「5月の散歩」、続き。
東京タワー前の道を麻布方面から海(東京湾)方面に向かって歩くと、すぐにこういう場所に着く。
どうです、いいところでしょう!
「もみじ谷」と名前がついている場所で、湧き水の小川がちょろちょろ流れているのですが、“滝”もあります。東京はこういうコンクリートと自然とのコントラストが面白いです。
さっきの「もみじ谷」は、この案内板の地図の上の方の「東京タワー」のすぐそば。
僕はこの「もみじ谷」を通って、道路を渡り、「増上寺」に行くつもり。
この地図のど真ん中にあるのが「増上寺」で、その右が「プリンスホテル」。
そこをぐるりと囲っているのが「芝公園」です。もともとは「増上寺」も含めて“芝公園”だったらしいのですが、それだと法律上どうのこうので今は、“真ん中を除いたドーナツ状の部分”の全体が「芝公園」です。 古墳もあるんですね。
あとでこの辺の地図を確認していて、この公園に「伊能忠敬記念碑」があったと知り、それを見逃し素通りしたことがちょっと悔やまれました。伊能忠敬って、ちょっとした“超人”ですよね。
さて、道路を渡ったところに幼稚園があったのですが、そこへ至る道に「犬の散歩禁止」という大きな看板がありました。(それを写真に撮らなかったのが残念です。)それを見て「へー、犬の散歩禁止なのか…。」と思いつつ、さらに歩きました。
それでまあ、こういうほのぼのとした広場に出ました。広くて、円形の、バラの花が咲いて美しい広場です。
5月のバラはいいですねえ。
この写真、向こうから一人の人物がこちらに向かって歩いていますね。おっさんなんですが、彼、スポーツバッグのような大きさのものを胸に抱えています。
犬、でした。
そうか、「犬の散歩禁止」…、そういうことか。
抱えて散歩するのはいいんですね。ちょっと面白かったです。
振り向けば、奴がいる。
で、次は増上寺。
歌川広重『名所江戸百景』の79景「芝神明増上寺」。
絵の、左の赤い門が「増上寺」の正門らしいです。右が「芝明神」なのかな? ちょっと違う気もするけど、この辺りに「芝明神」があるんですね。今は少し場所が移動したのかもしれません。僕はこの時は「芝明神」にまで興味はなかった(知識もなかった)ので行きませんでしたが。
けれど、昨日の将棋の記事の中で触れた、江戸時代末期の女流の将棋指し池田菊が「芝明神前に住む妖しき女」とのことで、つまりそうか、この辺に住んでいたんだな、と。
橘仙斎『将棋営中日記』という江戸末期の書物があって、それには次のように記されているとのこと。
「神明前に住居せし池田菊女と云へる者、子九月廿二日岡村幾次郎四段の開会の節に、男計りの中へ只一人出席せし由、誠に珍敷事のよし、其様子人を人とも思はず、其の上早き将棋にて、考へもせずにさすよし、当時初段のよし。」
この女性、“超早指し”だったんですね。「人を人とも思はず」って、そこ、どんなのかもっと具体的に(笑)。
東京タワー前の道を麻布方面から海(東京湾)方面に向かって歩くと、すぐにこういう場所に着く。
どうです、いいところでしょう!
「もみじ谷」と名前がついている場所で、湧き水の小川がちょろちょろ流れているのですが、“滝”もあります。東京はこういうコンクリートと自然とのコントラストが面白いです。
さっきの「もみじ谷」は、この案内板の地図の上の方の「東京タワー」のすぐそば。
僕はこの「もみじ谷」を通って、道路を渡り、「増上寺」に行くつもり。
この地図のど真ん中にあるのが「増上寺」で、その右が「プリンスホテル」。
そこをぐるりと囲っているのが「芝公園」です。もともとは「増上寺」も含めて“芝公園”だったらしいのですが、それだと法律上どうのこうので今は、“真ん中を除いたドーナツ状の部分”の全体が「芝公園」です。 古墳もあるんですね。
あとでこの辺の地図を確認していて、この公園に「伊能忠敬記念碑」があったと知り、それを見逃し素通りしたことがちょっと悔やまれました。伊能忠敬って、ちょっとした“超人”ですよね。
さて、道路を渡ったところに幼稚園があったのですが、そこへ至る道に「犬の散歩禁止」という大きな看板がありました。(それを写真に撮らなかったのが残念です。)それを見て「へー、犬の散歩禁止なのか…。」と思いつつ、さらに歩きました。
それでまあ、こういうほのぼのとした広場に出ました。広くて、円形の、バラの花が咲いて美しい広場です。
5月のバラはいいですねえ。
この写真、向こうから一人の人物がこちらに向かって歩いていますね。おっさんなんですが、彼、スポーツバッグのような大きさのものを胸に抱えています。
犬、でした。
そうか、「犬の散歩禁止」…、そういうことか。
抱えて散歩するのはいいんですね。ちょっと面白かったです。
振り向けば、奴がいる。
で、次は増上寺。
歌川広重『名所江戸百景』の79景「芝神明増上寺」。
絵の、左の赤い門が「増上寺」の正門らしいです。右が「芝明神」なのかな? ちょっと違う気もするけど、この辺りに「芝明神」があるんですね。今は少し場所が移動したのかもしれません。僕はこの時は「芝明神」にまで興味はなかった(知識もなかった)ので行きませんでしたが。
けれど、昨日の将棋の記事の中で触れた、江戸時代末期の女流の将棋指し池田菊が「芝明神前に住む妖しき女」とのことで、つまりそうか、この辺に住んでいたんだな、と。
橘仙斎『将棋営中日記』という江戸末期の書物があって、それには次のように記されているとのこと。
「神明前に住居せし池田菊女と云へる者、子九月廿二日岡村幾次郎四段の開会の節に、男計りの中へ只一人出席せし由、誠に珍敷事のよし、其様子人を人とも思はず、其の上早き将棋にて、考へもせずにさすよし、当時初段のよし。」
この女性、“超早指し”だったんですね。「人を人とも思はず」って、そこ、どんなのかもっと具体的に(笑)。