はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

銀杏さん

2010年08月28日 | つめしょうぎ
 僕は一度だけ「詰将棋全国大会」というものに参加させてもらったことがあり、それが2002年の東京・府中での大会。上の団扇はその時の記念の団扇。(女流棋士高橋和さんが看寿賞を授与されたのがこのときです。)

 さてこの団扇をよく見ると…


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 おっ森田銀杏氏の名前が見えます。あの‘森田手筋’の創始者、「もりたぎんきょう」さんです。

 ところが、この翌年2003年5月に森田氏は亡くなってしまいます。その訃報は、新聞各紙が報じました。68歳でした。



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 この小冊子は、『将棋世界』誌の付録。
 部屋の片付けをしていましたら、本棚の裏からこれが出てきたんです。将棋世界2003年11月号付録『森田銀杏詰将棋傑作選』。
 ああ、申し訳ない…。 ネズミのふんにょうまみれです。うちのネズミたち、森田銀杏のファンだったのでしょうか?



 この『傑作選』によれば、‘森田手筋’1号作品は、『詰将棋パラダイス』昭和34年(1959年)9月号発表でした。森田氏はこのとき25歳ですね。


 ところで、僕は、『詰将棋パラダイス』は購読していません。(あれを購読する勇気がありません。)

7.25詰将棋の解答

2010年08月17日 | つめしょうぎ
 先月の自作詰将棋の解答です。この詰将棋は、下の部分が尖っていて、全体の形が「縄文式土器」に見えたので『森田手筋付き縄文式土器』なんてタイトルをつけてみました。(「森田手筋」はあとで解説します。)


 4四成桂  同桂  5五飛

 初手▲5五飛としたくなります。しかしそうすると‘打ち歩詰め’になって詰みません。
 ところが最初に▲4四成桂△同桂として、それから▲5五飛とすれば事情が変わってくるのです。
 (なお、初手▲4四成桂に、△3六玉などと逃げるのは、2七銀、3七玉、3八銀打、4六玉、7三角となって詰みです。)
 



 4六玉  4七銀  3七玉  3八銀打  2六玉

 ベタベタッと銀を打って玉を追いかけていくと…




 2七銀  3七玉  3八銀左  4六玉 

 ああら、‘打ち歩詰め’の形。
 かといって▲3五角は、△1五玉と逃げられてしまう。 ▲3七角△同銀成▲2七歩△同成銀▲同銀もやっぱりダメ。

 正解は、▲2七銀から玉を4六まで追い戻して…(それでもやっぱり‘打ち歩詰め’だけど?)




 2四角

 で、ここで角を打つ。
 初手に「▲4四成桂△同桂」としたのは、「2四」にこの角打ちをつくるためだったのだ!




 3五桂

 合い駒は「桂」。 
 桂馬以外の合駒だとすぐに詰んでしまう。たとえば△3五香だと▲同角△同角成▲4七香まで。

 といっても3五桂と打たせたからといって、‘打ち歩詰め’が解消されたわけではない。 でも2四に打ったあの「角」がいなくなれば、「4七歩」が打てるのにね…。
 そこで…




 4七銀  3七玉  1五角

 こうやって、▲1五角で、「角」を消しちゃうのだ!




 1五同飛  3八銀左  4六玉  4七歩 

 これで‘打ち歩詰め’が解消。 「4七歩」が打てる!




 4七同桂成  同銀  3七玉

 △4七同桂成▲同銀で、こんどは桂馬が手に入った。それで…詰むの? (詰むのじゃ~、そういうふうに作っとる。)




 3八銀右  2六玉  1八桂  1六玉  2七銀  まで29手詰め

 詰んだね!




詰め上がり図




 詰将棋で、‘打ち歩詰め’を設定し、さらに、

 「1.玉のななめ後ろから角を打つ」 → 「2.桂馬の合駒」 → 「3.打った角を消す」 → 「4.打ち歩詰め解消!」

 というのを、「森田手筋」っていうんですね。詰将棋でこの手筋を最初に発表したのが、森田正司(銀杏)さんなので。1970年代のことではないかと思います。(森田氏は故人です。)
 僕は「森田手筋」を上のように理解しているのですが、厳密な定義は少し違っているようで、もっと広い解釈があるようです。くわしくはわかりません。

 じつは、これ(昨年12月発表)も、これ(5月21日発表)も、「森田手筋」作品。 同じ時期、昨年10月につくったものです。