はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

火と土

2007年08月25日 | はなし
 その11年前の佐賀では「世界炎博」というのをやっていました。佐賀には有田焼とかありますね、そういう関連のイベントです。
 陶芸って、やったことありますか。よく映画などで「自分を見つめる」人などがやっていますが。僕も少しあります。陶芸はリハビリの作業によく使われますしね。あれは「指で土をさわる」という感覚がいいらしいです。箱庭なんかもそうですが。
 子供のときには泥遊びをよくしました。川原に粘土をとりに行ったりもしました。土に触れることで、子供時代にもっていた何か(元気さとか)に、一時的に触れることになるのです。
 ところで、オクラもタケノコもそうですが、すぐに採って食べないと硬くなって食べられなくなるものってありますね。「若芽」のうちは食べられるけど、成長して大人になるともう硬すぎるわけです。
 陶芸もおなじで、火を通して焼くと、やわらかい粘土がカッチリとした「大人」になって、立派な陶器になるわけです。
 たぶん、人間もおなじです。

 人間の成長は、身体は15歳くらい、この年齢で大まかな骨格が確定します。そのあとは「微調整」の時期に入って、高校生、大学生、社会人となって、20代後半になると「大人」として完成します。もう「煮ても焼いても食えないヤツ」になるのです。
 だから30歳になって「おれは今日から生まれ変わる」と言っても、本心からそう思ったとしても、実際はむつかしい。「お皿」が「急須」には変われないのですね。
 だけどそうすると、ぼんやりと(あるいは頑張って)10代、20代を生きてきて、28歳くらいになって、でもそこで「ああ、しまった、これはおれのなりたい自分とちがう、やりなおさなきゃ」と思った場合はどうすればいいのでしょう? もうおそい、だからあきらめる… それしか道はないのでしょうか。

 実はこれは「僕」のことです。それが30歳の頃の僕のテーマでした。僕はそのころの「自分」に違和感があり、このまま一生を過ごしていくのはつらい、できることなら「変わりたい」と思っていました。
 「変わる」というのはしかし、どういうことか。子供が成長していくのとは違います。「大人」として出来上がったものが「変わる」というのは、いったん出来上がった「陶器」を、もう一度「炎」の中に入れ高温の火によっていったん「土」にかえすようなことなのでしょう。(イメージとしては、「いったん死ぬ」です)
 つまり「大人」になった人間が「変わりたい」のなら、火に焼かれるような苦しみを受け入れるしかないのかもしれない、そのようなことを30歳くらいのときに考えました。人間関係も、仕事も、喜びも、すべて行き詰っていたんですね。だから僕は「苦しくても、それでも、変わりたい」と願いました。 「違和感のない自分」になりたかったんです。
 そうしたらゆっくりと、そうなっていきました。
 

 昨日も書きましたが、それから数年後、体調がどんどん悪くなりました。どこといって悪いところはないのですが、体力がなくなり、とにかく苦しいのです。
 僕は「あ、始まったんだ!」と思いました。
 「僕」といういったんは成長して硬くなった心身が、炎の中で燃え始めたのだと思いました。「苦しい…」 ですからある程度は覚悟ができていました。しかし、こんなに苦しく、たいへんなことだとは…。後悔もしましたが、「もう後戻りはできないぞ」と身体の奥から言っています。望んだことです、行くしかないのです。行くといっても、ただただ、自分が炎のなかで溶けていくのを、がまんして待つだけなのですが。(ただし、同時に、生きることのために働かねばなりません。これも大事なことです。)
 「変わる」ことは「いったん自分を壊す」ということなのですね。家だって、壊してリフォームするでしょう。ただ、人間は生きていますから、数ヶ月でリフォームなんてのは、無理のようです。いっぺんに壊すと、死んじゃいますから。

 そんなふうに自分なりに理解していたことなので、医者に行こうとか、いい薬はないかとか、そういうことは思ったことがありません。病気ではなく、望んでいた「変化」だと思っていましたから。努力はいらない、ただ「待つこと」だけが唯一つの道なのだと、わかってはいました。自分の身体がやることを信用して。
 でも10年たっても終わらないとは思わなかったですね。体調が悪くなりはじめたとき、これは2、3年では終わらないと感じましたから、「それなら7年後には、同世代の男たちに追いつきたい」と思いました。追いつくというのは、仕事とか結婚とかのことですが。しかし7年はとうに過ぎて、こうなってみると(15年以上かかりそう)、「追いつく」なんてのはもう、あきらめるしかありません。
 ですが「違和感のない自分」には確実に近づいていると思います。全部手に入れることは無理のようだけど、いちばんほしい望みは、手に入れることができそうです。

←これは九州で僕がつくった陶器。ズッシリ重いです。

 『緋が走る』という漫画を読んだことがありますが、なかなか面白かったです。あれは山口の萩焼ですね。「せともの」って言えば瀬戸内海の焼き物____かと思っていたら間違いで愛知県瀬戸市の焼き物。(小説にはよく「織部」とか出てきます) そして九谷焼が石川県、信楽焼といえばたぬき、これは滋賀県。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする