赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

砂場の十字架(4)

2009-08-13 07:48:55 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

ソニックで中津から大分に到着、ホテルにチェックインして九州石油ドームへ。その砂場のような場所で何やら酷いエンターテイメントを見せられたおぼろげな記憶が。しかし、小学生を動員してピッチの補修をさせるというのは何か無邪気な彼らを利用しているようにしか見えなかったが・・・。



砂遊びの後は打ちひしがれたまま大分駅周辺を彷徨う。散々な試合の後でもやっぱり浦和者がうろうろしていて店探しにやや難儀したが、無事「りゅうきゅう」の食べられる居酒屋を何とか見つけ出して入店。メガジョッキ(だったかな)で生ビールを流し込むなどひとしきり飲み食いし、勢いで閉店30分前のカラオケ屋に突入した上で2時くらい?にホテルに帰還。贅沢を言えば鴨すいも食べたかったが。



それでも翌朝はしっかり7時半には起床。大分駅前から路線バスに乗ってゆうに1時間以上かけて国東半島にある街・杵築(きつき)へと向かう。バスの中でぐったりしながら10時半前には杵築に到着、いきなり案内板に「坂道の城下町」と書いてあってちょびっとだけげんなり・・・。とにもかくにも、とりあえず杵築城へ向かって階段を登り始める。



前日訪れた中津が慶應義塾の創設者福澤諭吉を輩出した街なら、こちら杵築は法政大学の前身・東京法学社の設立者である伊藤修と金丸鉄を輩出した街らしく、城址にある城山公園には2人の記念碑があった。六大学のうち2つの創設者を輩出とは大分恐るべし(2つ以上かもしれないけど)。



夥しい数の石塔(でいいのかな?お城のパンフでは「石造文化財」「城山公園石造物群」とされていた。)が建てられていたのが印象的だったのだが、歴史的背景はよくわからず。



中津城と同じくこちらも模擬天守、昭和45年に再建されたもので少々小ぶりな印象。せっかく城に行ったのに肝心の天守の写真がこれしか残っていなかったのは、城そのものに深い感銘を受けなかったからかもしれない。てなことをいいながら次回も杵築城ネタを引っ張る気マンマンなのだが。



天守入口の傍にあるちょっとした展望台。バズーカ砲みたいなカメラを持った紳士が気合入れて恋した・・・いや気合入れて写真撮影に勤しんでおられた。



(つづく)

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