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はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

今年最後のライブのお知らせ

2012-10-17 11:28:23 | 日記
今年最後のライブのお知らせです




6月にやって大好評を頂いた写真展&ライブ&バーベキューです
前回と同じメンバーで楽しくやりますので
よろしくお願い致します^^

はげまるは7日~10日の夕方は ZIMEcafeにおりますので
時間がある人は来てくださいませ



今週日曜日は野毛「旧バラ荘」ライブ

11月3日祭日 野毛「ドルフィー」でエディ幡さんとのライブ(二人でやります)


これも宜しくです

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(103) 本牧のお話「君と僕」「ハビットハウス」「Gカップ」

2012-10-15 04:27:38 | 日記
その昔本牧通りにあった「君と僕」「ハビットハウス」の
貴重な写真が本牧通りのYOUさんから 送られてきましたので
その写真を紹介しますね






はげまるが車で店の前を通るたびに
その怪しい名前から入りそびれていた「君と僕」

何が怪しいのかと言うと
野毛の怪しいホ○関係のお店を想像してしまうからである
なにしろはげまるは ホ○関係の人にモテる

呼んでねぇよ~ このクソじじぃなんていう事も何度もある
飲み仲間の工○君と二人で温泉によく行くのであるが
その話を聞いていたホ○のじじぃさんが 深夜
泣きながら阿武茶から出て行った話は今でも語り草になっている

あ~  いゃんだ いゃんだ





おね~さんが泣きながら店から出て行く
そんな事は一度もねぇんだ

   くっそ~~







「ハビットハウス」

ここはZIME cafeのえっちんさんが造ったお店
(つい最近知りました)


その昔の本牧通りにはこのようなご機嫌なお店が
たくさんあったのである







「ハビットハウス」の中

実は一度も入った事が無いのが 「君と僕」同様
心残りだなぁ

ここからの写真はI-phoneのカメラで撮り






「ゴールデンカップ」もついにイタリアンレストランになっていまいました
店の中がどうなったのかは知りませんが わかり次第書きますね







本牧地区では無いが 寿町付近の早朝から開いている
飲み屋&うどん屋&定食屋さんの「高橋」のBランチのおかず
これに大盛りご飯と味噌汁お新香が付いて500円
寿町の「さなぎ食堂」のほうが安いが ここ「高橋」は
酒が飲め タバコも吸える







その「高橋」の店の前の白壁にしっかり置いてある 錆だらけの自転車






これしっかりと壁に留められている
そうオブジェなのである

☆☆☆さん  トマソンですね。



(わからない人は各々調べてくださいね)

異国情緒あふれる港町  横浜(199) バー   「ランプ」  関内

2012-10-12 00:43:15 | 日記




先日馬車道付近にある バー「ランプ」に行ってきた
10年以上前にはひんぱんに通っていたのであるが
店の営業時間が12時迄になってなってからは
ほ~んと久しぶりである







店の外観もだいぶ昔と変わっていて
う~ん  野毛とかそこいらの立ち飲みと違い気楽に入れない感じである
(あたりまえだ)






おそるおそる中に入ってみる事にする







マスターの金○さんが昔と変わらない優しい笑顔で

「あ~~ ひ~さん ひさしぶりですね~」

10年ぶりに来たのになんとうれしいではないか

「ひ~さん  ぜんぜん変わってないね~」

そう はげは変わり様がないのである







昔からここに来ると 他のお客さんには
何年のなんだらかんだらの高級スコッチ
なんかを勧めているが
はげまるには安くてご機嫌にうまいスコッチを出してくれる
 
 そう 安くてうまい これがいい


飲んでいてカゥンターの壁の横あたりに絵が描いてあった






う~~~ん   この絵は・・・・







そうなのである 柳原良平さんの絵である
あの トリスウィスキーの オジサンである
横浜中区在住の柳原良平さんのサインと2011.2.21 
 

   びっくりしたなぁ~~  もぅ


中学生の頃 白黒テレビで見た 
ペンタックスカメラの宣伝もよかった
トリスおじさんが
「ペンタック  ペンタック  ペンタック
 ぼうえんだよ  ワイドだよ」



 
金○さんに
「すごいねぇ~~  この絵」と話しかけた
金○さんが すごくうれしそうな顔をして
「う~~ん  そうなんですよ」

短い会話の中でいままでの空白の10年間が
一気に埋まってしまったような感じである


ここに一緒に来ていた仲間や先輩達の何人はもうこの世には居ない















カゥンターからドア方面の写真






今 うまい酒を飲める事はいいなぁ

はい 怪我しないようにほどほどに飲みます
(硬い決意)

尚今回の取材は毎度の宮○さんと一緒でした



異国情緒あふれる港町  横浜(198)    戦後の横浜お宝写真

2012-10-09 08:22:09 | 日記
先月の中頃 戦後昭和の写真展を横浜市史資料室に行ってきました












これからの写真ははげまるがカメラを構えた途端に
うら若き女性職員さんが
「あの~~ 写真  御遠慮していただきますか」

う~~ん  
取り合えず 「はい・・・」

はげまるは御遠慮できない性分なもんで






1955年頃 真金町の遊郭みたいである







1945年 終戦の年である  横浜松竹劇場


アメリカの爆撃はピンポイントで占領後に使えそうな大きなビルは
爆撃しなかったみたいである

はげまるが住んでいる新山下地区は捕虜収容場とまちがわれて
パラシュートで食料の箱が沢山落ちてきた
(ほんとの話 地元のおばさんに聞きました)
これらは憲兵隊がきてみんな没収されたそうである

そのうち新山下の昔の写真を載せますね













本牧の米軍住宅内にあったビル・チッカリング劇場

写真が歪んでいるがこれらは
うら若き女性職員さんが横を向いている時に瞬時に撮っているからである







今回の最大の収穫は大きなウインドウに昔の建物の位置と写真が
分かり易く展示されていた事である
ガラスの上から撮っているので 電球の明かりがどうしても写り込んでしまう
くゃしいが文句は言えねぇしなぁ






本牧の米軍住宅地図







1955年ごろの山下公園あたり
この時期はげまるが小学2年の頃 遠足でここに来ているので
よく覚えている 
山下公園の半分ぐらいは 芝生が眩しい一戸建ての米軍住宅であった
その頃の日本人の住宅といえば トタンやベニヤ住宅がほとんどであったから
クラス仲間全員が驚いたのであるが


目の青い外国人の子供をフエンス越しに友達みんなで


「お~目が青いぞ~~」  なんてね








この地図は戦後すぐと思われる
山下公園がすべて米軍住宅になっている
なにしろ関内地区からこのあたりはすべて占領地であったのである

ニューグランド・ホテルが日本に返還されたのが1959年
の事である右下は山下公園あたりで 兵隊さんの家族住宅が並んでいる
1954年に部分返還されたそうだ






この大きなウインドウの全容を写真に撮りたかったなぁ
うら若き女性職員さんに

「あの~  脚立持ってきてくれる~  ついでに天井のあそことあそこの
ライト消してくる~」

なんてやりたかったなぁ






その大きなウィンドウの写真











壁の写真






壁の写真







壁の写真







大きなウィンドウの写真





大きなウィンドウの写真





大きなウィンドウの写真







ここからの写真は有隣堂の階段の壁に飾ってあった写真です





写真が歪んでないのは撮影禁止ではないので
のんびりカメラを構えて光が写りこまないように
撮っているからであります

1955年とあり はげまると同年代の子供達が楽しそうに写りこんでいる
なにしろ庶民の家庭には テレビ無い 風呂無い 電話ほとんど無い
携帯なんかあるわけねぇ

今思えば何もなくてもいい時代であった



ここからはコメントは書きませんが
素晴らしい写真ばかりですよ































はい 如何でしたか。

異国情緒あふれる港町  横浜(197)   昭和20年開店 「いもや」日の出町付近 おまけ「大黒屋」 

2012-10-06 01:51:15 | 日記
はげまるブログのコメントで御馴染みの さも次郎さんから
「青い麦」さんと同じ終戦後昭和20年からやっている渋い食堂がある
と情報を頂いた

古いモノ大好き 錆びたトタン大好き 渋いモノ大好き(渋柿は例外)
のはげまるとしては 行かねばなるまい

まだ蒸し暑い先月 夕方4時ごろ
気楽な食堂に行くので
はげ頭に手拭を巻き 半ズボン 便所サンダルの
寿スタイル ハゲチャリにまたがり鼻息荒らし

  「ど~だ  もう矢でも鉄砲でも持ってきやがれ~」
 
えっちらこ~ぎっこんこ~えっちらこ~ぎっこんこ~
(えっちらこ~は掛け声で ぎっこんこ~は自転車をこぐ音)


 





京急日の出町駅から黄金町方面に歩いて5分位の場所にある
写真の和菓子屋「大黒屋」さんの隣にその渋い食堂がある







「大黒屋」さんの隣にはその渋い食堂のノボリ 旗が勇ましく立っている








この「大黒屋」さんも凄く歴史がありそうである
実はここで何度も母にお土産を買ってあげているので
へ~  この隣にそんな歴史がある食堂があったのか~

灯台元暗しである 
自分のはげ頭の裏の傷も己ではじかに見れないのと同じで
くゃしいなぁ





この写真は2~3年前に撮ったモノ





これは先月 お土産を買った時に撮ったモノ







さて 目指す食堂「いもや」

名前がいいなぁ~  いもやか~

ここで話は飛ぶが昔の横浜にはキャバレーやらクラブやらが沢山あった
キャバレーにはフルバンド(10人以上のバンド)とコンボバンド(4~5人)
が出演していて そんなキャバレーが何軒もあった
これにクラブに出演していたバンドマンも沢山いたのであるから

福富街界隈なんて真夜中に歩いていると
酔っ払いのサラリーマン 客引きのパイラ~さん ヤクザ屋さん
ホステスさん それにバンドマン 
これしか歩いてなかったのである

ところでバンド仲間で イモ  と言うと イモなのである
イモとは何か?
広辞苑で調べてみた

いも
① サトイモ・ヤマノイモ・ジャガイモ・サツマイモなどの総称。
② 植物の地下茎または根の発達したもの。
③ 俗に、野暮ったい人や物をいう。

ようするに演奏が上手くない=いも

なかにはバンド全員いも というバンドも多々いたなぁ
はげまるも いも>半いも>そこそこいも の道を挫折とお笑いを経て
ここまで生きているのである

 
そんな楽しい懐かしい名前の「いもや」さん
中に入ってみる事にしますか







はげまるは少し開いていたドアをガラガラと開けて
「いもや」さんに気楽な感じで入って行った

カゥンターのみのお店で先客がひとりいた

ママさん (お母さんみたいな感じ)が
「いらっしゃ~ぃ」
初めて来た客なので少し不思議そうな顔をしていた

う~ん やはり怪しい奴 と思われたのかもしれない
すばやくはげまるは頭の手拭を取ってニタリと笑い
手前の席に勝手に座った
今度は怪しい気がふれたハゲと思われたかなぁ

そんな事思いながら
「あの~  ウィスキーの水割りと う~ん
(カゥンターに置いてあったメニューを眺めながら)
 シラスおろし」

残暑厳しい中 ハゲチャリをこいできたので大汗である
店の中はクーラーなんか動かしてなく蒸し暑い






この蒸し暑さが シラスおろしとウィスキーの水割りにぴったんこ合う
汗がす~っとひいていく感じである






ママさんが写っている

カゥンターにひとり座っている おじさんが暇しているみたいで
しきりにはげまるに話しかけてくる

「わたしはねぇ~  昔から横浜に住んでいてここには何十年と
通っているのよ」
「それでね ここのママさんと私はね~ 同じネズミ年なのよ」
 
 昭和11年生まれのネズミ年であった


げまるもネズミ年である(タコ年ではないぞ)
その事を話すと ママさんもおじさんも喜んでいろいろ昔話をしてくれた






ママさんが中学生の頃の話で 伊勢佐木町にまだ若葉飛行場があった頃
MP(アメリカの警察官)の目を盗んでクラス仲間と集団で
フェンスを乗り越えて反対側にあった学校に通ったそうである

すっげ~~~~  話であるなぁ

カゥンターのおじさん 初めの頃は電気屋です
なんて話していたが そのうち
「実はねぇ  昔はねぇ 横浜のストリップ劇場のライトマン
(照明係り)をさんざんやっていたのよ」
「あの頃は ストリップ劇場が横浜には沢山あってね~
あちこちで仕事したのよ」

そのうち酔っている勢いで
「あのね~  ダンサーのねぇ ○○○○とかねぇ ○○○○とかねぇ
 いい女がいたのよ~  ほんと~  あんた知ってる~」

はげまる
今から50年以上前のダンサーなんか知るわけねぇ
 
  と内心ニンマリとした







この「いもや」さんは 昭和20年開業で「青い麦」さんと同じであり
ママさんは二代目であるそうだ







定食屋さん兼飲み屋さんのメニュー






テレビの下のほうの入れ物には昔からの思い出品が
ぎっしりと詰まっている

きっとガラス戸を開けたら昭和の香りが
ぶは~~~っと出てくるんだろうなぁ







はげまるは二杯目のウィスキーの水割りと お浸しをたのんだ
そのお浸しさん

なんだ  おら~ 猫ではねぇんだぞ

カツオ節で下が見えないぞ






そんなこんなで食べていたら下からお浸しさんが出てきた

う~~ん  なかなかのんびりして
 
   いいではないか。



さも次郎さんからのコメントです

  「芋やさん 昔本当に焼き芋売ってたんですよ。」

ひゃ~  本物の芋屋さんだったんだ