ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ニュルンベルクのナチス遺跡その2

2006年08月21日 | 旅行
さて、他のナチス関連建造物も見てみたくなった私は、Docu Zentrum内で見た当時の地図を思い出しながら、現在の地図を見てみました。
地図にはナチスがどうこうとは書いてないのですが、何やら大きな建造物らしき形はみられます。そしてその中にツェッペリン・フィールドという、ドキュ・ツェントルムで何度も見た地名が出ていたので、よしここだ! ととりあえず行くことにしました。
ちなみにこのツェッペリン・フィールドという名前は、ツェッペリン伯爵の飛行船が着陸したことがあるからだそうです。
地図で見ると、ニュルンベルクFCの本拠地、フランケン・シュタディオンがすぐ近くで、最寄り駅もSバーンのFranken Stadion。ここは先日のW杯で日本対クロアチア戦も行われましたね。
ナチス台頭の当時、このあたり一体にはスポーツスタジアムなども建設され、スポーツも利用しようとされていたそうです。そんな場所にあのスタジアムは建っていたのですね。昔のスタジアムも全く同じ場所ではないと思いますが・・・
Docu Zentrumからトラムで1駅行き、ちょっと歩いてSバーンでまた1駅。本当は歩けないこともない距離だし、実際Sバーンの本数が少ないので歩いた方が早い可能性もありましたが、夜にはコンサートも控えていたし、なるべく体力温存しようと・・・(汗)

駅からスタジアム方面に歩いて行くと、やがて右手に階段状の大きな建造物跡が見えてきます。
現在は道路で寸断されて工事中、簡易トイレが並んでいたりしますが(汗)この大階段の中央におそらくヒトラーが立って演説なりしたのでしょう。
この建物も保存状態はあまり良くなく、落書きもひどかったりしました・・・お金かけて保存はしてないって感じですね。
なぜか歩いているそばから工事のフェンスが立てられて行き、となりのブロックに行くのに一度下まで降りて行かないといけなかったりして・・・ここ工事してどうするのかなあ?
一応この場所の説明のプレートはありましたが。(昨日upしていた集会場にもありました)
数人でガイドツアーで訪れているらしきグループが2つ3つありました。

真ん中の一番高いところから撮ったフランケン・シュタディオン。こんなに近いんですね。クロアチア戦を観に行った方はここにも来たでしょうか?

階段状と道路を挟んで向かい側に広がる建造物跡。昔はここがずーっと広場みたいになってたんですね。ここも工事中。しかしすごい大きさです・・・

裏から入れないかなーと思ったけどフェンスが建っていてダメでした。

この先に池というか湖というか、があり、その先にさきほど見て来た大集会場が見えました。トップの写真がそうです。昔は湖に面した壮大な建物、だったんでしょうね。

この他にもDocu Zentrumの導入映像で見た建物があったはずで、湖のそばの地図を見ると、どうやらコンサートがあるマイスタージンガーハレのすぐ隣のルイトポルト公園にあるようでした。
どうも、ルイトポルト公園~Docu Zentrum~ツェッペリンフィールドというコースを歩くのがナチス遺跡めぐりの正しいコースだったようで・・・湖周辺も公園になっているんですよね。歩くには持ってこいかも。
時間切れでとりあえず市内に戻ることにして、時間がありそうだったらコンサート前にルイトポルト公園に行こうかなと思ったのですが、この後発熱し、結局ギリギリまで横になっていたので行くことはできませんでした。

たまたまコンサート会場が近かったために行くことになった今回のナチス遺跡めぐりですが、実物を見たことで急に興味が・・・
この後ミュンヘンでも行くかどうか迷っていたダッハウの強制収容所跡に行くことになりました。この話はまた後日に。
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ケリン・アムロスの丘

2006年08月21日 | 指輪物語&トールキン
最近RSSリーダーのキーワード検索で素敵なブログに出会いました。トールキン関連本を読むというブログです。
トールキン関連本の情報から興味深い考察まで、素晴らしい情報がめじろおしで、これからゆっくり読ませていただこうと思っているところですが、今日はその最新記事からのお話です。
この話の出所は、トールキン研究者?のRichard E. Blackwelderという人を偲んでの記念論文集だそうで、もちろん英語です。自力では永久に出会うことないであろう本ですが(汗)、内容はとても面白そう・・・
その中で寄稿しているRichard C. Westという人が、アラゴルンとアルウェンの物語について書いているそうですが、そこで興味深いことを書いていた、というのを記事で紹介されていました。
アルウェンが最期にケリン・アムロスの丘に一人で向かい、孤独に死んだとされています。この結末にはショックを受けましたね。
一体どうしてトールキンはルシアン=エディス夫人の再来であるアルウェンの最期をこのようなものにしたのかと、謎でもあります。「これ書いた頃トールキンは奥さんと何かあったんじゃないか」なんてことをおっしゃる方もいました(笑)
しかし、West氏は、「指輪」本編での次の一節に注目し、新しい解釈をしているそうです。
フロドたちとロリアンを訪れたアラゴルンがケリン・アムロスを去るときに、地の文で「現し身の人間としては二度とここには戻って来なかったのです」と書かれています。
これをWest氏は、生きた人間としては訪れなかったけれど、死後の霊的な存在となって訪れた可能性はあるのではないか、そうやってアルウェンとケリン・アムロスで再会していた可能性もあるのではないか、というようなことを書いているそうです。あくまで仮説としているそうですが。
この解釈、なんだか救われるような気がしました。アルウェンがわざわざ一人でケリン・アムロスに行ったのは、アラゴルンと初めて出会った場所で、アラゴルンと再会するためだったのだと思えば・・・
実際にアラゴルンが霊となって現れたのではないにしろ、アルウェンの心にはアラゴルンが一緒にいてくれるように感じられたかもしれないなあ、とも思います。
先のアラゴルンが「現し身の人間としては二度と戻って来なかったのです」というくだりは、切ない言葉として初読の時から心に残っていました。この言葉が、ケリン・アムロスの夢のような美しさとはかなさの印象を強めていたかもしれません。
実際にケリン・アムロスの情景描写を読んで思い浮かべてみると、「・・・何だかヘンなところだなあ・・・」と思わないでもないのですが(頂上あたりにだけ枝のない木がひょろーんと生えているところとか(汗))
ケリン・アムロスは、アラゴルンの思いいいれだけでなく、フロドたちも心奪われていて、作中では素晴らしい場所として描かれています。
トールキンがこんな不思議な形の丘に行ったことがあるとは思わないのですが(汗)もしかして何か特別な思いがある場所をケリン・アムロスになぞらえていたりするのかな、なんてことも想像してしまいますが・・・考えすぎかなあ。
なんにしろ、この解釈のおかげで少し救われたというか、暖かい気持ちになることができたように思います。
やっぱりトールキンは奥が深いですねー。これからも色々なファンや研究者の意見を知りたいなあと思ってしまいました。英語ができれば世界はもっと広がるのでしょうが・・・(汗)
コメント (4)
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