中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

サイトウキネン小澤征爾指揮メンデルスゾーン「エリア」

2006年08月30日 | 音楽&美術
 松本市で例年開催しているサイトウキネン・コンサートで「エリア」を聴いてきました。ただただ感動!

 エリアEliasというのは旧約聖書にでてくる、紀元前9世紀のイスラエルの預言者。名前の由来は「我が神はエホバなり」。

 唯一神宗教らしく苛烈で、邪教の祭司たちを民に虐殺させたり、生贄の牛を祈りで丸焼けにしたりする。反面、旱魃で苦しむ民のため雨を降らせたり、死んだ子を生き返らせる奇跡も行なった。イエスの到来を予言したともいわれる。最後は「もう充分だ。神よ、我が命を奪いたまえ」と祈って「火の馬の引く火の車」で昇天したとされる。

 本公演はオペラ仕立てで、舞台には常に無気味な、あるいは救いを求める民としての合唱団がうごめき、中央の金の道筋へエリアや天使や王や語り手などが次々あらわれてアリアを歌う。

 美術は簡素ながら、雨、燃えあがる火、太陽、そして山の鳴動までも表現してすばらしい。しかしここまでするなら、ラストにエリアが昇天するところは猿之助歌舞伎なみに宙吊りで決めてほしかったなあ・・・

 病後が心配された小澤征爾はエネルギッシュな指揮ぶりで、オーケストラの安定していること。合唱の厚みあること。エリア役ホセ・ファン・ダムやコントラルトのナタリー・シュトゥットマンらソリストたちのドラマティックな声。圧倒的だった。実はJRあずさがすごい横揺れで車酔いし、胸はむかむか、頭は痛い、という状態で席についたのに、興奮して聴いているうち途中ですっかり治ってしまった!

 オラトリオ(聖譚曲)というジャンルは19世紀には古臭すぎて嫌われ、あまり作られていなかったのだが、バッハ「マタイ受難曲」を復活させたメンデルスゾーンならではのセンスが光る作品となった。ヘンデルやバッハ風の中に、ときおり彼らしい夢のように美しいロマンティックな旋律が入って聴く者を陶酔させるのだ。この「エリア」がヘンデル「メサイア」ハイドン「天地創造」とともに<三大オラトリオ>と賞賛されるのもむべなるかな。

 メンデルスゾーンが「エリア」に取り組んでいたころのドイツは、実際に旱魃で飢餓問題が生じていたのと、ユダヤ人排斥がますます激しくなっており、「今こそエリアのような人が必要だ」と感じていたのだった。

 ヨーロッパに溶け込むため、ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、バルトルディという非ユダヤ的名前も持ったメンデルスゾーンだが、死を前にユダヤの英雄を主人公にしたオラトリオを作らざるをえなかったというところに、引き裂かれた心を感じずにはいられない。

 大作としてはこれがほとんど遺作となった「エリア」だが、ヨーロッパ各地で大好評を博し、特にロンドン初演ではヴィクトリア女王夫妻臨席という名誉を受けた(演奏されなくなっていったのは、ナチスが政権を取り、ユダヤ人作曲家抹殺へ動いてからである)。

 ソプラノパートは、当時秘めた恋の相手ジェニー・リンドの声質に合わせて作った。リンドは実際にこれをヴィーン初演で歌ったが、そのときすでにメンデルスゾーンはこの世の人ではなく、公演時には演奏者はみんな喪服着用、指揮台は二つ置かれ、メンデルスゾーンが指揮棒を振るはずだった台には黒布がかけられ、その上に月桂冠とスコアが置かれたという。

 それにしても若すぎる早すぎる惜しまれる急逝だった。リンドをタイトルロールにオペラ「ラインの乙女」を構想中だった。「エリア」の劇的表現をみると、オペラでも成功はまちがいなかったのに・・・惜しいことである。


♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」読んでください⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html

♪♪朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」連載の「世界史レッスン」第28回の昨日は「フランス革命からフランケンシュタインへ」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/08/post_40f3.html#more




















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フリードリヒ大王、ホモセクシャル説(世界史レッスン第27回)

2006年08月22日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第27回目の今日は、「父王に殺されかけた軟弱息子」。フリードリヒ大王の青春時代のエピソードについて書きました。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/08/post_e9d8.html#more

 実はフリードリヒ大王はホモセクシャルだったのではないかとの説が根強く、確かに結婚はした(むしろ「させられた」)ものの、美女の誉れ高い妻とは同居もしなかったし結婚生活もなかったようだ(当然子どもはいない)。7年ぶりに妻に会って「マダム、少し太りましたね」と言ったとの逸話も残っている。とにかく彼の周囲に女性の影は皆無なのだ。

 父の激しい怒りはそれに気づいていたからとも言われる。「世界史レッスン」で書いた少尉との逃亡劇も、愛の逃避行だった可能性がある。

 またマリア・テレジアが彼への悪口としてしばしば使った「モンスター(=Monstrum)」という言葉は、19世紀始めころまでは、ラテン語の「警告」の意味で使われていたらしい。つまり「反自然的なおぞましいもの、凶事の前兆、神にそむく反道徳」のニュアンスがあった。マリア・テレジアは異常なまでの潔癖症(これはこれで精神分析のおもしろい症例になりそうだが)で、特に性的逸脱については容赦なく罰していたから、ひょっとしたらフリードリヒ大王の嗜好についても情報が入っていたかもしれない(まあ、あくまで想像だが・・・)。

 ところで親の心、子知らずと言おうか、マリア・テレジアがこれほど嫌ったフリードリヒ大王を、息子のヨーゼフ2世は「理想の啓蒙君主」として憧れ続け、自分も彼のような王になりたいと、公然と母親に逆らっていたのがおもしろい。

 性格は複雑、謎めいていて、作曲も多々あり(フルート曲だけでも20作以上作った)、フランスに憧れ、日常フランス語を使ってドイツ語は馬丁の言葉だと軽蔑し、ゲーテを認めず、戦争に次ぐ戦争にあけくれ、「反マキャべり論」を書きながら絶対権力を振るい権謀術数はあたりまえ、というフリードリヒ大王については、またいつか「世界史レッスン」に登場させる予定です。


♪アサヒコムで紹介されている自著です⇒http://book.asahi.com/special/TKY200602280388.html


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こうやって翻訳をしています

2006年08月14日 | 雑記
 毎週火曜日に連載している「世界史レッスン」(朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/cat5408445/index.html)は、明日はお盆休みをさせていただきます。それで、というわけでもありませんが、わたしが今どんなふうに翻訳作業を行なっているかについて書きましょう(翻訳家になりたい方の参考になればいいかな)。

 まずいつも必ずするのは、原書を1,2倍ないし1,5倍に拡大コピーします(今回は600ページ近い大冊なのでけっこう大変でした)。これを一枚(つまり2ページ分ですね)横折りして、パソコン画面の上半分に粘着テープで止め、原文と自分の訳文をいっぺんに読めるようにして、どんどん訳してゆくわけです。

 書斎の窓の向こうは緑の多い児童公園なので、鳥の鳴き声、犬の吠え声、子どもの声がして気になるので、耳栓をします。キーを打つ音も低くなり、快調ですが、電話も聞こえなくなるのが難点かな。冷房に弱いので扇風機をまわし、ホットコーヒーとチョコで脳にリキを入れます。

 数日無音の中で仕事しているとだんだん息苦しくなり、週に一度はオペラをがんがん流して自分でも歌いながら仕事を続けます(我ながら器用だわねー)。ヴェルディが一番、マルですね。感情が自然に歌になっているので、あまり疲れない。モーツァルトのオペラだとこうはいきません。

 辞書は独和5冊、独独1冊、和独1冊、仏和1冊、英和2冊、羅和1冊。こんなに必要なのは、ツヴァイクが平気でラテン語、フランス語、スペイン語を挿入しているからで、けっこう大変。他にフランス革命関連の歴史書数冊。

 こんなにあると机がぐちゃぐちゃになるので、この前、「通販生活」でイタリア製ブックスタンド「サピエンス」というのを購入しました。これは「ツン読棚」用ということですが、必要な本をさっと取り出せるので、資料の多い仕事のときにとっても便利です。

 独和辞典ですが、古典の翻訳にはやはり「キムラ・サガラ」(木村・相良独和辞典・博友社)に叶うものなし!これがなかったら手も足も出ません。次いで「郁文堂・独和辞典」が役立っていますが、残念なことに中身はいいのですが、外が使いにくい。つまり微妙に大きいのです。男性の手にはいいのかもしれませんが、女性の片手では扱えません。ハンドタイプなのに・・・ふつうの大きさにしてほしかったなあ、全く残念。

 ツヴァイクの文章はそれほど難解ではないのですが、とにかく執拗。あきれるほど豊富な比喩を使い、たたみかけるように言葉を重ね重ね、波のうねりのごとく、ヴァーグナーの音楽のごとく、読んでいて眩暈がしてくるほど。そしてやっぱり面白い!!

 平凡な女性が歴史の怒涛に呑み込まれ、死を前にして初めて悲劇にふさわしい大きさを得る--ツヴァイクがこのようにマリー・アントワネットを描いたからこそ、彼女は「永遠」に刻印されたのでしょう。そして池田理代子氏の「ベルサイユのばら」も生まれたのだと思うと、訳していて感慨深いものがあります。

 やっとまだ3分の1。ちょうど「首飾り事件」なので、楽しい仕事です。出版は来年の初め。頑張らなくっちゃ!
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瀉血と床屋と血吸ヒルと・・・(世界史レッスン第26回)

2006年08月08日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」第26回目の今日は、「どんな病気もすぐ瀉血」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/08/post_74f0.html#more。16世紀から18世紀に大流行し,19世紀半ば過ぎまで続いた瀉血(血管切開の他にヒルも使った)について書いた。

 瀉血好き(?)の医者は、患者が貧血で卒倒したり痙攣しても続けたというし、同一人に対して10回も20回も行なったとの記録もある。80歳のゲーテが喀血したときも、1リットルも瀉血されている。現代から見ると、ずいぶん野蛮に思えるが・・・

 ところで中世は床屋がかんたんな手術、つまりこの瀉血をしていたのはよく知られている。異説もあるが、理髪店のあの赤青のくるくるマークは、赤が動脈,青が静脈というのは、こうした外科手術をしていたころのなごりらしい。

 ついでながら、これまた異説があるものの、チップの由来も床屋の瀉血のようだ。どういうことかというと、瀉血に対する料金は一定していなかったので、患者は自分に支払える額だけ払った。やがてこの支払方法はイギリス全土に広がり、床屋はお金を入れる箱に、「敏速を保証するために」=To Insur Promptness と書いたのだという。この頭文字3つを取って、Tip=チップという言葉ができたのだとか。

♪先週は旅行のため、このブログはお休みしました。でも世界史レッスン第25回「ナポレオンの裏切りに触発されて」は書きましたのでお読みください。

♪メンデルスゾーンも死の直前、ヒルによる瀉血治療を受けたのです。ロマン派の彼はかなり近代人というこちら側の意識があるので、ちょっと驚きました。もっともhirudo 治療は現代でもないことはないようです。⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
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