ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその1

2006年08月25日 | 旅行
発熱しながらも無事にLotRシンフォニーも聴き終わり、朝起きたら熱下がってるといいな・・・と思ったのですがなんだかまだ調子悪い(汗)あんなに好きだったドイツパンも、シンケン(ハム)もチーズも食べられず・・・(パプリカを刻んだのが周りについてるチーズ好きだったのに・・・)なんとかフルーツとヨーグルトだけは食べました。
もう一日ニュルンベルクに滞在して休むか・・・とも思ったのですが、列車で座って移動するだけだし、頑張ってミュンヘンまで行っちゃえ! というわけでミュンヘンまで移動しました。
観光案内所で紹介してもらったホテルは、UバーンのOdeon Platzの近く、シュヴァービング地区のとっかかりにあるこじんまりしたホテルでした。中庭や窓からオシャレなシュヴァービングの家が見えてちょっと素敵だなーと思いました。近所のお店のおじさんはものすごいミュンヘン訛りでした(汗)
1時間ほど部屋で横になったあと、少し良くなってきたかな・・・? ということで、トーマス・マンめぐりを開始することを決意。

オックスフォードでトールキンの家をめぐった時も「何回引っ越したんだ・・・」と思いましたが、ミュンヘンのトーマス・マンの旧居はそれを上回る、なんと13軒! しかもその後亡命してスイスやアメリカにも住んでるんだもんなあ・・・
トーマス・マンのミュンヘンの住所は日本語での資料がほとんどなく困っていましたが、某質問掲示板で聞いたところ、ドイツ語に堪能な方がドイツ語のサイトを探してくださり、なんとかめぐることができました~
オックスフォードと違って、ほとんどの家が当時の建物ではなかったようですが・・・

まずはホテルから一番近いTheresien Str.82番地の家へ。このテレジエン通りが長くて、かなり端っこまで歩きました(汗)ピナコークとか通りましたね。全然入る暇なかったけど(汗)

この家には1898年4月から5月まで、なんと1ヶ月しか住んでません(笑)

そのまま、2ブロック北のシェリング通りに出て、ルートヴィヒ教会に向かいます。ここはトーマス・マンの短編「神の剣」で主人公ヒエロムニスが入った教会ですね。ちょうど作中でもシェリング通りから教会に向かっています。
トップの写真がルートヴィヒ教会ですが、石造りの珍しい教会ですね。ミュンヘンの教会は、ビザンティン風の丸屋根の塔の教会が多いのですが、とんがり屋根なのも珍しい感じ?

ヒエロムニスが清めに使った?水盤と教会内部。お祈りしている女性が一人と、明らかに休憩に来ていた東洋系の女性が一人だけの、静かな内部でした。


続いてRamberg Str.2番地の家。この通り、地図だと名前出ていません(汗)事前にマッピングサイトで調べておいたのをガイドブックの地図に「このへん」と印をつけておきました(汗)
この家にはリューベックから移ってきた1894年から1897年まで3年間住んでいたようです。ここで「ブッデンブローク家の人々」を書き始めたようです。


ここも地図だと名前が出ていないKonrad Str.11番地の家。1902年11月から1904年1月まで、1年ちょっと住んでいます。ここに住んでいるとき「ブッデンブローク家の人々」が出版された・・・のかな?
追記:年表で確認したら「ブッデンブローク家」が出版されたのは1900年なので、全然違いますね(汗)
さらに追記:ここに住んでいる時に「トニオ・クレーゲル」「トリスタン」を含む短編集が出版されたそうです。

この次にフランツ・ヨーゼフ通り25番地の家に行ったのですが(ちなみにエリザベート通りとつながっています(笑))、ここにはトーマス・マンの旧居だということを示すプレートがあるはずなのに、ない・・・
後で番地が変更になっていることがわかり、翌日リベンジしましたので写真はまた後で。


コンラート通りの後に移って1905年まで約一年住んでいたAinmiller Str.31番地の家です。
追記:ここに住んでいる時に婚約してます。


Herzog Str.3番地の家・・・のはずなのですが、ホテルになってます(汗)ここには1897年から1898年まで1年間住んでいました。先のドイツ語サイトによると母親のユーリアと一緒に住んでいたようです。
まあトーマス・マンの旧居跡のホテルに泊まるのもいいかもね、なんて思っていたのですが、帰国してからネットで確認したら、違う家の写真が・・・もしかしてここも番地が変更になっていたのでしょうか・・・

トーマス・マンめぐり、まだまだ続きますよ~(笑)
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ダンス・オブ・ヴァンパイア(ネタバレ)

2006年08月25日 | ミュージカル・演劇
帝劇のダンス・オブ・ヴァンパイア、ようやく観て来ました。Wキャストは泉見アルフレート&大塚サラ。
これ、昨年たまたまハンブルクで本場を見てしまったのですが、それがなかったら見に来なかったかも・・・いや市村さんが出てるから一応見に来てたかな。
覚悟はしてましたが、やはりドイツより何もかもが大幅にスケールダウンしてました。思ったよりは大分マシでしたが。
もともと、私的にはハマるタイプの作品ではないのですが、ドイツではとにかくスケールに圧倒されて「すごい!」と思ったものですが、そういう感覚は得られませんでしたね。ドイツ版はまた機会があったら観たいと思いますが、日本版は1回でいいや(汗)
一番気になったのは実はオケ(汗)いや覚悟はしてたんですが。前から下手だとは思ってたし(汗)
しかし、オープニングの音楽で「うわあ」と来なかったのはもうどうしようもありませんね(汗)なんかドラムの音も変だし。これもいつものことなんだけど・・・あのドラムの音でロックナンバーやられてもなあ・・・
スケールダウンその2は舞台装置ですね。これも覚悟はしてたのですが、もう少し豪華にはできなかったものか・・・。私は別にらせん階段には思い入れはなかったのですが(汗)それにしてもなんだか寂しげというか安っぽい装置でした・・・
後で一緒に行った友達にハンブルクの写真を見せたら「全然違うね・・・」と言ってました。
教授がひっかかるところも「結構低いじゃん」と・・・ハンブルクでは「飛び降りたら絶対死ぬ」くらい高かったですけど、あれは飛び降りられそうでした(汗)
回り舞台の中心のあの四角いのも邪魔でしたねー。帝劇の舞台が狭く感じるとは(汗)SHIROの時なんて「でかすぎる」と思ったものでしたが・・・
特に墓場のシーン、あそこはずらっと並んだ墓石から続々とヴァンパイアが出てくるのが怖かったのに・・・墓石少なすぎ(汗)人数は充分なので、逆に舞台が狭かったですねー(汗)
そしてスケールダウンその3はやはりアンサンブルのダンスかな・・・充分上手いとは思うのですが、ドイツで感じたまでの迫力はありませんでした。単純に体格差なのかなあ・・・
ドイツで見ていた時、1幕は「ふーん」という感じで見ていて、サラとヴァンパイアのダンスでちょっと「おっ」と思い、城に入ったとたんの雰囲気の違いに圧倒され、そして2幕のCarpe Noctem(アルフレートの悪夢)でやられた、という感じだったのですが・・・
サラが振り回されるダンスは日本版もなかなかでしたが、ドイツはサラもっと振り回されてたよなあ・・・もちょっと官能的だったし。まあここはいいんですが・・・
ドイツで私が最も「ガツーン」と食らったCarpe Noctemがねえ・・・ドイツでは「ヴァンパイアというかオバケがどんどん出てきて怖い~」とものすごくインパクトのあったシーンなんですが、なんかヴァンパイアが出てきたというよりは、「アンサンブルの人たちが踊ってるね」としか見えなくて・・・衣装とかメイクの問題なのかもしれませんが・・・照明が明るすぎたとか?
日本で幕が開いて以来、このシーンの評判をあまり聞かない理由がわかりました・・・
ただ、このシーン、歌も心配してたんですが、歌は良かったです! ちょっと姿形は
KISSのコスプレしてる日本人て感じでしたが(汗)コーラスもよかったし。ホントアンサンブルのレベル上がったなあと思います!
日本版のCD買うつもりはないんですが、このシーンだけはもう一度聞きたいかな・・・もともと音楽的にも、「悪夢の後の夜明け」といった雰囲気がぴったりで好きだったりするし。
そしてラストのヴァンパイア・ダンスですね。ドイツではアンサンブルが踊るのみで、アンサンブルだけなのにも驚きましたが、その迫力たるや素晴らしかったです。圧倒されました。
日本版はそこまでではなかったなあ。上手いんですけど。ダンサーの技術的なことなのか、体格差なのか、振り付けなのか、そのあたりはわかりませんが・・・なんかドイツはもっと激しかった印象なんだけどなあ。
日本版では伯爵以外の主要キャストが出てくるのは、逆に出て来ないと締まらないかなーというのもありますね(汗)阿知波さんまで出てきたのはなんだか嬉しかったけれど。
がっかり、だったのはそんなところですが・・・結構主要なところががっかりだったかなー(汗)
メインキャストの歌も全体的にドイツよりはスケールダウンでしたが、ダンスや装置ほどのがっかりではなかったかな。
一番がっかりだったのは、シャガールはおいておいて(汗)マグダでしたね。まあ予想どおりでしたが(汗)キャラクター的にはぴったりなんだけど、あのナンバーはもっとパンチのある歌い方でないと。シルビア・グラブとかぴったりだったと思うけどなあ。
ロックでないところが大変心配だった伯爵ですが(汗)意外と声量を聞かせる曲が多かったみたいで、まあOKでした。
まあ最大の心配だった16ビート裏拍の曲は、全然16ビートでも裏拍でもなかったけど(汗)なんとか違和感ない程度にこなしていたのでまあOK。本来シンコペーションなところも全部音を短く切ってテンポどおりに収めるという荒業やってましたが(汗)本当はテンポは16で細かく感じながらも朗々と歌う曲なんだけどなー。
でも「モーツァルト!」や「エリザベート」ほどの違和感はなかったので、やっぱりシルベスター・リーヴァイの曲の方が難しいんだなあと思いました。今回の曲は皆結構昔の曲なので、単純なのは当然かもしれませんが。
泉見アルフレートは歌も良かったし、とってもかわいくて良かった(笑)髪型もホビットまではいかないけど一応くるくるパーマにしてたし。
ドイツのアルフレートよりもかわいいので、さらに「かわいい人」といわれたり、ヘルベルトに惚れられたりするのも納得という感じでした(笑)
教授とのコンピもかわいかったし(笑)
サラはかわいかったし、まあ良いのでは。でもポスターとか見ていたら、剣持たまきさんのサラも見ればよかったなと思いました・・・ドレス姿とかメチャクチャきれいで・・・
ドイツのサラはほとんどお尻まで見せていたので(髪長くして隠してたけど)、どうするんだ・・・と思ってましたが、さすがに日本ではそこまでは見せませんでしたねー(笑)
教授は、ドイツ版では脇役に思えましたが、ドイツ版とほとんどやってること一緒なのに存在感が増していたのが不思議でした。
ドイツの教授は御茶ノ水博士みたいなハゲかつらだったんですが、さすがにハゲかつらではなかったですね(笑)
チャップリンのようなかわいい教授で、「初めての役柄」とか言ってたけどまるで昔からこういう役やってたかのように何の違和感もなくハマってました(笑)
歌唱力的にはやはり・・・でしたが(宿屋の前での早口のシーンは本来もっと歌で笑わせるシーンなはず)、その後のカーテンコール?での貫禄ぶりなど、やはり市村さんならではでした(笑)あれはドイツではやってなかったよなあ?
駒田一さんのクーコルは勿体無いなあ・・・と思ってましたが、それなりに個性を出してましたね。でもドイツのクーコルはもっと四足に近いような獣っぽい歩き方でしたが、なんだかフツーに歩いてましたねえ(汗)
休憩中のクーコル劇場は、噂には聞いてましたが面白かった(笑)「屋根の上のヴァイオリン弾き」バージョンでしたが、あれ駒田さんが昔ヴァイオリン弾きだったこととか知らないと笑えないのでは・・・かなりマニアックでしたね。
キャストで最後になりますが、唯一「ドイツよりいい!」と思ったのが吉野圭吾さんのヘルベルトでした~。いや笑えました(笑)
ドイツでヘルベルトが登場した瞬間に「吉野圭吾・・・」と思ったらそのとおりのキャスティングだったのですが(笑)予想を超えるヘルベルトをやってくれて楽しかったです(笑)

日本語の歌詞を聴いて「あ、そんなこと言ってたのか」というシーンもありましたが、概ねドイツ語で見ていた印象と変わらなかったので、そんなものかなーと(笑)
なんで「ニンニクニンニク」と騒いでるのかと思ったら、ニンニク料理が名物だったんですねー。
あと、マグダがシャガールの死を悲しんで歌っていたのも初めて知りました(笑)
伯爵の嘆きの内容も初めて知りましたが、でも言葉わからなくてもなんとなくわかりましたね、あれは。
あ、伯爵が墓場でソロを歌う場面、ドイツではダンサー出てこなかったですよねえ? 歌だけで持たせるには長すぎると思ったのかな。確かに私もドイツで見ながら「ここまで歌上手くなかったらちょっと長すぎるよな」と思ったものでしたが・・・

とまあそんな感じで、私には今イチでしたが、ハマってリピートされてる方も多いようで、まあ良かったんじゃないかと。
でも、日本版気に入った方も今ひとつだった方も、機会があったらぜひ一度ドイツ版、ウィーン版見てみてくださいませ、とお勧めしたいですね。今度ベルリンでやるんでしたかね?

追記:図書室の場面に出てきた地球儀、まさか少年ルドルフが乗っかってたやつではないですよね・・・?(笑)
そうそう、あと、アルフレートの鏡のシーンがなかった、ですよね! 鏡の向こうでアルフレートの影が動くシーン。あれすごいなあと思ったのに・・・技術的にむずかしかったのでしょうか・・・
舞踏会の鏡も、二階席で見たせいなのか、結構ヴァンパイアの皆さんの本当の影が映っちゃってて「んんー?」でした・・・
コメント (4)
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BBCラジオドラマ聞き返しその18

2006年08月25日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、キリス・ウンゴルの階段の場面を聴きました。
スクリプトなしで聴いた時から、原作とは違うな・・・と思っていたのですが、やはり・・・でした。
眠っているフロドとサムのところにゴラムが来ますが、ここでいきなり「あのしと」に二人を食べさせる計画について独り言を言い出します。
その後に、「Poor little hobbits...」と弱々しく言い出し、原作どおりにフロドの膝に触るか何かしてサムを起こすのですが・・・
うーん、ここもう少し原作どおりにはできなかったのでしょうか・・・ラジオドラマでそのまま再現するのが無理としても、ナレーションで地の文を読み上げることもできたと思うのですが・・・
映画での改変に憤っていた私ですが、原作のここが感動的だと思うのは必ずしも一般的ではないのでしょうか。なんだか自信なくなります~
しかし、その後、「何をコソコソしてたんだ」と言われたゴラムが拗ねるのに、「悪かっただよ」と謝るサムの声が・・・なんだかやさしーサムの根っから冷たくはなれない、人の良い素朴な暖かさを感じます。ビル・ナイ素晴らしい!
なんだか声が似ているだけに、映画のサムって冷たいというか偉そうというか・・・と思ってしまいます(汗)
しかし「スメアゴルこそこそやね」という瀬田訳はものすごい名訳だなあと思いました(笑)
その後目覚めたフロドは、ゴラムの訴えに、どちらかというとゴラムの肩を持ってサムをたしなめます。と言っても、とても鷹揚で優しい感じ。フロドが何の邪心もなくゴラムを信じていることと、同時にサムへの信頼も揺るぎはしないことを感じさせます。
ラジオドラマのこのシーンを聞いていて、なんで映画ではあの感動的なシーンがレンバス事件に摩り替わってしまったのかがわかったような気がしました・・・PJはこのシーンから、フロドがサムよりもゴラムの肩を持ったということをクローズアップしたんですねえ・・・
いやあ、私はこの3人の会話なんてほとんど気にもとめてませんでした。さすが目の付け所が違いますね、PJは。(ものすごいイヤミ・・・(汗))
原作では、ゴラムの「善い心」が悪意に取って代わることができなかったのは、別にサムにいじめられたせいじゃないですよね。
もちろんあの階段で目覚めた時にサムがあんなことを言わなければ、というのはあったけれど、あれは本当にわずかなタイミングの差というか運というか・・・「運命のいたずら」とでもいうような、本当に僅かなすれ違いだったと思います。それが悲しくも哀れだったのだけれど・・・
いや、PJはそういう「運命」によって話が動くのは嫌いなんでしたね(汗)だから滅びのき裂でもフロドとゴラムを格闘させたわけですから。
なんか、ラジオドラマのおかげでキリス・ウンゴルの階段のシーンがあんなになった原因が見えて来たように思います。面白いものですね(笑)
それにしても、根が優しいサムと鷹揚なフロドの声を聞いていると、ホッとするというか・・・ちょっと原作どおりでなくて残念な部分もありますが、やっぱりラジオドラマはいいですねえ。
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