松本市で例年開催しているサイトウキネン・コンサートで「エリア」を聴いてきました。ただただ感動!
エリアEliasというのは旧約聖書にでてくる、紀元前9世紀のイスラエルの預言者。名前の由来は「我が神はエホバなり」。
唯一神宗教らしく苛烈で、邪教の祭司たちを民に虐殺させたり、生贄の牛を祈りで丸焼けにしたりする。反面、旱魃で苦しむ民のため雨を降らせたり、死んだ子を生き返らせる奇跡も行なった。イエスの到来を予言したともいわれる。最後は「もう充分だ。神よ、我が命を奪いたまえ」と祈って「火の馬の引く火の車」で昇天したとされる。
本公演はオペラ仕立てで、舞台には常に無気味な、あるいは救いを求める民としての合唱団がうごめき、中央の金の道筋へエリアや天使や王や語り手などが次々あらわれてアリアを歌う。
美術は簡素ながら、雨、燃えあがる火、太陽、そして山の鳴動までも表現してすばらしい。しかしここまでするなら、ラストにエリアが昇天するところは猿之助歌舞伎なみに宙吊りで決めてほしかったなあ・・・
病後が心配された小澤征爾はエネルギッシュな指揮ぶりで、オーケストラの安定していること。合唱の厚みあること。エリア役ホセ・ファン・ダムやコントラルトのナタリー・シュトゥットマンらソリストたちのドラマティックな声。圧倒的だった。実はJRあずさがすごい横揺れで車酔いし、胸はむかむか、頭は痛い、という状態で席についたのに、興奮して聴いているうち途中ですっかり治ってしまった!
オラトリオ(聖譚曲)というジャンルは19世紀には古臭すぎて嫌われ、あまり作られていなかったのだが、バッハ「マタイ受難曲」を復活させたメンデルスゾーンならではのセンスが光る作品となった。ヘンデルやバッハ風の中に、ときおり彼らしい夢のように美しいロマンティックな旋律が入って聴く者を陶酔させるのだ。この「エリア」がヘンデル「メサイア」ハイドン「天地創造」とともに<三大オラトリオ>と賞賛されるのもむべなるかな。
メンデルスゾーンが「エリア」に取り組んでいたころのドイツは、実際に旱魃で飢餓問題が生じていたのと、ユダヤ人排斥がますます激しくなっており、「今こそエリアのような人が必要だ」と感じていたのだった。
ヨーロッパに溶け込むため、ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、バルトルディという非ユダヤ的名前も持ったメンデルスゾーンだが、死を前にユダヤの英雄を主人公にしたオラトリオを作らざるをえなかったというところに、引き裂かれた心を感じずにはいられない。
大作としてはこれがほとんど遺作となった「エリア」だが、ヨーロッパ各地で大好評を博し、特にロンドン初演ではヴィクトリア女王夫妻臨席という名誉を受けた(演奏されなくなっていったのは、ナチスが政権を取り、ユダヤ人作曲家抹殺へ動いてからである)。
ソプラノパートは、当時秘めた恋の相手ジェニー・リンドの声質に合わせて作った。リンドは実際にこれをヴィーン初演で歌ったが、そのときすでにメンデルスゾーンはこの世の人ではなく、公演時には演奏者はみんな喪服着用、指揮台は二つ置かれ、メンデルスゾーンが指揮棒を振るはずだった台には黒布がかけられ、その上に月桂冠とスコアが置かれたという。
それにしても若すぎる早すぎる惜しまれる急逝だった。リンドをタイトルロールにオペラ「ラインの乙女」を構想中だった。「エリア」の劇的表現をみると、オペラでも成功はまちがいなかったのに・・・惜しいことである。
♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」読んでください⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
♪♪朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」連載の「世界史レッスン」第28回の昨日は「フランス革命からフランケンシュタインへ」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/08/post_40f3.html#more
エリアEliasというのは旧約聖書にでてくる、紀元前9世紀のイスラエルの預言者。名前の由来は「我が神はエホバなり」。
唯一神宗教らしく苛烈で、邪教の祭司たちを民に虐殺させたり、生贄の牛を祈りで丸焼けにしたりする。反面、旱魃で苦しむ民のため雨を降らせたり、死んだ子を生き返らせる奇跡も行なった。イエスの到来を予言したともいわれる。最後は「もう充分だ。神よ、我が命を奪いたまえ」と祈って「火の馬の引く火の車」で昇天したとされる。
本公演はオペラ仕立てで、舞台には常に無気味な、あるいは救いを求める民としての合唱団がうごめき、中央の金の道筋へエリアや天使や王や語り手などが次々あらわれてアリアを歌う。
美術は簡素ながら、雨、燃えあがる火、太陽、そして山の鳴動までも表現してすばらしい。しかしここまでするなら、ラストにエリアが昇天するところは猿之助歌舞伎なみに宙吊りで決めてほしかったなあ・・・
病後が心配された小澤征爾はエネルギッシュな指揮ぶりで、オーケストラの安定していること。合唱の厚みあること。エリア役ホセ・ファン・ダムやコントラルトのナタリー・シュトゥットマンらソリストたちのドラマティックな声。圧倒的だった。実はJRあずさがすごい横揺れで車酔いし、胸はむかむか、頭は痛い、という状態で席についたのに、興奮して聴いているうち途中ですっかり治ってしまった!
オラトリオ(聖譚曲)というジャンルは19世紀には古臭すぎて嫌われ、あまり作られていなかったのだが、バッハ「マタイ受難曲」を復活させたメンデルスゾーンならではのセンスが光る作品となった。ヘンデルやバッハ風の中に、ときおり彼らしい夢のように美しいロマンティックな旋律が入って聴く者を陶酔させるのだ。この「エリア」がヘンデル「メサイア」ハイドン「天地創造」とともに<三大オラトリオ>と賞賛されるのもむべなるかな。
メンデルスゾーンが「エリア」に取り組んでいたころのドイツは、実際に旱魃で飢餓問題が生じていたのと、ユダヤ人排斥がますます激しくなっており、「今こそエリアのような人が必要だ」と感じていたのだった。
ヨーロッパに溶け込むため、ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、バルトルディという非ユダヤ的名前も持ったメンデルスゾーンだが、死を前にユダヤの英雄を主人公にしたオラトリオを作らざるをえなかったというところに、引き裂かれた心を感じずにはいられない。
大作としてはこれがほとんど遺作となった「エリア」だが、ヨーロッパ各地で大好評を博し、特にロンドン初演ではヴィクトリア女王夫妻臨席という名誉を受けた(演奏されなくなっていったのは、ナチスが政権を取り、ユダヤ人作曲家抹殺へ動いてからである)。
ソプラノパートは、当時秘めた恋の相手ジェニー・リンドの声質に合わせて作った。リンドは実際にこれをヴィーン初演で歌ったが、そのときすでにメンデルスゾーンはこの世の人ではなく、公演時には演奏者はみんな喪服着用、指揮台は二つ置かれ、メンデルスゾーンが指揮棒を振るはずだった台には黒布がかけられ、その上に月桂冠とスコアが置かれたという。
それにしても若すぎる早すぎる惜しまれる急逝だった。リンドをタイトルロールにオペラ「ラインの乙女」を構想中だった。「エリア」の劇的表現をみると、オペラでも成功はまちがいなかったのに・・・惜しいことである。
♪「メンデルスゾーンとアンデルセン」読んでください⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
♪♪朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」連載の「世界史レッスン」第28回の昨日は「フランス革命からフランケンシュタインへ」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/08/post_40f3.html#more