赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

出ます出します出させます?

2009-09-03 23:58:41 | Urawa Reds
浦和の“原口の途中離脱要望”却下(スポニチ)

これは召集拒否でよいのではないかと。

たとえ浦和とJFAとの間で口約束があったとしても、この浦和のチーム状態で主力として出場している原口を、このタイミングで世代別の、しかも特に重要な大会の出場権やタイトルさえ掛かっていない試合のために「拉致」するというのは余りに横暴という気がするのだが・・・。いや、出場すればそれなりに意味があるとは思うけど、ここは協会に空気を読んで頂きたいなと。ちなみに会長閣下のおっしゃるベストメンバー規定(笑)との関係はこんなつまらん大会であっても「代表」という名の下に適用除外という解釈になるんでしょうか?

霧降る駿河路(5)

2009-09-03 07:36:37 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

久能山東照宮の復路。青銅製の鳥居が濃霧に包まれる姿はなかなか神秘的な光景なのだが、如何せんポリバケツが2つも写っちまっているので現実に引き戻されてしまうのが残念無念・・・。向かって右に五重塔跡、左に鼓楼という配置となっています。



楼門の裏面の両側に配置されている狛犬、左側は一角獣的なものだった。狛犬は一般的には参道と垂直方向に左右が向き合っているが、何となくコイツはお宮様の方向を向いているような。



振り返って、楼門を再びアップにて。この後は久能山東照宮博物館で徳川家縁の品々を、これまたほぼ貸しきり状態で堪能した。そういえば、地元の各社の新人バスガイドさんっぽい人たちが合同研修かなんかで境内をウロウロしてたな。



ここからは通常眼前に広がる海原が望める筈なのだが・・・。ちなみに家康公の遺命は正確には「わが屍は久能山に、葬儀は増上寺で行い、位牌は故郷の大樹寺に置き一周忌が過ぎたら日光山に移せ。そして関八州の平和の守り神となろう。西に向かってうずめよ」といったものだったらしいのだが、結局のところ葬儀は増上寺では行われず、また位牌でなく亡骸が1年後に日光に移されたので、遺言が一字一句守られたわけではなかったよう。神格化され、まさに「関八州の守り神」となったのには違いないが、そうはいっても何となく切ない話。



日本平に戻るロープウェイはまたまた貸切状態。しかしガイドさんは再び往路と同じおばさんでややがっかり。霧に包まれたまま日本平に到着、これまた貸切の土産屋で買い物を終え、タクシーを呼び出し、ここでようやく「アウスタ日本平」へ到着。やっぱ平日だった昨年のリーグ戦アウェイよりよっぽど人は多かったと思ったのだが・・・。



個人的に初めて見かけた車両なのだが、道具類でも運んでいるのだろうか。何かチームの調子的に棺みたいに見えちまうのだが・・・。アウェイスタンドに向かう道すがら、パルちゃんでもいないかなぁとメインスタンド裏を眺めながら歩いていたところ、橋本代表と河野某を含む数名がイスに腰掛けてタバコの煙を燻らせながら談笑するという何ともいえない光景を目撃。



そしてこの後はスタジアムで本日2度目の「コロニー落とし」を浴びて涙ながらに東京に逃げ帰りましたとさ・・・。

(清水編・了)