今回は なななんと 凄い写真であります
と書いても 横浜市外の人にとっては まるっきり「 なんだ~そりゃ~」
となる まして はげまるのカメラ仲間は ほとんど県外であり
東京はおろか 遠くは鹿児島 山口 はては樺太 (これはウソ)
まあ 横浜市の人でも 昔の遊び人しか分からない 世界の写真である
まあ このはげまるの日記は 横浜の渋いところ ノミ を書いているのである
もう完結したが はげまるの 横浜銭湯完全制覇にしても 常人のなせる技ではない
(仲間から お前は 異常で おかしい 変わり者と 言われている)
変わり者と言われて 「そんなの あたりまえ~ うれしい!」となる
そんな はげまるが書いているブログであるから みなさん くれぐれも
気楽に 寝ながら 鼻毛でも抜きながら 読んでくださいね
はげまるが若いころ そうそう40年ぐらい前から
周りの遊びの先輩達から
「ゼブラクラブ」 「ゼブラクラブ」 「ゼブラクラブ」
と念仏のように 噂を聞いていたはげまるであった
よく聞くと 「俺は行った事ないけど・・・」
「噂では 外人専門のクラブで 渋いバーがあって・・・うんぬん」
ようするに 日本人は入れない 米軍さん 米軍さん家族 のみ 入れるクラブであった
場所は 加賀町警察のソバにあって 今のロイヤルホテルのあたりみたいだ
(違っていたら ごめんなさい)
なんせ 写真が無い 手に入らない
はげまるは 一度お姿を拝見したいものだな~
と思っていたら 10数年前 写真のアルバイトで 写真の複写を頼まれた
横浜バーテンダー協会の 大イベントで スライドシヨーをやると言うのである
すべてポジフィルムに 写真から複写した
カクテル関係は カクテルの本から 無断複写した
その時 初めて はげまるは ゼブラクラブのお姿を 拝見したのだ
ほとんどが個人の持ち物写真であった
まあ 貴重な資料であって 本来なら その人に断りの連絡でもしたいのだが
なんせ 誰のモノか 分からないし どうせマイナーな はげまるのブログでもある
バレはしまい
今回見せます
ゼブラクラブ
はい これが ゼブラクラブです
日本人で中に入れるのは 店の従業員 バンド関係者 ノミ
もちろんIDカードが無いと入れなかった
はげまるの横浜銭湯散策の中の 「カメラ ぶら~り日記」のなかで
野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」を紹介したが
その ちぐさの店主 吉田 衛 さんの著書の中に書いてあったが
友達の日本人のバンドに混じって 中に入れてもらって 楽しい思いを沢山経験した
と書いているのが 思い起こされる
クラブの中です
外人ばかり 家族同伴 恋人同伴 仲間同志 わんさかわんさか
当時の 活気が伝わってくる
よく見ると バンドは全員 日本人である
ゼブラクラブの バーである
う~ん 白黒写真で色は分からないが どんな感じだったのかな~
あの椅子に座って 飲んでみたかったな~
思いは尽きない
実は 横浜で一番凄いバーテンダーの人 と言われる人が
若いころ ここで修業したのであり その人の写真(ゼブラクラブの中での仕事風景)
もあるのだが こればかりは 当人様の許可がないとな~
とあきらめる事と相成り候。
ここからは コノ はげまるの散策を見た人からの投稿であります
<偶然このブログを見つけました。
実は私の81才になる父が当時のゼブラクラブの従業員として働いていました。
このブログを見せたら、目を丸くして、懐かしがっていました。
その凄いバーテンダーの人にも大変お世話になった様です。>
Rockieさんからです
<1952~55/3末迄このクラブのバンドでベースを弾き学生アルバイトをしていました。
バンドは週の前半は栗原バンド(後のスマイリー小原)
土・日は富山バンド(一時期、CMにジミー原田氏が…)
場所は中華街入口善隣門近くの加賀町警察署のまん前、
記憶では横浜正金銀行のあった建物と聞いていた。3階建で1Fは不明、
2F厨房とバーとマネージャー室3Fがボールルーム、夏になると屋上で演奏。
懐かしくて興奮してます。>
N.Sawadaさんからです
ありがとうございました 情報に感謝しております。
と書いても 横浜市外の人にとっては まるっきり「 なんだ~そりゃ~」
となる まして はげまるのカメラ仲間は ほとんど県外であり
東京はおろか 遠くは鹿児島 山口 はては樺太 (これはウソ)
まあ 横浜市の人でも 昔の遊び人しか分からない 世界の写真である
まあ このはげまるの日記は 横浜の渋いところ ノミ を書いているのである
もう完結したが はげまるの 横浜銭湯完全制覇にしても 常人のなせる技ではない
(仲間から お前は 異常で おかしい 変わり者と 言われている)
変わり者と言われて 「そんなの あたりまえ~ うれしい!」となる
そんな はげまるが書いているブログであるから みなさん くれぐれも
気楽に 寝ながら 鼻毛でも抜きながら 読んでくださいね
はげまるが若いころ そうそう40年ぐらい前から
周りの遊びの先輩達から
「ゼブラクラブ」 「ゼブラクラブ」 「ゼブラクラブ」
と念仏のように 噂を聞いていたはげまるであった
よく聞くと 「俺は行った事ないけど・・・」
「噂では 外人専門のクラブで 渋いバーがあって・・・うんぬん」
ようするに 日本人は入れない 米軍さん 米軍さん家族 のみ 入れるクラブであった
場所は 加賀町警察のソバにあって 今のロイヤルホテルのあたりみたいだ
(違っていたら ごめんなさい)
なんせ 写真が無い 手に入らない
はげまるは 一度お姿を拝見したいものだな~
と思っていたら 10数年前 写真のアルバイトで 写真の複写を頼まれた
横浜バーテンダー協会の 大イベントで スライドシヨーをやると言うのである
すべてポジフィルムに 写真から複写した
カクテル関係は カクテルの本から 無断複写した
その時 初めて はげまるは ゼブラクラブのお姿を 拝見したのだ
ほとんどが個人の持ち物写真であった
まあ 貴重な資料であって 本来なら その人に断りの連絡でもしたいのだが
なんせ 誰のモノか 分からないし どうせマイナーな はげまるのブログでもある
バレはしまい
今回見せます
ゼブラクラブ
はい これが ゼブラクラブです
日本人で中に入れるのは 店の従業員 バンド関係者 ノミ
もちろんIDカードが無いと入れなかった
はげまるの横浜銭湯散策の中の 「カメラ ぶら~り日記」のなかで
野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」を紹介したが
その ちぐさの店主 吉田 衛 さんの著書の中に書いてあったが
友達の日本人のバンドに混じって 中に入れてもらって 楽しい思いを沢山経験した
と書いているのが 思い起こされる
クラブの中です
外人ばかり 家族同伴 恋人同伴 仲間同志 わんさかわんさか
当時の 活気が伝わってくる
よく見ると バンドは全員 日本人である
ゼブラクラブの バーである
う~ん 白黒写真で色は分からないが どんな感じだったのかな~
あの椅子に座って 飲んでみたかったな~
思いは尽きない
実は 横浜で一番凄いバーテンダーの人 と言われる人が
若いころ ここで修業したのであり その人の写真(ゼブラクラブの中での仕事風景)
もあるのだが こればかりは 当人様の許可がないとな~
とあきらめる事と相成り候。
ここからは コノ はげまるの散策を見た人からの投稿であります
<偶然このブログを見つけました。
実は私の81才になる父が当時のゼブラクラブの従業員として働いていました。
このブログを見せたら、目を丸くして、懐かしがっていました。
その凄いバーテンダーの人にも大変お世話になった様です。>
Rockieさんからです
<1952~55/3末迄このクラブのバンドでベースを弾き学生アルバイトをしていました。
バンドは週の前半は栗原バンド(後のスマイリー小原)
土・日は富山バンド(一時期、CMにジミー原田氏が…)
場所は中華街入口善隣門近くの加賀町警察署のまん前、
記憶では横浜正金銀行のあった建物と聞いていた。3階建で1Fは不明、
2F厨房とバーとマネージャー室3Fがボールルーム、夏になると屋上で演奏。
懐かしくて興奮してます。>
N.Sawadaさんからです
ありがとうございました 情報に感謝しております。
お父様に宜しくお伝えください
これからも異国情緒あふれる 横浜の記事と写真を載せますので (どんどん異国情緒は失せてきておりますが) また覗いてくださいね
ではまた
大先輩ですね はげまるが中華街のレッドスューズでベースを弾いていたのが 1969~70ぐらいですから もう驚きました
喜んでいただき うれしいです
貴重な情報ありがとうございます 本文に加筆させていただきますね
ありがとうございます