真夜中にでもなれば飲み屋のネオンが怪しく輝いていた本牧通りも
今は昔の感であり 輝くネオンもほとんど見られない
はげまるの頭ノミ どんどんと怪しく光輝いてはいるがね
もちろん昼間の景色もどんどんと激変していて
下町の感じがあった小さい店がどんどんとマンション化されたりしている
この写真の右側に写りこんでいるマンションには
はげまるがよく食べに行った「本牧ラーメン」があった
店の名前が「本牧ラーメン」なのかはよく知らないが
とにかくラーメン500円と手造りお稲荷さんがご機嫌にうまかった
ここでよんぼうさんから
<喜久恵さんではないですか>
とコメントがありました
テナ事で「喜久恵」さん
ラーメンは昔ながら支那ソバでチャーシューの変わりにハムが乗っかっていた
当時500円のラーメンでハムとは珍しかったが
とにかくコクのある醤油スープがご機嫌であった
がっぴ~~~ん
(かなり古いな)
少し前に撮った写真であります
今回は都はるみさん
ぁさよぅなら~~ぁさょ~ぅなら~ぁ げんきで~い~ぃてぇ~ねぇ
あ それそれ
その横にあった 細いカゥンターのみのコーヒー屋さん
「アンデルセン」
(☆☆☆さんが撮ったフィルム写真であります)
店の名前は子供童話の「アンデルセン」であったが
店主はかなり高齢なお方であった
したがって客層はじじぃ専門店
暇なじじぃが集まり愚痴を言い合う憩いの場
加齢臭がぷんぷん溢れるたまらない店であった
はげまるがまだ40歳代の頃にですね
ど~してこのじじぃの巣窟に出入りしていたか
う~~ん いまだにわからないが
じじぃになるための心構えを体で学んでいたのかもなぁ
(あほ)
この「アンデルセン」さん
現在は韓国の惣菜店となってしまっている
たぶんその頃のじじぃさん達があの世に旅立ったから
店が暇になって閉めたのかもしれない
この「本牧ラーメン」の外に取り付けられたビニールの宣伝板
あ~これも取り壊すのだろうな
まだ健在であった
しっかりと健在であった
う~~ん しぶとく生き抜いている
ど~か はげまる同様 いつまでもしぶとく生き抜いてね
ちなみにこの新しいマンションの名前は「本牧ラーメン」という名前であった
大きなウソである
ここで本牧通りのYOUさんからの情報 1979年撮影写真です
凄いですね ほんと
いなり寿司 喜久恵 の看板が見えますね
本牧の裏通りにあった牛乳屋さん
かなり前から店は閉まっていたので
あ~そのうち壊されるのかなぁ
と思っていた
はいまたまた
ぁさよぅなら~~ぁさょ~ぅなら~ぁ げんきで~い~ぃてぇ~ねぇ
あ それそれ
お宝写真であります
今は無き本牧の「ベニス」「IG」と並びその一角をなしていた
「V・F・W」の奥のカゥンターでの写真 20年以上前のフィルム写真
うすらハゲのはげまるとその頃のピアノの生徒さん
(もう時効だな)
馬車道にあるコノ細長いビルは すごく古い
この中華屋さんの隣に
馬車道に昔からある洋食屋さん「ポニー」があった
はげまるが高校生の頃 コノ近くの「中川三郎ディスコテック」に
遊びに行った帰り道 よく横目でみなが通り過ぎた店である
横目で通り過ぎて その先にある「コーヒー屋」で
コーヒー50円(たぶん) ハンバーガー50円(チーズバーガーは60円)
で大満足していた頃の話である
その頃の「ポニー」さんは高値の花の店であった
ここで大好きな ハンバーグやら トンカツを食べたのは
それから10年以上も経過してからである
それからもたまに食べに行っていたのであるが
ここ10年は食べて無いなぁ
コンデジで食いモノ写真でも撮っておかないと店が無くなってしまうかもな~
なんて思っていた
ギクッ
ギクギク どきりんこ
あ~ やっちゃいました
ぁさよぅなら~~ぁさょ~ぅなら~ぁ げんきで~い~ぃてぇ~ねぇ
あ それそれ
(やけくそ)。