野毛の「無頼船」店主のジローさんとの
ヘロヘレ会話の続編であります
話は前回の後半あたりから
そのまま載せて話を進めて行く事にする
例によって
この記事の内容、歴史的考察検証確認等は、
全てインターネット関係から探したものであり
付随してくる会話等もいい加減に書いている
テナ事で
寝っ転がって鼻毛でも抜きながら読んでください
くれぐれもマジに読まないでチョーだいな
はじまりはじまり~
店が暇だったせいで、
ふたりのくだらない楽しい話しに花が咲く
ジローさんが二杯目の日本酒を呑むあたりになると
話がおもしろくなってくる
「はげまるさん 京急井土ヶ谷駅近くに
すごく楽しい店がありますよ~
キャンディーズとかいろんな和物の映像やら
60年代の音楽もたくさん流れていて
とにかく変わった店主でさ~」
はげまる
「ふ~ん ジローさんが変わっていると言うからには
かなりすっげ~だろうねぇ~」
ジローさんによると
鎌倉街道の一本裏道あたりにあり
その昔「春風座」と言う
ストリップ劇場があったあたりだそうだ
はげまる
「あ~~ 「春風座」 ね
知ってる知ってる
空中ゴンドラがあったストリップ劇場だ」
(知ってるはげまるもすごい)
店の名前を聞いてみたら
「なんだらかんだら」って店だそうだ、
よく行っているみたいであるが
名前が出てこないみたいであり
あ~ こりゃ~ はげまると同じ
脳が傷んでいるみたいで
凄く嬉しくなってしまった
ジローさんはこのあたりが地元みたいで
「はげまるさん、
ストリップと言えば蒔田に、その昔
なんだらかんだらセントラルて名前の
ストリップ劇場があってね、
有名な喜劇役者のなんだらかんだらさんの話によると、
トイレ付近に一升瓶のヒロポンが、
上から逆さに吊るされていて、
先端に注射器がぶら下がっていて
びっくりしたみたいですよ」
はげまる
「ひゃ~~ すごいですねぇ」
そう言えば、つい最近まであったストリップの
黄金劇場もその昔、
ヒロポン用の注射器が上からぶら下がっていた
と言う確かな情報もあるしね
(さも次郎さんからの確かな情報です)
少ししたらエディ藩さんが東京での
仕事の打ち合わせを終えて
はげまると飲む事にになり
エディ藩(バン)さんが店に入ってきた
ジローさん
「あ~ さっきの喜劇役者
バン バン バン ばんじゅんだ
(伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう)
ここからが今回のお話であります
ヒロポンの話がでたので
調てみる事にした

ひぇーーー
昔の雑誌に載っていた宣伝みたいである
ヒロポン錠の文字の上あたりには
除捲覚醒剤 とかいてあるぞ~
今話題になっている清原さんが
どえりゃ~ことになっておる
覚醒剤の字が見える
<ここで参考資料>
第2次大戦以前から、
『除倦覚醒剤』として製造され、
戦時中は主に特攻隊などで
『ヒロポン』と名を変え使用していました。
終戦後に軍の備蓄品が一気に市場に流れ、
法の規制も無かったので
芸能人・作家・青少年を中心に広まりました。
一時、国内の中毒患者数は50万人を超え
社会問題になったそうです。
1951年に覚せい剤取締法が施行されています。

どっぴーゃ
今思い出してみると、
はげまるが学生時代,
バンドのアルバイトをしている頃、
先輩のバントマンの人達は
ハイミナールという睡眠薬系で
ラリる人が沢山いたが
話によると終戦直後の昔のバンドマンは
ヒロポンが主流だったそうである
みなさんポン中(ヒロポン中毒)と呼んでいた
ジローさん
「ヒロポンはねぇ~
人に聞いた話だけどねぇ~
ピロっと打つと ポ~ンと後ろに倒れるくらいに
効いたそうですよ~」
これをはげまるの目の前でジローさんが実演した

流石の流石の大流石
さてさて話がどんどん佳境に入ってきたぞ~
どんな形の瓶で販売されていたのか調べてみた

現物なんど見たことないが
これは錠剤のヒロポン錠500錠入りのビンである
どれ位の大きさのビンであるのか調べてみた

前の画像と同じ500錠入りの
ヒロポンかどうか分からないが
これは手のひらに
軽く収まってしまうほどの小瓶である
ヒロポンの液体瓶とかアンプルとか
一升瓶入りの写真なんか見てみたいものである

酒屋のおじさん風の写真である
ご機嫌なヒロポンの前掛けだなぁ~
目がギンギラギンに決まっている
ポン中のおじさんが
この写真のおじさんに
「ヒッヒッヒッ(笑いながら)
ヒヒヒヒ ヒロポンの一升瓶くれ~」
写真のおじさんが無表情で
「へ~~い
ほれ~~ おまちどー 」
と木のテーブルの上にドンと置く
(フィクションであります)
ありそうな話であるな。
ヘロヘレ会話の続編であります
話は前回の後半あたりから
そのまま載せて話を進めて行く事にする
例によって
この記事の内容、歴史的考察検証確認等は、
全てインターネット関係から探したものであり
付随してくる会話等もいい加減に書いている
テナ事で
寝っ転がって鼻毛でも抜きながら読んでください
くれぐれもマジに読まないでチョーだいな
はじまりはじまり~
店が暇だったせいで、
ふたりのくだらない楽しい話しに花が咲く
ジローさんが二杯目の日本酒を呑むあたりになると
話がおもしろくなってくる
「はげまるさん 京急井土ヶ谷駅近くに
すごく楽しい店がありますよ~
キャンディーズとかいろんな和物の映像やら
60年代の音楽もたくさん流れていて
とにかく変わった店主でさ~」
はげまる
「ふ~ん ジローさんが変わっていると言うからには
かなりすっげ~だろうねぇ~」
ジローさんによると
鎌倉街道の一本裏道あたりにあり
その昔「春風座」と言う
ストリップ劇場があったあたりだそうだ
はげまる
「あ~~ 「春風座」 ね
知ってる知ってる
空中ゴンドラがあったストリップ劇場だ」
(知ってるはげまるもすごい)
店の名前を聞いてみたら
「なんだらかんだら」って店だそうだ、
よく行っているみたいであるが
名前が出てこないみたいであり
あ~ こりゃ~ はげまると同じ
脳が傷んでいるみたいで
凄く嬉しくなってしまった
ジローさんはこのあたりが地元みたいで
「はげまるさん、
ストリップと言えば蒔田に、その昔
なんだらかんだらセントラルて名前の
ストリップ劇場があってね、
有名な喜劇役者のなんだらかんだらさんの話によると、
トイレ付近に一升瓶のヒロポンが、
上から逆さに吊るされていて、
先端に注射器がぶら下がっていて
びっくりしたみたいですよ」
はげまる
「ひゃ~~ すごいですねぇ」
そう言えば、つい最近まであったストリップの
黄金劇場もその昔、
ヒロポン用の注射器が上からぶら下がっていた
と言う確かな情報もあるしね
(さも次郎さんからの確かな情報です)
少ししたらエディ藩さんが東京での
仕事の打ち合わせを終えて
はげまると飲む事にになり
エディ藩(バン)さんが店に入ってきた
ジローさん
「あ~ さっきの喜劇役者
バン バン バン ばんじゅんだ
(伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう)
ここからが今回のお話であります
ヒロポンの話がでたので
調てみる事にした

ひぇーーー
昔の雑誌に載っていた宣伝みたいである
ヒロポン錠の文字の上あたりには
除捲覚醒剤 とかいてあるぞ~
今話題になっている清原さんが
どえりゃ~ことになっておる
覚醒剤の字が見える
<ここで参考資料>
第2次大戦以前から、
『除倦覚醒剤』として製造され、
戦時中は主に特攻隊などで
『ヒロポン』と名を変え使用していました。
終戦後に軍の備蓄品が一気に市場に流れ、
法の規制も無かったので
芸能人・作家・青少年を中心に広まりました。
一時、国内の中毒患者数は50万人を超え
社会問題になったそうです。
1951年に覚せい剤取締法が施行されています。

どっぴーゃ
今思い出してみると、
はげまるが学生時代,
バンドのアルバイトをしている頃、
先輩のバントマンの人達は
ハイミナールという睡眠薬系で
ラリる人が沢山いたが
話によると終戦直後の昔のバンドマンは
ヒロポンが主流だったそうである
みなさんポン中(ヒロポン中毒)と呼んでいた
ジローさん
「ヒロポンはねぇ~
人に聞いた話だけどねぇ~
ピロっと打つと ポ~ンと後ろに倒れるくらいに
効いたそうですよ~」
これをはげまるの目の前でジローさんが実演した

流石の流石の大流石
さてさて話がどんどん佳境に入ってきたぞ~
どんな形の瓶で販売されていたのか調べてみた

現物なんど見たことないが
これは錠剤のヒロポン錠500錠入りのビンである
どれ位の大きさのビンであるのか調べてみた

前の画像と同じ500錠入りの
ヒロポンかどうか分からないが
これは手のひらに
軽く収まってしまうほどの小瓶である
ヒロポンの液体瓶とかアンプルとか
一升瓶入りの写真なんか見てみたいものである

酒屋のおじさん風の写真である
ご機嫌なヒロポンの前掛けだなぁ~
目がギンギラギンに決まっている
ポン中のおじさんが
この写真のおじさんに
「ヒッヒッヒッ(笑いながら)
ヒヒヒヒ ヒロポンの一升瓶くれ~」
写真のおじさんが無表情で
「へ~~い
ほれ~~ おまちどー 」
と木のテーブルの上にドンと置く
(フィクションであります)
ありそうな話であるな。