へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

人と動物 どっちが賢い?

2007年12月05日 20時43分02秒 | Weblog
今日の朝日新聞(夕刊)の一面に載っていた記事の見出しである。
そして、「素粒子」と言うところには「OECD調査によれば、15歳の応用力、読解力で低迷が続く。問題は教育現場の対応力、改善力。」と言うのもあった。
「一見何の関係も無い」ように見えるのだが、私に言わせれば「大いに関係あり」と言う事になる。
「人と動物 どちらが賢い?」と言う質問自体、「ナンセンス」と言うほか無い。
「何故に」人と動物を比較しなければいけないのだろうか?。
「人は動物の一種ではない」と言うのだろうか?。
「人間は特別なもの」と言う考え方が、根底にあるのではないだろうか?。
「教育現場の・・・・。」とあるが、「教育現場」とは、何をさしているのであろうか?。
多くの場合「小・中・高・大・などの教育の場」をさしている事が多い。
一方の「ここで言う所の動物」の世界には、この様な「教育現場」などあるはずが無い。
生まれた瞬間から、「生き残る為の」「命を賭けた」「生存競争」と言う「教育現場」が待っているのである。
人間社会と違って、「落ちこぼれに生き残るチャンスは無い」と言っていいだろう。
つまり、「応用力や読解力(文字を読むという意味ではない)」が無ければ、「生き残る事はできない」のである。
「教育現場」を「学校」に求める事自体、「ナンセンス」なのである。
「ナンセンス」と言うより、「手遅れ」と言うべきかも知れない。
脳の発達により、人類は「自然界の中の特別な存在」となり、「独自の進化?」を遂げてきた。
しかし、この「独自の進化?」が問題である。
敢えて「?マーク」をつけた意味は、「果たして本当に進化なのだろうか?」と言う意味である。
本当に進化と言えるかどうかは、「諸刃の刃的思考」で考えなくてはいけないだろう。
「環境に適応する能力の無い生物は絶滅する」と言うのが、「自然界の掟」である。
「産業革命以前の地球」では、「大きく環境を変える要因」としては、「巨大隕石の衝突」「大規模な地殻変動や火山の噴火」など、「不可抗力」な事でしかなかった。
「産業革命以後の地球」では、「化石燃料・埋蔵資源の大量消費」と言うことで、大きく環境を変えてしまった。
「限りある化石燃料や埋蔵資源を大量に消費する人類」が、「動物より賢い」と言えるのだろうか?。
動物の側から見れば、「人間はなんて馬鹿なことをしてるんだ!」と言っているかもしれない。
コメント (7)
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再び「諸刃の刃」について

2007年12月05日 19時09分22秒 | Weblog
朝日新聞でも「両刃の刃」と書いている。
数人の人に「もろはの刃」に対するイメージを聞いてみた。
その結果は「安全かみそりのように、両側に刃がある」と言う答えが返ってきた。
一般には、この様な意味で使われることが多いのは確かである。
ところが、「諸刃」の「諸」と言う字を辞書で引いてみると、① 二つの。両方の。「ー手」、② 多くの。もろもろの。「ー人」「ー神」、③ 共にする意。もろとも。「ー寝」、と出ている。

一般的には「① 二つの。両方の。」と言う意味で使われているようではあるが、私が使っているのは、「② 多くの。もろもろの。」と言う意味で使っているのである。
現実の世界においては、必ずしも反対側に刃があるとは限らない。
「予想外(今風に言うなら想定外?)」な所に刃がある事もあり、「一枚どころか二枚三枚・・・」と言う事だってあるのである。
その為、私の書いている内容から言えば、「両刃の刃では間違い」と言う事になるのです。
これからも、折に触れて「諸刃の刃」が出てくると思いますが、その時は「②の意味で使っている」と思ってください。
上下左右前後斜、平面的な360度ではなく「立体的な三次元(全方向)」で考えなくてはいけないのです。
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