GS時代(3)ではチャン街(中華街)「レッド・シューズ」を書き
GS時代(1)では馬車道にあった伝説の「中川三郎ディスコティック」
GS時代(2)では弁天通りにある「サリーズバー」をかいた
今回は GS時代(4) 「横須賀EMクラブ」であります
まずは1990年5月30日の新聞から
じゃじゃじゃ~ん

まずは新聞の見出しから
「元米兵娯楽場「EMクラブ」 スカの戦後がまたひとつ
米国文化の窓 ジャズメン登竜門 思い出残し解体」
「スカの戦後」の言葉がすごくいいなぁ

詳しく知りたかったので、先日図書館で借りてきた
川崎 洋 氏の著作「EMクラブ物語」
の本を参考にしながら話しを進めて行く事にする

まずは本の中からの抜粋を書いてみる
本館は鉄筋コンクリート三階建塔屋部分六階建
のべ8000平方メートル 1938年竣工
劇場は同じく三階建延べ3000平方メートル
1933年竣工
1945年の敗戦までは旧日本海軍の下士官、兵集会所であったが
米軍に接収されてEMクラブと名称が変わった
本によると最盛期には650人の日本人従業員が働いていた
建物に入ると
中華レストラン ピザ専門店 スキヤキ店 大食堂
ダンスホール バー ビャホール
スロットマシン遊戯場 ボーリング場 卓球場
ボケシングジム PX (無税で買い物が出来る場所)
図書館 銀行 宴会場
スナック カクテルラウンジ
サンルーム テニスコート
書いているだけで疲れてしまった
まぁ 兵隊さん総合娯楽遊戯場という感じである
EMクラブは下士官や米水兵達、そして、それら目当ての
日本人女性達で溢れかえっていたそうである
(日本人女性は水兵と一緒だと中に入れた)

EMクラブに出演していた日本人ジャズメンの名前を
見ていたら戦後の有名ジャスメン大集合て感じである
後々、ポピュラー歌手として有名になった
江利チエミ 雪村いずみ ペギー葉山さんなんかの
名前も見れる
みなさんジャズを歌っていたのである
はげまるとほぼ同世代の伊東ゆかりさん(1947年生まれ)
なんかも小学生の頃から出演していて
台の上に登って歌っていたそうである
すっげー なあ
はげまるは中学生時代から、ゆかりちゃんの大ファンで
洋楽を歌っても、歌謡曲調ポップスを歌っても
ご機嫌にうまかったなぁ
名曲 「小指の想いで」 なんて
聞いていて血がうずいたものである
一番目の歌詞
あなたが~噛んだ 小指が~痛い
ばっきゃろ~ 誰がゆかりちゃんの小指噛んだんだ~
二番目の歌詞
あなたが~噛んだ 小指が~燃える
くゃ~し~い 誰がゆかりちゃんを燃えさせたんでぃ
三番目の歌詞 あなたが~噛んだ 小指が~うずく
ひゃーーー パタリ
(倒れこんだ音)
これはウソです 三番目の歌詞は
あなたが~噛んだ 小指が~好きよ
ほらね
どんどん脱線していくでしょ
困ったものである
とににもかくにも
川崎 洋 氏の著作「EMクラブ物語」は
このあたりの有名ミュージシャンの思い出話や
写真も多々載っているので
歴史本としても素晴らしい本であるので
興味がある人は是非読んでみるといい

アメリカの超有名な歌手やジャズメンも多々
この舞台で演奏したなんて、
今考えると夢みたいな話しである

みなはん
驚かないでちょうだいね
実は、はげまるが10代の後半にこの
のディスコでベースと歌で2度ほど演奏している
(まだベトナム戦争が激しい時代の話しである)
この辺りの懐かしい話は次回以降に詳し書く事にする

この写真はそのディスコ場の天井に飾られていた
シャンデリァを
そのまま横須賀のなんだらかんだらで
そのまま保存する工事の時の写真
興味がある人は自分で探して見てきてね

ネットで拾ったその当時のEMクラブの写真
建物がグリーン色であった事を鮮明に記憶している
バントの楽器車は6階建ての細長いビル横から
パスを見せて中に入った

鈴木仁喜氏撮影「EMクラブ物語」から
EMクラブの入り口の写真

横須賀市広報課提供
1945年終戦直後のEMクラブの中庭
「EMクラブ物語」から

高橋亜彌子氏撮影 「EMクラブ物語」の中に載っていた
廃墟となってしまったEMクラブの写真の中の一枚
EMクラブが全盛期の頃に作られた映画「豚と軍艦」を見ると
米兵さん相手の娼婦さんの話なんかが沢山出てきて
その時代を知る上でも一級の映画であると思う
とにかく「EMクラブ」の中に米兵さんと一緒に入れば
当時ではなかなか手に入らなかった酒、タバコはもちろん
チョコレートからハンバーガー、音楽
何から何まで手に入った時代であったそうである

2009年の夏頃、ドブ板の外人バーで飲んでいたら
なにやら外が騒がしいので外に出てみたら
テレビの撮影であった
昔のドブ板時代の頃の撮影みたいである
水兵さんは終戦当時の制服姿
日本人女性も当時のスタイル風である
昔のドブ板通りは、きっとこんな感じのカップルで
溢れかえっていたんだろうなぁ

モデルさん 撮影の中での休憩タイムみたいである
ぱちり とシャッターを切る(デジカメだけどね)
なんか遥か彼方のその時代に一瞬戻った感じがした。
GS時代(1)では馬車道にあった伝説の「中川三郎ディスコティック」
GS時代(2)では弁天通りにある「サリーズバー」をかいた
今回は GS時代(4) 「横須賀EMクラブ」であります
まずは1990年5月30日の新聞から
じゃじゃじゃ~ん

まずは新聞の見出しから
「元米兵娯楽場「EMクラブ」 スカの戦後がまたひとつ
米国文化の窓 ジャズメン登竜門 思い出残し解体」
「スカの戦後」の言葉がすごくいいなぁ

詳しく知りたかったので、先日図書館で借りてきた
川崎 洋 氏の著作「EMクラブ物語」
の本を参考にしながら話しを進めて行く事にする

まずは本の中からの抜粋を書いてみる
本館は鉄筋コンクリート三階建塔屋部分六階建
のべ8000平方メートル 1938年竣工
劇場は同じく三階建延べ3000平方メートル
1933年竣工
1945年の敗戦までは旧日本海軍の下士官、兵集会所であったが
米軍に接収されてEMクラブと名称が変わった
本によると最盛期には650人の日本人従業員が働いていた
建物に入ると
中華レストラン ピザ専門店 スキヤキ店 大食堂
ダンスホール バー ビャホール
スロットマシン遊戯場 ボーリング場 卓球場
ボケシングジム PX (無税で買い物が出来る場所)
図書館 銀行 宴会場
スナック カクテルラウンジ
サンルーム テニスコート
書いているだけで疲れてしまった
まぁ 兵隊さん総合娯楽遊戯場という感じである
EMクラブは下士官や米水兵達、そして、それら目当ての
日本人女性達で溢れかえっていたそうである
(日本人女性は水兵と一緒だと中に入れた)

EMクラブに出演していた日本人ジャズメンの名前を
見ていたら戦後の有名ジャスメン大集合て感じである
後々、ポピュラー歌手として有名になった
江利チエミ 雪村いずみ ペギー葉山さんなんかの
名前も見れる
みなさんジャズを歌っていたのである
はげまるとほぼ同世代の伊東ゆかりさん(1947年生まれ)
なんかも小学生の頃から出演していて
台の上に登って歌っていたそうである
すっげー なあ
はげまるは中学生時代から、ゆかりちゃんの大ファンで
洋楽を歌っても、歌謡曲調ポップスを歌っても
ご機嫌にうまかったなぁ
名曲 「小指の想いで」 なんて
聞いていて血がうずいたものである
一番目の歌詞
あなたが~噛んだ 小指が~痛い
ばっきゃろ~ 誰がゆかりちゃんの小指噛んだんだ~
二番目の歌詞
あなたが~噛んだ 小指が~燃える
くゃ~し~い 誰がゆかりちゃんを燃えさせたんでぃ
三番目の歌詞 あなたが~噛んだ 小指が~うずく
ひゃーーー パタリ
(倒れこんだ音)
これはウソです 三番目の歌詞は
あなたが~噛んだ 小指が~好きよ
ほらね
どんどん脱線していくでしょ
困ったものである
とににもかくにも
川崎 洋 氏の著作「EMクラブ物語」は
このあたりの有名ミュージシャンの思い出話や
写真も多々載っているので
歴史本としても素晴らしい本であるので
興味がある人は是非読んでみるといい

アメリカの超有名な歌手やジャズメンも多々
この舞台で演奏したなんて、
今考えると夢みたいな話しである

みなはん
驚かないでちょうだいね
実は、はげまるが10代の後半にこの
のディスコでベースと歌で2度ほど演奏している
(まだベトナム戦争が激しい時代の話しである)
この辺りの懐かしい話は次回以降に詳し書く事にする

この写真はそのディスコ場の天井に飾られていた
シャンデリァを
そのまま横須賀のなんだらかんだらで
そのまま保存する工事の時の写真
興味がある人は自分で探して見てきてね

ネットで拾ったその当時のEMクラブの写真
建物がグリーン色であった事を鮮明に記憶している
バントの楽器車は6階建ての細長いビル横から
パスを見せて中に入った

鈴木仁喜氏撮影「EMクラブ物語」から
EMクラブの入り口の写真

横須賀市広報課提供
1945年終戦直後のEMクラブの中庭
「EMクラブ物語」から

高橋亜彌子氏撮影 「EMクラブ物語」の中に載っていた
廃墟となってしまったEMクラブの写真の中の一枚
EMクラブが全盛期の頃に作られた映画「豚と軍艦」を見ると
米兵さん相手の娼婦さんの話なんかが沢山出てきて
その時代を知る上でも一級の映画であると思う
とにかく「EMクラブ」の中に米兵さんと一緒に入れば
当時ではなかなか手に入らなかった酒、タバコはもちろん
チョコレートからハンバーガー、音楽
何から何まで手に入った時代であったそうである

2009年の夏頃、ドブ板の外人バーで飲んでいたら
なにやら外が騒がしいので外に出てみたら
テレビの撮影であった
昔のドブ板時代の頃の撮影みたいである
水兵さんは終戦当時の制服姿
日本人女性も当時のスタイル風である
昔のドブ板通りは、きっとこんな感じのカップルで
溢れかえっていたんだろうなぁ

モデルさん 撮影の中での休憩タイムみたいである
ぱちり とシャッターを切る(デジカメだけどね)
なんか遥か彼方のその時代に一瞬戻った感じがした。