はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

萩原流横歩取り陽動向かい飛車

2012年10月31日 | 横歩取りスタディ
 写真は木村義雄十四世名人です。


 今日は先手萩原淳八段、後手木村義雄名人の1941年の対戦をお贈りします。持ち時間は11時間(――ということは2日制でしょうね)。

 今回の主役は萩原淳(はぎわらきよし)八段。木村名人より一年早く生まれています。この対局の時は両者ともに30代の指し盛りです。
 萩原八段は、ちょっと見たことのない、そしておそらくは一回限りの戦法を見せてくれています。
 ではその棋譜を――。

▲2六歩 △3四歩 ▲2五歩 △5四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △3二金 ▲3四飛 △5五歩
 
▲2四飛 △2三歩  ▲2八飛 △6二銀 ▲7六歩 △5三銀
▲6八銀 △4二銀上 ▲6六歩 △4一玉 ▲6七銀 △8四歩

 「5筋位取り横歩取らせ」戦法を紹介してきましたが、ここでは木村名人が後手番でそれを採用しました。先手荻原八段、それに応じてサクッと横歩を取りました。この場合はとくに、まだ先手の角道が開いていないので過激な乱戦になる可能性も少なく、横歩が取りやすいところではあります。
 萩原八段、3四飛と横歩をとった後、2四~2八と飛車を戻します。



▲3八銀 △8五歩  ▲7七角 △5四銀 ▲2七銀

 さて先手萩原八段の構想は? 3八銀~2七銀と右銀を出ました。「棒銀」です。
 この時代、棒銀は珍しい。この時代の相居飛車は「中央重視」なので、右銀を5七へ持っていくのが基本です。後手の木村名人の銀がそう進んでいますね。棒銀は「プロには通用しない」と思われていたフシがあります。
 1950年代になって、升田幸三が棒銀を積極的に使うようになって、そのあたりからやっと「棒銀」がプロでも立派な戦術の一つとみなされるようになりました。
 ただし、「棒銀」の歴史そのものはずっと古いです。駒落ち上手の振り飛車に対する攻め方として棒銀は指南書にも書かれています。



△3三銀 ▲7五歩 △3一角  ▲7六銀 △5二金

 この「5筋位取り横歩取らせ」の場合、後手は駒を中央に集めてくるわけですから、2筋の守備はうすくみえる。なので現代の視点から見れば「棒銀」で2筋を狙うのは理にかなっているように見えます。しかしこの時代の後手は「なに、大丈夫さ」と思っていたようです。
 具体的には、先手が「棒銀」にきたら、後手はどう対応するのでしょう?

 木村名人は、先手萩原の▲2七銀を見て、△3三銀。
 これは次に△3一角とする予定です。萩原がずんずんと棒銀を進めてきたら、そのまま銀交換に応じるか、△2二銀かあるいは△4二角で銀交換を拒否するか、△5三角と置いて2六歩などで止める構想もある。それらの内のどれかだと思います。

 後手が△3一角とすることがわかっているので、先手萩原は、先んじて▲7五歩から▲7六銀。 これは後手の△8六歩からの飛先突破を防いだ手。
 それはわかるのですが、とはいえ、7六銀と2七銀はバランスが悪いようにも見えます。▲7五歩では、代わりの手として7八金もあったでしょうが、萩原八段はそう指さなかった。ちょっと“考え”があったからです。


 木村名人、△5二金。 自然な手に見えますが…


 
▲8六歩 △同 歩 ▲8八飛

 木村名人の△5二金は、しかし、問題の一着でした。この手が形勢をそこねる原因になったかもしれません。

 ところで、この将棋に関しては、棋譜のみを見て、ど素人の僕が感じたことを書いています。つまり参考にする「解説なし」で書いているので、形勢判断など、まったくの誤りである可能性も大いにありますのでその点ご了承の上でお読みください。宜しくお願いします。
 『△5二金が疑問手かも…』というのは僕のぼんやりした感想です。


 木村の△5二金を見て、萩原、▲8六歩。 △同歩に、▲8八飛。
 これを萩原は狙っていた!!!



△5三角  ▲7八金 △4二金左 ▲4八玉 △3二玉 ▲3八銀
△6四歩  ▲8六飛

 こんな作戦、見たことありますか?
 横歩を取って、棒銀に行くふりをして、「ブン!」と向かい飛車い振る。なんとダイナミックな戦術でしょう!
 名づけるなら、「横歩取り陽動向かい飛車」だ!!

 私たちは「ひねり飛車」という戦法を知っています。2筋で歩交換して一歩を手に持ち、その後飛車を浮き飛車で左エリア、7六や八六に持っていくのが「ひねり飛車」です。
 この萩原流もそれと同じ構想とも言えますが、3四から2八そして8八へという飛車の動きは珍しいし、その間に「棒銀で行くぞ」というフェイクも入れていますから、木村名人もこれは騙されたかもしれません。

 木村名人は△5二金としてしまったので、8筋は完全に無防備となり、先手の“向かい飛車”の勢力が優勢になりました。この“向かい飛車”は強力です。すでに銀(7六)も出てきていますし、なによりも普通の向かい飛車より優れている点は、「持ち歩2つがある」ことです。これは大きい。
 後手がこの金をこちらに上がらなければ、7二金として8筋を補強できました。
 しかし木村は5二に上がった。どうするのか。(それでも5二金を7二まで持っていくのか?)

 萩原の▲8八飛を見て、木村名人は先手の狙いを十分に理解したはず。萩原陣もまだ隙だらけなのですぐには攻めてこれない。何手かの余裕がある。さて、名人はどう指したか。
 木村名人、悠然と△5三角。そして2枚の金をくっつけ、玉を3二に囲います。今でいう「ボナンザ囲い」という形。
 「不敗の名人」としてめったに負けなかった全盛期の木村義雄――とはいえ、これで8筋は大丈夫なのだろうか。


 萩原は3八銀と自陣を引き締め、4八玉の位置をよしとみて、ついに攻めを開始します。
 ▲8六飛。 



△8四歩 ▲8三歩 △同 飛 ▲8五歩

 飛車交換は飛車打ちこみの隙がある後手に不利。よって木村△8四歩。
 しかし先手には「持ち歩」がある。▲8三歩△同飛とたたいて、▲8五歩と継ぎ歩。

 

△8五同歩 ▲同 銀 △9四歩 ▲8四歩 △8二飛 ▲7六銀
△9三桂  ▲8三歩成 △8五歩

 木村、△9四歩~△9三桂で応じるも…



▲9三と △8六歩 ▲8二と △7四歩  ▲8三飛 △6五歩
▲8六飛成

 結局、双方飛車を取りあって、萩原、▲8三飛と打ちこむ。



△6六歩 ▲6四歩 △8七歩  ▲9一と △6九飛 ▲7九桂
△5六歩

 ▲8六飛成と竜をつくって、先手盤石。▲9一とで先手桂香得。
 どうみても先手優勢だろう、これは…。 木村名人はどうするのか。

 木村は、6~8筋で歩の味付けをしておいて、捕獲されそうな場所に△6九飛と飛車を打つ。
 萩原、7九桂とがっちり。



▲5八玉 △4九飛成 ▲同 銀 △3五角 ▲4六香 △5七歩成
▲同 玉 △5六歩  ▲同 玉 △7五歩 ▲同 龍 △4四銀

 △5六歩に同歩なら、△3五角として、△7九角成のねらいがあって、そうなると後手の飛車打ちが成功となる。これが木村の反撃の構想だった。「これでいける!」とどの程度思っていただろうか。自信があったか、それとも、ちょっと厳しいがこう行くよりない、と思っていたか。

 萩原は▲5八玉。飛車を玉ですぐ取りに行った。
 木村、飛車を切って、狙い筋の△3五角。 



▲5七玉 △5六歩  ▲4八玉 △3六歩 ▲6六角 △3七歩成
▲同 玉 △5七歩成  ▲同 角 △4五銀右

 飛車を失った後手はさらに二枚の銀を攻めに参加させる。 木村の攻め脚がゆるめば、萩原の勝ちだ。



▲7一龍 △5一歩 ▲9三角成 △8八歩成 ▲同 金 △4六銀
▲同 歩 △5五銀 ▲5三歩

 ▲7一龍~▲9三角成で先手は後手の目標にされそうになっている角を捌く。



△4六角  ▲4八玉 △5三金左 ▲3三歩 △同 玉 ▲3一飛

 萩原がここで放った▲5三歩、これは半分「受け」の手で、うっかり△7一角と竜を取られては一大事。



△3二歩  ▲2一飛成 △7九角成 ▲2五桂 △2四玉 ▲3二龍
△4六馬

 先手も▲3三歩△同玉▲3一飛で、飛車を打って攻め味をつくる。
 これでお互いに“裸の王様”になった。さあ、どっちが勝っているのか?



▲5七馬

 この図(△4六馬まで)では、先手玉が“詰めろ”になっている。先手がなにもしなければ、△4七香、または△5六桂で詰む。

 棋譜を観ながら「どう指すのか」と思って次の手を見れば、萩原の指した手は「▲5七馬」だった。
 これで受かっているのだろうか。 ここで△4七香なら同馬と取って、これは先手よさそうだ。では、△5六桂にはどうするのか。玉を逃げる手は金打ちで詰んでしまう…だから△5六桂は同馬しかないが、すると後手は同銀。そこで先手は3三竜、後手は1四玉と逃げて、先手2六桂と打つ――なるほど、これで詰みか、詰まない場合でも少なくとも後手のあの馬は消せそうだ。

 木村名人は△3六桂と打った。



△3六桂 ▲同 龍 △5七馬 ▲同 玉 △4六金  ▲同 龍
△7九角 ▲6八桂

 名人の攻め。 △3六桂▲同龍で竜を引き寄せ、馬同士で交換して、△4六金。



△4六銀 ▲同 玉 △6八角成 ▲5七歩 △3四桂 ▲5六玉  
△4六飛 ▲6五玉 △5七馬  ▲3三角 △2五玉 ▲1六銀

 竜をとって、△6八角成。 寄っているのか――!?


投了図

 いや、寄らなかった。 木村名人、投了。
 萩原玉は6五に逃げ、もう捕まらない。萩原八段が逃げ切って勝ち。135手。

 
 32手目「△5二金」と35手目「▲8八飛」、これがこの勝負の全体像の骨格をつくったことになったポイントだと思うのです。
 それを、「横歩取り」とのつながりで考えてみましょう。
 先手は‘横歩’を取ったために2手(3四~2四)手が遅れています。そして右銀の棒銀の動き。これらがなしで、もっと早く8八飛と指していたら、木村名人の方はまだきっと右金は「6一」のままだと思います。‘横歩’をとり右銀を進め、という余分な手を指したために木村は「△5二金」を指し、萩原は「よし、それを待っていた!」と飛車を8八へと振ったのかもしれません。
 だとしたら、「横歩取りによる手損を利用する高等戦術」ということになります。その真実は不明としても、萩原淳が、全盛期の無敵戦艦木村義雄を「萩原流横歩取り陽動向かい飛車」で一番倒したことは事実として残ります。一回しか使えなさそうな戦法ではあるけれども。



 萩原淳八段は1935年~1937年に行われた実力制名人制度が立ち上がるときにそのリーグ戦に参加して戦ったメンバーの一人です。しかしそれ以外についての情報がぼくの手元にはなかったので、Wikipediaで調べてみました。
 それによると、『1949年、第2回全日本選手権戦で木村義雄・升田幸三との決勝三者リーグを制し優勝。』とあります。この全日本選手権戦という棋戦は今の「竜王戦」のルーツになる棋戦のようで、ですので読売新聞社の主催です。この1949年のこの棋戦では、まず12人が戦って3人に絞る。それによって木村義雄、升田幸三、萩原淳の3人が勝ち残り、「巴戦」を戦った。そこで3者「1勝1敗」になったのでさらにもう一度「巴戦」をやり直し、そこで萩原さんが優勝した、ということのようです。3人で決勝戦なんて、ずいぶんと面白い仕組みですね。

 それから、木村名人と升田幸三の有名な『ゴミハエ問答』。
 名人「豆腐は木綿に限るね」
 升田「昔から豆腐は絹ごしが上等と決まっておる」
から始まって、途中、
 升田「名人なんてゴミのようなもんだ」
 名人「名人がゴミ? なら君はなんだ?」
 升田「ゴミにたかるハエですな」
となったので『ゴミハエ問答』と呼ばれていますが、実はこのエピソード、この1949年のこの棋戦での「三つ巴戦」の1回目の木村升田戦の前日の会食で行われたトークなんですって。(先週書いた記事『錯覚いけないよく見るよろし』では、1951年名人戦前ラジオで、としましたがそれは間違いだったようです。ここに訂正致します。)食事中のおしゃべりがけんか腰になった。ですから、ファンサービスというわけでもなかったのですね。自然と口喧嘩していただけ。
 その木村升田戦は大熱戦となり、210手で升田勝ち。戦型は「相矢倉」でした。


 

 さてもう一度1941年の萩原木村戦に戻ります。
 木村名人の序盤の「△5二金」とその後の指し手についてです。結果的に見れば、その手が敗着では、というのが僕の感想ですが、しかし名人がそれを修正しようと思えばできたはずなのです。だけども、名人は決して「△5二金」を6二、7二とやり直すような妥協の手は指さなかった。「△5二金」と金を上がった手を生かすような将棋のつくりを考えた。このあたりが木村名人の強者の意地というか、名人の格調高さではないかと思うのです。
 8筋を先手に攻め込まれても、後手は5筋の位を取っていますから、△5六歩と、6九飛の打ちこみと、それから角銀の援軍とで中央から崩す、そこに全てを賭ける覚悟で、あのように指したのではないでしょうか。もちろん、勝てると信じて。

参考図
 この図は、木村義雄・坂田三吉の有名な対局「南禅寺の決戦」の途中図です。「9四歩」の坂田三吉の端歩突きがよく知られていますが、その対局は図のように、先手木村義雄が5五の位を取り、坂田は向かい飛車に振る、そういう戦型になりました。
 19手目、先手木村義雄が指した手は、「5八金左」です。この図で見ると、有名な坂田の端歩(9四歩)より、木村の「5八金左」のほうがより“異様”な手に映りませんか。これが坂田の「向かい飛車」に対抗する木村義雄の「答え」です。これは上の萩原戦の時とは真逆の対応で、後手の攻め進めようとしている2筋からの真っ向勝負を考えています。「この金で行こう」と木村義雄はここで決断したのです。
 この「南禅寺の決戦」は木村がまだ名人になる前の1937年に行われました。(萩原戦の4年前ですね。)
 この将棋は横歩取りとは無関係な内容になりますが、ちょっとこの「南禅寺の決戦」の棋譜を並べてみて新たに気づいたことがあって、それを書きたいので、次回はこの対局の棋譜を紹介することにします。


 それでは、また。
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木村義雄、花田長太郎をふっ飛ばす

2012年10月29日 | 横歩取りスタディ
 木村名人の見事な将棋を紹介します。
 1944年、戦争も厳しくなっている状況下での一局です。(アメリカではロスアラモスに優秀な学者が集められ必死で原子爆弾をつくらんと研究に励んでいた時期です。ドイツをけん制するために。)若い升田幸三、大山康晴も戦地へ行きました。
 木村義雄名人40歳、花田長太郎48歳。実力名人制の創設期(1936~1938年)には、名人位を争うことになるとみなされていた二人(実際にそうなりました)の対局。「名人戦予備手合」という対戦ですが、実質名人戦のようなもの。戦争のためいつも通りの挑戦者決定リーグが消化できそうにないので、簡略化して行っていたようです。


先手:木村義雄
後手:花田長太郎
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5五歩
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △3二金 ▲4八銀 △5二飛
▲5八金右 △6二銀


▲6八玉 △5三銀 ▲7八玉 △5四銀  ▲6八銀 △4一玉
▲4六歩 △4二銀 ▲4七銀 △2三歩


 上図で、もし後手が右銀△6二銀としなければ、ゴキゲン中飛車ですね、現代で言えば。
 でも違うんです、思想が。初めから後手は居飛車のつもりで5筋の位を取っているんです、この当時のこの型は。 で、「位を取ったら位の確保が大事」ということで、飛車をまわって右銀をという考え。決して振り飛車中飛車戦法のつもりではない。
 この当時は「中央重視」だったので、相居飛車ではお互いに5筋を付き合って両者銀を中央へ、という指し方がポピュラーでした。でもこの形のように早く後手が△5四歩とすれば、先手は▲5六歩は突けない(角交換して△5七角がある)、それで後手が△5五歩と位を取り、「取ったぞ!」という主張です。居飛車のつもりなのに後手花田長太郎が8筋の歩は突かないで先に5筋を突いてくるのは、「なにがなんでもこの形で、」ということです。
 そのかわりに先手だけ飛車先の歩が切れる。その上で、横歩を取るつもりなら、取れる、そういう形です。後手はその覚悟で指しています。「横歩は好きにしろ」と。 そして居飛車のつもりなので、中央が落ち着けば後手は基本、8二飛と戻したいと考えているんです。(金を5二金と上がりたいですしね。)

 5筋の位と、飛車先の歩交換、それでどっちがいいか、というテーマでこういう型がよく指されました。
 前回紹介した高野山の決戦(升田・大山戦1948年 記事1 記事2)もだいたい同じ形ですが、その将棋では先手升田幸三が‘横歩’を取りました。その結果あまり「歩得」を生かす展開にはならず、後手の大山ペースになりました。‘横歩’を取るのがいつもいいとは限らないんです。

 この時代、「横歩三年のわずらい」という格言があり、横歩を取ってもあまりいいことはない、という思いの方が一般的でした。現代では「取った方がいい」とよく言いますが、本当でしょうか。この場合、貴方ならどうします? ‘横歩’、取ります?
 先手のみ飛車先の歩を切っていますからそこで「一歩」を手にしています。‘横歩’を取ればそれが「二歩」になります。
 重要なことは、その「二歩」を有効に使えるかということです。もし「一歩」で十分ならば手間をかけて横歩を取るのは間違いだった、ということになります。つまりは、その後の攻めの構想次第、ということです。「二歩」を有効に使うアイデアを持たないで‘横歩’を取るのは間違いだ、ということなのです。(ただしへぼのアマ同士ならどうでもよい。)

 この時代のプロは大体において‘横歩’をこの型では取らなかった。でも時々取ることもあった。
 さて木村義雄はこの時どうしたか。



▲2八飛 △4四歩 ▲3六歩 △4三銀上 ▲5六歩 △同 歩
▲同 銀 △5五歩 ▲4七銀 △6四歩 ▲5七金 △6五歩
▲5八飛 △8四歩 ▲3七桂 △8五歩 ▲9六歩 △9四歩
▲7九金 △3一角

 後手花田長太郎はなかなか△2三歩を打たず、先手の木村名人も2四飛をずっと置いたままで横歩を取るかとらないか、決めません。24手目に花田八段が△2三歩、対して木村名人は▲2八飛。 名人は‘横歩’を取りませんでした。
 その後、木村名人は▲5八飛として、5筋でたたかう戦略をとりました。
 木村名人が、もし初めからこのように▲5八飛としたいと考えていたならば、‘横歩’を取らなかったことと一貫性があると感じます。もしも▲3四飛などとしていたら、その飛車を2八~5八と持ってくるのに大変な手間がかかります。

 「木村名人は横歩を取って先手良しと言った」ということを聞きますが、それは別の型です。初手から先後ともに飛車先を切った場合の、「△2三歩からの横歩定跡」に限っての話です。(その型については数日前に記事を書きました。これです。)
 ちなみに、後手のこの戦術「5筋位取り横歩取らせ」は木村名人も時に指していました。まあ、実際には‘横歩’を取ってくる棋士が多くなかったことは上にも述べた通りです。


 それにしても、現代の目で見ると、4一玉には違和感を感じます。あっち(6二~7二)に行くのが自然に見えますね。
 でも花田さんは、初めから居飛車のつもりで指している。なので玉は可能なら2二に行きたいとさえ考えている。まずは△8四歩~△8五歩。飛車を8二に戻すつもりでいます。



▲5六歩 △同 歩 ▲同 金 △5五歩  ▲4五歩

 しかし木村名人の方が先にアクションを起こしました。(もしも名人が‘横歩’を取っていたらこの攻めは三手ほど遅れることになる。「三年のわずらい」だ。)


 ちなみに、この時代のプロの重要な対局は、持ち時間15時間で3日制である。本局もそう。考慮の時間は、まあたっぷりある。



△8六歩 ▲同 歩 △同 角 ▲8七歩 △6四角
▲4六金 △4五歩 ▲同 金 △4四歩 ▲4六金 △8二飛

 ▲5六歩 △同歩▲同金△5五歩に、ここで▲4五歩が意表の手。名人はこれをねらっていた。
 なるほど、花田八段が△5六歩と金を取れば、▲4四歩で先手やれるということか。これを5八飛のときか、またはその前から木村名人は読んでいたわけだ。
 花田、金は取れないとみて、△8六歩~△6四角とし、それから4筋を収める。

 そして花田、△8二飛。



▲2二歩 △3三桂 ▲2一歩成 △5二金 ▲5五金 △同 銀
▲同 角 △同 角 ▲同 飛 △6四金

 解説によれば、この花田の△8二飛が敗着のようだ。以下、木村の猛攻が炸裂することになった。

 
 △8二飛では、△3三桂が正着とのこと。これならまだ優劣は不明。もし△3三桂と後手が指したらこの後木村はどういう構想で指したのだろうか。大変興味がある。おそらくその後もしっかり予定があったはず。
 花田八段とすれば、ずっと5二のままで飛車を守備のためだけに使っていては面白くはないだろう。なにしろ「寄せの花田」と呼ばれていた男である。△8二飛は花田八段の攻めを整えよう、という待望の手で、木村からの攻めはないと判断したわけだ。だが、その読みが甘かったことになる。



▲7一角 △7二飛  ▲5二飛成 △同 銀 ▲4四角成 △5三歩
▲3一金

 図の花田八段の△6四金で、かわりに△6四角は、▲6五飛△3七角成▲6一飛成で先手良し。

 ▲7一角 △7二飛として、▲5二飛成と、ズバッと飛車を切る。
 以下は名人木村義雄の攻めの舞い。
 とった金を3一へ打つ。



△3一同金 ▲同 と △5一玉 ▲3三馬 △6二玉 ▲8三銀
△7一飛  ▲5六桂 △5五角

 序盤~構想~仕掛け~寄せ、まったく手の澱みがありませんね。



▲6四桂 △3三角 ▲4五桂 △9九角成  ▲5四金

 △5五角に、▲6四桂。 馬は差し上げてもいい、と。
 そして▲4五桂とこの桂を活用。

 このようになった時に、先手が攻める前に指した▲7九金(43手目)が攻めと連動した必要手だとわかります。もしも6九金型のままだったら△8八金の1手詰。仕掛け前の手が寄せと繋がっているというプロの芸。(持ち時間15時間だからそれくらいはやってくれないとな、とも思うが。)
 同じ手を指してもアマのの場合はだいだい「安全そうだからこう指しておこう」というだけです。



△5四同歩 ▲5二桂成 △6三玉 ▲6二成桂  まで95手で先手の勝ち

 おしゃれな▲5四金でフィニッシュ!! 小駒(飛角以外の駒)だけの収束がなんだか、いい。




 最終手▲6二成桂も美しいですね。この手でついつい▲5三桂成としたくなります。だけどそれだと、詰みを逃す。6四~5五~4四と逃げ道が残るから。(それでも先手勝ちだと思うが。) それが本譜の▲6二成桂なら、6四玉と後手が逃げても、5三銀が打てるので4四の逃げ道も塞いでいる、というリクツ。
  投了図からは後手がどう応じても3手詰。


 木村名人が後手の△5五歩位取りに対して、横歩を取らないで快勝した一局を紹介しました。
 序盤から詰みまで、一本の線になってスキのない、職人芸のような名人の将棋でしたね。木村義雄はよくその強さをこの時代、「相撲の69連勝の双葉山と並び称されていた」として知られていますが、花田長太郎という横綱級の相手を、こんな具合に一気に土俵外まで押し出してしまうような力があったということです。

 「現代将棋では‘横歩’は取った方が良いとされている」という解説がよくありますが、この対局のように、取らないこともまた「正解」であるということです。その後の組み立て次第なんですね。 


 [追記] 訂正です。
 4手目の△5四歩に関して、「でもこの形のように早く後手が△5四歩とすれば、先手は▲5六歩は突けない(角交換して△5七角がある)」と書いていますが、勘違いをしておりました。「▲5六歩は突けない」というのはは誤りです。「▲5六歩」と仮に突くと、やはり後手がその気になれば「角交換して△5七角がある」のですが、その場合先手も▲5三角がありまして、これはまだ形勢は互角です。ですので、「(▲5六歩は)突けない」というわけではありません。ただ定型からはずれて、将棋の性質が全然変わりますので“ちょっと突きにくい”くらいの気持ちは先手側にあるかもしれません。
 細かいことですが、重要なところなので。
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10・19詰将棋の解答

2012年10月27日 | つめしょうぎ
  8三飛成

 1週間前に出題した自作詰将棋の解答編です。
 出題のタイトルに「あの銀が、最後に…」とヒントを掲げました。 「あの銀」とは9一の銀です。この銀が最後に動いて詰みとなります。

 では初手から詰手順を考えていきましょう。


 初手、可能な「王手」は6通りしかありません。この詰将棋には持駒がありませんので、盤上の駒を使って「王手」をする以外になく、そうなるとこの図では、6つの候補の中から初手の「正解」を選ぶことになります。
 さて、その6つをしらみつぶしに検討してみましょうか。
 (1)8一飛成  8五歩合で続かず
 (2)3二馬  6五香などの応手ならば同馬、同銀、8一飛成で詰む。しかし3二馬には9六玉で続かない。9六玉には3六飛成としたいところなのだが、この時、飛車(3一)の背中に馬(3二)が張り付いているのでそれができない。
 (3)6九馬  以下9八玉、3八飛成、9七玉。この後、どうにもならない。
 (4)7六銀  同玉ならば7四飛成で詰みそうだが、7六銀には9八玉で不詰。
 (5)7八銀  同玉でも、9八玉でも不詰。
ということで、
 (6)8三飛成  これしかない。これが正解。

 
 この図で、「初手8三飛成」というのはなかなかインパクトのあるオープニングではないかと思います。



 8三同銀  3二馬  9六玉

 初手「8三飛成」には、「同銀」が正解手です。飛車をいきなり捨てるわけですが、なんのために捨てるのかについては、後で。

 その前に2手目の他の‘変化’を片付けます。
 「8三飛成」に、(ア)7七玉と逃げる手は、8六竜、6七玉、5八馬、7八玉、8八竜まで。
 あとは「8三飛成」に8五に合駒をする変化。(この詰将棋は総手数が長めですが、ややこしい変化は少ないです。ただこの2手目合駒の変化のみは手が広くちょっと煩雑です。)
 答えから言いますと次のようにして詰みになります。
2手目(イ)8五金合 → 同飛成、同銀、6九馬  
   (ウ)8五歩合 → 6九馬 (香合、桂合も同じです) 
   (エ)8五銀合 → 3二馬、9六玉、8五飛成

 それぞれより詳しく見ていきますと、次のようになります。
 (ア)8五金合には、同飛成、同銀、6九馬、9八玉、3八飛成、9七玉、8七金まで。

 (イ)8五歩合には、6九馬、9八玉、3八飛成、9七玉、9四竜

 8六玉、3六竜、7五玉、6六竜まで。
 この途中、3八飛成に6八香合と中合いの手があるが、これも6八同竜でよい。以下9七玉、9四竜、8六玉、8七馬、同玉、8八香まで詰み。
 9四竜という手がポイントです。この竜の活用があるので、6九馬が有効手になりました。

 (ウ)8五銀合 → 3二馬、9六玉、8五飛成、同銀、8七銀、9五玉、8六銀、同銀、同角

以下(a)8六同玉なら、7六馬、9六玉、9七銀、9五玉、8五馬。
(b)9四玉には、7六馬、9三玉、9四銀、8四玉、8一飛成、7四玉、8三竜まで。
(c)8四玉には、8一飛成、7四玉、7五銀、6三玉、6四銀、7四玉、8五飛成まで詰み。(8一飛成に8三合駒なら8五銀、7三玉、6五桂、6三玉、5三角成。)
という感じで。
 3二馬に、7七玉の変化もありますね。これには、7四竜と銀を取る手があり、以下6七玉、5八銀、5六玉、6五馬、4六玉、4四竜、4五合、4七馬まで。


 これで2手目の変化はやっつけました。 




 4一馬

 8三で飛車を捨て、「6二馬 9六玉」となったところ。
 9六玉に対しては‘3六飛成’としたいのだが、上でも述べたように、馬が3二に居るためにそれができない。「じゃあ、その馬を「王手」で4一に移動すれば次に‘3六飛成’ができるじゃないか」――ということで、5手目「4一馬」。 これでつぎの3六飛成がいつでも可能になった。ここだけでみると5手目「4一馬」の発見は容易と感じると思いますが、この5手目の「王手」を実現するためには、初手から「8三飛成、同銀」の2手が必要だったわけです。 これが初手「8三飛成」の意味。



 7四歩合

 「4一馬」には「7四歩」が正解手ですが、他の手も考慮する必要のあるところ。

 (A)8七玉 これには9六馬があります。強引に9六へ玉を呼び戻すのです。

9六同玉、3六飛成、9五玉、8六竜、9四玉、8五竜、9三玉、7五角、8四歩合、9五竜、9四香合、8五桂まで。

 この詰みを初めは“作意”として考えていたのですが。

 「4一馬」に
 (B)7四桂合と合駒すれば、これも上の変化と同様に3六飛成、9五玉、8六竜以下詰み。(この際、8六竜に同桂は、8五馬で詰み。)

 (C)7四に、金、銀、香のいづれかの合駒なら、同馬と取って、同銀、3六飛成から簡単。



 3六飛成  9五玉  8六竜  9四玉  8五竜  9三玉

 図は「7四歩合」としたところ。 以下、「3六飛成」からはあまり迷う所はありませんが、立ち止まるとすれば「9三玉」の次の手、13手目。



 7五角

 ここで「7五角」。 角を捨てる。
 このタイミングでの7五角が正しく、うっかり先に9五竜、9四銀の後に7五角だと、8三玉から逃げられてしまいます。ここが注意点。(これを将棋用語でむつかしく言えば、「13手目と15手目の手順前後は成立しない」となります。)

 


 7五同歩  9五竜  9四銀  8五桂  8三玉  7三桂成

 角を捌いて、桂馬を跳ねて、すぐ成り捨てる―― このあたり、かっこいいでしょう!



 7三同玉  7五竜  8三玉  8四歩  9三玉  7三竜  8三(歩)合  8二銀不成
  まで27手詰


 「8三玉」に、7四馬としたくなりますが、7二玉で詰みません。
 7五で取った歩を「8四歩」と使うのが正解です。
 そして(予告通りに)最後に9一の銀がナラズで動いて詰み。 27手詰め。



詰上がり図


 問題図面の7七桂や9七角が最後に捌けて消えて、9一の銀まで使えるなんて、ヘボ作者にとって夢のような収束です。(あの馬も盤上から消えてくれると最高なのだが。)
 初手の飛車捨てと後半の収束とで、けっこうお気に入りの作品となりました。




 ところで、王座戦(渡辺明VS羽生善治)は楽しかったですねえ! あんな将棋がもっと見たい。
 羽生さんは名人は取れなかったけれど、絶好調です。以前も、深浦さんに王位戦で負けた後ほとんど負けなしで走っていたとか、タイトル戦の番勝負で敗れた後の羽生善治は一段と強くなる印象があります。棋聖、王位、王座とタイトル戦3連勝ですもんね。
 でもって今季の注目はNHK杯戦。何しろ(トーナメント戦なのに)羽生善治4連覇中で、今期も勝ち続けて5連覇するかってところ。 あっ、明日、羽生さん登場じゃないですか。相手は橋本崇載八段か。

 これが今年の勝率上位者の勝率と勝敗
 1  八代 弥  .875  21-3  ←新人 9連勝中
 2  佐藤康光  .818  18-4  ←1冠
 3  行方尚史  .810  17-4  ←5連勝中
 4  佐々木慎  .800  16-4  ←6連勝中
 5  永瀬拓矢  .794  27-7  ←青流戦と新人王戦の決勝進出
 6  羽生善治  .791  34-9  ←3冠
 7  村山慈明  .783  18-5  ←特記事項なし
 7  澤田真吾  .783  18-5  ←8連勝中
 9  斎藤慎太郎 .762  16-5  ←新人

 そんな好調の羽生さんよりも高勝率の棋士が5人も。
 千日手大好き振り飛車王子・永瀬拓矢にも注目。まあ注目しなくても目立っていますね。勝数では1位羽生に続く2位で、現在新人王戦と青流戦の2つの決勝三番勝負を戦っている。青流戦三番勝負は今日(土)と明日、ネット中継もありますよ~。
 そして八代弥の勝率は今後どうなるのか。
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横歩定跡のことだけど、飛車を切って有利って、ねえ、それホント?

2012年10月25日 | 横歩取りスタディ
 横歩取り定跡のお勉強をしましょう。
 『2三歩、3四飛』の定跡です。

初手より▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩

▲3四飛 △8八角成 ▲同銀 △2五角

 ここで▲3四飛と取るのが「横歩取り」でしたね。
 横歩を取るかとらないかは自由です。取らないで2六飛や2八飛も一局。
 でも大抵は取ります。理由は「それで先手が有利になるから」。

 ただし条件があって、それは「(先手の)あなたがその後の定跡を知っていれば」という条件です。知らないのならば、「まあ、やめとけ」と言っておきます。知らないと結構悩ましいんですよ、この後は。

 以前の記事(『よこふ物語1 ヨコフって何?の巻』)でも書きましたが、現在のプロ棋士はそれ(△2三歩▲3四飛の後の展開)がしっかりわかっていますので、そもそも上図にある後手の△2三歩は指しません。2三歩を打たずに8六歩、同歩、同飛と指します。これが今も大流行中の「横歩取り戦法」の型で、そのタイミングで先手が▲3四飛と横歩を取るのです。
 アマ初段未満だとその両者の違いも把握できていなかったりしますが、「2三歩」を打ったかどうか、それで大きく状況は違います。

 「△2三歩」からの定跡は、ここに歩を打たない場合の横歩定跡とは、はっきり区別して、しっかり知っておくべき居飛車党の基本なのですが、プロもアマもここで「△2三歩」と指す人が今はほとんどいないので、覚えていなくてもそれで「大丈夫っちゃあ、大丈夫」とも言えます。めったに出会わない。プロは当然(その定跡を)わかっている前提で△2三歩を打たないことを選んでいるわけですが、アマチュア将棋指しの場合は…となると、これは怪しいわけです。何しろ、ほとんど誰も指すことがないのですから、まあ一生のうち一度くらいは出くわすかどうかのそういう場面です。そういう時のために、この「△2三歩からの横歩定跡」を覚えておくということになるんですが、いざとなると大概忘れているんですよねえ。

 実はプロでも、ほとんど指されないとはいっても、指されたこともあるわけで、これからも指される可能性はあるにはあるのです。“横歩をとって絶対絶対絶対絶対先手有利~”というほどではない。


 ここに紹介する棋譜は、青野照市九段の『プロの新手28』に紹介されている森鶏二九段と谷川浩司九段の対局です。1987年度の棋王戦だそうです。20代の谷川さんが後手が不利と言われている「△2三歩」に挑戦したことになります。

 ▲3四飛に、 △8八角成 ▲同 銀 △2五角となります。



 ▲3二飛成

 △2五角にどう指すか、を知っておかなければいけない。
 定跡は「▲3二飛成」を示しています。

 これは江戸時代から伝えられている手でして、ある程度の棋力があって居飛車を主として指している人は、ここまでは大体知っています。

 でもねえ、ここまで知っていても中途半端で困るんですよ。だって「飛車を切ってそれで有利」って言われてもねえ。「ほんとか!?」って話ですよ。

 だから、この後をどう指すか、しっかり覚えておかなきゃ、って話なんです。
 自分の定跡再学習の意味で、いま、この記事を書いているわけです。


 「△2五角に▲3二飛成」が定跡手なんですけど、ただし、近年ではその代わりに▲3六飛でもオッケーってことになっています。
 この「△2五角に▲3六飛」という手はたぶん民間では昔から指されていて、「飛車を切って金と交換なんて、自分には無理!」って人が指していたんだと想像します。まあだから玄人的には馬鹿にされていた。でもしっかり研究してみたら、「これでも先手が指せるようだね」となったようです。
 あの羽生さんがこの▲3六飛を指していることも、この青野本に紹介されています。その時の後手番の相手はやはり谷川浩司。プロにおける△2三歩の台風の目は谷川浩司だったのか。若かったんですね~、谷川さん! あと米長邦雄氏(日本将棋連盟の現会長)もこの後手番を指していたようです。30年くらい前かもっと前のことです。(“米長新手”というものもあるのですが、それは今日は紹介しません。)

 僕も一度だけ後手番で△2三歩から△2五角を指してみたことがあるのですが、その時の相手(先手)は、飛車を切ってこず、▲3六飛でした。
 アマの場合はやっぱり経験値が大きいと思います。でも、知識もね、ということで、さあ先へと進めましょう。



△3二同銀 ▲3八銀 △3三銀 ▲1六歩

 定跡はここ「△3二同銀」と教えていますけど、△3二同飛だったら先手はどう指すのがいいんでしょうね? ▲3八銀が無難そうだけど、▲5六角や▲8三角もあるかも…。 (とにかく、いちいち手が広い。)

 定跡通り進めて、「△3二同銀 ▲3八銀 △3三銀」。
 そこで▲4五角というのが古来からの定跡に伝わる手。(下参考図)
参考図
 木村義雄(十四世)名人は、この定跡の先手番が得意でよく指していました。
 それで参考図以下、△4四歩▲6三角成△5二金▲6四馬というように進み、先手は馬をつくってそれを自陣に引きつけて――という展開です。
 なるほど、そう進むのであれば、木村名人が「横歩は取って先手良し」と言うのも納得です。馬がつくれるという保証があるならば。(それならシロウトにも気楽に指せそう)

 ところがそれは大戦前まで通用した話で、戦後、そうではなくなっています。今では後手の“新手”が見つかって、▲4五角としても馬はつくれないので、木村名人の発言の信頼性は、白紙の状態になりました。
 ▲4五角には、“△5四歩”という手があります。これがその“新手”ですが、これを発見した人はプロ棋士ではなく、アマチュア愛棋家とのことです。
 △5四歩を▲同角と取ると△5三飛が返し技で取れない。それで▲2三角成なら△3四角▲同馬△同銀と進みます。(△5四歩の手の価値は、もしも▲4五角に△5二玉などと受けた場合は、▲2三角成の時に後手の8二の飛車の横利きが止まってしまっているので後手困る、ところが△5四歩ならば飛車の横利きは通ったままで先手の▲6三角成を防ぐことができる、ということ)
 これではパッとしない、ということなのか、それでこの▲4五角以外で何か良い手はないのか、と模索され始めました。
 戦後、山田道美八段らがよくこれを研究し、米長新手も出て、さらに時を経て谷川浩司がまた指し始め…、ということのようです。▲4五角の他には、▲7七銀、▲6八玉、▲6九玉などが候補手として指されたらしい。それぞれ、意味のある手です。

 そんな状況で、また新しい手が生まれました。そして今では最有力と見られているようです。
 1987年、森鶏二(もりけいじ)九段がそれを指しました。それが今回紹介中の棋譜です。



△2四歩 ▲3一金

 図の「▲1六歩」が森新手。
 ねらいは次の▲3五金△1四角▲1五歩。 なるほどこれはわかりやすい。
 では▲1六歩に、後手はどう応じるか。 とりあえずは角を守らないと。
 △4四銀は、▲5六角とされると、そこで後手が角成を受ければ、▲2六歩からやはり角を捕獲されてしまう。
 △4四歩はどうか? これには▲6五角と打つ。すると後手は△3一飛と飛車を打って受けるしかない。以下▲5六角△2二銀▲7七銀のような駒組み合戦に入ることになる。これは“これからの将棋”だが、先手は持ち駒に「金歩歩」とあるのが大きい。
 
 谷川さんが選んだ手は「△2四歩」。 それを見て、森さんは「▲3一金」。 これが森さんの狙いでした。

 (またここでは、△1四歩という手も指されているようです。 △1四歩▲3五金△1六角▲同香△1五歩という狙いだが有力。最初に指した棋士は誰だろう? これは優劣不明としておきます。) 



△3四角 ▲2一金 △1二香 ▲1一角 △4二玉 ▲3六歩 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲3三角成 △同玉 ▲3五歩 △4五角 ▲3四銀

 「▲1六歩」で「△2四歩」を誘い、そこで「▲3一金」が森鶏二九段の指したかった手。
 これはあの桂馬を取るのがねらいですが、後手が「2三歩」の状態でこの金打ちを指すと、△2二飛打という受けがあって、金打ちが無駄になって先手失敗です。ところが「△2四歩」の後では、▲3一金に△2二飛打は、▲2三歩△同飛▲3二角で成功というわけなのです。▲2三歩と打てる。


 森九段は桂馬を取ることに成功しました。
 そしてチャンスとみるや、一気に決めに行きます。
 (▲3三角成は過激な手で、代わりに▲3七桂△5四角▲3四桂という手もあると青野本に書いてある。こっちのほうが堅実でいいかも。)



△3四同角 ▲同歩 △4二玉 ▲3三歩成 △5二玉 ▲3四角 △3五角

 先手にとって気持ちの良い順ですね。「▲3三歩成」は、△同玉とは取れませんね。(王手飛車がある)

 しかしよくよく見れば先手の攻め駒は豊富なわけではないので、まだ勝負は決していません。



 こうなりました。
 谷川さんの「△3五角」は攻防の手。角成をねらいつつ、先手の▲5三と△同玉▲6一角成を防いでいます。

 青野本にはこの後の棋譜は載っていません。ということで棋譜はここまで。
 どうやら森さんの次の手は▲4六桂らしいです。
 そして結末は、「谷川勝ち」だったようです。



 けれども、森新手“1六歩”は素晴らしいですね。
 この手が有力で、この定跡は「先手勝ちやすい」が今の結論のようです。
 この流れを知っていれば、怖がらずに、「3二飛成」の飛車切りを実行できるということになります。
 僕はこの森さんの“1六歩”に、升田幸三賞を差し上げてもいいんじゃないかなって思います。これは定跡の歴史に燦然と輝くかっこいい手だと思います。
 (“5四歩”の発見者もすごいです。)

 ところで、この対局を勝利した谷川浩司九段は、結局この後、棋王戦の挑戦者となり、棋王位を高橋道雄棋王から奪取しています。(3-2、1持将棋)

 また森鶏二九段のほうは、翌年、王位戦挑戦者になってなんと王位を奪取です。相手は谷川浩司でした。(4-3)
 そういえばこの頃って、森さんがミネラルウォーターを対局場にただ一人持ち込み始めた時期でしょうかね。米を炊くのにも水を買って炊くので水代に月5万円はかかるとか言っていた。(10万円だったかも。)今では飲み水を買うなんてだれでもやるようになりましたが、あの頃はそんな人は「変わった人」扱いでしたね。


 今回は森さんの名前を「森鶏二」としていますが、失礼だったでしょうか。「けいじ」の「けい」は、変換で出てきませんし、コピーして使ってみてもだめでした。(以前は使えたのですが。)
 だけどもともと森さんのこの「けい」という漢字は、とりの「鶏」と同じ意味のようですよ。森さんは土佐の出身で、土佐では闘鶏が人気があった土地柄ですし、戦う鶏の強さ美しさへの土佐の人々の尊敬の気持ちが、森九段のその名前にも入っているようにも思います。
 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に書いてあったと記憶しますが、日本ではあまり動物を表す漢字を名前に使わないことが多いのに、土佐だけは好んで付けるということです。猪とか、ですかね。でも馬とか虎は全国的に使いますか。やはり「鶏」は珍しいですね。猫兵衛とか、いたんですかね。(これ以前にも同じこと書いていたようですワ。あらら。)

追記: 土佐は「犬派」だから、猫兵衛はいないか…。ん? どうでもいい?
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「錯覚いけないよく見るよろし」

2012年10月23日 | 横歩取りスタディ
 1948年高野山の決戦第三局は升田幸三の「横歩取り」で始まりました。これは後手番の大山康晴が升田得意の「角換わり腰掛銀」を避けるために選んだ戦術でした。

 前日の記事ではその序盤の棋譜を紹介しました。今日はその後編です。
 では続きをどうぞ。


2八飛 6四歩 5八金 7四歩 4六歩 8二飛 3六歩 5二金 5九角 5三銀 7七桂 8六歩 同歩 同飛 8七歩 8四飛 2六角 4四角 3七角 2二角 4八飛 6五歩

 ここからどう組むか、それが難しい。
 後手は次に8二飛と飛車を戻すと、次に3一角から8六歩で角交換が狙える。角を交換することが先手にとっていいのかどうか。

 結局、升田さんは2八飛と引き飛車にしました。そして「この構想が悪かった」と悔やんでいます。
 升田さんは、2八飛~5九角~2六角という構想を描いたのですが、それがどうも「のんびりしすぎだった」というのです。升田さんは、「2八飛では、4六歩として、3六歩から3七桂を目指すべきだった」と振り返っています。
 この発言の意味は、僕のような棋力のものでも、大雑把にならば理解できます。先手は「横歩」をとって持ち歩を2枚にしています。ここが後手よりもリードしているポイントです。それならば、この2つの持ち歩を生かすような速い攻めを見せて攻めの主導権を取りたいところ。それには桂馬の攻めが有効になりやすい。いつでも攻めるぞと桂馬と持ち歩で攻めをちらつかせて、相手の動きをコントロールするということです。


 ところで、先手の駒組みは「雁木(がんぎ)」ですね。
 今は見ることの少ない「雁木」が昔はよく現れていたのは、昔の将棋は「中央重視」だったからですね。飛車先の攻めや端の攻めよりも、中央の制圧が価値が高い、そういう意識が時代の空気としてあったように思います。
 なので横歩を取ってその後▲2八飛と引き飛車にして中央を厚く、という先手の駒組みは、昔の(大戦前の)将棋を踏襲している感じがします。

 
 先手升田が▲5九角と角を引いたのを見て、大山は△5三銀として角道を通しました。△6五歩からの攻めがあるので先手は▲7七桂。そこで大山は△8六歩から飛先の歩を交換して持ち歩を増やします。
 大山ペースになってきました。

 升田さんは▲2六角を予定通りに実現させましたが、大山さんの△4四角に▲3七角と引いてしまいます。どうも消極的です。ここも「▲3五歩と指すべき」と後で言っています。(この歩を、どこかで機を見て▲3四歩と伸ばしたいですよね。)
 このあたりどうも結果的に、升田幸三の得意戦法を拒否した大山康晴の「横歩取らせ」がうまくはまったといえるかもしれません。



4五歩 6六歩 同銀 6五歩 5七銀 5五歩 4六銀 7五歩 同歩 6四銀 4四歩 同角 3五銀 3三桂 5五歩 同角 5三歩 同銀 5五角 同銀 6五桂 5四銀 5三歩 4二金 2四歩 5七歩

 図の△6五歩(62手目)で開戦です。

 形勢は互角ですが、後手が攻める展開です。こうなってみると後手大山陣のほうが“現代的”です。「受けの大山」という私たちのもつイメージとは違う感じ。
 後手の持ち歩も先手と同じで2歩。それならば「一歩損」などもはや気にならない状況になっており、つまりは「後手大山の横歩取らせ大成功の図」ということです。後手の駒には勢いがありますね。
 ただし、勝負はこれから。形勢はあくまで互角。

 「攻める大山」は、3三桂とこちらの桂馬まで攻めに使ってきます。



6八金 6六歩 7六銀 4五角 9六角

 先手▲2四歩に後手△5七歩。攻め合いです。
 後手5七歩の手で△6五銀と桂馬を取ると、▲6三角から先手勝ち。
 「△5七歩はありがたかった。△2四同歩が嫌だった」という升田の感想。このあたりが勝負どころだったようです。
 大山がここで攻めて△6六歩▲7六銀という形になったので、▲9六角が生じここで升田優勢に傾きました。
 


8五歩 同銀 8二飛 7六銀 3一王 3七桂 5六角 5七金 7七歩 同金 8九角成 2三歩成 同馬 2八飛 2五歩

  ▲9六角―――こういう角打ちは升田幸三がほんとに得意とするところで、おそらく升田さんはずっと前からこの形になればこの角打ちで自分の勝ちと読んでいたでしょう。直前の▲7六銀がなければ△8五歩があるので、▲9六角もなかったわけです。大山さんの攻めを升田さんが「ありがたかった」と言ったのはそういうこと。自然に狙っていた形になった。
 升田さんは「これでもう勝ち」と楽観気分にさえなったようです。(←それは喜び過ぎなのでは。)



2四歩 8九馬 7八金

 大山さんは馬をつくり、攻防に働かせますが――



6五銀 同銀 7三桂 7四銀 6五桂打 5八金 5六銀 7三銀成


 その馬を升田さんは▲7八金で封じ込めようとします。「升田の受けつぶし」です。
 これでもう攻められないだろう、というわけです。

 対して、不利な大山さんは“最後の攻め”を開始します。ここは無理しても攻めないとアウト、という場面なのでしょう。


【研究:9九馬なら?】 しかしさて、仮に▲7八金に後手が△9九馬と緩んだとしたら、先手はどう指すのがいいんでしょうね。▲2五桂は△4五桂が金に当たるのでダメ。それなら▲3四銀かな? △2一香なら▲7四歩から歩成をねらう…う~ん、そんなヨミでいいんでしょうか。 


 升田さんはもう勝ちを確信していたようです。大山さんはどうだったでしょう。「負けかもしれない、でも負けない」ってところでしょうか。何せ『助からないと思っても助かっている』の人ですから!!



7八馬 同王 6七金 6九王 5八金 同王 5七桂成 4九王 4七銀成 3九王

 8二の飛車を取る一手の余裕ができれば先手勝ちが確定する。
 後手は△7八馬と馬を切って△6七金と打つ。
 対して先手は「▲8九玉とすれば勝ちだった」らしいが、升田は▲6九玉。この瞬間、じつは逆転していて後手大山の勝ちになる。(ダメじゃん升田さん!) ところが大山は、△5七桂成なら勝ちだったところを、△5八金。 再逆転、升田▲5八同玉。


【研究:8九玉と逃げて先手勝ちってホントか?】 ▲8九玉に△7七桂成。後手玉は詰みはない…。なら、先手負けなのでは?
と思ったらよく解説を読めば△7七桂成に▲5九金、これで先手が勝ちと書いてあった。そこまでしか書いてないが、以下△7八金、同飛、同成桂、同玉、6七歩成、8九玉、7七飛、8八金は先手勝てそう。



4八成桂 同飛 同成銀 同王 8八飛 4七王 8七飛行成 同角 同飛成

 ▲3九王と逃げて、また升田の勝ちになった。 
 将棋は逆転のゲームですなあ。

 


4六王 6四角 5五桂 4七金 まで142手で後手の勝ち

 △8七飛成に「5七桂合」で升田勝ち ―――― となるはずが、そうならなかった。 本人にも理由はわからないが▲4六玉と逃げてしまった。
 ポカ(=うっかりミス)である。

 △6四角から先手玉は詰んでしまった。あーあ、なんてこったい。
 こういうのを将棋用語で「トン死する」と言います。


【研究:5七桂合以下】 「5七桂合で升田勝ち」ということだけど、▲5七桂合△6七歩成でそこで先手はどう攻めたらいいのだろう? 後手玉が詰めば問題ないが、どうやって詰む? 
詰まないとして、▲6一飛と王手して4一に金か角を合駒として使わせて▲3四桂とすれば先手勝ちか…。いや、▲6一飛に△5一歩なら?▲同飛成、△4一金打で先手取られて竜を逃げると△2九角でこれ、先手負けだなあ。うーん、じゃどうする?
などと、ここまで考えた後、ソフト(東大将棋6)に詰みの有無を問うてみた。すると「後手玉に詰みあり」でした。詰み手順は2三桂と打って、2二玉なら2一金、同玉、1一桂成、同玉、1二銀以下。2三桂、同金なら、3二銀、同金、4一金、2一玉、3一飛以下の詰みです。なるほど~。



投了図

 投了し、「錯覚いけないよく見るよろし」と、升田幸三は呟いた。


 投了図以下は、5六玉、5七竜、6五玉、5五竜、7六玉、7五竜、8七玉、8六竜、7八玉、7七歩、7九玉、6七桂以下の詰みとなります。



 よく知られているように、升田幸三はこの時の負けを後々まで痛恨に思っています。何度も愚痴っております。言い訳にも聞こえる。体調が悪いだの寒さが嫌いだの主催者の対応が駄目だのと。
 思えば升田幸三は、威張ることと、愚痴ることの似合う人でした。そしてそこが魅力だったのです。
 あんなに強いのに簡単なところでポカをする。あんなに鋭い目なのに体が弱い。あんなにかっこいいのに愚痴る。強さと弱さが両方わかりやすく表われていた。
 「あの男が名人位を取るところが見たいなあ…」多くの将棋ファンそう思ったことでしょう。(僕はもちろんこの当時まだ生まれておりませんので…)

 対して、弟弟子の大山康晴は最強マシーンでした。体力と精神力の“オバケ”でした。年月を経て後になって徐々にその怪物ぶりが判ってきました。
 しかしその大山も、まだ若く、この年1948年の名人戦では名人塚田正夫に勝てませんでした。

 そして次年度のA級順位戦を勝ち抜き名人挑戦者になったのは、升田幸三でも大山康晴でもなく、あの木村義雄でした。そして木村は、再び名人位へ返り咲いたのです。
 

 その後は――


 1948年2・3月 高野山の決戦(名人は塚田正夫)
 1949年 木村義雄、名人位復位
 1950年 名人戦の主催者が毎日から朝日へ 
 1951年 『ごみはえ問答』 ついに升田幸三が名人挑戦者に
        「ゴマ塩頭にいつまでも名人にいてもらっては困るんですよ」
         とラジオの舌戦では敵を翻弄 しかし将棋では敗れる
 1952年2月28日 陣屋事件=王将戦で升田幸三が木村義雄を差し込み(香落ち下手)に追い込む
 1952年 大山康晴が名人に  敗れた木村義雄は引退
 1953年 升田幸三名人挑戦者に しかし大山康晴に返り討ちにあう
 1954年 升田幸三名人挑戦者に しかし大山康晴に返り討ちにあう

 1957年 ずっと大山に勝てずファンも本人もあきらめていた頃、升田幸三が名人に
         しかも全タイトル制覇の三冠王(名人・王将・九段) 升田超ハッピー

 1959年 大山康晴名人位復位 最強マシーン完成
        大山ここから13年名人位を離さず 伸び盛りの若手を悉くぶっ潰す
         (この間升田も4度名人挑戦者に しかしそのたびに返り討ちにあう)



 こんな感じです。  おしまい。
 


 [追記] 
 『ごみはえ問答』について、その年度など、少し訂正があります。10月31日記事『萩原流横歩取り陽動向かい飛車』に書いております。

 [追記2]
 「錯覚いけないよく見るよろし」は、当時の観戦記によれば、三国人(朝鮮籍の人は自分たちのことを当時このように主張したことがある。朝鮮人は日本人とちがい敗戦国の人間ではないという主張を含む)が、日本人をだまして妙なものを買わせたときに、「錯覚いけないよく見るよろし」と言ってからかうことがこの当時多かったらしく、升田はそのセリフを拝借してこう言ったという。 
 元はそういう、人をだましておいてあざけるという嫌な言葉なので、この「錯覚いけないよく見るよろし」を升田の名セリフのように扱うのは疑問である。


・“戦後”、木村・塚田・升田・大山の時代、の記事
  『高野山の決戦は「横歩取り」だった
  『「錯覚いけないよく見るよろし」
  『「端攻め時代」の曙光 1』 
  『「端攻め時代」の曙光 2
  『「端攻め時代」の曙光 3
  『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 』
  『新名人、その男の名は塚田正夫

・“戦後”の横歩取りの記事(一部)
  『京須新手4四桂は是か非か
  『小堀流、名人戦に登場!
  『「9六歩型相横歩」の研究(4)
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高野山の決戦は「横歩取り」だった

2012年10月22日 | 横歩取りスタディ
 升田幸三が南方の戦地(ポンぺ島)で月を仰ぎながら、「木村義雄と将棋を指したい」と痛切に思ったことは有名なエピソードである。木村義雄は名人であり、最強者であった。
 戦争が終わり、GHQによる占領下で、将棋界もまた活動を再開した。
 名人戦の予選として「順位戦」が創設され、八段棋士はA級、七段棋士はB級で順位戦を戦う。当時まだ20代の升田幸三は残念ながらB級だったので、優勝はしたが名人挑戦はできず、戦後最初のA級優勝者は塚田正夫となった。
 升田は焦っていた。升田幸三は、名人・木村義雄(当時40歳くらい)が最強のうちになんとしても戦って粉砕したいのである。弱く衰えてからではつまらない。強い木村名人だから倒したいのだ。A級順位戦に参加できる次年度こそはと燃えていた。
 ところが升田にとって残念なことが起こる。木村義雄が塚田正夫に敗れ名人の座を譲ってしまったのである。
 まあしかたがない。木村義雄でないのは残念だが、それなら塚田名人を倒すまでだ。
 升田はA級でも突っ走り、12勝2敗で2位以下を引き離して優勝。A級では前名人の木村も下した。升田とすれば予定通りのことである。さあそれでは次は名人戦、といきたいところだがそうはいかなかったのだ。
 どういうわけか制度がこの年のみ変更され、A級の上位3名とB級の優勝者とでもう一度この4名で挑戦権を争う、ということになっていた。現在でいえばプロ野球のプレーオフ制度のようなものである。「こんなの理不尽だろ!」と升田は怒ったが、どうにもならない。
 結果この中で升田幸三と、B級の優勝者である大山康晴が勝ち残り、この二人があらためて三番勝負を行って名人挑戦権を争うことになったのである。

 この三番勝負が「高野山の決戦」である。それは1948年2月下旬に始まった。

 寒さの苦手な升田は、主催者(毎日新聞社)に、「せめて暖かい場所での対局を」と希望していた。ところが結局、対局場は、雪の舞う高地、高野山と決まった。(高野山て和歌山県なんですね。僕は奈良だと思っていました。) しかも升田の言い分によると、「対局通知が届いたのは対局の前日で、しかも対局場までへの案内人も用意せず「自分でなんとかせよ」という。それでもなんとか、升田は急遽案内してくれる人を探し出して、雪深い山を歩いて登り、対局場高野山金剛峰寺にたどり着いた。

 そうしたモヤモヤした気持ちの中、対局は始まり、升田幸三は第一局を敗れたのである。

 大山康晴は升田幸三にとって子供の時からかわいがってきた5歳下の弟弟子である。木見門下としてともに一つ屋根の下で内弟子生活を送ってきた。「強い木村を倒す」それを目標としてきた升田にとっては大山は「勝ってあたりまえ」の相手であった。しかしそういう相手こそ、一番むつかしい。
 A級でブッチギリの成績で優勝したというのに、七段である弟弟子の大山康晴と念願の名人への初の挑戦権を争わねばならぬという理不尽。確かにこれは升田にしてみれば腹立たしいことだろう。升田は朝日新聞社の嘱託で関係が深かったために、毎日側に、「反升田」の気持ちがなかったとは言い切れない。(さらに大山は当時すでに毎日新聞社の嘱託だった。)

 とはいえ、勝負事は「結果がすべて」である。勝たなければならない。
 あとの2つを勝てばいい、升田幸三はそう思っていた。


 第一局(3月26日)は大山勝ち(137手)、戦型は相掛かり。
 第二局(3月29日)は升田勝ち(141手)、戦型は角換わり腰掛銀。

 1948年3月3日、高野山普門院にて、最終決戦となる第三局が行われた。持ち時間は各7時間、升田幸三先手である。


 前置きはここまで。その棋譜を観ていきましょう。



初手より
2六歩 8四歩 2五歩 8五歩 7六歩 3二金 7七角 3四歩 6八銀

6二銀 7八金 5四歩 2四歩 同歩 同飛 2三歩 3四飛 5三銀 3六飛 5五歩

 この図(6八銀まで)は「角換わり」の出だしです。升田さんは「角換わり腰掛銀」を得意にしており、この決戦三番勝負第2局もそれで勝利しています。
 ふつうはここで、7七角成として、同銀、2二銀で「角換わり」になるのです。その場合、2二銀に2四歩、同歩、同飛の歩交換はできません。直後に△3五角~△5七角成あるからです。そこで2二銀のあとは、3八銀、3三銀と進むのが普通の道筋。これでお互いに飛車先の歩は切れません。そこから先手が「腰掛銀」を選ぶなら先手は▲4七歩から▲4七銀~▲5六銀と駒組みするわけです。(「棒銀」なら▲2七銀~▲2六銀ですね。)

 それが“ふつう”なのですが、大山はそう指さず「6二銀」と指しました。
 つまり兄弟子升田幸三の好きな「角換わり腰掛銀」を避けたのです。

 その結果、「横歩取り」の戦型になりました。大山から言えば「横歩取らせ」戦法です。
 世に有名な「高野山の決戦」の最終局は、「横歩取り」だったのです。




5六歩 4四銀 5五歩 5二飛 6九王 5五銀 4八銀 5六歩 5七歩

 大東亜戦争前の1930年代に、この「横歩取らせ」の指し方は、数は少ないけれど時々現れた戦型です。ですから大山さんが、特殊な、オリジナルな指し方をしたということではありません。
 これ、でも、現代の横歩取りしか知らない人がこの図を見たら、「へんだなあ、それ、ダメでしょ」と違和感を感じることと思います。先手にだけ飛車先の歩を手に持たせているというのが“現代の横歩取り”と大きくちがいます。
 だけどこれがこの時代の「横歩取り戦法」だったのです。
 どうやら昔は、「横歩の“一歩”を取らせるかわりに5筋の位をいただく、それで十分やれる」という考えだったと思われます。中央重視だったんですね。中央を制する方が優勢になる、という考え方です。だから「一歩くらい、まあいいや」と。

 横歩を取った先手の升田、こんどは5六歩で、大山の取った5五の位を消しにかかります。




5七同歩成 同銀 4一王 5六歩 4四銀 2六飛 4二銀 6六歩 5三銀 6七銀 5四銀

 大山は5二飛と飛車をまわり、5筋に援軍を送ります。
 しかしそれでも先手は5七歩と合わせていく。





 そしてこうなりました。お互いに「中央は制圧させないぞ」という気持ちがぶつかって一応落ち着きました。先手の囲いは「雁木(がんぎ)」ですね。
 ここからはまた第2次の駒組みです。



 今日はここまで。続きは次回記事で書きます。
 今回この記事を書いたのは、昔の(1920~1950年代の)「横歩取り」はこんなんだったよ、ということが言いたかったから。
 その意味では目的はもう果たせたのですが、ここまで書いたら最後まで書かないと、読者も(いるとすればですが)気になるところでしょう。明日アップできると思います。



・“戦後”、木村・塚田・升田・大山の時代、の記事
  『高野山の決戦は「横歩取り」だった
  『「錯覚いけないよく見るよろし」
  『「端攻め時代」の曙光 1』 
  『「端攻め時代」の曙光 2
  『「端攻め時代」の曙光 3
  『超急戦! 後手5五歩位取りvs先手横歩取り 』
  『新名人、その男の名は塚田正夫

・“戦後”の横歩取りの記事(一部)
  『京須新手4四桂は是か非か
  『小堀流、名人戦に登場!
  『「9六歩型相横歩」の研究(4)
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あの銀が、最後に…!!

2012年10月19日 | つめしょうぎ
 自作の詰将棋です。 持駒なし。



 ところでプロ将棋界の話題ですが、数日前に行われた順位戦C級2組。このクラスは、参加者46名(平均年齢32.7歳)で、昇級できるのは3名です。各人が10対局を行うのですが、今半分の5対局を終えたところ。
 さて、ここでそのC2組で現在5戦全勝の棋士を揚げてみます。

  菅井竜也 五段 20歳
  澤田真吾 四段 20歳
  阪口 悟 五段 34歳
  佐々木勇気 四段 18歳
  斎藤慎太郎 四段 19歳

 僕はあることに気づきました。
 この5人には共通項があります。さてそれは何でしょう?









 答えは、「氏名がみな‘さ行’で始まる」、でした。 
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10・10詰将棋の解答

2012年10月17日 | つめしょうぎ
 3八銀

 「3八銀」――― まあこれしかないですよね、初手は。
 
 初手5六銀は、3七玉と逃げられていけません。3七から2筋に逃げられるとアウト。 なので、「3八銀」です。


 2手目で分岐があります。
 (1)5七玉  これが作意(正解)で、21手詰。
 (2)4六玉  4七歩以下の21手駒余り詰。(=“変化”という扱いになる)

[(2)変化4六玉以下の手順] まずこちらから解説。
4六玉、4七歩、同角成、同銀、同玉に、2九角と打ちます。これに対し(a)3八歩と(b)4六玉があります。
(a)3八歩なら5六銀と引く手がかっこいい。

これに対し同歩なら4五竜、4六玉なら5五角で簡単。5六同玉と取る手には、6六竜(3八角からでも詰む)、4七玉、6七竜、4六玉、3七竜、同玉、3八金、4六玉、4七金、まで(19手駒余り)。 
(この2九角~5六銀~6七竜~3七竜という動きがちょっといいのでこの変化を入れるよう作図しました。)


 次に、2九角に、(b)4六玉の変化ですが、6六竜、5六香(桂)、5五竜、同飛、同角、同玉、6七桂、4四玉、3四金、4五玉、5六角、4六玉、4七飛まで詰み(21手駒余り)。



(この手順で、6六竜のところで、先に5五角、同飛として6六竜としても詰みます。その場合、21手で駒が余らず詰みになる変化もあり、そうすると「変同(変化同手数)じゃないか!」と文句言われそうなのですが――この微妙な件についてはまたこの記事の最後で。)


 なお、初手から3八銀、4六玉、4七歩、同角成、このタイミングでの6六竜は、5六馬とされると――

これは歩がないので詰まなくなる。


 以上(2)4六玉以下の変化の説明を終わります。




 では、本筋「3八銀、5七玉」にまいりましょう。



 5七玉  6六竜  4六玉

 絶対に6八玉と入玉されるのは防がなければいけません。なので「6六竜」は必然ですね。 



 5六竜  同歩

 さてここでどうするか。 見れば、4七歩は“打ち歩詰”の禁じ手になっています。
 5五竜は同飛、同角、同玉…これは詰みません。


 他に手がありませんし、5六竜と取ってみましょう。 



 5五角

 で、どうするか?
 
 4七歩はここでは“打ち歩禁”ではないですが、5七玉~6八玉と逃げられます。とにかく、6八に逃げられるとまずいのです。
 6八角を打ってみたくなります。でもそうすると5七合駒(または歩成)と応じられたときに、またこれが“打ち歩禁”の図で困りますね。
 1三角も3五歩合でダメ。
 5五角打は、同飛と取ってくれればよいのですが、取らないで5七玉と逃げられると、やはり6八への遁走が防げません。

 コマッタ、コマッタ。

 しようがないので(笑)、「5五角」とやってみましょう。

 

 5五同玉

 ハイ、この手がこの詰将棋の“狙いの一手”。

 「5五角」に5七玉なら、4六角打と角を繋いで玉の6八への侵入を阻止することができます。5五角、5七玉、4六角打、同飛、同角、同玉、4七飛、5五玉、6七桂までの詰み。「5五角」に同飛は、4七歩と打って、5七玉なら4六角まで、4五玉なら2三角~3四角成の詰みとなる。

 というわけで「5五角」は、「同玉」と取ることになります。



 7七角

 「5五角、同玉」に、「7七角」と打ち替えるのがこの詰将棋の“作意”。


 ですがその前に――


[紛れ:9手目3七角] ここで3七角という有力にみえる手がありますので、検討してみましょう。

3七角に4六合駒は、6七桂から簡単に詰みなので、この3七角が決め手に見えます。ところが3七角には、4六飛、同角、4四玉となって(下図)、

この局面が不詰なんですね。攻め方の攻撃力が強くいかにも詰みそうなのに、実は詰みがない。
(a)4五歩は4三玉で逃れ。(4五同玉は詰み)
(b)3五角も4三玉(または3三玉)でやはり逃れ。
(c)3四金、4五玉、3五金は、4六玉、4五飛、5七玉にて逃れ。
(d)3四金、4五玉、5五飛、4六玉、5六飛、4五玉――またまた“打ち歩禁”の図が出現し、これは打開不能。


 この紛れ筋を面白いと思い、なんとか組み入れたいと考えたので、この詰将棋は初形がちょっと厳つい形になりました。
 作者としましては、解答者がこの3七角からの変化に「あれおかしいな詰まないな」と一通り悩んだ上で、「あっそうか7七角だ!」と正解手を発見していただけたとしたならば、それこそ作者冥利に尽きるということです。



 4六玉  6八角

 さて5五角と角を捨てて、「7七角」と打ち替えました。 この打ち替えに何の意味があるのか?
 「7七角」に、6六に合駒するのは同金があるので、「4六玉」と逃げます。

 そこで「6八角」。 これがねらいです。

 4手前の局面で「6八角」とすると“打ち歩禁”だったのに、今度はそうではない、というのが重要です。要するに8八の角を捨てて消して、それから「6八角」を実現させた、ということになります。

(前作で「“打ち歩禁”を飛車捨てで解決する」というのをやったので、次は「角捨てで解決する」をやってみようというのが動機となり、これを考えました。前作とは「打ち替える」のがちがいますね。)
 

 さて「6八角」に、どう応じるのが最善(長手数になる)か?



 5七飛

 「5七飛合」が正解です。
 これ以外の合駒(または5七歩成)だと、4七歩、5五玉、その次に▲6七桂と▲7七角の二つの手があって早く詰む。これを同時に防ぐのが「5七飛」。



 5七同角  同歩成  4七歩  5五玉  6七桂  同と  5六飛  4四玉  3四金 
 まで21手詰


 「5七飛」は「同角」と取って詰み。



詰め上がり図


 出題の時、ヒントに「難問、というほどではないが」と書いて、難問を匂わせたのですが、実際それほどの難問というわけでもないですね。ただ、問題図が、駒数が多く倦厭されそうな図になってしまったので、「難問かもよ」と言うことで、逆に「どれ、解いてみようか」という気持ちを刺激して解図欲を誘う――という作戦に出たわけでした。
 もっとも、作った本人にとっては、自分は答えが最初からわかった上で創作しているものですから、出来上がったものが簡単なのか難問なのか、自分にはいつもさっぱり判断できない、というのが本当のところです。



【最後に:あれは変化同手数なのか?の問題】
 下の変化図は、初手より3八銀、4六玉、4七歩、同角成、同銀、同玉、2九角、4六玉としたところです。

 ここで6六竜から「21手駒余り」になるという解説をしました。
 で、それとは別にここで先に5五角でも詰みます。手順は、5五角、同飛、6六竜、5六香(桂)、5五竜、同玉、6七桂、4四玉、3四金、4五玉、5六角、4六玉、4七飛まで詰(21手駒余り)。これは単に手順前後があっただけで同じこと、手数も同じ21手駒余り。(“変化”なので手順前後があってもそこは問題なしですね。)
 しかし5五角、同飛、6六竜、5六香(桂)のときに、このとき一歩を手にしているので4七歩という手があります。以下4五玉、5五竜、同玉、6七桂、4四玉、3四金、4五玉、4六飛となって詰みですが、これは21手で駒余りなし

 さあこれをどう考えるか。 整理しますと

 初手より▲3八銀
  2手目(1)△5七玉 →21手詰
      (2)△4六玉
           9手目(ア)▲6六竜以下 →21手詰(駒余り)
              (イ)▲5五角以下  13手目(A)▲5五竜 →21手詰(駒余り)
                                (B)▲4七歩 →21手詰

と、こういうことになります。

 つまり、△が2手目4六玉を選び、9手目に▲が5五角、さらに13手目に▲4七歩を選択すると「21手詰」(駒余らず)になってしまう。すると、これは正解手順と同手数(で持駒も余らず)―――つまり“正解が2つ”になってしまうのでは? という問題。


 私はそうは思わない(この場合は「変同」ではないと考える)、ということを一応ここで書いておきますね。以下の理由によるものです。

 詰将棋の正解手順を決めるルールとして、(1)攻め方▲は最善の手を選ぶ、(2)玉方△も最善手順を選ぶ、ということになっています。 (1)攻め方▲の最善とは「最短手順で攻める +なるべく駒をたくさんとる」で、(2)玉方△の最善とは、「最長手順で応じる +なるべく攻め方に駒をとらせない」だと思います。
 だとすれば、変化手順の9手目や、13手目、攻め方▲の手の選択としては、なるべく駒を取れる変化を選ぶべきだと考えます。よって4六玉以下の変化は「21手駒余り」になる。
 したがって「正解手順」は2手目5七玉以下の21手詰。
   (よって、したがって、 …受験数学の証明問題みたいだ~。)


 ただこのあたりの微妙さがこの詰将棋には含まれていたので、出題時に「4四で詰みます」と掲げておきました。「どれが正解なのかわからない」ということのないように。




 ですが「変同がどうした」とか、こうしたことはちょっと理屈っぽすぎるかも、ですね。
 そもそもこうした詰将棋の細かなルールは、詰将棋を扱う雑誌(詰将棋パラダイス、近代将棋、将棋世界など)が昭和の時代に、その性質上、「解答手順の一本化」のために必要だったからつくられたものと思います。雑誌の編集の都合、ということです。とくに懸賞問題などの。
 おおざっぱに言えば、「読みきりゃいいのだ」とも言えます。本来の「詰将棋」は、そういうものなのですね。詰ますことができるかどうか。 それと、解く人(と作る人)が楽しめたかどうか。
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4四で詰みます

2012年10月10日 | つめしょうぎ
 難問、というほどではないが、いろいろある。
 当然ながら、入玉させてはいけない。
 21手詰め。


 答えは一週間後くらいに。




 あ、今日は森内名人の誕生日ですね。
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10・1詰将棋の解答

2012年10月08日 | つめしょうぎ
 2七桂

 初手は「2七桂」。


[紛れ:初手2六銀] ▲2六銀に△同玉は▲3七金で(長手数だが)詰んでしまう。▲2六銀△同玉▲3七金に、△同玉なら▲3四飛、△1七玉と逃げても▲1四飛△16歩合▲同飛△同玉▲2七金以下の詰み。
しかし初手▲2六銀は△16玉と交わす手で逃れている。以下▲1四飛には△1五歩合▲同飛△2六玉▲3七金△15玉と応じて不詰め。


 この詰将棋は21手詰ですが、

(1)1~8手目 導入部
(2)“打ち歩詰”の図に
(3)9~16手目 “打ち歩詰”解消の為に4枚の大駒(飛車角)を全部捨てる!!
(4)“打ち歩詰”解消→これで歩が打てる(17手目)
(5)17~21手目 収束部

という構成になっています。要するに「打ち歩詰の禁じ手解消問題」です。
しかし一番厄介なのは「導入部」かと思います。



 2七同と

[変化:2手目2五玉と逃げたら?] この2手目の[変化]が骨太というかちょっと大変だったかもしれません。△2五玉には▲2六銀と捨て、△同玉に、▲4六飛で詰みます。これが見つけられないとこの変化はやっつけられません。

“▲4六飛”の意味は、(a)4六同香なら▲6二角成、(b)△3六歩合なら▲1八桂から玉を2九まで追って▲3九金で仕留める(そのためには4八の飛車はいないほうがよい)、という意味です。具体的な手順は以下の通り。
 (a)△4六同香▲6二角成△4四歩合▲同馬△1六玉▲1七歩△2五玉▲3五馬まで。
 (b)△3六歩合▲1八桂△1七玉▲1四飛△1六歩合▲2九桂△1八玉▲1六飛△2九玉▲3九金まで。(21手駒余り)



 というわけで2手目は「2七同と」。



 1六銀  同玉  2七金  2五玉

 続いて「1六銀、同玉、2七金」と迫ります。


[4手目△2六玉の変化] △2六玉▲2七金△3五玉▲6二角成△4四歩▲同馬△同香▲3六歩△3四玉▲4四飛行△3三玉▲4二飛成まで詰み。(15手駒余り)




[変化:6手目△1五玉と逃げると] ▲1六歩△2五玉▲3七桂△3五玉▲6八角△4六歩合▲4七桂まで早詰(下図)。 なお、▲6八角に5七歩合なら▲同角引と取る。



 で、6手目は「2五玉」と逃げる。



 1七桂  1五玉 

 「1七桂」で代わりに▲3七桂は、△1五玉で詰まなくなります。あとで▲5九角が王手にならなくなるからです。

[変化:8手目△3五玉と逃げるのは] これはやはり▲6二角成から詰み。上の[4手目△2六玉の変化]と同じ要領。



 4五飛  同香  5九角

 「(1)導入部」が終わり、ここで「“打ち歩詰”の図」が現れています。

 “打ち歩詰”は禁じ手なのでこれを“歩を打っても詰まないように”改造する必要があります。


[紛れ:9手目▲2四銀不成] ▲2四銀不成△同歩▲1六歩△1四玉に
(a)▲2六桂は△2三玉にて逃れ。(うっかり△1三玉と逃げると▲3一角成から詰んでしまう)
(b)▲2四飛△同玉▲5一角成も△3三歩▲3六桂△3五玉で逃れている。


 “打ち歩詰”打開のカギは9四にいる飛車です。この飛車がなければ“▲1六歩”から詰ますことができます。
 でもだからといって▲1四飛△同玉とその飛車を捨てるのはその後がうまくいきません。▲2六桂は△1五玉で再び“打ち歩詰”状態です。持ち歩が二つあれば▲1五歩△同玉▲1六歩とできるのですが、現実には一歩のみ。ないものはない。

 ではどうするか。


 まず、「4五飛」。 こちらの飛車から捨てていき、続いて角も…




 5九同香成  4八角  同香成  9五飛

 じつは二枚の角を捨てるための「4五飛」でした。
 そして二枚の角を捨てるのは、次の「9五飛」の飛車捨て実現のため。




 9五同成桂  1六歩  1四玉  2六桂  1三玉  2五桂  まで21手詰

 「9五飛」、これがやりたかった手です。
 「9五同成桂」と取るしかありませんが、これで9四の飛車が消えました。“打ち歩詰”の解消に成功です。
 以下「1六歩」からの収束。




詰め上がり図


 この詰将棋は、「四枚の大駒を連続で捨てる」というのがやりたくて作りました。
 攻め方の大駒を四枚も盤上に置くと、余詰めが生じてこまるもの。ですがこの詰将棋は「余詰め防止のためだけに置いた変な駒」がなくてよかったです。


[9六の成桂はなぜ“成桂”なの?] 9六に“成桂”を配置していますが、「これ、“と金”ではいけないのか?」という疑問を抱いた方もおられるかもしれませんので説明しておきます。もしこれが“と金”の図ですと、2手目2五玉の変化で、2六銀、同玉、4六飛、同香、6二角成となったとき、4四桂という合駒が可能となります。(王方の持ち駒に桂馬が一枚あるのでこの手が生じたわけです。) これも同馬、1六玉、1七馬、同玉、2九桂以下面白い手順で詰むのですが、これが27手詰(駒余り)になってしまうのです。“変化”のクセに正解手順よりも長い「変化長手数(=変長)」になってしまう。この「変長」の生まれる「桂合」の変化をつぶすための“9六の成桂”という意味です。
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4枚の飛車角をどうする

2012年10月01日 | つめしょうぎ
 21手詰め。



 久しぶりの記事投稿なので、なんか恥ずかしい~。
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