はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

考えるスピード

2006年11月30日 | はなし
 さて、「僕は考えるのがすきだ」と、これまで何度か書いてきています。そうなのですが、でも、考えるスピードが遅いのです。決定的に。

 去年アテネオリンピックの柔道で金メダルをとった谷亮子が言っていましたが、試合中は200通りほどの攻めパターンのどれをどう使うかを考えながら闘うのだそうです。同じくらいの実力差になるとスポーツも「考える勝負」になるのでしょう。考えるスピードと正確さの。
 将棋も同じで、実力差があったら、考えなくても勝てるのです。僕だってアマ初段くらいの人が相手なら1手5秒で指せます。それが、おなじくらいの力の相手だと、どれだけ「速く正しく読むか」が勝負を分けます。そうなるとそれはスポーツと同じ感覚です。
 というわけで思考スピードのおそい僕は将棋の勝負にはむかない、と自分を知っています。

 僕の思考の質は、基本的には「いつまでも待つ」というやりかたです。こころの奥の泉に、答えが浮かんでくるのを「待つ」のです。ぼけっと待ってばかりもいられませんから(仕事はしなきゃ、ね)、なにかを疑問に感じたら、その疑問をこころの隅に置いといて、そのままにしておきます。そして、「あまり一生懸命考えない」のがポイント。そうしておくと、いつか、なにかの拍子に、ポン、と答えが浮かんでくることがあり、そのときになって、その答えまでの道筋を確かめるために考える。頭で考えるというより、無意識ってやつにかんがえてもらうって感じです。
 1分で答えが出ることもあれば、10年かかることもある。自分にほんとうに必要になったときに答えがわかるのさ、と悠然とかまえておくしかありません。しかしこのやりかたは、どうも時間厳守の「現実社会」とは相性がよくないようではありますが。(でもこれはもう「体質」だからさ、変えようがないのさ。)

 将棋竜王戦は第4局を今日渡辺明が勝って、2-2となりました。渡辺明は、最初2連敗したときにも、その負けた将棋のレポートをブログに丁寧に書いていて、そのプロ意識に僕はちょっと感心しました。
 一方、佐藤康光は、26日にJT杯トーナメントで優勝し、王将戦の挑戦権争いでもトップを走っています。竜王戦の勝負はこれからです。
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ゆびぬき小路の秘密

2006年11月29日 | ほん
 「ゆびぬき小路の秘密」という本を読みました。
 この話の主人公は11歳の少年。転校したばかりの少年がまだ学校になじめないでいるときに、ゆびぬき小路で「仕立て屋のおばあさんのボタンの秘密」に出会います。このおばあさん、謎が多い。頑固でへんくつ、だけど腕はいい。少年が買ってもらった古着のコートが、とても着心地がいい。だけどそのコートの3番目のボタンだけほかのと違っていて、きれいだ。しかも5つ穴が開いている。なぜだろう…? 少年の「謎の探求」はそこから始まります。
 このはなし、イギリスの作家によって書かれたものと錯覚しそうになるのですが、書いたのは小風さちという日本人。この人、20代のときに10年くらいイギリスに住んでいるんですね。

 ある本を読んで、それを、「おもしろい」と感じるのにはわけがある、と思っています。その「本」の中に、読む人にとっての「宝」が隠れているからではないでしょうか。あるいはそれは、「ことば」なのかもしれません。
 この本の中から、僕が気になったことばを、以下に抜き出してみます。


「証拠もないのに?」
「証拠のあることを、わざわざ信じるばかはいないよ。たしかじゃないから、信じるんじゃないかな。つまりな、そういうことさ。」バダム氏は言った


だがそんなことは、ありえないに決まっているが。しかし…そうだ。ありえないことにかぎって、おこるものだ。


(なぜあんなに大切なボタンをおばあさんは手放したのかという少年の質問に対して)
「なに、むつかしいことじゃないんだ。服を仕立てるていうことさ。それを、自分の仕事にするっていうことさ。そして、仕事というのは、自分にとっていちばん大切なものを使うことなんだとね。」
「自分にとって、いちばん大切なもの」
「そう、大切なものほど、手放さなければならないんだよ、バートラム。」
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自信がすっくと立ちあがる

2006年11月28日 | はなし
 スポーツタイプの自転車を買ってもらうのは中学生になったとき、というのが相場だったのだが、小学5年生のときにその波がやってきた。まわりの同級生と6年生がみな自分の自転車を持ちはじめたので、僕も買ってもらった。たぶん4万円くらいしたと思う。
 ところが問題は、まだ僕が自転車を乗れなかったことである。
 だいたい僕は、流行っているものには興味が行かない性格なのだ。一人がなにか変わったことをやっているとする。するとそれがすごく気になる。しかし3人、4人とやりだして流行りだしているとすでに乗り遅れた感じがして、それをやりたいとは思わなくなるのだ。自転車に乗ることも、そういうわけで、やりすごしてきた。
 だが、買ったからには乗らなければ。ということで練習した。友達にも協力してもらった。運動神経のニブイ僕はすぐには乗れなかった。それでも、そのうち乗れる、とべつにあせってはいなかった。
 ところが状況がかわった。僕が学校から帰ってみると、僕の自転車に「補助輪」がついている。「あ、やられた!」と思った。父がやったのだ。父は機械をいじるのがすきなのだ。「よけいなことしてくれるよな、これじゃあ、恥ずかしくて練習ができんじゃないか。」
 それでも練習をしていると、遠くから下手な歌が聞こえてくる。同級生のシゲとヒデが歌っている。それは、小5になって補助輪をつけて自転車にのっている僕をからかう歌だった。
 それで僕は自転車に乗る練習をやめた。

 練習をやめて2週間がたったころ、朝の苦手なはずの僕が、ある朝の6時に目が覚めた。そして思ったのだ。「オレは今日、自転車に乗れる。」 それはしっかりした確信だった。
 僕は着替えて外へ出た。秋の霧で周囲は白かった。補助輪のついたままの自転車に乗ってみた。「うん、まちがいない。乗れる。」 それを確認して、また僕は床についた。すぐに眠り、こんどは母に起こされて学校へ行った。
 学校から帰り、父の帰宅をまって、自転車の補助輪をはずしてもらった。たしかに僕は、とつぜん乗れるようになっていた。そばにはヒデがいた。ヒデはびっくりしていた。そして、自転車でどこかへ遊びにいこう、と僕にいった。
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氷の壁

2006年11月27日 | はなし
 「氷点」を観ました。なるほど、「氷点」というタイトルの意味がわかったよ。氷点とは水が氷に変わる温度。「これ以上下がるとこころが氷になっちゃうよ」というわけです。うまいタイトルだね。
 僕はこのドラマを「男と女(つまり夫と妻)のこころのドラマ」として読み取りました。「娘」を介して冷凍光線の出し合いをしているわけ。娘はいい迷惑です。

 男も女も、せっかく結婚したんだから楽しくやりたいし、やさしくしたい。だいたいみんなそう思っている。なのにうまくいかないのは、なぜ? この人となら仲良くなれそう… このドラマの男女もそう思って結婚したにちがいない、それなのに…。
 結婚してみたら、男と女の間には分厚い「氷の壁」があったわけだ。そしてお互いに「ナントカしたい」とは思ってみても、どうしていいかわからない。なにしろその「壁」は心の中にあって目に見えないのだから。はたしてその「壁」は自分がつくったものなのか、相手が持っているものなのか…。 たぶん初めから二人ともが同じように分厚い「氷の壁」を持っているのだと思う。人間関係ってのはフシギなもので、自分の中に「氷の壁」を持っている人は、同じように「氷の壁」をもっている異性をえらんで恋をしてしまう… そんなことがよくあるのだ。それはたぶん、(神さま的には)二人でこの分厚い「氷の壁」を人生をかけて融かしなさいね、ということなのだと思う。大抵、本人は気づいていないが。
 「嫉妬」や「復讐」というのは、怖いが、熱い。それは熱量をもっているのである。つまり、うまくやれば、「氷の壁」を融かす力になるわけだ。「氷点」よりも温度が下がって、完全な氷になってしまったら、「嫉妬」も「悲しさ」もなくなる。そうなったらラクにはなるが、やっぱり、氷でいるより人間のほうがいいわなア。
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パンケーキ

2006年11月26日 | はなし
 半年位前まで、株が好調で、それまでの負けをすっかりとりもどし、ところがそれから下がりっぱなし。それで「もう株は飽きたな、やめよう。」と思っていたのですが、そのままほおっておいたら、さらにどんどん下がっていて、ありゃりゃーて感じです。
 それと、この1年ほとんど贅沢していないのに、なぜかお金はジリ貧。さらには家賃の契約更新が迫ってきて、1月は法事で帰省したいし、出費がかさむ。これで好景気ってウソだよなー。 新聞だってとっていないし、キャバクラだって行かないし、まったく、オレの贅沢っていえば「コーヒーショップのはしご」くらいなのだがなあ。
 ココリコの貧乏生活の番組がありますが、あのように工夫すれば「節約生活」って楽しいだろうね。でもなかなかそうもいかない。ほかにやりたいことあるもんね。
 というわけでパンケーキ。
 缶飲料とおやつを買うのは禁止して、おやつはパンケーキ。つくるのは2年ぶり以上…かな? 流しの下に未開封の小麦粉をみつけた。しかしこれ消費期限が2005年1月? いけー! チャレーンジ! 
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撥ねられちゃったよ!

2006年11月25日 | はなし
 車(タクシー)にはねられちゃったよ。止まっている車が突然(スゴイ勢いで)うごくんだもん。そりゃねえよ。
 でもぶつけられたときって冷静なもんだね。横になったまま、痛いんだけど、「骨は折れてない、自転車動くといいな、今日仕事行けるかな。」とクールに考えている。結果的に、自分も自転車もちょいダメージですんで、よかったァ。打撲が残って、走るときちょっと痛いくらい。
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石原さとみ

2006年11月24日 | はなし
を描いてみました。似てないですね。
 また「氷点」(原作三浦綾子)をTVでやるそうで。原作もTVドラマも観ていないけど、なんとなくストーリーを聞いたことがあります。こういう話をTVドラマにすると、ドロドロするんですよね。きっとドラマの好きな人は、そういうドロドロが大好きなのでは。
 たしか「氷点」は、自分の愛する子どもを殺した犯人の子どもを、そうと知らずに育てる母親を描いたものだったと思います。モズの巣に卵を産んで托卵(たくらん)するカッコウを思い出しました。
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喝だ!

2006年11月23日 | はなし
自分に喝じゃ! ちゃんとせい!
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男子volleyball

2006年11月22日 | はなし
 「女子バレーは感情移入できるけど、男子バレーってなんか感情移入できないんだよなー」とだれかが言ってた。その感覚、よくわかる。
 だけどアタックの迫力に関して言えば、やっぱり男子の方がかっこいい。ジャンプの滞空時間がすこし長いので、女子と違って「ドスン」という感じ。
 この絵の3番は、千葉進也選手。身長184cmで「背が小さい」世界って…。このごろTVではノブコフ205(齋藤信治選手)ってあまり言わないね。あれはフジテレビの特許? でもヤマコフ205(山村宏太選手)ってのもいるのねー。

 僕は中学ではバレーボール部でした。中2で身長150cmの。
 そのバレー部は僕が入部する前、部員が3、4人しかいなくて、試合に出れそうになかった。で、ヒマそうな陸上部の選手がまじって練習してた。そういうの、すきなんですよ。できそこないなカンジの集団。
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「励ます力」の発動だ

2006年11月21日 | ほん
 かるーく風邪をひいてちょっとだけ頭がおもい。こういうときはおとなしくしていたいのだけど、普段からおとなしいオレはどうしたらいいのか。寝込むには軽すぎるし。

 上の絵は再度「台所のマリアさま」から。

 ウクライナ人の年とった家政婦マルタのために「マリアさま」を手に入れようとした子どもたち(兄グレゴリーと妹ジャネット)は親にだまって街へ買い物へ行きますが、気に入った「マリアさま」は途方もない値段で買えません。兄妹はがっかり。そのうえ財布を落としてしまいます。あきらめるしかありません。

 ある日、またマルタが泣いているのを見たあと、どうにもやりきれずグレゴリーは部屋にこもります。妹ジャネットはしばらく台所で考え込み、意を決してグレゴリーの部屋に入ってきます。グレゴリーは自分の部屋に猫のルートル以外の人間を(家族のだれも)入れない性格だったのですが、このときに限ってグレゴリーは妹に出て行け、と命令しませんでした。

 そして妹はいった。グレゴリー、あなたがつくればいい、と。
 グレゴリーは「お金がないのに、どうやってつくるのさ」というが、ジャネットは
「考えるのよ、そうすればできるでしょ。」という。そしてグレゴリーもだんだんとその気になってくる。

 僕はここのところのやりとりがすきだ。すばらしい、と思う。おもしろいのは、妹ジャネットが自分でつくるとは言わずに、あなたがつくれば、ということ。まるで自分には才能がないが兄グレゴリーには「ある!」とわかっているかのようだ。
 こういうシーンが、人生のなかで現実にも(数少ないだろうが)きっとあるのだと思う。妹のこの「根拠のない自信」はまったくの「カン」だ。でも、結果として正しかったのである。

 グレゴリーは「マリアさま」をつくりはじめた。(描く、でなく、つくる、になっているのは絵の具で描く絵ではないから。) はじめ、それをジャネットがずっと見ていた。一人でいることがすきなグレゴリーだが、あれこれ質問するジャネットを「うるさい」と感じつつも、いつものように「出て行け」といわなかった。
 そのうち、ジャネットはその作業を見るのに飽きて外であそぶようになった。そのかわりに、猫のルートルがそばでじっと見ていた。ルートルがいないときは、自分のつくっている絵の「マリアさま」がグレゴリーを見つめていた。  グレゴリーはいつもこの「絵」のことでこころがいっぱいになった。材料が見つからず行き詰ったときには、「考えて」、そして行動した。勇気をだして苦手なオトナに話しかけたら、その人が喜んで協力してくれた。
 そのようにして「台所のマリアさま」は完成した。

 家政婦マルタにとって「マリアさま」は、「いつもそばにいて励ましてくれる人」なのだろうな。
 グレゴリーもまた、妹や、猫や、「マリアさま」に励まされてこの絵を完成させた。人のなかに普段は深いところに眠っている「励ます力」は、きっとこういう特別な時を選んで発動するのだ。
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台所のマリアさま

2006年11月19日 | ほん
 最近、何冊かのいい本に出会いました。これはルーマー・ゴッデン著「台所のマリアさま」から。ほんと、いい話ですよ~。ゴッデンはイギリスの作家です。

 生きるために、「すごく大切なこと(もの)」というのがあるとします。それはきっと、一人一人、違うものだと思うのです。だから、「それ」について、誰にも話さずに秘密にします。うっかり話して、軽くあつかわれることはつらいですから。
 でも、「それ」について、だれかに話して、それを説明なしに理解してもらえたなら、こんなにうれしいことはありません。この、「説明なしに」ってところが大事で、説明しにくいんですよね、「大切なこと」って。

 この話では、ウクライナ人の年とった家政婦がときどき台所で泣いているのを知っていた子どもたちが、その理由が「台所にマリアさまがない」からだとつきとめます。そして、なんとかそれを内緒で手に入れてプレゼントしようと計画します。
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むかしばなし

2006年11月18日 | はなし
 トシをとると昔話をしたくなる、というのは本当だなあ。それを聞かされる若い人にはたしかに迷惑だろう。でも、それでも、「したほうがいい」と思う。
 ガマンしたり、考えることを避けてきたり、表現できずにきたこと、そういうものが、自分のなかで、「石」になって残っている。その中には、対決すべき怪物や、自分の醜い分身や、想像以上の苦しみが入っていることもあるが、かわいくて可憐な何かもかくれているかもしれない。いるはずだ、と思う。ふん、リクツなんかねえよ、勘だよ。
 トシをとるとともに「石」は増える。だんだん身体も心も重くなる。
 「石」を砕いて、昔話をして、怪物と対決して、かわいい何かと出会いたい。

 僕等の世代は、子供のときは「上昇気流」が吹いていた。だから、そのような風のなかで生きるための「教育」を親たちから社会から学んできた。けれど今、風は同じようには吹いていない。僕等がつくってきた「心身」はそのままでは生きづらい。
 僕等の身体の中には「石」がたまっているのだと思う。
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タケバアの逆襲

2006年11月17日 | はなし
 タケバアは中学2,3年生のときに僕が習った国語の先生だ。社会も教えていた。中学のときには女の先生にはたいがい「バア」をつけていた。センスないねえ。タケバアは40歳くらいだったと思う。
 タケバアは最初マスクをつけてやってきた。そして何ヶ月もマスクをとらなかった。そうなると「いったい素顔はどうなっているんだ?」と気になってしょうがない。(まだ「口裂け女」の噂が生まれる前のことだ。) やがて3ヶ月ほどしてタケバアがマスクをとったと聞いたときには、飛んで見に行った。まあ、ふつうの顔なのだけど、ちょっとだけおちょぼ口で、それがすごく可笑しかった。
 幸か不幸か、中学のときには、ときめくような美しい女先生には出会わなかった。あのころの僕には「女はだめだ」という考えが頭の底にあったと思う。思春期になって、健全に「反抗期」に突入したわけだけれど、それがまず、母や学校の女先生に向かっていった。まあ、単純に、大人の男よりも、大人の女のほうが「弱い」とみてそっちに行ったわけである。(情けないノオ!)
 中学の時の僕は、女先生からみればずいぶん「いやな生徒」だったと思う。たとえばタケバアの社会授業で、「昔の歴史ばかりをならってもつまらない。社会の先生なら今の社会の話もしてくれないと。」などと、父からの受け売りの批判をしたり、それをタケバアがまじめに受け取り時事ネタを用意してきたら無視して雑談している… (ああ恥ずかしい、) そういう感じの生徒であった。(ほんと、かわいくないな。)

 修学旅行は近畿へ行った。大阪、奈良、京都、滋賀。
 タケバアは国語の授業でその感想文を書かせた。僕はわりと長めの感想文を提出した。あまりよい出来とは思えなかったが、タケバアは、これを卒業文集に載せたい、と僕に言った。さらに、もっとよくしたいので書き直して来い、という。めんどうだったが、言われたとうりに書き直していくと、さらに、まだなにか足らない、という。「あなたの作文には、楽しいエピソードがないわね。それを考えてきて。」と。
 えーっ、と僕は思った。知ってるよ、だからオレはこの作文、自分でも内容的にイマイチと思っていたんだ。それならどこがよくてタケバア、あんたはこの作文を卒業文集に載せようなんて思ったんだ? と、こころの中で思ったけれど、だまっていた。しかしどう直せばいいのか、と困った。まあ、それでも一応書き直した。書き直したが、自分的にはまだ「イマイチだなあ」と思っていたので、タケバアには見せなかった。
 ある日、タケバアが僕をよんで言った。「卒業文集、今日中に原稿を提出しないといけないの。もって来れる?」 その日は強い雨が降っていた。しかししかたがないので昼休みに雨の中を走って、僕は自分の作文を家に取りに行った。そうしてまた学校へもどり、タケバアをさがした。やっとタケバアをみつけると、タケバアはこう言った。「まあ、△△君、ごめんなさい、あなたの作文、もう卒業文集に間に合わないのよ。」
 友達はそれを聞いて「それはヒドイ。」と言った。たしかにひどい、しかし、僕は実はホッとしていた。あの作文の内容を「つまらない」と自分でわかっていたから。

 で、つい最近になって、気づいたのだ。
 あれはタケバアの「計画的復讐」だったのだと。はじめからああするつもりで僕の作文を書き直させたのだと。それならすべて納得できる。
 ごめんよ、タケバア、たしかにオレはクソッタレなガキだったな。うん、ダメな子どもはがつんとやられにゃあいかん。反省。    
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無題

2006年11月16日 | はなし
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恋だと? カッタリイよ。

2006年11月15日 | まんが
将棋竜王戦第3局は、渡辺明が勝って1-2。 スリリングな終盤でした!佐藤ヤスミツの連勝、ついにストップ。

今日は最近買ったマンガ本の話を。(3千円分買ったんですが、ちょっと後悔。)

ひうらさとる「ホタルノヒカリ」第1巻 これを買ったのは、「恋よりもだらしない暮らしを愛する20代娘」に会いたかったから。でも、読んでみるとフツーに恋してるし。その意味で、がっかり。(しかし20代の女に感情移入したがっている40代男って、キモ~、だね。)
ジョージ秋山「アシュラ」上下巻 「あしたのジョー」が少年院で「あしたのために…」とかいってパンチの練習をしている頃の「少年マガジン」に連載された漫画。僕は通して読んだことがないので買ってみた。 一言でいうと「凄まじい漫画」。 主人公少年アシュラは、親をうらみ、世間をうらみ、人を殺して食い、生き残ろうとする。「生まれてこないほうがよかった」が得意セリフ。 そういうスゴイ漫画なのだけど、読んでみると案外怖くない気がした。時代のせいかねえ。 ああわかったぞ。アシュラは「食い殺す」にしても、みんなが見ている目の前でやる。これが現実の「殺人」になるとばれないように計画たてたり、陰気だからね。「デスノート」みたいにこそっとやるのと正反対だね、アシュラは。
霜月かよ子「真夜中のアリアドネ」第1巻 絵もうまいし、話もすんなり入っていけた。おもしろくなるのはこれから、って感じだな。絵が、「デスノート」の人に似てるね。 これはだんだんと「怖い話」になっていきそうな気配。「アシュラ」よりこういうほうが陰気な感じで怖い。「アシュラ」は救いのない話だが、広い場所で野垂れ死にって感覚。それに対して現代の怖い話は、「狭苦しい場所に入れられて押しつぶされて死ぬ」というそんな恐怖。オレは広い場所で死ぬのがいいよ。
吾妻ひでお「便利屋みみちゃん」第1巻 吾妻さんはやっぱり吾妻さんだなー、って感じ。なんかねえ、吾妻ひでおに印税払うのって、なんかシャクなんだよなあ。
栗原まもる「風車祭カジマヤー」第1巻 沖縄を舞台にしたファンタジー。これからって感じ。面白くなるのかどうか…。少女漫画のファンタジーってたいがいヌルイよねー。
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