はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

十四夜

2007年06月30日 | しょうぎ
 昨日の夜、東京ではきれいな月が出ていました。満月かな、と思ったのですが、十四夜でした。今夜は満月のはずですが、今は曇っていて見えません。

 その十四夜の下で、森内俊之十八世名人が生まれました。場所は、愛知県の海岸にある銀波荘。銀波とは、月の光に輝く海の波の美しさをあらわしたことば。森内さん、おめでとうございます。

 ネット中継では、対局室や記者控え室、解説会場のようすなどが伝えられましたが、森内名人が郷田九段にとばす「にらみ」や、郷田さんが盤をみつめる険しい顔がとてもよかった。
  室田伊緒女流1級も控え室にやって来ました。地元在住の高校生棋士で、午前中の期末テストを終えて銀波荘へ来たようです。(期末テスト…なつかしい響きだ) で、おやじたちの熱気の中の、清涼感のあるその制服姿を描いてみました。でも、似ていないな。彼女の特徴であるマル顔とタレ目が描けていないから。べつの機会にあらためて描きましょう。室田さんもぜひ活躍してください。

 名人戦・順位戦の中継は有料で、月500円。僕は今月から契約しました。そのおかげで名人戦第6・7局の興奮をリアルタイムであじわうことができました。コーヒー2杯分だから、安いんですよね、この値段は。ことしの順位戦は、木村、行方という新A級の戦いも気になるし。
 ネット将棋といえば、明日の夜、大和証券杯ネット最強戦郷田真隆ー三浦宏行戦があります。(これは無料でみれます。) 郷田さんは、休む間もないですね。これに勝つと、丸山忠久九段(先週羽生に勝った)と決勝を7月8日に戦います。丸山さんも元名人ですが、郷田さんと同時にプロ棋士スタートしています。この棋戦は、僕は、郷田さんを応援したいです。パソコンをもっていない郷田さんが、ネット将棋の第1回優勝者になるってのが、また面白いじゃないですか。

◇名人戦  森内俊之 4-3 郷田真隆   (森内防衛)

◇棋聖戦  佐藤康光 2-1 渡辺 明

◇女流王将戦  清水市代 3-1 千葉涼子   (清水奪取)

◇王位戦  挑戦者=深浦康市  (王位は羽生善治)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失うものはない

2007年06月29日 | しょうぎ
松「▲1五歩なんて指さなかったじゃないか」
竹「指さなかったぞ」
半「んー、そうだね。でもこれから指すかもよー」
松「ないよー」
梅「逆に森内が△9五歩から端攻めを…」
半「うん。中央の戦いではなく、端。だから郷田ペース」
竹「ほんと?」
半「しるか。とにかく、後手の森内名人が仕掛けたね。勇気ある仕掛けだ。あのさ、俺、郷田さん、生で見たことあるよ、北海道で。」
梅「ほんと? いつ」
半「2001年、北海道の洞爺湖で行われた丸山ー谷川の名人戦で。あの年、洞爺湖の火山、有珠山が爆発したんだけど、その半年後くらいだった。スブタ町っていうんだ」
竹「アブタ町です!」
半「そう、虻田町(笑)。 名人戦の、現地のホテルへ行ったんだよ。郷田さんはNHKの衛星放送の解説者で。立派なホテルだったんだけど、俺は別の低料金のホテルに泊まって、解説を聞きに行った。俺のとなりの席が二つ空いていたんだけど、その席には女の子が座ったよ。二人で楽しそうに将棋のはなしをずっとしていた。勝負は丸山名人が勝った。NHKの収録が終わっても、モニターには丸山と谷川の感想戦が映っていた。俺も20分ほど見ていたけど、でも、二人の女の子はその後もずっと見ていたよ。」
梅「女の子って、いくつくらい?」
半「20代前半かな。かわいかったよ。ああいう女の子は解説会であまり見ないなあ…」
松「それで、郷田さんは?」
半「郷田さんはそのホテルで夕方、一人で食事をしているのを見かけた。話しかけようかなと思ったけど、話すことがないな、と思ってやめたよ。解説の聞き手役は山田久美女流プロだった」
松「へえ…」
半「そのあとすぐ、1ヶ月後からはじまった棋聖戦で、郷田はタイトルを取ったんだ。相手は羽生で、スコアは3-1。内容もすごかったな、とくに第3局。森内さんはまだ1つもタイトルを取ったことがなかった。でも次の年、森内名人が誕生して、佐藤康光が郷田から3-2で棋聖タイトルを取り、そのあとずっと郷田さんはタイトル戦にでなくなった。サッカーの日韓ワールドカップの年だ。佐藤はそれから棋聖5連覇」
松「それで、郷田さんに会った感想は…?」
半「… べつに」
松竹梅「エーッ!!」


梅「森内△3七馬、郷田▲6四歩」
松「お互いに馬をつくって…」
竹「中央の戦いになってきた」
梅「まだ4つの『』は盤上にあるぞ」
松「ということは、森内ペースか。桂得だし」
梅「ていうか、これ、持将棋の可能性が…」
半「うん。あるね」
竹「持将棋になったらどうなるの?」
松「引き分け、後日、指し直し」
梅「へえ」
松「郷田も森内ものびのびやってるね」
竹「うん。たのしい」
半「第6局での逆転で、勢いは郷田だけど」
竹「うん」
半「森内には、『失うもの』がないから…」
梅「えっ」
松「失うもの、あるでしょ!」
竹「あるでしょー!」
半「いやー、ないよー。だって今日負けて永世名人になりそこねたとするでしょ。で、これからもなれなくて終わったとするでしょ。」
松「うん」
梅「それはくやしいよなー」
半「だよね。そうだけど、その場合、森内さんは『永世名人に限りなく近づいた男』として歴史に刻まれる…」
梅「あっ、そうか!」
竹「そうか、永世名人は何人もいるけど…」
半「『なりそこねた男』はめったにいない。」
松「伝説の男だ!」
半「そう。だから、勝っても負けても」
梅「森内俊之の名は歴史に残る!」
松「なるほどー。じゃあむしろ負けたほうが…」
半「そうかもしれないな」
竹「でも郷田さんにとっては…」
松「うん。大きいね。勝ちたいだろう、郷田は」
半「でも郷田さんだって…」
梅「うん、失うものはない」
松「そうだね。もともと挑戦者なんだし、負けても、」
竹「また挑戦すればいい、だね」


半「森内△7五歩… 、角をとった」 
梅「うわッ、切りあいだ!」
半「郷田▲5二と。飛車をとった」
松「もう持将棋はないな」
半「△7六歩▲6七金…」
竹「あの、半さん」
半「なんでしょう?」
竹「半さんはどっちを応援しているのですか? 郷田さん?」
半「世間のムードは郷田だよねー、でも僕は」
梅「僕は…?」
半「…どちらも応援しています」
竹「… 」
梅「それは」
松「どっちでもいいってこと?」
半「… 」
梅「羽生さんのファンなのでは? いや、谷川浩司か」
半「いや、べつに…」
松「べつに!?」
梅「つまり、えっ、…どうでもいいと!?」
半「はあ。 だって、ね」
松「え?」
半「だれが名人になろうが」
松「はい… 」
半「なりそこねようが」
竹「ごくり…」
半「僕の生活に全く影響はないですからねッ。
松「はう…!!!」
竹「… 」
梅「…言っちゃったネ~」


ね「あの、すいいません…」
半「はッ! あんた、だれ!?」
ね「天井に住んでいるものでして」
半「そ、それで?」
ね「わたしも、まぜてください」
半「い、いいけど…」
ね「あの、棋聖戦は、どうなりました?」
松「あーッ!!」
梅「そうか棋聖戦第3局!」
竹「いまやっていたんだ!」
半「あのー」
竹「え?」
半「風呂はいってきます」
松竹梅ね「えーッ!
松「えっ。ここで?」
梅「だれがマウスのクリックを?」
半「その、天井の上の方に…」
竹「森内△7七桂、飛車取りだ!」
松「郷田、逃げた! ▲7九飛。おもしれー! 森内、どう攻める?」
梅「おいッ佐藤渡辺戦は!?」
半「じゃあ、ヨロシク、天井の…」
ね「はい…」


松「おお、ついに」
ね「あ、あの…」
竹「森内がをとって」
梅「攻めにつかったぞ! △7二!」
ね「あの、よくかんがえたら、ぼく、ぱそこん、つかえません!」
竹「それにかまわず、郷田、▲2四桂!」
松「こんどは郷田がを持ち駒にしたぞ」
梅「どっちが勝つんだ!?」

ね「キィーッツ!!」
梅「おい、あんた! コードかじるな!」
ね「あ、あーっ、すいません、つい…」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金太郎と香姫

2007年06月28日 | しょうぎ
 さあー、始まりましたねエ、名人戦第7局。
 先手郷田の選択は「角換わり腰掛銀」。森内がそれを受けて立ちました。
 この腰掛銀という戦型は、これまでの名人戦でもほんとうによく出てきています。これを得意とする人が多いからです。谷川浩司、佐藤康光、丸山忠久…。だいたい先手が攻めて、後手が受ける展開になるのですが、後手番が「受けて立ちましょう。さあ、攻めていらっしゃい」という度胸がないと指せないのです。
 「角換わり腰掛銀」はふるく江戸時代からある戦法ですが、この戦法を掘り起こし、研究して使い始めたのが、昭和初期の升田幸三。「角」を使って攻めを組み立てていく升田さんにピッタリの戦法だったのです。
 今月の9日に行われた棋聖戦第1局もこの戦型になりました。佐藤の攻めを、後手の渡辺明が受けて反撃、佐藤が攻めきって勝っています。あの竜王戦第5局角換わり腰掛銀でした。

 僕は四隅にある「」に注目しています。
 「森内名人の将棋は中央志向で…」と鈴木大介八段が言っていたことがあります。そういう目で、今回の名人戦をみてみると、たしかにそのようです。第5局まで、四隅の「」はまったくたたかいに参加していません。
 第3局、森内名人は「」を3段目から4段目にくりだし、郷田の飛車を圧迫しました。第5局では、郷田の積極的な動きに対し、森内は△3三から△4四と上がり、その圧力を押し返すために郷田は角を切りましたが、森内名人は「それを待っていた」とばかりに落ち着いて反撃して勝っています。金や銀で中央を制するのが森内さんの得意戦術のようですね。
 第6局では、森内の二枚の銀が、やはり中央へ出て行きました。そして森内優勢となったのですが、郷田九段は、開き直るように、「危険」と言われていた△1九龍を指しました。このとき、今度の名人戦ではじめて、「」が戦いに参加したのです! そのを、郷田九段が、「△5三」と打ち、勝ちだった森内が「▲4七玉」とまちがえて逆転しました。
 ですから、「」がポイントではないか、と僕はおもうのです。

 第7局… この将棋は、きっと郷田さんは、▲1五歩と端攻めをするでしょう。森内さんの右「」は、まだ1段目にじっとしています。この「」の動きにも注目です。

 郷田さんは第6局から髪を短くしていますね。兄弟子森雞二の「剃髪」を思い起こします。江戸時代の将棋指しのようでもあり、雰囲気があります。
 そして今日の森内名人の羽織には、家紋が入っていますね。気合を感じます。
 さあ、どうなるか、楽しみですねー。森内さんも郷田さんも、今夜は良く寝て、明日ガンバッテください。(お前もガンバレヨ、っと)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京須八段の駒

2007年06月27日 | しょうぎ
 京須行男という大正生まれの棋士がいた。戦争で中国に出征し胸に銃弾が当たり重症を負うという体験をしている。棋士しては目だった活躍はしなかったが、義理人情に篤いひとだったという。

 京須さんと親しい棋士に渡辺東一(名誉九段)がいた。その渡辺さんの弟子に北海道出身の勝浦修という少年がいて、当時高校生。勝浦さんは、京須さんの自宅に下宿させてもらい高校へ通い、そしてプロ棋士となり、巣立っていった。

 京須さんは、昭和46年に亡くなり、八段が贈られた。京須八段には娘がいて、節子といい、そのとき16歳だった。
 その後、節子さんは結婚し、子どもが生まれた。男の子だった。
「子どものころ、いたずら好きで、行儀がすごく悪かったんです(笑)。 将棋を覚えたのは小学校3年のころで、父親が教えました。なぜか指している間はおとなしくていい子でした(笑)。将棋がとても面白かったのか、母のところに送られてくる『将棋世界』をくる日もくる日も読み、父の形見の駒を独りで動かしていました。」(節子さんの話)
 少年は将棋のこども大会へ出るようになり、羽生少年、郷田少年、中井広恵らと出会う。プロ棋士になりたい、と思うようになる。

 一方、勝浦さんは棋士として順調にすすみ、A級八段になった。京須家とは縁がとおくなっていたが、あるとき京須八段の娘節子さんがやってきた。息子を弟子にしてほしい、と。

 そのような縁で、森内俊之少年は、勝浦修(現九段)の弟子となった。

 師匠の勝浦さんはタイトルに2度挑戦しているが、取ることはできなかった。
 弟子の森内は、才能を周囲から認められていたが、なぜか、ずっとタイトルをとっていなかった。25歳で名人挑戦者になったが、7冠ロードをすすむ羽生善治の大きな輝きを前にしては、脇役にしかなれなかった。
 その森内が、ついに「名人」を手にしたのは、森内31歳のとき。その年に結婚もして、才能は開花した。羽生善治とも互角に戦うようになった。


 さあ、森内・郷田の名人戦。 明日、決戦だ。
 森内の作戦はなんだろう? 初めての「名人」を決めたときは、振り飛車だったが…。 郷田は、いま、なにを考えているだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋の十四連勝

2007年06月26日 | しょうぎ
 前述したとおり、森雞二九段と郷田真隆九段の師匠は大友昇九段で、故人である。平成12年に亡くなっている。
 森さんが将棋の駒の動かしかたを覚えたのは16歳のときだそうだ。ずいぶん晩学で、プロになるには遅い。だから森さんが大友昇に弟子にしてほしいとたのんだときも「見込みがない」と断った。だが森雞二はあきらめない。それを粘って、弟子にしてもらった。そんな森さんが、後にタイトルを取るまでに強くなるのだから痛快だ。

 大友昇九段は、小柄で、気の強い人だったらしい。東公平著『升田式石田流の時代』には、座談会での升田幸三と大友昇の次のようなやりとりが記されている。
「体さえ丈夫なら、大友君はA級上位の将棋だな」
「あれ。するとわたしはA級上位になれんとおっしゃるわけですか! 体が弱いのがわかってて、そうおっしゃるんですか!」
 即座にカミついてやったんだ、と大友は私(東氏)にいい、喫茶店のテーブルを、ゲンコツでたたいた。コーヒーがこぼれた。
 あの升田さんにかみつくなんて… 「土佐犬にケンカを売るスズメ」みたいな図だ。

 棋士の対局はだいたい東京か大阪で行われる。昔、大友が五段のとき、「東西対抗戦」という棋戦があって、十四連勝した。まだ新幹線のない時代で、東京に住む大友五段は対局のたびに列車に乗り関西へゆく。
 その大友さん、京都の五条大橋の上で出会った女性に恋をした。「東西対抗戦」は勝てば次の関西の棋士を相手に戦い、しかし負ければ終わりである。負ければ彼女に会えなくなる。「会いたい!」 大友さんは恋のためにがんばった。がんばり続けて十四連勝。その棋戦はそのまま終了したので、大友五段は無敗のままフィニッシュだ。そして、大友さんはその女性と結婚したのだ!
 その観戦記を書いていた加藤治郎は、「俺は将棋の観戦に行くんじゃなくて、大友君の恋物語を書きに行っているような気がするよ」と笑った。

 そして今、郷田真隆九段が名人戦をたたかっている。最終決戦は、あさって始まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スズメ松竹梅

2007年06月25日 | はなし
松「柔らかいとこ見つけたぜ~! ほーっ!」
竹「… 」
松「ほらー! 土なのに、ここ、やわらかいぜー!」
竹「ああ…」
ばばば馬場場馬場馬場馬場馬場馬場馬場馬場馬場馬場馬場っ
松「おもしれーっ! 土浴びできるぜー!」
竹「ふーん」
松「水がないのに水浴びできるんだぜー、きてみろよー、ほら!」
竹「… いいよ」
松「なんでだよ、おもしろいぜー!」
ばば馬場馬場馬場馬場あっ馬場場馬場婆馬場馬場馬場っ婆b
竹「いいって」
松「いいからやってみろって! 来いよー!」
竹「… 」
松「こいつは砂浴びに似てるけどよ、砂浴びとはちがうんだぜー」
っばば馬場ばばばばばばっばあ馬場馬場場bababa馬場婆あっ場b
   竹は(じゃあちょっとやってみようかな)と思った。
   そのとき、梅が飛んできた。
梅「なにやってんのさ」
松「土浴び!」
ばばば場婆場bん場ばばあばばっばばbbabababa馬罰ばっ
梅「うおう! おれもー!」
ばばばばっばばばあばっばbババッバッバbばあ馬馬場bbばばっ
梅「おお、お、おもしれー!!」
松「ひゃああー」
竹「… 」
馬場場ばばああばっばばばbb馬場ばばばばばっば馬婆場っ
   竹(う…  おれはもういいや… )
ばばつ馬場場。ばばばばあb馬場馬場馬場馬場馬場ばばばばばばばっ
梅「あれ、あいつは? なにしてんの」
松「ああ、竹? なんか興味ないみたい」
梅「へえー」
   竹(興味ないふりをしないと… ああーでも、やってみてえ!)
ぶおっつ馬場場場馬場あっ馬場b馬場馬場ばばばばばばっばばbっ
ばあ婆ばあ場婆馬場馬場bばばあばばばばば。ばばばばバッ



松「ふーッ」
梅「飽きたな…」
松「うん…」
   竹(えっ、 飽きたのか…)
松「行こうぜ。おーい、竹!」
   松竹梅、飛んでいく。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森●二九段

2007年06月23日 | しょうぎ
 棋聖戦第2局は佐藤康光が勝って2-0。

 で、その対局の立会人が森けい二九段なのだが、それを伝える中継のWeb記事が「森●二九段」と表記されていて面白かった。で、記事の末尾には「●=鷄の鳥を隹に」とある。
 こんな書き方ははじめてみるナ~。森さんの「けい」はWebではワープロ変換できず(文字バケするってことなんだろう)、ひらかなのままということが多い。「森雞二」と書く。

 森雞二九段は名人戦にも登場したことのある棋士だ。剃髪(つまりスキンヘッドですな)で現われたことで有名だ。(相手は中原名人だったが、あのときの主催は朝日だったか毎日だったか…?) 
 高知の出身で、名人挑戦者になったとき、「名人をとって高知へ帰る」と発言していた。名人はとれなかったが、いま、高知に住んでいる。「東京の水はまずい」と、森雞二が、対局場へミネラルウォーターを持ち込むようになったのは、もう、20年も前になるだろうか。

 いま名人戦を戦っている郷田真隆九段の兄弟子(師匠は故大友昇九段)であり、話題の出雲の女子高生棋士・里見香奈のお師匠さんでもある。

 さて、そもそも「雞」の字はどういう意味なのか、しらべてみた。どうやら「鶏」と同じらしい。ということは、つまり、にわとりってことだ。そ、そうだったのか!
 そういえば高知へ旅行で行った時、軍鶏の剥製を見たなあ。それと、小説『竜馬が行く』にはたしか、土佐ではケモノの文字が名前に好んで使用される、と書いてあったような…。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女流戦国時代

2007年06月20日 | しょうぎ
 女流王将戦5番勝負は挑戦者清水市代が2-1とリード。今日第4局を戦っています。
 女流王将位をもつ、千葉涼子さんを描いてみました。千葉さんは「碓井涼子」として女流プロデビュー、プロ棋士の千葉幸生五段と結婚して「千葉涼子」となりました。NHK杯聞き手として、はきはきと自分の意見を述べるところが印象的でした。

 さて、いま女流で最強はだれなのでしょう? 現在、4つの女流タイトルはこうなっています。
  女流名人 矢内理絵子
  女流王将 千葉涼子
  女流王位 清水市代
  倉敷藤花 斎田晴子

 この4人に、過去の実績から、中井広恵、石橋幸緒を加えた、この6人が横一線に並んでいる感じです。これに続くのが、(まだ実績の足らない)岩根忍、里見香奈の2人といったところ。
         (えりか ←最強はこの人だったりして~)

次に、過去の女流王将位の保持数を見てみましょう。
  1位 林葉直子 10期
  2位 清水市代 6期
  3位 中井広恵 4期
  4位 蛸島彰子 3期
  5位 斎田晴子 2期
     千葉涼子 2期
  7位 石橋幸緒 1期
と、なっています。(林葉さん、ナツカシ~。女流王将といえば林葉だったんだよなー) 今日、清水さんが勝ったら2冠になりますから、「女流最強は清水」と言っていいと思います。どうなっているんでしょう?(ネット中継がないので…)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷田ミラクル、秘技「死んだフリ」

2007年06月17日 | しょうぎ
先月発行の「将棋世界」6月号には藤井猛九段の次のようなコメントが載っています。
「郷田さんは(中略)毎回、手を変えてくる。そこにはいつも彼の工夫が加えられています。あと言葉は悪いですが、終盤での『死んだフリ』がうまい。狙っているんですね。だから強敵相手に鮮やかな逆転勝ちが多いでしょ。」


 将棋名人戦第6局2日目は、朝、郷田九段の封じ手△6五歩で始まりました。対して森内名人わずか10分で▲7二歩。これが好手だったみたいですね、郷田九段は大長考に入ります。ずっと郷田さんが苦しかったようです。
 夜になり、「森内勝勢」となりました。「勝勢」というのは「間違いなく勝つだろう、あとは投了を待つだけだよ」という状況です。シロウトがみてもそれは明らか。しかも優位に立っているのは、あの、森内俊之です。羽生や谷川を相手にしても、ふるえることなく7番勝負を戦い、勝ちきった実績があります。「18世名人誕生」を待つだけでした。「ああ、森内さん、永世名人か」と僕も思って見ていました。最後までゆるまず、時間を投入する森内…。
 郷田△4九角。王手だ。「名人挑戦記念、思い出王手か…」そんなことを僕は思いました。
 森内名人は、対局中、両手を頭にもっていく癖があります。これは一見「失敗した」という仕草に見えます。しかしそうではなく、ただの癖で、この仕草をして、そして確実に勝ちきる、それが森内のスタイルです。
 しかし、この日は違った!
 郷田の△5三香に、森内▲4七玉(131手目)。 以下△5八角成り、▲3八玉、△4六桂。
 逆転!
 郷田の秘技、炸裂です。▲4七玉が失着。「逃げ間違えました」と投了した後に森内名人。総手数140手。

 これでスコアは3-3。第7局は6月28、29日、面白くなりました。

 あの、わかっていて王手飛車(龍)をくらうスジにいく、香をとった△1九龍(94手目)が、郷田さんの渾身の勝負手だったんですねエ…。控え室では「形づくりではないか」と言われていたあの手が。あのとき、今年の名人戦は終わったな…、みんなそう思った(ね、そうでしょ?)。 そうか、これが「死んだフリ」か!

 それにしても… 藤井の人物眼、おそるべし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モリウチ名人

2007年06月14日 | しょうぎ
 森内俊之ー郷田真隆の名人戦は第6局。今日、明日にかけて青森県八戸で行われます。これに森内名人が勝って防衛を果たすと、名人獲得通算5期となって、「永世名人」になれるんですね。
 参考までに、昭和以降の永世名人は
   14世名人 木村義雄(通算8期)
   15世名人 大山康晴(通算18期)
   16世名人 中原 誠(通算15期)
   17世名人 谷川浩司(通算5期)
となっています。エーッ、羽生さんはー? はい、羽生善治は獲得タイトル数通算66期と現役最強。でも名人獲得は4期。モリウチどんに追い抜かれちゃう~。

 藤井猛九段の森内評がおもしろい。
「森内さんは対局によって、絶対に負けられない日と、多少落としてもいいかな、という日があるように感じます。それで後者のときは、大胆な作戦を採ってくることが多いんです。名人から見れば、私は格下ですから、『まあ試してみよう』ということなのでしょう。こちらは強敵相手ですから、そんな余裕はなくて名人との対局はいつも必死。そういうときはカチンときますよね(笑)。 それで相手の2番手ピッチャーを攻めて、こちらが優勢になったとします。でもそこから追加点がなかなか取れない。そのうち、こちらが間違えて逆転負け。感想戦で『いや、ずっと悪かったですね』なんて涼しい顔で言われたらまたアツイ。とにかく名人は倒しにくい相手です。」
 (「将棋世界」記事より。 藤井のコメントっていいですね!)

 さて、戦型は相矢倉。森内名人は角を交換して敵陣に打ち込みました。
 関東は雨。梅雨入りですかー?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野

2007年06月13日 | ほん
 安曇野には一度行ったことがある。
 若い時、信州長野県松本で1ヶ月バイトをした。休みの日にはテキトウに近燐の観光をした。ある日Oさんが安曇野へ行くというので、ついて行った。自転車を借りて走ってみたが、自然があるだけのところである。Oさんが「安曇野へ来たら、わさびだろう」と言うので、わさび蕎麦とわさび茶漬けを食った。 このバイトが終わったらOさんは、クロサワ映画『乱』のエキストラをやる予定だと言っていた。


 昔、私が小学校教諭をしていたころの教え子のN子と、ドイツの青年Lは、彼が日本に来るたびに、私を訪ねてくれた。LはN子を仲介してではあったが、『奥の細道』を読むほどの日本通で、特に日本の農村が好きだといっていた。
 (中略)
 N子とLは当然のように、そして突然に挙式した。私は披露宴に招かれたが、安曇野スケッチの予定が動かせないので、欠席の通知を出して安曇野へきた。
 日が傾き、松本城のそばまで帰ってきて車を止め、夕映えの城郭を見上げていたとき、急に私の前で車をとめ、降りてきたカップルがあった。昨夜挙式したばかりのN子とLで、二人は新婚旅行の地に安曇野を選んだのだった。二人はこの不思議な出会いがどんな祝辞よりも忘れ難い思い出になるだろうといい、互いに手をとりあってこの偶然に驚くばかりだった。
   (安野光雅画集『安曇野』より)


 昔むかし、安曇野族という海神の民が北九州からやってきてここへ移り住んだという。中国でも大体そうらしいが、海の民は、なんかやなことがあると東をめざして進んだらしい。そういう海の民が、日本のど真ん中の、海のない場所に安住したのもおもしろい。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長沼洋七段

2007年06月11日 | しょうぎ
 きのうのNHK杯、長沼七段がカッコイイ逆転勝ち。(相手は井上慶太八段) 長沼さんの顔、はじめて見たのですが、面白かったので描いてみました。なんか、藤子不二雄のキャラみたい~(失礼!)。

 5年前の順位戦C級2組最終戦。大阪で、長沼六段(当時)は近藤正和五段(ゴキゲン中飛車の近藤だ!)と戦っていました。勝てば長沼さん8勝2敗で昇級です。東京では田村康介四段が早々と勝利して、大阪の長沼さんの対局を検討しています。長沼さんが負けると、田村四段が昇級できるのです。当然、田村さんは「近藤、勝て!」と思っています。
 しかし局面は長沼優勢。「いやあ、近藤さん、大苦戦ですねえ、しょうがないなあ」と田村。
 ところがそこから近藤がいい手を指し、混戦に。さあ、どうなるかわからない。田村の検討にも熱が入る。
 だがそこで田村は、長沼に▲9四桂から▲7一角という絶妙手があることを発見する。「近藤さん危ない」と田村。「なるほどなあ、でも双方1分将棋だし、▲7一角なんて絶妙手、発見できるかなあ」と周囲は言う。
 だが、長沼は勝った。 
 「残り時間は7分。5分使って▲9四桂を発見した。△同歩▲同歩。そこで△9二歩で近藤さんも1分将棋になった。▲9三銀と打ち込んで清算する。その局面になってから、突然▲7一角が見えた。本当に幸運な勝ち方だった。」
と長沼さんは書いている。昇級したのだ。田村四段が発見したとうりの手順をみつけて。
 長沼さんと同時に昇級したのが、このまえ描いた豊川孝弘さんで、こちらは10戦全勝でした。
 


◇名人戦
  森内俊之 3-2 郷田真隆

◇朝日オープン
  羽生善治 3-1 阿久津主税 (羽生、優勝)

◇棋聖戦(5番勝負)
  佐藤康光 1-0 渡辺 明

◇女流王将戦(5番勝負)
  千葉涼子 1-2 清水市代

◇王位戦
  挑戦者決定戦は 渡辺明ー深浦康市 (王位は羽生)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝶が飛ぶ

2007年06月07日 | はなし
今朝、蝶が飛ぶのをみたよ。すかっとするね。

このまえ、ラジオで中村メイコ「田舎のバス」ってふるい歌が流れていたけど、オモシロイ歌だったな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筋肉の棋士

2007年06月05日 | しょうぎ
負けないこと 投げ出さないこと♪
逃げ出さないこと 信じ抜くこと♪
 『泣き虫しょったんの奇跡』に豊川孝弘六段(40歳)が出てきて、カラオケで瀬川さん前でこの大事MANブラザーズバンドの歌を歌う描写がある。筋肉マン豊川孝弘六段らしくて笑っちまう。(この曲が豊川六段の十八番なのだそうだ。)
 棋士の仲間というのは、友であり、敵である。プレッシャーに苦しんでいる瀬川さんの前でこれを歌う…、「プレッシャーの中で喜んで戦う、それがプロだよ」といってるようだ。正論だけど、キツイよ、これは(笑)。豊川さんは、おもしろいけど、僕のニガテなタイプでもある。(あまりにも前向きなひとって…つかれるよね) でもおもしろい。「キャラが立っている」というべきか。
 瀬川さんが高校を卒業して奨励会員だった時に、中野の4畳半の部屋で一人暮らしをしていたのだが、「夕方になると、近所に住んでいる豊川孝弘さんが自転車でやってきて、将棋を指してから銭湯へ行くのが日課だった」と書いている。「なぜ一人で行かないんだろうと思わないでもなかったが、僕も断ったこともなかった。銭湯ではお互い背中を流し合った」という記述にも笑わさせられる。ハダカのつきあいってやつだ~。(おれだったらストレスで死にそう)


それから、鈴木大介八段の書いたこんな文章もある。
 あれは僕が奨励会に入ったばかりで11歳の頃、奨励会員になって初めてのぞく記者室は、まさに光り輝いていた。夏休みの午後、何をするでもなく先輩と一緒の雰囲気を記者室で幸せに感じていると、大先輩奨励会員の豊川孝弘二段(当時)と小川初段(現指導棋士)が何故か筋肉の話で盛り上がり、最後には部屋に僕しか居ないことを確かめると互いに上着を脱ぎだしてしまったのだ。そこに大野八一雄五段(当時)が通りかかるというのだから恐ろしい。関東が誇るムキムキマンが3人集まってしまったのだから大変だ。後は想像にまかせるしかないが、小学生の前で演じられた、一言で言えばそれは「男の美学」「三色筋肉の織り成す肉体美」であり、僕にとっては生まれて初めて味わう「生き地獄」であった。
    (「将棋世界」2001年、「鈴木大介の振り飛車日記」より) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けんかして何がわるいのよ!

2007年06月03日 | ほん
けんかして何がわるいのよ!
 わたしは先生の話を聞いて(自分は、カッコつけているんだな)と思った。鎌田君のようにけんかをすればだれだって相手がやな気持ちになるようなもんくをいいたくなる。けんかをすればだれだって手足をだす。それを止められるとよけいはらが立ってしまう。わたしは思った。(けんかを止める人はみんなその人の気持ちなんかわからないで止めているんじゃないか)そんな気がする。わたしがゆきちゃんとけんかするときだって、ゆきちゃんにもんくっていうかなんかいわれる。それであとからもんくをいう。わたしは、そんな自分がにくい。ゆるせない。だってなんでその時もんくをいわないのか。そういつも思う。おねえちゃんとけんかする時だってそうだ。いつもパパやママはおばあちゃんにやめさせられる。それでやめるおねえちゃんがにくい。わたしがにくい! 朝もそう。そうじや雨戸をあけたりすることでいつもけんかをする。するとママがいう。
「やめなさい! あんたたちみたいに大声でけんかしている人なんかいないじゃないの。」
 わたしはそれを聞いてはらがたって、もんくをいう。
「けんかをしてなにがわるいのよ!」
「そんな大声出すと近所の人にめいわくするわよ。このことを父母会で話しちゃうから」
「それだけはやめて」
 あとで考えると、ほんとうに自分がにくくなる。(べつにそんなこといわれたっていいんだ)ってあとでこうかいする。そんな自分大っきらい、ゆるせない!!


 これは、鳥山敏子『からだが変わる授業が変わる』に載っていた子どもの作文。
 この、内省力はどうだ。 
 この子は、ひとにいわれてけんかをやめてしまう自分が「にくい」「ゆるせない」という。だれのせいでもなく、「自分」で自分の行動をひき受けている…。 けんかをすることも、やめることも。 たいしたやつだ。
 すごいね、子どもって。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする