はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

えらい

2006年12月22日 | はなし
 昨日、妙に気持ちがしずんで、ありゃウツの壁にあたったかいな、と思ったんだけどただの風邪だった。
 風邪ひいちゃった。今年2回目。風邪って3年に一度くらいしかひかなかったんだけど、体質がかわったかな?
 「ああ、そりゃあ、えらいね」と、実家の山口県ではいうところだ。「えらい」とは誉めているのではない。「つらいね」「たいへんだね」という意味で、大人たちは挨拶がわりにやたらと使う。 「昨日は徹夜で勉強したんよ」「へえ、えらいね」 誉めているのではない、たいへんだねって意味だ。
 マラソンで走って「ああ、えらいなあ…。」とつぶやくとき、べつに自分で自分を誉めているのではない。「しんどいなあ」といっているわけだ。
 まあ、僕のこの風邪は「えらくない」ッス。

青春デンデケデケデケ

2006年12月15日 | はなし
 映画「青春デンデケデケデケ」を観ました。監督は大林宣彦。原作は芦川すなお。すごく楽しい映画でした。
 僕はこれ、原作本は読んでると思っていたけど、かんちがいみたいで、いま改めて読んでいます。登場人物に味があります。男の子も女の子も大人たちも。1965年の香川県観音寺が舞台ですが、むかしも今も、しっかり周りを見てみると、おもしろいことはたくさんあるんですよね…。それをひとつひとつ味わう余裕が大事なんだな。…どうすればその余裕をキープできるのか。うーむ。
 僕は古典ロックにくわしくない。これをよい機会としてこの本に出てくるロック音楽をひとつずつ聴いてみようかと思っている。

 明日はささやかなクリスマスライブがあり、僕は一曲だけ歌います。

 将棋竜王戦7番勝負は渡辺3勝、佐藤3勝となり、最終局での決着となりました。最終局は20・21日です。

今度は自転車と…

2006年12月13日 | はなし
衝突!
 まっすぐ走っていたら横から突然でてきた。夜だけどライトは点けてたよ。自転車に乗っていて車に撥ねられるのも初体験なら、自転車同士の衝突で倒されるのも初の経験。
 「痛エよ」と痛みが去るまでじっとして、それから立ち上がろうと思っているのに、「大丈夫? 大丈夫?」とせかっちに聞きやがる。大丈夫だけど痛いんだよ! うるさいから黙って立ち上がろうとしたが、相手の自転車がオレの背中のバックパックにひっかかって動けず。(そのまま相手が立ち去ったらわらえるな。だれかたすけてー、なんてな。)

 東京では夜にたぬきをよく見ます。

2006年12月06日 | しょうぎ
 竜王戦第5局、戦い中(渡辺2勝ー佐藤2勝)。

 6年ほど前だったか、妙に将棋を勝てる時期があって、正月に千駄ヶ谷の将棋会館道場で優勝した。決勝の相手は中学生で、彼はいま奨励会(プロ棋士養成機関)にいる。たまたま、うまく勝てた。
 で、優勝してもらった色紙が、そのときに名人だった佐藤康光のもの。「凛」と書いてある。

 竜王戦の戦型は角交換型の相腰掛銀からの戦いに。この戦型は先手が指しやすいと言われています。それを第1局につづいて渡辺竜王があえて後手番でチョイスしたわけです。つまり先手が佐藤なのですが。
 過去に名人戦で佐藤は、この不利といわれる後手番の相腰掛銀でなんども戦い、そのたびに負けています。他の戦法だと勝っていたのに、相腰掛銀だけ、星を落とす。ある棋士の先輩が「なんで後手番腰掛銀やるの?(勝てないのに)」とストレートに聞いたのだそうです。対する佐藤ヤスミツの答えも真っ直ぐだった。
 「自信があるからです。」

ふうー、よく寝たぜー

2006年12月04日 | ほん
 僕はこの10数年、まったく体力がない。それについては自分なりに理屈付けして納得させていたが、最近「これをノイローゼというのだ」と専門家の本で理解した。(体力とノイローゼと関係しているなんて思わなかった。)
 ふつうの人は内から外へとエネルギーが流れている。それが逆になって、現実界から無意識界へとエネルギーが流れていく… その状態をノイローゼというのだそうだ。ああ、まさしくこれだ、オレは。この状態を、精神的退行、創造的退行ともよぶ。

 ノイローゼ=neurose神経症 (日本語でノイローゼという場合はnervous breakdown神経衰弱 の意味に近い.)

 こころの内側に穴があってね、その向こうに「異界」があってね、そっちにエネルギーが吸いとられていってたんだねえ。だから、よく眠る。
 でも最近は食欲もでてきたし、まあ、いいんじゃない。

「絵」と「文」

2006年12月03日 | はなし
 パソコンで絵を描くのは、「色塗り」がとってもラクだ。簡単に変更ができるので、お気楽に色を決められる。僕はもともと色塗りが苦手だったので、たすかる。
 まあ、長所は短所でもあり、だから、「慎重に色を選び、丁寧に色を塗る」というステキな儀式を味わえない。「描く」ということと「身体」をむすびつけるためには、ふつうに画用紙に描くというのも時にはしたほうがいいかもね。
 あれ? 理屈っぽいか?
 僕の場合、「絵」を描く自分と「文」を書く自分とは、おなじ自分ではない気がする。「文」を書くときには少々理屈っぽい。「絵」を描くときには「そんなリクツどうでもいいよー」と笑っている気がする。

初代通天閣

2006年12月02日 | はなし
 レンタルDVDで映画「王将」を観ました。これは戦後につくられたもので、主演は三国連太郎。佐藤浩市の父であり、映画「釣りバカ日誌」のスーさん役でおなじみの役者ですが、生き生きとした演技をしています。(なんでんかんでんの社長にも似てるな。) この時代の映画は、全身で演技しているように感じられます。役者のちからというより、時代のエネルギーという気がしますね。
 もともと「王将」は、戦前昭和22年発表された演劇で、作者は北條秀司。翌23年に映画化され、このときは無声映画で主演は坂東妻三郎(田村正和の父)。
 「王将」は坂田三吉を描いたもので、実在の人物である。今年他界された高柳敏夫名誉九段は少年時代に坂田三吉に会っている。映画の中とちがって、少年に対しても深々とお辞儀をして「きょうはよろしくおねがいします」と挨拶するような真摯な人物だったらしい。ほんとうは「阪田」が正しく、生まれたのは明治3年。
 この映画では、冒頭でプロ棋士になる前の坂田三吉を描いているが、それは明治40年となっており、坂田もすでに「いい年」になっている。37歳だ。ほんとうならば将棋の実力も「下り坂」になっていく年齢だ。それでこのあとトップにまで登っていくのだから相当な実力だったことになる。
 この面白い人物に触れていくときりがない。この稿で僕が語りたいのは通天閣のこと。明治40年にすでに通天閣があったという事実。(100年まえですよ!)それがこの映画の中にハッキリと示されています。おもしろいですねえ…、この時代はほんとうにおもしろい。ほとんどの人は着物を着ている。そんな中で、通天閣のネオンが点滅し、SLが走っている。井戸から水を汲み、わらじを縄で編み、電話で連絡したりします。この時代の男の下着は「ふんどし」なんだろうか。井戸水でふんどしを洗い、土手の向こうに通天閣… なんか、スゴクナイ?
 なんか、新しいファンタジーを観ているような感覚です。昨日「ALWAYS三丁目の夕日」をTVで放送していましたが、その感覚にも似ています。「三丁目の夕日」は昭和33年の設定で、つくりかけの東京タワーが出てきます。それよりも50年前に、通天閣があったのですよ。しっかりネオンの灯ったものが。いまの通天閣は戦後につくられた2代目だそうです。