はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

おわりとはじまり

2007年08月15日 | はなし
 1945年5月に空襲で東京中野の家を失ったいわさきちひろ一家は、長野県松本市へ疎開しました。ちひろの母の実家が松本にあったからです。8月、広島、長崎で新型爆弾が投下されました。原爆のことですが、これは新聞に載りました。長野県では「次は長野県の都市に新型爆弾が落とされるのではないか」と考えられていました。根拠は「松代大本営」という計画にあります。これは、東京は守りきれないということで、長野県松代に天皇と作戦本部を移転する計画で、75%までできあがっていたといいます。松本市は松代とは違うのですが、松本には軍需工場があります。そこでちひろ一家は機敏に動き、松本の西、安曇野へ再疎開したのでした。そしてその安曇野の地で、8月15日をむかえることになります。とつぜんの終戦です。

 ところで、長野県松代は、硫黄島決戦の総司令官栗原忠道中将の出身地でもあるらしいですね。先月の「硫黄島」の記事で、ほんとうに栗原中将が絵を描いていたか知りたいと書きました。調べてみて、わかりました。栗原忠道は、昭和3年からアメリカ留学をしています。映画『硫黄島からの手紙』のように車に強い興味を持ち、ドライブを楽しんでいたようです。あの映画のように絵心のある人ではなかったけれど、3歳の息子(太郎)に向けて、アメリカからの絵手紙を書いていたんですね。絵はうまくはないけれども、愛情に満ちた手紙です。(手塚治虫の母がオサム少年にへたな絵を描いてよろこばせてくれたというエピソードを思い出しました)



 「戦争をしらない子どもたち」という歌がありますね。僕も含めて、もうほとんどが、そういう「しらない子どもたち」の出身になりました。僕の子供時代には、大人たちは「しっている世代」でした。でも、ほんとうに、「しっていた」のかなあ…。
 僕は最近になって、しりたくなったので、調べ始めました。図書館で本を借りる程度のことですが。
 僕が知りたいのは、「なぜ日本は戦争をはじめたのか?」ということです。そしてなぜ、それを僕たちは明解に教えてもらっていないのでしょう? 原爆とか、空襲とか、そういうのを見せて、戦争の悲惨さを知らせ、戦争を起こしちゃだめだよ、という。そうだな、と思う。でも、「はじまり」を教えてもらうことがなかったのはなぜだろう?

 まず、太平洋戦争。アメリカとなぜ、戦ったか。
 どうやらそれは、日中戦争がこじれたためらしい、とわかってきた。
 日本は中国と戦った。「すぐに勝てる」と日本は思っていたのだろうか。確かに部分では圧勝した。主要な都市はほとんど取った。が、中国は広く、深い。「降参」と言わない。日本はやめたくなったが、中国が「負けた」と言わないので、どんどん兵を投入する。なりふりかまわず、捕虜虐待、無差別爆撃もやってしまった。それでも中国は「負けた」と言わない。言ってくれない。
 中国側もわかっていたのだ。日本も困っている、と。
 日本を主導したのは日本陸軍。その強引なやり方を見て、アメリカ等各国は、日本に対して、資源の供給を制限することを決めた。そうなると日本は困る。困ったからどうしたか。中国との戦いを止めればよかったのだが、それをせず、アメリカに奇襲を仕掛けたのだ。

 ではなぜ、日本は中国と戦争をしたのだろう?
 しらべていて、びっくりする。
 日本陸軍は、戦争の目的を持っていなかったのだ(!)。 目的もなく戦い、やめられなくなってしまったのだ。戦争が始まって、兵が死ぬ。金も使う。だけどそこで止めたら「負け」になる。ただ「勝利」という金メダルをもらわないと意地でも止められない…。それ以上の、理由らしい理由が、ないみたいなのだ。
 戦争(日中戦争)が始まったわけを、だれも教えてくれなかったのは、あの戦争には「たいした理由がなかった」からなのだ。たぶんはじめは、数ヶ月戦って、勝って、終わり、そんなつもりで始めたのだ。中国に「マイッタ」と言わせて、いい気分になりたいだけの空虚なおこないだった。


 ほんとうに恥ずかしい戦争でした。
コメント
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