はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(186)    昭和20年開店 「青い麦」   曙町

2012-09-04 00:23:17 | 日記

さも次郎さんから
「曙町に 老舗バー「アポロ」より遥か古い店がある」
との情報をもらったので こりゃ~早く行かねばなるまい
なにしろそんな古いみせである いつなんどき閉まるかわからないのである


テナ事で早速散策してきました








夜8時ごろから 明け方までやっているという話である

鎌倉街道沿い 郵便局の前あたりにその「青い麦」さんが
しっかりありました






後で店の女店主さんに聞いたら 隣の中華屋さんは
この女店主さんが貸しているそうであった





女店主さんにインタビューしてみた

「青い麦」出来たのが昭和20年 戦後すぐである
このあたりに最初に出来たコンクリート二階建で
周りはすべて一階屋のバラックだったそうであり
二階の裏窓から焼け野原後に造られた飛行場が見えた
そうである 伊勢佐木町は飛行場であった

話には聞いていたのであるが 生の声
そう生き証人の話を聞いたのは初めてであった



サテここで さも次郎さんから届いた写真を載せますね
若葉空港だそうです

さも次郎さんのコメントです
<若葉空港は、日劇あたりから松喜屋裏の若葉町通りが滑走路だったそうです
(それで根岸家の入口は通りに面してないのか?)
小さいセスナ機が10機ほどで一日に三回位しか飛ばなかったみたいですね>







さらに女主人さんの話

店の前の郵便局の周りもバラックだらけで
その頃の郵便局は沢山の職員がいて毎日大忙し
お昼時にもなれば市から発行された食券を持って食べに来て
大忙しだったそうである

う~ん 食券とは流石終戦後すぐの話である







「青い麦」の手書きの字がなんとも言えないくらい
怪しさをかもしだしている

こりゃ~「怪しい麦」だなぁ 
 






近づいてみる
時間は深夜0時頃である

あとで判明したのであるが この入り口の左側に昔は階段があったそうです






食べ物のウィンドー






ステーキやらトンカツ えびフリャ~ なんかが見える
明け方までやっているレストランみたいである






さて 「青い麦」さん
中に入ってみる事にする






テーブルの左側に よっこらしょと座った
右隣のテーブルには半はげのおじさんがうつ伏して寝ていて
奥のテーブルにはおじさんと女性
この女性も最後までうつ伏して寝ていた


はげまるよりはるか年上の女店主さんが
(そりゃそうである昭和20年当時から店主だったのである)

「あの~ 食べ物は無いよ」
はげまる
「はい じゃ~ ウィスキーの水割り」
女店主
「ウィスキーは無いよ」

う~~いったい何があるのかなぁ

馬のションベンかなぁ

女店主
「焼酎でよかったらあるよ」

テナ事で出てきたのは 氷も入ってない凄く濃い鏡月の水割り

流石だ

ツマミで柿の種とピーナツが少々


あとで少しずつ話を聞いたみたら 御主人が亡くなってからは
レストランのメニューはほとんど出してないそうである


流石X流石= ど~にでもしゃがれ流石


いつからレストランのメニュー出してないのか
いつ御主人が亡くなったのかは 
初回であり聞きそびれてしまった
今度裏を返した時にでも聞いてみる事にする
(遊郭じゃ~ねえぞ)

もしかしたら早い時間はコックさんがいたりするのかもなぁ






お客さんで唯一起きていた人が
「ど~ このメニュー書き いいでしょ~」と指を指す

う~~ん  全部出してないメニュー書きであるが
う~~ん   なんかいいなぁ






左壁にあるメニュー欄の下のほうがお札で隠されていて
値段がほとんど見えない


流石だ

その上のコカコーラの看板は昭和店が出来てまもなく飾ったモノ
そう お宝看板である






はい お宝看板です







はげまるのテーブル横にある古い写真





本牧飛行場の写真

ひゃ~ぁ  本牧にも飛行場があったんだ






吉田橋 昭和27年と書いてある







これも吉田橋 昭和27年






歴史が刻み込まれた天井





スプリンクラーみたいである






これは後から付けたのかなぁ なんて思いながら

二杯目の鏡月の水割りを注文した
どうやら右隣のテーブルには半はげのおじさんも目がさめたみたいである。
コメント (13)
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