はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

終盤探検隊 part42 升田幸三 “南海の月”

2015年09月30日 | しょうぎ
 1943年「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝。その100手目2二角打の局面図。
 升田は99手目に2一飛と打った。これが木村の2二角打をうっかりした“敗着”だと解説書に升田自身が書いている。
 しかし、ここは、ほんとうは「先手優勢」である。

    [幸三か、ほんまに幸三か]
 浮浪者そこのけの姿で「ただいま」といったら、母が奥から出てきて息をのんだ。
「幸三か、ほんまに幸三か」
それっきり声が出ない。どういったらいいか、私にも言葉がない。
「てっきり幽霊かとおもったがのう」
 母の口から明るい笑いがもれたのは、それから一時間あまりたって、兄や親戚の者がつめかけてからでした。

                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)



升田木村戦100手
 ここから先手には少なくとも4通りの勝ち筋があると、我々の研究では判明している。
 次の4つである。
  【さ】6三歩成
  【し】5一金
  【す】5三歩成
  【せ】1四歩
 ただし、この将棋は、つくりが逆転しやすいようにできているようだ。どのルートを選んでも、正確に指し続けないと逆転してしまう。つまり形勢は実質的には“微差”なのだ。「激指」では+1100となっているが、感覚的には+600というような感じ。1、2回の小ミスで逆転する差である。
 以下、4つの手を一つづつ見ていく。

【さ】6三歩成

変化6三歩成図1
 【さ】6三歩成。 これには同銀だが、そこで3一飛成、同角、4一角。

変化6三歩成図2
 4一角の狙いの王手角取りが実現する。ただし、それで即先手良しかどうかはまだわからない。
 3二銀、6三角成。そこで1七歩(次の図)がある。

変化6三歩成図3
 これが悩ましい手だ。
 5三歩成、1八飛、2九玉、6八と、8九飛、7八と、5四馬、8九と、2八銀、8五歩、4五桂、2四桂(次の図)

変化6三歩成図4
 こうなると、これは逆転してしまって、後手良し。
 こんな具合に、この将棋のつくりは、逆転しやすいようにできているのである。
 いったいどこがいけなかったのか?

変化6三歩成図3 再掲
 もう一度1七歩と歩を垂らされたところまで戻る。
 さっきはここで5三歩成としたが、実はこの手が問題だった。ここは、4五桂か、または1七同玉が正着となる。1七同玉はしかし、危険な筋も多いので、ここは4五桂のほうを見ていこう。

変化6三歩成図5
 4五桂(図)として、3七に逃げるスペースをつくる。
 4五桂、1八飛、3七玉、4五桂、同歩、5五桂、3五桂、2四玉、5三歩成、4七桂成、同銀、6八と、5四馬(次の図)

変化6三歩成図6
 これで「先手良し」になった。次に3二馬となれば先手勝ちなので、後手は2二金とするだろうが、4三桂成でやはり先手が勝てる将棋。

変化6三歩成図7
 今度は後手が工夫する。先手の4五桂で後手が悪くなるなら、その前に4六歩と取り込んでおけば、4五桂の筋はなくなる。で、先手6三角成に、4六歩(図)。
 これは同金。この「4六歩、同金」の交換は後手にとっても怖い。
 こうしておいて、1七歩。
 ここで5三歩成としたいが、それは検討の結果は先手負けになった。
 どうやら1七歩には、今度は2九銀と受ける手が正着。(1七同玉もあるかもしれない)

変化6三歩成図8
 ここで7五角なら、3五銀で先手良し。図から6八と以下を調べる。
 6八と、5三歩成、6九と、4三銀、6八飛、4八歩、4四金、3二銀不成、同玉、4二銀(次の図)

変化6三歩成図9
 4二同角、同と、同玉、5三角、4三玉、3五金(次の図)

変化6三歩成10
 これで先手の勝ちになっている。図で5四金には、6二角成。

 このように、正確に指せば、先手が勝ちになると、結論したい。1七歩に対する応手が勝負どころだった。

【し】5一金

変化5一金図1 
 【し】5一金(図)も有力。 この5一金は「激指」が第1候補手としている手でもあり、遊んでいる金を活用するので、これで勝てるならこれを選びたくなるところでもある。
 しかし、これも、雑に指すと逆転負けする目がある。
 5一金に、8五歩、5二金、2四桂(次の図)

変化5一金図2
 ここで先手の選択肢が多い。〔s〕5三歩成、〔t〕4二銀、〔u〕4一金、〔v〕4五桂、〔w〕1七銀など。いずれも有力。
 逆にいえば、ここは先手が間違えやすい場面である。

変化5一金図3
 我々が調査した結果では、勝ちやすい手は〔w〕1七銀である。5二で得た銀をここで使う。
 ここで1七に銀を打つのは、もし後手に歩が十分にあると、1四歩、同歩、1五歩、同香、1六歩でまずいのだが、この場合は大丈夫。これで2四桂の攻めを受け止めた。
 1七銀に、後手は5二銀と金を取る。それには、6三歩成、同銀、3一飛成、同角、4一角でどうか。
 以下、3二歩、6三角成(次の図)

変化5一金図4
 これで「先手良し」と思われる。しかしまだはっきりしないので、進めてみよう。
 6八と、5三歩成、6九と、4三銀(次の図)

変化5一金図5
 これは3四銀成、同玉、3五金の攻めと、4一馬の2つの狙いがある。
 4四金、4一馬、2一金、4二とと進むと次の図になる。

変化5一金図6
 先手が勝てる将棋。1七銀としっかり受けたのが成功した。
 ここから、4二角、同馬、1六桂、同銀、1七歩には、2五桂(次の図)

変化5一金図7
 1八飛と打たれても、3七玉で、先手は怖いところがない。
 
 この【し】5一金の変化は、後手の2四桂に対し、しっかり〔w〕1七銀と受ける手が指せれば、あとは問題なく先手が勝てる道となるようだ。

変化5一金図8
 今度は、8五歩~2四桂では後手が勝てなかったので、後手が工夫して、先手5一金に、4六歩、同歩、1七歩(図)と来た場合を考えてみる。
 5二金、同銀、そこで3五歩が急所の一手。以下、1八金、3九玉、2四金、5三歩成で次の図となる。
 手順中、3五歩に、4四金なら、5三歩成、同銀、4五歩とし、4三金に3四銀という要領で攻めていく。

変化5一金図9
 5三歩成(図)とするのが良い手となる。これを〔L〕5三同角なら、3四銀、3二玉、5一飛成。
 〔M〕5三同銀と、〔N〕6八とを見ていく。
 〔M〕5三同銀、3一飛成、同角、4一角、3二歩、4三銀(次の図)

変化5一金図10
 飛車しかない後手は受けに窮している。2二飛なら、5二角成だし、4二飛には、同銀成、同銀、5九飛で、先手優勢。この形は、先手3五歩が急所で、あとはトン死しないように十分注意して攻めていけば、先手が優位にすすめられるのは間違いない。

変化5一金図11
 5三と(変化5一金図9)に、〔N〕6八との場合。以下、5二と、6四角、1四歩となって、この図である。5二の銀を取らせてそのかわり6四角と飛び出すのが後手の狙いだったが、この1四歩が決め手で先手勝ちになる。4六角なら、3二銀、同玉、4一飛成、2三玉、3二銀、1二玉、2一竜まで詰み。1四歩に1五歩と受けたいが、それは二歩の禁じ手。
 したがって後手は1四同香しかなさそうだが、それには1一銀がある。先手勝勢。
 なお、〔N〕6八と、5二との時に、6九となら、4二銀として、やはり先手良しである。

 【し】5一金で、先手勝ちになる、が結論。


【す】5三歩成

升田木村戦101手 5三歩成
 【す】5三歩成(図)は実戦で升田幸三が指した手だが、この順で勝ちがあったことは前回の報告「part41」で述べすでに解説済みである。ただし、≪訂正≫する箇所がある。
 ここから同銀、6三歩成、5四銀直と進んだが、そこで1四歩とすれば、先手の勝ち筋に入る(次の図)

変化5三歩成→1四歩図1
 6三のと金の存在と、2一の飛車と、そして1筋の攻め。この組み合わせがとてもよく、図以下は、6八と、1三歩成、同香、同香成、同玉、1四歩(次の図)が予想されるが――

変化5三歩成→1四歩図2
 この1四歩を同玉なら5三と、1二玉なら、2二飛成、同角、1九香として、いずれも先手勝ちになると、解説した。(1四歩に2三玉には3五香と打つ)

 しかしここで≪訂正≫をしなければならない。この図から1二玉、2二飛成、同角、1九香、1六歩と進めて―ー(次の図)

変化5三歩成→1四歩図3
 ここで1六同香とし、以下4六歩、同金、1七歩、2九銀以下を先手良しと「part41」では解説した。
 ところが、この図で1六同香に、“1五歩”という手があった。以下、同香に、8五歩と桂馬を取って――(次の図)

変化5三歩成→1四歩図4
 「1六」の空間をつくって、8五歩で桂馬をとる。こういう手段があった。これで次の1六桂の攻めがあって、これは後手良しである。1三歩成、同角、1七歩とそれを防ぐ手はあるが、1六歩、同歩、2四桂となって、やはり後手1六桂は実現する。
 この変化は先手いけない。

変化5三歩成→1四歩図5
 後手の1六歩には、同香では先手がわるいと判明し、結論がひっくり返った。 
 なので、ここで先手の別の手を勝ち筋として示さねばいけなくなった。

 そこで後手1六歩に、“5三と”を新たなる「正着」として示す。この手には、しかし1五香(図)がある。
 これが嫌なので、前回解説では1六同香としたのだったが、もう嫌だとか言っていられない。5三との変化は怖いところもあるのだが、正しく応じれば先手が良くなると思われる。以下その確認をしていく。
 1五香に、5四と(こちらの銀をとる)、1七歩成、同香(3九玉は先手不利)、同香成、同玉、1五香、2八玉(次の図)

変化5三歩成→1四歩図6
 これが怖い変化で、できれば避けたかった。(升田幸三も対局中、この変化をここまで考えて、1四歩を選ぶのをやめたのかもしれない)
 ここで後手は、<g>1九飛と、<h>1八飛が考えられる。
 <g>1九飛、2九銀打(4五桂もある)、5八と、1八香(次の図)

変化5三歩成→1四歩図7
 これで「先手良し」。 この1八香で、先手はあの1九の飛車をとってしまおうというつもり。1七歩が怖いが、1九玉、1八歩成、同銀、同香成、同玉、1五香、2八玉で、大丈夫。

変化5三歩成→1四歩図8
 <h>1八飛(図)には、3九玉だが、そこで(1)1九飛成と、(2)6九と、がある。
 (1)1九飛成には、この場合は2九香とする。(2九銀打でもよいが、5四銀と手を戻された時にちょっと攻めが細いのが不安)
 以下、1八香成、4三と、5八と(次の図)

変化5三歩成→1四歩図9
 これは“受けなし”に見える。だが、大丈夫だ。
 5八金、同銀成、1三銀、同角、6二飛成、とこういう手がある。
 以下、2二銀、1三歩成、同玉、2五桂(次の図)

変化5三歩成→1四歩図10
 これを2五同桂は、2二竜、同玉、3三銀、同金、3一角、同玉、4二角以下、詰む。
 2五同金も、2二竜、同玉、3一角以下詰み。
 よって、1四玉だが、先手は1五歩。
 そこで「同玉」と「2五玉」がある。どちらも“詰み”はないのだが――
 1五同玉には、3七角がある。以下、2六歩、1九角(次の図)

変化5三歩成→1四歩図11
 竜を取って、先手玉の詰みを解除。先手の勝ちだ。

変化5三歩成→1四歩図12
 「2五玉」と逃げた場合も、2二竜、2四桂、2六歩、1六玉、2七銀打、1七玉、1八銀、同竜、2八銀となって、この図になる。以下、同竜、同香、1八銀、1九香で、やはり先手勝ちとなる。
 時間がなければとても指せない順だが、確かに「先手勝ち」になるのだ。

変化5三歩成→1四歩図13
 戻って、この図から(2)6九との変化。これは次に1九飛打と打って二枚飛車で攻めようという意図。
 先手は4三ととするが、1九飛打に、2九銀打(次の図)

変化5三歩成→1四歩図14
 ここは「銀合い」がよい。理由は手を追えばあとでわかる。
 5九と、同金、1七香成、3二角、2八成香、4八玉、3八成香、5七玉、1四飛成、1八香(次の図)

変化5三歩成→1四歩図15
 これで先手優勢。(1四飛成となったときに、この1八香を打つための2九銀打だった)

 ということで、≪訂正≫はあったが、結論は同じで、【す】5三歩成→1四歩は、「先手良し」。
 しかし、≪訂正≫によって、ずいぶん勝ち方が難解になった。正確な読みがないと選びにくい順である。
 が、100手目2二角打の図で、【す】5三歩成を選ぶと、理論的には105手目に1四歩とする以外に、先手の勝ちはないようである。


【せ】1四歩

1四歩図1
 最後に、【せ】1四歩(図)。
 この図を、上の【す】5三歩成、同銀、6三歩成、5四銀直からの→1四歩の場合ととくらべてみると、と金ができていないので、この図は攻略しにくいかとも見える。しかし、この場合は相手に「歩」がないので、そこが重要なポイントとなる。1三歩成と攻めると歩を一枚渡すが、一枚と二枚とではこの場合はえらく違うのだ。
 図以下は、8五歩、1三歩成、同香、同香成、同玉、1九香、1六歩、同香、2三玉(次の図)

1四歩図2
 1六歩の歩の犠打で同香と吊り上げて、2三玉。後手の次のねらいは、もちろん2四桂だ。
 後手に歩がないので、1四歩が絶好に見える。ところがそれは1一香と受けられると、1三歩成、同香、同香成、同玉、1九香、1六歩、同香、2三玉…、つまり「千日手」になってしまうのだ。
 では、どう攻めるか。
 5一金があった。以下、2四桂に、1七歩(次の図)

1四歩図3
 先手は、銀を取って1三銀が次のねらいとなる。4六歩、同金と進んで――
 そこで、<j>4四香、<k>1四歩を考えてみた。
 <j>4四香には、5二金でよい。

1四歩図4
 この5二金(図)は、この瞬間、1二銀、3二玉、3一飛成以下“詰めろ”になっている。
 よって後手は5二同銀。
 そこで先手は3一飛成とする。同角なら、1四角があるので、後手は、1六桂、同歩として、それから3一角とする。
 そこで先手の手番だが、3五桂と打つ(次の図)

1四歩図5
 先手の勝勢である。3二玉には2三角~3四角成だし、3五同金なら、同金。
 後手の4四香は、4六香と金を取る余裕がなく空振りとなった。

1四歩図6
 次に<k>1四歩(図)と受けた場合。これは先手の1筋の攻めを防いでおいて、後手は5六銀成という攻めに期待している。同金と取らせて、3六桂がねらいである。
 5二金、5六銀成、同金、3六桂、1八玉、5二銀、3九金と進む。
 なお、この手順中、5二銀と金を取らずに、3二銀と飛車を取りに行くのもあるが、3一飛成、同角、3九金、5八飛、4七銀で、先手優勢となる。
 5二銀、3九金の後は、4八金、2九金、2八香(次の図) 

1四歩図7
 ここは2八同金で清算しても先手が良いが、4六金が優る。この手は次に3五銀など攻める手を狙っている。後手の3四の金を攻めるのがこの場合急所なのだ。
 以下は一例だが、4六金、3八金、同金、2九銀、同飛、同香成、同玉、4九飛、3九銀、4六飛成、4七銀、6六竜、1四香(次の図)

1四歩図8
 1四同玉なら、3二歩。このままなら1三金から攻めていく。1三歩は、同香成、同玉、3二銀。
 先手優勢である。この変化も「2一飛」が有効に働いている。

1四歩図9
 1四歩に、“3二玉”という手も考えられ、これは先手迷いやすい変化である。まずここで3一飛成と2二飛成で迷う。どちらでも先手勝ちがあるかもしれないが、2二飛成がわかりやすい。
 2二飛成に同角なら、6三歩成、同銀、5三歩成があるので、後手は同玉。
 2二飛成、同玉、6三歩成、同銀、5三角、1五歩、同香、8五歩(次の図)と進む。

1四歩図10
 後手に飛角を持たれた上で1六桂と打たれると、先手は負けになる。
 だからここで1三歩成、3二玉、1七歩と受けておくのが正着手。
 以下、5四銀右、3一角成、同玉、5三角(次の図)

1四歩図11
 5三角(図)に、「4二桂」なら、6七飛、同と、5一金で先手勝勢。
 なので後手は「4二角」とするが、同角成、同玉だと先手まずい。「4二角」には2二ととする。これに4一玉なら、6二角成、1五香、5二歩、1七香成、同玉、1三香、2八玉、5二銀、6七飛で先手勝ち。
 よって、2二とには後手同玉と応じ、4二角成、1五香、3一角、2三玉、4五桂(次の図)

1四歩図12
 ここで4五桂(図)が好手である。桂馬を交換して3五に打つのがねらいだ。
 後手は色々な対応があるが、いずれも先手が勝てそうだ。以下、一例として4四銀とした場合の変化をを紹介しておく。
 4四銀、3三桂成、同銀、3五桂、同金、同歩、4二銀、同角成、1七香成、同玉、1二飛、1三金(次の図)

1四歩図13
 後手は1二飛で“両取り”を掛けたが、1三金(図)があった。同飛に、1六香で、先手勝勢である。

 こんな感じで、【せ】1四歩でも先手が勝てる。


升田木村戦100手
 このように、100手目の図では、次の4つの「先手の勝ち筋」があった。
  【さ】6三歩成
  【し】5一金
  【す】5三歩成
  【せ】1四歩
 総合的に判断すると、【し】5一金がいちばん勝ちやすいかと思う。

 升田幸三が著書に「敗着」と書いている「99手目2一飛」は、ほんとうは失着ではなかった。
 むしろ、勝ちを決めるための一着として、好手だった。今、そのことを証明した。

 升田が「2一飛」を解説書の中で「敗着」としているのは何故だろうか。
 本当に、この100手目の図で、もう先手に勝ちがないと思っているのであろうか。
 いや、それは信じがたい。

 『名人に香車を引いた男』の中で、升田幸三は次のように書いている。
 
〔 島での生活が長びき、気持ちにゆとりが生まれると、名人と指した香落ち、平手の二局を、私は徹底的に分析し、研究した。そして得た結論は、「木村将棋といったって、たいしたことはないじゃないか」ということだった。〕

 この文章は、〔もう一度、木村名人と指して見たい。月が連絡してくれるなら、通信将棋で戦ってみたい〕という有名なエピソードのすぐ後にある文章だが、升田はこの将棋を「私は徹底的に分析し、研究した」というのだ。
 それほどまでに悔しかったこの敗戦、それほどまでに分析、研究したというこの将棋である。
 ならば、升田が、「2一飛、2二角打」の局面図で、先手が勝てる将棋だったことをわからないはずはないと、思うのである。4つも勝ち筋がある局面で、しっかり研究してその勝ち筋が見えないなんてことは、升田レベルの棋士ならばありえない。
 我々アマ棋士でさえ、「先手に勝ちがないのかなあ」と疑問に思う図なのだから。
 ましてや、升田はこの将棋を指した本人なのである。

 つまり、「2一飛が敗着」というのは、升田の吐いた“ウソ”なのだ。


              part43につづく。
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終盤探検隊 part41 升田幸三 “南海の月”

2015年09月27日 | しょうぎ
 1943年(大東亜戦争中)8月の対局「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝。その100手目の局面図。
 升田は99手目に2一飛と打った。これが木村の2二角打をうっかりした“敗着”だという…。

    [月が連絡してくれるなら]
 いつ死んでもいいと、腹はくくっておる。島にいる兵隊は全員がそうだった。(中略) 空襲にも空腹にも馴れ、単調な毎日が続くと、死を覚悟しとる身にも、なにかと雑念がわいてくる。
 夜、交代で歩哨に立つ。サソリとか、びっくりするほど大きいアリがおって、ゆめ油断はならんけれど、月の夜などは、ちょっぴり私も感傷的になった。
 母の顔が、夜空に浮かんで消える。内地も空襲に見舞われておるそうだが、元気でいるだろうか。次に、木村名人の顔が浮かぶ。
「さぞ木村は威張っとるだろうな。天下無敵だといって、ふんぞり返っているんだろう」
 そう思うと胸が詰まった。負かされた将棋の局面が、見上げる空に再現され、不覚にも熱いものがこみあげてきた。
 もう一度、木村名人と指して見たい。月が連絡してくれるなら、通信将棋で戦ってみたい。木村名人を負かしたら、いますぐ死んでも悔いはない。
                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)


 升田幸三は1939年~1942年の3年間、軍務に就いている。将棋が指せず、不満の多い3年間だったようだ。
 その間に日本は、中国戦線から、大東亜戦争(太平洋戦争)へと戦線を拡大することになった。

 しかし1943年の升田幸三は、思う存分に将棋を指すことができ、七段に昇進した。
 そしてこの朝日番付戦で「無敵」の称賛を浴びていた名人木村義雄(38歳)とついに初の「平手」の手合いで対局することになった。升田幸三(25歳)にとっては、これに勝てば八段になり、名人挑戦への道も開けるという大勝負である。なにより、「木村打倒」こそが升田の目的であった。

 しかしその対局に升田は、敗れたのである。99手目の「2一飛」が“敗着”で。升田はこれを「うっかり」と自身の著書の中で解説している。
 
 この対局で敗れた升田幸三のショックは計り知れないものだった。
 しかしその傷が癒えないうちの3か月後、また赤紙が届き、升田は戦争へと行くのである。
 戦局は厳しくなり、しかも今度は南海の戦地である。升田幸三は、死を覚悟した。前の3年間は早く普段の生活に(つまり将棋棋士に)戻りたいとずっと思っていたが、今度ばかりはそのような甘さはなかった。
 それでも、南海の島の月夜の下で、母や、木村に負けた将棋のことを考えてしまうこともあった、上の升田の文章は当時のそういう状況を述べたものである。
 戦地はポナペ島。小さな島だったが、この島を守るのが升田たちの部隊に与えられた任務だった。
 
 結局、アメリカ軍は上陸はしてこなかった。それほど重要な島だとは考えていなかったようである。
 戦争が終わり、升田幸三は日本に帰った。


 戦争が終わるその前に升田幸三が名人木村義雄と対戦したのは
  1939年 ○升田幸三―木村義雄(香落ち)  →『無敵木村美濃とは何だったのか3
  1943年  升田幸三―木村義雄○
 この2局だけである。
 南海の島での服務中、死ぬ覚悟はあったが、母を悲しませることと、この1943年の対局の敗戦、それだけが升田の無念であった。

 

 ▲5三歩成 △同銀 ▲6三歩成 △5四銀直

 「2二角打をうっかり」して、優勢な将棋を負けにした、無念である、と升田は自戦解説書で述べている。『名人に香車を引いた男』でも、『升田将棋撰集』でも同じである。
 しかし、信じられない。2二角打を見落とすなんてことがあるだろうか。アマ3級でも絶対に見落とすことはないような手である。
 升田幸三は、相手の応手は3二玉か2二角とばかり読んでいたという。3二玉なら1一飛成で、2二角なら6三歩成、同銀、5三歩成で簡単な寄りとなる。
 それを「うっかり2一飛としてしまった」と言うのだ。これを“敗着”と言って、その後の手の解説はない。

 だが―――、我々終盤探検隊が調べたいのは、この図であった。
 ここから先手に「勝ち」はないのか、ということである。

 100手目2二角打の、この図、「激指13」の評価は、なんと 「+1179 先手優勢」!!

 どうやら、升田の「2一飛が敗着」というのは、ウソなのである。
 「2一飛」は敗着どころか、“好手”の可能性だってある。 いや、“好手”だ!
 この図を調べていき、それが我々の辿りついた結論となっている。

 確かに、解説にある通り、2一飛としないで、6三歩成(同銀、4一飛以下、「part40」で解説した)で、「先手勝ち」であったが、この2一飛(2二角打)も、6三歩成と同じくらい有力な手で、この図もやはり 「先手勝ち」 なのである。
 しかもこの図からの勝ち方は1つではなく、我々は(ソフトを使って)4通りの勝ち筋を見つけることができた。(いずれの道もはっきりした勝ち筋を特定するのにたいへん苦労をしたが)

 ここでどうやって勝つか、そしてなぜ升田幸三は勝てなったのか、なぜ「2一飛」を敗着と言うのか、そうした疑問はあとでじっくり考えるとして、ここでは実戦の升田の手を追って見ていこう。

 升田幸三はここで▲5三歩成とした。同銀に、6三歩成、5四銀…
 この升田の指した手順も、「4つの先手の勝ち」のうちの1つ。いったい、升田の“ほんとうの失着”はどれなのか。


升田木村戦104手
 ▲5三と △同角 ▲5一飛成 △3一角左 ▲5五歩 △同銀

 後手の木村としては、ここでは指したい手がたくさんある。8五歩と桂馬をとって2四桂がある。また歩が入ったので1七歩もある。(飛車を捕獲したときに1八飛と打てる。この筋は実際に実現した) 他に、6八とから飛車を取りにいく手、3二銀で飛車を捕獲する手、など。だから先手は忙しい。 
 だが、ここではまだ 先手優勢 である。
 ただ、上のように、後手から攻めの“楽しみ”がたくさんある。これが“木村将棋”なのである。激しく攻めてくるわけではないが、戦線を拡大しておいて、いつでも、“逆転”できるよう仕掛けの種を蒔いておく。しかも、この将棋は、もともと本人は不利とは考えていない。6二金(93手目)以来、自分の勝つ流れになってきたと感じている。しかしまだまだ難しい、勝負はこれからだ、と思っている。

 また升田幸三は、〔絶対優勢だった将棋を手拍子に2一飛と打ってしまったために図(104手目5四銀)では指し切り模様にしてしまった〕(『升田将棋撰集』)としている。
 終盤でのこの両者の気持ちの差が、結局勝敗を分けたのであろう。

 実際は、ここでも「 先手優勢 」。
 ここで1四歩と1筋の歩を突くのが、我々が発見した先手の勝ち筋である(次の図)

変化1四歩図1
 6三に「と金」ができているこの瞬間に1四歩が好手となる。
 升田幸三は対局中この手が見えなかったわけだが、“ポカをしてしまった”という精神状態で、集中力が切れていたのであろうか。
 この対局は持ち時間が10時間、解説書の棋譜には消費時間は書いてないのでわからないが、升田幸三はだいたい時間を半分くらいしか使わない人で、だからたぶんここでも何時間かの時間が残っていたと思われる。
 1四歩に、6三銀とと金を払えば、3一飛成、同角、4一角がある。また図で3二銀なら、1一飛成、同角、6七飛、同と、1三歩成、同角、1四銀で先手勝ちになる。
 後手の候補手は、[あ]6八と、[い]3二玉、[う]1二歩が考えられる。
 図で後手の最善手は6八とか。これは飛車取りだが、6七飛と切る手を防ぐ意味もある。
 6八と、1三歩成、同香、同香成、同玉、1四歩、同玉、5三と(次の図)

変化1四歩図2
 ここで5三と(図)。こうなってみると、2一飛と打った手が“好手”になっていることがおわかりだろう。
 1六歩、4二と、6九と、1八歩(次の図)

変化1四歩図3
 4三とと銀を取るのではなく、4二とがより厳しい手となる。
 1八歩と1筋のキズを受けておいて、先手勝勢である。先手の3一と~2二飛成が間に合うので紛れもない。
 これなら、“升田幸三の快勝”であった。

変化1四歩図4
 今の手順で、先手の1四歩を同玉とせず、この図のように“1二玉”とする変化。後手としてはこの変化のほうが面白いかもしれない。つまり先手が間違えやすそうな変化である。
 “1二玉”には、2二飛成、同角、1九香とする。
 そこで後手の1六歩だが、これは、同香と取るのがわかりやすい。(5三とだと、1五香と打たれてめんどう)
 以下、4六歩、同金(4八金は8五歩で2四桂を狙われる)、1七歩、2九銀(次の図)

変化1四歩図5
 ここは2九銀と受けるのがよい。(ちょっと不安ではあるが)
 ここで後手に有効な攻め方があるかどうか。(6三銀は、4四歩で先手良し)
 6九と、5三と進んだ後、5九という手がある。これを同金だと、1八飛、同銀、同歩成、同玉、3八飛で先手が悪い。
 よって、5九とに、3八金――以下5八飛に、4八歩、4九と、4三と(詰めろ)、同銀、7五角、6四歩、3五歩、2四金、1三銀(次の図)

変化1四歩図6
 しばらく我慢して受け、ここでやっと1三銀の打ち込みが実現した。
 図以下は、1三同角、同歩成、2一玉、4二角で、先手が勝てる。1三銀に2一玉なら、2四銀成である。

変化1四歩図7
 [い]3二玉。これは気になる手である。
 これには3一飛成と切って(2二飛成もあるが、同玉の場合がちょっとわかりにくい)、同角に、5一金(次の図)とするのが良い。

変化1四歩図8
 この5一金が良い手なのだ。後手はぴったりした受けがない。
 後手は1七歩。次は1八飛がある。
 しかし先手はそれを怖れず、4一角、2一玉、1三歩成と行く。同香に、1四歩。
 後手は予定の1八飛。先手2九玉(次の図)

変化1四歩図9
 先手は2九玉のところで3九玉と逃げると、1九飛成、4八玉、4六歩、同金、5六歩(次に7五角がある)で形勢逆転となる。
 2九玉としたこの図は、「先手勝ち」になっている。
 ここから後手の有効手は4二角くらい。金を取って2八に打つ意味だが、これに6一金では形勢はあやしくなる。4二角には、1三歩成でよい。以下、5一角に、3九玉で先手の勝勢ははっきりする。1九飛成には、2九香だ。
 [い]3二玉にはこうやって勝つ。この勝ち方で升田が勝っていれば最高の将棋になっていた。

変化1四歩10
 1四歩に[う]1二歩と受けた場合。こう受けると、後手からの1七歩のような嫌な手がなくなるので、先手としてはありがたいという気がするが、実際に受けられるとどうなるだろうか。
 ここでは5一金と金を活用するのもあるが、3一飛成からの攻めがわかりやすい。それを紹介しよう。
 3一飛成、同角、5三角、同角、同と、8五歩(桂馬をとって2四桂をねらう)、4一角、3二角(最善手)、5四と(次の図)

変化1四歩11
 ここで後手は2四桂。これには、1三歩成、同歩、1七歩。1筋の歩を1四まで伸ばしたのでこの受けがある。
 以下、5四銀、3二角成、同玉、5一金(次の図)

変化1四歩12
 5一金と遊んでいた金を使う。これが勝ちの決め手となるなんて、かっこいいではないか。
 次は4一角だ。これを7四角と受ければ、5二角でよい。4二玉には6一角だ。
 この5一金はぼんやりしているようだが、具体的に後手が受けるのはたいへんだ。これで先手勝ち将棋だが、もう少し進めてみよう。
 2三玉、3五銀、4三銀、3一角(次の図)

変化1四歩13
 3五に持駒を打つのがずっと先手の狙い筋であったが、それがここで実現。この図になってみると、先手の指してきた手がすべて生きる形になっている。
 6八と、3四銀、同玉、3五金、2三玉、4二角成、6五角、4五桂(次の図)

変化1四歩14
 この桂馬が攻めに参加して、先手勝勢。同桂は2四金がある。
 3二銀打と頑張って受けるしかなさそうだが、それには5四歩、同角、5三桂成で寄せきれる。

 つまり、「升田木村戦104手」から、1四歩とすれば、先手快勝の将棋になっていたはずなのである。
 この変化の検討をみても、升田の「99手目2一飛」が悪手ではなく、むしろ好手だったことがわかるだろう。
 升田は「2一飛」を対局中“ポカ”と思い、動揺し、形勢を悲観して、闘志と集中力が切れていたとしか思えない。(そうだとすれば、しかし、プロ棋士とは思えないような心の乱れようだ)


升田木村戦110手
 ▲5四歩 △4二角引
 実戦はこのようになった。ほんとうの升田の失着はこの前からの数手か、このあたりにある。あるいは、5一飛成に対する、木村の3一角左をうっかりしていたのかもしれない。
 この辺で木村名人も手ごたえを感じたことと思う。升田が焦っていることも気がついただろう。
 ここは客観的に判断すると、「ほぼ互角、しかし厳密には後手良しか」、というような形勢のようだ。
 5五歩、同銀となり、ここではもう、先手がたいへんになっている。5五の銀が攻めに使われる展開になると、これは“お手伝い”の手順となる。
 木村義雄は『実戦集』に、〔私はここで5五銀が出ているので、4六歩が先手になったから、これで棋勢はますます有利になったと思った〕と書いている。
 この将棋は、後手の木村名人が、こういうわからない形勢になったとき勝ちやすいように1筋、4筋に味付けをし、そして8五歩の桂取りという仕掛けをつくってきた、それがいま生きている展開になったのである。だからいったん後手に流れがくると、「互角」であっても、先手はもう勝ちにくい。
 升田幸三は、中盤で木村義雄がせっせとつくった“蜘蛛の巣”に、すっぽりはまってしまったのである。

 ここから、5四歩、4二角と実戦は進んだ。これで升田にもうチャンスはなくなった。
 あとは、“蜘蛛の巣”の中でもがくだけ、の棋譜である。

 この図では、「6二金」という手があったのではないか。ここが先手の最後のチャンスだったのではないか。
 それが我々の研究だ。 

変化6二金図1
 この「6二金」(図)は、次に6三金として、4二角引に、5五竜または8一竜とする狙い。
 ここで後手の手番だが、選択肢が多い。
 <a>5四歩や<b>5二歩なら、6三金、4二角引、8一飛成で先手良しになる。
 <c>4六銀が良さそうに見えるが、調べてみると、やはり6三金、4二角引、8一飛成で先手が良くなった。
 <d>4六歩はどうか。以下これを調べてみる。
 4六歩、4八金引、8五歩、6三金(次の図)

変化6二金図2
 4二角引、5五竜、2四桂、3五歩(次の図)

変化6二金図3
 1六桂、3九玉、2四金、4四歩、3二銀、4六竜(次の図)

変化6二金図4
 ここで後手4五歩、1六竜、1五香、3六竜となると、先手良し。このまま放っておくと4三歩成がある。
 この図は少し先手が良いようだ。

変化6二金図5
 「6二金」に対して、「4六歩、4八金」の交換を入れないで、単に<e>8五歩(図)が後手の最善手かもしれない。  

変化6二金図6
 同じように進めたときに、この図のようになる。
 ここでどうも先手に気の利いた手がなく、これは後手良し。<e>8五歩の変化は、後手良しか。

変化6二金図7
 そこで、<e>8五歩に、6三金、4二角引、のところで、5五竜(銀をとる)ではなく、“8一竜”(図)と桂馬を取る手はどうだろうか。これは次に3五桂と打つ手に期待したものだ。
 “8一竜”に、2四桂、3五桂、同金、同歩、1六桂、1七玉、6八と(次の図)

変化6二金図8
 ここで先手の手番。いくつかの候補手があるが、どれがよいかはっきりしない。
 5三歩としてみよう。5三歩、6九と、5二歩成、7五角、4五桂、5六銀不成(好手)、3三桂成、同玉、6四歩(この手で4五桂はあるが、4四玉、5三桂成、1九飛、1八金、4九飛成、4三成桂、5四玉で後手良し)、1三角、3六金、2八桂成(次の図)

変化6二金図9
 2八同玉に、2四桂とされ、これは後手優勢のようだ。
 この変化も有望ではあるが、厳密には「後手良し」と思われる。

 ということで、「110手目6二金」は、有望だが、先手は少し届かなかった。 正確に<e>8五歩以下応じられると後手が良くなる、と我々の研究では出た。
 しかし実戦で正しく<e>8五歩が指せるかどうかわからないし(名人は4六歩と指したいとウズウズしていたところだ)、相手は木村名人という終盤の強者ではあるが、先手が勝つ可能性もまだあったと思われるのである。

 したがって、終盤探検隊的には、「実質的な先手升田の敗着は、110手目5四歩である」と認定したい。

 ここから後、先手に勝つチャンスは、どうやら、ない。そういう将棋になっている。
 「100手目2二角打」の図から、5三歩成を選んだその後のどこかに、升田の読みの甘さ(誤算)があって、それで逆転し、110手5四歩ではもう勝ち目がない、という将棋である。


升田木村戦112手
▲6二龍 △4六歩 ▲5七金 △8五歩 ▲6三龍 △3二銀 ▲6七金

 このあたり、升田幸三に誤算があったのではないだろうか。もう集中力が欠如していて、図の4二角引をそれこそ「うっかり」してたのではないか。
 4二角引に、同竜、同角、5三角という手がある。もしかしたら、升田はこの手に期待してこのルートを選んだのかもしれない。しかし、5三角に、同角、同歩成、3二銀の後、わずかに足りず、攻め切れそうにない。
 升田は、113手目、6二竜。
 ここから後は、先手の勝ち筋をつくるのは、難しい。


升田木村戦119手
 △同と ▲4三銀 △同銀 ▲同龍 △3二銀 ▲3四龍 △同玉 ▲3五銀 △4三玉
 ▲6七飛 △6六歩 ▲7七飛 △7六歩 ▲同飛 △7五歩

 我々の将棋なら、なんとなくこの図だと、先手もやれそうに見える。(あるいは升田もそう思ったか)
 図から、6七同とに、升田は4三銀から3四竜と、竜を切って攻めていったが、それをやめて、6七同とに、同飛ならどうだろう? 後手は持駒は金と桂と歩…、先手もやれるのでは…?
 しかし実際は、後手の持っているその「桂」が、ここでは絶大な力を持っているのだ。2四桂とされると、先手はそれだけで困ってしまうのだ。2四桂で、勝てない。1六桂と、3六桂の狙いがあり、適当な受けがない。
 この2四桂の厳しさに気づくのが、升田は遅れたのかもしれない。それはプロではありえないが、それくらい、升田の指し手は妙な乱れ方をしている。やはり2一飛(98手目)が「うっかり」で、「失敗した」という意識が支配して、正常な心持ちではなかったということか。


升田木村戦134手
 ▲6五金 △1七歩 ▲5五金 △1八飛 ▲3九玉 △7六歩 ▲2九銀打 △4七桂
 ▲4八玉 △6七歩成

 先手の升田幸三が3四竜と竜を切って、3五銀としたのは、後手の2四桂が厳しいためである。これで2四桂を打つ手をなくし、それから6七飛とこの飛車を活用。
 もう勝てそうもない、とはわかっていても、それなりに頑張ったのである。

 ここで7七飛などと飛車を引いていると、5四玉で、もう後手玉は捕まらない。
 もし、美しい棋譜を残すというような意識でいれば、ここで投了するのがよさそうだ。
 しかし、升田はまだ指し続けた。6五金。
 後手木村名人は1七歩。ついにこの手が来た。飛車を手にすれば、この手が有効になる。


升田木村戦144手
 ▲4五桂 △同桂 ▲同金 △3九桂成 ▲4四銀 △5二玉 ▲5三歩成 △6一玉
 ▲1八銀 △4九成桂 まで154手で後手の勝ち

 ここまで来ると、これははっきり先手が負けだと、私たちでもすぐわかる。この6七歩成の図は、そういう図だ。
 それでもまだ、投了せず、25歳の升田幸三は指し続けた。
 

升田木村戦  投了図

 詰むまで指して、投了した。
 少年が、強い大人と指して負けて、泣きじゃくっているような、無念さのにじみ出ているラストである。

 升田幸三は、この対局の3か月後に、また招集令状がきて、今度は南方の戦地に向かうことになる。
 南海の島で、死ぬかもしれない…と覚悟を決めつつ、ふと夜に空を見上げて月を見て、この将棋のことを思い出して悔しがっていたのである。


升田幸三-木村義雄戦 100手目図
 次回part42では、この100手目の図からの、先手の勝ち方を確認する。
 升田が著書の解説で「敗着」としている99手目2一飛だが、ここは 先手優勢 であり、先手の 「勝ち」 になる手が、少なくとも4つはあるのだ。
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終盤探検隊 part40 升田幸三 “南海の月”

2015年09月24日 | しょうぎ
1943年「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝、58手目の局面図。
 後手木村名人は7四歩。ついに全面戦争に突入か!?

    [気取った手つきでタバコを吸う]
 坊主憎けりゃケサまでといいますが、木村さんという人が、どうにも私は好きになれなかった。あの大人(たいじん)ぶった、いかにも名人でございという物腰が、鼻持ちならなかった。小柄なくせに、わざとゆったりと胸をそらせて歩く。タバコ一本吸うにも、気取った手つきをする。

 私が木村さんを嫌うようになったのは、前に何度もお話した、朝日番付将棋の決勝戦がきっかけでね。あれは私が丸勝ちの将棋で、木村さんは盤の上に上体を折り曲げ、タバコを持つ手はふるえ、ハアハアと肩で息をしておった。それが私のポカで形勢が逆転すると、急に胸を張ってそっくり返り、タバコの煙を横っちょに吹き上げよる。あまりの豹変ぶりに頭にきて、私は<ニセ名人>のレッテルをはってやった。ニセ名人、ニセ名人と、あちこちでいいふらし、木村さんを怒らせ、それを火ダネに自分の闘志を燃え上がらせた。
                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)


 戦後、順位戦の創設の指揮を執ったのが木村義雄である。この時、「駒落ち戦廃止」と「段位撤廃」という大改革を行った。四段も八段も、段位をなくし、同じ条件で戦うというのである。
 それまで、棋士は「段位」というものにこだわり、それが原因でもめることも多かった。それを撤廃したのである。なんともすごい改革であった。
 ただし、その後、段位はなんとか復活させてほしい、という棋士の要望が強くなり、今のような形になった。

 1947年、名人戦七番勝負で3-4で塚田正夫に敗れ、木村義雄は名人位をついに失う。
 しかし2年後、木村は再び名人位に復位するのである。

〔 第六期名人戦で塚田さんに名人位を奪われていた木村さんは、第八期に挑戦者となり、塚田名人に三勝二敗で勝って奇跡といわれた名人復位を成し遂げた。偉いもんです。至難といわれたことをやってのけたんですから。〕
〔 名人も意地っ張りで、たとえそれが相手の十八番ということを承知していても決して逃げようとしない。それどころか進んで自分の不得意の戦法にふみ込んで吸収しようとする気概があった。そういう点、大山君や中原君も同じ資質を備えている。相手の得意だからといって逃げているようでは名人上手にはなれんものだ。木村さんの名人復位は決して偶然ではなかったのである。〕
                    (升田幸三『升田将棋撰集第二集』)

 『名人に香車を引いた男』は1980年に初版が出版されている。升田幸三が現役を引退した翌年だ。
 そして『升田幸三撰集第二集』は1985年。
 前者では悪口を書き、後者で今度は素直に偉業を認めている。。
 (木村義雄十四世名人の没年は1986年、升田幸三は1991年である)


 「升田幸三-木村義雄戦」、この二人にとって初の平手戦の将棋を鑑賞している。大東亜戦争中の、1943年に行われた朝日番付戦決勝戦である。
 最初から火花を散らすような序盤から始まり、その後落ち着いて持久戦となり駒組みに。中盤、形勢は先手升田幸三の「模様良し」で進んだ。後手は囲いの強化がむつかしい。
 いよいよ本格的な戦いがこれから始まろうとしている。


升田木村戦58手
 ▲6六角 △2三玉 ▲7八飛 △4二銀

 後手の木村名人は、59手目、7四歩と突いた。
 これに対して、同歩もあっただろう。同金、7五歩、7三金なら、9七桂で8五桂を狙う。7五歩に8四金なら、5五歩。やはり“戦線は拡大”する。
 後手としては、ここはまだできるなら本格的な戦いにはしたくないところだ。後手の玉の守りがあまりにうすすぎる。
 だが、もう戦機は熟してきている。
 升田幸三は、7四歩に、6六角と応じた。この方がより調子が良いと読んだのだろう。

 模様は先手が良いだろう。それはもうアマチュアの私たちの眼にも明らかだ。
 後手の4枚の金銀の位置を見ればわかる。あまりに前進しすぎている。これで先手の攻めを完封(押さえ込みという)できればよいが、この形は無理だ。必ず、攻め合いになる。
 升田幸三は、序盤の30手で、こうした展開になることをわかっていた。だから序盤を全力で戦ったのである。序盤の天才、升田幸三の力がここに表現されている。
 「戦いが本格的に始まれば、自分の優勢は自然に大きくなるはずだ」と升田は思っている。その見立ては正しかった。

 しかし後手の木村義雄名人は、苦しいとは思っていない。
 次の木村名人の2三玉が、経験からくる独自の勝負術といえる。


升田木村戦62手
 ▲3六歩

 升田、7八飛。飛車を6筋から7筋へ。
 それを見て、木村は4二銀と銀を引いた。次に4三銀とすれば、角も使いやすくなる。

 形勢をわるくない(むしろ自分のほうが良い)と思っていた木村義雄名人だったが、ここにきて指し手がむつかしいと気づきはじめたところだ。それでもまだ名人は“指せる”と思っている。
 このあたりの「鈍感力」こそが、実は木村名人の強さの秘密といえるかもしれない。少しくらい不利であっても、自分ではそう思っていないから、頑張ることが苦しくないし、最後には自分が勝って、振り返ってやっぱり自分が優勢だったと結論する。
 この時期、最強名人木村義雄は、駒落ちの上手で、格段の強さを見せつけていた。香落ち上手での木村将棋の得意型は「木村不敗の陣」と呼ばれた。香落ちで、八段の名人候補たちも次々と投げ飛ばして下してきた。
 駒落ち将棋というのは、初形から「上手不利」の状況からスタートする。それを木村は“逆転”して、勝利をつかむ。木村にとって、“逆転する”というのは、名人としての通常の業務なのだ。
 そうしたことに慣れた木村名人にとっては、「少しくらいの不利は、自分にとっては不利ではない」ということなのではないか。有利不利の基準が、「木村の剛腕」があるために、通常の基準とは違うのだ。しかし木村将棋は地味な駒の動きが多いこともあって、「剛腕」にはみえない。そういうところに相手がだまされることもあるのだろう。
 木村義雄の将棋は、基本的に、「自分の力なら最後には勝てる」という、自信に満ちた精神でできているのではないか。


升田木村戦63手
 △4三銀 ▲3五歩 △同金 ▲3六歩 △3四金 ▲3七桂 △5二銀右

 後手の4二銀を見て、升田、3六歩。機敏な手。
 これを同歩は、7四歩とし、同金なら、3五歩、同金、4四角となって、はっきり先手優勢。
 よって、木村4三銀と応じた。

 しかし、3六同歩、7四歩に、そこで4三銀はあったように思われる。これは7五銀が後手にとって恐いところであるが、それには8三金で、後の先手の指し方が難しいのではないか(次の図)


 ここで3六金なら、3五歩、3七金、6七歩で、次に6八歩成、同飛、7四銀をねらう。
 この図は、それでも先手が良いのだろうが、はっきりしないところがある。


升田木村戦70手
 ▲5五歩 △6二飛 ▲5四歩 △7五歩 ▲同銀 △6五飛 ▲7七桂

 実戦、先手の升田は、3筋の後手の位(くらい)を消滅させた。これで桂馬や銀の持駒が手に入ればいつでも3五に打つ手が有効になる。

 しかし木村名人は、その間に二枚の銀を玉の近くに引き寄せた。
 こういうところが、木村名人の得意な芸で、大山康晴にも見られた特徴である。“戦いながら玉を整える”という技で、相手はそれによって、そのたびに寄せのための読み筋の変更をすることになり、疲れさせ、間違わせることにつながってゆくケースが多い。
 『日本将棋大系15 木村義雄』の執筆は大山康晴だが、大山は〔木村将棋は、駒の繰り替えをしながら、その駒が要所要所に利いてくる指し方をする。対戦者にとってはぴりっとくるきびしさを感ずることが少ない。私も対戦していて、ほんとうの意味での木村将棋の強さを知らず負けてしまうことも多かった〕と書いている。

 升田5五歩。いよいよ先手の本格攻撃が開始である。
 ずっと有利を自覚している升田にとっては、ここからが“仕上げ”の段階である。

 さすがに、木村名人もここでは指し手に困った。厳しい局面になったと、ここでやっと思ったらしい。
 それでも、6二飛を発見し、これでやれそうだ、と思った。
 〔だが、私は手駒に二歩持っている。升田氏は歩切れだから、これならまだまだ戦える。私はここでやっと6二飛と転ずる手を発見して愁眉をひらいた。〕(『名人木村義雄実戦集』)

 少しずつ升田幸三が、「先手良し」を、具体的に形にしてきている。
 5五歩のところ、「激指」の評価値は「+415 先手有利」を示している。


升田木村戦77手
 △6一飛 ▲6四歩 △7五金 ▲同角 △1五歩 ▲同歩 △7六歩
 ▲8五桂 △1六歩 ▲同香 

 升田、7七桂。好調だ。振り飛車でこっち側の桂馬が、自分のほうだけ使える展開になってきた。
 木村はしかし、その桂馬をどこかで取ることを考えている。桂馬が入れば、それを2四桂と打てる。

 図から、6一飛に、6四歩。
 ここで「激指」評価値は、「+746 先手有利」に。

 面白いことに、それでもまだ、木村義雄は「わるくない」と見ている。木村の感覚では、有利でもないが、不利でもない、だから勝負はこれから、なのだ。自分は名人だし、まあ、勝つだろう。

 升田幸三は、勝ちまで「あと一歩」という感覚である。

 7筋で金と銀との交換になった。後手にすれば、負担になっていた金が銀と交換になり、これはわるくない取引だ。
 木村は、1筋に“味付け”をする。1五歩。
 升田はこれを同歩。この手では6五桂もあったが、こちらを選んだ。


升田木村戦87手
 △8四歩 ▲同角 △6七銀 ▲7九飛 △4五歩

 木村の1六歩に、升田、これも同香(図)と面倒をみる。
 後手はこれで桂馬が入れば、いよいよ2四桂と打つのが後手の楽しみとなる。
 「激指」の評価は、「+811 先手優勢」。

 ここで後手木村は8四歩。升田はこれも素直に同角。これでさらに有利を拡大。
 8四同角に6四飛は、7五角でオワ(終わり)である。
 後手にはっきりした有効手がない。いろんな手をくり出す木村。それに素直に応じる升田。「そうだろう、やる手がないだろう」と内心升田は思っている。自然に応じていけば、自然に先手が良くなっていく。

 木村名人は1筋、そして6~8筋へと戦線を拡大している。これが木村将棋なのである。将棋には「不利な時には戦線拡大」というセオリーがある。木村義雄は、この将棋、自分を不利とは思っていないのだが、それでもこういう指し方をする。つまり、こういう指し方を常にして勝ってきた人なのである。
 焦点がわかりづらい複雑な将棋になれば、最後には強い自分が勝つ、ということだ。

 90手目、先手に7六飛から飛車を使われるとまずいとみて、6七銀と打って飛車の動きを押さえる。こういう手が「押さえ込み」という手なのだが、完全に先手の攻めを押さえ込むのはもう不可能だ。

 升田の7九飛に、さて、そこでどう指せばよいのか、と木村名人は悩んだ。6四角と出るのもうまくいかない。では、どうするか。


升田木村戦92手
 ▲6二金

 〔私はここで4五歩と突き出す手を発見した。この手を見出したとき、私はホッとした気持ちになった。〕(木村義雄)

 木村名人はさらに4筋に戦線を広げた。
 この4五歩(92手目)の局面、「激指」にその評価値を問うと、なんと「+1532 先手優勢」までになっている。
 ソフトの評価値が正しいと前提するなら、たしかに形勢は指せば指すほど「先手優勢」に傾いてきている。
 升田幸三の思い描いた通りの進行となっている。 

 後手はタイミングよく6四角とする手が作戦の軸となる。ほんとうはここで6四角としたいところだが、それは6八歩とここに歩を打たれる手が生じ、これは勝てないと木村は思った。
 だから4五歩と指したのである。相手に手を渡すようなフワッとした攻めだ。
 相手(升田)はここで「6二金」と打ってくるかもしれない。それなら8三歩で、6一金、8四歩…、これは自分が指せる。
 木村義雄はそう考えたという。そうなった時、4五歩としておくのが有効と思ったのである。

 升田幸三は、木村の読みの通り、「6二金」と指したのである。「これで勝ちだ!」というのが、升田。
 「いや、それはこっちの思う壷だよ」というのが、木村。
 木村名人は4五同歩とされるが嫌だったようだ。それで次はどうするか、と思っていた。


升田木村戦93手
 △8三歩 ▲6一金 △8四歩

 図の、93手目6二金は、先手の升田が“決め”に行った手である。

 さて、この全く違う両雄の形勢判断だが、どちらが正しいのだろう?
 ソフトに聞いてみよう。「激指13」は93手目6二金の場面、評価値は「+1145 先手優勢」。

 畏るべし、木村義雄の「鈍感力」!!!!!!

 木村名人はまだ自分のほうが指せると思っている。升田のこの93手目6二金を見て、これではっきり優勢になったと思っているのである。(『名人木村義雄実戦集』にそのように書いている)
 6二金には8三歩が用意の一手だった。6一金、8四歩となれば、飛車は渡すが、6一金の形が重い。8五の桂馬を取れば2四桂が打てる…。

 しかし、ほんとうの形勢は、どうやら「勝ち」は、升田幸三の目の前にあるのだった。


升田木村戦96手
 ▲6九飛 △7七歩成 ▲2一飛 △2二角打

 実際、ここで升田幸三に「勝ち」がある。
 升田は一旦6九飛、7七歩成として、銀を質駒にし、そこで敵玉を寄せに行った。
 
 そこで、6三歩成とするのが良い。(升田が指したのは別の手)
 それで先手が「勝ち」だった。(と、升田はいう)

変化6三歩成図1
 6三同銀に、そこで4一飛(図)と打つ。
 この飛打ちは角銀両取りになっているから、後手は3二玉とするよりないが、3一飛成、同玉、5三歩成で、これで寄っている。

変化6三歩成図2
 升田本の解説はここまでだが、もう少し先まで続けよう。まだ簡単ではない。
 3二銀、4三角、2四金、6五角成(次の図)

変化6三歩成図3
 先手はまだ攻め駒が少ない。だから6五角成。
 この手で、3二角成と切ったり、6七飛、同と、4二銀という攻めだと、ちょっと足らず逆転負けする(後手から1七歩という手がある)
 この図で4六歩としてくれば、4三歩と打つのが詰めろになる。
 またここで後手1七歩という手もあるが、5九飛がぴったり。次は4二と~5一飛成だ。後手歩切れになったので5八歩と止められる手がない。1八飛には3九玉で大丈夫。
 図で6八とときた場合を示しておこう。以下、4三と、5四歩、7五馬、2二玉、3三と、同玉、4五桂、2二玉、4二馬、3四飛、6二金(次の図)
 (手順中4五桂に4四玉なら5六桂、3四玉、4二馬、また2三玉には3五桂と攻める)

変化6三歩成図4
 これで、勝ち切れそうだ。6九と、6三金となれば攻めが切れることはない。また、7四銀なら、3五桂とする。以下、6九と、4三桂成、同銀、同馬、3二歩、3五銀で攻め切れる。
 たしかに「先手勝ち」だったのだ…。

 さて、実戦は―――、升田幸三は6三歩成とせず、別の手を指した。


升田木村戦100手

 実戦は99手目、2一飛と升田は打ち、これが後後(のちのち)までも痛烈に後悔することになる一手となった。
 木村義雄は、2二角打。

 〔2一飛が手拍子で、2二角打を全くうっかりしていた。〕(『升田幸三撰集』)
 〔2一飛が無念の敗着です。〕(『名人に香車を引いた男』)

 そう、この将棋を升田幸三は負けたのだ。この2一飛を敗着としている。
 しかし、2二角打をうっかりするなんてことがあるのだろうか。


               part41につづく
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終盤探検隊 part39 升田幸三 “南海の月”

2015年09月22日 | しょうぎ
 1943年(大東亜戦争中)8月の対局「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝。その24手目の局面図。
 『将棋世界、イメージと読みの将棋観』でこの図が採り上げられたこともある。両者にとって初の平手戦。
 これで升田(当時25歳)は有利になると思っていた。升田の次の着手は6八飛。

    [大野みたいになりいや]
「きつい手え、指しよります」
 角田二段が答える。大阪弁の<きつい手>の意味が、私にはわからない。
「そうか」
 先生はいいとも悪いともいわず、大野五段のほうを向いて、グイと一つアゴをしゃくった。ヘイッと歯切れのいい返事をし、角田二段に代わって、大野五段が私の前にすわる。試験官交代というわけだ。
 飛車と角の二枚落ちで指したんだが、チビで色のまっくろけなこのアンちゃん、強かったなあ。こっちが慎重に考えて一手指すと、間髪を入れずにピシッとくる。それでいて、どの手もみんな急所にきおるんです。だいたい、いままで私がやってきた相手とは、指す手がぜんぜん違っとった。広島の大深五段には、二枚落ちなら勝ちこしたんだが、てんで手も足も出やあせん。
 四番、たて続けに負かされました。もう一番指して勝ったけれど、これはもう、はっきりオナサケでね。ゆるめてくれとるのが、手に取るようにわかった。
 さあ、困ったことになった。奥さんを女中と間違えてぞんざいな口はきく、チビクロ五段には歯が立たん。あきれて弟子にしてくれんのじゃなかろうか。見込みがない、帰れ。そういわれやせんか。
 しょんぼりしとる私に、奥さんが声をかけてくれた。
「おまえも気張って、大野みたいになりいや」
 この一言、天の声のように聞こえた。入門させてやる、だからしっかり勉強して、大野五段のように強くなれ。奥さんはそう言っておる。
 (中略)
「大野みたいになりいや」
 この言葉の快いひびきは、いまも私の耳に鮮明に残っております。
                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)


 大野源一は東京生まれで東京育ち、大工の息子だったが、それがなぜか、大阪の木見金治郎の弟子になっている。何かの書にその理由が書いてあったが、失念した。やむをえぬ事情ではなく、あえて大野本人が修業のために大阪で内弟子生活を送るそういう環境を望んだのではなかったかと思う。毒舌で、江戸弁と大阪弁が混じった言葉を話していたという。上の話でも「ヘイッと歯切れのいい返事をし」というのが江戸っ子らしく思える。
 大野は1940年に八段になっている。升田の7つ年上である。
 (『大野の振り飛車』)
 1943年の名人戦は、通常通りには「名人挑戦リーグ」は行われなかった。戦況が厳しくなって、スポンサーである毎日新聞社の経済事情の関係だろう、「挑戦予備手合い」という簡略化した特殊な形で行われた。挑戦者候補の4名が、名人である木村義雄とそれぞれ「平香」で二局づつ指してゆくというという形式であるが、木村名人はその相手の八段を次々となぎ倒し、やっと香落ちで1勝したのが、大野源一八段であった。

大野源一-木村義雄 1943年 名人戦予備手合
 といことで大野八段のみもう一局平手戦を指すこととなった。これに大野源一が勝てば、正式に挑戦者としてあらためて番勝負が行われたのだと思う。
 その時の将棋がこの図の通り「相雁木」である。当時は「5筋の歩を突く相掛かり」が主流戦法であった。したがって、先手は5七銀、後手は5三銀と組む。そしてそこから先手が6六歩と持久戦を選ぶと、この図のように「相雁木」になるのだった。この図から大野は3八飛から3五歩という手段を選んだが、この闘いを制したのは、木村名人であった。
 こうして、この期(第4期)の名人はこれで「名人防衛」ということとなった。
 木村義雄は、盤石の強さを見せつけていた。この「挑戦予備手合い」、八段の名人挑戦者候補4人を相手に、8勝1敗(うち4局は香落ち上手)という強さである。

 さて、「升田幸三-木村義雄戦」も、そういう時期に行われた対局である、朝日番付戦決勝戦。(「大野-木村戦」は9月、この対局はその1か月前の8月に行われた)
 升田幸三の「八段昇進」も掛かっていた。


升田木村戦24手 再掲
 ▲6八飛 △6五歩 ▲同飛 △6四銀左 ▲2五飛 △3二金 ▲9七角 △3四歩
 ▲6五歩 △5三銀 ▲8八角

 この図は、『将棋世界』の鈴木宏彦氏の「イメージと読みの将棋観」で採り上げられている。(将棋世界1912年2月号)
 意見を述べた棋士は、渡辺明、佐藤康光、森内俊之、谷川浩司、久保利明、広瀬章人。
 この図を見た棋士たちは、全員この局面での第一感を3八玉と述べている。が、よく見れば、3八玉では、6五歩、同銀、6四銀となって、これだと後手ペースになる。
 ほとんどの棋士が、この図での先手の作戦に疑問を感じている。3八玉と指せないようでは、作戦を採った意味がないということのようだ。
 たとえば渡辺明はこう言っている。「単に▲3八玉として、△6五歩▲同銀△6四銀左なら強く戦って、まあ、なんとかなるでしょう。逆に▲3八玉で指せないんじゃ先手が苦しいということですよ。升田先生の将棋? えー、でも僕なら▲3八玉です。」
 佐藤康光「先手が押さえ込まれそうで自信がない。そもそも▲6五歩とつっかけるようでは自信がない。この局面は先手が忙しい。」
 森内俊之「先手は7五の位を取っていますが、▲6五歩を突いていますので逆に7筋の位を守りにくくなっている。なので少し面白くない作戦なのかと思う。この場合は、このままだと△6五歩▲同銀△6四銀左と来られる恐れがある。しょうがないので▲3八玉とします。6筋は受けようがない。形勢は後手良し。先手勝率イメージは45パーセントくらいです。」「序盤の手順を見ると、木村名人が升田先生の作戦をうまくとがめたのではないでしょうか。」
 ニュアンスとしては「なんでこんな序盤にしちゃったんだ。先手指しにくいでしょう」という感じである。
 つまり、先手のこの指し方に味方するものはだれもいない、これは升田幸三独自の感性の序盤なのだ。

 ところが、面白いことに、升田自身は、この作戦に自信を持っている。そして実際、この将棋は序盤で先手が作戦勝ちを勝ち取っていくのである。
 升田幸三の“次の一手”は、6八飛。予定の一手であった。
 その「イメージと読みの将棋観」の中では、谷川浩司のみは、升田幸三の次の手、6八飛を当てていた。
「そこで単に▲6八飛はどうでしょう。以下、△6五歩▲同飛△6四歩▲2五飛。後手陣も味が悪いので、そこそこ指せると思う。実戦も、そう指した? 升田先生の将棋ですか。そういえば、なんとなく見た記憶がある。」

 「6八飛はこの一手」と升田。
 〔2五飛も当然で、6八飛と引くのは、6二飛から7五銀をねらわれていけない〕
と、『名人に香車を引いた男』で解説している。

 ここの前後の数手、十数手が、升田幸三にとって、「勝負」の場面なのである。
 ふつう、将棋の勝負どころは、もっとずっと後である。序盤・中盤ときて、終盤になる。その終盤になる前に優勢になるよう、頑張る。そして、終盤こそが勝負どころである。それがふつうの感性だろう。
 ところが、升田幸三はちょっと違うようだ。升田はここを“勝負どころ”として、命がけで指しているのである。ここで有利になったらこの将棋は俺の勝ちだ、そういう感性で指している。
 ふつうの人がマラソン感覚でスタートを切るとしたら、相撲のように全力で踏みこんでダッシュするのが升田将棋だ。

 2五飛で、6八飛だと、6二飛で、後手良し。
 だから、2五飛とまわって先手をとる。“先手を取る”のが大事なのだ。3二金で後手は一時的に壁ができて悪形となった。
 6五歩と押さえ、5三銀と後手の銀を追い返す。これでついに力ずくで、「7五の位」を守った。
 6五歩に、後手7五銀ならどうなるか。同銀、同金、6四歩、同銀、6三銀(次の図)

変化7五銀図
 これで先手良し。これが升田の読み。

 なになんでも「7五」をいただく、と後手木村名人はやってきている。だからその木村名人と“命がけのケンカ”をしている先手升田にすれば、「7五」を死守することがここでは何よりも優先されるべき重要事項なのであった。


升田木村戦35手
 △4四歩 ▲2六飛 △4一玉 ▲3八玉 △3三金 ▲2八玉 △3二玉
 ▲3八銀 △2四歩 ▲6六飛 △3五歩 ▲4六歩 △2五歩 ▲5八金左 △9四歩

 升田の8八角。これは「7五」を死守するために一旦9七に上がった角を、8八に引いたわけだが、木村義雄は、角の動きで相手は手損になった、だからこっちが作戦的には良いはず…と考えていた。
 言われてみれば、この升田の角は、8八から7七、そしてまた8八へ戻り、9七に出て、また8八へと戻っている。4手を角の動きで費やしている。

 ところが、升田幸三の考えは違う。8八角と引き、ここで後手に4四歩と突かせる。するとこの将棋は、持久戦になる。後手の「棒金」は急戦用の作戦だ。その作戦が失敗したということだ。あの8四金が働かないのだから、持久戦になればこっち(先手)が優勢だ。これが升田の考え。
 だから8八角に対する4四歩を見て、「よし、勝った!」と升田は思ったわけである。
 この「勝った!」というのは、まず「7五」を取りあう“ケンカ”に勝ち、それはすなわちこの一局を制するほどの重要な決戦だったと升田幸三は見ているのである。

 だが、木村はそうは見ていない。(佐藤康光、森内俊之、渡辺明も木村と同じく後手持ち)
 角と飛車の動きでむこうはこれだけ手損をしている。つまりは自分が手得しているということだ。「7五をめぐるケンカ」は制することはできなかったが、その分を「手得」で利益を出している。きっと指しやすくなるはずだ。木村名人はそう考えていた。

 どうやら、この「将棋観」の対決は、升田幸三に軍配が上がっているようだ。
 この後、手が進むにつれ、先手が徐々に優勢になってゆくのである。升田はそのことがこの時点でわかっている。「7五をめぐるケンカ」への本気度は、升田幸三のほうが上だった。

 だが、「よし、この将棋はもらった!」と思っている升田と、「少し得した、でも勝負どころはまだまだ先」と考えている木村。
 そこに、“逆転の目”が潜んでいる。

 升田の飛車は、2五→2六→6六と、6筋に戻った。
 相手は飛車と角の動きで、これだけ手損をしているのだから、自分のほうがわるいわけがない、と木村名人は思っている。
 一方、升田は、この将棋は山場を過ぎた、俺の勝ちだ、後はどう優勢を拡大して、勝ちを決めるか、それだけだ。升田にとっての“勝負”の場面は、すでに過ぎていたのである。
 升田幸三の、異質な将棋観がここに見える。

 ところで、升田幸三の35手目8八角に、木村義雄は4四歩としたが、これ以降、先手升田のほうが模様の良い将棋となった。
 それならば、木村の36手目で、“4四銀”と変化するのはどうなるか。
 我々終盤探検隊は、それを調べてみた。(これは「終盤」とは言えないが)

【研究;36手目4四銀の変化】

変化4四銀図1
 4四歩とこの4四銀の違いは、4四銀なら3一の角の利きが6四、7五に通っているということである。(デメリットは6四への利きが一つ少なくなる)
 この図からの進行は、一例を述べると、3八玉、4一玉、2八玉、4二角、3一玉、3八銀、7四歩、同歩、2二玉、6六飛、7四金、7五歩、7三金、9七角(次の図)

変化4四銀図2
 こういう感じになる。形勢は互角。
 これから見ていく本譜(4四歩)の進行とくらべると、こちらのほうが後手に希望が多いように思われるが、いかがだろうか。


升田木村戦50手
 ▲1六歩 △1四歩 ▲4七金

 木村義雄はこの9四歩を緩手だったとあとで振り返って後悔している。
 この後、後手が徐々に指しにくくなっていくのだが、それをこの「9四歩」のせいだと、木村義雄は著書『名人木村義雄実戦集』の中で述べている。この9四歩を指す手で、1四歩とし、以下1六歩、3四金、4七金、3三桂、6八飛、7四歩と進めば、本譜の順より一手早く7四歩と指せていた、というのだ。が、我々の研究では、それでもやはり後手が指しにくい将棋になっていると思われる。
 木村義雄はこの対局中、自分のほうがやや良しと思っていたようだ。それがなぜか、途中から指しにくくなった。後で振り返って見て、この50手目9四歩が緩手だったからと結論しているわけだ。

 しかし升田幸三に言わせれば、もっと前から、つまり「7五ほ位(くらい)を先手が死守したとき」から、こうなること――だんだん先手が有利になること――はわかっていたことだった。持久戦になれば、後手は8四金が働かないのだから。
 8四金の棒金作戦がすでに失敗しているのだから、後手はまともに陣形を組みようがない。玉を固めることもできないし、8四の金を活用するためには、後手はどこかで7四歩とするしかないが、そこで戦いになれば、先手の美濃囲いのほうが堅いし、後手の角が使いにくいだろう。升田にとっては、もう、この将棋は勝ち将棋になっているのである。“命がけの勝負”の場面はもう過ぎているのだ。
 後は先手は、「どうやって有利を拡大して勝ちに結びつけるか」という問題であり、それは序盤の、100パーセントの力を振り絞ってなにがなんでも勝つ、という状況にくらべれば、ゆるい問題なのである。80パーセントの力でよい。
 升田の感覚は、そういう感じだ。勝負はもうオワ(終わっている)なのだ。

 『升田将棋撰集』ではこの場面を升田は次のように解説する。
〔 ここまで来てみると、序盤早々△8四金と進出した木村名人の闘志が、空回りに終わったことがよくおわかりだろう。 伸びきった陣形をまとめるのに、ひと苦労もふた苦労もしなければならない。〕

 9四歩に、升田は1六歩とし、1四歩、4七金、3四金、6八飛、3三桂、5六歩と進んだ。

 ソフト「激指13」で評価値を調べると、9四歩を木村が突く前の図で「+61 互角」、9四歩を突いたところでは「+155 互角」、そして数手後の先手5六歩のところでは「+218 互角」となっている。

 実際、後手がどう指すのが良いかということになると、難しい。後手ははっきり有効といえる手がなく、升田が見ている通り、後手はもうどうしようもないのかもしれない。
 後手は「3五」と「2五」の位をとったのだが、このあとこの位を守るために3四金と上がることになる。しかしその動きによって、ますます玉の周辺はすかすかになり、「決戦」になると困る状況になる。しかしそうはいっても、位をっとった以上は守らないと、たとえば金を3三のままだと、先手に4七金から3六歩、同歩、同金とされて、玉頭を制圧されてしまう。そしてそういう戦いになったとき、8四の金がまったくの遊び駒である。
 升田の言う通り、8四金の棒金と、2筋3筋の位取りのバランスが悪いのである。しかしそれでも、後手は「位取り」以外に有効手がないからしかたないのだ。
 つまり、後手がはっきり作戦負けなのである。
 升田幸三は、序盤の、後手木村が7二金~8三金と「棒金」に来たときからこういう展開を目指して“命がけで”戦っていたのである。升田の序盤感覚の研ぎ澄まされた“凄さ”がここに表われている。

 木村にとっては、「まだ序盤、勝負はこれから」であったが、升田にとっては「勝負はオワ(終わっている)」なのであった。

 この判断は、どうやら先手升田幸三が正しかったようだ。

 しかし、ほんとうに、もう、後手が有利になる(せめて互角に戦える)分かれは、理論的にもないのであろうか。
 それを研究してみた。

升田木村戦51手
 この図は、後手木村の9四歩に、先手升田が1六歩と端歩を突いたところ。
 このタイミングで7四歩はどうだろう?
 本譜は、木村は1四歩と端歩を受けた。この端歩突きは後手にとっても有効手に違いはないが、しかし結局のところ、まともに指しすすめてもどうも後手にとって良い分かれにはなりそうもない。
 ならばここで7四歩と戦いにするのはどうか、ということである。

変化7四歩図1
 後手はどこかで、7四歩と勝負するしかない。そうでなければ、永久に8四金が使えず“金落ち将棋”になってしまう。それならここが一番ましでは?と我々は考えたのだ。
 というのは、金がまだ3三にあるからだ。先手は1六歩の後、次に4七金としたが、そうなるとその次に3六歩と位を奪還されると困るから、3四金と出るしかない、すると金がうわずって陣形が弱体化して、さらに勝負ができにくくなる。それでも、結局は後手は、今述べた通り、7四歩から勝負することになる、そういう将棋なのだ。つまり、先手が4七金と上がる前に、7四歩と行くのはどうかということだ。
 もう一つ、先手は飛車をいずれ6八に引きたい。その方が、後手からの7四歩に対応しやすいからだ。だが今はまだ6六にいる。
 そうしたことを考えると、後手が7四歩と動くなら、ここが最も条件が良いのでは?

 というわけで、ここからの7四歩(変化7四歩図1)を研究してみたのである。

 後手7四歩に、先手はどう対応するのか。
 有力なのは【A】7四同歩と、【B】9七角だ。

 【A】7四同歩に、同金なら、7五歩、8四金と収めておいて、4七金、3四金という展開でも先手が指しやすくなりそうだ。そこで【A】7四同歩、同銀を考える(次の図)

変化7四歩図2
 6八飛、7五歩、6七銀、6三銀という展開が予想され、これなら後手は8四金の活用にめどが立つ。さらに4五歩、7四金、5六銀となって――次の図。

変化7四歩図3
 こんな戦いになる。ソフト「激指13」の評価は、「+185 互角」
 以下8六歩、同歩、同飛には、4四歩、同銀、4五歩、5三銀、7七角とする。そこで8九飛成なら、8八飛で飛車交換となる。こうなると先手良し。(よって、7七角には8二飛となりそう)
 また、図で、後手4五歩には、3三角成、同桂、6四歩、同銀直、同飛、同金、3四銀という狙い筋もある。
 「互角」でも、しかし先手勝ちやすい将棋か。 

変化7四歩図4
 次に、7四歩に、【B】9七角(図)の場合。以下、9五歩、7四歩、同金、7五銀、同金、同角、7四銀打(次の図)

変化7四歩図5
 ここで先手に3つの候補手がある。〔イ〕5三角成、〔ロ〕6四角、〔ハ〕9七角の3つだが、ここでの最有力手は〔ロ〕6四角ではないかと思うので、その先を調べてみる。
 〔ロ〕6四角、同銀左、同歩、同銀、9五歩、6五歩、9六飛、8六歩、同歩、7八角、9四歩、9二歩、7七桂、7六歩、8五桂、7七歩成(次の図)

変化7四歩図6
 この図もソフトの評価は「互角」。(激指評価:「+70 互角」)
 ここから先手には9三歩成、同歩、9二歩、同香、9四歩(同歩なら9三歩)という手段がある。

 これらの変化なら、後手も戦える感じはある。ただし後手の陣形はうすいので、やはり先手のほうが勝ちやすい将棋とはいえるだろう。

升田木村戦53手
 △3四金 ▲6八飛 △3三桂 ▲5六歩

 さて、こうなった。先手は4七金(図)と上がった。次に3六歩、同歩、同金とされては後手わるいので、3四金と位を守る。
 次の6八飛も先手が指したかった手。先手には有効手が多い。


升田木村戦57手
 △7四歩

 このまま決戦になると後手が困る。それでも、後手木村義雄は、ここで7四歩とこの歩を突いた。上でも述べたように、後手が8四金を使おうと思えば、どこかでこの7四歩を突くしかない。
 で、木村名人はここでの7四歩を決行したのだ。

 図で、「激指」評価は「+218 互角」で、最善手は5二銀、次善手7四歩と示している。

 そして形勢はここから、さらに先手側に傾いてゆく。

 升田幸三の序盤感覚は、ずっと前から、こうなることを見越しているわけである。だからもう自分が優勢と信じている。
 しかし木村名人のほうは、まだ対局中は、自分のほうが指せる、と思っている。(後で振り返って、あの9四歩の緩手のために、模様の良かった将棋がこのあたりでは互角になった、と見解を修正したのであるが)
 木村陣は、もしも8四の金が5二にあれば、それなら「互角」といえる将棋だった。(それならむしろ後手良しかもしれない)

 ところで、この図から、もし後手がここで「形勢不利」を自覚し、7四歩と突くとさらに悪くなると考え、5二銀~4三銀のように指すとどうなるのだろう。つまり「へたに動かず待つ」ということに徹するのだ。
 それを研究してみた。
 5二銀、6六角、4三銀、7七桂、4二角、8六歩、同歩、8八飛で、次の図。


 すんなり8六飛が実現すると先手優勢。飛車交換は先手有利なので強気に指せるのが大きい。
 後手は6二銀(角道を通す)が考えられるが、8六飛、7四歩、8八飛、8六歩、同飛で、先手良し。
 しかし図では、6七歩という工夫の一手がある。これは同銀と取らせ、7四歩、8六飛、8五歩という意味。
 だが、6七歩に、それでも8六飛がある。以下6八歩成、8八飛、8六歩、同飛、8三金、8八飛で、次の図。


 先手有利。6九とに、8四歩、同金、7四歩と攻めていけそうだ。
 こうした戦いになると、8筋の後手の金が負担になっているのがわかる。

 後手が7四歩を突かずにおとなしく指していると、このようになる。私たちアマチュアのレベルならともかく、プロ棋士がこの展開では、勝ち目がなさそうだ。


升田木村戦58手

 木村名人は、58手目、7四歩と突いた。


       part40につづく
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終盤探検隊 part38 升田幸三 “南海の月”

2015年09月18日 | しょうぎ
木村升田戦6手

    [升田幸三が死にかけた話]
 高熱にうなされて、そりゃ苦しいもんです。なんかこう石垣の間にでも押し込まれたようで、息苦しいのに息ができん。必死に抜け出そうと、脂汗を流してもがく。それがあるとき、急にスーッとらくになる。神経が作用しなくんるんで、これがいわゆる危篤の状態なんですね。
「鬼才・升田幸三五段倒る」
という原稿を用意し、あとは何日の何時何分に死亡と、数字だけ入れればいいようにしとった。
 先生(注;師匠木見金治郎)はあらゆる神仏に祈願をかけ、いよいよダメだと聞かされると、
「升田こそはと頼みにしとったのに、わてほど不幸なものはおまへん」と、大声で泣かれたという。広島から母と兄もかけつけましたが、兄はすっかり観念し、
「幸三よ、成仏せいや、成仏せいや」
と繰り返すばかり。
 そんな中で、母だけが望みを捨てなかった。医者にすがりつくようにして、せめて鯉の生き血を飲ませてやってくれ、と懇願した。危篤の病人が飲めるはずもないのに、ともかく鯉の生き血を取って、飲ませようとした。
 私が奇跡的に命をとりとめたのは、この母の愛としか考えられません。
 もう一つ不思議だったのは、昏睡状態でおる間に、私の脳裏に、汽車で乗ってくる母の姿が鮮明に映ったことです。それが一人でなく、見知らぬ五、六歳の女の子を連れておる。
 意識が戻って目をあけたら、その女の子が母のそばにちゃんとおるんだ。一番下の妹で、名前は芳子だという。ぜんぜん知らん顔の子が、無意識のうちにはっきり見えるんだから、肉親の情ってのはおそろしい。
 そういえばおなじ時分、海軍に行っとる二番目の兄から、
「幸三になにか変わったことはありゃせんか」
と、田舎に電報があったそうです。私が苦しんどる夢を見た、いうて。
 念力ちゅうのは、確かにあるんですな。とくに肉親には、他人にはわからんテレパシーってものがあるんだと思う。
                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)


 この高熱で倒れ死にかけた話は、升田幸三が19歳の時の話。

 升田と木村義雄名人の初対局はその2年後21歳の時で、場所は大阪、名人が大阪の関西社交クラブ将棋部に師範代として招かれたときに組まれた対戦。木村名人の「香落ち」である。升田は六段だった。持ち時間はわからない。
 木村義雄は34歳、まだ名人になって1期目であった。次の第2期の名人戦の挑戦者を決める「名人リーグ」が進行中だったが、このリーグには70歳の阪田三吉も参加していた。阪田は升田青年に目をかけ、応援してくれていたそうだ。「あんたの将棋はええ将棋や。木村を倒すのはあんたや」
 あの「南禅寺の決戦」(木村義雄-阪田三吉戦)は1937年のことで、木村義雄の名人襲位は翌1938年のことである。木村はだからこの対局時、ピカピカの大スターであった。
 この1939年の香落ち戦は、升田幸三が快勝した。「香落ち」で勝ったとなれば、「平手」でどうかということになる。「平手」となれば、“同格”に近い実力をもつと認められたことと等しい。
 しかし対局が終わった時、木村名人は余裕の態度だったという。そのことがまた、升田は気に入らなかった。木村名人はこうも言ったという、「負けたって、たかが座興じゃないか。」
 (その将棋の記事→『無敵木村美濃とは何だったのか3』)

 升田幸三が木村義雄名人に「平手」でついに対戦することになったのは、その4年後の1943年である。4年、かかっている。
 この間に、3年間、升田幸三は兵役に就いている。(これがなければ、おそらく升田は八段にまでなっていたのではないか)
 上にあるような急性肺炎の体験をし、健康面で少しばかり不安のある状態でもあったため、升田青年は「補充兵」であり、本来ならばこの兵役も1年くらいで帰されるところだった。ところが、“軍医のエラいの”に将棋の大好きなのがいて、除隊が延期され、だんだんと健康面でも元気になってきて、ついに丸3年を軍隊で過ごすことになってしまった。内地勤務なので危険な目にあうことはなかったが、軍隊生活で精神的には、だめになってしまったという。
 この間に、将棋も弱くなってしまって、将棋観と闘志とを取り戻すのに半年かかった。
 もしこの3年間の兵役がなかったら、当時無敵にちかい状態の升田であったから、八段まで昇り、八段になれば、名人挑戦権を争う「名人戦リーグ」にも参加できていただろう。それを勝ち抜けば、名人挑戦だ。名人は木村義雄である。
 3年間の軍隊生活の間、升田は新聞欄で、弟弟子の大山康晴の将棋や、木村名人の将棋も見ることができた。大山の昇段は嬉しかったし、木村名人が名人位を防衛し続けていることも嬉しかった。自分が木村を倒すまでは、名人でいてくれなくては困るのである。
 それにしても升田幸三の木村義雄へのこだわりは、阪田三吉が「木村を倒すのはあんたや」と魔法にかけたせいなのだろうか。あるいは、“闘志”に火を点けないと人生を面白く感じられない、元々そういう性質なのかもしれない。
 当時の名人戦は2年で1期である。1940年の第2期名人戦七番勝負の挑戦者は土居市太郎、1942年第3期は神田辰之助、木村義雄はいずれも強さを見せつけて、名人位を防衛した。“不敗の名人”であった。
 土居市太郎――升田幸三が13歳の時、将棋棋士という道があるじゃないか、と気づかせてくれたのはこの土居市太郎のエピソードを兄の持っていた本で読んだからであった。土居が将棋で身を立てる決心をしたのは、カリエスという病気で脚が不自由だったから。そういう話が書いてあった。そして木村時代の前、実力日本一といわれていたのが土居市太郎である。「日本一」というのが升田少年の心を揺さぶったのであろう。 そして物差しの裏に書置きを残し、升田幸三は広島の田舎を飛び出して行ったのであった。
 また神田辰之助は関西の人気者であったが、この1942年の名人戦で敗れ、その1年後に病没した。

 1943年、ついに木村義雄との対決が実現した。初の「平手」戦である。

 升田幸三はこの時六段であったが、すでに七段に昇段する権利を得ていた。この木村との「平手」戦に勝てば、名人に「平手」で勝って棋戦優勝というわけで、八段に昇段できるのである。八段になれば、「名人リーグ」入りである。名人戦への入口がそこにあるのだ。
 この棋戦は朝日番付戦という棋戦で、東の優勝者が木村義雄、そして西の優勝者が升田幸三、その東西の優勝者が決勝で闘うというしくみである。持ち時間は各10時間。今度は、勝った後「座興じゃないか」などと言えないはずだ。
 だから、升田は、なにがなんでもこの将棋を勝ちたかった。
 なにがなんでも勝ちたい、その将棋は次のようなオープニングで始まった。

 
升田木村戦3手
 ▲7六歩 △8四歩 ▲7五歩(図) △8五歩 ▲7七角 △7二金 

 この将棋は「7六歩、8四歩、7五歩」という出だしである。このオープニングは、今も昔も、使う人がほとんどいない。
 いま、先手で「石田流(早石田)」が流行っているが、それは「7六歩、3四歩、7五歩」という出だしである。 先手の7六歩に、後手が8四歩ときた場合には、石田流はあきらめて、現代では振り飛車党なら、5六歩と突いて、中飛車か向かい飛車をねらう指し方が多い。
 三間飛車にしたいなら、3手目に7八飛と指し、以下8五歩、7七角となって、3四歩には6六歩で角道を止める。状況をみて後で7五歩と突くことを考える――それがふつうの指し方である。
 だが、昔も今も、「7六歩、8四歩、7五歩」というのはほとんどやる人がいない。理由は簡単で、4手目に8五歩と飛車先の歩を伸ばされると、7七角とするしかなく、この形がさえないと、多くの人は見ているからだ。「7五の歩」がねらわれてしまうし、プロ的には「形を決めすぎ」となる。いや、プロでなくても、それはわかる。

 ところが、升田幸三だけは、この形を「わるくない」と見ているようで、時に採用しているのだった。

 升田幸三だけがよくやる戦法といえば「陽動振り飛車」がある。升田幸三は妙にこれが好きで、おそらくは50局くらい「陽動振り飛車」を公式戦で指している。飛車先の歩を突いて、居飛車をやるように見せながら、振り飛車にする戦法だ。(加藤治郎が「陽動振り飛車」と名付けた)

升田幸三-山田道美 1965年
 たとえばこんな形になる。この将棋はこの後、7七金から8八飛と「向かい飛車」になっている。
 この3七玉から2七玉と飛車の頭に玉を乗せるこの珍妙な「陽動振り飛車」、実は大山康晴も真似して採用したことも何度かある。しかし彼らよりも若い棋士はだれも真似しなかった。

〔 7六歩、8四歩に次ぐ三手目、私は7五歩と突いた。これを見た木村名人、内心ムラムラとしたと思う。この戦法は石田流といいましてね、しろうとダマシのハメ手という程度にしか、評価されていなかったんです。なぜそんな戦法を用いたかといえば、名人には『石田撃退法』という著書があり、その本には、
「石田流なんて問題にならん。簡単にやっつけられる」
と説明してある。
 だが私は独自の見解で、石田流とて捨てたもんじゃない、指し方によっては立派に通用する、と変化の手順を研究しておった。それにしても、この重大な一番に、あえて危険な戦法を採用したのは、私が名人に向かって、
「あなたが悪いと断定した石田流で、私はあなたに勝ってみせる、サァいらしゃい」と挑発しとるわけで、のっけからケンカ腰で行っとるんだ。 〕 
                               (升田幸三『名人に香車を引いた男』)


 木村義雄名人との初の「平手戦」に、あえてこれを採用したのだ。
 
 この時代、そもそも「平手」の将棋で振り飛車をやるものはいなかった。「相掛かり」全盛の時代である。振り飛車の天才と呼ばれた大野源一(升田幸三の兄弟子)もまだ振り飛車は始めていなかった。大野源一が振り飛車を始めたのは1950年頃で、プロ棋界全体で振り飛車がふつうに指されるようになったのは大山康晴名人(大野、升田の弟弟子)が振り飛車党に転身した1960年頃からである。
 そういう時代に振り飛車で、しかも先手番(振り飛車は受け身のリアクション戦法なので平手でやるなら後手番がやるものとされ、升田は先手で振り飛車を指すと師匠の木見に叱られたという)、しかも木村名人が「恐くない」という「石田流」である。
 
 升田の7五歩、それを見て、後手番の名人は、6手目7二金である。木村義雄は、ケンカを買った。


升田木村戦6手
 ▲7八飛 △8三金 ▲9六歩 △8四金 ▲8八角 △6二銀 ▲6八銀 △5四歩
 ▲6六歩 △4二銀 ▲6七銀 △5三銀左 ▲7六銀 △3一角 ▲6五歩

 この木村名人の7二金は、石田流退治の金上がりである。この後、8三~8四~7五と金を進出させ、升田の3手目7五歩を「悪手」にしてやろうという、そういう手である。だとしても、6手目に、つまり「居玉」でというのが、名人の“気持ち”を感じさせる。升田の闘志を受けて立った、そういう熱い手なのである。
 対局場は、大阪だった。

大内延介-中原誠 名人1 1975年
 ちなみに、こういう金上がりは昭和の時代によく見られた。若き日の中原誠(十六世名人)は、三間飛車に対してのこういう棒金戦法を得意にしていた。たとえば、1975年の「大内延介-中原誠」の名人戦七番勝負の第1局がそうであった。(この第1局は後手大内勝利。大内延介名人戦初登場初勝利の一局となった。)
 あの1937年「木村義雄-阪田三吉戦」(南禅寺の闘い、阪田の2手目9四歩が有名)では、後手番阪田の振り飛車(向かい飛車から3五の位取り)に、先手の木村義雄は左金を5八~4七~3六とし、この金を攻めに使っている。これも同様の位取りに対する反応である。(『南禅寺の決戦4』)
 振り飛車に対するこうした金上がりは、木村名人の“本気の証し”なのかもしれない。

 この6手目7二金の図は、若き升田幸三の闘志が、木村の闘志を呼び込んだ、そういう面白い図なのである。


升田木村戦21手
 △6四歩 ▲4八玉 △6三銀

 序盤から、これはもう、「勝負どころ」を迎えている。
 焦点は、升田の「7五」の位(くらい)である。この位を、後手は奪おうとしている。玉を囲うこともせず、左の銀を4二~5三とし、角を3一に引いた。ねらいははっきりしている。銀を6四に出て、7五銀とするねらいだ。
 ということで、升田は21手目、6五歩。
 6五歩を突くと、6四が争点になる。すると先手は、7筋と6筋の両方を守らねばならなくなり、負担が増える。しかしそういうことを承知の上で、研究して、升田はこの将棋を選んでいるのだ。木村名人の「7二金」からの棒金を見た時、升田は、やっぱりそう来たか、と思ったのだろうか。
 21手目6五歩の、この手では、4八玉とし、6四銀に、9七角とするのもある。そこで9四歩なら、6五歩、5三銀、8八角となる。その場合も結局は6五歩を突くことになる。


升田木村戦24手
 「居玉」のまま、金銀3枚と角でもって、「7五」の位(くらい)を奪取しようというのだから、後手も相当“本気”である。
 この局面図、実は、『将棋世界』の鈴木宏彦氏の「新・イメージと読みの将棋観」で採り上げられたことがあるのだ。
 ところが現代プロ棋士の評判は先手側にきびしい。たとえば佐藤康光は、「先手が押さえ込まれそうで自信がない。そもそも▲6五歩とつっかけるようでは自信がない。この局面は先手が忙しい。」という。森内俊之も、「形勢は後手良し。先手勝率イメージは45パーセントくらいです。」という。

 面白いのは、升田幸三ただ一人は、「これで先手有利じゃ」と考えていることである。

 つづきは「part39」で。


 ところで――
 21世紀の将棋観では、「三間飛車位取り」に対しての後手のこの「棒金」(7二~8三~8四)は、あまり好まれないと思う。今は金銀をできるだけ上がらないで戦うという傾向になってきている。
 ではこの「三間飛車位取り」にこられたら実際にどう対処するのがよいか。「棒金」はその答えの一つなのだが、それをしたくないなら、どうすればよいか。

大山康晴-中原誠 名人1 1972年
 こういう風に組むのが良いですよ、と、やはり、『将棋世界、新・イメージと読みの将棋観』の中で郷田真隆がこの図を示してくれていた。24歳の中原誠が49歳の大山康晴に挑戦し、4-3で名人位を奪取した歴史的名人戦七番勝負の、その第1局の将棋である。5四歩と5筋の歩を突く前に先手が7五歩とすると、後手に5四銀型にするという選択肢ができるわけだ。
 郷田によれば、これで後手有利なのだという。実戦も後手中原が勝利している。
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終盤探検隊 part37 阪田三吉 “夢の角”

2015年09月14日 | しょうぎ
 「夢角の局」と呼ばれる1920年「金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦」の140手目の図。
 これが敗着となって、金は敗れ、149手で阪田が勝った。7日間、65時間を要した激闘であった。


    [冴えた心に月宿る]

 心というやつはコロコロと転げるので、ココロやそうだが、全く妙なもので、瞬くうちに鬼にもなれば、仏にもなる。瓢箪から駒が出たり、地獄、極楽から人間界を転がり廻ってやっと落ち着くことができた。そのうちにだんだん心が澄んでくる。濁った米のとぎ水をきれいな流れがスーッと洗い清めていくように、心のうちが冴え冴えしてきた。冴えた心に月宿るで、心が冴えてくるにつれて、不思議に先の手が読め出した。何百手の先の先まではっきりと。
 妙手というものは、自分で考えたものと違う。そんなよい手は自分で打てるものではない。口ではたやすく言うものの、妙手が二日や三日考えて考え出せるものではない。一代考えても、妙手というものを考え出せずに死んでいく将棋指しすらあるのに、仮にも何十手、何百手という先の先の詰め手まで、一夜のうちに考えられるのは、自分の力じゃない。
                                        阪田三吉   
                            (中村浩著『棋神 阪田三吉』より)


 上の図面は、140手目金易二郎(こんやすじろう)が、この勝負の敗因となった「6八歩」と打ったところ。下手の玉の“詰めろ”を受けた手だが、7八金、同玉、6七歩、同玉、5八角からの寄せがあった。こういう結末で、149手で、7日間65時間にわたる対局が、阪田三吉の勝利で終わった。
 この140手目、金は7九金打と受けるべきだった。それで下手が勝っていた将棋だった。
 この将棋は119手目に自陣の守りのために打った119手目「7一角」が、阪田自画自賛の「名角」であり、それを夢を通じて天から授かったというので、「夢角の局」と呼ばれている。

 それでも、最後に勝負を決めたのは、「夢の角」ではなく、この140手目に「6八歩」を打った易二郎の“ポカ”であった。

 この「140手目6八歩の図」をあらためて眺めるてみると、なんだか「名月」を眺めている気持ちになってきた。最終盤の、勝負のさ中の激しい局面のはずなのに、下手と上手の駒の調和がとれていて穏やかな美しさを持った図のように思えてきた。
 下手の「8八玉・7八金・6八歩・7七桂」の並びと、上手「8二玉・7二金・6二香・7三桂」の並び――。下手の5三角と、上手の4四角――。

 我々は終盤探検隊として、ソフト「激指13」の力を借りて、この「金-阪田戦」を調べてきた。
 あの“夢の角”は、どの程度の「名角」なのか、というのがテーマなのだが、また、そもそもが「7一角」が阪田三吉のいう“夢の角”なのかさえ、阪田三吉の残した言葉が矛盾だらけで、確定してはいない。
 謎だらけである。

 謎は、金易二郎の側にもある。
 この対局、金易二郎は「一手に8時間」の大長考をしたという。それにもまた、どうやら二つの説があって、確定されていない。(この話は後でまた)
 140手目、「6八歩」が“ポカ”で、金は敗れた。
 なぜ、「6八歩」と金は指したのか。なぜ7九金打と指さなかったのか。これこそが最も重要な“謎”なのだが――
 ――と、それを探ってみても、そこに理論的な答えはないのだ。“ポカ”は“ポカ”、正しい答えなど、存在しない。
 そして、だから、面白い。

 “ポカ”こそ、実は将棋の「華」なのである。どんなに追いかけてみても、たどり着けない“謎”がそこにある。

 だから、この「140手目6八歩の図」は、この名局の味わい深いハイライトシーンなのである。



 今回の報告が、この対局の棋譜調査の最終回であるが、もう一度この将棋を眺め、補足と修正をし、まとめとしたいと思う。

夢の角69手目6二角まで
 下手の金易二郎が4五歩と仕掛けたのは60手目。この図は、下手の金が4六銀と銀を前進させた手に対し、阪田が6二角と応じたところ。
 次の手、70手目で、下手の金易二郎は、「4四歩」と指した。
 「4四歩と突き出したのは、指す手がわからなかったからだ」という金の感想が残っているそうだ。
 ここに補足しておくべきと思ったのは、内藤国雄著『阪田三吉名局集』では、この70手目4四歩に、金易二郎が8時間考えたとしていることである。
 〔ここで金七段が深沈と考えだした。 そして、なんと一手に八時間という大長考で▲4四歩とした。〕、とある。
 すでに本報告「part33」で書いた通り、東公平氏は、「8時間の大長考は、124手目3二竜の一手」と考えている。
 内藤国雄著『阪田三吉名局集』と東公平著 『阪田三吉血戦譜』とは、同じ時期に出版されているが、その文章の初出はそれよりも前で、どちらが先だったかはわからない。この「一手8時間の長考」について、おそらく、どちらも決定的な根拠があるわけではないのではと思う。しかし双方とも、この手であると断定しているのだから、何かそれなりの考えがあるのだろう。
 これも本局の謎の一つである。

夢の角98手目3五歩まで
 中盤の小競り合い(阪田三吉の得意とするところ)が続き、上手ペースになっている。
 ここで内藤国雄本は、上手3四歩と歩を合わせるのがよい、以下手順を示し、そう指せば「上手十分」だったと解説している。なるほど、3四同歩なら、同飛で、これが1四香取りにもなっているから、この歩は取れない。
 内藤の『阪田三吉名局集』では、この将棋の序・中盤を細やかに解説している。そこらへんの攻防の中身を知りたい方は、これを読まれることをお奨めする。(終盤に関しては本報告のほうが詳しい)

 図で、阪田は1三歩と指し、「香車」を取りに行った。取った香車を「4三香」と打つ構想を思いつき、それを指したかったということだろう。
 が、結果的には、進んでみると、逆に金易二郎側が「十分」の局面になっていた。逆転したのだ。

夢の角69手目6二角まで
 そしてこの110手目4四角打。
 この手について、内藤国雄著『阪田三吉名局集』は次のように書く。
 〔 阪田はこの手を、楽観気分から軽視していたのではないか。〕

 こうなってみると、上手に有効な手がなかった。
 阪田三吉が旅館に帰って弟子の佃にどうですかと聞かれて「負けや」と答えたというのは、あるいはこのあたりの場面かもしれない。
 そうして、風呂に入って寝床に就き、夜中に目覚めて、将棋盤の上になぜか一枚の「角」があり、電灯の光に冷たく光っていた。「角、角、角と、心にそれを考えながら寝た」
 そうして、翌日、“あの手”を指したのである。

118手目4一飛まで
 <一>6九銀
 <二>5七成桂
 <三>4六角
 <四>7一桂    <一>~<五> 下手良し
 <五>8一桂
 <六>7一銀       上手良し
 <七>7一角(夢の角)  上手良し

 119手目、阪田三吉は、“天から降った角”(7一角)をここで打った。
 本報告「part36」で、我々は、「ここは7一銀でも上手が良いのではないか」、という研究結果を導いた。

 ここで少し付け加えておくことがある。
 7一角に対して、実戦は4七飛成だったが、我々は「part33」で、4五桂、5七成香、5三成桂、同角として、そこで8一金か9三銀をねらうのも勝負手としてはあるのではと、その研究を書いた。
 しかし内藤本を読めば、4五桂に対しては、(5七成香と攻めを急ぐのではなく)5二銀打が示されていた(次の図)

120手目4五桂の変化 5二銀まで
 なるほど。確かにこれは上手にスキがない。これは上手が十分だ。
 2一飛成と飛が逃げれば、そこで5七成香でよい。7一飛成が勝負手だが、同金、4四角に、6二角と受けられて、攻め切れない。
 だから、「7一角」に120手目4五桂は、この手5二銀があるから、下手としてはこれを選べないということになる。

125手目5九角まで
 125手目、阪田は「もう一つの角」を5九に打った。
 “夢の角”と阪田三吉の話には、一致しないところが色々あって、そのために本当にその「天から降った角」というのが、「7一角」のことなのかどうか、怪しくなっている。しかしそれでも、定説は119手目「7一角」が“夢の角”とされている。
 「7一角」と、それからこの125手目の「5九角」と、二つの角打ちを合わせてそれで“夢の角”ということでいいんじゃないか、とも思う。

 また、内藤国雄の解説も、東公平著『阪田三吉血戦譜』の中で本局の解説役をした加藤一二三も、5九角に対し、下手は、(実戦は4五桂としたが)8七金打が良かったのではとしている。
 本報告書「part36」で、それを検討した結果を書いた。これは互角にちかい攻防となるが、一応、「上手良し」となったのであった。

127手目4四角まで
 上の図から4五桂、4四角と2手進んだ図。
 もう一度、考えたい場面がここからの数手である。
 この将棋は阪田三吉の「夢の角」として有名な将棋である。この棋譜をさらっと並べると、4四角と角を好所に出たここから先、上手の“快勝”だったような印象を受ける。だが、実際は、そうではないのである。
 ここから139手目まで進んで、そこで例の140手目、下手の金易二郎が6八歩と失着し、「金が勝ちを逃した将棋」になった。7九金打なら、易二郎が勝って、阪田三吉が負けていた。
 もし、この図(127手目4四角まで)がすでに「阪田良し」なのであれば、いつ、“形勢逆転”したのであろうか? この手から139手までの間に、“阪田の失着”があったということになる。
 ところが、東公平の『阪田三吉血戦譜』にも、内藤国雄の『阪田三吉名局集』にも、“阪田の失着”はまったく示されていないのである。それは、勝負の解説としては、整合性に欠ける。4四角で優位だった阪田が、139手目では負けになった、その理由を示していないのである。
 その前、下手金の指した126手目4五桂を、東公平『阪田三吉血戦譜』では「失着」とし、「8七金打なら…」と書いてある。内藤本では(4五桂を)失着とは断定してはいないが、「8七金打なら――優劣不明だった」というニュアンスで書いてある。
 ということは、4五桂、4四角と進んだこの図では、「阪田良し」と見ているということなのであろう。

 しかし、実戦の棋譜を並べていき、139手目までいくと、「下手勝ち」の図が待ち構えているのである。

 この将棋、「夢角の局」として、阪田三吉が勝利した名局として紹介される。そしてこの将棋は100手近くまでが序・中盤という将棋である。
 そういうこともあってか、東公平本も、内藤国雄本も、終盤解説が淡泊である。終盤はあの「夢角エピソード」も書かねばならぬということもあって、手の解説が少なくなっている。

128手目5五歩まで
 128手目の金易二郎の着手は5五歩。
 もし、阪田にここから後の指し手になんの失着もなかったとしたら、この5五歩と突いた時からすでに下手が優勢で、そのまえからも、わずかに「下手良し」の将棋だったということになるはずだ。
 そうであれば、4五桂(126手目)も、失着ではなく、好手だったかもしれないではないか、この先140手目に金が正しく7九金打と指せば勝っていたわけだから。
 それならば、東公平『阪田三吉血戦譜』も内藤国雄『阪田三吉名局集』も、ここら辺を阪田有利の雰囲気で書いているのだが、それ自体が間違いか、ということにもなってくる。

 我々の調査結果は、すでに「報告part34」に書いたように、ここで阪田三吉の指した次の「129手目6五歩が失着」と見ている。

 4四角(127手目)の図では、形勢を「上手阪田良し」と我々もみるのだが、それは、次に金易二郎が指した5五歩(128手目)以外で有効手が下手に見つからないことと、その5五歩を同角と取ると、「上手の有利が拡大する」と判断するからである。
 この 「5五歩を同角と取ると上手有利」 というのが重要なところで、我々が発見した事実である。これ以外には上手の勝ちはないと考える。それが我々の意見である。

 だから、上手(阪田)の次の129手目6五歩を、「失着」とするのである。(このことは東本、内藤本いずれにも書かれていない)。坂田が6五歩と指したので、そこまで優位だった形勢が、逆に「下手優勢」に転じた。
 調査の結果、我々はそういう答えを得たのであった。

129手目6五歩まで
 ちなみに内藤国雄『阪田三吉名局集』は、この辺りをこう書いている。
 〔△4四角と調子よく出て、角が攻めに働いてきた。▲5五歩は手筋。△同角には▲5八香がある。が、阪田の△6五歩が急所。△7七角成から阪田は寄せに入った。〕

 6五歩が好手であるような書き方になっている。この雰囲気からいくと、当然上手の阪田が勝つ、という流れである。6五歩に同歩なら、同桂で、これは上手が良い。実戦は6五歩に、6四香と進む…。
 実際に阪田三吉が勝ったのだけれど、ほんとうは、「負け将棋になっていたけれど相手のポカで勝った」という内容なのである。
 (ちなみに、東公平『阪田三吉血戦譜』は、この部分についてはなにも書かれていない)

 プロの眼から見れば、下手5五歩に、上手6五歩というこの手のながれは、ごく自然に見えるのであろう。

 しかし、理論的に精査すれば、真実はこの「6五歩が失着」(もし阪田が負けていたらこれが敗着になったという手)で、それで逆転したのである。
 「正着は5五同角」と、我々はそう見ているが、それについて後でもう一度検討し直したい。ここは重要なところなので、もう一度確認したいから。

 阪田は6五歩。そして、6四香、7七角成、同桂、6六歩、6三香成、同銀、5三角、6二香、6六銀、6七金、6八歩と進むのである。

140手目6八歩まで
 金易二郎の指し手は冴えていた。阪田の6五歩を“失着”にしたのは、金がそこから完璧な指し手を続けたからである。
 (このあたりの研究検討は「報告part35」で詳しくやった)
 そしてこの図である。金易二郎が「敗着6八歩」を指した140手目。
 「勝ち」がこぼれていった…。 

投了図
 阪田三吉、勝利。149手。


 阪田三吉と金易二郎の次の対戦は、19年後第2期名人戦リーグでの対戦になる。例の「南禅寺の戦い」で阪田が将棋界に復帰した後の話である(坂田の年齢は69歳)
 これは今でいうA級順位戦リーグだが、名人の資格を有する八段同士なので「平手」の対局である。2年をかけて先後1局ずつを指すというリーグ戦で、この時の対局は、今度は持ち時間に制限はあったが、各12時間(二日制)という、やはり今では考えられない設定だった。(今は最も持ち時間の長い名人戦でも、2日制持ち時間各9時間である)
 その名人戦リーグの「阪田vs金」の対戦結果は、1勝1敗である。
  (→『坂田三吉の横歩取り』)
 この第2期名人リーグでの対局を最後に、阪田三吉は引退した。
 金易二郎は大戦後発足した順位戦制度その第1期のA級リーグに参加した後、56歳で引退した。


【研究其の六;129手目5五同角の研究】

(129手目)変化5五同角図1
 下手の5五歩に、「5五同角」(図)が正着である。実戦はこの手を逃して、そこからは「下手有利」の将棋となっている――というのが、我々終盤探検隊の探査研究の成果である。
 その研究は「報告part34」に記しているが、訂正し、再考を必要とするところがあるので、以下に追記として書いておく。

 「5五同角」(図)に、ここで5三歩なら、6五桂打で上手勝ち。その結論と研究に変更はないが、この図で“5八香”の場合を訂正しなければならない。
 「報告part34」で我々の研究は、5八香には、4六角、5三歩、5五桂、同香、7七角成、同桂、6八金で上手良し、と書いている。
 ところが、内藤国雄『阪田三吉名局集』では、上に紹介したように、「▲5五歩は手筋。△同角には▲5八香がある」として、だから5五歩に6五歩と指した阪田三吉の指し手を当然のように書いてある。
 それを読んで、我々はもう一度この「変化5五同角図1」から5八香以下を、調べ直したのである。
 すると、新しい手が見つかった。

変化5五同角図1
 5五同角に、5八香、4六角――そこで「5三桂成」という手があるのだ。これが“新発見の手”だ。(前の検討では5三歩を検討し上手良しとしていた)
 5三桂成に5五桂だと、この場合は6三成桂とこちらの銀を取る手がある。以下、同銀、6二金で、後手玉は寄り。よって、5三桂成は、同銀しかない。
 「5三桂成」、同銀に、4一竜(次の図)

変化5五同角図2
 この4一竜が、4六の角取りと、9三銀、同玉、9一竜という攻めの、2つの狙いがある。
 これで、下手良し。
 ということで、結論がひっくり返った。

 ということなら、内藤説「▲5五歩は手筋。△同角には▲5八香がある」が正しく、だから5五同角はないということか。しかしもしそうであるなら、これは根本的に形勢判断の見直しが必要になる。その前の阪田三吉の4四角(127手目)のところですでに下手良しだったと考えるしかなくなるし、するとさらに前の5九角(125手目)のところでも下手良しということになるではないか。
 本譜を進むと「阪田負け」に行き着くのだから。

 我々は、しかし、再検討の結果、5五同角、5八香には、7七角成、同桂、6五歩で上手良し、という結論に辿り着いたのであった。

変化5五同角図3
 5八香には、「7七角成、同桂、6五歩」(図)。 これで上手良し。
 それをこれから示す。

 この図で、下手何を指すか? 
 候補手は、[A]5五香と、[B]5三桂成[C]6五同桂。([D]5三歩は、6六歩で上手良し)

 まず[A]5五香。 6六歩、同銀、6七金、7九金打(次の図) 

変化5五同角図4
 「千日手」なら(当時のルールでは)下手勝ち。
 なので、上手は6六金とする。そこで下手がどうするか。
 攻めるなら(m)6四歩、受けるなら(n)6八歩。
 
 (m)6四歩には、ここで上手に好手がある。

変化5五同角図5
 この6五桂打(図)があるので、上手良しになる。
 6八銀の受けに、7七桂成、同銀、同金、同玉、6五桂、8七玉、7七銀(次の図)

変化5五同角図6
 これで上手勝ち。

変化5五同角図7
 (n)6八歩と受けた場合。
 ここで上手6七歩も有力だが、この図では、7七金と、ここをすぐに攻めていくのがわかりやすい。
 以下7七同金に、6五桂打、8七金、7七銀、同金、同桂成、同玉、6五桂打、8七金、7七金、9八玉、6八金(次の図)

変化5五同角図8
 細い攻めに見えるが、これは受けにくい。5五の香を補充する手もあり、上手良し。
 図から8八金なら、7八金で下手は困っている。
 今の手順の途中、9八玉に代えて9七玉には、1七飛成、6七桂、1九竜とし、6九銀、同竜、同金、8八銀、9八玉、5五歩(香を取る)で寄り。

変化5五同角図9
 5八香に6五歩としたところまで戻って、そこで[B]5三桂成とする場合。
 対して6六歩なら、6三成桂、同銀、6二金で、逆転して下手が勝てる。
 [B]5三桂成には、だから同銀だが、6一銀、7一金打、7二銀成、同銀、6三金、6六歩(次の図)

変化5五同角図10
 7二金、同金、6三銀、4二金(次の図)

変化5五同角図11
 これでなんとか受けきって、これは上手良し。
 図以下、7二銀成、同玉。 以下3一竜、4一歩が予想されるが、下手からの攻めの手段が息切れするので、この図は上手良し。
 ただし、7二銀成、同玉の後、そこで7一角という勝負手がある。これを同玉と取れば、6三金、8二玉となるが、これは形勢不明である。
 7一角には、しかし、6二桂が安全な手(次の図)

変化5五同角図12
 ここで5五香と角を取る手が上手玉の“詰めろ”になっているが、7一玉で問題ない。以下、3一竜、4一歩、6三金に、7二銀で、下手の攻めはそれ以上続かない。
 上手は、6七歩成が楽しみだ。 上手優勢。

変化5五同角図13
 上手の6五歩に、[C]6五同桂(図)を3つめに調べよう。
 これは同桂、5六金と進む。(下手6八金打と受けるのは、8五桂、同歩、8六桂があって、上手が良くなる)
 これはなかなかの手で、上手も正確に指す必要がある。
 3七角成だと、6五金。これは下手良し。
 だから7七金、同金、同桂成、同玉、3七角成が有力だが、8五桂が好手で、以下5九馬、6八金、6四桂、4六角と進めると、これは下手良しの調査結果となった。

 この図で上手に好手があった。7五桂である(次の図)

変化5五同角図14
 この7五桂(図)がなければ、この変化は下手良しとなるところだった。
 7五同歩に、7六桂と打つ。同銀なら、7七金、同金、5八竜、7八金、7七香で寄る。
 よって、7六桂に、9七玉だが――素晴らしい決め手がある。
 ここで7七桂成、同金、1九飛成が決め手となる。(次の図)
 
変化5五同角図15
 上手勝ち。以下、9八香には、8九竜、7六銀、9五歩で上手勝ち。
 5五金には、9九竜、8七玉、7五歩で、まだ少しあやはあるが、上手の勝てる将棋である。
 (この変化は、きわどい変化だった)

変化5五同角図15
 これは5五同角に、5八香、7七角成の図。これを「同桂」を本筋として調べてきたが、「同玉」ならどうなるか。この変化も気になるところだ。
 以下、5七金、6九金(次の図)

変化5五同角図16
 6九金が粘り強い手。(代えて5七同香は6五桂打~5七桂成で上手良し)
 対して6七金、同金、6五歩は、5五香、5八銀、同金、同飛成、6八金打となるが、これは「互角」の形勢。
 ここでは5八金が好手。同銀(同金は6五歩で上手良し)に、6五香がある(次の図)

変化5五同角図17
 この手では6五桂打もあるが、この6五香が優る。ただし、6五歩ではまずい、それは5六金があるから。6五香に5六金は、6六香、5五金、6九香成、同銀、5五歩で、上手が良い。6六香~6九香成があるのが、6五香の意味。
 よって、6五香に6七銀打と受けるが、6六香、同銀、6五桂(次の図) 

変化5五同角図18
 6七玉なら、6六角、同玉、4八飛成。8七玉には、6六角、7七香、4八角成。
 「上手良し」。

 ということで、やはり結論は次の通りになる。

変化5五同角図1
 「金易二郎-阪田三吉戦」は、129手目、上手は5五同角が正着だった。これ以外に、ここでは上手が良くなる手はない、というのが、我々の得た結論である。

 しかし実戦は129手目6五歩だったので、すんなり上手の阪田三吉が有利のまま勝ったという将棋にはならなかった。「勝ち」はいったんは下手金易二郎の手に渡ったのだった。それが、下手の“ポカ”(140手目6八歩)で再逆転、結局勝利は阪田に―――という将棋であった。
 下手の金易二郎の128手目の5五歩が良い手(勝負手)だったのである。ここはそれほど微妙な形勢だったわけで、5五歩、6五歩の瞬間に、形勢逆転して「下手良し」に変わったのだ。

 あの7一角(119手目)が“夢の角”だとして、なんとなく、その“角”によって、終盤は阪田三吉が圧倒したような、そんなイメージのあったこの将棋の最終盤の20手の中身は、これほどの「コク」のある濃い内容だったのである。


 時は流れて―――

中原誠-内藤国雄 棋聖4 1970年
 中原誠(十六世名人)は金易二郎の孫弟子である。金易二郎―高柳敏夫―中原誠というライン。
 あの1937年「南禅寺の決戦 木村義雄-阪田三吉戦」の記録係を務めたのが、高柳敏夫少年であった。
 そして内藤国雄は、阪田の孫弟子である。阪田三吉―藤内金吾―内藤国雄のライン。
 その二人がタイトル戦で激突したのが、1969年度後期棋聖戦五番勝負。(当時の棋聖戦は前後期の二期制)
 これはその第4局。図の7五歩で内藤が優位に立ち、そのまま後手が押し切って、内藤国雄が3勝1敗で初タイトルを奪取したのだった。
 先手中原の敗着は、どうやら図の前で、7九玉~5八金とした手だったというから、この後手の戦法の優秀さがわかる。図の7五歩が、中原の見えていなかった攻めだった。同歩なら、5四角で、以下、6六歩、2六歩、2五歩、同桂、2六飛に、3七桂成で、後手が良い。
 内藤国雄の「横歩取らせ3三角戦法」。 この戦法そのものは内藤の創始ではないが、内藤はこの戦法にいろいろな工夫を加え、攻め筋を開発し、ファンを魅了した。このシリーズ以来、それは「内藤流空中戦法」という名前をもって呼ばれるようになった。
 図の2三銀型からの2六歩以下の攻め筋、7三銀から7五歩~6四銀という攻め筋、そして横歩取りでの5四飛という手、それらはすでにこの頃、内藤国雄が指していたのである。


谷川浩司-中原誠 名人1 1985年
 金易二郎の孫弟子、中原誠と、その中原に次ぐ、十七世の永世名人の資格者となる谷川浩司との対戦が、1985年名人戦七番勝負で実現した。
 谷川浩司は、阪田三吉―藤内金吾―若松政和―谷川浩司というラインで、阪田のひ孫弟子ということになる。
 この七番勝負は、4-2で、挑戦者の中原誠が名人位に復帰するという結果となった。谷川浩司は、第1局、第2局に、いずれも形勢の良い将棋を築きながら、相手中原の玉を仕留めきれず落としたのが痛かった。
 図は、第1局の将棋で、次の手が159手目になる。何度か寄せを逃して捕まえそこなったが、これがその最後のチャンスだった局面になる。
 谷川はここで5五角とし、中原は1九銀。これでもう、中原の玉は寄らなくなった。そこから谷川も入玉を目指したが、わずかに「駒数」が不足し、中原の勝ちとなった。
 ここは9一角なら、まだ谷川に勝ちがあった。これなら、1九銀には、3七角成がある。谷川は9一角には6四銀で面倒とみたのだろう。谷川浩司は入玉将棋が苦手と言われるが、それはこの将棋から始まったのかもしれない。このあたりはもう嫌気がさしていて読みが雑になっていたのではないだろうか。
 9一角、6四銀、6三角成、5五銀打、5六歩、3八飛、7七玉、3九飛成――、まだまだたいへんな将棋だが、以下、5五歩、7九竜、7八桂、9六桂、2七馬なら、先手が勝ち将棋だった。
 この第1局の内容と結果が、シリーズに大きく影響しているように思われる。
 また、この名人戦の決勝局となった第6局は、歴史に残るあの「相掛かり中原の4五桂!」の将棋である。
     (参考→ 『中原の、桂』)


 以上で、1920年「金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦」の終盤探査を終了とする。
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終盤探検隊 part36 阪田三吉 “夢の角”

2015年09月12日 | しょうぎ
 「夢角の局」と呼ばれる1920年「金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦」、その125手目。
 一般に、阪田三吉の“夢で天から降った角”というのは、119手目「7一角」とされているが、もしかしたらこの「5九角」の可能性もある!?


    [向こうの王の前に角をポンと投げた]

 あくる朝、目が覚めると、佃が前日までの指し手を調べてみようとしきりに勧めるので、とにかく駒を並べてみた。そして「ここに一手こんな良い手があるがナ」と言って、ゆうべ思いついた角を王の前にポンと打った。それは実に突拍子もない角である。破天荒な横紙破りの前人未到の角である。(中略)

 その角は破天荒なよい角ではあるが、その時の形勢はそれを打ってもなお一手負けという勘定になる。しかしそれは対手が将棋の本質を行った上での勘定である。対手がその角をどう扱うか、角を打たれてどう出るか。それに満腹の興味を抱いたのだった。

 さて行ってみると、先方はもうちゃんと来ている。旗色がよいと思うから、みんなニコニコしている。いよいよ続けて指すことになり、ズンズン駒を進めて三十分ほどしてから、自分は向こうの王の前に角をポンと投げた。その時、金さんはもとより脇の連中もみんな一緒に、エッと言って顔色を変えた。突拍子もないところへ大胆不敵な角を打たれたので、びっくりして飛び上がったのだ。これがために局面が変って、とうとう危ないところで勝つことができた。
 
 しかし、それは自分の力じゃない。自分が勝ったものと違う。その手は天から降ったものだと思っている。
                (中村浩著 『棋神阪田三吉』より)


 この中村浩著『棋神阪田三吉』の中に、おそらく元本に忠実で、その全文の写しと思われる文章が載っていた。
 これによれば、やはり「角」の駒は、「電灯の光で冷たく光って」とある。(月の光ではない)
 面白かったのは、夜中に目が覚めた時、阪田三吉は、「気がつくといつの間にか飛び起きたのか、床の上に坐っている。こりゃ不思議だと思って、横を見ると」とあり、それで将棋盤の上に“角”があったというのだ。寝ていたのが、「いつのまにか坐っている」とは、たしかに相当に不思議な出来事だ。

 しかしこの文章、まじめに読めば読むほど、“夢の角”があの「7一角」(119手目)でよいのか、わからなくなる。
 「向こうの王の前に角をポンと投げた」とは、どういうことか。

 この問題は、後で。


 今回は、残されていた課題(2つ)について、その研究成果を書き記す。


【研究其の四;126手目で8七金打と受ける手はどうか】


変化126手目8七金打

夢の角125手目上手5九角まで
 これは125手目、阪田が5九角と打ったところ。金の次の手は4五桂だった。
 この4五桂に代えて、7五歩の攻めや、5一金の攻めは、7七角成からの攻めが強烈で、下手勝てないということはすでに書いた。
 しかし、では、ここで受けるのはどうだろう? ―――ということで――

(126手目)変化8七金打図0
 8七金打である。(この手で5八香や8七金寄はうまくいかないことは「part34」で確認した)
 『阪田三吉血戦譜』では、加藤一二三がこの4五桂で「8七金打」とすべきところと指摘している。
 また、内藤国雄著『阪田三吉名局集』を確認すると、やはりこの点に触れていて、それなら「優劣不明であった」と書かれている。
 8七金打、3七角成、7五歩と攻めれば大変な勝負で、「むしろ下手が良いのではないでしょうか」というのが加藤一二三の言。

 その手(8七金打)の価値をこれから確かめてみよう。

 ここで上手は、2択。 【X】3七角成と、【Y】7七角成とがある。

 【X】3七角成、7五歩というのが、加藤一二三および内藤国雄の示す順。

 以下、4二歩。

変化8七金打図1
 4二同竜、5三角、3二竜。
 そこで上手としては6五歩と行きたいが、以下、7四歩、7五桂、7三歩成、同金、8五桂の攻め合いを調べた結果は、下手良しになった。そこで一旦は攻めたい気持ちを抑えて4二歩。
 そこで下手はどう指すのがよいのか、難しい。
 そこで4三歩もあるが、7五歩、4二歩成、7六桂で、下手良しにはならなかった。

 それで、次のように進めてみた。
 7四歩、同銀、7五歩、6三銀、7六香、6五歩(次の図)

 このあたりは変化が多岐にわたる。7四歩とせずに、2一竜は、7五歩とされ、次に7六桂をねらわれる。それで7四歩~7五歩として7五の位を確保したのだが、しかしすると上手の7筋の歩が切れたので、7六歩、同金直、8四桂という攻め筋ができる。これがいやなので、7六香と打った、というような意味がある。
 次の6五歩が上手期待の手で、これで7五に角を働かせ、同時に3七の馬を自陣に利かせた。さらに6筋を攻めるという一石三鳥の手。

変化8七金打図2
 このあたり、どうも下手が思いどうりには攻めていけておらず、あれっという感じがある。
 2一竜、6六歩、同銀、8四桂、7四歩、同銀、同香、7六歩(次の図)

変化8七金打図3
 図以下、7三香成、同金、6七金寄、6五歩、同銀、7五桂…、この玉頭戦はの攻め合いは、どうやら「上手良し」になる。
 図で、7六同金と清算するのも、同桂、同金に、“8四桂のおかわり”があって、やはり下手が不利なようだ。
 7筋の攻めが逆手にとられてしまった。下手は金銀4枚で守っているので堅いのだが、上手の1八飛の横利きが止まらないままなので、いったん崩れ始めるとすぐ負けになる。

 このように、我々終盤探検隊の調査では、「8七金打」に【X】3七角成の変化は、「上手良し」の結論が出た。

変化8七金打図4
 【Y】7七角成と、角を切って敵の玉をうすくするのも、上手有効な手である。
 7七同金左に、5七金がねらい。
 そこで下手は、5一角。

変化8七金打図5
 この5一角の手で、4五桂などでは、上手から8五桂打という手があって、下手陣が崩壊してしまう。5一角と打っておけば、8五桂打には、7三角成、同金、8五歩となって、これは下手良しになる。そして条件がそろえば、7三角成、同金、8五桂を決行するねらいがある。
 そこで上手は4四角。間接的に玉をねらう。対して4五歩では、6五桂打、4四歩、7七桂成で下手が悪い。
 下手、6九香と受ける。以下、6七金、同金、5八銀。
 このとき、〔1〕6八金引と、〔2〕6八金打がある。
 〔1〕6八金引には、5七桂(次の図) 

変化8七金打図6
 これは受けにくい。なので攻め合いたい気分だが、ここで7三角成、同金、8五桂を決行するのは、6九銀不成で、これは上手良し。
 (ここで5八金、同飛成、6八金打、4八竜の展開も考えられる。上手やや良しとみる)
 そこで4一銀と打つ。これを同銀なら、そこで7三角成とすれば、下手勝つ。
 よって、上手は、6六角。王手。
 下手は7七金打。6九銀成、6七金直、そこで4一銀。(このタイミングなら、7三角成は、同玉で、下手に攻め駒がないので攻めが続かない)
 4一同竜に、7九銀、9七玉、8四角(次の図) 

変化8七金打図7
 まだ簡単ではないが、形勢は「上手良し」。
 この図から6一銀、7一金、5二銀成が考えられるが、6八成銀が間に合うようだ。

変化8七金打図8 
 〔2〕6八金打には、6七銀成と金を取って、同金直に、4一金(図)と打つ。
 以下、7三角成、同金、3四竜、6二角。
 そこでどうするかだが、4四歩と攻めてみる。4二歩と受ければ、2三とと、と金を活動させていくつもり。
 一旦は4二歩と受けるのもあるが、上手はチャンスと見て、5八角(次の図)

 変化8七金打図9
 この5八角に6八金引なら、8四桂がぴったり。
 6八香、6七角成、同香、5七金、7九桂、7五歩の進行が想定される。
 7五歩が好手。この7五歩を同歩は、6八金、同金、同竜、7八金合の時に、7六桂と打たれて下手玉が寄ってしまう。
 なので4三歩成。
 上手は、ねらいの8四桂(次の図)

変化8七金打図10
 ここで<a>8七玉と、<b>8五銀が考えられる。どちらの変化も、「上手良し」となった。
 8四桂と打ってこの桂馬が有効に使えるようになると上手ペースになるようだ。
 ここでは<a>8七玉を紹介する。(<b>8五銀の変化は省略する)
 <a>8七玉は、7六桂、5二と、同金、3一竜、5一金、3三角、4一歩、6五歩、7四銀、6四歩、6六歩(次の図)

変化8七金打図11
 6六同角成、6八金、4八銀(銀で受け1九飛成に3九歩を用意した)、6五歩、5七馬、7八金、同玉、4八竜、同竜、6九銀、8七玉、8八金、9七玉、9五歩、同玉、9六歩、同玉、8四金(次の図)

変化8七金打図12
 上手良し。

 とうわけで、下手8七金打の変化に対し、【Y】7七角成も、これも「上手良し」

 【X】3七角成、【Y】7七角成、どちらも「互角」に近い形勢だが、我々の調査では一応どちらも「上手良し」となった。上手としては、2通りの選択肢があってどちらも「上手良し」の可能性があるということになる。

 126手目下手8七金打の変化は「上手良し」、これを結論としたい。

 しかし、実戦は、金易二郎が4五桂と指し、阪田三吉が4四角(127手目)となったが、その場面の評価も、「上手良し」だった。(報告part34参照)
 ということであれば、(126手目は)4五桂でも8七金打でもやはり同じく「下手悪い」ということなら、ここで「8七金打」を選ぶということは、下手の選択肢としては、確かに考えられた。

 だから、つまり、119手目に坂田三吉が例の“夢の角”「7一角」を打って、そこからこの125手目5九角までくれば、おそらくは阪田の望みの通り、すでに上手有望な将棋になっていると思われる。それが我々の研究結果である。

 125手目5九角までの局面はすでに「上手良し」 ということになる。


【研究其の五;119手目7一銀だとどうなるか】

 119手目。
 阪田三吉はここで、“夢の角”「7一角」をひねり出し、それで勝ったということになっている。
 しかし、ここで「銀」だったら、どうなっていたかを検討したい。
 ここではいちばん平凡に見えるこの手だが、これもかなり有力なのである。


(119手目)変化7一銀 

 「7一銀」に4七飛成なら、(角の場合よりも)上手は堅く、これは上手良し。
 上手の阪田が気にしたのは、7一銀に4五桂で、次に5三桂成がある。これを阪田はまずいとみたようで、だから「角」を打ったわけだ。
 
変化7一銀図1
 だから下手「7一銀」なら、4五桂、5七成桂、5三成桂と攻め合いになる。
 続けて、6七成香、同金寄、6九角、6三成桂、同金と進むだろう(次の図)
 この攻め合いは上手まずい、と阪田は考えたのだろうが―-

変化7一銀図2
 さて、下手の手番。ここからどうやるか。
 【紅】5二銀と攻めたいところだ。
 この5二銀に、7八角成、同玉、5八銀だと、上手玉は7一竜以下、詰んでしまう。同玉、6一金、7二玉、6三銀成、同玉、7二銀以下。(同玉なら6二金打から、5二玉には3四角、4三合、6二金から)
 下手の持駒が「角金銀香」と揃うとこの詰みがあるので、だから上手は「角」を渡せない。
 よって5二銀に、上手は別の手を指すことになるが、1八飛では攻めきれないようだ。

変化7一銀図3
 しかし1七飛と打つのが好手のようだ。これは“詰めろ”。
 ここで6八香と受けたくなるが、それは7八角成、同玉、5八銀で上手が勝ちになる。(香車を受けに使ったので、この場合は下手持駒は「角金銀」、こんどは7一竜では詰まない)
 6八金打の受けには、7五桂という絶好手で下手陣は崩壊する。同歩、7六桂、同金、8七銀…
 4七歩と受けるのは、1八飛成で、やはり上手ペース。ここに歩を受けさせて1八飛成なら、4八歩と飛の横利きを止める手がなくなるので、それは飛の横利きが強く、下手は受けるだけになってしまう。これが1七飛と打った意味だったのだ。ここで6八金打と受けても、7八角成、同玉、5八銀で寄せられてしまう。
 ここは8七銀と受けるのがベストな受けのようである。
 対して、上手はいったん6二金。
 以下、6三金、5二金、同金、5八角打となって、次の図となる。

変化7一銀図4
 ここで7七金寄は、6七銀とからまれて、これは上手ペースになり、結局下手が負けそうだ。上手の攻め駒が多すぎる。
 だから6三金と攻める。これは7三金以下の“詰めろ”だ。しかし―-

変化7一銀図5
 この8五桂が“詰めろ逃れの詰めろ”になっているのだ!  詰み筋は7八角成、同銀、7九銀、同玉、8七桂!
 8五同歩は、6七角成で下手負け(上手玉は詰まなくなっている)
 4七歩の受けは、7五桂、同歩、6七角成、同金、7六桂、同金、1八飛成で寄り。
 だが、まだ下手も頑張れる。ここで5七香と受ける。
 上手6七角成、同金として、1八飛成。下手は4八歩。
 そこで上手9二玉(次の図)。 早逃げだ。

変化7一銀図6
 下手は7一竜と下手は勝負に出る。(他に良い手がなさそうだ)
 4八竜に、6八銀。
 そこで上手7五桂! 同歩だと7六桂がある。
 下手7二竜。金合か銀合なら、下手が勝つ。したがって8二桂合。
 桂馬を使わせたので、ここで7五歩と手を戻す。(上手7六桂がなくなった)
 しかし―-- 

変化7一銀図7
 7六銀という手があった。
 同銀なら7九銀から簡単な詰み。7八桂と受けても、6七銀成、同銀、7九銀、同玉、6八金。
 これで上手の勝ちが決まった。

 【紅】5二銀は、どうも1七飛と打った手が上手の好手で、これに対して下手が勝つ手がないようである。

変化7一銀図2
 ということで、この図まで戻る。
 【紅】5二銀では勝てなかったのでは、困った。 他にここでうまい手はないか。
 なかなか見つからなかったが、我々が検討して、“最有力”として浮上してきた手が、次に紹介する手【白】6八金引である。

変化7一銀図8
 【白】6八金引。
 これは7八角成を決めさせて下手の駒台の上に「角」を置こうという意味である。
 しかしそれなら“6八金打”のほうが下手陣が堅く良さそうにみえる。が、それでは勝てないから、“6八金引”なのだ。これによって7八角成、同金となったとき、下手駒台には「角金銀銀香歩」と充実することになる。これでチャンスが来た時に、一気に上手陣に襲いかかろう、とそういう意味なのである。「角」と「金」を持っていると、上手陣を攻略しやすい。

 さて、こうして6八金引と指された時、上手はどうするか。〔イ〕2五角成とするか、〔ロ〕7八角成か。
 どちらも、上手良さそうにも見える。実戦だとかなり迷うところだろう。

 〔イ〕2五角成だと、しかし下手に「9三香」という手があるのだ!
 同香は9一角があるし、6二銀打と受けても9一香成、同玉、9三銀で下手勝ち。
 ソフトはそこで5二銀という受けを最善として示している(銀を打って玉を逃げやすくする意味)が、下手にはさらに「8一銀」という絶好手がある(次の図)

変化7一銀図19
 下手良し。同玉に、9一香成、7二玉、8一銀、6二玉、7一竜、5三玉、4五歩で上手玉は捕まる。
 そういうわけで、〔イ〕2五角成とすると、上手あっさり負けになるのだ。

 だから「変化7一銀図3」では〔ロ〕7八角成とするのが正解となる。
 〔ロ〕7八角成に、同金で、次の図。

変化7一銀図10
 どっちが勝っているのだろう。
 ここでうまい攻めがないと下手良しになる。たとえば6二銀打などと受けを強化するのは、5二銀で先手ペースになる。受けるのは、ない。
 5八飛なら、6七銀と先手で受けられる。
 1八飛なら、下手は4八歩と受ける手があるが、そのあとどうするか。

 1八飛、4八歩、6九銀、7九金(6八金は7五桂、同歩、7六桂がある)、1九飛成、7二香(次の図)となると――

変化7一銀図11
 これで下手勝ちになる。
 この手順で、1九飛成のところで1七飛成もある。その場合は下手8七銀と受けることになる。その図も研究してみたが、以下、5八銀成(不成)に6一金で、下手が勝てると我々の調べでは出た。
 つまり上手は、下手玉に“詰めろ”の連続で迫る必要があるが、どうもそれが難しいとなると―――、これは下手勝ちと結論してもよいのかもしれない。

変化7一銀図10(再掲) 
 そうすると、戻って、「変化7一銀図11」では、どうもここで上手にうまい攻め筋が見当たらず、したがってこの図は「下手良し」。 我々は一旦はそう結論した。

 が、そうではないことがわかった。新たに上手の攻めが発見されたのだ。
 この図から、6九銀、7九金に、7五桂がそれだ。

変化7一銀図12
 こういう明解な手があった。
 7五桂を同歩は、7八金、同金、7六桂で寄ってしまう。
 だから下手は7七金と頑張る。それで受かっているかどうか。
 それには、6七飛がある(次の図)

変化7一銀図13
 9八銀と受けるのは、5七角で寄せられる。7五歩には、7六桂があって、以下8七玉に、7八角で寄り。
 だから7八銀と受けるが、それも、同銀成、同金上、8七金、同金上、同桂成、同玉、8八金(次の図)

変化7一銀図14
 詰んでしまった。同玉に、6八飛成、7八合、7九角から。
 この攻めは防ぎようがないようで、すると、逆に「上手良し」ということになったが…

 そこで、さらに考えた。次の図のように、6三成桂を決めずに、6八金引とする。

15
 6八銀成、同金、6九銀、7九金と進んだ後、これなら、上手には「二枚目の桂」の持駒がないので、7五桂は同歩と取って下手が良い。7五桂の攻めはだからこれなら、ない。

 しかし――、上手にはまだ攻めの手段があったのだ。

変化7一銀図16
 6七飛と打つ。
 下手は7七銀と受けるが、そこで5七角。
 以下、7八金打の受けに、8五桂打、同歩、同桂(次の図)

変化7一銀図17
 これで寄せられてしまった。これを受けるなら、6三成桂、同金、6八銀打だが、7七桂成。
 7七同銀には、8六桂で、以下同銀だと、8七金、同金、7九角成、同玉、7八金まで詰み。
 だから、7七桂成には、同桂と取るところだが、それもやはり、7八銀成、同玉、6六飛成――(次の図)

変化7一銀図18
 これが“詰めろ”になっている。8六桂、8七玉、7六竜、同玉、7五角成以下。
 上手のこの攻めは切れない。6七銀打と受けても、8六桂、8八玉、6八角成以下寄り。

 よって、これも「上手勝ち」。

 結論として、119手目「7一銀」は、上手良し。


夢の角118手目4一飛まで
 <一>6九銀
 <二>5七成桂
 <三>4六角       <一>~<五> 下手良し  
 <四>7一桂
 <五>8一桂
 <六>7一銀    上手良し
 <七>7一角  ←阪田三吉が選んだ手、“夢の角” 上手良し

 実戦で阪田三吉は<七>7一角を選び、これが“夢の角”と呼ばれている手だが、これでもよいが、いちばん平凡に見える受け<六>7一銀でも、上手が良かったという結果となった。他の手では上手が勝てない。<六>7一銀と<七>7一角のどちらが良いか、ということになると、それは“好みの問題”となる。



【それで、夢の角はどれなのだ?】

夢の角119手目上手7一角まで
 もう一度冒頭の問題に戻るが、阪田三吉の言う“夢で天から降った角”は、本当にこの119手目「7一角」であろうか。
 阪田の「向こうの王の前に角をポンと投げた」がやはりひっかかる表現である。
 『阪田三吉血戦譜』で東公平は、〔このあとの談話は、角を攻めに打ったようになっているのだが、筆者の調べでも本局の「△7一角」のことに違いないと思う〕とある。が、その根拠は示されていない。

夢の角119手目上手7一角まで
 もしかすると、125手目「5九角」かもしれない。
 「向こうの王の前に角をポンと投げた」に当てはまるかどうか。
 「破天荒な手」、「前人未到の角」に、当てはまるかどうか。

夢の角147手目上手5八角まで
 もう一つ“夢の角”候補があって、それは、147手目「5八角」である。
 「向こうの王の前に角をポンと投げた」には当てはまる。
 また阪田の言に「しかしそれは対手が将棋の本質を行った上での勘定である」とあるが、この「将棋の本質を行った上」というのが、相手が「千日手ねらいという寝技に持ち込む気がなかったとすれば」という解釈も、成り立たないではない。
 ただ、でも、やはり「角を打っても一手負け」ではないからおかしい。ここからは阪田の完全な勝ち将棋であり、「その時の形勢はそれを打ってもなお一手負けという勘定」という坂田の言葉に矛盾するのだ。
 
 (いずれにしても「前人未到の角」はおおげさすぎる。) 

 ・“夢の角”を見つける前の晩、阪田は「負けや」とすでに勝てないとあきらめかけの形勢だった。
 ・阪田は夜、“夢の角”を見つけたが、朝、対局へ向かう前、旅館でその手を弟子佃に見せて研究してみたがまだ形勢に自信はなかった。「それを打ってもなお一手負けという勘定」と思っていた。それでも相手がその“角”にどう対応するかみるのも面白い、それを指してみようと考えた。
 ・朝、対局場へ行くと、相手の金易二郎とその応援者たちが待っていて、彼らは勝ちを確信していて(阪田には)ニコニコして見えていた。
 ・そうした空気の中で対局は始まり、30分ズンズン指して、そこで阪田は“夢の角”を放った。
 ・阪田は、「向こうの王の前に角をポンと投げた」と表現した。
 ・その手を見て、金易二郎と脇の連中は顔色を変えた。
 ・勝負は阪田三吉が勝った。

 あまりに矛盾があるというか、3つの“夢の角”候補のうちどの手も、これにピッタリとあてはまる手がない。
 だから「では別の将棋のことではないか」という考えも出てくる。
 が、どうもそれは考えにくい。
 この時期、阪田が金易二郎に勝った対局は、この一局のみで(これが初勝利)、だから“夢の角”の対局はこれで間違いないところだろう。

 定説では、東氏も言っている通り、やはり119手目「7一角」ということになっている。
 それでも「向こうの王の前に角をポンと投げた」とか、すでに「負けや」と思っていたこととか、謎である。あそこで「負けや」は早すぎる。が、その大げさな表現が阪田流ではある。

夢の角113手目上手3四歩まで
 (夢の角は)119手目「7一角」だとして、すると阪田三吉はそれより前の113手目上手3四歩の局面で、「負けや」と言っていたのかもしれない。この局面なら、たしかに「負けや」と悲観するのはうなずける。長い序盤、長い中盤を指し続けて、ついに下手金易二郎が優位に立ったように思われるのがこの局面なのだ。うまい手がないから、3四歩と打ったのである。
 しかしその次の金易二郎8五桂は決断の手である。ここから30分で119手まで進むような、そんな局面とは思えない。
 夜、旅館で“夢の角”を見つけた阪田は、翌朝の対局で「ズンズン駒を進めて三十分ほどしてから、自分は向こうの王の前に角をポンと投げた」というのだ。
 つまり、“夢の角”は朝から何手か進めたところで指した手なのだ。
 が、この図で「指しかけ」ならば、向こう(金易二郎)は一晩考えるわけだから、そこで翌日朝8五桂と指し、それから「ズンズン駒を進めて三十分ほどしてから」119手目の角打ちになってもそれはおかしくはないか。
 「しかしそれは対手が将棋の本質を行った上での勘定である」というのは、この図で、「相手が5三角成ではなく、8五桂と来れば」という意味かもしれない。(5三角成が本質でないという言い方はおかしいと思うが、そこは阪田個人の考え方なので)

夢の角114手目下手8五桂まで
 もしそうだとすれば、阪田はある程度金易二郎の次の手「114手目8五桂」を予想していたことになる。(part33参照;代えて5三角成がふつうの手で、これで下手良しが本研究での考え)
 でも、だとしても「向こうの王の前に角をポンと投げた」は、やっぱりおかしいのである。
 そして「前人未到の角」(=7一角)を打った後も「その時の形勢はそれを打ってもなお一手負けという勘定」と見ていたというのが、興味深い。
 それにしても、「前人未到の角」… う~ん。

 「阪田三吉の発言は、七割はわからなかった」(東公平『阪田三吉血戦譜』)そうだかから、しかたないか。
 東氏が阪田の長女タマエさんに会いに行ったとき、あの世へ行って阪田三吉と話がしたいと言ったら、「あんさんが直接お会いなりましても、話の半分もおわかりになりませんわ、きっと」と答えられた、と書いてある。
 阪田伝説の元の文章はたぶん坂田三吉の著書であるが、しかし阪田は読み書きができなかった人だから、これは阪田の口述をだれかが筆記して書いたもの。勢いよくしゃべる阪田の言葉を聞いたままに書き、疑問点があってもそのままにしたのであろう。想像になるが、“これでも相当わかりやすく整理して書いてある”のかもしれない。しゃべっているうちに興奮して、色々な記憶が混ざってきている感じがする。
 しかし、訂正して整合性のある内容にするより、そのままのほうが坂田三吉の特徴と魅力はよく伝わる。

 結局、わからないところが、面白いのである。



 これで本局の研究はほぼ終わったが、まとめと、あと少し書いておきたいことがあるので、もう一回分、続きを書くことになる。
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終盤探検隊 part35 阪田三吉 “夢の角”

2015年09月10日 | しょうぎ
 図は、「1920年 金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦 139手目6七金まで」の図
 7日をかけて指してきた対局の最終盤。阪田の“夢の角”が発動し優位を築いたが、ここでは下手金易二郎(こんやすじろう)の勝ちになっていた…

    [阪田三吉と金易二郎の親交]
 金易二郎
「いやあ、交際といってもね、阪田さんが東京へ来た時に旅館へ訪ねて行ってお茶をのみながら世間話をするくらいだったな。芝居を見るとかいうこともなかったし、二人とも酒は飲めないしね、たいてい将棋界の話だったな」 
                       (東公平著 『阪田三吉血戦譜』より)

 五十嵐豊一(プロ棋士、関根金次郎の最後の弟子、金易二郎より34歳年下の弟弟子)
「金先生は実直を絵に描いたような人でした。勝つと私に小遣いをくれるんですがね、負けるとくれないんです。機嫌が悪くてね」

 島朗(プロ棋士、金の孫弟子)
「(小学生の時)ぼくはまだ子供なのに(将棋の)批評が結構厳しいんですよ。ぼく、泣いちゃったこともありましたね」
「お酒がダメで、甘いものが好きで、よくあんみつをごちそうになりました」
                        (岡本嗣郎著『9四歩の謎』より) 


 

夢の角128手目
 128手目。 ここから、見ていこう。
 以下の進行は、6五歩、6四香、7七角成(次の図)

 いま、阪田三吉の4四角(夢の角)に、下手金易二郎が5五歩と突いたところ。
 4四角のところでは、下手にはすでに有利にすすめる道がなく、どうやら「上手良し」。
 そしてこの5五歩の一手が“紛れ”を呼び込んだようだ。
 5五歩を、同角とすれば「上手の有利」は拡大できていた。だから、阪田の次の手6五歩が(理論上は)失着という判定になるが、これで優劣不明の形勢。きわどい終盤となった。

 金は、6四香。これが下手金易二郎が前からねらっていた“返し技”。
 この手で、代えて8七金打という手もあるにはあるが、以下5五角、5八歩、6六歩、同銀、同角、同金、6九銀は、上手ペース。ということで、6四香は最善手と思われる。
 もちろん、上手の阪田も6四香はわかっていただろう。

 読み勝っているのは、どっちだ?

 7七角成。 今度は阪田が、“ねらいの一手”。


夢の角131手目
 この後の進行は、7七同桂、6六歩、6三香成、同銀、5三角、6二香(次の図)

 上手の6六歩に、6三香成、同銀として、5三角。
 おそらく、阪田の7七角成を、金易二郎はずっと前から警戒していただろう。そして、6四香が刺さっているこの瞬間に角を手に持っていれば、5三角と打つと上手玉が“詰めろ”になると、それを絵に描いていたのだろう。
 それでうれしくなって、金は角を打った。
 「これで勝ちだ」と金易二郎は思って打ったというが、阪田の応手6二香を見落としていた。金はハッとした。
 が、金の打った5三角(詰めろ)は、これもやはり最善手と思われる。

 他の手を指すなら6六銀(6七歩成と成られては終わりなので)しかなさそうだが、6七金、7九金打、6六金、6四歩、7六金と下の図のように進んでみれば、はっきり上手良しになる。

(136手目)変化6六銀図
 図の7六金は8七銀以下の詰めろになっている。

 だから下手5三角は“盤上この一手”の好手とみる。


夢の角137手目
  金易二郎が阪田6二香を「名手」と言ったのは、こういう受けなら4四角成と角がダダで取れると思い込んでいて、打たれてから、「4四角成では、6七歩成で負ける」と気づいたということだと思う。
 阪田の6二香で7一香だったら、その場合は4四角成が成立して下手が勝つ。角を取った手が次に7一馬以下の“詰めろ”になっているので。6二香なら、詰まないのだ。
 なお、5二香と受けても、4四角成が“詰めろ”になっていて下手勝ち。たぶん、6二香は易二郎の読みの“盲点”を突いたのだ。

 “詰めろ”を受けられ、4四角成もないので、易二郎は6六銀と手を戻す。
 これしかない。6七歩成を許しては、即、負けだ。

 阪田三吉、6七金と打つ。


夢の角139手目
 さあ、この図が、前回レポート(part.34)の最後で掲げた図だ。

 ここで下手金易二郎に、明解な「勝ち」があった。 答えは、実に簡単な手である。

 正解手は7九金打。 

(140手目)変化7九金打図1
 6七金には、この図のように7九に金を打って受けるのが正しい着手。(8九金や6九金だといけない。この点についてはあとで触れよう)
 これで「下手勝ち」となるはずの将棋だった。

    ( ―――そうなるはずの将棋なのだが、実際は、そうならなかった)

 「え? それは、千日手でしょう?」とあなたは思うかもしれない。そう、だから、「下手勝ち」なのである。
 この図から、「7八金、同金、6七金、7九金打」 ――これを繰り返して「千日手」となる。
 当時のルールは、だが、「千日手は攻めている方が手を変える」という規定である。そうであるから、これは上手阪田が手を変えなければならない。
 (現在のルールでは「千日手」は引き分け無勝負、指し直し)
 しかし、この場面では上手阪田に、6七金に代わる有効な手はなく、したがってこの局面から上手に勝ちはないのである。

 (本当に打開策がないのかについては、あとで【研究其の一】として書いておくのでそちらを参照のこと)
 

夢の角140手目
 金易二郎は、140手目6八歩と指した。なぜだろうか。(これでも勝ちと読んだのかもしれない)
 この6八歩が敗着となった。
 この阪田三吉の「夢角の局」として名局とされるこの将棋は、金易二郎の“大ポカ”の手で、最後は決着していたのだった。

 あそこで、金易二郎が“ふつうに7九金を打って受けていれば”、この将棋は易二郎の勝利となったであろう。あれが見えないはずがない。
 まったく、なぜ金易二郎は6八歩と受けたのだろう。わけがわからないミスである。
 時間は無制限のルールだから、これを指す前に、それこそ8時間でも考えればよいではないか。

 6八歩を同金の変化もしかし、きわどい。
 6八同金、同金、同竜、7八金、6六竜、4四角成、6九銀、8七金、6七竜、8九銀で、なんとか受かっている。下手良し。
 また、6八同金、同金に、5三角もある。これを同桂成は6八竜、7八金、7九角以下、とん死。だから5三角には、7八金打とし、以下、8六角、4一竜、7一桂、6一銀…、となる。これも(たぶん)下手が良いが、次の上手6七歩の攻めがあり、勝負の行方はまだわからない。
 これらの変化をもちろん金易二郎は読んでいたわけであるが…。
 
 実戦の進行を見よう。 6八歩に、7八金、同玉、6七歩、同玉、5八角(次の図)


夢の角147手目
 思うに、そのあとの、この上手5八角をまるっきりうっかりしていて、6八歩以下の変化でも勝ちと決めつけていたのかもしれない。

 現代とは違うこの当時の「千日手」ルールであるが、それを皆わかっている上で指しているのであるから、こういう局面にしてしまった上手阪田三吉の、これは「失敗の終盤」だったのだ。
 4四角のところでは優位に立っていた上手の阪田だが、やはりそのあとの6五歩(129手目)であやしくなり、6七金と打った場面では、(阪田が)もう勝てない将棋になっていたのだった。

 でもそれが、逆転した。(“天”の力だろうか?)

 5八角に、右上に玉を逃げる手はない。5七玉なら、4七金、5六玉、4六金、同玉、3六角成、5六玉、4四桂、6七玉、4五馬、5七玉、5六馬までの詰み。

 5八角のあとは――7八玉、6七歩と進み――


夢の角投了図
 まで149手で上手阪田三吉の勝ち。 

 図から6七同歩は、6九角成、同玉、6八金までの詰み。
 6筋に歩がたつので、この攻めには受けがない。たとえば5九金と受けても、6八歩成、同金、6七歩で、これを6七同金なら、8七金、同玉、6九角成以下詰む。
 
 金易二郎が投了し、阪田三吉の勝ちになった!
 終盤の金易二郎の“大ポカ”で大逆転、という衝撃の結末となったのである。


【研究其の一; 140手目変化7九金打に、上手から千日手打開の手段がないことを確かめる】

(140手目)変化7九金打図1 再掲  
 この千日手を上手から打開すると、上手が負けになることを確認しておこう。
 仮に下手が7九金打(図)と受けたとして、上手が「7八金、同金」、そこで「5三角、同桂成、6九角」と手を変えたとしよう(次の図)

変化7九金打図2
 これだと、どうなるか。以下、6八金打、7八角成、同金、6七金、6八歩(今度は下手は金を持っていない。かといって銀で受けるのは6六金で危険)、7八金、同玉、6七歩、同玉で、次の図。

変化7九金打図3
 本譜のケースと似ているが、この場合はしかし本譜と持駒が変わっている。本譜の場合は「角」があったので、5八角で下手負けになった。
 しかしこの図は逆に上手の攻めが続かず、下手が指せる。「金金桂」の持駒だと寄せがないのだ。
 といっても、ここから1七飛成、5七銀打、6一歩のように続ければまだまだ大変か?
 それには、だが、6三成桂、同香、9三銀(次の図)がある。

変化7九金打図4
 この9三銀で決まっている。同香は9二金から詰む。だから同玉だが、7二竜で、そこで上手の手番になるが、下手玉は詰まないので、下手の勝ち。

変化7九金打図5
 また、この図のように、「5三角、同桂成に、5六角」というのも(千日手打開のために)考えたくなる手だが、これも6八歩とすれば、7八金、同金、7八角成、同玉、6七歩、同玉とすすめば、これは結局いま解説した図と同じ形(上手持駒が「金金桂」)になるのだ。だから当然、下手勝ち。

変化7九金打図6
 また、別の打開手段として、「5三角、同桂成、6六金」(図)と、銀を取るのはどうなるか。
 これは以下6二成桂(詰めろ)で、そこで上手は良い受けもないので下手玉を詰め上げるよりない。下手が その時怖いのは、7七金、同玉、6五桂という順だが、それには8七玉(図)と逃げる。
 しかしまだ7八飛成の追撃がある。――(次の図)

変化7九金打図7
 これを同玉だととん死する。なので、同金。
 そこで7七金なら9七玉と逃げてもう大丈夫。――なのだが、そうではなく、9五桂、同歩として、それから7七金とすれば、これは同金と応じるしかなく、同桂成、同玉、6五桂と、追撃はまだ続く。
 今度は6七玉と逃げて(他の逃げ方は詰む)、上手は4五角で王手。――(次の図)
 
変化7九金打図8
 ここが重要で、“5六桂合”が唯一の受け。この合駒はあとで取られてしまうが、その時に桂馬なら相手に渡っても良いというわけ。
 5六桂合、6六歩、5八玉、5七金、6九玉、6八銀、7八玉、5六角、8八玉、7七桂成、9八玉(次の図)

変化7九金打図9
 下手、逃げ切った。 上手の持駒は桂と歩で、これなら詰まない。(もしも「香合」をして香を渡していたら、ここで8九角成、同玉、8七香となって、とん死負けしているところだった)
 このように、きわどいがこの筋が詰まないので、この変化も「上手に勝ちはない」わけである。
 (対局時、金易二郎が、この詰み筋を読んで危ないと思った可能性はある)

 よって――
 140手目7九金打に対して、上手の千日手打開策は、ない。 それが結論。


 (140手目に)7九金打と受けられれば負けていた。その将棋を、阪田は勝った。
 何度も書くが、時間無制限ルールだから金易二郎はあそこで何時間考えてもよかった。
 その状況で、阪田三吉は、相手の“ポカで”逆転し、勝利した。これは阪田にとっては“奇跡の逆転勝利”といえる。
 なんという阪田の“スター性”であろう。 やはりあの角は、あの“夢の角”は名角であり、この将棋はたしかに名局なのだ。奇跡を起こす“角”だった。
 この将棋、終盤の阪田三吉は、あの角は「夢で天から降った角」なのだから、「その将棋を負けるはずがない!!」という“気迫”で満ち満ちていたのではないか。その“気迫”が、異様な、妖しい空間を創りだし、金易二郎のありえない大失着を誘った、と見たい。

 調べれば調べるほど、味の出てくる、濃い、面白い将棋だった。 

 金は負けず嫌いで、負けた対局の後はずっと機嫌が悪かったと、弟弟子の五十嵐豊一はそう証言している。
 そんな人が、7日もかけて指してきた将棋を、“ポカ”で負けては、その終局後は大変だっただろう。


 こういう内容の終盤となり、この1920年の「金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦」は、阪田が勝ったのであった。

阪田三吉-関根金次郎 香落ち 1906年
 「千日手」と阪田三吉で思い出すのは、明治39年のこの「阪田-関根戦」。
 図から、7二銀成、同銀、6二金、7三金、7二金、同金、6一銀、7一銀となって、これをくり返せば「千日手」。 やはり当時のルールでは「攻めている方が手を代える」という義務があって、阪田三吉はそれを知らなかった。関根に指摘されて、阪田は手を代えて、そして負けた。これがくやしくて「関根を倒すためにプロになる」と決意した、ということで知られる対局。
 しかしこの時阪田は36歳。この年齢まで将棋を指してきて当時の千日手の規定を知らなかったとはどういうことか。アマ大会の規定は地方で違っていたのだろうか。
 阪田が立腹したのは、七段(関根)という力を持つものが、アマ将棋指しを相手に「千日手」に誘導して、それで、はい私の勝ちです、というそのやりかたが気に入らない、ということのようである。そんなやりかたをせずとも勝てる手段があっただろう、プロ七段ならば、ということだ。そんなプロ七段なら粉砕してやる――と、それがプロになるきっかけとなったのである。

 阪田三吉と金易二郎は、心を許して話のできる間柄だったという。
 あの「南禅寺の決戦」からの、阪田三吉の棋界復帰が実現したのは、金易二郎がいたからだ、という話もある。
 
   参考: 「南禅寺の決戦」の記事 →      


 以下、この将棋の終盤をもう少し研究しておきたい。

【研究其の二; 140手目、8九金や6九金では、千日手は不成立、という話】

(140手目)変化8九金図1
 140手目、もしも 8九金 としていたら、それなら、上手には千日手打開の手段があった。その場合は打開が成功し上手(阪田)勝ちとなるのであった。
 その研究をしたので、その内容をここに書いておく。

 8九金 なら、5三角、同桂成とし、そこで6九角と打つ(次の図)

変化8九金図2
 これで打開が成立しているのである。「7八金、同金、という金交換をしないで6九に角を打つ」のがポイントで、8九に金を受けたのでここ(6九)に角打ちが生じた
 これは“詰めろ”なので、下手は受けるしかないが、どう受けても「上手良し」になるのである。(もう「千日手」にはならない!)
 たとえば8七銀(7九銀も同じ)の受けには、6六金とする。この手が、次に7七金、同玉、6五桂打からの“詰めろ”になっているのだ。だからこの場合、下手の指したい6二成桂を着手する余裕もなくそのまま寄せられてしまう。この場合、上手は自分のすきなタイミングで7八角成で金が入手できるのが大きい。6六金に6八歩なら7七金~6五桂打、また6八銀打という受けには、同飛成、同金、8七角成で寄る。

 8七銀(7九銀)がダメなら、6八歩だが、これには――

変化8九金図3
 7八金、同金、6七歩(図)という寄せがある。これも“詰めろ”だし、もう受けても“詰めろ”からは逃れることができなくなっている。
 たとえば7九金には、7八角成、同玉、6八歩成、同金、5六桂、6九歩、6八桂成、同歩、5六金(次の図)

変化8九金図4
 これで、受けなしに。 これは6八竜以下の“詰めろ”になっていて、それを7九銀と受けるのでは6六金でダメなので、6七銀と受けるしかなさそうだが、それも、7九金、同玉と下段に落とされて、6七金で、やはり受け切れない。下手負けだ。

 このように、どうあがいても、「下手負け」となるのである。

(140手目)変化6九金図1
 6九金 (図)ならどうか。この場合はいまの“6九角”は打たれることはないので「千日手」になるのでは――?
 いやいや、6九金 には――
 “6八歩”があるのだ。“6八歩”には、7九金とかわすことになる。(4四角成は上手玉への“詰めろ”にはなっていない)
 以下、7八金、同金、5三角、同桂成、6九歩成(次の図)

変化6九金図1
 これは、上手勝勢に。

 以上見てきたように、140手目8九金、または6九金だと、千日手にはならず、打開されて上手が勝ちになる。

 
 あるいは、金易二郎は、(7九金打でなく)8九金の受けにとらわれていて、それを読んで、“危険”と思って、それで6八歩を選んだのかもしれない。
 まあ、なぜポカをしたのか、については、理論的な答えなどはどこにもなく、だからこそ底知れぬ面白さがそこにあるのである。


【研究其の三; 129手目6五歩の後、阪田に勝ちはあったのか】

 もう少しこの将棋の最終盤について、調べておきたい。
 この将棋、見てきたように、最後(140手目)、正しく指せば下手が勝っていた(現代ルールなら引き分け指し直し)わけだが、気になるのは次の点である。
 あの6五歩(129手目)の阪田三吉の失着の後、上手にはもう勝ちはないのだろうか? あるいは上手に何か別の手があったか。
 その点をはっきりさせたいと思い、我々は調査してみた。その結果を書いておく。

夢の角129手目6五歩まで
 この6五歩が失着で、阪田三吉が“夢の角”(7一角~4四角)の構想で築いた優位を失う。これは我々終盤探検隊が突き止めたところで、他の文献の本局の解説には書かれていない。プロの目には、5五歩に6五歩はごく自然な応酬と見えるのだと思う。
 この6五歩と指した後でも、それでもまだ、上手(阪田三吉)に勝ちはあったかもしれない。いや、なかったかもしれない。
 そこをさらにしっかりと見極めたい。
 6五歩、6四香、7七角成、同桂、6六歩と実戦は進むのだが、その7七角成の手で、代えて6六歩はどうか。それも調べてみたが、同銀、7七角成、同銀、6七金(6八歩と受けてくれれば上手有望だが)、7九金打となると、やはり「千日手コース」にはまってしまう。

夢の角136手目5三角まで
 この図は136手目である。下手金易二郎が自信をもって着手したこの5三角に、上手の阪田三吉は6二香と受けた。金は6二香を読んでいなかったので、驚き、後でこの手を「名手」と呼んでいるのだが、その後は下手の勝ち将棋(千日手コース)になった。
 上手が変化するとしたら、ここしかないのではないか。
 6二香に代わる“別の手”はないか。
 5二香と受けるのは、4四角成が詰めろで、次に7一銀以下詰むのでいけない。(これは上でも述べた)
 6二金打も同竜、同金、4四角成が詰めろで下手良し。
 (本譜の6二香にも、同竜、同金、4四角成が詰めろになるが、それは7二金打と受けられて上手良し)

(137手目)変化4二歩図1
 下手の5三角(詰めろ)に、「4二歩」という手があった!
 これは同竜には、5二金と受ける意味だ。それは上手が勝つ。
 だから下手はいったん手を戻し、6六銀。そこで6七金なら7九金打でまた「千日手」作戦が発動する。
 しかしそこでは、5三角、同桂成のあと、“6八金”という打開の一手があるのだ!(次の図)

変化4二歩図2
 これは同金だと、同竜、7八金、7九角以下詰まされてしまうので、“6八金”は取れない。
 だから、8九金。そこで上手、5六角と打つ(次の図)

変化4二歩図3
 これは“詰めろ”なので、下手は8七銀(または7九銀)と銀で受けることになる。
 そこで上手は7八金とする。下手はこれを(あ)同銀か、(い)同金のどちらか。

変化4二歩図4
 (あ)7八同銀の場合。この図のように、9七桂という手がある。上手はこれで攻めきることができる。
 9七桂を同香は7八角成、同金、8七香、同玉、9八銀、同玉、7八竜以下詰み。9七同玉なら、7八角成、同金、同竜でよい。以下8八金に、8七金、同金、9五桂、同歩、同歩で寄り。
 7九金打も、8九桂成、同金、6七金、8七銀、6六金で、これが次に7七金、同玉、6五桂打以下の“詰めろ”。
 結局、受けきれず、上手が勝つ。

変化4二歩図5
 (い)7八同金の場合。これにも素晴らしい寄せがある。
 7八角成、同銀、8九金、同玉、8七香、8八金合、9七桂(次の図)

変化4二歩図6
 という鮮やかな寄せがある。
 この手順は「角金桂香」と上手が駒をそろえていたから成立したのである。「4二歩」と、歩だけで瞬間的に下手の攻めを止めた、それによって持駒「角金桂香」をすべて攻めに使えたのだ。素晴らしい手順で、上手が勝ちになった。
 
 “6八金”以後、この寄せ手順を、下手は逃れる順がない。
 ということは、この将棋、終盤137手目「4二歩」で、上手(阪田三吉)に勝ち筋だったということか! と、思ったのだったが……
 しかし、我々は「見落とし」をしていたのであった。

変化4二歩図7
 137手目「4二歩」には、“4四角成”(図)があった。(なぜかこれを我々はうっかりした)
 この手が7一銀からの“詰めろ”になっているだ。だからここで上手の6七歩成は入らない。
 よって、この図は下手勝ち。
 7一銀以下の詰め手順は、同金なら、同角成、同玉、4一竜、6一桂合、6二金、同玉、5三角以下。7一銀に9二玉には、8一銀、同玉、8二金という手順。

 そういうわけで、137手目「4二歩」は、上手の勝ち筋にはならなかった。

 次に、同じく137手目で、「5二金」という受けはどうなるか。

変化5二金図1
 この手も有力である。金を受けにつかうと上手の攻めが心細くなるようだが、6七歩成の楽しみがある。
 だから下手は6六銀とする。そこで5三金、同桂成、同角とすすむと、これはほぼ「互角」の戦い。
 そこで下手の手番なのだが、手の選択が悩ましい。その図をいろいろ研究すれば、感触としては「上手が良そう」と我々は感じた。だから上手の有望な変化と認識したのだったが…。
 しかし、よく調べれば、6六銀と手を戻すのではなく、もっと良い手が下手にあった。
 「5二金」に、“6四銀”である(次の図)

変化5二金図2
 この手“6四銀”で、なんと下手が勝っているようなのである。
 この手は7三銀成以下上手玉への“詰めろ”になっている。そしてこの“詰めろ”がなかなかほどけないのだ。8一桂と打って7三を受けても、6三銀成、同金左、7一銀で寄る。
 6四同銀は、5二竜、6二香、6三金、同金、7一銀、同玉、6三竜という寄せがあって、下手が勝てる。
 “詰めろ”で迫っているうちは、上手の6七歩成は入らない。
 “6四銀”には、上手は5三角が最善かもしれないが、それには、下手は6三銀成が、これも“詰めろ”。さらに6三同金左に、そこで5三桂成がやはり“詰めろ”で、同金、6一銀、5二銀、7二銀成、同玉、6四銀と進んで、次の図になる。

変化5二金図3
 こうなって、下手の勝ちが見えてきた。この“6四銀”も“詰めろ”であり、上手の受けがむつかしい。たとえば6二銀には6三歩だ。結局、上手の6七歩成りは入らない。

 研究の結果、137手目上手「5二金」は、“6四銀”で「下手良し」になる、とわかった。

 結局、上手の勝ち筋は129手目(6五歩)のあとは発見できなかった
 ということは、どうやら金易二郎が5三角と打った136手目の図では、すでに「下手良し」であり、上手阪田三吉に理論上はもう勝ちはない、ということになる。
 そこからは「下手金易二郎の勝ち将棋」。
 阪田の129手目6五歩の失着は、もし(千日手の形で)負けていれば、それが阪田の敗着になっていた手なのだった。



 以上、「金-阪田戦」をひと通り見てきたが、まだ残している課題が2つある。

 ・119手目阪田三吉の打った夢の角(7一角)のところで、「7一銀」はどうなのか
 ・「127手目、実戦の4五桂に代えて、8七金打が正着では」というのが加藤一二三説だが、その順はどの程度有効なのか

 この2つである。 それは次回に。
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終盤探検隊 part34 阪田三吉 “夢の角”

2015年09月08日 | しょうぎ
 1920年 金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦 127手目4四角までの図

    [天から降った角]
「夜中にパッと目がさめた。いつの間にとび起きたのか、寝床の上にキチンとすわっている。ふと横を見るとやっぱり(弟子の)佃が調べたものとみえて将棋盤が出してある。他のコマはしまってあるのに、どういうものか、角が一枚残っていた。それが電灯の光で冷たく光っているのだ」
「角、角、角、と考えながら寝た。また目が覚めた時、わたしは不思議な手を思いついていた」 
                       (東公平著 『阪田三吉血戦譜』より)



 前回紹介した岡本嗣郎著『9四歩の謎』では、「角」の駒は「月の光に冷たく光っていた」とあるのに、『阪田三吉血戦譜』ではこのように、「電灯の光で」となっている。
 元ネタまでたどってみれば同じところに行きつくはずだが、これは想像だが、元は「電灯の光」で、それを誰かこの伝説エピソードを伝える人が意識してか無意識にか「月の光」に変えたのだろう。たしかに、伝説の“夢の角”エピソードには「月の光」のほうがふさわしくも思える。
 しかし、1920年のこの時期、「電灯の光」のほうが(月光よりも)神秘的なものだった可能性もある。「電気」は当時“最新の魔法”であったのだから。宮沢賢治が詩集の序文で「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と書いたのは、1924年のことである。

 (追記: その後他の文献をあたってみるとすべて「電灯の光」だった。「月の光」は『9四歩の謎』のみ。岡本氏の勘違いによる創作か)

 だいたい、角の駒一枚のみしまい忘れて――というのが、作り話っぽい。それ自体が阪田が見た夢の中の話か、そういう感じの夢を見て、あとから話を整えた、という気がする。
 そういう話をつくっておいて、きっとそうだったと、自分自身が信じ込んでしまう、そういうタイプの人物だったのではないか。


 127手目、上手阪田三吉4四角。
 119手目に7一に受けのために打った角が、絶好の位置に出た。 だから“夢の角”、なのである。
 “角”は、下手の玉を睨んでいる。
 これが坂田三吉が“夢”に描いた図だった。こうしてみると、上手の飛、角、角の三枚の大駒の配置がかっこいい。


 2手前に戻して、そこから考えることにする。


夢の角125手目

 125手目に上手阪田がこの図の通り5九角と指し、続いて、4五桂、4四角と進んだわけだ。
 その金易二郎の126手目4五桂が、どうだったかをまず考えたい。
 他に有効な手はあるか?

 【Q】7五歩がある。しかしこれは、同歩、7四歩、7七角成、同玉(同桂は5七金)、7六金。 これは下手の7筋の攻めが“やぶ蛇”になった。失敗だ。

 また、4五桂に代えて【R】5一金と攻める手は、下手が金を手離したこの瞬間に7七角成からの上手の攻めが炸裂する。7七同桂に5七金で上手良しになる。

 阪田の打った「5九角」は、7七角成と3七角成の両狙いで、特に7七角成が下手にとって脅威なのだ。

 しかし、では、ここで受けるのはどうだろう?

">(126手目)変化5八香図1
 【S】5八香と受けてみよう。
 しかしそれには4六桂(図)がある。以下、5一金、5八桂成、5二金、7七角成、同桂、5七成桂という攻め合いは、上手の攻めが早い。【S】5八香では下手勝てない。

(126手目)変化8七金寄図1
 そして、【T】8七金寄(図)。 この手を検討してみた。上手は7七角成を切り札に攻めを組み立てているのだから、それをかわそうという手だ。
 以下の予想手順は、3七角成、5一金、4五桂、5八香、6五歩、5二金、6六歩、同銀、5八飛成、6七銀(次の図)

変化8七金寄図2
 4八竜、4九歩、同竜、6一銀、4六馬、7二銀成、同銀、6二金打(次の図)
 これは、下手有望だ。

 これで下手良しではないか。いったんはそういう結論に達した。
 ところが――我々の見落としていた上手の好手が発見され結論が逆になった。

変化8七金寄図
 8七金寄、3七角成、5一金に、「4二歩」(図)である。
 これは、同竜に――

変化8七金寄図
 1五馬とする狙いだ。
 ここから5二竜、同銀、同金と勝負しても、2五馬、6一銀、5二馬、同銀不成、5七金は、上手ペース。
 【T】8七金寄は、下手勝てない。

 あと一つ、受けの手として【U】8七金打がある。

(126手目)変化8七金打図1
 実は、『阪田三吉血戦譜』では、加藤一二三が、本譜の4五桂を失着とみなし、その手で【U】8七金打とすべきところと指摘している。
 8七金打、3七角成、7五歩と攻めれば大変な勝負で、「むしろ下手が良いのではないでしょうか」と言ったそうだ。
 と、名人にもなった加藤プロが言うのであるなら、これは調べる価値のある手にちがいない。実際に調べてみたが、相当に変化が広い。
 なので、この【U】8七金打の変化は、これも最後までこの対局の棋譜を鑑賞したその後にしっかりやろう。


 とにかく、実戦では下手金易二郎は4五桂と指し、上手阪田三吉は4四角と指した。

 4四角―――この手では、代えて7七角成(次の図)もかなり有力である。

変化7七角成図1
 7七同桂に、5七金。 この攻めは有力。
 受けが難しい。6九香と受けても結局押し切られそう。
 ところがこの場合、妙な受けがあって、上手も攻めきれない。

変化7七角成図2
 2九金というのがその“妙な受け”。 以下4八飛成に、3九角と打つのだ。5九竜に、5七角、同竜。
 そこで5三香から攻めに転じる。以下、同銀、同桂成、同角、5二銀と進むと、これは「互角」の闘い。
 形勢としては互角でも、こうなると下手ペースという感じだ。
 「4四角」の構想に惚れ込んでいた阪田が選ぶ順ではないだろう。


夢の角127手目
 そうして実戦は、こうなった。(おそらく)夢の中で阪田三吉の思い描いた絵の通りの局面になったのだが――
 しかしこの4四角(127手目)の局面が上手有利なのかといえば、さて、どうだろう?
 次の3つの手について、調べてみる。 ここで下手に有効手があるかどうか。
  〔L〕4二竜
  〔M〕5三香
  〔N〕6九金
 なお、実戦で金易二郎が選んだのは、〔O〕5五歩である。

(128手目)変化4二竜図1
 ソフト「激指13」は、127手目4四角の図で、最善手は〔L〕4二竜としている。(評価値は「+113 互角」)
 しかし具体的にこの手を調べてみると、これでは下手は勝てないと判明する。
 〔L〕4二竜に対しては、7七角成と角をここで切り、同桂に5七金とする。それがこの図である。
 2手前、4四角と指した手に代えて同じように7七角成~5七金と攻めるのは、2九金という受けが有効で、形勢不明になることを我々は述べた。
 だが、この場合はここで2九金だと、そこで飛車を逃げずに6七金とし、1八金に、7八金、同玉、そこで6六角として、それで上手がやや有利となる。(この6六角があるのが上との違い)
 というわけで図の5七金に、下手6九香と受けてみる。以下、6七金、同香、6九銀、6八金打、7八銀成、同金、5七金、4四竜、6七金で、次の図。

変化4二竜図2
 上手の飛車の横利きを生かしたこのシンプルな攻めが受けにくい。
 ここで下手は受けなければならないが、どう受けても、7五歩とされると、上手のこの攻めは切らされることはない。
 たとえば、8九金、7五歩、8七銀、8四桂という感じ。
 下手は4四竜の位置がわるく、上手陣を攻めるのに手間がかかる。
 はっきり上手良し。

(128手目)変化5三香図1
 〔M〕5三香と攻めるのはどうか。これを同銀、同桂成、同角なら、6一銀と打って、これはなかなかうるさい攻めとなる。
 〔M〕5三香に、7七角成、同桂、6五歩の攻めは、5二香成、6六歩、5三成香となって、この手が7二竜、同銀、7一銀以下の“詰めろ”になっているので、この攻め合いは下手が勝ちになる。
 しかし上手にはもう一つの攻め筋がある。それが6五桂打(次の図)である。

変化5三香図
 この6五桂打が厳しく、下手陣はこれで崩壊してしまうのである。
 今度は、上手の攻めのほうが速い。
 図以下、5二香成、7七桂成、同桂、同角成、同玉、6五桂打で下手玉は寄っている。
 図で8七金打と受けても、7七桂成、同金、6五歩で、やはり上手有利な形勢となる。(下手が金を手離したので今度は6五歩の攻めが間に合う)

(128手目)変化6九金図1
 127手目4四角に、下手は受ける手を指すのはどうか。受け方は何通りかあるが、一番有力な手は〔N〕6九金(図)だ。これを次に検討する。
 〔N〕6九金、これに対して1五角成(角を成って受けに使う)も有力だが、この変化は形勢不明、別世界の将棋に移行する。
 しかしそれよりも、ここは7七角成で、上手攻めきれると、我々は考えている。
 7七角成、同桂に、6五歩。今度は6五歩の攻めが良い。下手が受けに金を投入したので、それを崩すには6筋の歩の応援があるほうが良いのだ。
 しかし6五歩には、下手も6四香の切り返しを用意している。この時のために、下手は香車を受けに使わず持っていたのだ。
 6四香に、6六歩(次の図)

変化6九金図2
 この攻め合いはどっちが速いか。
 6三香成、同銀、5八銀、6五桂打(これが好手)、5三角、同角、同桂成、7七桂成、同金、6五桂打(次の図)

変化6九金図3
 上手優勢になった。図の6五桂打で下手玉には“詰めろ”がかかっているが、下手は受けが難しい。6八銀と受けることになりそうだが、7七桂成、同玉、6七金と攻めて、以下、“詰めろ”が続く。(上手は7二竜以下などの上手玉の詰み筋に気をつけて寄せを考えていけば勝てる。また安易に6五桂と跳ねると7三銀、同玉、6三成桂というような詰み筋も生まれるのでそれも注意すべきところ)

 そういうわけで、我々(終盤探検隊)は、「金易二郎-阪田三吉戦 127手目4四角の図」は、上手優勢になっているとみる。
 今見てきたように、この図から上手からは3通りの攻め筋がある。7七角成~5七金、7七角成~6五歩、6五桂打という3通りの攻め筋があり、上手はこの3つの攻めを相手の手によって使い分ければよい。
 それを上回る手が下手には見つからない…。

 ということで、「夢の角127手目4四角」の図では、どうやら「上手良し」なのである。
 つまり坂田三吉が“夢”で見た構想が実現し、そして優位に立ったのであった。

 それで、実戦で、下手金易二郎は阪田の4四角に、どう指したか。


夢の角128手目 
 「5五歩」と指した。
 「なるほど、筋」という感じの手だ。
 これを同角なら、5筋の歩が切れて5三歩という攻め筋もできるし、5八歩と歩を受けに使うこともできる。
 上手としては相手の注文通りになるのは直感的に勝負師としては避けたいものである。
 
 阪田は6五歩
 しかしこの手は、“失着”だったのだ!

 実戦は、5五歩に、6五歩、6四香、7七角成と進んだ。

 この数手の間に、形勢がぐらぐらと揺れ動いたのだった。
 どうなったのか?

 上手は5五同角と指すべきだったのだ! それで上手の優位は拡大していたところだった。
 ところが阪田の指し手は6五歩。好手にみえるこの手で、実は形勢は混とんとなった。あるいは逆転しているかもしれない。(正確な形勢は後で確かめる)

(129手目)変化5五同角図1
 5五同角とした場合。
 5五の角は良い位置である。この角は4六角と行くこともできるし、6四の地点をカバーしていて、上手からの攻めのねらい筋6五歩がいっそう突きやすくなった。(4四角の位置だと6五歩に下手から6四香の返し技がありこれを覚悟するする必要があるが、、この場合だと同角ととれる)
 128手目下手の5五歩は、図のように同角とされると、これははっきり下手の負けになっていた。

 下手金易二郎の5五歩は、“勝負手”としては成功、つまり「好手」だったわけである。
 これによって阪田に6五歩と指させた、つまり坂田を“間違わせた”のだから。(あの時点では下手不利で勝てる手はなく、理論的な最善手など存在しない。どうやって相手を間違わせるか、という問題になる)
 金易二郎の5五歩が、阪田三吉を“幻惑”したのである

 ここで5五同角以下の変化を研究しておこう。
 下手は、ここでたとえば5八金のように受けても、上手から7七角成、同桂、6五歩という攻めで、下手陣は崩壊する。6筋の歩が6六まで伸びてくると強烈だ。
 だからここで指すとすれば、攻め合って勝負する<ア>5三歩か、5五の角の当たりに<イ>5八香と打つ手だろう。その2つを調べていく。

 <ア>5三歩に対して、7七角成、同桂、6五歩では上手は今度は速度負けする。(以下5二歩成、6六歩、6二とで上手玉に“詰めろ”がかかる)
 5三歩~5二歩成の下手の攻めに優る攻めが上手になければ上手負けとなるが、この場合はあるのだ。6五桂打という攻めだ(次の図)

変化5五同角図2
 6五桂打に、5八香、7七角成、同桂、同桂成、同金、6五桂打(同歩なら7七角成以下詰み、8九桂と受けるなら、7七桂成、同桂、6八金がある)、7八金打、7七桂成、同金、4六角、5二歩成、8九金(次の図)

変化5五同角図3
 上手玉はまだ詰めろがかかっていないのだから、上手は下手玉を詰ませる必要はない。
 図の8九金に、同玉、1九飛成、9八玉、9七金、同玉、9九竜、8七玉、7九角成となって、上手勝ち。

変化5五同角図4
 次に<イ>5八香の場合。これには4六角と逃げる。そこで5三歩が下手の意図で、今度は角を移動させたので6五桂打の攻めはないということだ。これが5八香と受けた意味。
 上手、この場合は5五桂と打つ。同香に、7七角成、同玉、6八金(次の図)

変化5五同角図5
 受けがない。上手勝ち。
 もしこのように進んでいれば、「7一角」と受けに打った角が、4四→5五→4六と移動して攻めに使えたわけで、これは最高に気持ちの良い勝ち方だ。(実戦はこうならなかったのだったが)

 このように、5五同角なら、以下、上手が良さそうだ。

 実戦の進行は―― 6五歩、6四香、7七角成(次の図)


夢の角131手目
 そうして、こうなった。
 上手阪田の6五歩に、対して6四香が下手金易二郎期待の“返し技”。もちろん、阪田もこれはわかっていたはずだが、6五歩で勝てるという読みだったのか。
 6五歩に同歩は、同桂で、それは下手陣がいっきに崩壊するのだが。
 もしも上手の4四角の角筋が通っていたら(6五歩に6四香という)この攻め合いは上手に軍配が上がるところだった。しかし現実この瞬間、その角筋は5五で止まっている。だからこのタイミングでの6五歩は、“微妙”だったのである。
 対局中の阪田は、しかしそんなことをいちいち振り返っている場合ではない。ここからどうやって勝つか、考えることはそれだけだ。
 阪田三吉は、ここでねらいの7七角成(図)を実行した。たぶん、阪田は「勝てる」と自信満々で思っていたのではないか。 なにしろ“夢の角”を天から恵まれたのだ。負けるわけがない。

 金易二郎はどうみていたか。 金も、「勝てる」、と思っていた。

 金易二郎は図の7七角成を同桂と取った。

 以下、6六歩、6三香成、同銀、5三角、6二香(次の図)


夢の角137手目
 さあ、どっちが勝ちになっているか。(それとも、まだ優劣不明の勝負なのか)
 金易二郎の感想がある。
 5三角と打った時、金は「取る一手だから、同桂成りで勝ちだと読んでいたところ、△6二香の名手を指されて驚いた」、という。
 5三角は上手玉への“詰めろ”であり、だから「取る一手」と金は思っていたのだが、6二香という受けがあったということ。
 しかし、持ち時間無制限だからこういう最終盤の重要なところで、いくらでも考えられるというのに、この軽率な見落としはどういうことであろう。不思議である。「勝てそう」となれば、より慎重にあれもこれもと時間をかけて読むものだと思うが…。
 (6二香は、「名手」というほどの手とは思えない)
 こういう見落としがあったが、しかし金の打った5三角は盤上この一手というべき“好手”であった。

 5五歩(128手目)、6四香(130手目)、5三角(136手目)、金易二郎の指し手は、冴えていた。

 6二香と、阪田三吉が、詰めろ逃れに受けた(そのままだと7一銀から詰む)その局面、「激指」の評価を見ると、なんと「0 互角」。
 候補手(最善手)として「激指」は、6六銀を示している。

 実戦の易二郎の指し手も6六銀。(6七歩成が入っては、下手勝てない)
 阪田、6七金と打つ。


夢の角139手目
 正しく指せば、下手(金易二郎)の勝ち。
 どう指すのが正着か、考えてみてほしい。(つづく)
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終盤探検隊 part33 阪田三吉 “夢の角”

2015年09月06日 | しょうぎ
 上の図は、1920年(大正9年)の「金易二郎-阪田三吉戦」の119手目、阪田三吉がいま「7一角」と打ったところ。
 これは“夢の角”と呼ばれる。後に阪田がこの手を「(夢の中で)天から降った角」と表現したからである。

    [天から降った角]
 坂田はさっさと夜具に入って、ぐっすり寝込んだあと、夜中に目を覚ました。室内に将棋盤が置いてあった。佃(注:坂田の弟子の名前)が一人で手を調べたらしい。
 その将棋盤の上に角が一枚だけ残って、月の光に冷たく光っていた。ほかの駒はみんな駒袋にしまわれていた。
 それを見た時、坂田は不思議な思いにとらわれた。けったいな角やな、これはどういうこっちゃ。そして、しばらくその角を見つめているうち、 
「これはただの角じゃない。天から降った角だ。(以下略)」
                        (岡本嗣郎著『9四歩の謎』より)


 この対局は、「持ち時間無制限」の対局である。
 終局まで、「7日」を要した。

 阪田三吉と関根金次郎の五番勝負(1913年)の頃は持ち時間無制限でも2日くらいで決着がついていたが、だんだんと大勝負では長い勝負になっていき、このように1週間とか10日かかるようになってきたのである。


夢の角13手目
 阪田三吉はこの時50歳、金易二郎は30歳である。
 阪田は八段、金は七段、手合いは阪田の「香落ち」である。
 いまの時代、ほとんど香落ちの対局はないので、感覚的にはわかりづらいが、この当時の「香落ち」は「平手」戦以上の勝負の緊張感があったと想像される。「平手」ならば“同格”とはじめからみなされているのだから、どちらが勝っても傷つかない。しかし「香落ち」ではそうはいかない。上手が敗れれば“評判ほど強くないのではないか”などと言われはじめるし、下手にとっては出世への超えるべき壁となるのだから歯をくいしばって全力で乗り越えたい、そういう、人生を左右する勝負なのである。
 当時、将棋で食べていけた者はわずかしかいない。「評判」こそが大事なのである。

 阪田三吉と関根金次郎の五番勝負は1913年のことで、「阪田三吉の名人獲り」のチャレンジは実質、1917年、阪田が土居市太郎に敗れた(阪田痛恨の逆転負け)ことで決着していた。土居は関根一番弟子で、阪田より3歳年上の関根の棋力のピークは過ぎており、当時の東京の最強者は土居市太郎とみられていて、その土居との「東西決戦一番勝負」に阪田三吉は敗れたというわけだ。
 
 金易二郎は「こんやすじろう」と読む。秋田の出身である。「金(こん)」という姓は秋田の地に古くからある由緒あるものだそうで、朝鮮半島の金姓とは、無関係である。
 金易二郎も関根金次郎の弟子で、兄弟子土居市太郎より3つ下、弟弟子には7つ下に花田長太郎がおり、さらに下には木村義雄がいる。木村はこの1920年の時点ではまだ15歳である。

 中原誠十六世名人は、10代の修業時代のとき、この金易二郎に将棋をよく教わっていた。中原は金の孫弟子という関係になる。
 あの「中原囲い」は、「金先生に教わった」ものだと発言している。(「中原囲い」は江戸時代後期から明治時代に指されていた囲い)
 ちなみに、金易二郎の「棋士番号」は1。

 また木村義雄(十四世名人)は、あの香落ちの「木村不敗の陣」と呼ばれることになる「上手3四銀型」の振り飛車の陣形は、金易二郎が花田長太郎を相手に指して研究を深めた型であると、著書『名人木村義雄実戦集』の中で述べている。

  参考 → 『無敵木村美濃伝説とは何だったのか1

1913年 金易二郎-阪田三吉 香落ち
 これは7年ほど前の「金易二郎-阪田三吉戦」である。これも香落ちだが、「角交換中飛車」である。
 阪田の序盤はこのように面白いが、それは阪田が「中盤の小競り合い」に自信があるからである。はやく中盤にしたいのだ。
 この将棋は金が勝っている。


夢の角27手目
 阪田の1一飛が面白い。が、冷静に見れば、この飛車にたいして意味はない。
 上手阪田は、早く戦いにしたい。仕掛けてきてくれ、ということだ。そう言われても、居玉の下手は動くわけにいかない。この将棋は、遊びではないのだから。
 この将棋は、持久戦になった。

 上手の陣形「5三銀型」は江戸期の振り飛車でよくみられた型である。やがて1790年くらいになって、人々は7二銀すなわち「美濃囲い」のほうが勝ちやすいのではと認識しはじめる。
 だからこの「5三銀型」は、より古くさい形である。

 下手は「引き角」である。このあと、「矢倉」に玉を囲う。
 この、「矢倉引き角」という作戦は、現代では普通に「相矢倉戦」で見られるが、むかし(江戸時代)は「平手」の将棋にはあまり見られない。だいたいは「下手が上手に対し駒落ちで勝つ」ための戦術だった。たとえば「角落ち」での「矢倉定跡」のように。強者が、わざわざ角を引いて使う必要などない、というような感覚だったかもしれない。
 (平手戦で最初から引き角をねらう矢倉をはじめたのは1940年代の塚田正夫である)

 金易二郎の若い時期の写真をみると、なかなかの男前である。
 男前といえば、関根金次郎こそ、歌舞伎役者のような美男子だったようだ。
 そうした“男前”を脇役にして、阪田三吉が“スター”だったというのは、なにがそうさせたのであろうか。


夢の角57手目
 上手は3三の金を3二に引いた。2四歩からの攻めを誘っているのである。2四歩、同歩、同飛なら、2二飛だ。
 それでも下手がわるくなるわけではなく、この上手阪田の誘いに乗る手もあった。(2四歩の前に4五歩、同歩を入れておくのも有力)
 しかし下手金易二郎はこれを見送り、5八銀右と指した。放れ駒になっていた銀を引いて、そして上手の5一角に、そこで4五歩と仕掛けた。こうして4筋から戦いがやっと始まった。
 その4五歩は実に60手目、長い「序盤」であった。
 阪田三吉の得意とする「中盤」がここからはじまった。阪田三吉の棋風は、スパッと切っていくような棋風ではない。わけのわからない、長い長い中盤を延々と指し続けていくのが阪田将棋である。そうした「中盤の泥沼」の中に相手を誘い込み、そこで終盤突然に「美しい蓮の花をパッと咲かせて勝つ」、そんなイメージである。
 この将棋はだから、ここから先も長い。


夢の角94手目
 仕掛けてから30手以上指し手が進んだが、それでもまだ「中盤の小競り合い」が続いている。次の阪田の手が95手目になる。
 局面はほぼ「互角」である。この対局は「香落ち」なので、元々形勢は下手がややリードしているものなのだが、この将棋は「持久戦」となったので、そうなると「香落ち」の下手の利が限りなくゼロに近づいていく。この将棋のように。
 「香落ち」で「互角」になったということは、つまりは「上手ペースになった」とも言えるのだ。
 そうかといって、安易に攻めるのも、上手の待ち構えるところである。「香落ち」の下手の利を生かすのはむつかしいのだ。

 しかし下手金易二郎は実は阪田三吉との対戦では、過去まだ一度も負けていないのだった。角、香、香という駒落とされの手合いで、結果はすべて下手の金が勝ってきているのである。
 そうであれば、ますます阪田三吉にとっても「負けられない一戦」であったはず。決して軽い気持ちで対戦している対局ではない。

 この図(上図)は、上手阪田の手番であるが、ここで、3五金という手があった。それで上手が良さそうだ。
 しかし阪田は3二飛と指している。阪田の脳裏には“やってみたい図”がひらめいたようだ。


夢の角99手目
 99手目、1三歩として、阪田は香車を取りにいった。


夢の角103手目
 そして取った香車を、この図のように、「4三香」と設置するのが、阪田三吉の描いた図(構想)だった。
 ここから、1三歩成、3五金、同銀、同角、同角、4七香成、4四角打と進む。


夢の角110手目
 こうなった。長い序盤、長い中盤を経て、ついに相手玉に直接迫ってゆく「終盤」にここから突入である。

 この図から3五飛、同角、となる。
 その局面がどうなのか。下手良しか、上手が良いのか。
 そこでの候補手は[A]3六飛、[B]5七角、[C]3四歩、がある。
 これら以外の手(たとえば3九飛)では、下手8五桂があって、下手がはっきり優勢になる。
 阪田三吉が指した手は[C]3四歩であるが、[A]、[B]だとどうなるか、見ておこう。

変化3六飛図1
 [A]3六飛と打ったところ。
 5三角成、3七飛成、そこで6三馬と成角を切るのが鋭い手。
 以下、同金、4二飛、7二桂、8五桂と進んで、次の図になる。

変化3六飛図2
 下手の攻めのほうが早いとはっきりわかる図になっている。

変化5七角図1
 次に、上の「110手目」から3五飛、同角の後、[B]5七角と打つ手を調べる。
 これを同角、同成香なら、上手は嬉しい。しかし当然そうはならず、5七角には、やはり5三角成である。
 以下、4八飛、4五桂、6八角成、4二飛、4一歩、同飛成、5七成香で、次の図。

変化5七角図2
 6八金、同飛成、7八銀、6七成香、7一角、9二玉、6九金(次の図)
 (6八金を同成香もある。その場合は、7一角、9二玉として、7八金打と受ける。以下、検討結果は下手良し)

変化5七角図3
 下手良し、の図である。下手は6三馬が決め手になるように指せばよい。

 どうやら、110手目の図で、[A]3六飛、[B]5七角は、いずれも下手が優勢になるようだ。
 おそらく阪田三吉もそう判断して、だから[C]3四歩と、実戦では指した。


夢の角113手目
 この113手目の阪田の「3四歩」は妙な手である。
 たぶん、どこかで、阪田三吉の読みに何か誤算があったのだ。この図の3四歩を打つ前の「112手目」の局面で、どうやら上手が苦しい形勢になっているようである。ここで上手の阪田側に“良い手”がなかった。
 要するに、金易二郎が坂田三吉との「中盤」の闘いに読み勝ったのである。阪田の得意の「中盤」で。
 いったんは「互角」になった――すなわち、上手ペースになった――形勢を、金は自分の方へ流れを引き戻したのである。
 こうしたところをみても、金易二郎が、阪田三吉とほぼ同じくらいの将棋の実力をもっていたとわかるだろう。この対局の4年後、34歳の時に、金は当時最高段の八段に昇進している。

 上手としては、自分のほうが苦しい、となれば、なんとか相手を“幻惑”させて、間違わせるしかない。
 この阪田「3四歩」はそういう手なのである。

 そして、この「3四歩」は、結果的に“好手”となった。下手金易二郎に間違わせることに成功したのだ!

 この盤上の下手3五角が攻めにも受けにもよく利いていて、だから上手はこの角に「そこどいてくださいな」とわざわざ一手と一歩を使っての「3四歩」であった。
 これには、5三角成が“ふつう”である。そのとき、阪田がどう指す予定であったかはわからない。
 我々の調べた予想手順を書いてみると、5三角成、6二銀打、4五桂、5七成香、4八飛、4一飛、6七成香、同金寄、6九銀、7三桂成、同銀、6八金寄、4六角、7一金となる(下の図)

変化5三角成図1
 下手勝ちの局面になった。
 この図で、6八角成なら、7二金(8一金では下手負ける!)、9三玉、8四銀(次の図)

変化5三角成図2
 こうなって、上手玉が詰んでいる。

 こうした進行の何が気に入らなかったか、下手の金易二郎は阪田の「3四歩」に、“ふつう”と思われる5三角成を指さず、「8五桂」を選択したのである。

 「113手目」の図から、8五桂、3五歩、7三桂成、同桂、4一飛と進んだ。
 好位置にいた3五の角を、阪田にただで取らせるという手を、下手の金は選択したのである。 


夢の角118手目
 金易二郎は、この局面(4一飛と打った場面)に魅力を感じたのかもしれない。「これでいける!」と。
 「金易二郎に間違わせることに成功した」と上で書いたが、金の側からすれば、「間違えた」という表現は認めないかもしれない。
 金はこの局面を、「選択」したのである。
 
 さて、この図118手目の局面だが、形勢は難解で、相当調べないと結論は言えないところだ。簡単に言えば「互角」ということになる。
 112手目では、(理論上は)下手有望に傾いた将棋を、113手目「3四歩」で阪田が金を“幻惑”し、「互角」に戻した、といった流れである。

 ここで「7一角」と阪田三吉は角を打って受けたわけだが、これが例の“夢の角”である。

 さて、ここでどう指すのがよいのだろう? 阪田の「7一角」は本当に名手なのか。これ以外に上手が勝つ手があるのか、ないのか。角ではなく、7一桂や、7一銀と受けるとどうなるのか。
 また、ここで上手、攻める手はないのか。たとえば5七成香で上手勝てるなら、そう指したいが…。
 そうしたことを調べていくのが、今回の調査のメインテーマとなる。

 まず、攻める手から調べよう。

 この「118手目図」で、上手が攻めるとすれば、<一>6九銀、<二>5七成桂、<三>4六角、が有力手となる。これを順に調べていく。 

変化6九銀図
 まず<一>6九銀だが、これは8一金、9三玉、9一金となる。
 この図は、「下手良し」、と判断する。(ただし、上手の持駒も多いので下手楽勝というような形勢ではない。ただ、実戦的にも、この局面は上手が嫌だろう)
 下手は、次に9五歩と上手玉に迫っていくことになる。

変化5七成香図1
 次に、気になる手、<二>5七成桂(図)を調べる。
 ここでやはり8一金が有力手だが、他に9三銀という手もあって、どちらも下手有力。
 ここでは8一金からの変化を見ていく。以下、9三玉、9一金、6七成香、同金寄、6九銀、9五歩、7八銀成、同玉(次の図)

変化5七成香図2
 ほぼ一直線の順を進んで、この図になった。
 ここでうまい攻め手順があれば後手有望となる可能性も出てくるのだが、どうやらそれはなく、この図は「下手良し」のようだ。

変化4六角図1
 <三>4六角。 我々(終盤探検隊)は、最初、この4六角が上手の最有力手で、これで「上手良し」と判断していた。
 そのときに我々が調べていたのは、この4六角に対し、9三銀からの下手が攻めた場合である。
 それをまず紹介すると、4六角、9三銀、同玉、9一飛成、9二飛(先手をとって受けないと9五歩で上手は負ける)、8一竜、8二金、7一竜、6八銀(次の図)

変化4六角図2
 この6八銀という手で先手陣は崩され、これは上手が勝ちになるようである。

変化4六角図3
 戻って、<三>4六角に、9三銀ではなく、8一金(図)から攻めてみる。
 9三玉、9一金、7九銀(これを同金は同角成、同玉、4九飛で上手良し)、9八玉、1八飛、6一飛成、8五桂(同歩は8六桂がある)、5八香(次の図)

変化4六角図4
 これは変化の一例にすぎないが、こうなれば下手良し。今のところ上手が良くなる変化は見つかっておらず、したがって<三>4六角という手には、下手8一金以下、「下手有望」というのが、我々の結論になっている。

夢の角118手目(再掲)
 「118手目」の図。 以上見てきたように、ここで上手が攻める手を選ぶのは、8一金(9三銀もある)という攻めで、どうやら下手良しになりそうだ。(他にもたとえば5九角のような攻めもあるが、やはり8一金で下手良し。4八飛は、9三銀、同玉、9一飛成、9二桂、9五歩で上手まずい)
 ということであれば、この図では上手は受けるしかない。しかし、どう受けるか? ――と、阪田三吉も悩んだのである。そして苦しんだ末、夢の中で天から授かったという「7一角」を選択したのである。

 さて、もしこれがあなたの対局だったとして、上手番を持ってあなたは、どういう受けを選ぶだろうか?
 我々が検討したのは、次の4つ。
 <四>7一桂
 <五>8一桂
 <六>7一銀
 <七>7一角  ←阪田三吉が指した、“夢の角”

 <四>7一桂には、6一銀がある。以下、6二金、4五桂が予想される。 

変化7一桂図1
 4五桂と感触的には下手が良さそうだが、まだまだはっきりしない。
 ここで5二銀打がしぶとい応手である。これに対応を誤ると、下手の勝てない将棋になる。
 5二銀打に、同銀成、同銀、5三銀と、飛車を取られることを怖れず食いつく。以下、4一銀、6二銀成、8一銀、6一金(次の図)

変化7一桂図2
 どうやらこれで、下手が勝てるようである。上手は大駒四枚を持っているが、それを使って下手玉を攻略するとなると、その過程で飛車か角を切ることになる。その瞬間に上手玉を詰ます――そういう形をつくるのだ。
 4六角、7一金、5九飛、9八玉、1九飛、7九桂で次の図。

変化7一桂図3
 「下手優勢」。しかしこの<四>7一桂からの変化も、ギリギリの攻防だったことがわかるだろう。ギリギリではあったが、やはり「下手有望」な分かれになると、わかった。

変化8一桂図1
 では、<五>8一桂と、ここに桂馬を受けるのはどうか。
 これには6二金がある。(同金なら、7一銀)
 上手7一銀と受けて、同金、同金、6二銀、7二金、7一銀打、9三玉(次の図)

変化8一桂図2
 持駒を使ってしまい、下手はここで5三銀成くらいしかない。間に合うだろうか。
 上手は1八飛と打ち、6三成銀、5七角となって、次の図。

変化8一桂図3
 この5七角で、代えて5七成香では、7二成銀が上手玉の“詰めろ”になっていて、下手勝ちが確定する。よって、上手は5七角だ。これは7九角打以下の下手玉への“詰めろ”。これならば7二成銀は間に合わない。
 では下手はどうするか。
 ここは8七玉と“詰めろ”をかわして、それでどうやら下手が良いようだ。それでも7九角打(詰めろ)だが、8八銀と受けて、以下同角成、同金。そこで上手はいったん6三金と手を戻す。下手、7八銀(次の図)

変化8一桂図4
 7八銀で、8八飛成からの詰みを防いで、これは「下手良し」になった。7九銀なら、8二角、8四玉、9一角成。また、図で7二金なら、9五歩または6一飛成でよい。


夢の角118手目(再掲)
 <一>6九銀
 <二>5七成桂
 <三>4六角
 <四>7一桂
 <五>8一桂
 <六>7一銀
 <七>7一角  ←阪田三吉が選んだ手、“夢の角”
 これまでの調査結果をまとめると、<一>~<五>の候補手は、すべて「下手良し」になる。
 <六>7一銀と<七>7一角が調査結果未発表なのだが、ここが本報告書の“肝”の部分である。<七>7一角は実戦の進行でこれから見ていくが、<六>7一銀については、ここでそれを記していくと長くかなり大変なことになるので、これについてはこの「金-阪田戦」を最後まで鑑賞して、その後に報告することにする。

 ただし、<六>7一銀について、かんたんに触れておく。
 阪田三吉は7一に「角」を打ったわけだが、ここで<六>7一銀と打って受けるのは、誰にでもうかぶ“ふつうの手”である。ここは7一銀と打つのが、受けるのならば一番しっかりした受けに見える。
 もしも7一銀と打って、下手の金易二郎が4七飛成(成香をとった)と指したならば、その時、上手の陣形は7一の場所に「角」があるよりも、「銀」であるほうが“堅い”。
 だから、7一銀、4七飛成、と進めば、これは「上手良し」という形勢になるのだ。

 しかし、実戦では、上手阪田は「<七>7一角」と指したのだ。そしてそれを“夢の角”と、自ら大宣伝してその結果今もこのように語られるほどの名局となっているのだが、なぜ、「銀ではなく、角なのか」というのが、この将棋を鑑賞する上での“核心部分”となるのである。


夢の角119手目
 坂田三吉は7一に「角」を打った。「銀」ではなく「角」を。
 夢の中で「天から授かった」という角である。

 我々の手元に参考文献として東公平著『阪田三吉血戦譜』のコピーがあるが、その中で著者東氏はこの将棋の棋譜解説を加藤一二三(プロ棋士九段)にお願いしたようだが、加藤一二三はこの7一角について、「(プロの)高段者ならば普通の手」と述べた、と書いてあるのが面白い。指した本人と、解説者加藤との、温度差が。

 そうなのである。「7一銀」はだれでもうかぶ“ふつうの手”だし、しかし7一銀でうまくいかない、7一桂でも受からない、となれば次は「では7一角ならどうか」と考えるのは、常人であればふつうに行く着く思考の流れで、だから実のところ「7一角」だって、やっぱりだれでもうかぶ“ふつうの手”なのである。
 それが「夢の角」として伝説になっているのは、阪田三吉のキャラというか、“スター性”であろう。凡人が「夢の角」などと言ってもその場限りで消えていく話だし。阪田三吉の話している内容は七割は意味が分からなかったという話もあるが、魅力的なキャラだったのは確かだろう。そしてまた、阪田か、阪田の周囲(阪田のバックには当時は大阪朝日新聞社がついていた)が、よほどの宣伝上手だったのである。
 しかし“伝説”でコーティングされた棋譜の鑑賞は、やはり楽しい。小説といううそ話を真面目に面白がって読むのと似ている。読者は、だまされたくて小説を読むのだ。

 我々凡人には、「7一角」と「7一銀」と「7一桂」などを、対局中に精査していくような能力がないので、これが我々自身の対局なら、たぶん“勘で”(受けるのならば)「7一銀」とか、「7一桂」を選択したであろう。
 けれども「5三」の地点も受けなければならないということであれば、「7一角」ならどうかと、凡人であっても、それは発想としては思いつく。
 実際、そうなのだ。この「7一角」は、「5三」を受ける意味があるのである。だから坂田三吉は「銀」ではなく、「角」を打ったのである。

 実戦は、ここから、4七飛成、1八飛、4一龍、5二銀打と進んだ。

 このように(4七飛成と)進むのならば、7一の駒は「角」よりも「銀」のほうが良いと、我々は上で述べた。
 しかし阪田三吉が「角」を選んだのは、“他の気になる変化”があったからなのだ。
 「4五桂」である。
 7一に「角」または「銀」を受けた時に、4七飛成ではなく、「4五桂」という手がある。
 その変化をこれから考えてみよう。次の図である。

変化4五桂図1
 119手目上手7一角(夢の角)に、4五桂、5七成香と進んだ図である。(実戦はこうはならなかったのだが)
 話は簡単である。この時に、7一に打った駒が「角」ならば、ここで5三桂成はない(同角と取られてしまうから)、しかし「銀」の場合は、5三に利いていないのでここで5三桂成で、上手まずい。
 おそらくはそのように阪田は考えて、「7一角」を選択したのである。これが「角」の理由である。
 (ただし、それだけでなく、その後、この角を最後には攻めに使うという二段構えの未来構想も見えていて、それが実現したので、この将棋が阪田三吉の名局とされるのである)

 だが――しかし、“本当にここで5三桂成はないのだろうか”

 我々はそれを考えた。
 5三桂成、同角となれば、再び上手玉の後ろが開く。そこで〔i〕8一金、または〔j〕9三銀という攻めは大丈夫なのだろうか?
 そこに興味を持ち、調査してみたのでその結果をここで記すことにする。

 5三桂成、同角、そして――

変化4五桂図2
 まず、〔j〕9三銀から。これは同香は8一金から詰むので、9三銀には同玉の一手。以下、9一飛成には、9二飛。やはりここも必然で、他の合駒なら9五歩で下手有利。
 9二飛に、下手は5一竜。これは5三の角取りなので、6二銀。下手2一竜と逃げて、次の図である。

変化4五桂図3
 ここで、上手の指し手が難しい。
 ソフト「激指13」は、この局面の評価を「-487 上手有利」としているが、実際に「激指」が挙げている候補手のどれを選んでみても、指していくと結果は下手良しに覆ることのほうが多い。
 上手は9二に飛車を使ってしまっているし、9三の玉は不安定だしで、実戦的にも、この局面は下手が勝ちやすい局面とも思えるのである。

 それでも、我々は一応、上手の勝ち筋を特定できたので、それを記しておく。
 この図では6五歩が上手の最善ではないかと思う。以下、9八香打(9五歩、同歩、9八香打は9六桂で上手良しになる)、8五桂、9五歩、9二玉、9四歩、9七歩、同香、6七成香、9三歩成、7三玉(次の図)

変化4五桂図4
 ここで下手は6七金と手を戻すが、「金寄」と「金上」がある。
 まず「6七金寄」の場合。6六歩、同金、8六角、8七香、5七角(次の図)

変化4五桂図5
 これで上手が勝ちになった。しかしここまでの手順、ひとつでも後手が間違えばもう勝てないというような手の連続で、実戦だとかなり下手のほうが(たとえプロ棋士の将棋であっても)勝ちやすいと感じる。

変化4五桂図6
 「変化4五桂図4」から、「6七金上」の場合。これも正しく指せば上手勝てそう。
  「6七金上」に、6六歩、同金直、6八銀、7八金打、5七角、8五歩(桂馬を取って次に6五桂をねらう)、9六桂となって、この図である。
 これで寄っている。この9六桂は同香と取らせて「逃げ道封鎖」の意味で、同香、7九銀打、8七玉、6六角成で「上手優勢」(6六角成に同金は詰む)

変化4五桂図7
 「変化4五桂図1」まで戻って、5三桂成、同角と進んだとして、そこで今度は〔i〕8一金の攻めだとどうなるか。
 以下、9三玉、9一金、6七成香、同金寄、6九銀、9五歩、8四玉、6八金寄、1七飛、4七歩、1八飛成、9四歩、6五桂(次の図)

変化4五桂図8
 6五桂で上手は7三という脱出の小部屋を開く。下手陣は次に上手から7八に銀か角を打たれるてが嫌なので、ここで7八香とそれを受ける。その手には5八銀打が正着。(この手では5七桂成がうまそうに見えるがそれは結局上手有利になった)
 さらに進めて、8五香、7三玉、9三歩成、6七銀成、8三と、同金、同香成、同玉、8一飛成、7三玉で次の図。

変化4五桂図9
 ここまでくれば、一応、「上手良し」。 しかしまだまだ予断を許さない形勢。
 この局面の「激指13」の評価値は、「-587 上手有利」。
 しかしこの変化も、ここまでにくるまでの上手の指し手の選択は厳しいもので、一歩踏み外すと奈落の底に転落というような指し手ばかりである。

 そういうわけで、一応、理論上は「上手良し」とはなったが、しかし実戦的には逆に下手のほうが勝ちやすい変化と我々は見る。
 したがって、阪田三吉の“夢の角”=「7一角」に対し、4五桂、5七成香、5三桂成というのも、“勝負”としては、十分にあった。

 (追記: その後内藤国雄著『阪田三吉名局集』を読むと、7一角のあと、4五桂に、“5二銀打”とすると書いてあった。なるほど、このほうがよい。これならたしかに上手良しだ。)


夢の角123手目
 さて、「金易二郎-阪田三吉戦」は、阪田の119手目「7一角」の後は、4七飛成、1八飛、4一龍、5二銀打と進んだ。そしてこの図である。
 今の手順で、4一竜を4二竜とするのは、1五角という手が下手金易二郎としては気になったのだろう。 4二竜、1五角、2四歩、3七角成、6一銀という展開が予想される。これはむしろ下手ペースか。
 したがって、あるいは、4二竜が理論的には最善手の可能性もある。
 だから、実際に金易二郎が4二竜と指したなら、上手の阪田は、(1五角ではなく)4一歩と指した気がする。同竜なら本譜のように5二銀打と指せるし、3二龍なら、6八銀と攻めてこれは後手有望に思われる。(4筋から下手の竜がいなくなると4八歩のような受けがなくなる)
 本譜の進行でも、4一龍に、5二銀打と打たないで6八銀と攻めに銀を使うのも有力。この銀を金に換えれば、その金を受けに使うこともできる。

 このあたり、変化が広く、「互角の形勢」としか言いようがなさそうだ。

 だが、「5二銀打」と打つのが、(“7一角=夢の角”を打った時からの)上手阪田の予定通りの構想だったと思われる。

 対して金は3二龍。
 5一龍では、やはり1五角が気になったか。
 また5一竜には、5九角、4五桂、7七角成、同桂、4一金として竜を捕獲されるような手段も生じる。
 この手3二龍を指すのに金易二郎、大長考をしたらしい。「大長考」と聞くと現代なら1~2時間を思うところだが…
 『阪田三吉血戦譜』で東公平は、この一手のために8時間考えたのではないかとしている。当時の棋譜には消費時間の記載はないので正確には不明なのだが、どの手かははっきりしないが、この対局のどこかで8時間の長考をしたらしいと、そういう話が残されているのである。それがこの一手ではないかと。
 実は東公平がこれを書いた時期(たぶん1979年、掲載紙は朝日新聞)には、金易二郎はまだ88歳で存命されており、東は直接話を聞きに行ったかもしれないが、しかし本人の記憶も確かではなかったのだろう。金はその翌年に89歳で亡くなっている。
 『阪田三吉血戦譜』には、金の124手目3二竜の手で、「▲4六竜と粘るべきかどうか長考した、という」と書かれてある。
 ソフト「激指」の候補手にも一応4六竜は挙がっているが、どうもそれだと上手良しになる。実戦で金易二郎が指した手3二竜が、おそらく最善手と思われる。さすがである。
 しかし8時間の長考以上に、その指し手を待っている相手のほうがもっとすごいと思う。気力、体力の勝負である。将棋では平凡な成績ではまともに食べていけない時代だから、必死だ。

 (追記: 内藤国雄著『阪田三吉名局集』では、8時間の長考は、もっと前の手80手目だとしている)

 下手の3二竜に、上手阪田は、5九角。そして次の図となる。


夢の角125手目
 阪田は、5九角と打った。
 ここで上手の7一角に注目していただきたい。5二銀打と打ったことで、4四角と出やすくなった。4四に角を出れば、この角を攻めに使うことができる。
 おそらくは阪田三吉は、7一角ではどうかと考え始めたときに、この図まで見えていたのである。そして思い描いていた通りに、絵が描けたのだ。

 下手4五桂。 上手4四角。 ついに“夢の4四角”が発動だ。


夢の角127手目
 119手目に、7一に受けのために打った角が、4四角と出た!



 この対局の棋譜についての“探査報告”は、1回で終わらせる予定で書きはじめたが、長くなった。何回か(たぶん3回)に分けることとする。
 とうわけで、つづく。
 (終盤探検隊シリーズの“おまけ”のようなつもりで書いている。終盤探検隊シリーズで「月」について文章を書いていて、この将棋を連想しむずむずしていたので。)
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