2022年6月4日(土) 朝はどこから
今月の始め頃から、寝ていて、大分以前に覚えた歌を思い出している。朝は、お早う、昼は、今日は、夜は、今晩は、の挨拶が出てくるのだ。
ネットでいろいろ調べたら、この歌は、「朝はどこから」という歌で、下記のサイトに、解説と歌詞が出ているので、以下に引用させてもらった。
(朝はどこから_ 二木紘三のうた物語.html)
◇曲のこと
上記サイトによれば、「朝はどこから」の曲は、朝日新聞社主催の、ホームソング懸賞公募に応募して当選した作品で、昭和21年(1946年)5月に発表され、NHKラジオ歌謡として、放送され、すぐにレコード化(COLUMBIA)も行われたようだ。
筆者が、尋常小学校の2年生頃、テレビがなかった時代に、ラジオで聞いて覚えた歌だ。
◇歌詞のこと
前記サイトから、歌詞を引用する。
「朝はどこから」 作詞 森まさる 作曲 橋本国彦
・筆者の印象
誰でも知っている日本語の、日常的な朝、昼、晩の挨拶が出てくる。
何処からくるかしら? と疑問を投げかけて、子供心を引き出す歌詞がいい。
わかりやすい歌詞で、似たような文言が繰り返されるリズム感もいい。
朝は:空越え、雲越えて、光の国から いいえ⇒希望の家庭から
朝の光は、活動のスタートだ。
昼は:山越え、野越えて、ねんねの里から いいえ⇒働く家庭から
昼が、どうしてねんねの里なのか? (次項)
夜は:星越え、月超えて、おとぎの国から いいえ⇒楽しい家庭から
夜の、家族の団欒風景が、想起される
いいえ、と、それぞれ、否定しているのだが、むしろ肯定つつ、更に、大きな出発点として、「家庭」を強調している。
懸賞募集の、ホームソングの公募に相応しい歌詞になっている、と言えるようだが、サイトの著者の二木氏の印象では、歌詞に、多様性を認めないワンパターの、全体主義的な雰囲気があると言っているが------。
・筆者の単純な疑問
ねんねの里から来るのは、朝のように思える、というのが、筆者の単純な疑問である。
朝と昼を交換したらどうなるか、(夜は、そのままで)
朝:山越え、野越えて、ねんねの里から いいえ⇒希望の家庭から
昼:空越え、雲越えて、光の国から いいえ⇒働く家庭から
(光は昼間の日差しを連想)
夜:星越え、月超えて、おとぎの国から いいえ⇒楽しい家庭から
筆者の印象では、朝と昼とを交換しても、そんなにおかしくないようだ。
◇歌手のこと
この歌は、安西愛子と、岡本敦郎の二人で歌ったようで、1番 安西、 2番 岡本、3番 共唱 のスタイルのようだ。
岡本敦郎は、この曲の他、ラジオ歌謡の「白い花の咲く頃」で大ヒットして、「高原列車は行く」もよく歌われた。
安西愛子は、この曲や、「お山の杉の子」が人気を博し、1949年から16年間、NHKラジオの歌のおばさんとして、活躍して、よく知られている。
メロディーは、歌いやすく、リズミカルである。
岡本敦郎 安西愛子
◇NHKラジオ歌謡のこと
1945年(S21)~1962年(S37)まで19年間、NHKが、歌番組である「ラジオ歌謡」を放送したようだ。この中で、人気のある曲を見ると、以下のような、現在でも歌われている曲があるのに驚く。
朝はどこから 1946年(S21)
夏の思い出 1949年(S24)、
さくら貝の歌 1949年(S24)、
白い花の咲く頃 1950年(S25)
山小舎の灯 1951年(S26)、
雪の降る街を 1953年(S28)、
高原列車は行く 1954年(S29)、
あざみの歌 1954年(S29)、
◇ラジオからテレビへ
NHKの歌番組である「ラジオ歌謡」は、1946年(S26)から1962年(S37)までの16年間、音楽を届け続けた。テレビの時代になって、「みんなのうた」として、歌を放送して、50年になったようだ。
ラジオ⇒テレビ⇒インターネットへと、文明の発展に伴い、音楽の文化も変化してきている。
以前、ラジオでよく聞いた、堀内敬三氏などの「音楽の泉」を思い出す。
◇日本の歌100選
2006年(H18年)、文化庁と、日本PTA全国協議会の共催で、日本の歌100選プロジェクトが行われ、結果が発表された。
親から子へ、子から孫へと歌い継がれような、童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌が、選ばれている。
一般公募した、895曲の中から選考委員が選んだが、絞り切れず、101曲になったと言う。
筆者には、殆どの曲が、よく知っているものばかりだが、その中に、前述のラジオ歌謡でよく歌われた、
朝はどこから、さくら貝の歌、夏の思い出
の3曲が入っているのは、嬉しいことだ。