へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

スエーデン型かアメリカ型か

2007年12月24日 22時23分51秒 | Weblog
税負担と医療・福祉などのことであるが、日本は、歴史的にも地理的にもアメリカの影響を多く受けていると思う。
スエーデンなどの北欧諸国は、「高負担高福祉」と言う制度になっている。
一方のアメリカでは、「負担は軽いが、あとは自己責任で」と言う考え方である。
どちらが良いかは、人それぞれ価値観が違うため、一概には言えないのだが、私の考えでは「北欧型」のほうが良いと思う。
低所得層からは、「これ以上税金が増えては生活してゆけない!」と言う話ばかり出てくるのだが、果たして本当なのだろうか?。
私に言わせれば、「大きな錯覚(誤解)」あるいは「思い違い」としか言いようが無い。
もし、本当に「生活できない」と言う意見が正しいのであれば、北欧諸国はどうしているのであろうか?。
大分以前のことではあるが、ある有名なテニスプレーヤーが「税金が高すぎる」と言う理由で、「税負担が無いモナコ公国」に逃げ出した話がある。
これ以外にもあるのだが、基本的には、北欧型の国では「高額所得者には不利」で、アメリカ型の国は「高額所得者に有利」と言うことが言えるのではないだろうか?。
「高額所得者=金持ち」は、自己責任で何でも出来るだろうが、「低所得者=貧乏人」は、自己責任さえ取る事が難しい。
北欧の高負担型では、「手元に残るお金は少ない」が、アメリカの低負担型では、「手元に残るお金が多い」と、一見すると「低負担が有利」な様に感じるのだが、これが「大いなる錯覚(誤解)」なのである。
「手元に残るお金」は確かに多いのだが、アクまでも「手元に残っていると言うに過ぎないお金」と言う部分がある。
北欧諸国では、「子供を生み育てる費用」「教育費用」「医療・福祉などの費用」は「殆ど必要ない」のに対して、日本はどうであろうか?。
子供を生み育てるにも、教育するにも、医者にかかるにも・・・・と、多くのお金が必要になる。
「アメリカでも同じことが言える」、と言うどころか、「公的保険制度が無い」アメリカでは、自主的に保険に加入していなければ、「病気になっても医者に行けない」と言う問題が起きてくる。
「手元にお金が残っている」からといって、全てが自由になるわけではない。
「いざと言う時の備え」は、「自己責任でする」と言うことが求められるのである。
どちらが良いのであろうか?。
おかれている立場によって「正反対」に分かれると思う。
「高額所得者に有利なものは、低所得者には不利」「低所得者に有利なものは、高額所得者に不利」と言う事になる。
「あちら立てればこちら立たず、こちら立てればあちら立たず」なのだから、「意見の一致」など「到底不可能」と言うほか無い。
「消費税増税の悪い面」ばかりが強調されているが、「一次的には低所得者層に厳しい」一面はあるが、「将来的」に考えるなら、「消費税の増税は仕方ない」と考えるべきではないだろうか?。
「増税なき財政再建」など「夢物語」どころか、更に「次世代と低所得者に負担を強いる政策」と言わざるを得ない。
「情報化社会」などと浮かれているが、「本当に必要な情報」など「殆ど無いに等しい」と言いたい。
「意図的」に流されている情報も多いから、これらの情報を安易に「鵜呑み」にすることは危険である。
私自身もそうであったが、若い世代の時には「将来に備える」などと言う事には「考えが及ばない」と言うのが本音である。
「国の政策」として「強制的」に、「将来に対する備え」をして置くべきではないだろうか?。
また、「高負担高福祉」と言う考え方は、別の観点から見ると「格差の是正」と言う効果も期待できる。
現実の話、北欧諸国では「格差と言う問題」は、それ程起きていない様に思うのだが、いかがなものであろうか?。
物事には「表と裏」「明と暗」がある事を忘れないで欲しい。
時には私のように「へそ曲がり(悪い意味ではなく)的」な考えも必要だと思うのだが・・・・。
ブログを書き始めて「丸一周年」を前にして、少し長文になったようである。
明日から、またよろしくご愛顧のほど、お願いいたします。



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明日で丸一年

2007年12月24日 04時25分23秒 | Weblog
年を取ると月日の経つのが早く感じる。
明日25日で、ブログを書き始めて一年になる。
我ながらよく続いたものだと驚いています。
始めのうちは見てくれる人も無く、何時まで続くのか自信は無かったのだが、少しずつ閲覧してくださる人が増えてきて、書くはりあいも出て、大変感謝しています。
しかしながら、最近では、話のネタ探しに困る事が増えてきました。
願わくは、感想、反論、意見、希望など、何でも良いのでコメントをいただけると幸いです。
始めたキッカケは、オカヤドカリに関する情報が、「かなりいい加減」なものが多かったので、修正しようと思ったからで、ブログを始める前は、幾つかのブログにコメントを投稿していたのだが、その多くは「オカヤドカリオタク仲間」にとって都合が悪い為か、削除されてしまった。
それならば、「自分で作ればよい」と言うことで始めたのだが、何時の間にかオカヤドカリの話は片隅に追いやられてしまった。
肝心のオカヤドカリは、気温の低下と共に「半冬眠状態」になっている。
8ぴきいるはずなのだが、地上にいるのは2匹か3匹、後は砂の中に潜っているので確認は出来ない。
一年前の冬も同じ状態だったので、特別心配はしていない。
オカヤドカリの飼育を始めて1年と8ヶ月経つのだが、今更ながらネット上に流れている「オカヤドカリに関する情報」に変化は感じられない。
「旧態依然」といった感じで、「初心者に不安を与えるような内容」のものが多い。
オカヤドカリに限らず、ネット上にあふれている情報の中には、???、と言うものが非常に多いのだが、ひとたび流通してしまうと、アタカも、それが「真実な情報」と信じられてしまう。
NHKの「ためしてガッテン」という番組を見ていると、「従来の常識」に、いかに間違いが多いか思い知らされる。
地道な番組作りをしているのだが、見る人はそれ程多くないようである。
私などは、この番組を見るたびに「受信料の元を取った」と思っている。
私の知人の奥さんは、この番組のおかげで、家族から「お母さんの料理がおいしくなった」と言われるようになり、毎週のように行っていたファミリーレストランに行きたがらなくなったと言う。
家計的にも、「家族5人で、毎回のように1万円近く使っていたのが節約できた」と言って喜んでいる。
料理関係ばかりではない、それ以外のテーマでも、思わず「エー?、ウソー?」と言うことが多い。
まさに「目からウロコ」なのである。
世の中には、まだまだ沢山の「思い込み」「錯覚」「思い違い」などによる、「常識のウソ」が存在する。
それ以外にも、何らかの理由で「意図的に操作された情報」も多い上に、政府が直接発表するものばかりで無く、専門家や学識経験者などの発表するものには、「希望(楽観)的観測」なものや「プラス面だけを強調」したものなどが多いので気を付けなくてはいけない。


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