今日の夕方から、Twitterのトレンドワードで「#吉野家、#生娘…」などが、話題として登場をしていた。
一体何のことなのかわからなかったが、Yahoo!のトピックスなどを見て、やっとわかった。
毎日新聞:吉野家、役員の不適切発言謝罪「生娘を薬漬けのように牛丼中毒に」
この記事を読んで、この発言が早稲田大学が開いている社会人向けのマーケティング講座の中でされていた、ということを知り、驚きというよりもマーケティングに対する冒涜のような気がした。
これでは、マーケティングに対するネガティブな認識を与えてしまうだけではなく、社会経験のある=それなりのビジネスパーソンに対して、間違ったことを教えている、ということになる。
一体早稲田大学は、何故このような人物を講師として招聘したのだろうか?と、疑問にさえ思てるのだ。
この役員は「Intimacy rock in」ということについての説明をしたかったのかもしれない。
「Intimacy=親しさ、親密、懇意」に「rock in=鍵を掛ける」という意味で、拙ブログでも何度か説明をさせていただいている、マーケティング用語の一つだ。
拙ブログでは、子どもの頃から慣れ親しんだ商品やサービスに対して、人は他の商品やサービスよりも優先的にその商品やサービスを選ぶ」という説明をしてきたはずだ。
商品やサービスに対しての「親しみや懇意」は、子どもの頃の楽しい思い出などと結びつき、それらの商品やサービスを買う時、その楽しい思い出という高いブランドイメージと信頼があることが重要なのだ。
それをあろうことか!公序良俗に反するような事例を挙げ、説明をするということは断じて許されるモノではない。
それだけではなく「生娘」という言葉を使い、「若く社会経験のないような女性は騙しやすい」というようなニュアンスのコトまで話している。
「性的差別」という問題はもちろんだが、吉野家で牛丼を買うお客様に対しても、バカにしたような発言だ。
現場で直接お客様と対面する従業員やアルバイトさんたちには、まったく非はないが、このような発言を企業の役員がすると、現場で一生懸命に働く人たちに迷惑をかけるコトになる。
そのようなコトもわからず、このような発言をしてしまう役員というのは、企業にとって害でしかない。
吉野家側は謝罪に追われているようだが、このような状況になってしまうと一役員の責任だけの問題ではない。
吉野家という企業そのものが、そのような考えを持っているのでは?と、社会から受け止められても仕方ないような、信頼・信用にかかわる問題なのだ。
マーケティングという仕事は、このような「企業と社会・生活者」という3者にどのような利益を与えるコトができるのか?ということを考えるコトからスタートする。
少なくとも、マーケティングという仕事に携わるようになってから、その部分を忘れたようなコトはしていないという自負がある。
何故なら、その基本的な視点を失い企業のコトだけを考えるようであれば、企業はたちまち社会から淘汰されてしまうからだ。
企業は自ら成長し続けるわけではない。
市場という場所が与えられ、その市場を動かす生活者に育てられているのだ。
そのようなあたりまえのことを、忘れたような役員がしたり顔で、社会経験のあるビジネスパーソンにこのような発言をしてしまう、ということ自体、マーケティングに携わる者として悲しいを通り越して、絶望的なほど日本におけるマーケティングの本質の理解がされず、言葉遊びで終わっているのだ、という現実を突きつけられたような気がしている。