はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

「ひれふす心」

2006年05月31日 | ほん
 『のんちゃん』のPART2

 笑い声が、プワプワ、キラキラ、わきあがり、舞いあがりました。

 こころの内側が光で満たされると、一瞬、ひとは幸福になる。ちからにあふれ、愛が満ちているとおもう。やさしくしようとおもう。できる、とおもう。
 けれどそんなとき、ひとの話が聞けなくなって、愛の押し売りをしたりする。光でお腹いっぱいなのでなにも入らないのだ。ひとのこころが見えなくなる。
 そんなときはどうすればいい?

 「ひれふす心…  ようくおぼえておけ。これさえ忘れねば、まずまちがいはない。」

と、雲のおじいさんはこの本の中で言ったけど…。
 どうすんの? 錐でつついて空気穴あける?

 ちょっと山に登ってみようかな。高尾山はどうだろう?

『のんちゃん雲に乗る』

2006年05月30日 | ほん
 なぜかこの本を読みたくなり図書館で借りてきました。読むのは3度目です。
 あらためて読むと細部までていねいに描かれていて情景がうかんでくる。いい大人が小学2年生の女の子に感情移入できるのだからすごい。著者は石井桃子さんです。
 
 図の端にいる犬の名はエス。のんちゃんの兄ちゃんがかわいがっている犬で、この兄ちゃんとエスの仲良しエピソードにじーんとくるのは、以前話したように僕の親友だった老犬の名がエスだったから。(記憶にないわけだけど。)

八木重吉

2006年05月28日 | ほん
   つまらないからつったってゐたら
   雲が
   すこしうごいたので
   わたしも
   くらんと あたまをうごかした


 八木重吉は20代のときによく読んでいました。こころにすいっと入ってじゃまにならない。読むと、「言葉が」というより、「空気が」入ってくる感じ。
 八木重吉は29歳で結核で亡くなっている。八木重吉の詩集には桃子、陽二というこどもがでてきて愛していたということがよくわかる。いまわかったがこの二人も10代のとき結核でこの世を去っている。結核というのはすさまじい病気だったのだとわかる。
 重吉の妻との関係はどうだったんだろう、というのが気になっていた。
 どうやら仲がよかったようです。ホッとしますね。重吉が死んだ後、その詩を本にしたいのだが、と妻登美子はひとに相談した。その相談に乗ってくれたのが歌人吉野秀雄で、その後登美子は吉野と再婚している。
 はやくして死んだからといって、不幸だ、というのは間違いだ。八木重吉の詩は今でもこのように読むひとがいるのだから。読むとすんなりのどをとおって消化されていくのが、いい。重吉の碑が町田にあるという。いつか、行ってみよう。


 さて明日(正確には今日)はダービーですが。ドリームパスポートでどうでしょう?

虹色に光る水

2006年05月27日 | はなし
 ある夏の日、僕とシゲとヒデ3人であそんでいたら激しい雨が降り、僕らは軒下に非難して空にはしるイナズマをみていた。その日のイナズマは凄まじく、雨はますます強くなって止みそうにない。そのうち飽きたので「ヒデの家へいこう」ということになった。ヒデの家にはその日だれもいない。
 ヒデの親のしごとは農業ではないが、家の建物は古い小さな農家の家で、そういう家は土間が広くて土になっている。平らではなくでこぼこだ。雨が降ると土間に水が入りこんで家のなかに水たまりができている。
 「たいへんだ!家が沈没するぞ!」
 そんなことはないのだが、僕らはおもしろがって増えている土間の水をかきだすあそびをはじめた。箒や洗面器を手にして夢中になってかきだす。しかし雨は激しく水はふえていく。
 そのときだ。

 バチッツ

 その瞬間、全身に電流がはしり、脚がつっぱり、水が虹色に光った。電源のヒューズが火花を出してとんだ。
 雷がすぐ近くの電柱に落ちたのだ。
 僕とヒデは足を水のなかにいれていたので電流を感じた。カエルに電流を通す実験のように脚がピーンとのびたのだ。シゲは土の上にいてそれはこなかったらしい。
 「水がひかったあ!」
 「あしが…!」
 音も光も電流も一瞬のことだ。

困った…。

2006年05月26日 | はなし
 まるで、わからなくなった。

 このところ、よくかんがえこみます。「さあ、これをかんがえろ」とテーマがうかぶので。考えるのはすきなので、いいんですが、こころが硬くなったりほぐれたりで自由がきかない。見た目にはただのウツ。
 仕事から帰って寝ようとしたが、こころが固まって6時間も眠れず。

 こういうときには音楽も聞いてもたのしくないのです。
 そんな状態で沢村実希さんのライブに原宿へ行ってきました。実希さんのライブもしばらくお休みということなので。
 こころはカチコチにフリーズしたまま。これじゃあどうにも…。
 ところがですね、沢村実希さんが歌いはじめると、グラッと動いたんですね。重いまんまで。ライブってすごいちからがあるんだね。こころが軽くなる、とまではいかなかったけど、風のとおる隙間ができたような感じ。
 1年前は彼女に歌を習っていたんだなあ。遠い昔のようだ…。
 飛び跳ねて歌う実希さんをしっかりみてきました。

テニス部

2006年05月25日 | はなし
 今日は晴れたね。

 中学ではテニス部に入った。
 基本的に部活はきらい。だけどどこかに入らなきゃいけない規則だったし、文化部は名前だけあって部員はいない、全員が運動部に入っていたわけで、運動部はにがてだったけど、それでなんとなくテニスを。もともと運動はきらいなわけじゃない。筋力、持久力、反射神経は「劣」だけど、根性くらべと技の鍛錬はすきなので。きらいなのは「時間の拘束」。だからできるならどこにも入りたくなかった。
 退屈な授業で何時間も拘束されて、そのうえ放課後まで拘束されるというのがいやでいやで。授業はまだいい。ぼーっとして頭のなかだけで逃避してあそべる。しかし部活はそうはいかない。それが問題なんだ…。
 夏休みにやっと自分の時間が持てるとホッしてたらなんとほとんど毎日部活の予定が入っていて、もう、がっかり。
 1学期のときはまだよかった。3年生って1年生にあまいでしょ。
 僕は小学生時からずっと「雲を見る」のが趣味で、これは授業中はできない。家に帰って日が暮れてからでは遅い。それで部活の玉ひろいのときに「見る」わけだ。「いい雲」があると気になる。あれがどう変化していくのか…。それを元に空想の翼をひろげていくわけ。
 3年生が引退すると2年生が仕切るわけだけど、その中でショーダって先輩が細かく1年を見ている。一番最初に僕が目をつけられた。3年生がいたときから言いたくてしようがなかったのかもしれないね。ほんのちょっと玉ひろいが遅れると僕をどなる。それでも僕は雲が気になる。またショーダが怒鳴る。そのくり返し。僕は耐えられずやめてしまった。
 僕がやめたあともショーダの細かい1年チェックはどんどんエスカレートし、1年の間では敵意をこめて影で「ダッチョ」と呼ばれるようになった。ああ、早くやめて正解だった。でもあのときがんばって3年生までテニスを続けていたら僕の人生もちがったものになったかもしれないな。高校でもテニスをつづけていたりしてね。あれは人生の分岐点だったのではないかなあ。そのときは気づかないけれど。

鉄下駄とヌンチャク

2006年05月23日 | はなし
 シゲは鉄下駄とヌンチャクを買っていた。
 鉄下駄は重さ10キロの下駄で、『柔道一直線』に影響されて。下半身強化のためだが、あんなの履いて歩いていったいどこが鍛えられるというのか。
 ヌンチャクはブルース・リーに影響を受けて。ヌンチャクを練習するのは覚悟がいる。からだも頭も怪我だらけになるだろう。ヌンチャクをうまく使える人ってナマでみたことないな。
 どちらもきっと役にはたっていないだろう。
 シゲは中学では柔道部に入った。高校も柔道で選んだようだ。顔はジャイアンツの高橋由伸によくにている。

荷馬車

2006年05月22日 | はなし
 シゲの家は農家で牛と鶏と馬がいました。犬と猫と鳥も飼っていました。僕の家とは畑をはさんで数十メートルの距離にあったので、牛の「ンモー」、鶏の「コッコッコケッ」という声がいつも聞こえてきました。馬と犬は仲がわるかったようです。
 馬は荷馬車を曳くための馬です。農閑期にシゲのお父さんが馬を曳いて荷物を運ぶ仕事を引き受けるのです。県内では「最後の荷馬車ひき」ということでときどき新聞などに載ったりしていました。
 シゲのお父さんは馬の口をひいてポックリポックリと歩いていきます。僕とシゲはそれについていっしょに歩き、空になった帰りの荷台に乗せてもらったりしました。
 いまとなっては僕のなかでも夢のような遠い風景です。

じゃがいも

2006年05月21日 | ほん
 新じゃがのおいしい季節だね。

 前稿のつづきで『優駿』のはなしを。
 「オラシオン」の意味は「祈り」。

 和具工業株式会社社長和具平八郎がオラシオンを買った。3,000万円で。娘の久美子が「あの馬、わたしにちょうだい」といい、オーナーになった。平八郎の片腕の秘書多田が「オラシオン」と名づけた。オラシオンを中心に彼らの生も動いてゆく。
 オラシオンは北海道のちいさな牧場で生まれた。オラシオンを生むためのの種付け料は380万円だった。それは思い切った高い値段で、もし馬が妊娠しなくても種付け料は払わなければいけないから、その場合、捨て金になる。(ちなみにサンデーサイレンスの種付け料は2千万円だったかな。そうやってディープインパクトは生まれたわけですね)
 その牧場の息子は久美子にじゃがいもと呼ばれた。じゃがいもは牧場の夢を語りつつ美しい久美子に恋をした。同時に自分には手の届かない女と思い苦悶した。そして思った、もしもオラシオンがダービーに勝ったら…。
 ダービーを前に久美子は父平八郎との話しの中でふともらす。「オラシオンがダービーを勝ったらそのあとどうなるの?種馬になるの?それなら、私、オラシオンをあのじゃが芋に返してあげたいな。あのじゃが芋、望みだけは大きいのよ。」
 和具平八郎は会社と自分の危機をのりこえる力を求めてオラシオンに祈り、多田もまた何らかの思いを感じ、騎手奈良五郎も…。

 「ダービーは運の強い馬が勝つ」   ほんと?
 来週28日は日本ダービーですね。 

ミラクルバード

2006年05月20日 | ほん
 仔馬のときに他の仔馬に顔を蹴られて死にかけた馬がいた。死ななかったのが不思議なくらいの大怪我で、顔がゆがんでいた。誰も買い手がつかなかったこの馬を神戸の焼き鳥屋の男が買った。焼き鳥屋は、馬が好きで好きでどうしても自分の馬をもちたい、と思っていた。
 そんな馬だから預かってくれる厩舎をさがすのも乗ってくれる騎手をさがすのにも苦労する。騎手はあまりぱっとしない奈良という騎手が乗ることになった。
 ところがその馬にはちからがあった。デビューから勝ち続け、ダービーの出走権も勝ち取った。騎手の奈良五郎はそこからレースを勝つコツをつかんだらしく、他の馬でも勝てるようになった。人びとは「奈良はあの馬に勝ち方を教わったようだ」とうわさした。
 その馬の名は、ミラクルバード。「奇跡の焼き鳥」だ。
 奈良五郎のはなし。
「ミラクルバードでクラシックを獲りたいです。あんな賢い馬、僕は初めて乗りました (中略)
ひと目でわかるくらい(顔が)歪んでいます。仔馬のときにそんな目におうたら、ふつうならもう他の馬を怖がってレースになんか使えません。あいつ、顔を蹴られて死にかけて生き返ったとき、人間になったんと違うやろうかと思うんです。」

 しかし奈良五郎はミラクルバードの騎手をおろされる。厩舎の政治的な力がはたらいたのだった。ミラクルバードは次のレースで大事故を起こし騎手とともに死んでしまう。
 運に見はなされ、呪いを背負った奈良は「すべてのレースを死ぬ気で走って日本一のジョッキーになってやる。」と誓う。

 これは宮本輝著『優駿』のエピソード。主役は「オラシオン」という名の馬。奈良五郎はこの馬に乗ることになります。

夢の華

2006年05月19日 | つめしょうぎ
『夢の華』は山田修二さんの1998年に発行された詰将棋作品集。
山田氏は昭和ヒトケタ生まれだ。この作品集には100の作品が収められている。中身が濃くて、作品も解説文もたのしい。
その第100番の作品がこの「夢の華」だ。
未来に窓がひらかれているようで、うれしくなる。

Super Sonic Jet Boy

2006年05月18日 | おんがく
ぶっ飛ばしてぶっ飛ばしてぶっ飛ばす~ ♪
ぶっ飛ばしてぶっ飛ばしてぶっ飛ばす~ ♪

おれにはふあんなんてない
てれびのばかがあおっている
とらうまのおおやすうりだ そんなにたいしたもんかよ

どうでもいいじゃないか そんなこたあどうでも
どうでもいいじゃないか そんなこたあどうでも

すーぱーそにっくじぇっとぼーい ♪
すーぱーそにっくじぇっとぼーい ♪
すーぱーそにっくじぇっとぼーい ♪
すーぱーそにっくじぇっとぼーい ♪

ちだるま

2006年05月15日 | はなし
なんだよ、コレ。  えっ、オレ?
これがオレ…。
おれって血だるまなの? いつから?

 … まったく、  鈍感だな、 オレは。
なんで痛くないんだ…  あっそうか。
痛くてがまんできないから、鈍感になってんのか。そうか。
でも いつから?

あっ、
痛え。 痛えぞ!        イテエ!