中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

ツヴァイクの「マリー・アントワネット」(世界史レッスン第36回)

2006年10月24日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第36回目の今日は、「マリー・アントワネットの愛読書」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/10/post_0f72.html#more
 クイズ形式なので、当ててみてください。王侯たちも人の子、けっこう当時のベストセラーを読んでいたりします。

 ところで6月後半から取り組んでいた、ツヴァイク「マリー・アントワネット」の新訳が先日やっと完成しました。万歳!原書で600ページ近い大作なので、夏休みなど連日10時間くらいパソコンに向かって、丸々4ヶ月かかりました。ふう~。しかしこの後まだ校正があり、訳注付けがあり、文章の練り直しがあるので、まだまだ気は抜けません。

 それにしてもさすが「マリー・アントワネット」は伝記文学の金字塔、学生時代2回も読んでいたのに、まるで初めて読むように面白かった!とにかく先が読みたくて、訳すのがもどかしく、しかも全然飽きなかったのが嬉しい。これと平行してフランス革命を背景にした小説「王妃の首飾り」(デュマ)と「二都物語」(ディケンズ)も読んだのだけれど、文学的にはツヴァイクの作品の質の高さがよくわかった。

 以前にも書いたが、ツヴァイクのアントワネット観は、平凡な女性が巨大な運命に翻弄されるうち、いやでも偉大にならざるを得ない、というか、歴史における自分の役割に目覚め、果敢にその役割を全うしようとするところに、人間の偉大さがあらわれる、というもの。非常に説得力があり、後世のアントワネット像を決定ずけたのも当然だろう。

 しかし乱暴に一言で言ってしまえば、この本は大恋愛物語なのだ。わたしから見ればアントワネットはフェルゼンに愛されたというただ一点で価値がある。もし彼との燃えるような、しかも忍ぶ恋がなければ、彼女の魅力はほとんどゼロに等しかったのではないか。

 革命が勃発し、周囲の人間が潮の引くようにいなくなる中、それまで陰に隠れていたフェルゼンがさりげなく登場するーーちょうど上巻最後の章など、訳していてうっと涙が出そうになってしまった(このあたり、ツヴァイクはとってもうまい!)。ともかくこんなふうに愛されたらどんなにいいでしょう。それだけでもう、人生は元を取ったといえるのではないかしらん、と思ってしまったのでした。

☆画像をクリックすると、アマゾンへ飛びます♪
マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)

♪「電脳草紙」さんが拙著「恋に死す」の紹介をしてくださいました。⇒http://blogs.yahoo.co.jp/fq5ttnk/21903045.html
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ギャンブル狂だったドストエフスキー(世界史レッスン第35回)

2006年10月17日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」、第35回目の今日は「銃殺刑を言いわたされたドストエフスキー」。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/10/post_3328.html#more ロシアの近代化を願ったインテリ青年たちが次々に抹殺されていった中に、危うくドストエフスキーも入るところだった。有名なそのエピソードについて書きました。

 以下はトーマス・マンのドストエフスキー評。
 「この人は全身これ神経の塊だった。ぶるぶる震えていて、絶えず痙攣におそわれるのだ。彼の感覚鋭敏なことは、まるで皮膚がはぎとられて、空気に触れることさえ激痛を与えるというほどだ。にもかかわらずこの人は60歳まで生きた。そして40年間にわたる文学活動で、無数の人物の住む、かつて見たことも聞いたこともない新奇と大胆さに満ちた詩的世界を創造した。この世界には巨大な情念が荒れ狂っている。この世界は、人間についての我々の知識を押し広げるような、「限界を超える」思想と心情の激発が見られるが、またそこには愉快な気分も生き生きと湧き起こっている。というのもこの磔にされた殉教者のような男は、諸々の性質に加えて、驚嘆に値するユーモリストでもあったからだ」。

 なるほど「ユーモリスト」であったればこそ、あれほどにも過酷なシベリア流刑を耐えられたのだろうか・・・
 
 ところでドストエフスキーは、ギャンブル狂だったことでも知られている。始まりは41歳のとき。当時の賭博のメッカ、ヴィースバーデンで、いきなり一万フラン儲ける。ビギナーズラックというものだろう。これが泥沼の始まりで、パリ、バーデン・バーデン、トリノと賭博場を渡り歩き、何度も一文無しになっている。

 再婚相手のアーニャに、「ぼくは獣以下の人間だ.昨晩は1300フラン勝った。だのに今日のぼくは1スーも持っていない。有り金全部すってしまったんだ」と書いている。それこそ同じような手紙を何度も何度も書いている。彼のギャンブル狂時代はなにしろ丸々8年も続いたのだから。

 生と死を賭けるようなギャンブルは麻薬と同じであり、むしろ完全に手を切ったドストエフスキーの精神の強靭さに感嘆してしまう。しかも彼は賭博以前も最中も以降も、ずっと傑作を生み続けていた。


☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
posted with amazlet on 07.07.14
中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」

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アウグスト1世のエキゾチックな愛妾(世界史レッスン第34回)

2006年10月10日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン第34回」の今日は、「生ませた子どもは360人ーーアウグスト強健王」。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/10/post_b26e.html#more 前回の続きで、マイセン磁器を作らせたザクセン選帝侯にしてポーランド王のアウグスト強健王について書きました。

 ヨーロッパの王・皇帝の名前はかなりややこしくて、この人もザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世なのだけれど、ポーランド王としてはアウグスト2世ということになっている。それで通称、アウグスト強健王 August der Starke(=the strong)と呼ばれる。

 360人の子どもを産ませた、というエピソードは男性好みのようで、それだけで「ほおー!」と感心するのが女性から見ると何とも・・・(そういえばドイツ・ポップス「ジンギスカン」には、このモンゴルの英雄が一晩に7人の子を作ったという歌詞もあった)

 ところでアウグスト強健王の愛妾のひとりに、サーカシア(黒海沿岸)出身の女奴隷がいた。トルコの大臣の後宮にいたのを、戦争でザクセン軍が奪い、アウグストのもとへ連れてこられたのだ。シュピーゲル夫人(「鏡」夫人?)と呼ばれるようになる。なぜ名前が残っているかというと、彼女はトルコでの風習をそのまま持ち込み、いつも身体を清潔にしていたのでドレスデン中が驚き、賞賛したのだという。不潔な時代には、その程度で歴史に名を残せるという次第。

 この時代の身体の不潔さについては以前書いたのでごらんください。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/04/post_1699.html

♪拙著「メンデルスゾーンとアンデルセン」⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html






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マイセン磁器の誕生(世界史レッスン第33回)

2006年10月03日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載の「世界史レッスン」第33回の今日は「かわいそうな錬金術師とラッキーな絶対君主」。マイセン磁器発明者ベットガーと、制作させたザクセン選帝侯アウグスト1世のエピソードを書いた⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/10/post_d5a9.html
 
 マイセン焼きは軟磁器ではなく、ハード・ペースト。イギリスでは「ドレスデン・チャイナ」と呼ばれ、ヨーロッパ最古の磁器であり、品質も現代に至るまで第一級を誇っている。

 もともとは中国磁器の模倣から始まったが、ベットガーの死後、マイセン工場にふたりの芸術家(ひとりは画家ヘロルド、もうひとりは陶芸家ケンドラー)が参画して飛躍的に芸術的価値を高めるとともに、優雅なロココという時代のニーズにあわせて、次第に純ヨーロッパ風になってゆき、人気を高めた。
 あまりに美しいので、当時の某伯爵夫人が自分用に磁器製の棺を注文したと言われている(完成したのかな?)

 「ベルばらkids」にも書いたが、この磁器の発見はザクセンに莫大な収入をもたらした。1740年、3万8千ターラー、1782年には22万3千ターラーの収益だった。当然、各国の産業スパイが暗躍し、製法を盗もうとしたり、技術者を引き抜いたり、果ては口封じしたりと、なかなか凄いことになっていたようだ。

 ところでドイツやロシアなどの居城で、階段の上にずらりと磁器が並んで飾られているのを見ると、つくづく地震国とそうでない国との違いを思い知らされる。日本であんなふうに飾る人は、まあ、皆無でしょうね。


♪先日、某大学理工学部の2年生クラスで、40人中10人ほどが、アンデルセンを知らないということがわかりました。唖然、茫然、絶句・・・最近の若者は、という台詞は吐きたくないんですけどね・・・
♪拙著「メンデルスゾーンとアンデルセン」の書評はこちら⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html

  
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