ピカソの愛人だった女、ドラ・マールについて書こうとおもう。去年2006年5月、ピカソの絵が108億円で落札されてニュースになったようだ。(僕は今、知った) この絵が『ドラ・マールと猫』。
まあ、観てください。どうですか、この絵! 少なくとも「感じのいい絵」ではないよね。「魔女」っぽいよ。肩に黒猫がいるし。
はじめに断っておかねばならない。以前にも書いたが、僕はピカソがそれほど好きじゃないし、よく知らない。去年美術館に行ったあとに、少しだけ調べてみたくらい。あとは、昨日書いた、ピカソの好きな従妹の話を聞く… 僕のピカソ知識はその程度。だけど今回調べていくうちに、だんだんと好きになってきた。
少ない知識を多量の想像力で補って、ピカソとドラ・マールについて書いてみます。(きっと偏っているだろうが、ご勘弁!) それにしても、ドラ・マールを描いたピカソの絵は、本当に、ひどい(笑)。もう、笑うしかない。
「ドラ・マール」と名乗っていた女の本名はドラ・マルコビィッチ。アルゼンチンに育ったユーゴスラビア人。写真家。
ピカソとは1936年にフランス・サンジェルマンのカフェで出会う。ドラはピカソがあの有名な壁画『ゲルニカ』を製作するときに傍らにいて、その製作過程を写真に残している。
ピカソがその女を始めて見たとき、ドラ・マールは奇妙なゲームに夢中になっていた。ドラは、小さな紅い薔薇の刺繍のアップリケのついた黒手袋を手から外すと、指をテーブルの上にひろげて、先の光ったナイフを取り上げると、それを指の間に順番に突きたててゆき、どれくらい早くできるか試み始めたのである。彼女はほんのわずかのところで時々失敗し、その遊びをやめるときには、手は血に染まっていた。ピカソは、彼女のその黒手袋をほしいと申し出ると、その夜それを彼の宝物の箱にしまいこんでおいたのだという。
ピカソは生涯に数多くの女を愛人にしている。女がないと生きられない、女がないと絵が描けない、という男であった。女に愛してもらいたいのではない。ピカソが女を愛すために必要なのだった。愛すとは、この場合、性欲の対象として。
ピカソ=性欲=描く、といってもいいほどにこの男は荒々しく女を求める。それは作品の中で、「ミノタウロス(牛の顔をもつ男)」として表されている。ピカソがドラ・マールと出会ったときには、マリー・テレーズというかわいい愛人がいたが彼女は後年、「ピカソは、女を陵辱した後で仕事をした」と語っている。マリー・テレーズはピカソの娘を産んだが、ピカソにとって画のために(生きるために)必要なのは「女」であり、母ではない。女に母性がうまれると、次の愛人が必要になるのだ。
黒髪に黒い瞳のドラ・マールは、金髪・青灰色の瞳のマリー・テレーズと対照的であった。
そのドラとマリーが、ピカソのアトリエでかちあったことがある。
二人は言い合ったあと、ピカソに詰め寄った。ピカソは、「どちらかに決めるつもりはない。闘え」といった。すると二人は、絵の具や絵筆の散乱する床の上で大格闘のケンカを始めた。ピカソは大満悦だった。やがてドラは、彼女のカメラが壊されることを恐れ、格闘をやめた。マリーは静かに、ゆっくりと出て行った。
ドラ・マールの次に愛人となったフランソワーズ・ジローは、「ドラ・マールは彼(ピカソ)をよく理解した芸術家」と評している。ドラ・マールは知性をそなえた猛女というような表現をされることが多い。個性的な女であるのは間違いないようだ。
一方でピカソは、「ドラは本質的に泣く女だった」と言っている。
ドラとピカソがつきあった時代というのは、ドイツでヒトラーが台頭して、世界大戦への道をすすんでいる時代であった。ピカソの母国スペインでは内戦が起こっている。ドイツがポーランドに侵攻し、ドラとピカソの住むフランスがドイツに宣戦布告するのが1939年。しかしフランスがドイツとの戦いに敗れ、ピカソは住まいを追われたり困窮する。カフェというカフェがドイツ軍によって閉鎖され息苦しくなってゆく。しかしそのような状況でドラ・マールはたくましかった。彼女は物資を探してくる名人であり、ドイツ人をあしらうことがうまかった。
しかしドラは「泣く女」であった。この時代、ピカソもよく泣いたようである。ドラは感性の敏感な女性だったのではないか。ピカソの他の愛人にはないドラの「知性」は、政治的な出来事に敏感に反応した。彼女の感性は、そのような、「世界の不安定さ」をそのまま受け入れて、泣いていたのではないだろうか。
ピカソの絵を見ると、政治的要素は少ない。ほとんどが女性との関係から生じて洞察された自分自身の「内面」のイメージを描いている。
ただ『ゲルニカ』がある。これほど「政治的」に注目される絵は他にないといっていい。これはピカソの母国スペインの内戦への怒りを表したものだとされ、ピカソ本人もそう言っている。だが、この政治的な絵でさえ、よくよくみればピカソの「内面」の表現のようにみえる。そこには、爆弾も銃も描かれてはおらず、やっぱり、牛男と馬と女たちが描かれている。
もともとピカソはそういう画家(つまり内面を描くというタイプ)であって、政治的な男ではないのではないか、というのが僕の意見である。ただ、この、政治的な不安に揺れる時代にドラ・マールとつきあった、そのことが彼に『ゲルニカ』を描かせたのではないか。
ドラ・マールは「政治的なこと」に泣き、怒り、不安になる。その敏感な感性を持つ身体を抱いて、シンクロして、ピカソもまた、泣き、怒る。いつものように、ピカソは、女と、自己の内面を描く。そこにいたのがドラ・マールだったから、あの時期にピカソの絵は、世界に向けてひらかれて、「政治的」な絵を描いたのではないだろうか。ドラ・マールは、内面的なピカソと「世界」とをつなぐアンテナだったのではないだろうか。
こうしてみると、ドラ・マールは『ゲルニカ』を描かせるためにピカソの前に現われた魔女である、と思えてくる。これはちょっと大仰すぎる表現とは思う。だけどピカソの描いた『ドラ・マールと猫』などドラを描いた絵を観ると、ほんとうにそういう女だったように思えてくる。愛人を、あんなにグロく描かんでも…、と。(これに比べるとマリー・テレーズを描いた絵はものすごくかわいく見える)
ドラ・マールは、1997年パリでひっそりとその長い生涯を終えた。90歳だった。ピカソと別れた後、ピカソやその絵についてまったく語ることがなかったそうだ。(そこがまた神秘的だネ)
ドラの死後、ピカソが彼女のために描いた絵が公開された。ほとんどがドラの肖像画で、その中で最も有名なものは、『泣く女』だろう。
いま、『泣く女』の習作からながめているが… ひどいよねえ、この絵は。うわー…。 あ、でも、だんだん慣れてきた。
あ、オレ、ピカソ、好きかも(笑)。
まあ、観てください。どうですか、この絵! 少なくとも「感じのいい絵」ではないよね。「魔女」っぽいよ。肩に黒猫がいるし。
はじめに断っておかねばならない。以前にも書いたが、僕はピカソがそれほど好きじゃないし、よく知らない。去年美術館に行ったあとに、少しだけ調べてみたくらい。あとは、昨日書いた、ピカソの好きな従妹の話を聞く… 僕のピカソ知識はその程度。だけど今回調べていくうちに、だんだんと好きになってきた。
少ない知識を多量の想像力で補って、ピカソとドラ・マールについて書いてみます。(きっと偏っているだろうが、ご勘弁!) それにしても、ドラ・マールを描いたピカソの絵は、本当に、ひどい(笑)。もう、笑うしかない。
「ドラ・マール」と名乗っていた女の本名はドラ・マルコビィッチ。アルゼンチンに育ったユーゴスラビア人。写真家。
ピカソとは1936年にフランス・サンジェルマンのカフェで出会う。ドラはピカソがあの有名な壁画『ゲルニカ』を製作するときに傍らにいて、その製作過程を写真に残している。
ピカソがその女を始めて見たとき、ドラ・マールは奇妙なゲームに夢中になっていた。ドラは、小さな紅い薔薇の刺繍のアップリケのついた黒手袋を手から外すと、指をテーブルの上にひろげて、先の光ったナイフを取り上げると、それを指の間に順番に突きたててゆき、どれくらい早くできるか試み始めたのである。彼女はほんのわずかのところで時々失敗し、その遊びをやめるときには、手は血に染まっていた。ピカソは、彼女のその黒手袋をほしいと申し出ると、その夜それを彼の宝物の箱にしまいこんでおいたのだという。
ピカソは生涯に数多くの女を愛人にしている。女がないと生きられない、女がないと絵が描けない、という男であった。女に愛してもらいたいのではない。ピカソが女を愛すために必要なのだった。愛すとは、この場合、性欲の対象として。
ピカソ=性欲=描く、といってもいいほどにこの男は荒々しく女を求める。それは作品の中で、「ミノタウロス(牛の顔をもつ男)」として表されている。ピカソがドラ・マールと出会ったときには、マリー・テレーズというかわいい愛人がいたが彼女は後年、「ピカソは、女を陵辱した後で仕事をした」と語っている。マリー・テレーズはピカソの娘を産んだが、ピカソにとって画のために(生きるために)必要なのは「女」であり、母ではない。女に母性がうまれると、次の愛人が必要になるのだ。
黒髪に黒い瞳のドラ・マールは、金髪・青灰色の瞳のマリー・テレーズと対照的であった。
そのドラとマリーが、ピカソのアトリエでかちあったことがある。
二人は言い合ったあと、ピカソに詰め寄った。ピカソは、「どちらかに決めるつもりはない。闘え」といった。すると二人は、絵の具や絵筆の散乱する床の上で大格闘のケンカを始めた。ピカソは大満悦だった。やがてドラは、彼女のカメラが壊されることを恐れ、格闘をやめた。マリーは静かに、ゆっくりと出て行った。
ドラ・マールの次に愛人となったフランソワーズ・ジローは、「ドラ・マールは彼(ピカソ)をよく理解した芸術家」と評している。ドラ・マールは知性をそなえた猛女というような表現をされることが多い。個性的な女であるのは間違いないようだ。
一方でピカソは、「ドラは本質的に泣く女だった」と言っている。
ドラとピカソがつきあった時代というのは、ドイツでヒトラーが台頭して、世界大戦への道をすすんでいる時代であった。ピカソの母国スペインでは内戦が起こっている。ドイツがポーランドに侵攻し、ドラとピカソの住むフランスがドイツに宣戦布告するのが1939年。しかしフランスがドイツとの戦いに敗れ、ピカソは住まいを追われたり困窮する。カフェというカフェがドイツ軍によって閉鎖され息苦しくなってゆく。しかしそのような状況でドラ・マールはたくましかった。彼女は物資を探してくる名人であり、ドイツ人をあしらうことがうまかった。
しかしドラは「泣く女」であった。この時代、ピカソもよく泣いたようである。ドラは感性の敏感な女性だったのではないか。ピカソの他の愛人にはないドラの「知性」は、政治的な出来事に敏感に反応した。彼女の感性は、そのような、「世界の不安定さ」をそのまま受け入れて、泣いていたのではないだろうか。
ピカソの絵を見ると、政治的要素は少ない。ほとんどが女性との関係から生じて洞察された自分自身の「内面」のイメージを描いている。
ただ『ゲルニカ』がある。これほど「政治的」に注目される絵は他にないといっていい。これはピカソの母国スペインの内戦への怒りを表したものだとされ、ピカソ本人もそう言っている。だが、この政治的な絵でさえ、よくよくみればピカソの「内面」の表現のようにみえる。そこには、爆弾も銃も描かれてはおらず、やっぱり、牛男と馬と女たちが描かれている。
もともとピカソはそういう画家(つまり内面を描くというタイプ)であって、政治的な男ではないのではないか、というのが僕の意見である。ただ、この、政治的な不安に揺れる時代にドラ・マールとつきあった、そのことが彼に『ゲルニカ』を描かせたのではないか。
ドラ・マールは「政治的なこと」に泣き、怒り、不安になる。その敏感な感性を持つ身体を抱いて、シンクロして、ピカソもまた、泣き、怒る。いつものように、ピカソは、女と、自己の内面を描く。そこにいたのがドラ・マールだったから、あの時期にピカソの絵は、世界に向けてひらかれて、「政治的」な絵を描いたのではないだろうか。ドラ・マールは、内面的なピカソと「世界」とをつなぐアンテナだったのではないだろうか。
こうしてみると、ドラ・マールは『ゲルニカ』を描かせるためにピカソの前に現われた魔女である、と思えてくる。これはちょっと大仰すぎる表現とは思う。だけどピカソの描いた『ドラ・マールと猫』などドラを描いた絵を観ると、ほんとうにそういう女だったように思えてくる。愛人を、あんなにグロく描かんでも…、と。(これに比べるとマリー・テレーズを描いた絵はものすごくかわいく見える)
ドラ・マールは、1997年パリでひっそりとその長い生涯を終えた。90歳だった。ピカソと別れた後、ピカソやその絵についてまったく語ることがなかったそうだ。(そこがまた神秘的だネ)
ドラの死後、ピカソが彼女のために描いた絵が公開された。ほとんどがドラの肖像画で、その中で最も有名なものは、『泣く女』だろう。
いま、『泣く女』の習作からながめているが… ひどいよねえ、この絵は。うわー…。 あ、でも、だんだん慣れてきた。
あ、オレ、ピカソ、好きかも(笑)。