はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(174)    「岩亀横丁」

2012-07-15 03:13:13 | 日記



雪見橋の交差点を左に入ると「岩亀横丁」がある
この雪見橋あたりはその昔川が流れていたのである






コノ写真は 桜川新道の昔の姿 そうなんです
 (異国情緒あふれる港町  横浜(69)
    桜木町デパート と 横浜エイトセンター参照)


桜木町駅から横浜に通ずる国道16号線と平行に流れていた桜川
それを埋め立てている頃の写真であります

<資料① 
1952年になるとドブ臭い桜川の埋め立てが始まり、
露店小屋の飲食店は撤去され、中区役所裏の2階建ての建物に集められた>






この「岩亀横丁」はその昔は大変賑わったそうであります


<参考資料
 横浜港開港とともに、安政6年に幕府によって設けられた外国人相手の遊郭
「岩亀楼」で働く遊女の為の保養所がここにあった
 その敷地内に、心の寄りどころとして祀られたものが現在に残る
 「みなとみらい21」が出来るまで「横浜ドック」と呼ばれた造船所や工場があり、
 このエリアは相当な賑わいを見せた。>


ふ~~ん  







平日の夕方4時ごろ どこの商店街と同じ
その昔の賑やかさは遥か彼方という感じである









きっと昔は木造商店が軒を並べていたのであろう
現在は寂しい感じのビルが並んでいたりする






その中でも昭和の建物も少しは垣間見れる






う~ん推測ではあるが 昭和20年代後半~30年代前半に
建てられたのではではないかいな






渋い酒屋さん
二度目に覗いたら かなり高齢のおじさんが奥の椅子に座っていた





隣のお惣菜屋さん






二階の造りはほんと昭和である










おじさんが立っている
おじさん カメラを持ったはげまるに話しかけてきた
おじさんは暇をこいでいるみたいで その昔の「岩亀横丁」の
話を沢山話してくれた
こちらはインタビューのプロである ねほりはほりと聞いたら

「昔は もう昼間から人通りがあってね  そう賑わっていたの
銭湯もこの通りに二軒もあったよ
今はあそこの「松島湯」しか残ってないんだよ」

えんえんと話が続きそうなので
適当にお茶を濁して お礼をいい写真に写りこんでいる
パン屋さんに入ったのである






前に銭湯散策の時このご近所の銭湯「松島湯」
(昭和23年築 はげまると同年代)
に行った時 このパン屋さんでパンを買っていて
その時に聞いたところの戦前からあるのであるが
この鉄筋ビルに立て替えたのが昭和33年だそうである






今回もお土産でパンを5~6個買ってみた

買ったジャムパンをひとつ歩きながら食べてみた

  子供の頃食べたジャムパン 遥か彼方の昭和の味がした






そのパン屋さんの横顔








パン屋さんの真向かいにある「みなとや食堂」

ここには4~5年前の銭湯散策の時に入った事がある
カツ定食を食べて安くて美味かった記憶が残っている






タクシーの運転手さんがその時 二人 ここで食べていた
きっと隠れた名店食堂なのは間違いないのである






裏道あたり



















あれ?  なんか山に上がれそうな感じだなぁ






近づいてみる







「掃部山公園」(かもん)山と書いてある

へ~  知らなかったなぁ
花見で何度も来ているが ここからも入れるなんて
コノ名前の由来は

「井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼」
井伊直弼に因んで「掃部山」と呼ぶようになったのであるぞぇ

散策はホント歴史の勉強にもなるなぁ






アジサイが見ごろである














また「岩亀横丁」に戻ってみる







岩亀稲荷さん







お見事なお姿 昭和A級だな







「岩亀横丁」の出口あたり






「岩亀横丁」のもと来た道を歩いて行くと
次回散策する 市民酒場「常盤木」さんが見える

さ~~てと  中に入ってみる事にしますか

はげまるは るんるんるんるんと ステップを踏みながら
歩いていった。

  (つづく)
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6 コメント

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豆腐屋さん (ばんど)
2012-07-15 08:38:01
傾いた標識が豆腐屋さんが倒れないように支えるつっかえ棒みたいに見えます。

掃部山公園。小学校がすぐ近くだったので歴史の授業を園内にある掃部の守像の前でやったことがあります。(開港や幕末、維新について)まだ不細工なみなとみらいの建物は殆どなく見晴らしが良かった記憶があります。

みなとや食堂さん。常盤木さんがいっぱいで入れなかったときに代わりに入り呑みました。とても安かったのですが閉店時間も早かったです。
常盤木さん。去年、友人がけいゆう病院に入院してた間に見舞いの帰り よく寄りました。仕入れ関係で横浜橋によく来られるとのことで話を御主人と交わしました。ネギチャーシューで呑むのが好きでした。
返信する
みなとや食堂さん常盤木さん  ^^ (はげまる)
2012-07-15 11:30:56
ばんどさん


>傾いた標識が豆腐屋さんが倒れないように支えるつっかえ棒みたいに見えます


ホント  面白い感じですね  気がつきませんでしたよ

>小学校がすぐ近くだったので歴史の授業を園内にある掃部の守像の前でやったことがあります



地元の人は凄いですね うらやましい

 もっとも30年ぐらい前に掃部山公園あたりの坂道から夜に日本丸を撮った時はMM地区なんぞは無くて
風情がありましたね

みなとや食堂さん常盤木さん  いいですね
また行きたくなりました^^ 
返信する
やはり… (パインあめ)
2012-07-15 14:51:20
市民酒場の〆はやはり「常盤木」さんでしたか!
なんかいつも混んでいるようなので、まだ未訪です。

「岩亀横丁」の辺りは、何となくの散策1度きりでした。
なかなかイイ感じですねえ、今度ゆっくり歩いてみたいと思います。

師匠の次回の「常盤木」リポート、楽しみです。
返信する
お楽しみ~ (はげまる)
2012-07-15 17:31:48
パインあめさん

はい その通り「常盤木」さんですよ^^
 お楽しみ~  ですかね
返信する
掃部山・・・ (よんぼう)
2012-07-16 11:10:16
その昔、父に聞いた事があるのですが、当時野毛や横浜駅には何件かの料亭があり、それは賑っていたそうです。

今でも残っている、台町の田中屋さん南幸のあいちやさん等、名店が幾つも有ったそうです。

そこの芸者さんを手配していたのが、岩亀横丁の数件の置屋さんだったそうです。

当時、掃部山芸者は一クラス上だったそうです。
花代が普通¥100位だった頃、掃部山芸者は
数倍はしたそうです。

ちなみに、花代とは40分の芸者代で父の遊んだ頃は、お線香代と言ったそうです。
(お線香が1本燃え尽きるのに40分かかったそうです)

はげまるさんのブログを見て、亡き父との他愛無い会話を思い出しました。

やはり、横浜には教科書や市資料に載っていない部分の語り部がいてほしいですね。

もちろんはげまるさんもその一人です。
返信する
大隕石 (はげまる)
2012-07-16 14:06:20
よんぼうさん


ど~もです

いつも貴重な情報ありがとうございます

親父さん 流石X流石=大隕石(なんなんだ)
感動いたしました


その昔現役で経験してきた大先輩達の語りは
凄いですね
本文に加筆させていただきます
ありがとうございました
返信する

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