初手より△3四歩 ▲2六歩 △3二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲4八銀 △4四歩
▲3六歩 △4二飛 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六歩 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉
▲7八玉 △8二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲6八銀 △7二銀 ▲7六歩 △4三銀
▲5八金右 △6四歩 ▲5五角
升田幸三六段vs木村義雄名人 香落ち
これは1939年、関西社交クラブに木村義雄名人が東京から招かれ、関西代表として升田幸三六段が香落ちで対戦した時の将棋。升田幸三21歳。おそらくこれが木村・升田の初対局と思われますが定かではありません。
この時、木村義雄は名人になって2年目で、「無敵の名人」の呼び声が高まってきた時期です。升田さんは燃えました。
図のような序盤になりました。升田の5五角が新手です。
升田解説 〔高段同士の対局で、香落ちは下手の必勝と、これが私の信念である。だから私は天下無敵の木村名人だろうと、この将棋は、絶対勝つと宣言していた。そのためには上手に「3四銀型」を許してはならん。つまり△3五歩と突かせないことがポイントなので、飛車先を早く伸ばす。もし上手が△4四歩のところで△3五歩と突いてくれば、6八銀から5六歩そして5七銀左から7九角と「鳥刺し戦法」で3五歩を狙うわけだ。〕
升田幸三は、香落ちの定跡に関して疑問をもっていました。「3四銀型をつくらせてはいけない」、「二枚銀はだめだ」ということ。
△6三銀 ▲3七角 △7二金 ▲7七銀 △5二金 ▲1五歩
新手5五角は、前からの研究ではなく、その場で、木村名人の「△1四歩」を見て思いついたのだそうです。角を5五~3七と持ってきて、1五歩の仕掛けが狙いです。
この5五角はどこかで――そう、対藤井システムの攻略の手として出てくる5五角に似ていますね。振り飛車側がまだ4一金型なので、6三銀という形を強要できる。まあしかし、木村名人とすれば、6三銀型は得意の「木村美濃」なので、むしろ嬉しいくらいかもしれないですが。
△1五同歩 ▲同香 △4五歩 ▲1八飛 △4四角 ▲1六飛 △5四歩 ▲1二香成 △4一飛
▲1五歩とねらい通りに仕掛けました。▲1二香成となって「よし、優勢だ」と升田は思いましたが、木村名人は△4一飛で平然としています。(2一成香、同飛、1二飛成には、1一飛と応じるのでしょうか?)
前回紹介した対花田長太郎戦の場合は3一金としましたが、5二金を上がっていますのでここではその手はできません。
▲6六歩 △7四歩 ▲6七金 △7三桂 ▲6八金上 △8四歩 ▲5七銀
ここから、攻めを焦らず、升田は自陣を整備します。木村名人は得意とする「中央での戦い」を常にねらっていますから、それにどう対応するか、そこが勝負の分かれ目になります。
△3五歩 ▲同歩 △3一飛 ▲4六歩 △3六歩 ▲2六角 △4六歩
▲同銀 △6五歩 ▲同歩 △同桂 ▲6六銀 △6四歩 ▲5五歩 △4一飛
▲4五歩 △3三角 ▲1四飛 △2四歩
さあ、升田陣は四枚の金銀で固めました。ここに序盤で5五角から角を右に移動させた手が対木村香落ち戦にはかなり有効であることがわかります。いつものように8八角のままだと、その角を使いたいのでなかなか下手側は堅陣が作れません。(当時は穴熊の発想もなかったわけですし。) 木村の中央攻めに万全に備えておいて、それからゆっくり1、2筋から攻めたらいい。
ということで、木村名人の方は、ここで動かないと完封されてしまいますから、動きます。△3五歩▲同歩△3一飛。 ついに本格的な戦いに突入。
▲2四同歩 △5五角 ▲同銀左 △同歩 ▲5三歩 △6二金左 ▲2一成香 △同飛
▲6六歩 △5四銀左 ▲5二歩成 △同金 ▲6五歩 △同銀 ▲5三歩 △6二金左 ▲4八角
木村名人の△2四歩。これはどういう意味なのか?
升田六段の▲同歩に、△5五角。(このとき「えい、やっちゃえ」と名人は言ったそうだ。これが名人の口癖らしい。) 木村の△2四歩は、下手に同歩と取らせて、「2五」の空間をつくり、そこに次の△5五角で角と銀とを交換して、その銀を「2五」に打とうというもの。
升田はその手に乗って、▲5三歩と一本効かしておいて▲2一成香。もし2五銀と打って来れば1三飛成、2六銀、3一成香で下手良し(4三銀が取られてしまうので3一同飛と取れない)と読んだ。
このあたりから、「実は受けが大好き」という升田幸三の真価が発揮される。ここは受け切ってしまえば下手勝ち。とはいえ、やはり7八玉型というのは、振り飛車の8二玉型と較べて、囲いが崩されやすいようだ。下手優勢だが、正念場である。
升田、▲4八角。
△5六銀打 ▲1二飛成 △6七銀成 ▲同 金 △2四飛 ▲2六歩 △6六香
僕は最初、解説を読まずに棋譜だけを並べて、この「▲4八角」にずいぶんと感心しました。これは6六の地点に利かすと同時に▲8四角(1二飛成~6二角成のねらい)があり、下手が▲1二飛成としたとき、2四飛に、2六歩と相手の飛車の捌きを止められるというわけです。
しかし、後で読んだ升田解説では、特にこの手は自慢していませんでした。
それよりも、「▲1二飛成は短気だった。若い私は、正直なところ焦っていた」と反省している。▲1二飛成では▲7七金寄が安全でよかったという。形勢はちょっともつれてきました。
さあ、木村名人、△6六香。
▲5一角 △6七香成 ▲同玉 △4二歩 ▲同角成 △1一歩 ▲同龍 △5四飛 ▲8四角
▲5一角で勝ちだと思ったのが、升田六段の「焦り」。 △6七香成▲同玉のあとの「△4二歩」が好手で、升田の読みにない手だった。同竜なら、6一金打で危険なことになる。(金を上手に渡してしまったためにこの手が生じた。)
それで、升田▲4二同角成。 冷静に後で見ればわずかにまだ先手良しのようですが、対局中の気持ちとしてはほぼ互角でしょう。
升田ねらいの▲8四角が実現。しかし、上手△8三歩で、次にどうするのか。角を切るのか。
△7三金左 ▲8五桂 △7六銀 ▲同玉 △7五歩 ▲6七玉 △7六金
▲5八玉 △8四金 ▲7三銀 △同金 ▲同桂成 △同玉 ▲7一龍
まで114手で下手の勝ち
升田解説 〔△7三金左が最後の大失着。▲8五桂の一発で決まった。△8四金なら▲7三銀△8三玉▲8一龍で詰む。△8三歩とされたらまだまだわからなかった。〕
投了図
升田解説 〔冷や汗をかきながらともかく名人の首級をあげた。〕
投了図以下は、7二金、5一馬、7四玉、7三金、6五玉、7七桂打、同金、同桂、7六玉、6七銀、8七玉、7八金、8六玉、8七香まで。
この将棋を見て、ずいぶんと参考になります。
香落ち下手では「3四銀型」をつくらせないために3六歩を早めに突く。角を5五から右に転換すると、6六歩から玉を堅く囲いやすい。
さらには、やはり玉の位置が7八だと、やはり5筋からの反撃が厳しくなる。本局も、仮に玉が8八ならばかなり余裕があった。
結局、「中央の闘い」に全力を注いでくる木村の陣形に対抗するには、玉を8八か、できれば穴熊にするのが良さそうですね。まあ、実際には、それは許さんと、上手から先に攻めてくるかもしれませんが。居飛車は8八の角をどうするか、これが永遠の課題ですね。
しかし、調べてみて、面白かったです。「木村不敗の陣」、うすくてダメだと言われている「木村美濃」もアマでなら通用しそうな気がしてきました。平手の対局で、使ってみようかと思います。
今は「香落ち」の真剣勝負は奨励会(将棋界のプロ棋士養成制度)の中だけで行われていますけれども、どんな戦い方になっているんでしょうかねえ。是非とも、奨励会対局棋譜集のようなものを出して欲しいですね。僕が香落ち下手で指すとしたら、やはり相振り飛車ですかね。これが一番、下手の有利なポイントを生かしやすい。
この対局時、升田幸三は六段で21歳でしたが、次の年からは3年間、軍務に就きます。で、任務を解かれてまた1年将棋を指すのですが、ここで七段になります。しかし戦局(大東亜戦争)が厳しくなり、再び召集されます。南方のポナペ島へ行きます。
そして戦争が終わり帰って来るのですが、当然ながらすぐには将棋界も復活できず、しばし待つことになります。ここで新制度として順位戦が創設され、「駒落ち」制度は廃止されてプロ棋士の対局はすべて「平手」になります。この順位戦の制度をつくるのに先頭に立っていたのが木村義雄名人でした。
順位戦は1946年に始まりますが、この時升田さんは七段ですので、名人への挑戦者を決めるA級リーグには参加できません。1期目B級で優勝して、翌年にA級で優勝し、そして大山康晴七段との挑戦者決定戦「高野山の戦い」に敗れ――という流れになります。このときは升田幸三29歳です。
将棋界において、戦争でいちばん割を食ったのが升田幸三なんじゃないかなあ、と僕は思うのです。22歳から27歳まで、将棋を指せたのは1年間だけです。でも、将棋については愚痴の得意な升田さんですが、戦争に関しては一切愚痴も恨みも言っていませんね。戦争がなかったら、20代の升田幸三名人が誕生していたのではないかなあ。ちょっと、泣けてきます。
手合割:香落ち
下手:升田幸三
上手:木村義雄
△3四歩 ▲2六歩 △3二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲4八銀
△4四歩 ▲3六歩 △4二飛 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六歩
△6二玉 ▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △8二玉 ▲9六歩
△9四歩 ▲6八銀 △7二銀 ▲7六歩 △4三銀 ▲5八金右
△6四歩 ▲5五角 △6三銀 ▲3七角 △7二金 ▲7七銀
△5二金 ▲1五歩 △同 歩 ▲同 香 △4五歩 ▲1八飛
△4四角 ▲1六飛 △5四歩 ▲1二香成 △4一飛 ▲6六歩
△7四歩 ▲6七金 △7三桂 ▲6八金上 △8四歩 ▲5七銀
△3五歩 ▲同 歩 △3一飛 ▲4六歩 △3六歩 ▲2六角
△4六歩 ▲同 銀 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂 ▲6六銀
△6四歩 ▲5五歩 △4一飛 ▲4五歩 △3三角 ▲1四飛
△2四歩 ▲同 歩 △5五角 ▲同銀左 △同 歩 ▲5三歩
△6二金左 ▲2一成香 △同 飛 ▲6六歩 △5四銀左 ▲5二歩成
△同 金 ▲6五歩 △同 銀 ▲5三歩 △6二金左 ▲4八角
△5六銀打 ▲1二飛成 △6七銀成 ▲同 金 △2四飛 ▲2六歩
△6六香 ▲5一角 △6七香成 ▲同 玉 △4二歩 ▲同角成
△1一歩 ▲同 龍 △5四飛 ▲8四角 △7三金左 ▲8五桂
△7六銀 ▲同 玉 △7五歩 ▲6七玉 △7六金 ▲5八玉
△8四金 ▲7三銀 △同 金 ▲同桂成 △同 玉 ▲7一龍
まで114手で下手の勝ち
▲3六歩 △4二飛 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六歩 △6二玉 ▲6八玉 △7二玉
▲7八玉 △8二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲6八銀 △7二銀 ▲7六歩 △4三銀
▲5八金右 △6四歩 ▲5五角
升田幸三六段vs木村義雄名人 香落ち
これは1939年、関西社交クラブに木村義雄名人が東京から招かれ、関西代表として升田幸三六段が香落ちで対戦した時の将棋。升田幸三21歳。おそらくこれが木村・升田の初対局と思われますが定かではありません。
この時、木村義雄は名人になって2年目で、「無敵の名人」の呼び声が高まってきた時期です。升田さんは燃えました。
図のような序盤になりました。升田の5五角が新手です。
升田解説 〔高段同士の対局で、香落ちは下手の必勝と、これが私の信念である。だから私は天下無敵の木村名人だろうと、この将棋は、絶対勝つと宣言していた。そのためには上手に「3四銀型」を許してはならん。つまり△3五歩と突かせないことがポイントなので、飛車先を早く伸ばす。もし上手が△4四歩のところで△3五歩と突いてくれば、6八銀から5六歩そして5七銀左から7九角と「鳥刺し戦法」で3五歩を狙うわけだ。〕
升田幸三は、香落ちの定跡に関して疑問をもっていました。「3四銀型をつくらせてはいけない」、「二枚銀はだめだ」ということ。
△6三銀 ▲3七角 △7二金 ▲7七銀 △5二金 ▲1五歩
新手5五角は、前からの研究ではなく、その場で、木村名人の「△1四歩」を見て思いついたのだそうです。角を5五~3七と持ってきて、1五歩の仕掛けが狙いです。
この5五角はどこかで――そう、対藤井システムの攻略の手として出てくる5五角に似ていますね。振り飛車側がまだ4一金型なので、6三銀という形を強要できる。まあしかし、木村名人とすれば、6三銀型は得意の「木村美濃」なので、むしろ嬉しいくらいかもしれないですが。
△1五同歩 ▲同香 △4五歩 ▲1八飛 △4四角 ▲1六飛 △5四歩 ▲1二香成 △4一飛
▲1五歩とねらい通りに仕掛けました。▲1二香成となって「よし、優勢だ」と升田は思いましたが、木村名人は△4一飛で平然としています。(2一成香、同飛、1二飛成には、1一飛と応じるのでしょうか?)
前回紹介した対花田長太郎戦の場合は3一金としましたが、5二金を上がっていますのでここではその手はできません。
▲6六歩 △7四歩 ▲6七金 △7三桂 ▲6八金上 △8四歩 ▲5七銀
ここから、攻めを焦らず、升田は自陣を整備します。木村名人は得意とする「中央での戦い」を常にねらっていますから、それにどう対応するか、そこが勝負の分かれ目になります。
△3五歩 ▲同歩 △3一飛 ▲4六歩 △3六歩 ▲2六角 △4六歩
▲同銀 △6五歩 ▲同歩 △同桂 ▲6六銀 △6四歩 ▲5五歩 △4一飛
▲4五歩 △3三角 ▲1四飛 △2四歩
さあ、升田陣は四枚の金銀で固めました。ここに序盤で5五角から角を右に移動させた手が対木村香落ち戦にはかなり有効であることがわかります。いつものように8八角のままだと、その角を使いたいのでなかなか下手側は堅陣が作れません。(当時は穴熊の発想もなかったわけですし。) 木村の中央攻めに万全に備えておいて、それからゆっくり1、2筋から攻めたらいい。
ということで、木村名人の方は、ここで動かないと完封されてしまいますから、動きます。△3五歩▲同歩△3一飛。 ついに本格的な戦いに突入。
▲2四同歩 △5五角 ▲同銀左 △同歩 ▲5三歩 △6二金左 ▲2一成香 △同飛
▲6六歩 △5四銀左 ▲5二歩成 △同金 ▲6五歩 △同銀 ▲5三歩 △6二金左 ▲4八角
木村名人の△2四歩。これはどういう意味なのか?
升田六段の▲同歩に、△5五角。(このとき「えい、やっちゃえ」と名人は言ったそうだ。これが名人の口癖らしい。) 木村の△2四歩は、下手に同歩と取らせて、「2五」の空間をつくり、そこに次の△5五角で角と銀とを交換して、その銀を「2五」に打とうというもの。
升田はその手に乗って、▲5三歩と一本効かしておいて▲2一成香。もし2五銀と打って来れば1三飛成、2六銀、3一成香で下手良し(4三銀が取られてしまうので3一同飛と取れない)と読んだ。
このあたりから、「実は受けが大好き」という升田幸三の真価が発揮される。ここは受け切ってしまえば下手勝ち。とはいえ、やはり7八玉型というのは、振り飛車の8二玉型と較べて、囲いが崩されやすいようだ。下手優勢だが、正念場である。
升田、▲4八角。
△5六銀打 ▲1二飛成 △6七銀成 ▲同 金 △2四飛 ▲2六歩 △6六香
僕は最初、解説を読まずに棋譜だけを並べて、この「▲4八角」にずいぶんと感心しました。これは6六の地点に利かすと同時に▲8四角(1二飛成~6二角成のねらい)があり、下手が▲1二飛成としたとき、2四飛に、2六歩と相手の飛車の捌きを止められるというわけです。
しかし、後で読んだ升田解説では、特にこの手は自慢していませんでした。
それよりも、「▲1二飛成は短気だった。若い私は、正直なところ焦っていた」と反省している。▲1二飛成では▲7七金寄が安全でよかったという。形勢はちょっともつれてきました。
さあ、木村名人、△6六香。
▲5一角 △6七香成 ▲同玉 △4二歩 ▲同角成 △1一歩 ▲同龍 △5四飛 ▲8四角
▲5一角で勝ちだと思ったのが、升田六段の「焦り」。 △6七香成▲同玉のあとの「△4二歩」が好手で、升田の読みにない手だった。同竜なら、6一金打で危険なことになる。(金を上手に渡してしまったためにこの手が生じた。)
それで、升田▲4二同角成。 冷静に後で見ればわずかにまだ先手良しのようですが、対局中の気持ちとしてはほぼ互角でしょう。
升田ねらいの▲8四角が実現。しかし、上手△8三歩で、次にどうするのか。角を切るのか。
△7三金左 ▲8五桂 △7六銀 ▲同玉 △7五歩 ▲6七玉 △7六金
▲5八玉 △8四金 ▲7三銀 △同金 ▲同桂成 △同玉 ▲7一龍
まで114手で下手の勝ち
升田解説 〔△7三金左が最後の大失着。▲8五桂の一発で決まった。△8四金なら▲7三銀△8三玉▲8一龍で詰む。△8三歩とされたらまだまだわからなかった。〕
投了図
升田解説 〔冷や汗をかきながらともかく名人の首級をあげた。〕
投了図以下は、7二金、5一馬、7四玉、7三金、6五玉、7七桂打、同金、同桂、7六玉、6七銀、8七玉、7八金、8六玉、8七香まで。
この将棋を見て、ずいぶんと参考になります。
香落ち下手では「3四銀型」をつくらせないために3六歩を早めに突く。角を5五から右に転換すると、6六歩から玉を堅く囲いやすい。
さらには、やはり玉の位置が7八だと、やはり5筋からの反撃が厳しくなる。本局も、仮に玉が8八ならばかなり余裕があった。
結局、「中央の闘い」に全力を注いでくる木村の陣形に対抗するには、玉を8八か、できれば穴熊にするのが良さそうですね。まあ、実際には、それは許さんと、上手から先に攻めてくるかもしれませんが。居飛車は8八の角をどうするか、これが永遠の課題ですね。
しかし、調べてみて、面白かったです。「木村不敗の陣」、うすくてダメだと言われている「木村美濃」もアマでなら通用しそうな気がしてきました。平手の対局で、使ってみようかと思います。
今は「香落ち」の真剣勝負は奨励会(将棋界のプロ棋士養成制度)の中だけで行われていますけれども、どんな戦い方になっているんでしょうかねえ。是非とも、奨励会対局棋譜集のようなものを出して欲しいですね。僕が香落ち下手で指すとしたら、やはり相振り飛車ですかね。これが一番、下手の有利なポイントを生かしやすい。
この対局時、升田幸三は六段で21歳でしたが、次の年からは3年間、軍務に就きます。で、任務を解かれてまた1年将棋を指すのですが、ここで七段になります。しかし戦局(大東亜戦争)が厳しくなり、再び召集されます。南方のポナペ島へ行きます。
そして戦争が終わり帰って来るのですが、当然ながらすぐには将棋界も復活できず、しばし待つことになります。ここで新制度として順位戦が創設され、「駒落ち」制度は廃止されてプロ棋士の対局はすべて「平手」になります。この順位戦の制度をつくるのに先頭に立っていたのが木村義雄名人でした。
順位戦は1946年に始まりますが、この時升田さんは七段ですので、名人への挑戦者を決めるA級リーグには参加できません。1期目B級で優勝して、翌年にA級で優勝し、そして大山康晴七段との挑戦者決定戦「高野山の戦い」に敗れ――という流れになります。このときは升田幸三29歳です。
将棋界において、戦争でいちばん割を食ったのが升田幸三なんじゃないかなあ、と僕は思うのです。22歳から27歳まで、将棋を指せたのは1年間だけです。でも、将棋については愚痴の得意な升田さんですが、戦争に関しては一切愚痴も恨みも言っていませんね。戦争がなかったら、20代の升田幸三名人が誕生していたのではないかなあ。ちょっと、泣けてきます。
手合割:香落ち
下手:升田幸三
上手:木村義雄
△3四歩 ▲2六歩 △3二銀 ▲2五歩 △3三角 ▲4八銀
△4四歩 ▲3六歩 △4二飛 ▲1六歩 △1四歩 ▲5六歩
△6二玉 ▲6八玉 △7二玉 ▲7八玉 △8二玉 ▲9六歩
△9四歩 ▲6八銀 △7二銀 ▲7六歩 △4三銀 ▲5八金右
△6四歩 ▲5五角 △6三銀 ▲3七角 △7二金 ▲7七銀
△5二金 ▲1五歩 △同 歩 ▲同 香 △4五歩 ▲1八飛
△4四角 ▲1六飛 △5四歩 ▲1二香成 △4一飛 ▲6六歩
△7四歩 ▲6七金 △7三桂 ▲6八金上 △8四歩 ▲5七銀
△3五歩 ▲同 歩 △3一飛 ▲4六歩 △3六歩 ▲2六角
△4六歩 ▲同 銀 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂 ▲6六銀
△6四歩 ▲5五歩 △4一飛 ▲4五歩 △3三角 ▲1四飛
△2四歩 ▲同 歩 △5五角 ▲同銀左 △同 歩 ▲5三歩
△6二金左 ▲2一成香 △同 飛 ▲6六歩 △5四銀左 ▲5二歩成
△同 金 ▲6五歩 △同 銀 ▲5三歩 △6二金左 ▲4八角
△5六銀打 ▲1二飛成 △6七銀成 ▲同 金 △2四飛 ▲2六歩
△6六香 ▲5一角 △6七香成 ▲同 玉 △4二歩 ▲同角成
△1一歩 ▲同 龍 △5四飛 ▲8四角 △7三金左 ▲8五桂
△7六銀 ▲同 玉 △7五歩 ▲6七玉 △7六金 ▲5八玉
△8四金 ▲7三銀 △同 金 ▲同桂成 △同 玉 ▲7一龍
まで114手で下手の勝ち
木村名人の香落ち戦を20局ほどご覧になったということですが、どこで見られるのでしょうか。
よければお教えくださいませんでしょうか。
これは7年前の記事ですね。その時に見た木村義雄名人の棋譜は「棋譜でーたべーす」にあったものです。
ただしそのサイトは今は見られなくなっています。
ですが今は「将棋DB2」というサイトがあり、ここに木村名人の棋譜も十分に蓄積されているものと思います。
また、解説付きの書物なら、『名人木村義雄実戦集』(全8巻)がありまして、国会図書館などで見られます。木村名人自らの解説です。
以上のようにご返事を書いたところで「将棋DB2」を確認してみましたら、木村義雄名人の棋譜は400局くらいあるのに、なぜか「香落ち」の棋譜がほとんどないんですね。(ロビンソンさんがこういう質問をしてきた意味がわかりました)
ほとんどというか、全くないのかもしれません。
でも、なぜ「香落ち」だけがないのでしょう? 謎です。
私がこのシリーズで採り上げた3局の棋譜もないし、それだけではなく、さらに調べてみたら1946年の「木村升田5番勝負」の最初の「香落ち」局もない。1956年1月の王将戦第4局の升田幸三が大山名人を「香落ち」に指しこんで勝った有名なエピソードの将棋の棋譜もない。
「将棋DB2」はどうやら「香落ち」だけは置いていないようですね。理由は不明ですが。
見られなくなってしまって残念ですね。(奨励会員など)需要もありそうなのにどうしてなのか本当に謎です。
一連の記事で紹介してくださった3つの棋譜が俄然、希少さを増しましたね(笑)
『名人木村義雄実戦集』、機会があれば見てみたいと思います。
これからもいろんな記事を楽しみに読ませていただきます。
どうもありがとうございました。