はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ペンギン王子

2006年02月28日 | はなし
 壜に閉じ込められた白桃姫をたすけたのはペンギン王子でした。

 「白桃」の記事をかいた日の夕方、100円ショップに寄ったんです。そこで買ったのが「かんたんフタ開けペンギンちゃん」。 ダイソーのゴム製品です。
 「こんなゴムで開くのなら苦労はないよ」…とおもいつつ買ってみました。だってもう20回以上トライして開かないんですから。そんな感じで半信半疑で使ってみると…
 開いたんです! 本当にかんたんに白桃のフタが開いたんです!!! 
 すごいぞペンギン! (ただのゴムのくせに。)

 「答え」っておもうよりずっと簡単なのかもしれないな。
 なんだかねえ…、僕はいつも「小さなこと」は後回しにしてしまいます。今回の「白桃問題」のような。ところが後回しにした事が周囲にたまっていつの間にかうごきがとれなくなってしまうんですね。そいつらがじゃまして「大切なこと」までとり逃がしてしまう。
 ちょっとわかってきたぞ。「前進のしかた」が。

 こうしてペンギン王子に救出された白桃姫ですが、その後、怪物はんどろやに食べられてしまいましたとさ。

白桃

2006年02月26日 | はなし
2ヶ月前に買った白桃の瓶詰め。値段は108円。
なぜまだ食べていないかというと、開けられないから。ど、どうしましょう?
缶開け器ってんですか、フタを開ける道具があるでしょう、あれ、買ってくる価値ありますかねえ。
ああ、こんな小さい事でも前に進めない…。

カワセミ

2006年02月21日 | はなし
 かわせみです。漢字だと翡翠とか川蝉と書きます。
 大学のとき漫研の先輩がカワセミをイラストに使っていたのをみて「こんな鳥はめったに見れないんだろうな」と勝手に決めていたのですが、実は実家のそばにある川にふつうにいたのでした。よく考えれば僕の実家「山奥」なんですよねえ。自覚が足らなかった…。

 ちょっとブログ休みます。
 書きたい事(描きたい事)が多すぎて、心がよどみかけてきています。
 ブログってなんのためにかいているかというと、自分のためです。そのためにエネルギーを使うのはいいけど、それ以上のエネルギーを使うのなら「まんがを描きたい」のです。とはいえ、やめてしまうのはさみしいし、ここまでずっと読んでくれたひととの付き合いは続けたい。だいたい1日に30~50人のひとが見てくれているようです。すごいことです。ありがとうございます。
 などと考え心を整理してみたいので、ちょっと休みをください。その間も週に1、2度は記事を入れたいとは思っています。

 大西光、連勝です。うれしい!

 鳥を描くと気持ちがスーッとする。なぜか。羽ばたきたいから?

重戦車 加藤一二三

2006年02月20日 | しょうぎ
 一昨年、加藤一二三さんに会いに千駄ヶ谷将棋会館の名人戦解説会へ出かけ、握手をしてもらいました。あのぷくぷくとした手で。
 加藤一二三は見るだけでわくわくしますね。去年は「反則」で話題を蒔きましたが、それも将棋のおもしろさ。加藤さんのあの叩きつける駒音を生でききたいなあ。

 ねずみが将棋を指していました。その輪のなかに加わり、加藤一二三のはなしを僕がすると、ねずみたちは面白がり、もっときかせろもっときかせろとせがみます。おかげで僕はねずみたちと仲良くなりました。
 そんな夢を福岡の海岸近くのアパートでみました。ねずみの夢は財をもたらすそうじゃないですか! それはいつ? これから?

『ドラゴンをさがせ』

2006年02月19日 | ほん
 もちろんさ、もちろんさ、もちろんさ、やんなっちゃうぜ。
 ドラゴンこそが生きていくうえで大切なんだ。みんなとちがう、風変わりで不器用なドラゴン。いると生きづらいけどいないと生きてるのが面白くなくなる、それがドラゴンだ。
  
 『ドラゴンをさがせ』(カニグスバーグ作)は僕の大好きな本です。11歳のアンディーと主婦ヤコットが友達になるはなし。
 アンディーは音楽の授業にひとり美術室へ行き「ドラゴン」の絵を描くこどもだった。「ドラゴン」以外のものは描かなかった。そしてアンディーは将来シブイ名探偵になるつもりでいた。名探偵には「あいぼう」が必要なのだが、いいあいぼうが見つからず困っていた。
 ヤコットはアンディーの描いた「ドラゴン」を見て、「友達になりたい」と思った。それでヤコットはアンディーを「ボス」と呼び探偵のあいぼうになることになった。
 そんな話です。

 ところでジブリの宮崎駿が中日ドラゴンズの竜のキャラを新しくデザインしたって知ってます? あんまりいい出来とは思えず、なんかうれしい。
 きのうはサッカーで久保ドラゴンがゴールを決めましたね。

『秘密の花園』

2006年02月18日 | ほん
 コマドリです。
 コマドリは「秘密の花園」をさがす少女にヒントをもたらす役として登場します。とてもかわいい道案内役です。
 この絵はあまりうまく描けなかったのですが、描いたあとコマドリがとても好きになりました。このまえのセキレイといい、鳥を描くと気持ちが軽くなるぞ。こんなことを考えました。僕のなかにもコマドリがいて、あのひとやあの本との出会いを演出してくれたのもこの鳥ではないか。あのとき将棋に勝てたのもコマドリが… なんてね。
 コマドリを実際みたことはありません。山の中にいて見つけにくい鳥だそうです。いま初めてこういう色の鳥だったと知りました。でもコマドリって日本にだけいるって… 『秘密の花園』(バーネット作)はイギリスが舞台なんだけど… どうなってんの。

死について

2006年02月17日 | はなし
「死」はありふれたものですよね。だれにだって来る。
だけども特別だ。物語の最後の1ページが特別であるように。

 上の図は僕の古い写真の模写。僕といぬのエスが写っています。エスは老犬だったようです。僕は1歳半。このころの写真には僕とエスは自然にとなりにいたりします。記憶にはまるでありませんが、きっと僕とエスは親友だったことでしょう。お互いにひまだし、ことばはまだ十分に使えないし、目の高さも近いし。
 しかしこの後、エスは死を迎えます。
 突然、親友がいなくなってしまう… それを僕はどう受けとめたのでしょう?小学生のときの僕は皆と遊ぶことも大好きでしたが、「一人の時間」も必要とするこどもでした。それはこの「エスとの別れ」をどう理解するか、ずっとさがしていたのかもしれません。そんな気がします。

 成長とはなんでしょう。
 大人になるとはなんでしょう。強くなることでしょうか。強くなるとはどういうことか。身を硬くして守ることでしょうか。
 身体が、細胞が硬くなると「感じる力」が鈍くなります。それを成長といっていいのでしょうか。

 古くなった自分をフレッシュな自分へと脱皮させるとき、古い自分は死なねばなりません。「死」を受け入れることで脱皮できるのです。日々「新鮮な感覚」を持ちたいのならば、日々「死」を受け入れる必要があります。
 このように「死」はいつもそばにあるもの----と思うのですがどうでしょうか。
 たしかに死は怖い。けど、死は自然の一部、ありふれたものです。
 「死」を遠ざけて安全第一のひとは、「感じる面白さ」を放棄しているように見えます。まあ生き方はさまざまですね。

大学ってすごい

2006年02月16日 | はなし
 大学に入学してキャンパスを歩いているとき、この男にすれちがいました。そして思ったのです。
「大学ってスゴイな。こんな顔のひとがフツーに歩いている」
そして理学部数学科の教室に行くと… この男がいるではありませんか!
「数学科だったのか!1年生だったのか…」
さらに漫研の新入生歓迎コンパへ行くと… やっぱりこの男がいて… わわっ僕に近づいてきた!
「おまえ、数学科やろ。おれ、U。よろしくな。」
「あ、はあ、よろしく…」
というわけで僕はこの男Uと友達になりました。コミカルなギャグまんがをささっとかけるやつでした。Uは軽音楽のサークルにも入り、ベースを弾いていました。背は高く脚は細くて長く脱ぐと毛むくじゃらでした。
 ふたりとも1年目にフランス語を落とし、いっしょに受け直したりして2年目まで仲良くやっていましたが、3年目に僕もUも別々の理由で授業にでなくなり、交流がなくなりました。Uは漫研には在籍していましたが幽霊会員でした。バンドは熱心にやっていたようです。
 僕は5年で卒業しました。きっとUは大学をやめるんだろうと思っていましたが、8年かけて卒業しました。そして東京にいる僕に電話をかけてきました。
「東京でイラストレーターになるからよろしくな」
そしてだらだらと生きている僕を一気に追い越して大人になり、立派にイラストレーターになっています。結婚もしたようです。長いこと会ってないなあ、まあいつかそのうちばったり会うだろう。この男とはそういうつながりのような気がするんです。

はっ!おもいだした!
こいつと二人で東京自由が丘で映画を観たことがある。その映画は…
『メリーポピンズ』!

漫研

2006年02月15日 | まんが
 大学では漫研(のようなもの)に入りました。まんがはそれまで描いたことなかったのですが、漫研に入ると描けるようになるかと。マンガを描く--あこがれでした。そのころは「おたく」という言葉もなく、漫研は「ただの1サークル」でした。
 漫研に入って、まず同学年の男たちと遊ぶようになりました。マージャン、酒、まんがの話。ラジオ、徹夜、お好み焼き。
 上の図の中心のDのアパートの部屋が大学に近かったので、ほぼ毎日集まってました。このD、髪と顔はこんなですが、いいやつでしたね。Dは自分ではまんがを描けないし描くつもりもない。ただまんがの話がしたくて漫研に入ったようでした。
 「オレは『男一匹ガキ大将』を読まんかったらいままんが読んでないで。」と何度か言っていました。『男一匹ガキ大将』は本宮ひろ志の出世作で、小学生の男の子が株で大もうけして天狗になってその後痛い目をみたり、全国の悪ガキをケンカでやっつけて日本統一をしたりする男の子の成長物語です。
 しかしDのまんが好きはそういうまんがだけではありませんでした。少女まんがも読んでいるし(『エースをねらえ!』とか)、青年まんがもナンセンスマンガ(黒鉄ヒロシとか)もくわしい。僕が『ガロ』をはじめて読んだのもDの部屋です。本宮ひろ志にだって甘くはありません。「本宮の新作読んだか? なんやありゃあ、愚痴を言いたいだけやんか!」好きなだけにきびしくなります。
 Dの部屋にはTVがなく、ラジオとマージャンパイとこたつテーブル。そのときの仲間もほとんどがTVをもっておらず、そういう雰囲気が僕は好きでした。僕のなかでは「ひとり暮らし」=「TVのない部屋」=「大人の若者」だったのです。
そんな部屋でまんがの話をする彼らが僕にはかっこよく映りました。
 僕はといえば、おとなしく彼らの話を聞いていました。彼らの話に加わらない理由は2つあって、ひとつは話すこと自体が苦手だったこと、もうひとつの理由は、あまりまんがを読んでなかったので話す内容をもっていなかったのです。彼らをみて僕は「もっとまんがを読もう。そしてあいつらとまんがの話をしたい。」とおもったのです。
 けれどもDも他のものも、1年後には漫研をやめていきました。どうも水があわなかったようです。(僕は残りました。まんがを描けるようになりたかったので。)Dはその後、こっそり引越したようです。人づてに変な女につきまとわれて逃げるために引越したと聞きました。
 ふりかえってみて今おもうのですが、D、あいつは僕の知ってるなかで一番まんがの好きなやつだったなあ。あの頃の自分に戻れるなら、「おまえは絶対必要だ」と言って漫研に引きとめるのに。だってあんな顔のやつが漫研にいるだけで面白いもんねえ。

「i」はここにあります。

2006年02月14日 | ほん
√-1は…
「そんな数はないんじゃないでしょうか」
慎重に私は口を開いた。
「いいや、ここにあるよ」
彼は自分の胸を指差した。
「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には現わさないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ」

 小川洋子『博士が愛した数式』の3ページ目に出てくる会話です。 クサくてかっこいいセリフですねー。映画化されてるようで。

 じつは僕は大学の数学科を卒業しておりまして、でも大学では落ちこぼれです。さっぱりわからなかった。大学で一番単位をとるのが難しいのが数学ではないかと僕は思っています。努力してもわからないものはわからない。
 でも嫌いではありません。が、… よく「数学が役にたつか」なんていうやつがいますが… 役にたつわけないじゃないか! だってあれは「おとぎばなし」だぜ!

 √-1 をべつの書き方をすると i です。虚数という数があってその最小単位が i です。虚数とは「じっさいには存在していない幽霊のような数」なのです。同じ2つの数字を掛けて-1になる数なんてこの世に存在しません。それが i です。
 存在しないのに「もし存在するとしたら… 虚数同士の掛け算や割り算はどうなる… 虚数の世界で面積をだすとそれは何を意味するのか…」なんて考えていくのが大学の数学です。これ、ファンタジーですよね。一部のマニアしか読めない物語のファンタジー。だって存在してないのに…。「幽霊数字物語」ですよ。
 しかしその存在しない i を胸を指して「ここにあるよ」って、うーん、こんなじいちゃんがいうとシビレルねえ。(映画ではこの役だれがやるの?)

 僕も知らなかったですよ。「友愛数」とか「双子素数」とか。
 世の中には「素数マニア」という人たちがいるらしいのは知ってた。西暦と平成とその両方が素数だったりすると「W素数年だ!」と集まってお祝いするんだそうです。いったい集まってなんの話をするのやら。
 『博士が愛した数式』は人間愛のドラマ。役にたちそうにない数学がこのように友情の役にたつなんてことが本当にあったら面白いですね。
 そしてこの映画を観にいくのならやっぱり28日ですよね。そのわけは…この本の最終ページを読めば書いてあります。

シービスケット

2006年02月07日 | はなし
シービスケットという名の馬がいたんですね。僕もこの映画ではじめて知りました。シービスケットの意味は「軍用乾パン」です。つまり海軍が非常食用に持っているビスケットのことです。
 対するライバルの馬はウォーアドミラル、こっちの意味は「提督」です。
 この映画『シービスケット』は3時間あり、はじめの1時間はすこしわかりにくい。それは馬主、調教師、二人の騎手のキャラクターと人生があまりに面白いのでそれをなんとか伝えようとしているからです。彼らは実在した人物ですし、もちろんシービスケットとその物語も。
 主役のシービスケットがようやく登場するととたに空気が変わり、ものがたりは加速していきます。
 『ゴジラ』が昭和29年に封切られたとき、ゴジラが画面に登場するとそれまでざわついていた観客が息をのみ「あいつは何者だ」と視線をとらえてはなさなかったといいます。まさに「主役」なんですね、ゴジラは。
 シービスケットもそのような馬です。ゴジラとちがうのは本当にそのようなドラマがあったということです。

 いい映画をみたなと思いました。映画が面白かったので、原作本に興味をもち読んでみました。
 そしたら、面白い。映画の3倍おもしろい本でした。映画の3時間では語れなかったおもしろエピソードが山のようにあるのです。アメリカの古い時代はあふれるようにドラマがあったんですね。死と栄光と貧乏と夢と不幸とお金とがごちゃごちゃになってとなり合わせでならんでいるような。
 シービスケットははじめ「だめだ」と思われていました。理由は、体格が小さい、脚が曲がっている、きまぐれで扱いにくいからです。
 ところがハートがグレートだった。おそろしく強いエンジンを搭載していたのです。それを見抜いて育てたのが映画にも登場する人々というわけです。
 ほんとうにこんな馬と人がいたんだなと思うとちょっと夢のようです。この馬のキャラクターも面白いんです。
 ふつう馬は立って眠るんだそうです。ひまな時間に少しづつ仮眠をとります。もともと草原の草食動物なのでいつでも逃げられるようにそうなっているらしい。
 ところがシービスケットは横になって眠ります。とにかく眠るのがすきな馬だったらしい。馬はあまり長く横になって寝ると脚を痛めてしまうのですが、シ-ビスケットはそれでも横になって眠ります。それで脚が変形したらしいのです。朝になると馬たちは早く食わせてくれと待っているのに、シービスケットは午前中朝食抜きですやすや寝ていたらしい。
 そして闘志のすごい馬でした。映画でも出てきましたが他の馬と目をあわせると闘志に火がつくんです。だから騎手はリードしていてもわざと速度をゆるめて相手の馬の横につけます。相手が最強の馬であっても。
 ライバルのウォーアドミラルは体格、素質、性格、環境と非の打ち所のない最強馬だったが、その馬をやっぱりシービスケットは目をあわせ相手を弄るようにして勝利します。この本の筆力もすぐれたもので、ウォーアドミラルが抜き去られプライドをズタズタにされて置いていかれるとき、その馬の感情やさけびが伝わってくるような筆力のすさまじさでした。
 面白い本は?と聞かれたら真っ先の浮かぶのがこの『シービスケット』という本です。こんなおもしろい馬がいたんだなあ…。