中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

ヨーゼフ二世とレオポルト二世の立て続けの死(世界史レッスン第32回)

2006年09月26日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第32回目の今日は「マリア・テレジアの16人の子どもたち」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/09/post_6e8c.html#more偉大すぎる母、お気楽な父の間に生まれたプリンス、プリンセスたちの、明暗分けたその人生について書きました。

 当時のお姫様はいったん他国へ嫁ぐとほとんどもう一生家族とは会えなかった。マリー・アントワネットもわずか15歳で母や兄弟姉妹と、いわば生き別れである。なかなか過酷なものだ。

 ただし兄である長男のヨーゼフ2世だけは、彼女が22歳のとき、わざわざパリまで会いに来てくれた。もちろん外交目的である。世継ぎを産むのが「仕事」の王妃に子どもがなく、その原因は夫ルイ16世にあるということは周知の事実だったので、なんと彼は義弟に手術を勧めにきたのだ。ルイは説得されて手術を受け、無事子どもを得た喜びと感謝の手紙を、後にヨーゼフ2世へ書き送っている(当時の王家の人々があけすけに性的な話しをするのには、正直びっくりさせられる)。

 アントワネットにとって、母亡き後、ヨーゼフは自分の大きな後ろ盾だった。1789年にフランス革命が起きたとき、実際にはまだ全くギロチンへの道は考えられず、王党派と革命派は危ういバランスの上にあった。ところが翌1790年、ヨーゼフが病死して風向きが変わり始める。

 アントワネットの立場からだけ見るとき、つくづくヨーゼフの死を境に運に見放されたとしか思えないのだが、跡を継いだすぐ次の兄レオポルト2世まで2年足らずで病死してしまう(さらにフランス宮廷を一貫して支持してくれていたスウェーデンのグスタフ3世の暗殺がほぼ同時期に重なった)。

 レオポルト2世の息子の代になると、もはや顔を見たこともない叔母を助けるため、自国を疲弊させる気はおきなくなっているのも当然だろう。彼女は実家から見捨てられてしまうのだ。まあ、こういうことは下々の者にもあることで、実家の両親が亡くなって兄家族の代になると、娘たちは実家へ帰りにくくなるという、あれですね。しかしアントワネットみたいに命がかかっていないだけましというべきでしょうね。

♪「こどもの本」10月号。。。書店のカウンターに置いてある小冊子です。「わたしの新刊」コーナー(P.2)に「運命の3人」と題してエッセーを書きましたので、お読みください。

大塚美術館の「怖い絵」ツアーは引き続き開催していますので、ぜひ一度いらしてくださいね。そして5月にはわたしもここで講演する予定です。⇒ http://www.o-museum.or.jp/info/event/100305_137.html


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☆「THEハプスブルク」展へいらっしゃる前にはぜひ拙著で予習もお願いします。肖像画に描かれた人々の運命を知ると、絵はきっとまた新たな魅力を増すはずです。

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毎日新聞での紹介⇒ http://mainichi.jp/enta/book/shinkan/news/20080903ddm015070149000c.html

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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


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アントワネットはザッハトルテを食べた?(世界史レッスン第31回)

2006年09月19日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」第31回目の今日は、「ヴィーン宮廷豪華絢爛料理」。アントワネットがフランス王太子妃に決まった祝宴での料理の、質・量ともにたっぷりの贅沢さ、ヴィーン子の食い道楽について書きました。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/09/post_701c.html#more

 さてヴィーンのケーキといえば、ザッハトルテ(Sachertorte)。チョコレート味のスポンジケーキの上へアンズ・ジャムをのせ、さらに全体をチョコレートでコーティングし、砂糖抜きの泡立て生クリームを添えて召し上がる(紅茶にぴったり♪)。女性ならたいてい一度はどこかで見て、食べて、知っているでしょう。当然、ヴィーン子だったマリー・アントワネットも食べたはず?

 ところがそうではないのです。
 このお菓子を発明したのは、甘党メッテルニヒのシェフ、フランツ・ザッハ。宰相のために知恵をしぼり、1832年に考案しました。その40年近くも前にギロチン台にかけられたアントワネットは、目にもしたことさえなかったというわけ。

 ちなみにフランツの息子エドワルドが、現在の名門ホテル・ザッハを創設。
 ザッハ・トルテは登録商標になるはずでしたが、エドワルドが早世したためごたごたが起こり、長い裁判沙汰の末、いまだ「本家」だの「元祖」だのが両立したまま(たしか北海道の何とかというお菓子も似たような経緯を辿っていたような・・・ありがちなのかな)。

 初めてヴィーンのカフェでこれを食べた昼下がりを思い出します。周りはお年寄りばかり。みんなものすごく太って、コーヒーにもお砂糖たっぷり生クリームたっぷり、ケーキにまで生クリームで、これで太らなければ奇跡だな、とつくづく感心して(ケーキの味は覚えていない)、しかも上は丸々しているのに足はほっそり。杖は必需品だし、ヴィーンは石畳が多いので、よくころばないものだと、さらに感心したのでした。するとつい最近、ヴィーンへ遊びに行った友人がその石畳に足を取られ、ころんでしまったとのメール。地元の人より旅行者が危ないのね。

☆画像をクリックするとアマゾンへ飛びます♪
マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)

♪アサヒコムで紹介中の拙著一覧⇒http://book.asahi.com/special/TKY200602280388.html

 
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貴賤結婚による壮絶な<いじめ>(「ハプスブルク恋物語」)

2006年09月17日 | 
 新人物往来社刊<別冊歴史読本>の最新刊は「ハプスブルク恋物語ーー700年王朝に秘められた愛憎劇」。タイトルどおり、ヨーロッパ名門中の名門ハプスブルク家の王、王妃、プリンス、プリンセス、ゆかりの芸術家たちの多彩な恋模様がつづられてゆきます。ビジュアル面も充実。⇒http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?free=%83n%83v%83X%83u%83%8B%83N%97%F6%95%A8%8C%EA%81@%97%F0%8Ej%93%C7%96%7B&vague_search=1&x=26&y=8

 とりあげられた人々は、王族ではマリー・アントワネット、マリー・ルイーズ、皇妃エリザベート、狂女フアナ、マリア・テレジア、ヨーゼフ2世etc. 芸術家ではモーツァルト、ベートーベン、クリムト、シュニッツラーetc.
 執筆陣は菊池良生、桐生操、渡辺みどり、青木やよひetc.

 わたしも2つほど書きましたので、興味がありましたらお読みください。
 1つはモーツァルト。言わずとしれたソプラノ歌手アロイジア・ヴェーバーへの切ない片思いです。彼女は、後に彼の妻となるコンスタンツェの姉。それで今回このムックには珍しい写真も入れています。晩年のコンスタンツェのもの。何と彼女はモーツァルト没後50年も長生きしたので、写真技術が発明されたときまでこの世にいたのですねー。

 もう1つは第一次世界大戦の引き金となった「サラエヴォ事件」で、ともに命を落としたフランツ・フェルディナンド大公とその妻ゾフィ。

 実はこのふたりは「貴賤結婚」(身分の高い人と低い人のつりあわない結婚のこと。この言葉自体も凄い!)だった。フェルディナンドは帝位継承者、一方ゾフィはボヘミアの没落貴族出身で某侯爵家の女官だった。ハプスブルク家には家訓があり、帝位継承者の妻たる者は、カトリック国の王女ないし自国の場合は最上級の貴族出身でなければならず、ゾフィは問題外だった。

 反対の嵐が巻き起こり、フェルディナンドは皇帝から「恋か帝位か選べ」と迫られたが、「どちらも手に入れます」と骨のあるところを見せる。結婚までには数年もかかった(真の恋だったのね~♪)
 しかしゾフィにとっては結婚してからの方が苦難は大きかったのでは・・・なぜなら彼女を待ち受けていた宮廷のいじめは、それはそれは凄まじいもので。でもその先はどうぞ本書をお読みください。

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
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中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」







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フリードリヒ大王のフランス語(世界史レッスン第30回)

2006年09月12日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第30回目の今日は「18世紀ヨーロッパを席捲したフランス語」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/09/1765_25d5.html#more
当時のヨーロッパでいかにフランス語が権威を持っていたかについて書いた。

 フリードリヒ大王が若いころ父王に殺されそうになったエピソードは第27回で書いたが、質実剛健のプロシャ王としては跡継ぎの息子が敵国フランスかぶれになっているのは我慢できなかったらしい。フランス・ファッションでちゃらちゃらあらわれた息子に雷を落としたこともある。父にしてみれば女装しているのに近い印象を持ち、嫌悪感を覚えたのだろう。

 フリードリヒのフランス万歳は年季が入っていて、老年になってもドイツ文学などは全く認めなかった。「ゲッツ」で華々しく登場したゲーテに対しても、「シェークスピアの拙劣な真似」と切って捨てている。そのシェークスピア自体の真価も認めていなかった。

 それにしてもドイツ語で育ち、ドイツ語が常に周りにあるわけで、彼のフランス語は決して完璧ではなかったとの説もある。自国語はだめ、もう1ヶ国語は中途半端という最悪のバイリンガルだったとは、まさか思えないが・・・

 けっきょく当時のドイツが二流国だったための悲劇が、言語への姿勢にあらわれたとは言えるかもしれない。イタリアも田舎国なのでイタリア語はただの地方語扱い。ただし音楽は別。このころまではとにかくイタリア・オペラでなければオペラにあらずだった(もちろんフランスは例外!)。モーツァルトが一生懸命ドイツ語でオペラを作曲したがったのに妨害にあう様子は映画「アマデウス」にも描かれている。
 
 モーツァルトついでに、彼の悪妻コンスタンツェのこと。彼女は手紙を書くのが非常に苦手だったが、それは教会経営の学校でドイツ語の作文の授業がなく、ラテン語作文ばかりを習ったかららしい。

 というわけでもちろんわたしは小学校で英会話を教えることには反対の立場です。


♪「メンデルスゾーンとアンデルセンの書評」⇒http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20060501/0605_10_booknakano.html
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フランケンシュタインと詩人シェリーと・・・メル・ブルックス!(世界史レッスン第29回)

2006年09月05日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン第29回」の今日は「フランケンシュタイン誕生前夜」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/09/post_6feb.html#more。1816年の、(フランケンシュタイン好きには)有名な、スイスでのひと夏のエピソードについて書きました。原作に文学的価値はあまりないものの、自分を産んでくれた者に反逆し悪を為すという怪物の魅力は、後世、さまざまな解釈をもたらしました(そのことは第28回分をお読みください)。

 原作者メアリの夫は、パーシー・ビッシュ・シェリー。
 バイロン、キーツと並ぶロマン派の代表的詩人ということは、言わずもがな。
 たいへんな美青年でエキセントリック、ドンファンでもあった。彼のためにふたりの女性が自殺している。いろいろな女性にわかっているだけで7人も子どもを生ませた。

 2度目の妻メアリをも捨てようとして絶縁の手紙を書いたが、その最中に事故死したので離婚とはならなかった。「ドンファン号」という名前の船を嵐の海へ猛スピードで操縦して、転覆したのである。彼もまた、ある意味、フランケンシュタインだったといえよう(両親からはとっくに勘当されている)。

 話しは全く変わるが、近代の三大怪物たちのうち、吸血鬼とジキル博士(=ハイド氏)には傑作ミュージカルがすでにある。前者はウィーン版『ダンス・オブ・ヴァンパイア」(原作はロマン・ポランスキーの喜劇)、後者はロンドン版『ジキルとハイド』。どちらも舞台を見たが、なかなか良かった♪

 で、フランケンシュタインものだけがまだなかったのだけれど、どうやらそろそろできるらしい。メル・ブルックスが『ヤング・フランケンシュタイン』をミュージカル化するというのだ。映画ははちゃめちゃにおかしくてサイコーだったので、かなり期待がもてる。
 とはいえ音楽はどうかな、一抹の不安。ブルックスの場合、『プロデューサーズ』もそうだったけれど、泥臭すぎてときどき辟易させられてしまうので・・・

♪アサヒコムでの拙著一覧⇒http://book.asahi.com/special/TKY200602280388.html
 












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