赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

砂場の十字架(5)

2009-08-14 07:51:36 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

しかしお盆休み真っ只中に普通に(いやむしろ忙しい)通勤して普通にブログ更新してるってのもなぁ、などと思いながらしつこく大分編。杵築城のつづき、であります。

ご覧のとおり杵築城は海と川に囲まれた城。1394年に大友氏の流れを汲む木付(きつき)氏の4代頼直によってこの地に築城されたと言われているらしい。台地に建てられたため台山城、また台山の形状が牛の寝姿に似ていることから臥牛城といった別称がある由。



木付氏16代鎮直の時代には島津氏臣下の武将の猛攻を受けても見事持ちこたえたというエピソードもあり。しかしその数年後、朝鮮出兵の際に敵前逃亡したことで秀吉の逆鱗に触れた大友宗家が改易されるに及び、宗家に従っていた時の木付氏当主統直は帰国途中にその悲劇を嘆いて門司ノ浦にて自刃。さらにその悲報を聞いた父鎮直らも城内で自害し、300年以上に及ぶ木付氏17代の歴史が幕を閉じたということらしい。で、その後紆余曲折あって松平氏が明治維新まで統治。



城内はご多分にもれず町の資料館という感じ。しかし中津城に比べると代々の支配者の武具や生活用品が展示されており、なかなか興味深い。入口の案内のおばさんがいやに親切で、うちわを貸してくれたり、解説してくれたり、槍を持たせてくれたりしてちょっと戸惑ったほどだが悪い気のしようはずがない。ついにおばさんは連れの極太うぃあーさんに甲冑の試着まで勧め始める。そしてその極太さんもまんざらでもないご様子で・・・。


「彼氏が甲冑(よろい)にきがえたら」来夏公開予定

天守からは、中津城同様に海(別府湾でいいのかな?)に川が流れ込む様子を望むことができる。河口というより干拓地みたいな印象が強いのではあるが。左下に見えるのが入城前に上った展望台。バズーカ砲みたいなカメラを携えた方を小さく捉えている。



(つづく)