「火の中に飛び込み、再生する」と言えば、手塚治虫『火の鳥』を思い出します。そこで今日は、手塚治虫の「メタモルフォーゼ」について語ります。
メタモルフォーゼ Metamorphose(ドイツ語)
変容。変身。転生。
手塚作品『ふしぎなメルモ(ママァちゃん)』のメルモは、メタモルフォーゼからつけた名前です。
手塚漫画の特徴を語るとき、この「変身」テーマが多いことを指摘することがあります。でも、それは、長い手塚治虫の執筆生活の「途中から」で、初めからではないのです。なぜ手塚さんは、この「変身」テーマを描くようになったのでしょうか?
結論から書きます。
手塚さんは、中年になって、「自分」に行き詰ってしまったのです。ですから「自分」を新しいスタイルに変える必要があったのです。それが「変身」というテーマの作品に反映されています。その時期というのが1967年から1973年頃で、これは手塚治虫38歳~44歳に当たります。
手塚さんのプロデビューは17歳です。ですからそこから20年の間には、手塚作品にはとくに強いメタモルフォーゼ願望は見られません。つまりその20年間、天才手塚はべつに変身する必要もなく、描きたいように描いていたというわけです。
たとえば初期の代表作『ジャングル大帝』(1950~54年)の主人公は「白いライオン」ですが、これは初めから最後、死ぬまで「ライオン」です。変身などしません。
また『鉄腕アトム』も、やっぱり最初から最後まで「ロボット」です。ただし、アトムの場合は「できるなら人間になりたい」というような願望を持っていそうですね。アトムは子供の姿をしていますが、生まれたときから「完成品」です。もう成長しない、「子供の姿をした大人」なのです。 『鉄腕アトム』は、1952~68年の作品です。
そして1965年に『マグマ大使』、1966年『バンパイヤ』が連載開始。このあたりで少し変身願望が見えてきます。『マグマ大使』はロケットに変身するし、火の鳥とおなじく「溶岩の精」です。そして『バンパイヤ』は、狼男です。ただ、この作品のテーマとしては変身願望は強いものではありません。
さて1967年には、『COM』という雑誌が創刊されます。ここに手塚治虫は、大作『火の鳥・黎明編』を発表します。この作品は、当時大人気だった白土三平の『カムイ伝』を意識して(つまりライバル視して)描かれたといいます。「劇画」というブームがやってきて、手塚さんはどうも焦っていたようです。「自分のスタイルを変えなければ時代に置いて行かれる」そんな気分だったのではないでしょうか。
手塚さんは、「火の鳥」の卵を食べて「永遠」に漫画家のトップに君臨したい。あるいは、「火の鳥」のように、マグマの中に飛び込んで、「再生」しようとしたように思えます。
さて、「火の鳥」としてマグマの中に飛び込んだ手塚治虫は、ばらばらに分解してしまいます。それが『どろろ』(1967~68年)として描かれます。身体の48箇所を魔物に奪われた百鬼丸が、失った身体を取り戻そうと旅する話です。
そしていよいよ手塚さんの変身願望は本格化します。
『I’L』(1969~70年); どんな人間にも変身できる女性アイエルが主人公です。
『人間昆虫記』(1970~71年); 主人公・十村十枝子は、次々と才能のある人間に接近しては、その才能を吸い取り、作品を盗んでは成長していく寄生昆虫のような女です。
『ふしぎなメルモ』(1970~72年); ご存知、メルモです。キャンデーを食べて、自由に大人になったり赤ん坊になったりできます。
なぜかみんな女性ですね。手塚さんは、女性のもつ「再生する力」を借りようとしたのでしょうか。もしかしたらこの時期、手塚治虫には恋人がいたのかもしれません。(大胆な仮説でしょ! でも、いたらおもしろいね)
この1970年の前後は石森章太郎の絶好調期で、手塚さんもライバル視していたようです。『仮面ライダー』に代表されるように、「変身もの」が流行っていた時代でもあります。でもその割には手塚さんは、この石森作品のような変身ヒーローものは描いていないですね。手塚さんの「変身」はちょっと屈折しています。苦労している感じです。たぶん手塚さんは、「人間→ロボット(動物・超人)」の変身ではなくて、「ロボット(動物・超人)→人間」の変身を望んでいたのだと思います。逆方向なんですね。実際にこのあと数年して、石森さんはプロの第一線からは後退しますが、逆に手塚さんは、復活します。
時代が、ロボットヒーローから、「人間」の時代になっていきます。ちばてつや、本宮ひろ志、水島新司など、もともと「人間」を主役にしていた漫画家はベテランになっても生き残ります。
生涯、売れっ子漫画家でありたいと願う手塚さんの巨大なタマシイは、時代の流れを正しく読む感性をもっていたのですね。
1973年、もう終わりだ、引導をわたしてやろう、と編集者の間でささやかれていた巨匠・手塚治虫が見事、「再生」します。それが週刊少年チャンピオン連載『ブラック・ジャック』です。
おもしろいのはこの主人公のB・J、彼はいったんバラバラになって、医療の力で「再生」するという設定なのですね。顔の手術あとがそれを示しています。ピノコって、メルモの変身した姿なのかもね。
つまりこういうことです。(まとめに入ります)
ジャングル大帝・レオが死んで、アトムの時代も終わった。これからはスーパーなロボットの時代ではなく、人間の時代が来る。アトムは「人間」に変わらなければならない。そこでアトムは火の鳥に頼んで、マグマに飛び込む。すると彼は、『どろろ』の百鬼丸のように「バラバラ」になってしまった。でも、死んではいない。苦しんで、時間をかけて、昆虫のようにメタモルフォーゼを果たす…。そして、「バラバラ」の身体をつなぎ合わせて、なんとか「再生」。それがブラック・ジャック、黒男。つまり彼は、「人間」として再生を遂げたアトムなのです。
と、このようなことを以前から、手塚作品に対して、僕は思っておりました。でも本当に評論したいのならば、全作品を読まなければいけないのでしょうが、それは不可能というもの。ご勘弁を。
メタモルフォーゼ Metamorphose(ドイツ語)
変容。変身。転生。
手塚作品『ふしぎなメルモ(ママァちゃん)』のメルモは、メタモルフォーゼからつけた名前です。
手塚漫画の特徴を語るとき、この「変身」テーマが多いことを指摘することがあります。でも、それは、長い手塚治虫の執筆生活の「途中から」で、初めからではないのです。なぜ手塚さんは、この「変身」テーマを描くようになったのでしょうか?
結論から書きます。
手塚さんは、中年になって、「自分」に行き詰ってしまったのです。ですから「自分」を新しいスタイルに変える必要があったのです。それが「変身」というテーマの作品に反映されています。その時期というのが1967年から1973年頃で、これは手塚治虫38歳~44歳に当たります。
手塚さんのプロデビューは17歳です。ですからそこから20年の間には、手塚作品にはとくに強いメタモルフォーゼ願望は見られません。つまりその20年間、天才手塚はべつに変身する必要もなく、描きたいように描いていたというわけです。
たとえば初期の代表作『ジャングル大帝』(1950~54年)の主人公は「白いライオン」ですが、これは初めから最後、死ぬまで「ライオン」です。変身などしません。
また『鉄腕アトム』も、やっぱり最初から最後まで「ロボット」です。ただし、アトムの場合は「できるなら人間になりたい」というような願望を持っていそうですね。アトムは子供の姿をしていますが、生まれたときから「完成品」です。もう成長しない、「子供の姿をした大人」なのです。 『鉄腕アトム』は、1952~68年の作品です。
そして1965年に『マグマ大使』、1966年『バンパイヤ』が連載開始。このあたりで少し変身願望が見えてきます。『マグマ大使』はロケットに変身するし、火の鳥とおなじく「溶岩の精」です。そして『バンパイヤ』は、狼男です。ただ、この作品のテーマとしては変身願望は強いものではありません。
さて1967年には、『COM』という雑誌が創刊されます。ここに手塚治虫は、大作『火の鳥・黎明編』を発表します。この作品は、当時大人気だった白土三平の『カムイ伝』を意識して(つまりライバル視して)描かれたといいます。「劇画」というブームがやってきて、手塚さんはどうも焦っていたようです。「自分のスタイルを変えなければ時代に置いて行かれる」そんな気分だったのではないでしょうか。
手塚さんは、「火の鳥」の卵を食べて「永遠」に漫画家のトップに君臨したい。あるいは、「火の鳥」のように、マグマの中に飛び込んで、「再生」しようとしたように思えます。
さて、「火の鳥」としてマグマの中に飛び込んだ手塚治虫は、ばらばらに分解してしまいます。それが『どろろ』(1967~68年)として描かれます。身体の48箇所を魔物に奪われた百鬼丸が、失った身体を取り戻そうと旅する話です。
そしていよいよ手塚さんの変身願望は本格化します。
『I’L』(1969~70年); どんな人間にも変身できる女性アイエルが主人公です。
『人間昆虫記』(1970~71年); 主人公・十村十枝子は、次々と才能のある人間に接近しては、その才能を吸い取り、作品を盗んでは成長していく寄生昆虫のような女です。
『ふしぎなメルモ』(1970~72年); ご存知、メルモです。キャンデーを食べて、自由に大人になったり赤ん坊になったりできます。
なぜかみんな女性ですね。手塚さんは、女性のもつ「再生する力」を借りようとしたのでしょうか。もしかしたらこの時期、手塚治虫には恋人がいたのかもしれません。(大胆な仮説でしょ! でも、いたらおもしろいね)
この1970年の前後は石森章太郎の絶好調期で、手塚さんもライバル視していたようです。『仮面ライダー』に代表されるように、「変身もの」が流行っていた時代でもあります。でもその割には手塚さんは、この石森作品のような変身ヒーローものは描いていないですね。手塚さんの「変身」はちょっと屈折しています。苦労している感じです。たぶん手塚さんは、「人間→ロボット(動物・超人)」の変身ではなくて、「ロボット(動物・超人)→人間」の変身を望んでいたのだと思います。逆方向なんですね。実際にこのあと数年して、石森さんはプロの第一線からは後退しますが、逆に手塚さんは、復活します。
時代が、ロボットヒーローから、「人間」の時代になっていきます。ちばてつや、本宮ひろ志、水島新司など、もともと「人間」を主役にしていた漫画家はベテランになっても生き残ります。
生涯、売れっ子漫画家でありたいと願う手塚さんの巨大なタマシイは、時代の流れを正しく読む感性をもっていたのですね。
1973年、もう終わりだ、引導をわたしてやろう、と編集者の間でささやかれていた巨匠・手塚治虫が見事、「再生」します。それが週刊少年チャンピオン連載『ブラック・ジャック』です。
おもしろいのはこの主人公のB・J、彼はいったんバラバラになって、医療の力で「再生」するという設定なのですね。顔の手術あとがそれを示しています。ピノコって、メルモの変身した姿なのかもね。
つまりこういうことです。(まとめに入ります)
ジャングル大帝・レオが死んで、アトムの時代も終わった。これからはスーパーなロボットの時代ではなく、人間の時代が来る。アトムは「人間」に変わらなければならない。そこでアトムは火の鳥に頼んで、マグマに飛び込む。すると彼は、『どろろ』の百鬼丸のように「バラバラ」になってしまった。でも、死んではいない。苦しんで、時間をかけて、昆虫のようにメタモルフォーゼを果たす…。そして、「バラバラ」の身体をつなぎ合わせて、なんとか「再生」。それがブラック・ジャック、黒男。つまり彼は、「人間」として再生を遂げたアトムなのです。
と、このようなことを以前から、手塚作品に対して、僕は思っておりました。でも本当に評論したいのならば、全作品を読まなければいけないのでしょうが、それは不可能というもの。ご勘弁を。