前回、鶴見線の国道駅下にある
「国道下」の話を書いたので
そのつながりで今回も鶴見のお話であります
昨年の暮れに岡山から☆☆☆さんが
横浜に出向いて来てくれた
☆☆☆さんはこちらに出てくると必ずはげまるに
散策の企画を立案するのが常であり
今回は藤沢に残る遊郭跡散策
そして今回の鶴見にあった入船遊郭跡散策である
藤沢の遊郭跡散策は
クソ忙しい年の瀬の12月30日に決行され
今回の入船遊郭跡散策はまだ正月気分が残る
今年の1月3日である
他人様からみたら
ほんとよくやるよな~~
なんてなるが
ふたりともど~にもとまらない
(山本リンダ)
はげまるは☆☆☆さんとJR鶴見駅の改札口で待ち合わせをして
歩いて入船遊郭跡の散策に向かった
鶴見線で行くとなると、国道駅の次の駅
鶴見小野駅で降りて行く事になるが
鶴見線の昼間の時間帯は電車の本数が
かなり少ないし、入船遊郭あたりまでなら
歩いても10分ぐらいである
ここでびっくりしないでちょーだいな
ぬぁんと、ぬぁんと、
(毎回出てくるフレーズである)
げまるが生まれた場所は
今回散策する入船遊郭跡の
入り口あたりなのだから
鼻歌気分で行けるのである
はい
はげまるが生まれあたりです、
このあたりに今でも、
はげまるの一つ年下の従妹が
暮らしている
もちろん、はげまると同じ名字である
はげまるはこの辺りで生まれたのであるが
3~4歳で川崎に引越ってしまったから
ほとんど記憶には残ってない
それでも小学生から中学生の頃は
ちょくちょく従妹の家へ遊びに行っていたので
その頃の記憶はかなり残っていて
この辺りの景色が昔とたいして変わってないのに
驚かされる
はなやぎ不動産の横路地あたりが
入船遊郭があった場所である
はなやぎ不動産、昔は果実店と紙屋さんだった
はなやぎ不動産の前の建物も昔のままであり
確か左側のお店が小さ靴屋さん
右側がお米屋さんであった記憶があるが
確かでは無い
左側にはマンションが建っている
このマンションの場所には立派な昭和銭湯があって
はげまるが小学生の頃はよく入ったものである
(後で銭湯散策の時に撮った写真見せますね)
入船遊郭跡の路地に入る前に
はなやぎ不動産の横あたりを歩いてみる
はげまるが完全脱毛したというのに
小学生の頃の景色とあまり変わってないぞ~
(自然完全脱毛)
くっそ~~~~~~
どんどんどんどん
(パソコンの机を叩いている音)
すげーなぁ
この本屋さんも当時の景色とまったく変わってない
中学生の頃、
このすし善さんの二階で新年会をやった記憶があるなぁ
この角のお店はお饅頭屋さんだった記憶があるが
確かではない
このあたりも昔と同じ感じである
はなやぎ不動産の横路地に入って行くと
このあたりが入船遊郭があった場所だそうだ
赤線が法律で廃止されたのは
昭和33年3月31日であり
はげまるが8歳の頃である
赤線なんか知ってるはずもないが、
これがひじょ~に
くゃしいなぁ
小学生の頃に見た景色と同じカタチの小さい店が並んでいる
真金町あたりに昔あった遊郭カフェ風の庇が
ここでも見られる
歩いて来た本通り方面を写す
写真の左手あたりにも小さなお店がずらりんこと
並んでいた記憶があるし
右手のマンションあたりにも
摩訶不思議な建物が建っていて
従妹と2人て鍵がかかってないドアを開けて
不思議な螺旋階段らせんを上がって
よく遊んだ記憶がある
子供の頃の記憶だから曖昧であるが
まさか洋風遊郭だったとは
歩いてきた道を写す
この角の建物は従妹の小学生の頃の
同級生の女の子が住んでいて
家に入った事がある
一般家庭にはほとんど風呂がないその時代、
玄関から中に入るとすぐお風呂があり
その先の部屋の横にもお風呂があって
びっくりした思い出がある
もちろん遊郭なんて名前も知らない
小学生の頃の記憶である
あの従妹の同級生の女の子
かわいい子だったのは覚えているが
顔は霧がかかったみたいで全然覚えてない
今度、従妹に連絡して聞いてみる事にでもするかなぁ
その先に見える建物も
完璧に遊郭跡の建物である
3年前ぐらい前に
横須賀の安浦遊郭跡を散策した時、
これと同じ感じのもっと凄いのが残っていた、
興味がある人は、はげまるのブログの中から
探してくださいね
テナ事で先ほどのマンションの話に戻る事にする
2008年ごろ、はげまるが
横浜市の昭和銭湯を散策していた頃の
写真を載せます
広末湯
はげまるが子供の頃は
コインランドリーなんてもちろん無かった
(洗濯機が出始めたころで
横に付いている手動の水切り器をぐるぐる回して
脱水したりするのんびりとしていた
昭和のお話であります)
こんな景色も
こんな庭も
こんな素晴らしい天井も
時計さんも
ぼんやりとした記憶にかすかに残っている
子供の頃は富士山みたいな銭湯絵が描かれていて
シャワーなんてはもちろん無く
湯殿も循環して無い時代であったので
夜遅く入ると垢で真っ黒であった
入船遊郭付近、
はげまるの子供の頃の話でありました
はげまるが10年早く生まれていたら
入船遊郭でお○○○大会した事なんぞ書けたのになぁ~~
お○○○=お ジャン・ケ・ン
笑い。
「国道下」の話を書いたので
そのつながりで今回も鶴見のお話であります
昨年の暮れに岡山から☆☆☆さんが
横浜に出向いて来てくれた
☆☆☆さんはこちらに出てくると必ずはげまるに
散策の企画を立案するのが常であり
今回は藤沢に残る遊郭跡散策
そして今回の鶴見にあった入船遊郭跡散策である
藤沢の遊郭跡散策は
クソ忙しい年の瀬の12月30日に決行され
今回の入船遊郭跡散策はまだ正月気分が残る
今年の1月3日である
他人様からみたら
ほんとよくやるよな~~
なんてなるが
ふたりともど~にもとまらない
(山本リンダ)
はげまるは☆☆☆さんとJR鶴見駅の改札口で待ち合わせをして
歩いて入船遊郭跡の散策に向かった
鶴見線で行くとなると、国道駅の次の駅
鶴見小野駅で降りて行く事になるが
鶴見線の昼間の時間帯は電車の本数が
かなり少ないし、入船遊郭あたりまでなら
歩いても10分ぐらいである
ここでびっくりしないでちょーだいな
ぬぁんと、ぬぁんと、
(毎回出てくるフレーズである)
げまるが生まれた場所は
今回散策する入船遊郭跡の
入り口あたりなのだから
鼻歌気分で行けるのである
はい
はげまるが生まれあたりです、
このあたりに今でも、
はげまるの一つ年下の従妹が
暮らしている
もちろん、はげまると同じ名字である
はげまるはこの辺りで生まれたのであるが
3~4歳で川崎に引越ってしまったから
ほとんど記憶には残ってない
それでも小学生から中学生の頃は
ちょくちょく従妹の家へ遊びに行っていたので
その頃の記憶はかなり残っていて
この辺りの景色が昔とたいして変わってないのに
驚かされる
はなやぎ不動産の横路地あたりが
入船遊郭があった場所である
はなやぎ不動産、昔は果実店と紙屋さんだった
はなやぎ不動産の前の建物も昔のままであり
確か左側のお店が小さ靴屋さん
右側がお米屋さんであった記憶があるが
確かでは無い
左側にはマンションが建っている
このマンションの場所には立派な昭和銭湯があって
はげまるが小学生の頃はよく入ったものである
(後で銭湯散策の時に撮った写真見せますね)
入船遊郭跡の路地に入る前に
はなやぎ不動産の横あたりを歩いてみる
はげまるが完全脱毛したというのに
小学生の頃の景色とあまり変わってないぞ~
(自然完全脱毛)
くっそ~~~~~~
どんどんどんどん
(パソコンの机を叩いている音)
すげーなぁ
この本屋さんも当時の景色とまったく変わってない
中学生の頃、
このすし善さんの二階で新年会をやった記憶があるなぁ
この角のお店はお饅頭屋さんだった記憶があるが
確かではない
このあたりも昔と同じ感じである
はなやぎ不動産の横路地に入って行くと
このあたりが入船遊郭があった場所だそうだ
赤線が法律で廃止されたのは
昭和33年3月31日であり
はげまるが8歳の頃である
赤線なんか知ってるはずもないが、
これがひじょ~に
くゃしいなぁ
小学生の頃に見た景色と同じカタチの小さい店が並んでいる
真金町あたりに昔あった遊郭カフェ風の庇が
ここでも見られる
歩いて来た本通り方面を写す
写真の左手あたりにも小さなお店がずらりんこと
並んでいた記憶があるし
右手のマンションあたりにも
摩訶不思議な建物が建っていて
従妹と2人て鍵がかかってないドアを開けて
不思議な螺旋階段らせんを上がって
よく遊んだ記憶がある
子供の頃の記憶だから曖昧であるが
まさか洋風遊郭だったとは
歩いてきた道を写す
この角の建物は従妹の小学生の頃の
同級生の女の子が住んでいて
家に入った事がある
一般家庭にはほとんど風呂がないその時代、
玄関から中に入るとすぐお風呂があり
その先の部屋の横にもお風呂があって
びっくりした思い出がある
もちろん遊郭なんて名前も知らない
小学生の頃の記憶である
あの従妹の同級生の女の子
かわいい子だったのは覚えているが
顔は霧がかかったみたいで全然覚えてない
今度、従妹に連絡して聞いてみる事にでもするかなぁ
その先に見える建物も
完璧に遊郭跡の建物である
3年前ぐらい前に
横須賀の安浦遊郭跡を散策した時、
これと同じ感じのもっと凄いのが残っていた、
興味がある人は、はげまるのブログの中から
探してくださいね
テナ事で先ほどのマンションの話に戻る事にする
2008年ごろ、はげまるが
横浜市の昭和銭湯を散策していた頃の
写真を載せます
広末湯
はげまるが子供の頃は
コインランドリーなんてもちろん無かった
(洗濯機が出始めたころで
横に付いている手動の水切り器をぐるぐる回して
脱水したりするのんびりとしていた
昭和のお話であります)
こんな景色も
こんな庭も
こんな素晴らしい天井も
時計さんも
ぼんやりとした記憶にかすかに残っている
子供の頃は富士山みたいな銭湯絵が描かれていて
シャワーなんてはもちろん無く
湯殿も循環して無い時代であったので
夜遅く入ると垢で真っ黒であった
入船遊郭付近、
はげまるの子供の頃の話でありました
はげまるが10年早く生まれていたら
入船遊郭でお○○○大会した事なんぞ書けたのになぁ~~
お○○○=お ジャン・ケ・ン
笑い。