中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

モーツァルトの悪妻とメンデルスゾーンの美人妻

2006年04月16日 | 音楽&美術
世界3大悪妻と呼ばれる女性たちがいて、ひとりはクサンチッペ(夫のソクラテスが若者たちを前にレクチャーしていると、2階の窓から水をかけた)、ひとりは西太后(夫を殺し、その恋人の手足を切って豚小屋へ捨てた)、そしてモーツァルトの妻コンスタンツェということになっている。

 ほんとにコンスタンツェは悪妻だったのかな、それは後世の男の側からの一方的評価ではないのか、とずいぶん調べてみた。で、わたしなりの結論--夫たるモーツァルトが満足していたのだから、はたからは悪妻とはいえない。し・か・し、こんな嫌な女はめったにいるもんじゃない!

 何が嫌といって、ひどい嘘つきである。しかも嘘の理由が、ほとんど全て自分を守るため、自分を美化するためのものなのだ。その自分たるや、悲しいまでの凡人で、夫の天才性をおそらくは全く理解していなかっただろう。ただし夫の楽譜がお金になることだけは知っていて、スコアの隠蔽、ばら売り、2重売りを平気でやっていた。前金をもらっておいて「盗まれた」と弁解し、他の人間に高値で売ったことさえある。そう、彼女は守銭奴でもあったのです。

 そもそも夫の葬儀で墓地まで行かなかったその理由は「嵐のため」と言い訳していたが、この日の気象を調べてみるとそんなことはなかった。「夫は貧乏で借金まみれで死んだ」と言うわりに豊かな未亡人生活を送っている。「夫が死んだとき悲しみのあまり自分も死んでしまいたいと、夫のベッドでころげまわった」と悲劇のヒロインのように言っているが、実際にはどうも死を看取ってはいない(彼女の妹がはっきり「わたしの腕の中で彼は死にました」と証言している)。

 コンスタンツェの嘘を数え上げれば一冊の本になるほどだが、守銭奴の1例をあげれば、再婚した彼女に、息子が借金を申し込んだとき、「自分たちも生活が苦しくて1銭も貸せない」と断ったその直後に、別荘を購入している。

 もっとも性格が悪いな、と感じたやり口は、モーツァルトの姉ナンネルへの仕打ちだ。やはり未亡人となって貧しく暮らしていたナンネルは、死後は父親の墓にいっしょに埋葬してもらうよう許可を得ていた。彼女を嫌っていたコンスタンツェは、裁判をおこし、モーツァルト家の墓に対する権利は自分にあると主張して、けっきょく勝ち、二度目の夫をさっさとそこへ埋葬したのだ(何の関係もない人物なのに・・・)。こうしてナンネルのささやかな希望--死後は父のもとで--は、ついえさってしまった。

 ね、意地悪女でしょ?

 対してメンデルスゾーンの妻セシルは、フランクフルト1の美女と謳われ、おっとりやさしく家庭的で、居心地よい家庭を作り、出来の良い子どもたちを4人育て(1人は早世)、夫が若死にした数年後にあとを追うように結核で亡くなった(絵に描いたごとき「美人薄命」)。

 いかんせん、強烈な個性がなかったため、後世への印象は薄い。にもかかわらず、やっぱり「悪妻だった」との主張がある。それはなぜかといえば、彼女の音楽の好みが当時の裕福な中産階級特有のちまちましたものだったため、夫にもそんな音楽を「おねだりし」、結果、メンデルスゾーンはオペラのような大きな構造を持つ作品を書かなかったというのだ。

 いやあ、言えば言えるもんですな。
 ここまでゆけば、世の中の奥さんはみんな「悪妻」になってしまう。

 「悪夫」という言葉はないのに・・・

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」

☆ツヴァイク『マリー・アントワネット』、なかなか重版分が書店に入らずご迷惑をおかけしました。今週からは大丈夫のはずです。「ベルばら」アントワネットの帯がかわゆいですよ♪
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マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)
「マリー・アントワネット」(上)(下)
 シュテファン・ツヴァイク
 中野京子=訳
 定価 上下各590円(税込620円)
 角川文庫より1月17日発売
 ISBN(上)978-4-04-208207-1 (下)978-4-04-208708-8




拙著「メンデルスゾーンとアンデルセン」に興味のある方は⇒
http://www.bk1.co.jp/product/2661441



 





























 
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プロンプターボックスを抜け出して

2006年04月15日 | 映画
 オペラの舞台には、プロンプターボックスというものがある。歌い手に歌詞や歌い出しを教えるプロンプター(台詞付け役)が入っている、狭いボックスだ。

 客席からだと舞台中央1番手前に、小さな屋根のようなものが見える。これがそうで、実は舞台に向かっては開かれていて、プロンプターは客席やオーケストラはみえないけれど舞台は見渡せる。

 このボックス、舞台内部にうがたれた穴だから、プロンプターは舞台表面には頭が出ているだけ、身体は舞台の底にある(まさに縁の下の力持ち)。出演者たちから見れば、足元に首がごろんとあるようなもの。

 オードリー・ヘップパーン主演の「シャレード」のラストで、彼女が悪者に追われてパリのオペラ座へ逃げ込み、このプロンプターボックスに隠れるシーンがあった。あんがい盲点になっていて、悪者にはなかなか気づかれなかった。

 もっと良い例は、6,7年前に公開された地味な北欧映画「はじまりはオペラ」で、ヒロインの職業がプロンプター。仕事の内容がよくわかってなかなか面白い。

 まずスコアを徹底的に読み込まねばならない。言語に通じ、発音も繰り返し練習する。それぞれの歌手の癖を覚え、どのあたりが弱点か、どのへんでつまずきがちかを頭に叩き込む。ちょうどよいタイミングで歌詞を怒鳴ってやらねばならないのだ(まさに「怒鳴る」。逆方向だし、頭のうしろではオーケストラががんがん音を出しているので、客席にはめったなことでは聞こえない)。

 いよいよ本番となると、目の前に分厚いスコアを開き、ペットボトルと喉アメを用意する。なにしろ自分の顔のあたりが、出演者たちの足なので、衣装だの床を行き来するときの埃がすごい。

 映画では「アイーダ」上演の設定だった。アイーダ役のプリマドンナが、人気をいいことにイタリア語をきちんと発音せず、実にいい加減にごまかして歌い続けるのでヒロインは頭にきて、ついにプロンプターボックスを這い出て(まるでテレビから出てくる、あの<さだこ>みたい)、「ちゃんと歌いなさいよ!」と叫んでしまうのだ・・・

 ま、こんなことが実際にあったら大変。


「メンデルスゾーンとアンデルセン」⇒http://www.bk1.co.jp/product/2661441

  








 







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手鏡の女 (short short story )

2006年04月14日 | 雑記
 神田駅近くの薄暗い喫茶店。
 加納がいつもの席に座ろうとすると、驚いたことに先客がいた。

 こんなことは今までになかったことなので、不意をつかれた感じだ。その驚きが鎮まると徐々に不快感がこみあげてきた。思わずネクタイをきゅっと締める。

 ロングへアにピンクのワンピースを着ているがもう若くはない女。能面のような顔が、笑えばヒビ割れしそうだ。
 しかたなく斜め横の席に腰かけて、加納は憎憎しげにその女を見やった。

 いったい何だって俺の席を占領しやがるんだ。

 現在の会社へ入社して2年。毎朝5時半に起きているのも出勤前の30分を、この喫茶店でのんびりモーニングサービスを食べながら「日経ビジネス」を読むためだった。
 
 しかもこのルーティンは、定席あってのことなのだ。
 入り口からすぐ横手の柱の陰。死角になっているらしく、その1人用テーブルには今まで誰も座っていたことはなかった。加納はひそかにそこを自分用と決めていたのだ--少なくとも今朝までは。

 これで俺の今日1日はメチャクチャだな。

 運ばれてきたコーヒーに手をつける気にもなれず、ましてや本を開く気にもなれないまま加納はその女をにらんだ。全ての元凶がこいつだと思うと、何から何まで気に食わない。
 
 だいたい妙に若作りしているものだから、かえって老けて見える。目はつり上がっているし鼻は低すぎる。唇は真っ赤でやけにでかい、と思ったら、口紅をはみ出して塗っているのだ。

 女はハンドバックから手鏡を取り出した。自分の顔をしげしげと見ている。

 見とれるほどの顔かよ。

 するとどこか、し残したところを見つけたとみえて、おしろいで念入りに顔を塗りたくりだした。

 それ以上白くしてどうしようってんだ。歌舞伎にでも出るのか。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 そして髪をかきあげる。
 またハンドバックをあけて手鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 ははあ、これは初めてデートするオールドミスだな。加納はネクタイをゆるめる。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 そして長い髪をかきあげる。
 またハンドバックをあけて手鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 れれれ、ちょっとおかしいんじゃないか。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 そして長い髪をかきあげる。
 またハンドバックをあけて手鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 さすがに加納もこれは尋常でないと気づいた。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 そして長い髪をかきあげる。
 またハンドバックをあけて手鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 ノイローゼだな。いや、脅迫神経症っていったっけか、と加納はネクタイを直しながら思った。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 そして加納に気づいたらしく、ちらりと不安げな視線をこちらへ投げた。
 それからまたハンドバックをあけて手鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 女に気づかれたので、もう見ないようにしようと思ったのだが、加納の目はまるで吸い寄せられるようにそちらへ行ってしまうのだった。見てはならないゴルゴンを見ずにおれずに破滅した戦士みたいに。

 女は手鏡をハンドバックにしまった。
 ちらと加納を見る。
 そしてまたハンドバックをあけてて鏡を取り出した。しげしげ顔を見つめる。またもやおしろいを塗りたくる。

 加納がホウと、言葉とも吐息ともつかない音声を発した、そのとき。
 
 思ってもみなかったことに、女が突然立ち上がった。大股でこちらへやってくる。そして目の前に立ちはだかるや、はっしと加納をねめつけた。

 緊張のあまり、思わずネクタイに手をやる。

 「ちょっと、あなたね」

 低い、凄みのある声で女は言った、

 「さっきから何十回ネクタイ直してんのよ。いらつくなあ。神経症じゃないの!」






最新刊「メンデルスゾーンとアンデルセン」に興味がありましたら
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ドイツを囲む9ケ国は?

2006年04月13日 | 雑記
 昨日からいよいよ大学の授業開始。ピカピカの新入生は最初おとなしいが、慣れると元気一杯でかわゆい。理工学部なので1クラス60人中、女子は3,4人。貴重です。

  数年前までは授業第1日目ですでに全員、教科書を購入していたものだったが、最近はなぜか初日は顔見世という感じで手ぶらで来る。しかたがないので、「大学の4年間は、<華の1年、遊びの2年、焦りの3年、悟りの4年>というから身を持ち崩さない?ように」とまずは釘をさす。それからドイツについていろいろ話す。

 まずヨーロッパの白地図を配り、ドイツを囲む9ケ国を書かせてみる。ポーランド、チェコ、オーストリア、スイス、フランス、ルクセンブルク、ベルギー、オランダ、デンマークがわかるかどうか。

 偏差値のけっこう高い大学にもかかわらず、3クラス170人ほどのうち、全問正解者ゼロ。8つできたのは、6,7人。2つというのが一番多くて、ひとつもできないのが30人ほどいるのには絶句。フランスさえわからんのか・・・

 中・高校の地理や歴史の授業は今、いったいどうなっているのだろう。
 新聞を読む学生もほぼ絶滅状態みたいだし。

 と「最近の若い者は・・・」と言うようになっちゃあ、お終いですわなあ。
 好奇心いっぱいの彼らは、これから教養を身につけてゆくわけだから、未来に期待しなくては。


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「アントワネットは不潔で歯も磨いていない」

2006年04月11日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkids ぷらざ」で連載中の第9回「世界史レッスン」は、「清潔への欲求ゼロ?」。当時の入浴へのとらえ方が、日本人から見ると何ともはや、というテーマで書いた。
http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/04/post_1699.html


 ちなみに現代もなおフランス人の石鹸消費量の少なさは有名。
 その代わり香水の消費量は世界一で、とうぜん香水産業ではトップを走っている。

 ヨーロッパにおける香水消費量は多い順に、フランス、イギリス、ドイツ、オーストリア、イタリア、デンマーク。
 少ない順だと、スペイン、スウェーデン、ノルウェー。

 どうにも分析しにくい。北欧は使わないのかと思うとデンマークが多い方に入っているし、ラテン系は多いかと思えばスペインが違っている。国のリッチ度とも違うようだし・・・

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」

☆ツヴァイク『マリー・アントワネット』、なかなか重版分が書店に入らずご迷惑をおかけしました。今週からは大丈夫のはずです。「ベルばら」アントワネットの帯がかわゆいですよ♪
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マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)
「マリー・アントワネット」(上)(下)
 シュテファン・ツヴァイク
 中野京子=訳
 定価 上下各590円(税込620円)
 角川文庫より1月17日発売
 ISBN(上)978-4-04-208207-1 (下)978-4-04-208708-8

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「メンデルスゾーンとアンデルセン」

2006年04月10日 | 
 人生における運不運とは何だろう?
 
 十九世紀の傑出した作曲家メンデルスゾーン--彼の生涯をたどりながら、そのことを考えてみたかった。
 
 メンデルスゾーンについては、たいていの音楽書がこう記している。富豪の名家に生まれ、十分な教育のもとで多彩な才能をのびのび開花させ、おだやかな結婚生活を送り、良き友人たちと交流し、作品は人気を博し、おまけに容姿にも恵まれて、彼ほど幸せな音楽家はいなかった、と。
 
 実際にはそう良いことづくめでもない。階級差別や人種差別の烈しいこの時代のドイツで、ユダヤ人の彼が差別を受けずにすむわけもなく、ヨーロッパ社会へ溶け込む必要からキリスト教に改宗したり名前をメンデルスゾーン=バルトルディと変えるなど、大変な苦労をしている。個人の責任と関わりないところで蔑まれるという、根源的な屈辱を受けた人間を、いったい幸せと呼べるものなのか。

 また彼は両親の厳しい教育方針によって、個展、語学、歴史、音楽、美術、スポーツ、ダンスに至るまで詰め込まれ、第1級の教養ある紳士になったが、反面、優等生の常として遊ぶことへの罪悪感を植えつけられ、自分のしたいことより周囲の期待にこたえることを優先し、精神的にも肉体的にも疲労をためていった。三十八歳という短すぎる死にも謎が多い。

 とはいっても、もしメンデルスゾーンがユダヤ人でなかったなら、そして深い教養の持ち主でなかったなら、さぞかし鼻持ちならない自惚れた人間になっていたに違いない。作品も、ただ明るく調和のとれた優雅なだけの代物になっていただろう。一見満たされた生活の裏に、深い苦悩と静かな諦念を抱えていたからこそ、古典的でありながらロマンティック、ロマンティックでありながらどこか醒めた眼差し、というメンデルスゾーン音楽の複雑な魅力が生まれたのだった。

 同じことは、メンデルスゾーンと接点を持つアンデルセンとリンドにも当てはまる。アンデルセンは誰も知るとおり極貧に生まれ育ち、リンドは親の愛を全く知らなかった女性だが、ともに血のにじむ努力のすえ世界的名声を得た。三人の行き方を見ていると、致命的と思われるような疵をバネに大きくなったのがわかる。まさに不運こそが幸運の鍵であった。

 ドイツの作曲家メンデルスゾーン、デンマークの作家アンデルセン、スウェーデンのオペラ歌手リンド。彼らの深い関わりは--アンデルセンはリンドに求婚し、リンドはメンデルスゾーンを恋し、メンデルスゾーンは・・・--それぞれの芸術に大きな影響を与えた。もしメンデルスゾーンがあれほど突然、この世を去ったのでなければ、彼らの関係もまたずいぶん変わっていたかもしれない。運命というものは、何と不思議で奥深いものか。(あとがきより)


もしこの本に興味がありましたら
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シンクロニシティ--わたしの場合

2006年04月09日 | 雑記
 ユングの唱えたシンクロニシティ(共時性)は、「物理的リアリティと精神的リアリティにまたがる<時間の場>」のことで、ごりごりの現実主義者に言わせれば、「そんなものはただの偶然さ」と一言で片付けられがちだ。

 でもシンクロニシティを経験しなかった人などいないはず。それでわたしの例。

 ヒチコックの「レベッカ」はもう2度も見ている映画だったが、また見たくなり、ビデオ店へ行くが貸し出し中。しかたがないのでたまたま目についた「マドンナの<スーザンをさがして>」を借りて見ていると、なんと、ヒロインが映画の中で見ていた映画が「レベッカ」だった。

 父の命日は8月4日。数字に弱いわたしはすぐ忘れてしまう。3回忌の年、田舎の妹が全く別の用事で電話をよこした。ちょうど新聞に連載していた美術エッセーを書いているところで、テーマは「サヴォナローラ」だった。受話器を取り、女の長電話の常であちこち話題が飛んでいて、父の命日を忘れていたわたしに妹は怒り、「8月4日じゃない。ちゃんと覚えていて」と言って切った。仕事の続きに入り、サヴォナローラがドミニコ会だったので百科事典を引くと、この会の祝日が8月4日!

 まだ続く。翌年、やはり仕事でモーツァルトについて書いているとき、今度は下の妹から別用の電話。またも長電話していて父の話しになり、またまた命日を忘れていたわたしに妹は「忘れるなんて信じられない。8月4日よ」と言って切った。いかん、いかん、と反省しつつ仕事を続けたわたしは、モーツァルトの結婚式の日にちを調べてびっくり。8月4日だったのです。

2年連続、まったく同じ状況ででてきた8月4日という数字が、とてもただの偶然とは思えない・・・ 

 それは亡き父が親不孝の長女に、大切な日を覚えておくように伝えてきたのだ、と言う人もいたけれど、わたしはやはりこういうのをシンクロというのではないかと思ってしまう。


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「ブロークバックマウンテン」が描くホモ・フォビアの衝撃

2006年04月07日 | 映画
 アメリカ西部のカウボーイどうしが、1960年代から20年間にわたって秘めた恋を貫いたという、異種恋愛映画。

 同性どうしの恋愛を絶対に許さないとする、ホモ・フォビアの存在が日本人の目から見ると衝撃的だ。この時代でリンチして殺害にまで至るのだ。しかもごくふつうの生活者がーー

 フォビア(phobia)という言葉は「嫌悪症」というより「恐怖症」に近い。眉をひそめる程度では我慢できず、叩き潰して抹殺しないと安心できないという次第。

  ホモセクシュアルに対して異常なまでに反応する人間の無意識裡に、本人も気づかない同性愛嗜好を見るという立場も、必ずしも荒唐無稽ではないだろう。人は時として、自分と似たものを許しがたく感じるものだから。

 パンフレットを読むと、主演のふたりはインタビューで「(ホモ役を演じるのは)勇気がありますね」と妙な誉め方をされたり、「ご自身はどうですか」と質問されたりして、これではおちおちカミングアウトもできやしない。

 映画のラストに出てくるクローゼットの扱いが、さりげなくて良かった。

 ついでながら「クローゼットの認識論」(イヴ・コゾフスキー・セジウィック)はお勧め。「同性愛を異質化し、周縁へと追いやる異性愛主義は、十九世紀末に始まったものにすぎない」との観点から、広く論じていて読み応えある。


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絵 馬 (short short story)

2006年04月06日 | 雑記
 明子は苔むした神社の石段を一足一足踏みしめながら、注意深く上っていった。
 今日で186日目。
 初めてここを訪れたときは満開の桜だった。薄桃色に霞むその美しさに陶然とし、すぐまたそんな自分を厳しく戒めたものだ。神に祈る身でよそに注意をそらされてはならないと・・・
 明子の願いはまだ叶えられていない。透明な朝の冷気が枯葉をふるわせる季節になったというのに。
 狭い境内に入るとそこは別世界だった。名もない神社で訪れるものも稀だったが、静謐な空間は母のようにやさしく温かく包みこんでくれる。いつものようにまず賽銭箱へ小銭を投げ入れると、明子はほっそりした白い指先を会わせて目を閉じた。
 それから横手の神主の住まいへ声をかける、
 「絵馬をいただきたいのですが・・・」
 もう顔なじみの、山羊ヒゲを生やした貧相な神主が、うやうやしい手つきで小絵馬を手渡してくれる。明子は財布から500円を取り出してそっと置いた。毎日の絵馬代で、明子の自由になるお金のあらかたが消えてしまう。だがこんな切ない日々の暮らしに何が欲しいというのだろう。どうかすると口紅さえつけ忘れるこのごろなのだ。
 神主はちらりと明子の目をのぞき、急いでその憐れみのまなざしを脇へそらした。そんな反応にはもう慣れている。自分がこの上なく不幸に見えるとしても、事実不幸なのだからしかたがない。明子は頬にあいまいな微笑を浮かべて境内の片隅に腰を下ろした。
 絵馬をじっと見つめていると、この半年間の嵐のような出来事が次から次へと思い出され、胸がつぶれる思いがする。明子はフェルトペンに力をこめ、ゆっくり丁寧な文字で願い事を書き込んだ、
 --秀一さんがやさしくなって、もとの明るい幸せな家庭にもどりますように。明子 --
 来る日も来る日もこの同じ言葉を書き続けてきたのだった。にもかかわらず明子は2たび3たび読み返してみる。どうぞこの願いが聞き届けられますように。どうぞどうぞ聞き届けられますように・・・
 やさしかったころの秀一が目に浮かぶ。会社から疲れて帰る彼のために腕によりをかけて夕食を作り、風呂の用意をして待った睦まじい日々。休日にいっしょに見に行ったロマンス映画。マージャンで夜中に帰ってきた彼を、
 「秀一さん、お帰りなさい」
 と玄関まで出迎えれば、
 「寝ててもよかったんだよ」
 とにっこり笑ったえくぼの可愛らしかったこと。
 いったい何がどうなったというのだろう、その秀一がしゃあしゃあと別の女をうちに引き入れるなんて!
 髪を茶に染め、爪を長く伸ばした品のない女、青く隈どった猫のような目で、うぶな秀一の見も心も奪った憎い女。
 明子は思わず口を手で覆った。あの女のことを思い出すだけで吐き気がしてくる。
 地獄だった。襖をへだてた隣室から、当てつけるように聞こえてきた夜ごとの女の嬌声。こんなつらい思いをさせられるくらいならわたしは出てゆきます、と明子がいくら泣き叫んでも、
 「そんな世間体の悪いことはさせない」
 と、秀一は相手にもしてくれなかった。
 布団の中で嗚咽をこらえながら耐えに耐えたあと、何が何でも戦って勝たねばならないとついに決意したあの夜--
 絵馬にポツリと涙が落ちた。
 たしかに明子は戦って、そして勝った。悪魔のような女は、1ヶ月後、憎々しい捨て台詞を残して秀一と明子の家庭から去ったのだ、こんどは別の男のもとへ。
 秀一はあとを追いはしなかった。が、それを機に別人のように変わってしまった。毎晩、酒を飲んでの朝帰り、休日もうちにいることはないし、明子が話しかけてもろくに返事もしない。あの女がいたとき以上の生き地獄だ。
 明子の願掛けが始まった。雨の日も風の日も通い続けて、書いた絵馬は186枚。鈴なりに並んだこの神社の絵馬は、どれもこれも悲痛な一つの祈りを唱えていた。秀一さんがやさしくなって、もとの明るい幸せな家庭に戻りますように、と。いったいいつになったらそれは叶うのだろう。200枚になったら?それとも300枚?
 ふと肌寒さを感じて明子は立ち上がった。いつまでもこうしていたら風邪をひいてしまう。万一寝込むようなことにでもなって、これ以上秀一にうとまれたら生きてゆけない。絵馬をもう一度読み返し、心を込めて奉納した。そして先ほどからこちらを見ていた神主に軽く頭を下げると、肩を落として家路につくのだった。

 「お気の毒になあ・・・」
 明子の寂しい後ろ姿を見送りながら、神主は思わずこうつぶやいた。するといつの間にかかたわらにきて、同じく明子を見守っていた神主の妻が、これに応えて冷淡に言い放った、
 「何が気の毒なものですか。1ヶ月でお嫁さんをたたき出したヒステリー婆さんじゃないの。いつまでも自分が息子の女房気取りなんだから」



































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ピンク色の暴力

2006年04月05日 | 雑記
 我が家は比較的閑静な住宅街にあります。半年ほど前、南面ベランダから道を隔てた斜め前に、一軒の家が建ちました。壁全体が・・・まっピンク!!

 隣接する家々はどれも茶系かグレー系の落ち着いた色合いで、高さ制限もあるのでわりに落ち着いた雰囲気だったのです。そこへこの突拍子もない色の暴力。

 ディズニーランドじゃあるまいし、これって許されるのかなあ。個性だの自由だのというのと少し違う気がするんだけど。しみじみ斜め前でよかった。もしすぐ目の前なら、カーテンを開けるたび飛び込んでくるわけだから、発狂してしまうと思う。

 淡いピンクじゃないのです。汚い、泥くさい、醜悪な、人工的な桃色。そこへもってきて木製のバルコニーがぐるりと2階を取り巻いていて、それがテカテカに光らせた焦茶色。センスがないのはいいのですが、「勘弁してくださいよ」です。ご本人たちは中で暮らしているので、こんな最悪の建物を見ずにすんで羨ましい。

 そもそもピンクという色が象徴するのは、「肉体」「女々しさ」「赤ん坊」「肉感性」「青春」「歓喜」。建物の外壁に塗りつけるには、恥ずかしいはずです。
 
 ついでながら「同性愛」の象徴もピンク色。ナチスが強制収容所に同性愛者を収容し、彼らにピンクの記章を付けさせていたのは有名な話し(ユダヤ人は黄色の記章でした)。タランティーノの映画「レザボア・ドッグス」で、強盗仲間がそれぞれレッドやホワイトと色のあだなをつけて呼び合うことにしたとき、ピンクとつけられた男が嫌がって抵抗したのは、これをふまえてのこと。

 美しいピンク色は好きです、もちろん。






 

 

 
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