はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

洞窟芸術

2009年06月29日 | はなし
 これはドイツ南部のホーレ・フェルス洞窟から去年発掘され、先月に発表された「ビーナス像」の写真を観て描きました。3万5千年前の、世界最古の芸術作品です。大きさは7センチほどの小さなもののようです。
 そして今月24日に、同じ洞窟から出土した「世界最古の楽器」が発表されました。フルートです。ハゲワシの骨でできているんですって。

 もともと、このホーレ・フェルス洞窟からは、すでに別の芸術作品が発掘されていました。



 「馬」、「鳥」、「ライオンの頭部をもつ人物」の象牙彫刻です。これらが、「ビーナス像」「フルート」とともに、世界最古の芸術作品ということになります。(発見されていないものは除いて、ですが。)


 このホーレ・フェルス洞窟、どこにあるのでしょう? 調べてみましたら、どうやらウルム市の近くにあるようです。ここは、前回書いたヴュルツブルクの南に位置していて、ドナウ川が流れています。

 そしてこのウルム市は、物理学者アルバート・アインシュタインが生まれた街でもあるのです。


 さてもう一度、「ビーナス像」と「フルート」にもどって考えてみましょう。
 3万5千年前、というのはクロマニヨン人(ヨーロッパ人の祖先)が現われた頃ですが、そもそも、「洞窟芸術」とは、なんでしょう? 

 中沢新一氏の著書に書いてあったと思いますが、それはつまり、「古代における秘密結社」なんですって。女人禁制、男たちだけの秘密の会合です。なぜ女人禁制なのかというと、女性が混じると、緻密に組み立ててきた「儀式」がいっぺんにダメになってしまう危険性が大きいからなんですって。
 「ビーナス」というのは、つまり、「大地の母の神秘」です。大地は「豊かさ」を魔法のようにもたらしてくれます。 洞窟芸術の儀式は、男達が、そうした母なる大地の不思議さとつながりを持ち、幸福感を確認したいという作業なのです。
 ではなぜそこに女が入れないかというと、女という存在そのものが(男とちがって)すでに「大地の神秘の子」であるからなんですね。子ども産んだりお乳出したりオンナってのはそのまんま、すごい。 そしてある種の女は、男たちのように「儀式」を使わなくても、ストレートに大地の母と結びついてしまう。(そういう力の大きい女性を、後世では「魔女」と呼んだのでしょう。) そういう女性が、男達の「秘密結社」に参加すると、彼らが一生懸命コツコツと積み上げていったおごそかな「儀式」というものが、ぶち壊されてしまうのです。彼女は勝手に飛んでしまって、男達を置き去りにしてしまう…。 つまり、男と女とでは、大地と結びつくために別の道をいく、構造的にそんなふうにできているらしいということです。
 ちなみに、キリスト教等は、(大地ではなく)「天」にいる男の神様ですね。西洋社会が、「嫌なもの」として魔女を怖がったのは、それが大地とつながる力をもっていたからです。 そしてまたヨーロッパでは、ずっと「秘密結社」が作られました。趣味のサークルのようなものから、まじめな勉強会、過激な政治結社まで、いろいろですが。
 この洞窟の中に、様々なものの「源流」が見える、という話でした。




 その「フルート」は、「ビーナス」から70センチほどの場所から出土したものだそうな。
 それにしても、最古の楽器がドイツ南部のこの地から出たというのは面白いですね。ドナウ川の流れをこの地から下って行けば、オーストリアのウィーンに至ります。モーツァルト、ベートーベン、ハイドンらの活躍した、言わずと知れた音楽の都です。



 ところで、3万5千年前、日本列島にはまだ人類は住んでいなかったようです。
 僕は昨年『黒曜石! 岩宿!』という記事を書きましたが、この岩宿遺跡(群馬県)は、1万年前の遺跡です。
 
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ヴュルツブルク

2009年06月21日 | はなし
 ヴュルツブルク
 ドイツ南部フランケン地方の都市。
 ドイツにロマンティック街道という観光の道があるが、南北に走るその道の北の起点になるのが、このヴュルツブルク市。

 図の右側にマリエンベルク要塞。1200年頃に造られた。
 流れる川はマイン川。150キロほど下るとフランクフルトに至り、さらに行ってマインツでライン川と合流する。ライン川は北に流れ、オランダで北海に注ぐ
 ところで、1990年代にこのマイン川と、ドナウ川(ドイツに源流がある)が運河で結ばれたらしい。(ライン・マイン・ドナウ運河という。) ということで、現代ではオランダから黒海まで川船で運行できるようになった。


 このヴュルツブルクに生まれ、江戸時代に日本にやってきた歴史上の有名人がいる。
 シーボルトである。
 彼、フィリップ・シーボルトはこのヴュルツブルクに生まれ、ヴュルツブルク大学を卒業し、医師となった。
 1822年、シーボルトは26歳のとき、日本にやってきた。目的は、植物採集であった。ドイツ人なのだが、江戸幕府はオランダとのみ交易を許可していたので、オランダ人医師として5年間長崎に滞在した。最後は、伊能忠敬のよく出来た日本地図を持ち帰ろうとしたために、(けしからんスパイだ、ということで)国外追放となった。しかし目的であった動植物のサンプル採集はおとがめなし。シーボルトは欧州へ戻り、日本の動植物の本を出版し、話題となった。
 「日本について知りたいって? あの極東の遠い国のことかい? それなら、あの人に、シーボルト氏に聞くのが一番。」  欧州で、彼はそういう存在となった。 
 
 
 時は流れて1868年、明治政府が生まれた。その3年後に廃藩置県が実行され、小さな「藩」という国の集まりだったのが、「日本」という国家になった。欧州の強国に植民地とされてしまわないために、日本は「強い国」を造らなければ、と思った。
 欧州大陸の中央では、イギリス、フランスという大国に負けてしまわないよう、やはり小さな国々が集まって「ドイツ帝国」が生まれた。1871年のことだ。 その中心となったのが、プロセイン王国であった。首都はベルリン(伯林)
 日本の政府は、このドイツ帝国に親近感と憧れを持ったようだ。ドイツは強く、勢いがあり、国民は勤勉だった。日本は、陸軍をドイツ式にし、ドイツ戦術を学んだ。憲法もドイツを規範とし作成されたし、その他、医学、哲学物理学をドイツから学ぼうと、優秀な人材をドイツに留学させた。小説『舞姫』を書くことになる森林太郎(鴎外)が、ベルリンに医学を学びに行ったのは1884年である。

 ところで、開国後、シーボルトにたいする追放令は解かれ、シーボルトは日本を再び訪れている。また、彼の次男ハインリッヒ・シーボルトは考古学者となり、日本に来て、日本人の娘と結婚したという。

 とにかく、19世紀からの、日本とドイツのつながりは深い。




 長岡半太郎
 この九州長崎県出身の物理学者がドイツ・ベルリンに留学するのは、半太郎27歳のとき、1893年である。

 その2年後、ドイツで、「大発見」があった。

 1895年暮れ、ベルリン大学で、長岡半太郎がいつものように教室へ行くと、普段よりも多くの人がいて、雰囲気が熱い。 どうしたことかと周囲に聞くと、「大発見があったぞ!」と興奮している。「なんの発見だ?」と半太郎は聞いた…。


 その「大発見」は、ヴュルツブルク大学の実験室において、なされた。 発見者は、ヴィルヘルム・レントゲン
 「大発見」されたのは、「X(エックス)」と名付けられることとなる謎の光線である。
 レントゲンは、まったく別の意図で実験をしていて、偶然にそれを発見したのであった。
 発見されたばかりで、なんなのか、まだわからなかった。ただ、それは、オカルトのように現われたり現われなかったりするものではなく、実験によって必ずだれの前にも出現した。 しかも、はっきりとした証拠をレントゲンは提出した。人間の手をその謎の(見えない)光線で写真乾板に写したものを。そこには、人の手の「骨」が写っていた。その光線は、人体を通過するのだ!




 長岡半太郎は、X線の発見のニュースを手紙で日本に知らせた。
 世界中の科学者たちが興奮した。なぜ、こんな不思議なものを、いままで見逃してきたのか。X線の正体はやがて波長のすごく短い電磁波と判明したが、実験室にはなんども現われていたはずのものだった。たまたま、レントゲンがそれに注意を止めたのだった。
 X線を利用して、今まで可視光線では見ることの出来なかったものが見られるのではないか。科学者たちは色めきたって実験をはじめた。もちろん日本の科学者も。

 次の大事件は翌年フランスからもたらされた。X線のニュースに刺激を受け、アンリ・ベクレルは、蛍光の中にもX線があるのではないか、と考えた。 蛍光を発する物質を含むある鉱物(ウラン鉱だった)を用意して実験したところ、またしても偶然に、別の「新しい何か」が発見されたのだった。
 その新しい謎の光線(?)には、「放射線」(radioactivity放射するもの)という名前が付けられた。
 しかし、これはいったい、何だ?
 正体が不明だった。 謎がさらなる謎を呼びこんだ。


 さらに1897年、イギリスではJ・J・トムソンが「電子」を発見した。
 1890年代から電気は(エジソンやテスラにより)実用化されつつあった。けれども、その電気の正体はといえば、どうにもわかっていなかった。それがついに、陰極から放出される粒子として証拠が確認されたのである。

 だが、「電子」の謎は、終わったわけではなかった。 謎は、はじまったばかりだったのだ。



 X線は、20世紀の物理学という、新しいドアを押し開いたのだ。

 1901年、ヴィルヘルム・レントゲンは第1回ノーベル物理学賞の受賞者となった。
 それはどこでだれが発見してもおかしくなかった。ただ、偶然にだが、ドイツ南部のヴュルツブルクの実験室で発見されたという事実があるのである。
 


 ところで、E・E・スミス『宇宙のスカイラーク』は、主人公リチャード・シートン(科学者)が実験中、偶然に、「金属X」という未知の金属を発見するところから始まるSF物語である。
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クライストチャーチ

2009年06月16日 | はなし
 
 ニュージーランドの女性歌手ビック・ルンガはクライストチャーチ市の出身であると、僕は前回記事に書きました。 (ニュージーランドは今、冬。インフルエンザ増量中。)

 上の絵は、ニュージーランドのそれではなく、イギリス・オックスフォードクライストチャーチ・カレッジの大ホールの写真をみて描いたもの。
 イギリスの大学のしくみがよくわからないのですが、どうやら、オックスフード大学があって、その中にいくつかの大学(カレッジ)があるようです。その中の一つにクライストチャーチ・カレッジがある。(クライストチャーチ大聖堂附属大学、というようなことでしょうか。)
 オックスフォード大学は、欧州で最古の大学なのだそうです。
 ロンドンにテムズ川が流れていることはよく知られていると思います。このテムズ川を上流に遡って(西に)いくとオックスフォードに着きます。
 19世紀、このオックスフォードから、ニュージーランドに殖民したイギリス人たちがいました。彼らは、新しく開いたニュージーランドのその場所を、「クライストチャーチ」と名づけたのです。 その殖民活動は1850年頃から始まりました。




 オックスフォードには、欧州最古の図書館(ボードリアン図書館)もあるようです。その図書館を舞台にした小説(↑)を僕は最近読んでそれを知りました。 
 善と悪が闘って、「すごい本」を取り合う、というファンタジーです。フツーに、善が勝って、ああよかったね、という内容です。



 以下は、その本とはべつの、オックスフォードに生まれた物語、超有名な、あの物語にまつわる話。

 昔のイギリスの大学というのは、職員とその家族と学生とが、みな同じ敷地内に寝食を共にして暮らしていたようです。

 むかし、このクライストチャーチ・カレッジの数学の講師にチャールズ・R・ドジスンという人がいた。その当時のクライストチャーチ・カレッジの学長はヘンリー・リデルといった。このリデル家には三人の娘がいて、娘達はドジスンさんとよく遊んでいた。ドジスンさんは、部屋に遊びに行ってもいやがらず、おもしろい話をつくって、絵まで描いて楽しませてくれるのだ。
 ある日、ドジスンさんとその同僚のおじさんと三人のリデル姉妹とで、ピクニックに出かけた。娘たちは、(いつものように)「ドジスンさん、なにかお話をして!」とせがんだのだった。
 その日のドジスンさんの「おはなし」は、どうやらとびっきり面白かったようだ。学長の三姉妹のまん中の娘アリス・リデルは、次の日に、「ドジスンさん、おねがい、きのうのお話をあたしたちのために清書してほしいの」とドジスン氏に、しつこくしつこく約束を迫ったのだ。 ドジスンさんは「やってみるよ」と返事をした。即興でつくったその話を忘れないために、ドジスン氏は徹夜をしなければならなかった。 1861年夏の出来事である。
 その年の冬、ドジスンさんは手書きの本をアリスに贈った。表紙も挿絵も自分で描いて。

 タイトルは、『アリスの地下の冒険』


 アリスは草むらにいて、退屈している。するとそこに服を着たウサギが走ってきて「たいへんだ、たいへんだ、遅刻してしまう」と言っている。びっくりしたアリスは、ウサギの後を追いかけていく。 そして、ウサギ穴へ…。


 そんなウサギがいたら、そりゃあ、後を追いかけたくなるよなあ。


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アオテアロア

2009年06月14日 | はなし
 「アオテアロア」とは、マオリ語で「白く長い雲のたなびく地」の意味。ニュージーランドのことである。 またの名を、キーウィの島。
 ニュージーランドの国土は、日本の3分の2、人口は430万人。四季があり日本とよく似た気候とのこと。 住みやすそ~。日本の人口もそれくらいが理想と思うけどな。 行ってみたいな、アオテアロア。


     
 
 ビック・ルンガ。
 僕は、去年FMラジオで偶々「GET SOME SLEEP」という曲を聴いて、興味をもちまして。パソコンで調べてみたら、その時、彼女は日本に来ていたようです。
 マオリ族と中国人の混血で、ニュージーランド南島のクライストチャーチ出身だという。
 マオリ族というのは、あれです。ラグビーのチーム、オールブラックスのあの「カマテ・カマテ…」という踊り、あれがマオリの戦いの踊り(ハカという)の一つ。

 で、そのビック・ルンガのCDアルバムをアマゾンで買ったのですが、よくわからないのですが、775円とえらく安いのはなぜなんですかね? 新品なのに。 勿論、モチロン、安いんだから文句はないです。



 そして――、以下は、いっしょに買った本。


 ↑ これ、カッコイイ表紙でしょう!
 ベルギーのソルベイさんが大物物理学者を呼んで開いた1927年の第5回ソルベイ会議の写真が元になっています。 (アインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーアが水色の枠で囲ってある。)




 『なんでも三間飛車』 (←さんげんびしゃ、と読みます)
 前回記事「よこふ物語」で書いたように、横歩取りという戦法は、最初からけっこう大変です。 映画『椿三十郎』のラストシーンの三船敏郎と仲代達也の戦いのように、一瞬で勝負が決まったりする。(いやあ、たとえが古すぎますか…) 定跡を知らないためにコロリと負けたりする…。
 矢倉、角換わり、横歩取り、相掛かり…こんなに定跡を覚えなきゃならないなんて、ああ、いやだいやだ。いやだ~!!
 ――なんていう人は、「振飛車党」になればよろし。それですべてお悩みは解決します、ハイ。 三間飛車とゴキゲン中飛車が、今の流行でございます。

 この本の著者の戸辺誠五段(22歳)は、この春C1クラスへみごと昇級しました。その勢いを駆って、戸辺さん、ニュージーランドまで行って、将棋を流行らせてください。(ムチャブリご免!) それか、「カマテ・カマテ…」を習ってきて対局前に踊るってのは、どう?
       →戸辺流ブログ


◇棋聖戦(5番勝負)
  羽生善治 1―0 木村一基

  カズキ氏がタイトル戦ではじける日はいつ来るのか!? 
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よこふ物語1  ヨコフって何? の巻

2009年06月03日 | 横歩取りスタディ
            ↑ 先手の手番です。あなたならどう指す?

 羽生善治名人がこのところ「横歩取り」戦法を使い出し、A級に復帰した高橋道雄九段、井上慶太八段も、「横歩取り8五飛戦法(中座流)」を得意としています。「横歩取り」という戦法がさらに流行りそうです。

 しかし、「横歩ってなに?」…という方も多いのではないか。
 というわけで、『よこふ物語』をはじめてみよう。

 「よこふ」とは「横歩」である。 その「横歩」とはなんなのか?

 上図を見てほしい。今、後手が△2三歩と打ったところ。
 先手が飛車先の歩をのばし▲2四歩同歩同飛となって、そこで後手が△2三歩と打ったのである。よくありそうな局面だ。 (ただし、昨日の名人戦の対局では、△2三歩ではなく、△8六歩同歩同飛とすすんだのだが。)
 ここで先手はどうするか?
 ▲3四飛と「歩」を取ってよいのか? それとも▲2六飛(または▲2八飛)と引くところなのか? 「定跡」はどうなっているのか?

 プロならば、ここでは、▲3四飛と「歩」を取る。それが正解である。なぜなら、それで先手良しだから。(ただし、取らないで飛車を引いてもわるくはない。)
 横から3四の「歩」を掠め取る、だから「横歩取り」というのである。

 詳しい説明は省くが、実はこの歩を取ったらよいのか、取らないほうがよいのか、プロ棋士もむかしはずっと悩んできた。昭和20年代、30年代に良く指され、この「よこふ」を「取る派」の棋士と、「取らない派」の棋士に別れた。木村義雄(14世)名人は「取る派」の棋士で、結果的に正しかったわけだ。そういう歴史の積み重ねが「定跡」として残る。
 なぜ悩むのか? 取れるものなら、取ればいいじゃない。
 ――そりゃそうだ。
 ただ、その「歩」を取った時の飛車の位置がわるいのだ。飛車は2六飛ともどしたい、けれども3四飛を2六までもどすのに手間がかかる。「横歩3年の煩い(わずらい)」という言葉もそれで生まれた。
 具体的には、上図で▲3四飛と「よこふ」を取ると、後手には△8八角成▲同銀△2五角という手がある。それに対して対策がないと、「よこふ」はとれないわけである。
 (△2五角には、▲3二飛成、または、▲3六飛で先手良し、というのが定跡である)


 後手「横歩をとれば? とれよ、ほら。 ほしいんだろ? 」
 先手「横歩をとれ? じゃあ、とるよ。いただきま~す! 」
 後手「ふふふ。とったな…。」
 先手「えっ」
 後手「わざととらせて闘う戦法なのだ。それが『横歩取り戦法』! 」
 先手「んー? ちがうじゃん、『横歩取らせ戦法』じゃね? 」
 後手「まあ、そうなんだけどね。 えへ。」
 先手「えへって… 昔のマンガか!」


 だから上図の△2三歩は、今はプロ棋士は指さない。後手が不利になるから。
 そこでこの手では、△8六歩と指すのが定跡である。(羽生名人もそう指したようにネ。)
  (いちおう「よこふ物語1」としましたが、「2」はないかもしれません。アシカラズ。)



◇名人戦
  羽生善治 2-3 郷田真隆

 先手の郷田真隆九段が、後手の羽生名人を押さえ込んで3勝目。
 戦型は「横歩取り」でした。(羽生名人が「取れば」とさそって、郷田九段が「じゃあ」と取った)
 くわしいことは(僕には)わかりませんが、郷田九段の一日目最後の指し手(33手目)▲2三歩に僕は凄みを感じました。 「ここで▲2三歩! 僕には思いつかないなあ」と思いました。この手を郷田さんは1時間25分の長考で指しましたが、羽生さんはそれに対して、2時間42分(!)考えて次の手を封じました。 羽生さんは対局後、「▲2三歩は想像以上に厳しかったですね」とコメントしています。
 二日目は郷田さんが局面をリードして、羽生名人が耐えるという展開。 結果、郷田さんが押さえ込み一本勝ち。

 さて、郷田真隆九段、名人まであと1勝!
 郷田さんは果たして名人になるのか? 大注目です。 羽生さんから名人位を奪いとるなら、これは堂々と「頂点に立つ」ことになる。 次の第6局。わくわくしますね。
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