今日のメニュー。
(1)中井広恵-林葉直子 1988年 レディースオープン決勝2
(2)中倉彰子-藤森奈津子 1997年
(3)中井広恵-藤田綾 2001年
(4)林葉直子-中井広恵 1983年 女流王将3
(5)林葉直子-飯野健二 1984年
(1)「中井広恵-林葉直子戦」は、林葉さんが「後手番早石田」を採用した将棋です。
今日はこれをもとに、「後手番早石田」について、簡単にですが勉強したいと思います。
大山康晴-升田幸三 1971年 名人戦3
まず「後手番早石田」といえば、重要な対局がこれ。1971年「大山康晴-升田幸三」の名人戦第3局。総手数200手超の名局です。大山升田時代の輝きの頂点といえる将棋ですが、これが升田幸三の「後手番石田流」の将棋なのですね。
この1971年の名人戦は最終局まで、つまり7番闘ったわけですが、そのうちの5局が升田幸三の「早石田」。アマチュア好みとされていた「早石田」をトッププロが採用して、それが好勝負だったので将棋ファンは湧いたのですが(僕はリアルタイムでは知りません。羽生さん森内さんもまだ0歳ですね。)、それで「升田式石田流」と呼ばれて有名になりました。
ところで、升田が「早石田」を採用したその5局の内、先手番で4局、後手番で1局です。
そう、つまり升田さんは後手番ではこの「早石田」をこの一局だけでしか使っていないのです。
どういうことか。「後手番での早石田」はリスクが高い、と升田さんもおそらくは見ていたからなのです。
伊藤印達-大橋宗銀 1709年
「先手番の早石田」の棋譜は、過去を辿れば300年前のこの「印達-宗銀戦」にまでさかのぼる。これは才能に恵まれた10代の少年二人による激闘譜「宗銀・印達57番勝負」の中の一局。先手伊藤印達の「早石田」に、後手の大橋宗銀も飛車を振って「相振飛車」に。(印達の勝ち。)
この二人の少年は、この闘いに命を削ったのか、ともに20歳ぐらいで寿命が尽きた。
なお、「早石田」を指したこの伊藤印達は、詰め将棋で有名な伊藤宗看、伊藤看寿兄弟の長兄である。
「早石田」はもともとプロではほとんど指されなかった。それを升田幸三が名人戦で指してから、それなりに時々だがプロも指すようにはなった。しかしやはり、多くはなかったし、これが「後手番の早石田」となるともっと少なかった。その傾向は江戸時代から同じで、プロ的には、「後手番の早石田はどうも苦しい」と見られているのである。
それでも、1971年の升田以来、時々は指す人がいた。(アマチュアではたくさんいたはず。)
しかし今、「後手番早石田」はプロではまず、採用されない。それが証拠に、所司和晴さんの石田流の定跡本にも「先手石田流」しか解説されていないし、最近の本では菅井竜也著『菅井ノート』でも同じである。プロ的には「後手番早石田」は使えないと確定しているようだ。
前回の記事で触れている「3・4・3戦法」というのがある。これは「後手番早石田」はダメなので、そのかわりにいったん「四間」に飛車を途中下車させて、あとで「石田流」に囲うという工夫である。一手余分にかかるが、安全に「石田流」に組める。
また、「2手目3二飛」というびっくりするような作戦も生まれ、それがタイトル戦にも出現している。
深浦康市-羽生善治 2008年 王位戦2
これは「後手番早石田は危険なので指せない」という前提がまずあって、それでなんとかして後手番で「石田流」を指したいが、なんとかならないか、というところから生まれた苦心のアイデアで、羽生さんが採用しているように、どうやらこの手が成立していうようなのだ。
「2手目3二飛」作戦は、アマチュア棋士(奨励会三段までいった)の今泉健司さんの発案で、今泉さんはこれで升田幸三賞を受賞された。
それにしても、いったいいつ、「後手番早石田は後手不利」が確定したのだろうか。
一般プロ棋士(女流棋士を含まない)では、「7六歩、3四歩、2六歩、3五歩、2五歩、3二飛」というオープニングは、どうやら1992年「沼春雄-瀬戸博晴戦」を最後に、それ以降は見られないようだ。
ということは、およそ1990年頃に、「後手番早石田は後手が苦しい」という共通認識がプロ間ではっきり確定したように思われるのである。
(1)中井広恵-林葉直子 1988年 レディースオープン決勝第2局
中井広恵-林葉直子 1988年
1988年レディースオープン決勝三番勝負その第2局、後手番林葉直子の「早石田」である。
この対局は1988年。つまり、上の「後手番早石田は後手が苦しい」という認識が確定する前であろうと思われる時期の対局である。それでも、たぶんこの当時も「後手早石田は無理なのではないか」と、およそそのように考えられていたのだろうと思う。
しかし林葉の6手目「3二飛」に、中井広恵は「4八銀」と指した。こう指すと、実は、「後手番早石田は成立」してしまうのである。何ら問題もなく。(先に述べた名人戦「大山-升田戦」もやはり大山が4八銀と指している。)
そして1980年代は、居飛車が飛車先を2五歩と突くことを後回しにすることが流行った時代で、そうなると「後手番早石田」は余裕で可能となるのである。
では、後手の「早石田」をきっちりとがめるには、先手はどう指すのが正しい手順なのか。
答えは、「6八玉」。
中倉彰子-藤森奈津子 1997年
実は男子プロが指さなくなった後も、女流棋士には、「後手番早石田」を平然と使っている棋士がいるのである。藤森奈津子さんと藤田綾さんだ。
この図は「中倉彰子-藤森奈津子戦」だが、6手目「3二飛」の後、「6八玉、6二玉」となって、そこで、「2二角成、同銀、6五角」。
先手中倉さんの指したこの手順、これが「後手早石田をとがめる手順」である。まず「6八玉」とするのがポイントで、ここですぐに2二角成~6五角だと、3四角があって、これは後手が指しやすいとされる。
この「中倉彰子-藤森奈津子戦」の続きは後でみていくこととする。
「中井-林葉戦」は、図のように、いま、先手の中井広恵が4一角と打ち込んだところ。
これはその前に後手の林葉直子が6四歩としたから生じた打ち込みだが、林葉はなんとこれをうっかりしたという。
以下、4二金、8五角成となって、馬をつくった先手が有利に。
とはいっても、馬をつくった段階ではまだ“微差”である。
この“微差”を勝ちに結び付けられるかどうか。ここからが「力の勝負」だ。
4三歩成、同歩、4六金、2五角成、1七桂、2四馬、2五歩、同桂、同桂、5四歩。
5四歩で中井の銀が死んでいる。こうなってみると、これはすでに「互角」の形勢。
1三桂成、同香。
林葉の1三の銀は、ここにいてもずっと使えそうもない駒。これを取らせて、かわりに中井の5五の銀をつかまえたのだから、振り飛車としては成功だ。
しかし、1三桂成を、「同馬」と取るべきだった。なぜなら――
飛車を切る手(馬と交換)があったからだ。これで先手の攻めがつながり、先手優勢に。
(1三同馬ならこの飛車切りがなく、互角の形勢だった。こういうところをきっちりと読み切って正確に指すのが一流プロなのだろう。)
6一飛、5二金となって、ここで林葉は6五歩。不利ながらも、最後の決戦に出る。
しかし中井広恵はきっちりと読み切っていた。6七玉と逃げる。
4七飛成、5七歩、5六銀、7七玉、4五竜、7三馬。
7三同玉、8五桂、6四玉、5四金、同竜、同と、同玉、5六歩、2二角、5五銀、同角、同歩、同玉、7三角、4五玉、4六飛、まで先手の勝ち。
中井は2-0で林葉を降し、レディースオープン優勝。この年の2月に「女流名人位」を清水市代に譲り渡して無冠になった中井広恵は、この棋戦で優勝した数か月後、清水を3―2で破り、「女流名人」を奪還しました。
(なお、林葉直子は「女流王将」を連覇中。)
(2)中倉彰子-藤森奈津子 1997年
中倉彰子-藤森奈津子 1997年
さて、「中倉-藤森戦」の続きを見てみよう。
藤森奈津子(ふじもりなつこ)さんは、この「後手早石田」をよく指している。むろん「後手早石田は後手不利になる」という定説は知っての上で、研究してのぞんでいるはずである。藤森さんはとにかく、三間飛車が好きなのだ。
なお、藤森奈津子さんの息子さんもプロ棋士で、藤森哲也という。26歳、塚田泰明門下。哲也さんは母に教わって将棋を覚えたという。居飛車党で、昨年は新人王戦の決勝三番勝負に進み、準優勝となった。
図から、4二金、8三角成、3六歩、同歩、5五角、7七桂、3六飛、3七歩、7六飛、7八銀、7四飛、とすすむ。
この6五角の筋は、「先手早石田」の場合もあるはずだが、それは「後手早石田」の場合とどう違うか。「後手早石田」の場合は先手の飛車先が「2五歩」と伸びているのが大きいのである。
小林健二-屋敷伸之 1997年
「先手早石田」をめざした先手に対し、こういうタイミングで後手が「4二玉」と上がる戦術がある。これは先手の「7八飛」に、そこで8八角成~4五角とするねらいである。研究すればこれも先手がやれそうなのだが、プロの実戦は圧倒的に「6六歩」が多い。 この「小林-屋敷戦」は、小林さんが「7八飛」と指して、4五角をやってこいという将棋になったが、これはNHK杯の早指し将棋だから思い切ってこう指したという面があるようだ。それでも、やはり後手の飛車先が伸びていないということもあって、これも先手が良いのだと思う。
この図で「6六歩」を突けるのも、後手の飛車先の歩が伸びていないからである。
また、図では、他に「2六歩」や、「6八飛」も考えられるところである。
これが「後手早石田」の場合は事情が変わって、先手の居飛車の飛車先が「2五歩」と伸びている。このために、7手目「6八玉」に、「4四歩」と角道をそこで止める手が指せない。その瞬間、2四歩で飛車先が突破されてしまうから。
このあたりが「先手早石田」と「後手早石田」との違いである。
後手7四飛では、7四歩もあるが、それは8四馬と王手をするなど先手に手段が多い。
中倉彰子さんは蛸島彰子さんの名前をもらって“彰子”と名付けられたそうである。20代の時、たった一人で“女流棋士”の看板を掲げていた蛸島彰子さんからすれば、そういう女の子が成長して女流プロ棋士として入ってきたことに、きっと大きな感動を覚えたことと思う。
その中倉彰子さんは居飛車党。
2四歩、同歩、7四馬、同歩、8五飛、8二角打。
8二角打としたのは、後手は次に3六歩からの攻めを狙っている。
2四飛、2三歩、7四飛、3六歩、4八銀、7二金、7三歩。
7三同角引、6五桂、6四角、7三歩、同桂、同桂成、同金、同飛成、同角引、7四桂。
となって、以下先手の勝ち。
なお、先手は7八銀型となっていますが、7八金と上がる方がより手堅いようです。(8八銀と7七の地点を補強できるから。)
この将棋は先手が快勝していますが、しかし藤森奈津子さんの将棋で同じように進んで後手が勝っている棋譜もあり、アマチュアの私達のレベルでは「後手番早石田」もふつうに“あり”と思います。
実際、僕もよく「後手番早石田」を相手にして指して、“互角”にやっていますし。(それは、僕が弱いだけ…か。) 指している人はいっぱいいます、ということです。
また、次のような手を研究して指してくる人もいます。
参考図
先手の6八玉に、後手「5二玉」。
「横歩取り」の「中住まい玉」のような感覚で、「さあ、乱戦の将棋にしましょう」というような意味の手です。とりあえず4三の地点を玉で守って、先手からの「6五角」に備え、次に3六歩から攻めてくるつもりです。
女流棋士では他に藤田綾さんがよく「後手番早石田」を指されているようです。
(3)中井広恵-藤田綾 2001年
中井広恵-藤田綾 2001年
ところがなぜか藤田さんが「後手番早石田」を指したとき、先手は「2五歩~6八玉」とはしていないんですよね。なぜか。まあ、たまたま拾えた数局の棋譜の範囲で、ですが。
図のこの将棋は、先手の中井広恵が(6八玉ではなく)4八銀と指しているので、後手の藤田の「早石田」は乱戦とはならずそのまま実現した。
しかもこれは、ビッグネーム中井広恵を相手に、明らかに藤田が優勢だ。銀桂交換の駒得が確定。
この対局は2001年だから、今から12年前。藤田綾さんは、14歳だ。
調べてみると藤田さんは11歳小学6年生でプロデビュー、これは女流最年少記録だそうだ。(なお、中井広恵さんも同じ11歳小学6年生でプロデビューしている。)
プロで「早石田」のオープニングが現在のようによく指されるようになったのは2005年に鈴木大介が指すようになったその後のことだ。(ただし「先手早石田」に限る。)
だからそれ以前からこのように、先手でも後手でも石田流を指していた藤田さん、藤森さんの“三間飛車愛”は相当なものだといえる。
しかし中井さんは強かった。逆転で先手の勝ち。
藤田綾さんの「後手番早石田」に対して、7手目「6八玉」の棋譜は1局も見つからないのですが、ということはつまり、藤田さんに対しては、先手は後手に「後手番早石田」をすんなりと許しているということです。
それはつまり、先手も、上の「中倉-藤森戦」のような乱戦を警戒して避けているのだと思います。この変化は“後手不利”とは言われていても、そう簡単ではないのです。相手は研究してきているわけですし、研究にハマって負けるのはつまらないものですからね。
だいたいアレですよ、居飛車党というのは「石田流」だけにかまっているわけにもいかないんですよ。「横歩取り」も「角換わり」も研究しないといけないので。「おまえの趣味につき合えきれんわ!」という感覚もあると思います。
「後手番早石田」については以上で終わりです。
(4)林葉直子-中井広恵 1983年 女流王将第3局
林葉直子-中井広恵 1983年 女流王将2
高校一年生になったばかりの女流王将林葉直子に、中学二年生の中井広恵が挑戦者となった三番勝負。テレビや新聞、一般雑誌も取材に来た。女流のタイトル戦がこれほど一般に注目を浴びることは初めてのことだった。
もしも中井広恵が勝ってタイトル奪取ならば、この1年前に林葉のつくった「女流棋士史上最年少タイトルホルダー」の記録(14歳)を、中井が更新することになる。中井広恵はまだ13歳だった。
三番勝負の第1局は中井の勝ち。第2局は林葉の勝ち。1-1。
そしてこの将棋は第3局。先手林葉の四間飛車に、後手中井の6四銀急戦。
図から、7七角、同角成、同飛、7六歩、6七飛、8八角、5五角、同角成、同歩、5六角、5四歩、6七角成、同金、8六飛、5五角。
8九飛成、1一角成、2二銀、1二馬、5五桂、5七金、5六歩、5八金、6九飛、7九歩と進む。
後手が優勢のようだ。
こういう歩は悩ましい。特にアマチュアの将棋では、より悩ましく感じる。取って大丈夫なのかどうか、その見極めに慎重になって、無駄に時間を消費してしまうこともよくある。
7九歩は、同飛成として、それでよかった。ところが、中井広恵は、5七歩成、同金として、それから7九同飛成と指した。中井とすれば、単に7九同飛成は、4六角というような手が見えて、それを消す意味もあっただろう。
今度は6九歩。同竜なら5八銀と先手で受ける手が林葉に生じ、はっきり先手良しになる。もしも先の「5七歩成、同金」の交換がなかったらこの5八銀は打てなかったのだ。(こういうところまで前もって読むのが“強い人”なんだなあ…) 6九歩は取れない。
これで、形勢不明となった。
5六歩、同金、6九竜と中井はそれを解決した。
林葉は5五金。桂馬を取る。(この桂馬を取ったことが後で後手玉の寄せに利いてくる。)
以下、4九竜、同銀、同竜。(4九竜を指すのに、中井は20分考えた。)
残り時間は、林葉15分、中井13分。(最初の持ち時間は各2時間)
さて、これはどちらが勝っているのか。いよいよ「女流王将」のゆくえが決まる。
実は、「ここで最善手を指せば、先手勝ち」なのでした。その“最善手”とは?
林葉直子は2分使って1六歩。決断が良い。
しかしこの手は“最善手”ではなかった。ということでこの局面は後手中井広恵の勝ちになっており、中井が3八銀と指せば勝っていた。
(1六歩の代わりの“最善手”は後で示します。)
中井は、4八竜と王手をかけた。林葉は3八香。
以下、3九銀、1七玉、3八竜。林葉に香車を一枚使わせた分だけ、「3八銀」と詰めろをかけるよりさらに優っているように見える。中井は4八竜に3分使った。
林葉、残り12分の内の1分を使い、2四桂。
これを後手が同歩なら2三角、4二玉、5三銀、同金、7二飛以下の詰み。
だから中井は4二玉と逃げたが、林葉はまた1分使って、5三銀。これも取ると詰むから(5三同金、同歩成、同玉、7一角以下)、中井は5一玉と逃げる。
これで後手玉には詰みはない。
それは林葉にも判っていた。しかしすでに林葉の勝ち将棋になっており、林葉直子はそれを読み切っていたのである。
ノータイムで、7一飛。これには「合い駒」をするしかないが…
6一金と中井広恵は「合い駒」したが、ここ、6一香合は、6二角、同金、同銀不成、同玉、7二金以下の詰みなのだ。「金合い」ならこの詰み筋がない。
しかし金を打たせることによって、先手の玉の“詰めろ”が消えているのだ!!
だから先手は、ここで後手玉をすぐに詰める必要はない。林葉、8一飛成。これで先手の勝ちである。(後手玉は7三角以下の詰めろになっている。7三角、6二香、同角成、同金寄、同銀不成、同玉、7四桂以下。)
中井はさらに時間を使って手段を探したが、林葉の指し手には迷いがなかった。以下をノータイムで指し、勝ちきった。
8一飛成、7二香、2二馬、2八銀不成、2六玉、2四歩、6二銀打、同金寄、同銀不成、同玉、5三歩成、同玉、6五桂、まで林葉直子の勝ち。
ということで、女流王将を林葉直子は防衛した。これが初防衛だった。
しかし、“あそこ”で、中井が「3八銀」ならば勝ちだったのである。本譜の寄せとどう違うかといえば、「3八銀」ならば、たとえ後手が「金」を手離しても、先手玉の“詰めろ”は消えていないということなのである。本譜と同じように2四桂から攻めても、「金」を使っても大丈夫なので、今度は後手の勝ちになるのだ。中井広恵は、そこまできっちりとは読み切れていなかった。ほんの少し、読みの甘さがあったのである。
さて、先ほどの「1六歩」の代わりの林葉の“最善手”ですが、正解は「2四桂」でした。
2四桂で詰むわけではないのです。2四桂を同歩は、先ほども書いたように2三角以下詰むのですが、4二玉と交わされると詰まない。しかし、2四桂、4二玉、5三銀、5一玉に、5二銀成、同金として、“銀を金に換えて”、そこで「3九金」と受けて自玉を安全にしておけば、それで先手が勝ちという、そういう局面なのでした。
それが“最善手”なのですが、「1六歩」と決断して、あそこからほとんど時間を使わずに勝ちきった林葉直子もすごいもんだなあと感心するのです。結局彼女は時間を10分残しています。
つまり林葉さんは、5五金と桂馬を取ったときに、この筋をある程度のところまで読んでいたのでしょうね。
(5)林葉直子-飯野健二 1984年
林葉直子-飯野健二 1984年
新人王戦。林葉直子高校二年生の時の対局。
飯野健二さんはこの時30歳。ということは新人王戦の当時の参加資格のギリギリ上限である。飯野さんが結婚したのはこの頃だろうか。2年後に娘さんの愛さんが生まれている。
さて、図は後手飯野健二の1三角に、先手林葉直子が6九飛としたところ。
この後、後手は2四角~4四銀~4二角として角を使う。この構想は、かつて1960年代に山田道美が著書で発表した作戦である。
先手の林葉が、7五歩、同歩、7九飛と動き、後手が8四飛と対応したところ。
林葉さんは振り飛車党だけど、自分から動きたい、そういう棋風だとよくわかる。
図から、7五銀、同角、4四角、同歩、7五飛、6六角、7六飛、9九角成、9五角、9四飛、7三角成と進む。
同銀、同飛成となって、角銀交換のやや駒損だが、先手は飛車を成ってまずまずか。
しかし林葉さんの攻めはどこか“素人っぽさ”がたしかにある。
飯野さんの受けがなかなか巧妙だった。
そしてここで飯野健二はどう受けたか。
「8四飛(!)」と指したのである。同飛なら、6二金というわけだ。
林葉は7二竜とかわしたが、飯野は7四飛!
こういう受けを、10手前20手前から考えて用意しているのがプロの芸。(たまたまその場面になって見つかったという場合もあるが。)
以下、同竜、6二金、6四歩、5六馬、4一銀、2二玉、7一竜、5三金、6三歩成、4三金、5二と、3五桂。
4二と、同金引、3六銀、1五歩、7二飛、1六歩、5二銀成、3二金、3一竜、同金、4二成銀、1七歩成。
図以下、1七同香、同香成、同玉、1一香、1六歩、3九角、同金、1六香、同玉、1一香、まで後手の勝ちとなった。
飯野健二さんは2年前に引退されました。飯野さんは1980年代に、当時ほとんど指すプロ棋士がいなかった「横歩取り4五角戦法」や「相横歩取り」を指して、意欲的な新手を見せて、“横歩取りマニア”を湧かせた棋士なのです。
最近、娘さんの飯野愛さんが女流棋士としてデビューされました。いつか棋戦の決勝戦などで飯野愛さんが「横歩取り4五角」など指して優勝なんてことがあると面白いのだが、と夢想したりする。それと今日気づいたのは、飯野愛さんの誕生日、これは「将棋の日」ではないか。(筆者の妹も同じなのだが。)
8月17日にはマイナビ・オープンの対局がありますが、塚田・高群夫妻の娘さんとともに、飯野愛さんの対局は、ちょっと興味が出てきました。
今回も、てんこ盛り、でしたね。はい、今日はこれで終わりです。
ところで、「はやいしだ」と「はやしば」って、ちょっと似てるなって、書きながら気づきました。それと、「はやしば」って打とうとすると、よく、「ひしゃば」ってなるんですよ。さすが“飛車使い”の林葉さんっすね。
『“初手9六歩”の世界』
『林葉の振飛車 part1』
『林葉の振飛車 part2』
『林葉の振飛車 part3』
『林葉の振飛車 part4』
『林葉の振飛車 part5』
『林葉の振飛車 part6』
『“初手5六歩”の系譜 間宮久夢斎とか』
『内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究』
『鏡花水月 ひろべえの闘い』
早石田の関連記事
『“ほんとうの立石流”の話』
『林葉の振飛車 part6』
『森安秀光の早石田 “3四飛”』
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(1)「中井広恵-林葉直子戦」は、林葉さんが「後手番早石田」を採用した将棋です。
今日はこれをもとに、「後手番早石田」について、簡単にですが勉強したいと思います。
大山康晴-升田幸三 1971年 名人戦3
まず「後手番早石田」といえば、重要な対局がこれ。1971年「大山康晴-升田幸三」の名人戦第3局。総手数200手超の名局です。大山升田時代の輝きの頂点といえる将棋ですが、これが升田幸三の「後手番石田流」の将棋なのですね。
この1971年の名人戦は最終局まで、つまり7番闘ったわけですが、そのうちの5局が升田幸三の「早石田」。アマチュア好みとされていた「早石田」をトッププロが採用して、それが好勝負だったので将棋ファンは湧いたのですが(僕はリアルタイムでは知りません。羽生さん森内さんもまだ0歳ですね。)、それで「升田式石田流」と呼ばれて有名になりました。
ところで、升田が「早石田」を採用したその5局の内、先手番で4局、後手番で1局です。
そう、つまり升田さんは後手番ではこの「早石田」をこの一局だけでしか使っていないのです。
どういうことか。「後手番での早石田」はリスクが高い、と升田さんもおそらくは見ていたからなのです。
伊藤印達-大橋宗銀 1709年
「先手番の早石田」の棋譜は、過去を辿れば300年前のこの「印達-宗銀戦」にまでさかのぼる。これは才能に恵まれた10代の少年二人による激闘譜「宗銀・印達57番勝負」の中の一局。先手伊藤印達の「早石田」に、後手の大橋宗銀も飛車を振って「相振飛車」に。(印達の勝ち。)
この二人の少年は、この闘いに命を削ったのか、ともに20歳ぐらいで寿命が尽きた。
なお、「早石田」を指したこの伊藤印達は、詰め将棋で有名な伊藤宗看、伊藤看寿兄弟の長兄である。
「早石田」はもともとプロではほとんど指されなかった。それを升田幸三が名人戦で指してから、それなりに時々だがプロも指すようにはなった。しかしやはり、多くはなかったし、これが「後手番の早石田」となるともっと少なかった。その傾向は江戸時代から同じで、プロ的には、「後手番の早石田はどうも苦しい」と見られているのである。
それでも、1971年の升田以来、時々は指す人がいた。(アマチュアではたくさんいたはず。)
しかし今、「後手番早石田」はプロではまず、採用されない。それが証拠に、所司和晴さんの石田流の定跡本にも「先手石田流」しか解説されていないし、最近の本では菅井竜也著『菅井ノート』でも同じである。プロ的には「後手番早石田」は使えないと確定しているようだ。
前回の記事で触れている「3・4・3戦法」というのがある。これは「後手番早石田」はダメなので、そのかわりにいったん「四間」に飛車を途中下車させて、あとで「石田流」に囲うという工夫である。一手余分にかかるが、安全に「石田流」に組める。
また、「2手目3二飛」というびっくりするような作戦も生まれ、それがタイトル戦にも出現している。
深浦康市-羽生善治 2008年 王位戦2
これは「後手番早石田は危険なので指せない」という前提がまずあって、それでなんとかして後手番で「石田流」を指したいが、なんとかならないか、というところから生まれた苦心のアイデアで、羽生さんが採用しているように、どうやらこの手が成立していうようなのだ。
「2手目3二飛」作戦は、アマチュア棋士(奨励会三段までいった)の今泉健司さんの発案で、今泉さんはこれで升田幸三賞を受賞された。
それにしても、いったいいつ、「後手番早石田は後手不利」が確定したのだろうか。
一般プロ棋士(女流棋士を含まない)では、「7六歩、3四歩、2六歩、3五歩、2五歩、3二飛」というオープニングは、どうやら1992年「沼春雄-瀬戸博晴戦」を最後に、それ以降は見られないようだ。
ということは、およそ1990年頃に、「後手番早石田は後手が苦しい」という共通認識がプロ間ではっきり確定したように思われるのである。
(1)中井広恵-林葉直子 1988年 レディースオープン決勝第2局
中井広恵-林葉直子 1988年
1988年レディースオープン決勝三番勝負その第2局、後手番林葉直子の「早石田」である。
この対局は1988年。つまり、上の「後手番早石田は後手が苦しい」という認識が確定する前であろうと思われる時期の対局である。それでも、たぶんこの当時も「後手早石田は無理なのではないか」と、およそそのように考えられていたのだろうと思う。
しかし林葉の6手目「3二飛」に、中井広恵は「4八銀」と指した。こう指すと、実は、「後手番早石田は成立」してしまうのである。何ら問題もなく。(先に述べた名人戦「大山-升田戦」もやはり大山が4八銀と指している。)
そして1980年代は、居飛車が飛車先を2五歩と突くことを後回しにすることが流行った時代で、そうなると「後手番早石田」は余裕で可能となるのである。
では、後手の「早石田」をきっちりとがめるには、先手はどう指すのが正しい手順なのか。
答えは、「6八玉」。
中倉彰子-藤森奈津子 1997年
実は男子プロが指さなくなった後も、女流棋士には、「後手番早石田」を平然と使っている棋士がいるのである。藤森奈津子さんと藤田綾さんだ。
この図は「中倉彰子-藤森奈津子戦」だが、6手目「3二飛」の後、「6八玉、6二玉」となって、そこで、「2二角成、同銀、6五角」。
先手中倉さんの指したこの手順、これが「後手早石田をとがめる手順」である。まず「6八玉」とするのがポイントで、ここですぐに2二角成~6五角だと、3四角があって、これは後手が指しやすいとされる。
この「中倉彰子-藤森奈津子戦」の続きは後でみていくこととする。
「中井-林葉戦」は、図のように、いま、先手の中井広恵が4一角と打ち込んだところ。
これはその前に後手の林葉直子が6四歩としたから生じた打ち込みだが、林葉はなんとこれをうっかりしたという。
以下、4二金、8五角成となって、馬をつくった先手が有利に。
とはいっても、馬をつくった段階ではまだ“微差”である。
この“微差”を勝ちに結び付けられるかどうか。ここからが「力の勝負」だ。
4三歩成、同歩、4六金、2五角成、1七桂、2四馬、2五歩、同桂、同桂、5四歩。
5四歩で中井の銀が死んでいる。こうなってみると、これはすでに「互角」の形勢。
1三桂成、同香。
林葉の1三の銀は、ここにいてもずっと使えそうもない駒。これを取らせて、かわりに中井の5五の銀をつかまえたのだから、振り飛車としては成功だ。
しかし、1三桂成を、「同馬」と取るべきだった。なぜなら――
飛車を切る手(馬と交換)があったからだ。これで先手の攻めがつながり、先手優勢に。
(1三同馬ならこの飛車切りがなく、互角の形勢だった。こういうところをきっちりと読み切って正確に指すのが一流プロなのだろう。)
6一飛、5二金となって、ここで林葉は6五歩。不利ながらも、最後の決戦に出る。
しかし中井広恵はきっちりと読み切っていた。6七玉と逃げる。
4七飛成、5七歩、5六銀、7七玉、4五竜、7三馬。
7三同玉、8五桂、6四玉、5四金、同竜、同と、同玉、5六歩、2二角、5五銀、同角、同歩、同玉、7三角、4五玉、4六飛、まで先手の勝ち。
中井は2-0で林葉を降し、レディースオープン優勝。この年の2月に「女流名人位」を清水市代に譲り渡して無冠になった中井広恵は、この棋戦で優勝した数か月後、清水を3―2で破り、「女流名人」を奪還しました。
(なお、林葉直子は「女流王将」を連覇中。)
(2)中倉彰子-藤森奈津子 1997年
中倉彰子-藤森奈津子 1997年
さて、「中倉-藤森戦」の続きを見てみよう。
藤森奈津子(ふじもりなつこ)さんは、この「後手早石田」をよく指している。むろん「後手早石田は後手不利になる」という定説は知っての上で、研究してのぞんでいるはずである。藤森さんはとにかく、三間飛車が好きなのだ。
なお、藤森奈津子さんの息子さんもプロ棋士で、藤森哲也という。26歳、塚田泰明門下。哲也さんは母に教わって将棋を覚えたという。居飛車党で、昨年は新人王戦の決勝三番勝負に進み、準優勝となった。
図から、4二金、8三角成、3六歩、同歩、5五角、7七桂、3六飛、3七歩、7六飛、7八銀、7四飛、とすすむ。
この6五角の筋は、「先手早石田」の場合もあるはずだが、それは「後手早石田」の場合とどう違うか。「後手早石田」の場合は先手の飛車先が「2五歩」と伸びているのが大きいのである。
小林健二-屋敷伸之 1997年
「先手早石田」をめざした先手に対し、こういうタイミングで後手が「4二玉」と上がる戦術がある。これは先手の「7八飛」に、そこで8八角成~4五角とするねらいである。研究すればこれも先手がやれそうなのだが、プロの実戦は圧倒的に「6六歩」が多い。 この「小林-屋敷戦」は、小林さんが「7八飛」と指して、4五角をやってこいという将棋になったが、これはNHK杯の早指し将棋だから思い切ってこう指したという面があるようだ。それでも、やはり後手の飛車先が伸びていないということもあって、これも先手が良いのだと思う。
この図で「6六歩」を突けるのも、後手の飛車先の歩が伸びていないからである。
また、図では、他に「2六歩」や、「6八飛」も考えられるところである。
これが「後手早石田」の場合は事情が変わって、先手の居飛車の飛車先が「2五歩」と伸びている。このために、7手目「6八玉」に、「4四歩」と角道をそこで止める手が指せない。その瞬間、2四歩で飛車先が突破されてしまうから。
このあたりが「先手早石田」と「後手早石田」との違いである。
後手7四飛では、7四歩もあるが、それは8四馬と王手をするなど先手に手段が多い。
中倉彰子さんは蛸島彰子さんの名前をもらって“彰子”と名付けられたそうである。20代の時、たった一人で“女流棋士”の看板を掲げていた蛸島彰子さんからすれば、そういう女の子が成長して女流プロ棋士として入ってきたことに、きっと大きな感動を覚えたことと思う。
その中倉彰子さんは居飛車党。
2四歩、同歩、7四馬、同歩、8五飛、8二角打。
8二角打としたのは、後手は次に3六歩からの攻めを狙っている。
2四飛、2三歩、7四飛、3六歩、4八銀、7二金、7三歩。
7三同角引、6五桂、6四角、7三歩、同桂、同桂成、同金、同飛成、同角引、7四桂。
となって、以下先手の勝ち。
なお、先手は7八銀型となっていますが、7八金と上がる方がより手堅いようです。(8八銀と7七の地点を補強できるから。)
この将棋は先手が快勝していますが、しかし藤森奈津子さんの将棋で同じように進んで後手が勝っている棋譜もあり、アマチュアの私達のレベルでは「後手番早石田」もふつうに“あり”と思います。
実際、僕もよく「後手番早石田」を相手にして指して、“互角”にやっていますし。(それは、僕が弱いだけ…か。) 指している人はいっぱいいます、ということです。
また、次のような手を研究して指してくる人もいます。
参考図
先手の6八玉に、後手「5二玉」。
「横歩取り」の「中住まい玉」のような感覚で、「さあ、乱戦の将棋にしましょう」というような意味の手です。とりあえず4三の地点を玉で守って、先手からの「6五角」に備え、次に3六歩から攻めてくるつもりです。
女流棋士では他に藤田綾さんがよく「後手番早石田」を指されているようです。
(3)中井広恵-藤田綾 2001年
中井広恵-藤田綾 2001年
ところがなぜか藤田さんが「後手番早石田」を指したとき、先手は「2五歩~6八玉」とはしていないんですよね。なぜか。まあ、たまたま拾えた数局の棋譜の範囲で、ですが。
図のこの将棋は、先手の中井広恵が(6八玉ではなく)4八銀と指しているので、後手の藤田の「早石田」は乱戦とはならずそのまま実現した。
しかもこれは、ビッグネーム中井広恵を相手に、明らかに藤田が優勢だ。銀桂交換の駒得が確定。
この対局は2001年だから、今から12年前。藤田綾さんは、14歳だ。
調べてみると藤田さんは11歳小学6年生でプロデビュー、これは女流最年少記録だそうだ。(なお、中井広恵さんも同じ11歳小学6年生でプロデビューしている。)
プロで「早石田」のオープニングが現在のようによく指されるようになったのは2005年に鈴木大介が指すようになったその後のことだ。(ただし「先手早石田」に限る。)
だからそれ以前からこのように、先手でも後手でも石田流を指していた藤田さん、藤森さんの“三間飛車愛”は相当なものだといえる。
しかし中井さんは強かった。逆転で先手の勝ち。
藤田綾さんの「後手番早石田」に対して、7手目「6八玉」の棋譜は1局も見つからないのですが、ということはつまり、藤田さんに対しては、先手は後手に「後手番早石田」をすんなりと許しているということです。
それはつまり、先手も、上の「中倉-藤森戦」のような乱戦を警戒して避けているのだと思います。この変化は“後手不利”とは言われていても、そう簡単ではないのです。相手は研究してきているわけですし、研究にハマって負けるのはつまらないものですからね。
だいたいアレですよ、居飛車党というのは「石田流」だけにかまっているわけにもいかないんですよ。「横歩取り」も「角換わり」も研究しないといけないので。「おまえの趣味につき合えきれんわ!」という感覚もあると思います。
「後手番早石田」については以上で終わりです。
(4)林葉直子-中井広恵 1983年 女流王将第3局
林葉直子-中井広恵 1983年 女流王将2
高校一年生になったばかりの女流王将林葉直子に、中学二年生の中井広恵が挑戦者となった三番勝負。テレビや新聞、一般雑誌も取材に来た。女流のタイトル戦がこれほど一般に注目を浴びることは初めてのことだった。
もしも中井広恵が勝ってタイトル奪取ならば、この1年前に林葉のつくった「女流棋士史上最年少タイトルホルダー」の記録(14歳)を、中井が更新することになる。中井広恵はまだ13歳だった。
三番勝負の第1局は中井の勝ち。第2局は林葉の勝ち。1-1。
そしてこの将棋は第3局。先手林葉の四間飛車に、後手中井の6四銀急戦。
図から、7七角、同角成、同飛、7六歩、6七飛、8八角、5五角、同角成、同歩、5六角、5四歩、6七角成、同金、8六飛、5五角。
8九飛成、1一角成、2二銀、1二馬、5五桂、5七金、5六歩、5八金、6九飛、7九歩と進む。
後手が優勢のようだ。
こういう歩は悩ましい。特にアマチュアの将棋では、より悩ましく感じる。取って大丈夫なのかどうか、その見極めに慎重になって、無駄に時間を消費してしまうこともよくある。
7九歩は、同飛成として、それでよかった。ところが、中井広恵は、5七歩成、同金として、それから7九同飛成と指した。中井とすれば、単に7九同飛成は、4六角というような手が見えて、それを消す意味もあっただろう。
今度は6九歩。同竜なら5八銀と先手で受ける手が林葉に生じ、はっきり先手良しになる。もしも先の「5七歩成、同金」の交換がなかったらこの5八銀は打てなかったのだ。(こういうところまで前もって読むのが“強い人”なんだなあ…) 6九歩は取れない。
これで、形勢不明となった。
5六歩、同金、6九竜と中井はそれを解決した。
林葉は5五金。桂馬を取る。(この桂馬を取ったことが後で後手玉の寄せに利いてくる。)
以下、4九竜、同銀、同竜。(4九竜を指すのに、中井は20分考えた。)
残り時間は、林葉15分、中井13分。(最初の持ち時間は各2時間)
さて、これはどちらが勝っているのか。いよいよ「女流王将」のゆくえが決まる。
実は、「ここで最善手を指せば、先手勝ち」なのでした。その“最善手”とは?
林葉直子は2分使って1六歩。決断が良い。
しかしこの手は“最善手”ではなかった。ということでこの局面は後手中井広恵の勝ちになっており、中井が3八銀と指せば勝っていた。
(1六歩の代わりの“最善手”は後で示します。)
中井は、4八竜と王手をかけた。林葉は3八香。
以下、3九銀、1七玉、3八竜。林葉に香車を一枚使わせた分だけ、「3八銀」と詰めろをかけるよりさらに優っているように見える。中井は4八竜に3分使った。
林葉、残り12分の内の1分を使い、2四桂。
これを後手が同歩なら2三角、4二玉、5三銀、同金、7二飛以下の詰み。
だから中井は4二玉と逃げたが、林葉はまた1分使って、5三銀。これも取ると詰むから(5三同金、同歩成、同玉、7一角以下)、中井は5一玉と逃げる。
これで後手玉には詰みはない。
それは林葉にも判っていた。しかしすでに林葉の勝ち将棋になっており、林葉直子はそれを読み切っていたのである。
ノータイムで、7一飛。これには「合い駒」をするしかないが…
6一金と中井広恵は「合い駒」したが、ここ、6一香合は、6二角、同金、同銀不成、同玉、7二金以下の詰みなのだ。「金合い」ならこの詰み筋がない。
しかし金を打たせることによって、先手の玉の“詰めろ”が消えているのだ!!
だから先手は、ここで後手玉をすぐに詰める必要はない。林葉、8一飛成。これで先手の勝ちである。(後手玉は7三角以下の詰めろになっている。7三角、6二香、同角成、同金寄、同銀不成、同玉、7四桂以下。)
中井はさらに時間を使って手段を探したが、林葉の指し手には迷いがなかった。以下をノータイムで指し、勝ちきった。
8一飛成、7二香、2二馬、2八銀不成、2六玉、2四歩、6二銀打、同金寄、同銀不成、同玉、5三歩成、同玉、6五桂、まで林葉直子の勝ち。
ということで、女流王将を林葉直子は防衛した。これが初防衛だった。
しかし、“あそこ”で、中井が「3八銀」ならば勝ちだったのである。本譜の寄せとどう違うかといえば、「3八銀」ならば、たとえ後手が「金」を手離しても、先手玉の“詰めろ”は消えていないということなのである。本譜と同じように2四桂から攻めても、「金」を使っても大丈夫なので、今度は後手の勝ちになるのだ。中井広恵は、そこまできっちりとは読み切れていなかった。ほんの少し、読みの甘さがあったのである。
さて、先ほどの「1六歩」の代わりの林葉の“最善手”ですが、正解は「2四桂」でした。
2四桂で詰むわけではないのです。2四桂を同歩は、先ほども書いたように2三角以下詰むのですが、4二玉と交わされると詰まない。しかし、2四桂、4二玉、5三銀、5一玉に、5二銀成、同金として、“銀を金に換えて”、そこで「3九金」と受けて自玉を安全にしておけば、それで先手が勝ちという、そういう局面なのでした。
それが“最善手”なのですが、「1六歩」と決断して、あそこからほとんど時間を使わずに勝ちきった林葉直子もすごいもんだなあと感心するのです。結局彼女は時間を10分残しています。
つまり林葉さんは、5五金と桂馬を取ったときに、この筋をある程度のところまで読んでいたのでしょうね。
(5)林葉直子-飯野健二 1984年
林葉直子-飯野健二 1984年
新人王戦。林葉直子高校二年生の時の対局。
飯野健二さんはこの時30歳。ということは新人王戦の当時の参加資格のギリギリ上限である。飯野さんが結婚したのはこの頃だろうか。2年後に娘さんの愛さんが生まれている。
さて、図は後手飯野健二の1三角に、先手林葉直子が6九飛としたところ。
この後、後手は2四角~4四銀~4二角として角を使う。この構想は、かつて1960年代に山田道美が著書で発表した作戦である。
先手の林葉が、7五歩、同歩、7九飛と動き、後手が8四飛と対応したところ。
林葉さんは振り飛車党だけど、自分から動きたい、そういう棋風だとよくわかる。
図から、7五銀、同角、4四角、同歩、7五飛、6六角、7六飛、9九角成、9五角、9四飛、7三角成と進む。
同銀、同飛成となって、角銀交換のやや駒損だが、先手は飛車を成ってまずまずか。
しかし林葉さんの攻めはどこか“素人っぽさ”がたしかにある。
飯野さんの受けがなかなか巧妙だった。
そしてここで飯野健二はどう受けたか。
「8四飛(!)」と指したのである。同飛なら、6二金というわけだ。
林葉は7二竜とかわしたが、飯野は7四飛!
こういう受けを、10手前20手前から考えて用意しているのがプロの芸。(たまたまその場面になって見つかったという場合もあるが。)
以下、同竜、6二金、6四歩、5六馬、4一銀、2二玉、7一竜、5三金、6三歩成、4三金、5二と、3五桂。
4二と、同金引、3六銀、1五歩、7二飛、1六歩、5二銀成、3二金、3一竜、同金、4二成銀、1七歩成。
図以下、1七同香、同香成、同玉、1一香、1六歩、3九角、同金、1六香、同玉、1一香、まで後手の勝ちとなった。
飯野健二さんは2年前に引退されました。飯野さんは1980年代に、当時ほとんど指すプロ棋士がいなかった「横歩取り4五角戦法」や「相横歩取り」を指して、意欲的な新手を見せて、“横歩取りマニア”を湧かせた棋士なのです。
最近、娘さんの飯野愛さんが女流棋士としてデビューされました。いつか棋戦の決勝戦などで飯野愛さんが「横歩取り4五角」など指して優勝なんてことがあると面白いのだが、と夢想したりする。それと今日気づいたのは、飯野愛さんの誕生日、これは「将棋の日」ではないか。(筆者の妹も同じなのだが。)
8月17日にはマイナビ・オープンの対局がありますが、塚田・高群夫妻の娘さんとともに、飯野愛さんの対局は、ちょっと興味が出てきました。
今回も、てんこ盛り、でしたね。はい、今日はこれで終わりです。
ところで、「はやいしだ」と「はやしば」って、ちょっと似てるなって、書きながら気づきました。それと、「はやしば」って打とうとすると、よく、「ひしゃば」ってなるんですよ。さすが“飛車使い”の林葉さんっすね。
『“初手9六歩”の世界』
『林葉の振飛車 part1』
『林葉の振飛車 part2』
『林葉の振飛車 part3』
『林葉の振飛車 part4』
『林葉の振飛車 part5』
『林葉の振飛車 part6』
『“初手5六歩”の系譜 間宮久夢斎とか』
『内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究』
『鏡花水月 ひろべえの闘い』
早石田の関連記事
『“ほんとうの立石流”の話』
『林葉の振飛車 part6』
『森安秀光の早石田 “3四飛”』