はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

彼女の手

2006年01月31日 | はなし
    [いつも魔女がドアを開ける 2の3]

 彼女の手は冷たかった。雪女なんだからしようがない。
 (この絵描いてたらさ、芥川龍之介『蜘蛛に糸』を思い出したよ。どんなオチだっけ?夢オチだっけ?)

 ドアのむこう側のくらやみの世界はとにかく、苦しかった。こころは「万力」で両側から締め付けられ、身体は体力を吸い取られいくら補充しても足りなかった。
 彼女はドアの手前で立ち尽くしていた。こころを隠して。
 「こんなに苦しいのならもうやめたい」僕はできることなら引き返したかった。できることなら…。しかし、闇の底からなにかが僕の足をつかみ「おまえは覚悟はできてると言ったはずだろう」とささやいた。
 はじめのうちは「気分転換」を試みた。友人と遊び、闇を追い払うようにがんばって働いた。しかし1年近くたってそれがすべて体力の消耗にしかならないとわかり、疲労困憊した僕は考え方を改めた。生き残るために必要なことだけしよう、と。
 僕は口を閉ざし、なるべくひとりで横になっていた。だれかと話すことはその分だけエネルギーを消耗し後で苦しむはめになるのだ。「はなしをする」というのがこんなにエネルギーを要するものだとは…。体力がないと「ことば」をさがすのに苦労するのだ。それを口からはきだして相手の耳まで届けるのにも。
 彼女は僕の手を握っていたが、その手にはちからがなかった。彼女にはまだひきかえす権利があった。
 そのころ「2,3万貸してくれ」と彼女に申し入れたことがある。たしかにお金にも困っていたが、ほんとうの意味は「少しだけ愛をくれ」だったのである。それはおそらく彼女もわかっていただろう。しかし彼女は僕の所持金をたしかめたあと「私は貸せない。困っているならまず親に言うものでしょう。」と答えた。さすが雪女。くりかえし頼んでみても同じだった。
 それでも僕はその手を離すことができなかった。闇の底に落ちてゆくのが怖かったから。

 そんなときに父から電話が入った。「ばあちゃんが死んだ。」と。
 そのときの僕にはそのことを悲しむ体力が残っていなかった。それでもまた体力を振り絞って葬式には行かなければ。    [つづく] 
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赤毛の雪女

2006年01月30日 | はなし
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霧の中、そしてブラックホール

2006年01月29日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 2の1]

 あの頃はいつも「霧の中」にいるような気がしていた。(マドンナ「Rescue me」、久保田利伸「雨音」、ザ・ブルーハーツ「TOO MUCH PAIN」などを聞いていたなあ。)
 そして空には巨大な黒い穴があった。それは空想にすぎなかったが現実よりもリアルだった。一度その穴に吸い込まれそうになって、そのときは必死で抵抗した。僕にとって「絵を描く」というのは「生」の方向にあるようで、白い紙に線をひく練習をすることでその黒い穴を遠ざけることができた。(耳なし芳一が身体にお経を書いて身を守ろうとしたように.) 僕はひたすら、線をひいた。
 しかしそれでも「霧の中」であることは変わらない。
 なんとなく僕はわかっていた。あの黒い穴の中へ行くしかこの「霧」をはらす道はないのではないかと。いつまでもこの「霧の中」で生きて、そしていずれは死んでゆくのなら、あの穴の中へ勇気をもって旅立つべきではないのか。
 そしてなにより、あそこにこそ僕の「いちばん欲しいもの」があるのではないか。僕の一部であるはずの「宝」が。
 ただ、勇気と覚悟が足らなかった。きっと苦しいだろう。それでもそのとき僕は僕でありつづけることができるだろうか。その自信はまるでなかった。「宝」などないかもしれないし、僕の心身はすりきれて骨だけになってしまうかもしれないのだ。
 だいたい「宝」ってなんだ? それさえもわかってないのだ!
 そんなときに雪女に出会った。         [つづく]
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恐怖の赤帽子

2006年01月28日 | しょうぎ
「おい、どうだった」
「負けたよ。逆転負け。子供だよ、強えよあいつ。」
「まさか…」
「赤い帽子の…」
「やっぱり。」
「知ってんのか」
「恐怖の赤帽子だ」
「恐怖の赤帽子?」
「有名だぜ。ジロッてにらむだろ、そいつ。」
「にらむ!」
「ハブニラミって言うんだ。」

 羽生善治、好調ですね。
 昨日も勝って王将戦は3-0です。この感じだとふたたびの七冠もあるのでは…? 名人戦の挑戦権をつかむかどうか注目です。
 羽生さんは子供のときに「恐怖の赤帽子」と呼ばれていました。べつに広島カープのフアンだったわけではなく、お母さんが見つけやすいという理由でかぶらされていたそうです。
 羽生さん、なんと16連勝中だそうです!
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ゆきだるま

2006年01月27日 | はなし
 先週一日だけ雪が降って少し積もったその雪をかき集めてつくられた雪だるまが今もがんばって道路脇に生きていたりします。汚くてちょっと悲しい感じです。夜に出会うと不気味です。顔や体がゆがんでいますし。
 無駄なエネルギー消費ですよねー、雪だるまをつくるって。どうせ融けるのに。悲しい姿で…。
 なんておもうのは僕がおとなだから。

 もしもいま僕が子供で東京に住んでいたら、やっぱりつくると思います、雪だるま。
 こどものときってわくわくしたよね、雪って。それから水も。
 海のなか、2時間いても飽きなかった。子供のときは、どうして大人は海に入らないで見ているのかふしぎだった。(おとなになった今はよくわかる.) あのときの僕は、寄せてくる波のひとつひとつに「ものがたり」をのせて遊んでいたとおもう。(たぶん)
 こどもってやっぱり遊びの天才なのですね。

 だけどおとなになるのもわるくない。
 僕の母はあかるくてよく働くひとでした。そしてよく失敗をするひとでした。ドジな女です。財布を洗濯したり、なくしものをしたり。僕のメガネを踏んで割ったこともあります。あっ、僕の左耳がすこし変形してるのは母が踏んだからだとか!
 思春期の狭量な僕のこころは、それを「彼女の魅力」と気づきませんでした。おとなになったいま、わかるのです。あのひとはドジな面白い女だったなと。
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あっ!ソレはいいです

2006年01月26日 | からだ
 このはなしは職場の同僚Ksの最近の体験談です。(けっして「僕の」ではありませんから.)

 先週のある日、おしっこをしたときに痛みを感じたKsは「やべえ。このまえの女が原因か!」と思ったそうです。おしっこには少し血尿が出ていたらしい。
 それでKsは病院へ行きました。初めに尿を調べます。
 その次に尿道に残っている尿を採取します。もし細菌に感染しているとしたらそこに菌がみつかる場合がほとんどだからです。
 採取の方法は、まずズボンを脱いで肛門を医者にみせます。(このときのポーズは2通りあるようです.) そして指にサックをした医者が肛門に指を入れます。そこを押すことで尿道が押され、調べたい尿がちんこの先から出てくるわけですね。
 そうやって調べたところ、Ksの尿に菌は出てきませんでした。とすると性病でも雑菌による炎症でもない。それでは、ということでKs、次は腎臓のエコー検査をすることになりました。そこで医者はKsにこう言いました。
 「女の人が検査するけど、いいですか?」
 「はい。」
 「ではあちらの部屋のベッドに寝て下腹部をだして待っていてください。」
 「わかりました。」
 みなさんはエコー検査を受けたことがありますか。(僕はあります.) 
 腎臓というのは血液を尿に変える臓器で、膀胱に近いところにあります。たしかに「下腹部」です。しかし!
 しかし 局部までさらす必要はないのです。
 そうです、Ksはそれをやってしまったのです。ああ。
 でも無理もありません。エコー検査の経験のない男が「女の人でもいいですか」と聞かれたのです。その前にすでに肛門までみせているのです。そりゃちんこぐらいみせますよ。
 局部をさらして待っていたKsのところへやってきた女性(ナースか女医か)は入ってきてこう言ったそうです。
 「あっ!それはいいです。」
 そして局部にタオルをかぶせ、エコー検査を始めたとさ。

 Ksの腎臓にも異常はみられなかったそうです。というわけで疑わしいのは尿道結石なのだそうです。尿道結石ってだいたい原因がはっきりしないんですって。
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アコちゃん

2006年01月25日 | はなし
   [いつも魔女がドアを開ける 1]

 アコちゃんは近所に住んでいた2コ下の幼なじみだ。アコちゃんのお父さんは長距離客船の船員で、だからほとんど家にいなかった。
 小学生のときのはなし。小学生の時は年上であろうと男の子はみんな「○○くん」と呼ばれていた。ところがその時期、アコちゃんは僕のことを「○○○さん」と呼ぶようになった。年上の男の人は「○○さん」と呼ぶものよ、とお母さんにいわれたとかで。そういえば『ドラえもん』のしずかちゃんはのび太を「のび太さん」と呼ぶなあ。
 ある日の午後、アコちゃんと僕はふたりであそんでいた。で、僕の父の例の暗室にふたりで入ってみた。そして、ドアを閉めた。真っ暗だ。どきどきする。そこまではよかった。
 問題はそのあとだった。ドアが開かない! 押しても、押しても、開くはずのドアが開かない! ぼくらはあせった。ずっとこの暗闇の中に置き去りにされてしまう…。子供の想像力はどんどんふくらみいつのまにか僕とアコちゃんは泣きながらドアをたたいていた。
 「泣かないで 、○○○さん。」
と、アコちゃんは言った。
 そしてアコちゃんが一人でドアを押すと、ドアはパッと開いたのだ。
 その勢いでアコちゃんはこけて脚をすりむいた。ドアの外は光がまぶしかった。「ああ助かった」と僕はおもった。
 くらやみから脱出したぼくらはそのあと、アコちゃんの家に行った。すりむいたキズに消毒液を塗るアコちゃんの脚をおぼえている。「泣かないで」の声とともに。

 どうしても僕には開けることのできなかったドアを魔女が開けてくれる----僕はそういう体験を何度かしている。 (きっと僕だけではないと思うが。) そういうドアがたしかにある。
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暗室

2006年01月24日 | はなし
 僕がちいさい頃、父は写真を撮るのが趣味で、現像のための暗室をつくっていた。もともとはその暗室は風呂場で、五右衛門風呂の釜の上に板を置き、それを作業台にしていた。中は土壁の匂いがした。
 その匂いを嗅ぎながら、僕は白い印画紙の上にゆっくりと画像がうかんでくる魔法をみていた。
 できあがる写真はすべて家族のスナップ写真だった。父の性格には芸術家の気質はなく、ただカメラというメカが好きだったのだ。
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屋根の上

2006年01月23日 | はなし
  [お気に入りの場所 1]
 屋根の上がすきだった。落ち着く。
 『わたしのグランパ』という映画で主役の中学生(石原さとみ)が屋根の上にいるのがすきという設定で、「おお、同志よ」とおもった。心理学的にはどういう意味をもつのかねえ。
 園山俊二も屋根の上がすきな少年だったそうだ。『はじめ人間ギャートルズ』を描いたまんが家です。「地平線のあるマンガ」っていいよね。
 園山俊二はおっぱいも大好きだったという。顔はゴリラで巨乳、というのが好みだったそうで。そこは…僕とちがう。

  思い出した。真矢みきは夜中にこっそり学校の体育館の屋根に上がったそうだ。それはこわいぞ。
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日本狂詩曲

2006年01月22日 | おんがく
 昨夜は図書館で借りた伊福部昭作曲『日本狂詩曲』を聴きながら『のだめ』の新刊を読んでいました。
 伊福部昭というのはあの『ゴジラ』の作曲者ですね。一度TVで拝見したのですが、すごく魅力的なひとでした。
 でも『のだめ』とはあわなかったかな。
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ばあちゃんの声

2006年01月21日 | はなし
 とても優しい声だった。
 「○○○くーん、お茶にせんかねー。」
 僕はその声をいつだっておもいだせる。これは僕のたからものだなあ。
 ああ、抹茶が飲みたくなった。

 雪が5センチ積もっています。
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ライブドアショック

2006年01月20日 | はなし
 危なかったー、DEX株。もし先週売ってなかったら…13.3万円で3株売ったんですが、いま、DEXの株価は10.2万円ですからねー。これも「ライブドアショック」です。ITへの期待と信用がゆらいで下がったわけです。まだ下がるかもしれないし、戻るかもしれない。僕が損しなかったのはたまたまです。(もうやめたほうがいいかもね.)
 もともとDEXには「痛い目」にあっているんです。そのリベンジで買っているんですよ。今日、再び1株(10.1万円)買いました。あとレントラックジャパンも100株。(やめたほうがいいって!)
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ZEROの話 其の四

2006年01月19日 | しょうぎ
 さてここからは未来のはなし。
 ZEROは強いのだ。竜王戦でも人間には負けていないし、大阪代表になるちからがあるのだ。それなら時の運を味方にすれば、全国制覇だってありえるじゃないか!
 想像してみよう。
 未来のアマ竜王戦決勝にコンピュータソフトが進出した。決勝の相手はわれらがZEROだ。コンピュータソフトがついにアマ将棋を制する日がくるのか。それを期待してマスコミが押し寄せている。こうなると対するZEROは人間代表だ。アマの将棋人間たちの誇りが彼の肩にかかっている。
 そうした大舞台でZEROはコンピュータと闘う。そして熱戦を制し、ZEROが優勝する。
 僕はもちろんその場にかけつけ、ZEROに祝いの言葉を送る。するとZEROはこう言う。
 「飲みにいかーん?」
 カラオケでZEROが唄うのはもちろんB'zだ。

 まだ夢のつづきがある。
 居酒屋とカラオケのあと僕とZEROは将棋を指す。あれから僕も強くなっている。道場では四段でさしている。あとは根性だ。勝つまでやる。僕が1番勝つまでは絶対にZEROを大阪へは帰らせない。いくら強いやつだって気がゆるむときもある。
 ZEROに勝ったその瞬間、僕は「全国制覇をした男に勝った男」になれるのだ! ぜったい諦めない。
ZEROとの再会…たのしみだ。 勝つ!
[ZEROの話 おわり]
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ZEROの話 其の三

2006年01月18日 | しょうぎ
コンピュータソフト「激指」、将棋アマ竜王戦ベスト16に!
というニュースを僕は『週刊将棋新聞』で知った。昨年6月のことだ。そのニュースが僕にとって衝撃的だったのはコンピュータが人間に将棋で勝ったからではない。そんなことは「へえ」ぐらいのことだ。僕が驚いたのは「激指」が負かしたその相手である。そう、「あの男」だったのだ! 僕の知っているその男の感想が載っていてこう言っていた。
 「コンピュータが強いのか、私が弱いのか…」
 わらった。
 こんなことが起こるんだなあ。

 将棋ソフト「激指(げきさし)」は「世界コンピュータ選手権」で優勝し特例で将棋アマ竜王戦全国大会に参加することになった。それ自体初のことで画期的な試みだった。
 アマ竜王戦全国大会の仕組みは、まず参加者が4人ずつの組に分けられる。
 「激指」は9組に入った。そして「あの男」も。そう大阪代表「ボクのZERO」である。
 そしてまず「激指」は北海道代表Aさんと対戦し、勝った。コンピュータソフトの歴史的初勝利である。そしてZEROは沖縄代表Bさんと対戦し勝つ(いいぞ)。
2勝すると決勝トーナメントに進み、2敗すると失格になるシステムだ。1勝同士ということで「激指」対ZEROが組まれたわけだ。
 そしてZEROは負けた(あーあ、やっちゃった)。「激指」はトーナメント進出決定。
 しかしドラマはまだ終わりではない。1勝1敗のZEROはまだチャンスがある。同じく1勝1敗の石川代表Cさんに勝ち、2勝を挙げ決勝トーナメントに進出(ほら、強いだろ!)。
 そして!!
 抽選で当たった決勝トーナメントの相手は___またしても「激指」だ!なんというドラマ!
 そして。
 またしてもZEROは「激指」に破れたのだ(ああ…)。
 ZEROの晴れ舞台がそこでおわった。人間には2勝して負けてないのにね…。

 会場は品川のチサンホテル。知ってたら行ったのに。ドラマを生で見れたのに。ZEROに会えたのに。

 こうしてZEROは「激指に往復ビンタをくらった男」となったのである。(でも強いんだよ、だって大阪代表だもん。)  [つづく]
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ZEROの話 其の二

2006年01月17日 | しょうぎ
 大阪に行ったZEROが山口にいる彼女に会いにきて、そのあと泊めてくれと僕の部屋へきた。(そのときはまだ僕も山口にいた.)
 僕とZEROはもともとあまり話したことがない。
 「東京で将棋の賞金稼ぎやってたんだってね。」
 「だれに聞いたーん?」
 いまなら根堀葉堀そのことを聞いたと思うがそのときはそれほど将棋に興味のない時期だった。ZEROのほうも将棋からはなれたい時期だったらしく、それ以上はしゃべらなかった。
 しかし僕の部屋にはZEROの好きなゲームがないし…結局将棋をすることになった。僕とZEROが将棋を指すのはそれが初めてだった。
 そのころの僕の棋力は初段よりちょっと上ぐらい。ZEROのほうは賞金稼ぎで食べていこうなんて馬鹿なことを考えるくらいだから強いに決まっている。「県代表クラス」…最低でも五段だ。
 勝てるわけない。4番やって全部負け。それでもそれ以前には将棋の話を一度もしたことがないので、僕が戦法や手筋を知っているのがZEROには驚きだったとおもう。
 それ以来ZEROには会っていない。連絡先も知らない。

 それから数年後、あるきっかけがあって僕の将棋熱は高校時以来の復活をした。
体調を崩して十分に働けなかったが、その僕を励ますように将棋に関して「小さな不思議なこと」がときどき起こった。(それについてはまたいずれ話すこととして)
津和野将棋同好会の人に熱心に入会をすすめられたのもそのひとつだ。僕の家にまで来て誘われた。それで行ってみたのだがそのとき隣で指していた爺さん(仮面ライダーの死神博士に似ている)がなんの前ふりもなくこうつぶやいたのだ。
 「○○君は元気かなあ。」
 ○○君とはZEROのことだ!ZEROは津和野の出身だ。まちがいない。どうやらこどものときからこの津和野将棋同好会で腕をみがいていたらしい。こどもなのにめっぽう強いのでどこに連れて行っても人気者だったようだ。
 こらえきれず僕は言った。「○○君ならオレも知っています。今大阪にいるでしょ?」
 そのときに聞いた話ではZEROもまた将棋熱を復活させ、「大阪代表をねらっているようです。でも大阪は層が厚くてたいへんだと言っていた」そうである。
 以来僕は将棋新聞などのアマチュア将棋の全国大会の記事をみるとZEROの名前を探している。ついに(!)数年前代表として出場しているのを発見した。一回戦で負けていたが。
 そして昨年6月、衝撃的なニュースがとびこんできた。   [つづく]
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