中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

読んでくださっているみなさまへ

2006年06月29日 | 雑記
 拙いブログをいつも読んでくださって、どうもありがとうございます。

 これまでの最高アクセス数は、スペイン・ハプスブルク家が血族結婚をくりかえして御家断絶に至る歴史エピソードのときの、650アクセス、1900閲覧数でした。gooブログおよそ58万のうち、190位にランクインして、ちょっぴり嬉しかったかな。

 それに励まされてもっと続けてゆきたかったのですが、実は締め切りのつまった長大な翻訳仕事を請け負い、秋まで身動きとれなくなってしまいました。それでしばらくはこのブログも、これまでのように書くことができなくなりました。

 ただ、毎週火曜日連載の「世界史レッスン」(朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」)の日だけは、テーマに関連したエッセーを書くつもりでおります。
 というわけで、週一回しかお目にかかれなくなりましたが、本格的な再開まで、どうぞこのささやかなブログをお忘れになりませんよう♪



アサヒコムで紹介されている拙著一覧⇒http://book.asahi.com/special/TKY200602280388.html

 
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鎖国時代の漂流者たち(世界史レッスン第20回)

2006年06月27日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」20回目は「エカテリーナ2世に謁見した日本人」。伊勢の船頭、大黒屋光太夫の数奇な運命について書いた。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/06/post_d90e.html#more 

 海流や気候のせいで、日本からロシアへ漂着する者の数は昔から少なくなかった。ロシアの文献に初めて名前が出てくるのは、1701年、ピョートル大帝の時代にカムチャッカからモスクワに送られた「デンベエ(伝兵衛?)」で、彼はピョートルの命令で日本語教師にさせられた。

 その後も数人が首都へ送られ、ペテルブルクには日本語学校ができたほど。ロシアは政策上、日本の開国を望んでおり、通訳の育成をはかったのである。

 この日本語学校はその後イルクーツクへ移され、大黒屋光太夫らがたどり着いたときに、ここの学校で教師になるよう、半強制的に勧められたのはそのせいだ。長い現地での生活のうち、光太夫の仲間ふたりはキリスト教に改宗するとともに教師としてここで生きてゆくことになった(どうせクリスチャンは日本へ帰れば磔だった)。

 実際に帰国できたのは、光太夫を入れて3人。そのうちひとりは日本の土を踏むや踏まずで病死したから、ロシアからもどれたのは17人中ふたりということになる。そのふたりはけっきょく江戸麹町の薬園に幽閉されてしまい、妻帯は許されたものの、ついに生まれ故郷にはもどれずじまいだった。

 この光太夫を主人公にした映画、「おろしあ国酔夢譚」(佐藤純弥監督)はなかなか面白いのでお勧めです。


♪♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」書評⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html 

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フェリペ2世ー血ぬられた生涯

2006年06月25日 | 音楽&美術
 「スペインが動けば世界は震える」といわれた16世紀後半、このカトリックの牙城に長く君臨したのがフェリペ2世だ。

 輝く黄金時代。しかし黄金には血の臭いが染みこんでいる。新大陸の略奪や、ネーデルランドへの弾圧によって得た富だった。さらにペスト、異端審問、絶え間ない戦争、反乱と、フェリペの生涯は血塗られている(彼の二度目の妻だったイギリスのメアリの名前が、これまた「ブラッディ・メリー=血まみれメリー」)。

 そしてフェリペには、息子殺しの疑いもかけられている。シラーの戯曲やヴェルディのオペラで有名な「ドン・カルロ」の悲劇で、真相は今もって謎のままだ。

 ただいえるのは、全ての元凶が政略結婚にあったということ。フェリペは4度結婚している。最初の妻はドン・カルロを産むとすぐ亡くなった。2度目の妻メアリはずっと年上で、しかも遠距離結婚のせいか子はできなかった。

 メアリ亡き後、フェリペはどうにかしてイギリスを手放さずにすむよう、エリザベス1世に求婚している。さんざんじらされたあげく断られたので、眼をフランスへ向けると、そこには息子の婚約者イザベル・デ・バロアしかいなかった。独裁者にためらいはない。彼は13歳のイザベルを3度目の妻に迎える。

 ここにロマンが生まれるのは必然だったろう。フェリペは愛し合う若いふたりの仲を引き裂く、老いた敵役にされた。実際には彼はこのときまだ32歳だったし、カルロとイザベルは会ったことさえなかったのに。

 イザベルをめぐってというより、宗教上の対立から、次第に父と息子は犬猿の仲になり、ついに父は息子を幽閉し、死なせてしまう。自殺と発表された。時をおかずしてイザベルも亡くなる。病死というが、偶然にしては奇妙すぎる。フェリペは4度目の結婚をして、ようやく跡継ぎを得た。

 ティツィアーノが描いた「軍服姿のフェリペ皇太子」(1550年)が今に残っている。これを見ると、20代のフェリペはスリムな身体と秀でた額が若々しい。
とはいえ闇の濃いまなざしは、何を考えているか分からず、いやに赤く厚い唇は血を連想させる。
 ヒール(悪役)たる資格じゅうぶんというところか。


☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」




♪♪アサヒコムで紹介されている拙著一覧⇒ http://book.asahi.com/special/TKY200602280388.html







 
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「バルトの楽園」-坂東俘虜収容所(映画で学ぶ世界史6)

2006年06月22日 | 映画
 5年前初めて鳴門の大塚美術館へ行ったとき、近くに「ドイツ館」なるものがあるのを知り、寄ってみて驚いた。こんな事実があったのか!(そういえば、ちらっと聞いた記憶があったけれど・・・)

 --第一次世界大戦で日本は後出しジャンケンのごとく勝ち馬に乗り、中国の青島を攻めて、そこにいたドイツ人約5000人を捕虜にした。彼らは日本各地の収容所に入れられるが、そのうち1028名が鳴門の坂東俘虜収容所に送り込まれる。

 今に至るまで語り継がれ、「ドイツ館」で当時の様子が展示されているそのわけは、この収容所が一種の奇跡であったからだ。会津出身の松江豊寿所長の指導のもと、捕虜たちはよそでは考えられないほどの自由を与えられ、西洋の進んだ文明を地元へもたらした。

 彼らは収容所内に製パン所を作り、写真入り新聞「ディ・バラッケ」を発行し、地元民にスポーツ(まだ珍しかったサッカーやホッケーなど)や楽器を教え、ソーセージやブランデーの製法を伝え、石橋を建造し、さまざまな手作り品を展示即売し、コンサートを開いてベートーヴェンの第九を日本初演した。「ドイツさん」と呼ばれて親しまれた。

 捕虜を甘やかしているとして陸軍省から再三呼び出しを受けたにもかかわらず、松江所長は自分のやり方を断じて変えなかった。会津っぽの面目躍如だし、彼がいかに当時としては珍しい、世界を見据えた教養人だったかがわかる。

 所長がこうした大人物であったことに加え、日本人とドイツ人の共通項(規律を守り、礼儀正しく、清潔好き)も幸いしたのだろう。さらに言えば、この捕虜たちはプロの兵士より義勇兵が多く、インテリで専門職だった。3年という不自由な収容所生活にありながら、自分たちの専門を生かせたのはそのおかげでもある。

 というようなことを「ドイツ館」で勉強して大いに面白かった。
 で、先週また大塚美術館へ行くと、今度は「ドイツ館」のそばに「バルトの楽園」のオープンセットが観光地になっていたのでさっそく見に行く。

 実際の収容所は6万平方メートルあったらしいが、セットは2万平方メートル。それでもかなり精巧に作られていて、なかなか楽しい。捕虜生活の様子がいろいろ想像できた。

 ここまできたなら、どうしても映画を見ないわけにはゆかないでしょう。昨日見てきました。感想は・・・むむむ。惜しいなあ。こんなに面白い素材なのにどうしてこんなことになるのかなあ。

 そもそもタイトルがひどい。「バルト」って、バルト海には何も関係ないはずなのにと思っていたら、ドイツ語のBart(バールト=髭)だという。日本人はみんなドイツ語できました? しかも「楽園」は「らくえん」ではなく「がくえん」と読むのだという(誰も読めんぞ!)

 まるで教科書のように味気ない映画なのでした。ずらずら列記してあるだけで、映画的感興が少しもない。松江の人物像も、これではただの「いい人」。凄みがない(「生きて虜囚の辱めを受けず」の時代に我を通した人間なんだから、ちらとでも迫力を見せなければ・・・)。

 もっと脚本を練り、演出をていねいにすれば、佳作になったかもしれないのに、残念なことでした。

 結論。「大脱走」は傑作である。

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」


♪♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」の書評はここ⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html














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ラファーターの観相学とガルの骨相学(世界史レッスン第19回)

2006年06月20日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第19回は「顔を見ればぴたりとわかる?」。フランス革命期から以後1世紀にわたって大流行した、ラファーターの「観相学」について書いた。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/06/post_40fa.html#more

 ラファーターの著作が人を見分けるマニュアルとされた背景には身分制の枠の揺らぎがあり、経験と直感でしかない彼の人相見が広く信じられたのは、「科学」という装いが凝らしてあったからだ。

 同じように評判をとった「疑似科学」に、18世紀初頭の骨相学がある。これはウィーンの医者F・G・ガルが唱えたもので、「頭蓋の突出部と性格には密接な関わりがある」という、現代の目から見れば噴飯ものの説だった。

 ガル曰く、「額の両端上部が出ている人間は陽気だ」「後頭部下が突き出ていると多情」「後頭部中ほどがよく発達していれば、母性愛あふれている」

 うーむ、これじゃあ、ころんでコブができたら、「多情」の烙印を押されかねませんな。

 しかし「科学」は強い。ガルの弟子シュプルツァイムは1832年にアメリカまで講演旅行し、ハーバード大学医学部で「聴衆を魅了した」由。ボストン骨相学会まで結成されたのだから、ほんとうだろう。

 とうぜんながらこうした一連の動きは、ナチスのユダヤ狩りへ続いてゆくわけで、面白がってばかりもいられない。「科学」こそ怖い?


♪♪新著「メンデルスゾーンとアンデルセン」も読んでね⇒http://www.saela.co.jp/isbn/ISBN4-378-02841-7.htm
 
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大塚美術館の魅力

2006年06月18日 | 紹介
 四国の鳴門市に、きわめてユニークな美術館がある。大塚製薬株式会社が1988年に開設した「大塚美術館」がそれだ。

 5年前に初めて訪れて以来、今回で3度目。朝10時から夕方5時まで、眼と足が疲れ果てるまで堪能してきた。「ダ・ヴィンチ・コード」の影響か、前より来客数が多く感じられたものの、それでも東京の各種展覧会に比べ、はるかにゆったり鑑賞できるのがありがたい。

 さてこの美術館のユニークさだが、それは本ものが一点もないこと。
 そのかわり、古今の西洋絵画の名作が1000点以上もそろっていること。

 矛盾しているって?
 そうです。 
 実は、こういうふうに考えてもらうとわかりやすい。わたしたちは巨大な美術書の中へ入って行くのだと。なぜなら展示作品は全て(システィナ礼拝堂の天井画もふくむ)本ものと同じ大きさなのだ。

 ふつう美術書は、作品を写真に撮り、紙に印刷してある。実物が大きければ、とうぜんながら縮小しないと本に入りきらない。一方この美術館は、写真に撮った作品を、紙ではなく、特殊な陶板へ等身大に焼き付け、額に飾って展示してある。

 この違いは決定的だ。ともすると美術書は「モナリザ」も「ナポレオンの戴冠」も同じ大きさに閉じ込めるため、実際には前者77×53cm 、後者629×979cm(2DK のアパートなみ)と見た目の印象が全く違うことへの想像が働きにくい。実物を見なければ迫力がわからない、ということになる。

 でもけっきょく大塚美術館も本ものとはいえない?
 それはそのとおり。絵の具の厚みや微妙な色あいは、いかんせん、実物と写真の差が出てきてしまう。長く見ていると、表面のツルツル感に飽きてくるばあいもある。生演奏とCDの違いと同じ。

 でも本ものを全て見るのはよほどの暇人でない限り、無理なのでは。
 今回、わたしがどうしてもチェックしなおしたかったのは、ウンターリンデン美術館の「イーゼンハイム祭壇画(グリューネバルト)と、デトロイト美術研究所の「ユーディト」(アルテミシア・ジェンティレスキ)。わざわざこれだけを見に海外旅行というわけにもゆかず、ほんと、大塚美術館のありがたさが身にしみた。 同じように、たとえばレンブラント好きなら、ここに15点もの彼の自画像がそろっていることに感激するのではないだろうか。これらを全部見るためには、パリ、ベルリン、ドレスデン、エディンバラ、ウィーン、ロンドン、ケンウッド、アムステルダム、フィレンツェ、ケルン、バーグを廻らなければならない!鳴門市一箇所ですませられるのはラッキーでは。

 西洋絵画ファンは是非一度お出かけになってください。

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」






 


 

 
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スペイン女王フアナの狂恋(映画で学ぶ世界史5)

2006年06月15日 | 映画
 スペイン王家にハプスブルクの血が流入したのは、イザベル女王の娘フアナが、フィリップ皇太子(ハプスブルク皇帝の息子)と政略結婚をさせられてからだ。

 フアナがフランドルへ嫁いだのは16歳。迎えるフィリップは18歳の眉目秀麗な若者だった(<美麗公>と呼ばれたほど)。フアナは完全にのぼせ上がってしまったらしい。

 10年の結婚生活で子どもが6人できる。だがもっと大きな変化は、本来スペインを継ぐはずだった男兄弟と母親が相次いで亡くなり、フアナがスペイン女王になったことだ。夫婦はスペインへ移住する。

 こうしてふたりの間に政治が絡みはじめる。フアナを後押しする一派と、この機に乗じてスペインをいいように動かしたいと思うハプスブルク一派に分かれ、後者がフアナを狂女にしたてて幽閉を画策したとされる。一方、この時期、フィリップが突然死するが、これはフアナ一派の毒殺であった可能性も低くない。
 
 フアナは熱愛する夫の死に、完全に正気を失ったようだ。夫を母イザベル女王のそばへ埋葬するとの名目で、柩を運んだ一行とともに、なんと数年にもわたってスペイン中を彷徨する。一説に寄れば、こうすることで夫が復活すると祈祷師に言われた言葉を信じたという。

 いずれにせよ、彼女がとうてい国を統治できないのは眼に見えていたので、けっきょくこの後幽閉されてしまう。死ぬのは50年後だから、恐ろしいばかりの暗黒の長さだ。恋焦がれ続けた夫を覚えていられたろうか?

 さて、このフアナの物語がスペインのヴィセンテ・アランダによって映画化された。原題は「Juana la loca 」(狂女フアナ)という一種の歴史用語なのに、邦題は「女王フアナ」と、何ともつまらないものに変えられている。

 当時の衣装、ルネサンス舞踊、音楽など、背景はとてもよく描けていて勉強になる。ただし脚本は夫婦の愛憎に焦点をしぼったため、この時代の政治的かけひきの面白さが全然伝わってこなくて残念。

 フアナがほんとうに狂っていたかどうかの解釈も曖昧に終わっている。彼女が明らかにおかしな言動をするのは、柩とともに行進したことなのに、そのあたり、作り手には何の関心もなかったようだ。

 そのかわり夫君フィリップの辟易ぶりは十分すぎるほど描かれていた。恋人でもあるまいに、6人も子をなした妻から、新婚当初と変わらない熱さで恋われるのは、むしろ不幸かもしれないという男性の生理が理解できる(ちょっと笑ってしまう・・・)

 そうなればこそ残念なのは、フィリップを演じた役者がイタリア人で、したがって見るからにラテン系セクシータイプという点。これはどう考えても違うでしょう。フアナはそういう男性ばかりの国から北国へ嫁ぎ、金髪碧眼の全く別タイプの夫に夢中になったのだ。ゲルマン系の冷たい美貌の役者を選んでほしかったわん!


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スペイン・ハプスブルク家ーー血族結婚による御家断絶(世界史レッスン18回)

2006年06月13日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第18回目は、「血族結婚くりかえしの果てに」。約200年続いたスペイン・ハプスブルク王朝が、度重なる血族間の婚姻によって、まるで血の呪いのごとき5代目カルロス2世を生み出し、ついに御家断絶に至るまでを書いた。⇒http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10504734

 スペインにオーストリアの血が混じるのは、「狂女フアナ」ことスペイン女王フアナ(彼女については明日のこのブログで書く予定)と、ハプスブルク皇帝の息子フィリップの結婚によるものだ。

 ふたりの間に生まれたカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)は、フランドル生まれでスペイン語を解さず、治世40年の間スペインで暮らしたのは十数年のみ。戦争に明け暮れ、スペインを大国に導いた。

 その一方でカルロス1世は美術にも造詣深く、ティツィアーノを優遇したことで知られる。彼の勇姿が今に残るのは、まさにティツィアーノの筆のおかげといえよう。

 息子フェリペ2世(スペイン生まれのスペイン育ち)も引き続きティツィアーノを優遇した。やはり肖像画を描かせているが、軍服姿も凛々しく、長い顔もさほど目立たない、魅力的といってもいいほどの若き武者ぶりである。

 フェリペ2世は王としても有能で、彼のもとでスペインは「陽の沈むことなき帝国」となる。スペイン語で「あくせく働く」ことを「フェリペ2世のように働く」という言い回しがあるほどで、猛烈サラリーマン並みだったらしい。

 そして3代目はダメというジンクスどおり、フェリペ3世は全く影が薄い。狩猟ばかりして、美術にも何の関心もなく、ろくな肖像画も残っていない。

 その子フェリペ4世のあだ名は「無能王」。すでにスペインの栄光は陰りはじめていた。ただし彼は祖父や曽祖父の趣味を引き継ぎ、美術コレクターとしてなかなかの眼を持っていた。宮廷画家にベラスケスがいたのも幸いしている。

 マドリッドのプラドが、パリのルーヴルやザンクトペテルブルクのエルミタージュと並んで世界3大美術館と言われるほどになったのは、まさにこれら王たちの目利きによるものだ。

 さて、そしてフェリペ4世の子がカルロス2世だ。ベラスケスの跡を継いだ宮廷画家カレーニョ・デ・ミランダ描く彼の肖像画の衝撃たるや・・・
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
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怖い絵
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①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」





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女性作曲家の不幸

2006年06月11日 | 紹介
 女性は論理的ではない、医者にはなれない、画家にはなれない、コックにはなれない、宇宙飛行士にはなれない、音楽家にはなれない・・・というわけで、実際にはとっくになっていた女性の功績までも闇に葬られてきた。

 そのひとり、フェリックス・メンデルスゾーンの姉、ファニーについての、日本初の本格的伝記が出版された。山下剛著「もう一人のメンデルスゾーン--ファニー・メンデルスゾーン・ヘンデルの生涯」(未知谷)がそれだ。⇒http://www.michitani.com/shinkan/shinkan.html

 詳細な年表、豊富な図版、ファニーの書簡や日記を駆使して、ひとりの才能豊かな女性の本質に迫る。
 以下は前書きからの抜粋。

 --ファニーが生きた1805年から1847年は、後期ドイツロマン派文学の活動期から3月革命勃発直前の時期にあたり,のちにビーダーマイヤー期と呼ばれる時期とほぼ重なっている。これは、18世紀松にイギリスで起こった産業革命が徐々にドイツにも及び、ブルジョワジーが急速に力をつけてゆくと同時に、家庭における男女の役割分担が固定化していった時期でもある。

 政治的には反ナポレオン戦争に続く保守反動の時代であり、その抑圧的な社会から逃れるように、父親を一家の長とする家庭内のささやかな幸せに大きな価値が見出されていった時期でもあった。

 このような時代の中でファニーのような才能豊かな女性がどのような立場におかれ、どのように行動したかを振り返ることは、音楽史のみならず社会史的にも興味深いことだろう。

 これまでファニーは主に女性による研究対象であり、今もその状況に基本的に変わりはない。だが、ファニーは女性研究者たちの占有物ではない。ファニーが音楽史の中に正等に位置づけられ、男女の違いを超えて広く受容されることこそが望ましい姿であろう。本書がその一助となれば、これにまさる喜びはない」--

 これを機に、ファニーの作品上演の機会が増えてくれることを願いたい。

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
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①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
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♪♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」も読んでね!⇒http://www.saela.co.jp/isbn/ISBN4-378-02841-7.htm
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メンデルスゾーンへの低い評価--ユダヤ人であるがゆえに

2006年06月09日 | 音楽&美術
 メンデルスゾーンへの評価は、死後、時代の波にもまれて下降していった。彼の暗い予感どおり、ドイツでは社会不安を背景にアーリア主義が拡大し、ユダヤ人排斥が強化されたからだ。

 まっさきに狼煙をあげたのはヴァーグナーだった。ヴァーグナーはかつてメンデルスゾーンの作品を誉め、自作の発表場所がなくて困っていたとき彼に頼み込んでゲヴァントハウスでとりあげてもらった恩義があるにもかかわらず、彼の死後3年目にあたる1850年、匿名で「音楽におけるユダヤ主義」という一文を音楽雑誌へ載せた。

 曰く、「ユダヤ人は創造するのではなく模倣しかしない」「彼らの容貌はとうてい美術の対象にはなりえない代物だ」「ユダヤ人が歌うと、彼らの喋り方の嫌なところがそのまま歌の中にあらわれて、即刻、退散したくなる」「メンデルスゾーンはヨアヒムだのダヴィッドだのをつれてきて、ライプツィヒをユダヤ音楽の町にしてしまった」「メンデルスゾーンは才能や教養はあったが、人に感動を与える音楽は作れなかった」エトセトラ・・・

 これを「論文」と呼べるのか。人種差別に基づく悪口雑言にすぎない。しかしだからこそ反響は大きく、音楽界にのみとどまらない反ユダヤ陣営を大いに勢いづかせたのである。

 ヴァーグナーの卑劣さは、これを匿名で書いたということばかりではなかった。彼は、当時まだオペラ界に大きな力を持っていたユダヤ人マイヤーベーアについては、自分が不利になるかもしれないと万が一を慮って巧妙に批判を避け、マイヤーベーアが亡くなると、待ってましたといわんばかり、今度は本名でマイヤーベーア攻撃をはじめ、先の「論文」も自分が書いたのを公表したのだった。

 歴史は雪崩をうって先へ進む。70年後、ミュンヘンにファシズム政党ナチスが生まれ、その党首ヒトラーが政権をとると、ユダヤ人への迫害は公然のものとなり、メンデルスゾーン銀行は解体されてしまう。

 音楽も例外ではなかった。ヴァーグナーの本拠地バイロイトがナチスの後援で賑わう一方、メンデルスゾーンの名前は教科書から消され、ゲヴァントハウスの前に建っていた彼の銅像は破壊され、彼の名がついていた通りの名称は変更され、彼の作品の出版は禁止された。

 「真夏の夜の夢」というタイトルで別作品を書くようにと、何人かの作曲家たち(リヒャルト・シュトラウスは拒否した)がナチスから命じられた。「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」だけは、人気がありすぎて演奏され続けたが、メンデルスゾーンの名前は伏せられたままだった。

 1945年、戦争は終結し、ナチスは崩壊したが、いったん傷つけられたメンデルスゾーンの名誉回復は大変だった。今でこそ芸術性・創造性の高さを認めない者は少なくなったものの、長い間、「軽い曲を作った幸せな音楽家」「サロン的音楽家」といった侮蔑的扱いを受けてきた影響はあなどれない。

 メンデルスゾーン作品の大きな特徴である貴族的優雅さ、明朗で知的な美しさ、類稀なメロディの豊かさといったものが、あたかも短所であるかのように論じられさえした。

 ある意味、メンデルスゾーン研究はようやく始まったばかりといっていいのかもしれない。「弦楽四重奏曲へ短調」の凄まじい絶望の描写、オラトリオ「エリア」のオペラ的スケール感など、彼の多面性が徐々に知られつつある。単純な幸せなだけの人生ではなかったことも、彼の芸術をとおして認識されつつある。

 メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を再演し、蘇らせるまで、バッハは古臭いカビのはえた音楽とされていたことを思い出してみよう。メンデルスゾーンも同じこと。金持ちの道楽的音楽作りだったとの偏見を捨て、反ユダヤの足枷をとりはらい、ただ彼の音楽だけに純粋に耳を傾けてみよう。

 そうすればメンデルスゾーン本来の魅力と、その広大な世界がありありと拡がってくるのがわかるだろう。


♪♪♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」⇒http://www.saela.co.jp/isbn/ISBN4-378-02841-7.htm
























 
コメント (18)
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