラリーマンの姿は多いと感じている。
上着を着ている方も少なくは無いが、数年前に比べると少ないような気がしたのも確かだ。
だからと言って、今年「節電対策」として提唱された(?)「スーパークールビズ」とスタイルの方を見ることは殆どなかったような気がするのだ。

ご存知の通り、今年話題になった「スーパークールビズ」は、上着なしは当然のこと。
ポロシャツなどややゆったり目の涼やかな服装をしましょう、と言う提案だった。
その中には、ショート丈のズボンやサンダルと言った服装の提案もされていた。
確かに涼やかな服装だと思うのだが、オフィスでこのスタイルが無言の「ドレスコード」としてOKなのか?と言うコト言われた。
確かに理工系の職場では、比較的カジュアルな服装でも問題がないようだが、営業となるとそのようなわけにはいかない。
「出向く先に失礼があってはいけない」と言う点で、炎天下でもスーツにネクタイと言う服装の方の方が多かったのではないだろうか?

実は、この記事をよく読むとある種の「イメージ作りのカラクリ」が見えてくる。
それはこの記事の最初にある「50~60代」と言うコトバだ。
60代の男性の多くは、既に職場をリタイアされた方たちなのでは?
とすれば、無理にスーツを着てネクタイを締める必要はない。
何より、真夏の炎天下、背広を着て営業に歩く、と言うコトなどは殆どないと考えるのだ。
その様に考えると、単純に50~60代男性に「スーパークールビズが定着しはじめている」と言い切れないのでは?

それよりも、女性の方が「スーパークールビズ」が進んだように思うところがある。
その大きな理由が「生足の定着」と言う点だ。
今週は、何かと地下鉄を利用して出かける用事があり、その地下鉄内でよく観察をしていると、女性の「生足率」がとても高いのだ。
背景にあるのは「トレンカ(足先とかかとがない厚手のタイツ)」や「スパッツ」などの「ファッションアイティム」の定着化だろう。
このようなアイティムの基本は、素足だからだ。
そして「フットカバー」の人気定着も、「女性の生足」を進めたはずだ。
なぜなら、地下鉄で見かける「生足女性」の多く年齢を問わず、「フットカバー」を穿いているのだ。

その様に観察をすると、男性の「スーパークールビズ」は定着したとは言い切れず、女性の「生足」が定着しはじめた、と言えるのではないだろうか?



日本のガラパゴス化が進む理由

2011-09-12 21:07:21 | ビジネス
Yahooのトピックスに「東芝、音声で反応するエアコン」と言う内容の記事が、ピックアップされている。
東芝のプレスリリース(ニュースリリース)
世界初注1、声で動くエアコン 大清快VOiCEの発売について
-新型デュアルコンプレッサーの搭載により、省エネ性能を向上-


確かに、声に反応して「省エネモード」や「除湿」が出来たら、便利だと思う。
思うのだが、果たしてその機能は本当に必要なのだろうか?
その機能がなくても、生活に不自由市しないのでは?と思ってしまう。
仕事などで昼間家にいない家庭にとっては、そのような機能よりも「携帯電話でエアコンのスイッチを入れたり、設定温度を調節できたり」と言う機能の方が便利なのでは?
もしかしたら、そのような機能の付いたエアコンは既に市場に出回っているのかも知れないが、余りこのような機能と言うのは聞いたことが無い。
「ユビキタス社会」と言う言葉が持て囃された10年ほど前は、このような「遠隔操作」が近い将来できるようになる!と、言われていたように思うのだが・・・。

今回の東芝の「音声で反応するエアコン」の記者発表の場では、「レアアースの価格の値上がりも影響して、1万円ほど従来の機種よりも高い価格設定となったが、新しい(音声反応)機能と言う付加価値分だと思って欲しい」と言う主旨の話があったようだ。

この話を読んだ時、「この発想が、日本のガラパゴス化の理由なのでは?」と、思ってしまったのだ。
価格を値上げの一つの理由として、「高機能」と言う付加価値を付け、その機能が陳腐化してしまうと、次の新しい付加価値としての「高機能」を付ける。
確かに「高機能」になればなるほど、生活は便利になると考えられる。
だが、「本当に生活が便利になっているのだろうか?」と言う検証はされているのか、やや疑問に感じている。

「日本のガラパゴス化」の代表と言えば、携帯電話がある。
カメラなどの機能は、確かに便利だし私も利用している。
しかし、スマートフォンの登場でこれまで便利だと思っていた機能が、本当に便利な機能なのか?と言う疑問も出てきているのではないだろうか?
結局、スマートフォンの登場・一般化によって、携帯電話の多機能化は余り意味のないモノとなってしまったのでは?と考えると、今回の「音声反応のエアコン」も似たような道を辿るのでは?と、感じてしまうのだ。

日本の白物家電は、省エネ+多機能を売りの一つとしている。
省エネはともかく、「本当のその機能必要ですか?」と言うコトを技術からではなく、生活と言う視点で見る必要があるのでは?
それが出来なければ、「日本家電のガラパゴス化」が進んでしまうような気がするのだ。

定着するか?朝食飲料

2011-09-11 20:45:18 | トレンド
ご近所のスーパーにサントリーの「なっちゃん 朝MIX」という新商品が、並んでいた。
パッケージなどを読むと、「朝用果物飲料」というコトのようだ。

「朝用果物飲料」の先駆けといえば、20数年前に若いサラリーマン向けとして発売された、缶入りバナナミルク(ジュース)があった(黄色い缶がとても印象的だった)。
当時は、それなりに話題にもなりある程度のヒット商品となった記憶がある。
ただ、それ以降「朝用果物飲料」という市場は拡がることもなく、終ったよう印象があった。
それが数年前から始まった「朝食を食べようキャンペーン」と連動するように、再び「朝用果物飲料」がボツボツと出始めたようだ。

とは言うモノの、このような「朝食向け飲料」の多くが、「朝ご飯の代わり」という売り方に対して、この「なっちゃんMIX」はあくまでも「朝ご飯に果物飲料をプラス」という位置付けのようだ。
忙しいサラリーマンやダイエットのために朝食抜きを実践する(?)若い女性の栄養補助的な感じでは無い。

実は、日本人の果物摂取というのは欧米に比べると、随分と少ないという指摘がされている。
おそらく、その要因の一つは「果物」との付き合い方(と言うと変だが)にあるのかも知れない。
「果物」のことを「水菓子」と呼ぶように、日本では「お菓子」の一つのように、とらえられたきたという一面がある。
「食後のデザート」が定着するのは、ここ30数年のことだ。
だからこそ、大人が食事の一環として果物を食べると言う習慣が、殆どなかった様に思うのだ。
もう一つは、日頃の食事に対するおざなり感(=「早い・安い」を追求するあまり、食事全体の栄養面がおざなりになっている)が、当たり前になってしまったのかも知れない。

一方で「朝の果物は、金に等しい」と言うことも昔から言われてきた。
最近では、「果物に含まれるイロイロなポリフェノールが、からだに良い」と言われる様になってきた。
だからと言って、日本の果物消費量が増える傾向にあるわけでは無い。
話題と消費がなかなか結びついていない、と言うのが現状なのかも知れない。
日本は季節折々の果物が市場に出回るのに、他の食品よりも割高感がある、と言うのも理由かも知れない。
だからこそ、手軽に摂ることが出来る飲料となれば、市場はあるのでは?とサントリーをはじめとする、飲料メーカー各社が考えている様にも思える。

果たして、「朝用果物飲料」と言う市場は定着するのだろうか?
ただ、ここ名古屋では難しいような気がしている。
その理由は、他地方では見るコトが出来ない、「喫茶店のモーニング」と言う食文化があるからだ。

徒然に思うコト

2011-09-10 21:15:08 | 徒然
明日は9月11日。
「同時多発テロ」が起きた日だ。
このとき、日本は丁度夜のニュース番組の最中。
テレビ画面が一斉に、このニュースに切り替わったと記憶している。

その時から10年。
世界がどれほど変わったのだろう・・・と、考えるコトもある。
今年イスラムという国では、今年民主化の波が押し寄せた。
だからと言って、イスラムの国が大きく変わったのか?といえば分らない。
ただ、イスラムの国の多様化が始まった、という気はしている。

そして、攻撃を受けた米国は経済的立ち直りが急がれている。
10年前、全米を覆っていた「強いアメリカ」という空気間から、随分変わってしまったように思える部分だ。
当時のブッシュ大統領は、とてもわかりやすいというよりも単純な発想で「テロとの戦い」を訴えていたように思う。
テロを仕掛ける側もテロを受けた側も、単純な「○か×か」というコトだけしか言ってこなかったような気がしている。
その「○か×か」という発想は、日本でも形を変えて登場した。
それが「勝ち組・負け組」だ。
この場合の「勝ち組・負け組」というのは、いかに効率よくお金を儲けたか否か、という点だけで、判断されていた部分が多分にあった。

そんな「単純な分け方」を一掃してしまったのが、今年の「東日本大震災」だった様に思う。
震災発生直後から、多くの人はこれまでの自分の生活や生活観の見直しを迫られ、「分かち合う」とか「(ボランティアなどの体験を通した)価値観の共有」を積極的にするようになってきた。
これはとても大きなことだと思うし、この価値観の変化がこれからの日本を変える原動力となると思う。
それだけではなく、その日本の姿が世界を変える力となるかも知れない(個人的には、それを願っている)。

一方まったく変わらないのが、政治家というか大臣という職に就く人たちの「コトバと責任の軽さ」だ。
今日も、一人大臣が辞められたようだが「大臣」という職に就くほどの「大人」なのに、どうしてそんなコトを話すかな・・・???それが、わからない。
もしかしたら、就任したことで「大臣ハイ」という、一種の「ナチュラルハイ状態」になっているのだろうか?
それを考えると、「もっとシッカリしてよ!いい大人なんだから」と、言いたくなってしまう。
残念な人が大臣になってしまう理由もまた、分らない。


NHKの受信解約に見る数字

2011-09-08 20:20:32 | マーケティング
NHKの受信解約の申し出が、7~8月にかけ9万件ほどあったようだ。
NHK解約申し出、2カ月で9万件 地デジ完全移行影響-asahi.comより-

最終的には、10万件を超すとNHKは見込んでいるようだが、この数字をどう見るのか興味がある。
単純に「9万件の家庭が、地デジ化をしていない。または、地デジ化に合わせテレビの視聴を止めた」と見ることが出来る。
一方、とても穿った見方ではあるが、地デジ化をキッカケに「普段見ないNHKの受信契約を解約した」という可能性も「0」では無いと思う。
NHKの基本的な考えが、「テレビのある家庭は、必ずNHKを見ている」というトコロから始まっていると思われる受信契約だと感じるからだ。

その背景にあるのは、「テレビ」が家族が集まる場所に1台しかなかった時代から、契約そのものの考え方が変わっていないからだ。
民放はあくまでもNHKのオマケ程度で、「家族が見るのはNHK」という感覚が抜けきれていないように感じる部分があるのも事実だ。
実際には、テレビと生活者のかかわり方が随分と変わり、「1家に1台」という時代は30年以上も前に終っている。
その変化に合わせてきたのは、NHKというより民放だったように感じている。
それだけではなく今では、パソコンで地デジが受信できたり、携帯電話でワンセグ放送が見られたりするのが、当たり前になってきている。
まして、先日にはNTTdocomo系の通信会社が、地デジ化によって空いた地上波を使った映像サービスを実施する、と発表したばかりだ。

とすれば、「テレビ番組を受信する」という形態も変わってきているはずだ。
そのことにNHK自体分っているとは思うのだが、なかなか対応できていないというのが本当のところなのでは?
もちろん、積極的に「オンデマンド放送」を実施したりしているが、「オンデマンド放送」自体、まだまだ高額(だと思っている)で気軽に利用するまでには至っていないのが、現状なのかも知れない。

この9万件のNHK受信契約の解約というのは、単純に「9万件=地デジ化していない世帯」ではなく、生活者のテレビに対する変化の数字と見るべきなのではないだろうか?
と同時に、テレビの視聴スタイルの多様化という点も考慮する必要があると思う。

単なる数字も見方を変えると、イロイロな社会のあり方が見えてくる・・・そんな9万件という数字のように思えるのだ。

すっかり忘れていた問題-アスベスト-

2011-09-07 19:15:34 | アラカルト
今日の午後、所用があり出かけた。
出かけたといっても、繁華街方面ではなく新興住宅地方面。
その途中、ガランとした雑居ビルがあった。
「この不景気で、空きビルになっているのかな・・・」と思ってみたら、まったく違う理由で空きビルとなっていたのだった。

そのビルの入り口にあったのは「警告看板」。
「無断で進入した場合、罰則金を徴収する」と言った「警告看板」ではなく、「昭和50年代に建てた物件につき、耐震強度に問題があり取り壊しを予定。また、調査の結果アスベストを大量に使用していたコトが分り、現在取り壊し方法については、周囲のみなさまにご迷惑をかけない方法を検討中」と言う内容だった。
すっかり忘れていたのだが、おそらく日本全国にはこのようなビルが、まだまだたくさんあるのではないだろうか?
まして「東日本大震災」が発生し、建築物の耐震強度の再調査などが行われているであろう、このタイミングに「アスベスト」という問題まであったのだ。

ここ数年「アスベスト」についての話を、裁判以外の話で聞くコトがなかったように思う。
そこへ突然(?)「大量にアスベストが使われていたので、取り壊しを検討している」という「警告看板」を見たので、「そんなコトも話題になったな~。我が家の近所では古いマンションなどが次々と取り壊されているのだが、大丈夫なのだろうか?」と、心配になってきたのだった。

ご存知の方も多い「アスベスト問題」。
これまで、裁判となったのは「アスベストを採掘していた企業」や「アスベストを使って製品を作っていた企業」を対象としていたという記憶がある。
既に建ってしまった建築物の取り壊しなどで、裁判などが行われたというのは知らない。
だが、この雑居ビルのような「アスベストを使用した、耐震基準に満たない建築物」というのは、全国でどれくらいあるのだろう?
そのような建物は、既に「建て直し」の時期が来ているだろうし、いつまでもそのままの状態という訳にはいかないと思う。
まして、それがマンションなどの集合住宅だとしたら・・・。
それが、日本全国に相当数あるとしたら・・・。
早い時期のでの取り壊し+建て直しなどが必要だと思うのだが、実際はどれほど進んでいるのか?
放射能汚染も怖いかも知れないが、この「アスベスト」に付いての問題も忘れてはいけない問題なのではないだろうか?

すっかり忘れていた「アスベスト問題」というのを、身近に改めて感じさせられた看板だった。