はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

遺跡とオクラと夕暮れと

2007年08月24日 | はなし
 甲子園、佐賀北高校が優勝! アレ? この話題、2日後だと、おそい?
 映画『夕凪の街 桜の園』の東子役、中越典子が佐賀の出身であることは、1ヶ月半前に日曜日の明石家さんまの番組(フジテレビ、斉藤舞子アナが司会のヤツね)に彼女が出て、佐賀をアピールしていたので知っていた。その優勝した佐賀北高校が彼女の母校だったとは。中越さん、「風」が来ているのでは? 美人だなあ~、身長163、体重44、細~!!!


 佐賀平野って、広いんだよねー。

 11年前、王位戦(羽生ー深浦)第4局が佐賀で行われたことは、前の記事で書いた。
 あの夏、実は僕は、2ヶ月間、佐賀で過ごしたのだ。だけど王位戦の対局がそんなにすぐ近くで行われているなんて気づかなかった。知っていても、行かなかっただろう。あの時はそれほど将棋に興味をもっていなかったし、忙しかったし、体調は最低だったから。
 オクラをたくさん食べた夏だった。

 僕はリハビリの専門学生だった。3年生で、実習生(OTS=オキュペイショナル・セラピスト・ステューデント)として、佐賀の病院で実習中だったのだ。
 その2年前から、体力が異常に少なく感じられていた。最初の1年は、気分転換をはかってみたり、運動をしてみたり、ジタバタしてみたが、それらがすべて無駄とわかり、その後は「学校だけは卒業しよう」と、他のことに使うエネルギーを極力温存して生きていた。「生き延びる」という感覚だった。そういう意味で、僕にとって「実習」は「大きな大きな山」だった。慣れない職場で、はじめての仕事。5時に仕事は終わるが、その後はレポートを書かねばならない。休む時間はなく、レポートに手間取ってしまうと眠る時間もなくなる。自信はなかった。もちろん実習はノーギャラだし。
 しかしそれでも、なんとか8月までは、きりぬけた。若い人のようなパワフルさはないが、それは「落ち着き」と評価された。若い人は頑張りすぎて、患者を疲れさすところがあるのだが、僕は、「患者のペースに合わせるのがうまい」とほめられた。それもそのはず、僕自身が、患者並みに、体力へろへろだったのだから。だから、活動的な、「こども」はニガテだった。
 病院には、別の学校からのリハ学生も来ていて、自然、親しくなる。佐賀では僕のほかに、女性二人。(先生もリハの分野はこの当時年下の女性が多かった。) だが、僕は、あまり親しくなりすぎないように気をつけた。もちろん、気持ちとしては、近づきたい。しかし、人間関係というのは、親しくなると、その分だけストレスが強くなるのだ。体力があれば、それも楽しめるのだが、体力がカラッポになる恐怖というのが、そのときの僕には常にあった。正直、遊び(ドライブとか、飲みとか)に誘われるのを警戒していた(←笑)。体力ないと、「断る」ことさえ大きなストレスのなるのだ。あー、苦労してたな~。
 一緒に勉強したOTSの女性二人のうちの一人は、偶然にも、次の実習地(熊本)も同じだった。そこの先生(これも女性)は「そんなの、聞いたことないよ、あんたたち、結婚しちゃえ」なんて言っていたが。そのコは、妙に、魚をよろこんで食べるのが印象に残っている。あと、会話の流れで「それは…深刻に?」と僕が聞いたら、その女、突然「スーハースーハー」とやりだした。〔それは、深呼吸!〕と僕は心の中でツッコミをいれて、笑った。こんなふうに書くと、実習すごく楽しかったみたいジャン! 実際、実習そのものは楽しかったよ、たしかに。あのコたち、どうしているかなあ。
 リハビリという分野は幅広く、陶芸や旅行や演劇をするというのも長期入院患者のリハプログラムにはある。「畑作り」の作業もその一つで、その夏の畑からは、オクラが毎日わんさと取れた。僕は病院の宿舎のキッチンで自炊していたが、リハ職員の女性が、オクラ入りカレーなどを作ってくれたりもした。あんなにたくさんのオクラを食べた夏はない。
 いちばんしんどいのが、やはりレポート制作だった。「考える」というのは、実は大量にエネルギーを消費する。ところが僕の欲求は、ただただ「休みたい」だった。
 1日の病院の仕事が5時に終わり、すぐにレポートに取りかかることのできない僕は、近くの吉野ヶ里遺跡のお土産屋の自販機で、紙コップ入りのコーヒーを飲みながら一人で夕暮れの中、空を見るのが毎日の日課となっていた。吉野ヶ里もまだ本格オープンの前で、その時間にはだれもいなかった。そこで僕は、コーヒーをすすり煙草をふかし、2時間くらいの間、暮れてゆく空をみていた。考えることは、来年は体力がましになっているかなあ、でも1年じゃ無理だな、今まで2年たってもこんな感じなんだから、だから、3年後… 3年後には、人並みになるといいなあ… というようなことだった。3年後の自分というのが、まったくイメージできなかった。
 

 11年たったが今だに体力は人並み以下だ。でも、「あのころ」よりはずっとまし。100倍はアップしているだろう。

 中越典子を描こうか、吉野ヶ里の空を描こうか、迷い、まよった末、「中越典子と吉野ヶ里遺跡の前で夕焼けを見るオレ」という妄想を絵にしてみた。あ、そうそう、愛しのぱそ坊、戻ってきましたよ。
コメント
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