さも次郎さんから
「曙町に 老舗バー「アポロ」より遥か古い店がある」
との情報をもらったので こりゃ~早く行かねばなるまい
なにしろそんな古いみせである いつなんどき閉まるかわからないのである
テナ事で早速散策してきました
夜8時ごろから 明け方までやっているという話である
鎌倉街道沿い 郵便局の前あたりにその「青い麦」さんが
しっかりありました
後で店の女店主さんに聞いたら 隣の中華屋さんは
この女店主さんが貸しているそうであった
女店主さんにインタビューしてみた
「青い麦」出来たのが昭和20年 戦後すぐである
このあたりに最初に出来たコンクリート二階建で
周りはすべて一階屋のバラックだったそうであり
二階の裏窓から焼け野原後に造られた飛行場が見えた
そうである 伊勢佐木町は飛行場であった
話には聞いていたのであるが 生の声
そう生き証人の話を聞いたのは初めてであった
サテここで さも次郎さんから届いた写真を載せますね
若葉空港だそうです
さも次郎さんのコメントです
<若葉空港は、日劇あたりから松喜屋裏の若葉町通りが滑走路だったそうです
(それで根岸家の入口は通りに面してないのか?)
小さいセスナ機が10機ほどで一日に三回位しか飛ばなかったみたいですね>
さらに女主人さんの話
店の前の郵便局の周りもバラックだらけで
その頃の郵便局は沢山の職員がいて毎日大忙し
お昼時にもなれば市から発行された食券を持って食べに来て
大忙しだったそうである
う~ん 食券とは流石終戦後すぐの話である
「青い麦」の手書きの字がなんとも言えないくらい
怪しさをかもしだしている
こりゃ~「怪しい麦」だなぁ
近づいてみる
時間は深夜0時頃である
あとで判明したのであるが この入り口の左側に昔は階段があったそうです
食べ物のウィンドー
ステーキやらトンカツ えびフリャ~ なんかが見える
明け方までやっているレストランみたいである
さて 「青い麦」さん
中に入ってみる事にする
テーブルの左側に よっこらしょと座った
右隣のテーブルには半はげのおじさんがうつ伏して寝ていて
奥のテーブルにはおじさんと女性
この女性も最後までうつ伏して寝ていた
はげまるよりはるか年上の女店主さんが
(そりゃそうである昭和20年当時から店主だったのである)
「あの~ 食べ物は無いよ」
はげまる
「はい じゃ~ ウィスキーの水割り」
女店主
「ウィスキーは無いよ」
う~~いったい何があるのかなぁ
馬のションベンかなぁ
女店主
「焼酎でよかったらあるよ」
テナ事で出てきたのは 氷も入ってない凄く濃い鏡月の水割り
流石だ
ツマミで柿の種とピーナツが少々
あとで少しずつ話を聞いたみたら 御主人が亡くなってからは
レストランのメニューはほとんど出してないそうである
流石X流石= ど~にでもしゃがれ流石
いつからレストランのメニュー出してないのか
いつ御主人が亡くなったのかは
初回であり聞きそびれてしまった
今度裏を返した時にでも聞いてみる事にする
(遊郭じゃ~ねえぞ)
もしかしたら早い時間はコックさんがいたりするのかもなぁ
お客さんで唯一起きていた人が
「ど~ このメニュー書き いいでしょ~」と指を指す
う~~ん 全部出してないメニュー書きであるが
う~~ん なんかいいなぁ
左壁にあるメニュー欄の下のほうがお札で隠されていて
値段がほとんど見えない
流石だ
その上のコカコーラの看板は昭和店が出来てまもなく飾ったモノ
そう お宝看板である
はい お宝看板です
はげまるのテーブル横にある古い写真
本牧飛行場の写真
ひゃ~ぁ 本牧にも飛行場があったんだ
吉田橋 昭和27年と書いてある
これも吉田橋 昭和27年
歴史が刻み込まれた天井
スプリンクラーみたいである
これは後から付けたのかなぁ なんて思いながら
二杯目の鏡月の水割りを注文した
どうやら右隣のテーブルには半はげのおじさんも目がさめたみたいである。