ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその5

2006年08月31日 | 旅行
ようやくトーマス・マンめぐり最終回です(笑)
ミュンヘン2日目の最後に、見つけられなかったプレートがあるはずの家の場所を確認するため、日本語okのネットカフェに行きました。
ここで確認して、当時の番地とは違っていることが判明。現在の番地を確認し、ついでに1軒漏れていた家も発見し(笑)翌日リベンジすることにしました。いやしかしネットって便利だ・・・
しかしどうもここのネットカフェの冷房で風邪を悪化させた気が・・・(汗)

明けて3日目、なぜかまた熱が上がっているような感じで、フラフラしつつもでかけました(汗)
まずは1軒漏らしていたBarer Str.69番地の家に。割と宿の近くの通りでした。

1階はカフェでオシャレなシュヴァービングらしい雰囲気です。
この家には1898年5月から11月まで住んでいました。

続いてプレートリベンジ編に(笑)
まずはフランツ・ヨーゼフ通りの家です。ここは25番地のはずが2番地になっていました。番地が変わったのか・・・?

この家には1905年から1910年まで住んでいました。結婚して移り住んだのですね。この家でエーリカ、クラウス、ゴーロ、モーニカの4人の子供が生まれています。
トップの写真はこの家にあるプレートのひとつ。トーマス・マン、カーチャ夫人、この家で生まれた4人の子供たちの当時の肖像が、カラフルな色で描かれています。なかなか素敵なプレートなのですが、この後生まれた子供たちが入っていないのがかわいそう(汗)

こちらはもうひとつのプレート。当時の家の写真?です。やっぱり全然変わっちゃってるんですねえ・・・

もうひとつのプレートリベンジ編、Feilitzhch Str.の家です。

ここは、もともと5番地だったのが現在は32番地になっているそうです。右側がプレートですが、ここにちゃんと番地が変わったことが書いてあります。
この家には1899年から1902年まで住んでいました。ここに住んでいる時「ブッデンブローク家の人々」が出版されたのですね。
この家では母ユーリアと一緒に住んでいたもよう。ユーリアが文化人を集めてサロンを開いていたそうです。

というわけで、ようやくトーマス・マンめぐり終了です(汗)
いやでも、こうやって旧居を求めて街中を彷徨うのはなかなか楽しいのですよね。
住宅街を歩くわけなので、その街の素顔?を見ているような気がして。
ただブラブラするだけなら通らなかっただろうな、というような場所にも行ったりしますしね。
オックスフォードのトールキンめぐりで味をしめた旧居めぐり、結構楽しいのでまたやりたいかなーなんて思ったりして(笑)
まあ、そこまでして旧居をめぐりたい作家もあまりいませんけど・・・

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