はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

サイクロン号

2006年09月27日 | まんが
 サイクロンはよく描いた。(そのわりには間違っている気がする。ライトは2つだったか? この絵は50ccバイクみたいになったね。)
 「仮面ライダー」は石森章太郎原案でTVと漫画、タイアップで同時に始まった。正確には漫画のほうが1ヶ月はやく、「ぼくらマガジン」ではじまった。当時の石森さんは超売れっ子で、手塚治虫がやきもちを焼くほどだった。僕も好きで、とくに細かな質感の描き込みにうっとりした。「仮面ライダー」は主人公本郷猛の感情が高ぶると顔の改造手術のキズあとが浮き上がるのがかっこよかった。
 ところがTV版「仮面ライダー」はひどいものだった。
 たとえば初回の「くも男」。まんが版では腕が4本あるのに、TVは2本。これじゃ怪人じゃないのでは。
 さらにひどいのは「こうもり男」。まんが版のこうもり男は迫力があった。大きな翼をひろげて夜空を飛び、なにより全身をつつむ毛の質感が丁寧に描かれており、ぼくはよくマネして描いた。ところがどうだ、TV版こうもり男の翼。脇の下にちょろっとあるだけ。あれで空をとぶというのか? 飛べるわけない。そして脚は茶色のタイツ。こ、これは人間じゃないか…。
 サイクロンだって漫画版ではバンバンとびまわるのに、TVはせまいところを低速でぐるぐる回っているだけ。(しかたないんだけどね。)
 「TVはだめだ。 夢をこわされる。」
 その頃からぼくはTVから距離をおくようになった。(変わったこどもだ。)
 ぼくの思いとは逆にTV版は変身ポーズとカルビースナックの怪人カードで人気が上昇していった。

架空請求

2006年09月25日 | はなし
 日本TV「イマイ記者の架空請求追求」の番組をみています。
 リダイヤル攻撃!
 架空請求ってだれも経験していることと思います。やはり基本は「無視」ですよね。
 ずいぶん前ですが、僕はNTTタウンページに広告を載せたことがあります。そしたらその広告料の請求が来ましたが、どうも聞いていた料金とちがう。それに、料金は電話料金といっしょに引き落としだったはず…。その請求書をよく見ると(NTTに似ているけど)NTTではないんですね。
 つまり架空請求だったわけ。(その後も似たような請求がもう一通来ました。)
 当時はケイタイもパソコンも普及していなかったのですが、ワルイ人、こういうところでオシゴトしてたんですねー。

ドラえもん考

2006年09月24日 | まんが
 TVの「ドラえもん」の声優が交代したのは去年でしたっけ? 僕は一昨日、交代してはじめて「ドラえもん」を観ましたよ。その日の話は、のび太がドラえもんに黙ってこっそり道具を使って、だんだんドツボにはまっていく、という展開でした。(カードでお金をつかえるかわりに身長がちぢんでいく話。) 最後にはドラえもんに泣きついて解決したのですが、あのまま解決できずに不幸の底へと沈んでいったら、それは「笑うセールスマン」の展開だな、と思ったのでした。
 ドラえもんって22世紀から来たんですよねえ。なぜ、帰らないの? きっと22世紀は居心地悪いんでしょう。ほんとは嫌われていたり。犯罪でもおかしてるんじゃないの。借金に追われてるとか。
 なんて思うワシのこころが曲がっていますか? あー、そうかもねー(怒)
 パソコンって、なんかドラえもんのポケットみたいですよねえ。どこへでもいけるし、ゲームもできるし。でも、調子に乗りすぎると借金が待っている。のび太のように泣きつきたくても、私らの部屋にはドラえもんはいません。
 のび太よ、いつかおまえのところに莫大な額の請求書がいくぞ。そのときに、ドラえもんがトンズラしていたらどうする? いいなあおまえは、マンガの住人で。
 (あれ? ワシ、変ですか?)
 ワシはねえ、日本の国家財政の増大する借金をおもうとき、政治家も、オトナ達みんなが「のび太」化してしまっているような気がするですよ。(もちろん、僕もね。)未来の財産をくいつぶしているんじゃないの? 「今」のために、福祉だ年金だ事業だといって、未来のお金、未来の人がつかうはずの「自然」をはげたかのように使っていない? いつか、食べつくす「自然」はなくなるし、作った「モノ」を売るための「市場」はなくなる。そうしたらもう、借金は返せなくなる。(未来は永久に発展する、という前提でモノゴトを決めているんだもんな。)
 オトナ達はわかっている。わかっているのに考えようとしない。考えると暗くなってしまうし、嫌われるし、答えがないことも気づいているから。「のび太」でいたほうがラクだよなー。
 たしかにドラえもんはなんとかしてくれるよ。でも、あれは22世紀の財産を使っているんだぜ。22世紀はそんなに豊かなのか? 22世紀の子供たちは「おれたちにはなにもない」と言って、怒ってはいないか? 彼らがそれに気づいたときに、その「犯人」である「オトナ達」がみな死んだあとだとしたら、その怒りはどこへぶつければよいのだ?
 政治家は年寄りだ。20年くらい「なんとか」なればあとは知ったこっちゃないさ。責任マットウだ。国の金つかっていいことをして、みんなに褒められて、あとは年金暮らし。
 でもさー、国家の借金とともに、みえない場所に「怒り」が溜まっているような気がするんだよね。20年は大丈夫だろうさ。40年後は…どうかなあ。
 「みえない場所」ってどこよ? 悪ドラえもんの四次元ポケット…?

 上の絵のドラえもんは、僕がむかし、家庭教師をしていたときに、当時高校生だったAちゃんが描いていたものをマネしてみました。彼女ももう30代。元気かなあ。

時をかける力士

2006年09月23日 | はなし
 トシをとるほどに時間の流れが速くなる、というのはほんとうだ。この10年は本当に速かった。次の10年はもっと速いのか…、おそろしい。
 筒井康隆がむかし描いたマンガで、そういうテーマのものがあって、で、そのマンガでは、未来はどうなっているかというと「時間が滝のようにドウドウと落ちている」ということだった。筒井さんの「時をかける少女」はまたリメイクされるが、あれはそれほどの面白いはなしかねえ、やっぱ内容よりあれはタイトルに魅力があるんだな。
 そんなことを考えていたら相撲取りの「時天空」が気になってきた。これ、すごいカッコイイ名前ではないですか? 僕は今は大相撲をほとんど見ないのでこの力士の顔も特徴も知らなかったので、いま、しらべてみた。そしたら、おもしろい経歴ですねえ。この人もモンゴル人だったんですね。農業を学びに東京農業大学に来て、幼なじみの朝青竜(今場所も優勝!)が活躍してるのをみて、大学へ行きつつ力士になったんだと。化粧回しも「東京農業大学」だ。
 今場所は西前頭二枚目、現在6勝8敗、負け越しちゃってますね。
 以下、プロフィールのコピーを貼っておきます。

時天空 慶晃(ときてんくう よしあき)
得意手 右四つ、寄り、内掛け、二枚蹴り 身長 体重 187cm 142kg
備考 モンゴル相撲のナチン(鷹を意味し、小結に相当する)の長男で、16歳から 2年間、柔道クラブでダグワドルジやダシニャムと一緒に練習した。農業を勉強しようと、モンゴル国立農業大学に進学したが、姉妹校の東京農業大学とのスポーツ交流留学生選抜相撲大会に参加して選ばれ、平成12年 3月に来日して編入入学した。当初は卒業後に帰国して母校で教職に就く予定だったが、全国学生個人体重別100kg未満級で優勝して相撲が面白くなり、幼馴染みである朝青龍の活躍を見て「自分もやってみたい」と思い、入門の年齢制限も迫っていたので在学中ながら入門を決意した。
時天空の名はモンゴルの広い空に因んで大学の相撲部監督が命名した。
強じんな下半身と、多彩な技。
史上初の外国出身学士関取・留学生関取。
気持ちの切り替えが早い性格。
趣味はパソコン。


 「時天空」で検索すると、中国語のホームページにヒットするのも面白かった。中国で「天空」という語がよく使われるんですね。中国のマンガなどで。

 それから余談ですが、アイザック・アシモフ「永遠の終わり」は時間テーマのSF小説ですが、この話の中では時間を未来に行くと、ある時間で「どーん」と壁にブチ当たってそこから先へは行けない、という設定になっているのを思い出しました。どんなストーリーだったか、忘れてしまった。この本の訳者は深町真理子というらしいが、「時をかける少女」で時間を旅してやってくる男の子が「深町くん」でした。(だからナニ?) 深町真理子さんはスティーヴン・キング「シャイニング」の訳者でもあるのか… ずいぶんお世話になっていたんだなあ。

表現するということ

2006年09月17日 | はなし
 こんなふうにブログでなにかを表現してみても、それでどうということもない。それでも、表現していくと、「すすんでいる」という気がする。(気がするだけ?)
 なにかひとつ、表現すると、重いものがひとつ、とれたような気がする。
 ほんとうに表現したいことは、それらを全部とっぱらったあとに残ったなにか、ではないか。そんなふうに感じています。

世界の中心で愛を叫んだけもの

2006年09月16日 | はなし
 さて「エヴァンゲリオン」の話をもう少し。(なんだ、スキなんじゃん!)
 「世界の中心で愛を叫んだけもの」というフレーズは「エヴァ」のTV版最終回で使われたタイトルですが、これは同名のSF小説からとったらしい。(「セカチュー」でも使われ有名になりました。)しかしそのルーツは、たしかプラトンの言葉だったと思うのですが、ネットで調べても確認できませんでした。

 「エヴァ」の戦闘ロボットの面白いところは、コンセントのようなコードがついているというところ。宇宙に出るところは電池のようなものに切り替えます。なんだかそれが「子供時代」を表しているようで面白いのです。
 「エヴァ」の主役たちは14歳の中学生。主人公のシンジ君はこのシリーズの初めから最終話までずっと戦闘ロボットに乗って戦うことをやめたくてクヨクヨ悩みます。基本的にそういうストーリーなのです。
 そしてそれをつくった人たち、総監督庵野秀明、キャラクターデザイン担当の貞本義行(最近は「時をかける少女」のキャラを担当)らは製作当時30代、現在は40代… つまり、僕と「同世代」なのです。僕は、そこにとても興味を抱くのです。
 このドラマの中で「ATフィールド」という言葉が使われていますが、これはいわば自分をまもるバリアーのようなもの。でもその、自分を守るためのものがあるために、「他者」との距離がうまくとれず、シンジは悩む。かといって「バリアー」を解いてしまうと「他者」が怖くなってしまう…。ロボットものでありながら、じつはそういう人間関係のドラマなんですね。
 それで僕が興味を抱くのは、30代、40代のオトナが、そういう年齢になってこのようなことを考え始める、という「僕の同世代」についてなんですね。(映画版「ゲド戦記」の宮崎吾郎氏も40歳くらいですよね。)
 父親のこと、母親のこと、他者(友人、異性、社会)との関わり方、死と生… そういうことを、なぜ、30代になってから考え直し始めるのか? ほんとうは、この「エヴァ」のストーリーのように10代で考えるべきことだったのではないか。
 僕らの世代のマンガや小説は、古い世代の影響を強くうけてあこがれています。けれど、古いマンガや映画のように、のびのびと「飛ぶ」ことができません。「なぜだろう… 」30代、40代になって僕らはそのことに気づきはじめてもがいているのではないか。そんなことを思います。
 いま、少年漫画雑誌で「飛ぶ」シーンって少ないですよね。みんな心身が重くなってきているのではないですかね。
 親に与えられたおもちゃで遊んだ「子供時代」をなかなか乗り越えられずに。

 庵野秀明さんは「風の谷のナウシカ」であの巨神兵の崩れ落ちるシーンを描いたひと。肉を食べないそうです。喫茶店などで仕事の打ち合わせをするときに、サンドウィッチを頼んで、その中に「ハム」が入っているといちいちそれを取り除いてから食べるのだそうです。だいたい「食べるってことの意味がわからない」んだと。

 あらためて「エヴァンゲリオン」劇場版最終話を見てみました。うまくできたラストではないですか。これを作り直す意味はわからないな。ま、儲かるからつくるってところかな。(上げたり下げたり~)