はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

長谷川町子とアゲハ蝶

2007年08月28日 | はなし
 手塚治虫のことを書いたので、そのつながりで、「長谷川町子」と、それから「タカラヅカ」の関連本を図書館に予約した。そのうち『長谷川町子思い出記念館』が届いたと連絡があったので図書館にとりにいき、その帰り、アパートの前でアゲハ蝶(黄アゲハってやつだろう)を発見。しばらく遠くから、腰を落として見ていたら、アゲハ氏、サービスして近くにやってきてくれるではないか。
 座ったままアゲハを観察しつつ、町子さんの本をぱらぱら…。

 長谷川町子__言うまでもないが、『サザエさん』の作者である。町子さんは1920年生まれで、15歳で漫画家デビュー。だから手塚治虫よりもずっと先輩なのである。
 この町子さんがまた、佐賀県で生まれていたとは! (オレの偶然力も、あきれるねエ。あまり実用的でないけど。) 佐賀で生まれ、その後福岡で育ち、戦争中は東京と福岡を行ったり来たり。
 東京の桜新町が彼女の暮らしていた「サザエさんの街」で、長谷川町子美術館がある。一度行ったことがあるけど、落ち着いたいい美術館だと思います。おすすめの美術館です。サザエさんの絵が展示されているのではなく、町子さんの買い集めた絵のコレクションが展示されています。あと、町子さんの作った陶芸作品なんかも。僕はその中の「柿武士」ってのが好きでね。
 長谷川町子の20代の写真を見て、似顔絵を描いてみた。アノコに似ているね、ほら、卓球の、天才少女の… イシカワナントカだっけ…?(→このコだ

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 町子14歳のとき(このとき東京に住んでいた)、行動力のある2歳年上の姉が、町子をごういんに漫画家・田河水泡(『のらくろ』の作者で僕はさっきまで「ほうすい」だと思っていた) のところに連れて行って、弟子にしてくださいとお願いした。この絵はそのときに持っていったスケッチの一つ。男の子の採った蝶を、なんとか姉妹で横取りせんとたくらんでいる図だろうか? (わたしの本質は「いじわるばあさん」なのよ、と町子さんは語ったことがあるという。)
 水泡の内弟子にしてもらった町子は15歳で漫画家デビュー。しかし1年してホームシックになって家にもどることになる。その後、戦争が激しくなり、長谷川一家は福岡に疎開。『サザエさん』が誕生するのは、戦争が終わった翌年のことである。

 いつのまにかいなくなったアゲハ蝶が、また戻ってきた。で、また、どっかへ行った。
 …オレ、なんか、ご隠居みたいな生活だなあ。でもご隠居はサンボマスター歌わんだろ。この頃高い声が出しやすくなって「歌声よおこれ」がもう少しで歌えそうなのさ。
コメント (1)
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