へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

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2007年12月27日 04時08分23秒 | Weblog
最近のブログの内容が、「地球規模の話」が多くなったので、宇宙に変えてみました。
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百聞は一見にしかず

2007年12月27日 03時49分50秒 | Weblog
「聞くと見るでは大違い」などとも言いうが、テレビ、映画、DVDなどの映像を見ることは、果たして「一見」と言えるのであろうか?。
テレビの番組を見ながら、何となく疑問に感じたのである。
「百聞」ではないのだが、「一見」と言うにはかなり無理があるのではないだろうか?。
単に「見ている」と言う意味で言えば、「一見」の範疇に入るように思うのだが、よくよく考えると、「見ていると」言うより「見せられている」と言った方が正しいのではないだろうか?。
「この部分をもっと見たい」「右側はどうなっているの?」・・・・など、見る側の意思が反映される事は殆ど無い。
アクまでも、撮影する側に「主導権」を握られている状態では、とても「一見」とは言え無いように思うのだが・・・。
事前に映像を見て出かけても、現地で「予想外の光景に出会う」と言う事はよく有ると思う。
カメラと人間の目の「視野の違い」によるものも多いのだが、「撮影する側の事情」によるものも多い。
10年近く前、アメリカの大統領やフランスの首相などが宿泊した、中国・上海の「超高級ホテル」なども、建物自体は「大きくて豪華」なのだが、周囲のひどい状況を見ると、まるで「掃き溜めに鶴」と言った感じである。
映像では全体を写さないので、気が付く事はないのでである。
このように考えてゆくと、映像による情報は「百聞」とそれ程違わないように感じてしまう。
同じ様な事が「情報化社会」にも言えると思う。
多くの場合私たちは、情報を「得ている」のではなく、「与えられている」と言った方がよいのではないだろうか?。
「必要も無い情報(一部には有害なものも)」、「意図的に流された情報」などの波に飲み込まれて、何時の間にか「感覚が麻痺」してしまったようである。
「タダほど高いものは無い」と言うように、次々と与えられる「どうでもよい情報」によって、「本質を見失う」と言う事になっては、「大きな損失を被る」と言うことになりはしないだろうか?。
気を付けなくてはいけないのは、現状のままで行くと近い将来、日本人の多くが「白痴化」してしまう恐れがあるのだ。
「学力の低下」はいずれ、「科学や産業技術などの低下」を引き起こすでしょう。
「日本の生命線」とも言える、「科学や産業技術」を失っては、国土も資源も無い日本が生き延びる道は、「かなり厳しい」のではないだろうか?。
現代医療では治療が困難な、携帯依存症、テレビ依存症、ゲーム依存症、情報依存症などの「新しい病」が増加している。
これも人間社会が発展した事による、「運命(宿命)」なのかもしれない。
「運命(宿命)」であるとすれば、どうあがいてみても「成る様にしか成らない」のだろうか。

コメント (12)
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