中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

「メンデルスゾーンとアンデルセン」

2006年04月10日 | 
 人生における運不運とは何だろう?
 
 十九世紀の傑出した作曲家メンデルスゾーン--彼の生涯をたどりながら、そのことを考えてみたかった。
 
 メンデルスゾーンについては、たいていの音楽書がこう記している。富豪の名家に生まれ、十分な教育のもとで多彩な才能をのびのび開花させ、おだやかな結婚生活を送り、良き友人たちと交流し、作品は人気を博し、おまけに容姿にも恵まれて、彼ほど幸せな音楽家はいなかった、と。
 
 実際にはそう良いことづくめでもない。階級差別や人種差別の烈しいこの時代のドイツで、ユダヤ人の彼が差別を受けずにすむわけもなく、ヨーロッパ社会へ溶け込む必要からキリスト教に改宗したり名前をメンデルスゾーン=バルトルディと変えるなど、大変な苦労をしている。個人の責任と関わりないところで蔑まれるという、根源的な屈辱を受けた人間を、いったい幸せと呼べるものなのか。

 また彼は両親の厳しい教育方針によって、個展、語学、歴史、音楽、美術、スポーツ、ダンスに至るまで詰め込まれ、第1級の教養ある紳士になったが、反面、優等生の常として遊ぶことへの罪悪感を植えつけられ、自分のしたいことより周囲の期待にこたえることを優先し、精神的にも肉体的にも疲労をためていった。三十八歳という短すぎる死にも謎が多い。

 とはいっても、もしメンデルスゾーンがユダヤ人でなかったなら、そして深い教養の持ち主でなかったなら、さぞかし鼻持ちならない自惚れた人間になっていたに違いない。作品も、ただ明るく調和のとれた優雅なだけの代物になっていただろう。一見満たされた生活の裏に、深い苦悩と静かな諦念を抱えていたからこそ、古典的でありながらロマンティック、ロマンティックでありながらどこか醒めた眼差し、というメンデルスゾーン音楽の複雑な魅力が生まれたのだった。

 同じことは、メンデルスゾーンと接点を持つアンデルセンとリンドにも当てはまる。アンデルセンは誰も知るとおり極貧に生まれ育ち、リンドは親の愛を全く知らなかった女性だが、ともに血のにじむ努力のすえ世界的名声を得た。三人の行き方を見ていると、致命的と思われるような疵をバネに大きくなったのがわかる。まさに不運こそが幸運の鍵であった。

 ドイツの作曲家メンデルスゾーン、デンマークの作家アンデルセン、スウェーデンのオペラ歌手リンド。彼らの深い関わりは--アンデルセンはリンドに求婚し、リンドはメンデルスゾーンを恋し、メンデルスゾーンは・・・--それぞれの芸術に大きな影響を与えた。もしメンデルスゾーンがあれほど突然、この世を去ったのでなければ、彼らの関係もまたずいぶん変わっていたかもしれない。運命というものは、何と不思議で奥深いものか。(あとがきより)


もしこの本に興味がありましたら
http://www.bk1.co.jp/product/2661441



























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする