昨日(5月3日)の西日本新聞・朝刊のコラム欄に載っていた記事に私は「凄い!これだ!これを拡げていこう!」と思ったのです。
以下に記します。
漢字を使わないようにしよう、いっそ日本語を捨てて英語を国語にしてはどうか、
国語にするなら英語よりもフランス語のほうがいい・・・
▲明治から昭和の終戦直後にかけて自国語を変えようという議論の流れがあった。ローマ字化論も交じる。
酒場談議のレベルとはもちろん違う。主張したのは政治家や官僚、学者、有名な小説家たちだった。
▲捨てて着替える。それを基本に日本は種々の国造りを進めてきた。
明治維新以来の「西洋に追いつき追い越せ路線」は自国語さえも着替える対象にしかかった。
昭和の敗戦による自信喪失から説明できる一面も持つ。
▲着替えたいものに憲法を加えるところまで時は進んだ。
敗戦で得た唯一の財産といってもいい『9条』の改正もにらむ。
戦後の日本を日本たらしめた土台である。日本人を日本人たらしめる自国語を変えようとした頃の空気と、構図は大して違わない。
▲焦土から立ち上がった日本人が、一貫して世界に誇れるものを他に持っていただろうか。
あせない誇りと思っていたのは思い違いだったのか。
時代の気分は、ややもすると九条を含めて「着古した」に押されがち
▲8年前にオランダで開かれたハーグ平和市民会議を思い出そう。
百カ国余りから集まった非政府組織(NGO)が「21世紀は日本の9条に見習おう」と宣言した。
活動は現在も世界で続く。日本国憲法が施行されて60年。
ぜんぜん古びていない
以上、少し長い引用ですが、これは説得力あると思ったのです。「憲法9条をいま守らないと、大変な時代になる!・・」とよく言われます。
話は変わりますが、
私は、元中国東北部・満州で生まれ2歳のとき引き上げてきた。私は中国残留孤児となっていてもおかしくはなかった。本当に運良く日本に両親と共に身一つで帰れたから・・今の私があるのです。
戦後が(平和が)私の数え年。だから絶対、戦争は、いや!戦争に続く憲法改悪は許せない!
環境権を入れるとか、世界の平和に貢献するとか、古くなって合わないとか・・・いくら色んな理屈をつけようと、戦後の日本とアジアの平和を守ってきたのが憲法だから。
子供たちのためにも「9条守ろう」・・・の輪が大きくなるのは当然です。
この記事に出会って、またまた心が燃えました。
以下に記します。
漢字を使わないようにしよう、いっそ日本語を捨てて英語を国語にしてはどうか、
国語にするなら英語よりもフランス語のほうがいい・・・
▲明治から昭和の終戦直後にかけて自国語を変えようという議論の流れがあった。ローマ字化論も交じる。
酒場談議のレベルとはもちろん違う。主張したのは政治家や官僚、学者、有名な小説家たちだった。
▲捨てて着替える。それを基本に日本は種々の国造りを進めてきた。
明治維新以来の「西洋に追いつき追い越せ路線」は自国語さえも着替える対象にしかかった。
昭和の敗戦による自信喪失から説明できる一面も持つ。
▲着替えたいものに憲法を加えるところまで時は進んだ。
敗戦で得た唯一の財産といってもいい『9条』の改正もにらむ。
戦後の日本を日本たらしめた土台である。日本人を日本人たらしめる自国語を変えようとした頃の空気と、構図は大して違わない。
▲焦土から立ち上がった日本人が、一貫して世界に誇れるものを他に持っていただろうか。
あせない誇りと思っていたのは思い違いだったのか。
時代の気分は、ややもすると九条を含めて「着古した」に押されがち
▲8年前にオランダで開かれたハーグ平和市民会議を思い出そう。
百カ国余りから集まった非政府組織(NGO)が「21世紀は日本の9条に見習おう」と宣言した。
活動は現在も世界で続く。日本国憲法が施行されて60年。
ぜんぜん古びていない
以上、少し長い引用ですが、これは説得力あると思ったのです。「憲法9条をいま守らないと、大変な時代になる!・・」とよく言われます。
話は変わりますが、
私は、元中国東北部・満州で生まれ2歳のとき引き上げてきた。私は中国残留孤児となっていてもおかしくはなかった。本当に運良く日本に両親と共に身一つで帰れたから・・今の私があるのです。
戦後が(平和が)私の数え年。だから絶対、戦争は、いや!戦争に続く憲法改悪は許せない!
環境権を入れるとか、世界の平和に貢献するとか、古くなって合わないとか・・・いくら色んな理屈をつけようと、戦後の日本とアジアの平和を守ってきたのが憲法だから。
子供たちのためにも「9条守ろう」・・・の輪が大きくなるのは当然です。
この記事に出会って、またまた心が燃えました。